繋がった。
それは瑞鳳の手にある謎の機械が何か得体の知れない怪電波でも拾ったという事なのだろうか。
「それは本当ですか!」
声を聞いて飛んで戻って来た大淀が瑞鳳に詰め寄れば、彼女ははっと意識を取り戻して、「これが正常に稼働してるならだけど」と機械に目を落とした。
「それ、何?」
てこてこと歩いて戻ってきた初雪が端的に機械について問う。それは吹雪も気になっていた。先程完成したらしいその機械はいったいどういったものなのか。繋がったとは何か。初雪の後ろから小走りで走ってきた潮の胸部の脅威はなんなのか。普通揺れないよ。
ふぅふぅと息を整えながらも視線に気づいた潮の目から逃れるように、吹雪は改めて機械へ目をやった。近未来的な光の板は未だ浮き沈みを繰り返す白い船のシルエットを映している。
「これは最新鋭の情報端末、knowledge absorb navigation……
彼女の説明によれば、この多目的端末は妖精暗号通信――妖精を介して行われる意思のみのやりとり――を用いずノータイムで会話する事も機能の一つに組み込まれており、そしてそれは対となる同じ情報端末との間とのみ行う事ができるらしい。
「カンドロイドはかつて世界に二つしか存在しなかった。プロトタイプは壊れたのを再利用して作り直したからないけど、対となる型は……」
「今、通信が繋がってる人の手元にある、という事なんですね」
そう。そしてそれは、必ずしも相手が艦娘であるという確証がないもの。
妖精さんは素質がなければ見る事も意思を受け取る事も叶わないが、カンドロイドは特殊ではあるがただの機械。艤装と違って人間でも扱える。艦娘の艤装扱いにしなければ九割方機能が制限されてしまうが、それでも通信のみなら可能だ。つまり今繋がっている相手は、ひょっとすれば人類最後の一人かもしれないのだ。
ここに
そこに希望があるかもしれない。そう思うと、全神経を集中させて人間の声を聞き取る体勢に入った。
『――ザザッ』
『――? ……――』
一際強いノイズが走る。だが同時に誰かの声もまた強く聞こえてきた。
「こちら瑞鳳。聞こえる? 聞こえたなら返事して!」
緊張した面持ちの瑞鳳が片手を耳に当てて声を発する。反応はある。でも明確な声が聞こえてこない。
それから数分の間は瑞鳳が一方的に語りかけるのみだった。
だが、やがて――。
『――えるわ。こち――ザッ――守府所属、駆逐艦・叢雲』
「叢雲? 叢雲さん? こちら瑞鳳、もう一度お願いするわ!」
通信は良好とは言えないが、冷たく鋭い声が空間に切り込むように響き渡った。思わずぴんと背筋を伸ばしてしまいそうな、というか吹雪は背筋が伸びた。
『――所属、叢雲よ。現在地は……ちょっと待って――んっ。駄目ね、使い方がわからない』
「いいわ。口頭で伝えて?」
『ええ。ザザッ――地は、コスタリカ。現在地は、コスタリカよ』
「聞こえたわ。コスタリカ……随分遠いところにいるのね」
話しながら、瑞鳳はそれぞれに目を向けた。聞き逃した者はいないかという目配せに全員が頷く。
「カンドロイドを持っているって事は、この鎮守府の所属の子なのよね?」
『なんですって? カン……何?』
「ああ、その機械よ」
『――そうね。ええ、そうなるわね』
彼女がかつてここで過ごしていた艦娘と聞いて、吹雪はすぐにでも島風について聞きたくなった。だが今は明らかにその場面ではない。喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んで二人の会話に耳を傾けた。
「今までどうしていたの? あなたは一度ここへ戻ってきて、再出撃したのよね?」
『…………』
「……当時、帰還した艦娘の過半数がその後の戦闘の報復のために再出撃しています」
繫がりが悪いのか叢雲の答えはなく、代わりに大淀が話して聞かせた。……報復のための出撃? その後の戦闘? 大戦と呼ばれる最終決戦の後に何かしらあったのだろうか。疑問に思う吹雪に初雪が耳打ちする。
