勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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『第一話』の冒頭にちょこっと加筆。


第六話 人間のいない鎮守府

「あ、初雪ちゃん、吹雪ちゃん」

 

 本棟の外に出て右側の道へ進んで行こうとした時、吹雪と初雪に声をかける者がいた。

 それは本棟から出てきた潮だった。エプロンを外し、お玉を置いてきて完全に艦娘スタイルに戻っている。隠されていた大量破壊兵器が惜しげもなく披露され、吹雪のちっぽけなプライドを粉砕した。なんとなく抱えている連装砲で胸を隠す。無意識の行動はしかし、気付くとなかなかに惨めな行いであった。視界に入れなければ比較される事もないだろうという浅ましい考え。いや、誰も比較などしないのだが、そこはそれ、吹雪は改めて砲で胸を隠した。いったい何と戦っているのだろうか。きっと自分の中の些細な闇と、なのかもしれない……。

 

「今までずっと提督のところに?」

 

 潮が出てきたのは、先程言っていたお墓参りのためにだろう。先に向かっていたはずの吹雪と初雪が未だにここにいる事からそう判断したようだ。墓石を指して「提督」と呼ぶのは彼女の気質(ゆえ)だろうか。気質といえば、彼女は常日頃からおどおどしている印象があるが、友達に対する時は存外普通だ。()()()であった吹雪ともかなり打ち解け始めている。吹雪の人畜無害なモブフェイスが役に立っているのか、それとも彼女が『吹雪』という艦娘を知っているためにか。

 

「ううん、色々あって……今から案内してもらうんだ」

 

 軽やかな足取りで二人の前にやって来た潮に、初雪に代わって吹雪が答える。

 

「そ、そうなんですか? ……私もご、ご一緒してよろしいでしょうか?」

「大丈夫だよ。人は多い方が私も嬉しいかな」

 

 打ち解け始めているとはいっても、どうにもまだぎこちない。敬語は抜けてないしどもりもある。そこら辺、吹雪はもう気にしない事にした。そのうちきっと普通に話せるようになるよと楽観的。彼女の同行の許可を求めて初雪に顔を向ければ、言葉なしに頷いて返される。

 

「その前に、私も……提督に、ご挨拶してきますね」

 

 一言断ってからぱたぱたと墓石の前まで行った潮がスカートを押さえつつしゃがみ、手を合わせて黙祷した。心の内には提督への言葉が綴られているのだろうか。彼女と司令官の関係に思いを馳せていた吹雪は、数分して潮が戻ってくると考えを中断し、初雪の先導に任せて歩き出した。

 

 カツカツカツ。

 艤装の一部である金属製のブーツは石製の床とぶつかると小気味良い音を鳴らす。それが三人分。リズム良くテンポ良く靴と床のぶつかる音があれば、ちょっとばかり楽しくなったりもする。そんな訳で足下に目を落とした吹雪は、他の二人の足音に合わせて歩調を変え、一つの音楽を奏でていた。

 

「ここ、コンビニエンス妖精」

 

 即席BGMに二人からの反応はなく、ほどなくして一つ目の目的地に着いた。道筋は、本棟正面から右の道を歩き、塀に阻まれた突き当たりを右へ行き、本棟裏面の砂利道に合流して少し左へ歩いた場所がコンビニエンス妖精と呼ばれた四角い建物の前だった。

 ほんの二十年前には百メートルに一件はあった便利な雑貨屋さんと酷似した姿は、だけど吹雪には覚えはなく、新鮮で楽しげな物として映った。店先ののぼりは風にはためいて清々しく、窓に貼られた新商品の告知は古びていても真新しく――それを知らないのだから、当然――見える。『精妖スンエニビンコ』と書かれた看板は罅割れを補修した跡がいくつかあった。

 

「は、入ってみても良いかな?」

「ん。大丈夫」

「そ、それじゃあ……」

 

 興味津々といった様子の吹雪に否とは言えないだろう。三人は吹雪を先頭に店内に踏み込む運びとなった。

 ガラス戸の自動ドアが左右に開けば、ふわっと冷たい風が溢れだす。

 

「わぁー、涼しい!」

 

 両手を広げて外と中との温度差に目を輝かせる吹雪。電化製品といえば冷蔵庫が頭の中に浮かぶが、それ以外の文明の利器はさっぱりで、これがいかなる技術によるものなのかを考えるとわくわくしてたまらなかった。カウンター内にてぼうっとしている(ように見える)妖精さん二匹がはしゃぐ吹雪を暖かい目で見守っていた。

 床や壁や棚はぴかぴか。電灯の明かりも白く眩しい。所狭しと並ぶ日用品や雑貨、おもちゃ、菓子類、ちょっとした食品類、とても古い雑誌……品揃えも豊富で、吹雪にとってここは生まれて初めて訪れる娯楽施設だった。ただ棚の間を歩くだけでも心が賑やかで、色とりどりの商品に目移りしてしまう。

 そんな中でところどころに空きがあるのに気がついて、その数が十を超えると立ち止まって振り返り、すぐ後ろにいた初雪と潮にこの空きは何かと聞いた。

 見たまま空きだ。そこに入っていた商品は賞味期限切れか消費期限切れで廃棄され、以降補充されていない物だと説明された。人類が消えた今、補充の目処がないものが大多数なのだ。それでもこの品揃えなのはおそらく妖精達の技術によるものなのだろう。こういった形で人間がいない事を実感し、吹雪は楽しい気分が吹き飛んでしまった。人間が本当にいないのだという現実に冷や水をかぶせられた気分だった。

 

「ど、どうしました……?」

 

 隣に立った潮が気遣うように問いかけてくるのに、「あ、ううん」と首を振ってなんでもないと示した。人がいないなど自分以外のみんなは嫌というほど知っているだろう。今さらそんな事に衝撃を受けているなんて言えなかった。

 

「そう」

「…………」

 

 二人にとってそのような気遣いは不要だ。なにせ人類が地球上から姿を消してからおよそ10年以上の歳月が流れている。それこそ今さらその話題を出された程度で揺るぎなどしない。……そうと知ったとしても吹雪は気を遣うだろうが。そういう艦娘なのだ、彼女は。

 

 何も買わずに店を出て、一つ隣へ移ればそこは高い塀に囲まれた謎の地であった。塀に設けられた鉄扉の横には関所のような小さな小屋がせり出ていて、殊更小さな窓口には居眠りをしている門番妖精さんがいた。

 

「ここは妖精の(その)

「うちの妖精さん達は、みんなここで過ごしているんです」

「へぇー、そうなんだ」

 

 初雪の説明を潮が引き継ぐ。灰色の壁に囲まれた中はいったいどのような景色を持っているのだろう。好奇心が刺激されて、しかし吹雪は中を見せてとは言わなかった。先程コンビニエンス妖精の中に入らせてもらったばかりだったから遠慮しているのだ。そうとは知らない初雪はさっさと次に移ってしまう。後ろ髪を引かれる思いで、吹雪はその場を後にした。

 

 砂利道を進めば袋小路に辿り着く。ここもまた塀で囲まれた、砂利道の終着点。左には壁がそびえたち、右側には口を大きく開けた工廠がある。薄暗い室内の壁には長いテーブルがコの字型に取りつけられていて、その上に疎らに艤装が乗せてあった。天井からは数本糸が垂れて寂しげに揺れている。

 さて、ここはどういった場所だろう。吹雪は自分でも予想しながら初雪の紹介を待った。しかしいつまで待ってもこの建物の名称が彼女の口から伝えられる事がなく、吹雪は室内に向けていた目を隣に立つ少女へ移した。

 ほっそりとしていた。

 夏の日の光は一人の少女をより孤独に感じさせて、地面に照り返された少女は小さく、寂しげだった。

 初雪は、ただでさえ半分閉じかけている目をさらに細めて、じっと室内の奥の方を眺めていた。視線を追いかけても奥の壁や床に散らばる雑多な備品くらいしか見つけられず、なぜ彼女がそのような顔をしているのかはわからなかった。

 

「ここは……夕張さんの工廠。……元」

「元?」

 

 ようやくつげられたこの建物の名前。

 元、夕張さんの工廠。

 元というくらいなのだから今は違うのだろうが、名前が変わっていないという事は……つまりは、そういう事なのだろう。

 吹雪は共同墓地の墓石の一つにこの建物と同じ名前を流し見た事を思い出した。

 その夕張さんという艦娘がいつ永い眠りについてしまったのかはわからないし、初雪と夕張さんがどのような関係であったかも吹雪にはわからない。

 

「大丈夫」

「……?」

 

 だけど、不安げで寂しそうな妹をそのままにしてはいけないというのはわかる。

 不思議そうに見つめられて、吹雪は相手が安心できるように優しく微笑んだ。

 その手を取って両手で包み込めば、きっとその哀しみの一部分だけでも和らげる事ができるはずだ。そう思って、実際にそうした。初雪の手は温かかった。

 