「霧が世界を覆った。それで人間は消えた。だからみんなは、その敵討ちに……」
「……そんな事が」
耳元に感じる微かな息遣いに、吹雪はどうしてもその霧のせいで一気に人がいなくなったというのが想像できなかった。まるで現実味がなく、だから理解できない。いまいち反応できなかった。
「なら仲間が……あなた以外に、他に艦娘は何人いるの?」
『……ゼロよ』
「え? ごめんなさい、通信が――」
『一人も残っていないわ。みんな沈んだ』
そんな、と誰かが零した。
口に強く手を押し付けた瑞鳳が瞳を揺らして、首を振った。あり得ない。なぜ。どうして。そういった感情が強く読み取れた。
「し、深海棲艦は、いなくなったんじゃ……」
涙目の潮が震えた声で訴えた。
あの最後の侵攻……人間が全滅したあの戦いの後、深海棲艦はまったく姿を見せなくなった。
どこに行っても、何をしていても現れる事はなく、だから。
だから、沈むなんて俄かに信じられない。
『……何が起こったのか……聞きたいでしょうけど、それは直接話させて』
「それは……」
「今さら何を急ぐ事もないでしょう。彼女の帰りを待ちましょう」
どうする、と窺う瑞鳳に大淀が一番に答えると、その場の空気はその意見に流れた。
『そうしてもらえると助かるわ』
「でも、どれくらいかかるか……」
『最大で20日程ね。早ければ二週間のうちには戻れるわ。……何もトラブルがなければね』
「と、トラブルって?」
最後に小さく囁かれた言葉は不穏な空気を孕んでいて、思わず吹雪はそう問いかけてしまった。
『吹雪……? 吹雪なの……?』
帰ってきたのは明確な答えではなく、戸惑う声だった。
自分の名を呼ばれて、そういえば彼女はここで過ごしていたのだから、ここにいたという吹雪の事も知っているのだろうと気づいたのだけど、自分は違う吹雪だとはすぐに言い出せなかった。気後れもあったが、そう伝える事で彼女を落胆させたくなかったのだ。
『いえ……あなたが生きているはずがないわ。あなたはあの時……私を庇って沈んだんだもの』
「え……」
沈んだ。
死んだ。
吹雪が。
それは、私が……?
彼女の声は当たり前に吹雪を指していて、だから吹雪は自分の事を言われているように錯覚した。得体の知れない感情が体を取り巻きじわりじわりと体の中に入ってくるような不快感。心を抉り取られてしまったように一瞬心神を喪失し、膝から力が抜けてへたり込んでしまった。吹雪ちゃん、と潮と初雪が寄り添って腕を取ってくれたものの、足に力は戻らない。
遠いはずの死が身近にある。いや、身近どころか、この体の中にある。
まるで自分自身がその死を経験してしまったように感じらて空恐ろしく、額に脂汗が浮くほどに吹雪は怯えた。視線は浮き沈みする船のシルエットから離せない。
同型艦の凶報が吹雪に与えた精神的ダメージは計り知れない。
こういった数多のデメリットがあるから、戦時はどれほど巨大な地でも同じ艦娘は二人いなかった。二人以上の同型艦が肩を並べて戦ったのは後にも先にも最終決戦の時だけだった。
『また別の吹雪なのね?』
「ぁ……う、うん」
二人の手を借りてなんとか立ち上がった吹雪は、彼女に無駄な心配をかけさせないために、声ばかりはしっかりとして返事をした。自分の事よりまず相手。ここら辺の性格は他の吹雪と違わない。
『できるだけ急いで帰るわ。あなたの顔が見たい。……じゃあね』
「うん、またね、叢雲ちゃん」
『……』
ブツンと物理的な音と共に通信が切れる。同時に照射されていた光も消えた。
見えないというのに控え目に手を振っていた吹雪は、完全に通信が終わったと判断した後にどっと脱力した。かなり無理をしていたのだ。動揺や恐怖を『姉である自分』という
「彼女が無事に戻ってくる事ができれば……快挙ですね」
「そうね。どこの泊地も鎮守府も、敵討ちだと出ていった艦娘は誰一人戻ってないと聞くし――ああ、それが本当だっただなんて――、もし叢雲が帰ってきたなら、それは私達の、ひいては誰かの希望や活力になるかもしれない」
「希望……」
「みんな、元気になるんでしょうか……」
そうだったらどんなに素敵な事だろうか。叢雲の帰還を受けて二十数人の艦娘が立ち上がれば、それだけとれる手段は多くなる。現状一桁台の艦娘だけで回しているこの基地は崖っぷちギリギリだ。敵がいないからやっていけているだけで、近海に深海棲艦の一匹でも現れればもうキャパオーバー。だがたとえそうなるとしても、誰もが心の中で深海棲艦の登場を願っていた。目的を得るため。仕返しをするため。様々な想いが渦を巻き、しかし敵は姿を見せない。
「私はもうやる気出てきたかも。向いてないって思ってたけど……やっちゃうわ」
「その意気です。全力でサポートしますね」
「そうね、まずは演習システムの修理を……」
「いいえ、まずは昼食です」
大張り切りで腕まくりをする瑞鳳に、大淀は変わらぬ調子で昼餉にしようと告げた。
そうして五人は食堂へ移動した。
◆
具の少ない冷やし中華を平らげて、吹雪は引き続き案内を受ける事となった。これまでずっと背負っていた艤装と砲は明石の工廠改め瑞鳳の工廠に預けられ、今度は館内の案内だ。
本棟内部の二階資料室や三階娯楽室、外の入渠施設に妖精の楽園内部。
ミニチュアセットのように妖精サイズの街並みが広がる空間は圧巻で、中央に立てられた妖精像は彼女達の自己顕示欲を端的に表していた。楽園内部の黒い建物、緊急出撃ドックも紹介されるが、ここも使われなくなって久しく、老朽化が進んでいた。
案内はここでおしまい。
お次は隣の特設海上防衛隊の基地にお邪魔してお仕事開始。
十四年の歳月をかけて瓦礫の撤去、遺体の埋葬、地面の掃除……整えられたのはここだけではなく、近隣の街もまた同じように艦娘の手が入っていた。
それはひとえに人間のため。人間が戻ってきた時のため。
既に綺麗にした地の清潔さを維持し、そしてまだ戦果の爪痕が残った地を
人がいない以上海に出る意味はなく、深海棲艦がいない以上戦う理由もない。
吹雪は、その『深海棲艦はもうどこにもいない』という一点について、まだみんなに話せていない事がある。
あの戦艦レ級の事。それから、囚われている『最初の艦娘』の事。
言い出すタイミングを逸し続けて早数時間。これはもう、
たぶんおそらくきっと、とても重要な話になるだろうし、彼女に聞いてもらうのが一番良い……気がする。
なんとなくで吹雪はそう判断した。面倒がっていたりしているのではない。今話さない方が良いと判断したのだ。
この日は日が暮れるまで作業に従事した。あちこち墓が立つ中での掃除や何かは吹雪の心を重くしたが、これでもまだマシな方だ。人類絶滅直後は足の踏み場もないほど人の死体で溢れ返っていて、原形を留めていないものが過半数を占めていた。集めて焼いて海に撒くの繰り返しは辛うじて自身を律していた艦娘の心を砕くには十分で、それから数年で多くの艦娘が本棟に座る艦娘達の仲間入りを果たした。
それを乗り越えて生きているのが初雪達だ。
彼女達は必ず明るい未来が戻ると信じ、他の鎮守府跡と交流を続けている。
街を綺麗にしているのは他との協力のためもあるからだ、と吹雪は夕食の席で説明を受けた。
ここでは生産できない物資を
「……私、本棟に行ってくるね」
夕食後、初雪と潮と共に駆逐寮へ戻る道すがら、吹雪は立ち止まって二人に告げた。
「どうして?」
「……金剛さん、どうしてるのかなって思って」
問う初雪に、吹雪は一瞬悩んでから正直に話した。彼女は金剛に苦手意識を抱いているから、名前を出して良いものか、と思ったのだ。
「やめておいた方がいい……」
「でも、ご飯を食べに来ないなんて、心配だよ」
「こ、金剛さんは、いつも少し時間をずらして食べに来るから……」
どこか言い辛そうな潮に、どうしてわざわざ時間をずらすのだろうと首を傾げる吹雪。
……まさか、他の子と一緒に食べたくないとか?
それこそまさかだ。吹雪は金剛とは付き合いが長くない。というか数分しか顔を合わせていない。でも、彼女がそういった感情を持たないだろうとは予想できた。たしかに少し変だけど……、あの人は良い人だ。そう認識していた。
「金剛さんは……間食が多いんです」
「かんしょく?」
聞き慣れない言葉に再び首を傾げる吹雪。感触、官職……知識をめぐらせて状況にあった言葉を引っ張り出し、ああ、と納得した。おやつとか、そういうのが多いから夕食の時間がずれるんだ。
そこまで考えて、あれ、と疑問が浮かぶ。
「おやつって……あるの?」
この時代、おやつを含む娯楽品なんてとても贅沢な物なのではないだろうか。
だって生産する人間はもういない。艦娘が生み出すにしても、人手が足りないのは今日一日見て回ってよくわかっている。妖精さんが作るにしたって、材料がなければ何も作れないだろう。
「うん。いつも隣の鎮守府から貰ってる」
「あ、そっちの方だと生産できるんだね」
「そういう事」
茶葉に洋菓子類に食器類。吹雪が今いる場所では手に入らない物も、他所と連携すれば届かない品ではなくなる。
では代価は何か。
金剛は娯楽品を貰う代わりに何をしているのか。
答えは何もしていない、だ。
彼女は正気である少数の艦娘の中に数えられてはいるものの、半分沈みかけに等しく、ゆえに彼女自身に何かをしてもらう事は早々できない。
だが幸い彼女は戦艦だ。そこにいるだけで意味がある。
「その鎮守府にいる艦娘の種類によって、生産できるものが変わる」
「前の戦いでは、強い人から先にいなくなっちゃったから……」
眉を八の字にして潮が言う。その『いなくなった』人の中には、当然彼女と親しかった人や特別な感情を抱いていた相手もいたのだろう。思い出すだけでも辛いだろうに。特に彼女は気が弱い。吹雪もまた彼女と同じ表情を浮かべた。
戦艦がいる事によってこの地では他とは違うものが作り出される。
それが代価として支払われているから、金剛自身が何もしなくてもずっと娯楽品を手に入れられ続けているのだ。
だから誰も触れない。十数年前を生きる彼女をこの時代に引き戻そうとしない。
吹雪には、それが悲しく感じられた。仲間はずれにしているみたいだから。
ないものとして扱っている……とは違うけど、彼女を彼女としてでなく、ただそこにいる金剛という艦娘として扱っている。それが無性に悲しかった。
「私……」
なぜそんな感情を抱くのか、自分でもわからない。
生まれたばかりなのだからそんなのは当然だ。ただ、元々あった知識に照らし合わせて色んな事をわかったつもりになっているだけで、何もかもが初体験には変わりない。その中で感じた強い気持ちの処理の仕方を、吹雪は知らなかった。
「金剛さんと仲良くなりたいな」
くたびれた椅子に服を着せて話しかける金剛を、この地獄とも言える現実に引き戻すのは酷かもしれない。
これは『わがまま』だ。生まれて初めての、自分のための
友達になりたいから無理矢理目を覚まさせる。それでどうなるか、何が起こるかを考えると不安で仕方なかったけど、彼女をあのままにしておくという選択肢はなかった。
「何ができるかわからないけど……とにかく、私、行くね」
初雪と潮は、それ以上何も言わなかった。行くなとも行けとも言わず、遠ざかる吹雪の背を不安げに見つめているだけだった。