 気持ちが正しく伝わったかは定かではないが、初雪は笑みを浮かべて吹雪の手に自分の手を重ねた。初雪にとって彼女は姉だが、思えば『後輩』ができたのは初めてだった。自分が生まれたその日こそ人類最後の日へのカウントダウンが始まった日であったために、そして、最も打撃を受けたのがこの鎮守府であったために初雪以降艦娘が建造される事はなく、発生艦が現れる事もまたなかった。

 年下の姉の気遣いはちゃんと伝わってきていた。

 

 生まれてこの方艦娘としての務めを果たす事ができずに終焉を迎え、そこまできてやっと動き出す事ができた初雪だが、多くの仲間が倒れ、頼るべき戦艦(せんぱい)もあの様では不安が募るばかり。思春期で固定された心は日々綱渡りだった。

 今なら……近しい後輩を支える事で、自分も同じように歩んで行けるのではないだろうか。

 失敗したスタートを、吹雪と一緒に切る事ができれば、その先には……。

 

 ……その先に何があるかは、あえて考えない。今を生きられればそれで良い。姉の手で知った温もりを、決して離さぬよう努力するだけで良いのだ。

 

 妹の意思を少しだけ変えてしまったとはつゆ知らず、微笑みかけていた吹雪は自然に手を離すと、再び歩み始めた初雪について歩いた。横に並んだ潮は癖のように胸の合間に腕を押し当てながら、それとなく二人の顔を窺っていた。

 

 

 工廠の先、塀に空いた四角い穴から出た波止場からは近場の島の影が見えた。寄せる波は煌めきを混ぜ、もう慣れた潮風が立ち(のぼ)る。ほとんど崩れた壁が左手から海の半ばまで続いていた。

 元夕張の工廠の裏に回り込めば、海を一望できる一本道に出る。建物の背と海際に挟まれた狭い砂利道。いくらも歩かない内に左側にフェンスが現れ、長く広い敷地が海へ広がっている。

 そこは艦娘の住まう家々が建ち並ぶ場所だ。小さなマンションのような古びた四角い建造物が列になっている。敷地へ踏み入る入口へ立てばわかるその広さは、どれ程の艦娘が在籍していたのかが窺える。……建物のいくつかは半壊、または全壊しているのが幾つかあって、かつての栄えは見る影もないが。

 戦果の爪痕は生々しく、ここに住むとなると吹雪は少し尻込みしてしまった。なにせここにも生気を失った艦娘が何人かいる。端に寄せられた瓦礫にもたれ掛っていたり、うつ伏せで倒れていたりと様々だったが、例外なくピクリとも動かない置物のようだった。それだけでも十分気まずいのだが、初雪どころか潮すら倒れ伏す彼女達をまったく気にしていないので、ますます吹雪は肩身の狭い思いをしていた。

 

 最も奥の最も大きい建物は、しかし被害は軽微で元の姿を保っている。あそこは空母寮だと初雪が言った。現在は軽空母が一人きりで過ごしているらしい。空母寮の後方に位置する修練場もその空母専用となっている事だろう。もっとも、その空母が弓を使うならの話だが。

 

「ここが、私達駆逐艦の過ごす場所」

 

 吹雪が案内された駆逐寮は、さすがに外観は整えられていた。壁の色が違う部分がとても多く、修繕の跡はどこを見ても視界に入るくらいだった。

 

「結構綺麗なんだね」

「住む場所は、重点的に妖精が直してくれるから」

 

 中は木造で、入ってすぐの玄関の先にはカウンターがあった。先を行く初雪が靴を脱がずに上がって行ったために、微かな知識との違いに戸惑いつつも、吹雪も土足で上がった。木板と靴がぶつかる音は石とはまた違っていて、多少の緊張を誤魔化すために吹雪は足から伝わってくる音に耳を傾けた。

 玄関からほとんど真っ直ぐ歩くとある三段程度の段差の先に、折り返しの踊り場。正面の壁には掲示板があって、ガサガサになった紙……かつて広報紙と呼ばれた物が画鋲で留められていた。上部の方は画鋲に少し紙片を残すばかりで、残りは丸まってしまっているのだが、通り過ぎざまに吹雪はその紙に描かれているらしき絵を目にして、足を止めた。

 

「ちょっといい?」

 

 二人に一言断ってから紙を伸ばしてみれば、それは斜めに千切れて半ば以上の面積を失っていて、描かれている絵も半分以上破れてしまっていたが、なんとなく吹雪はそれが満潮の(もと)から持って来てしまっていた写真に写っていた艦娘の内の一人で、自分の探し人なのだと直感した。

 

『最新兵装 情報端末KANDROID(カンドロイド)とは』『"神隠しの霧"の脅威未だ去らず。そもそも霧とは?』

 そんな風に踊る題字の下に細かい文字がびっしりとあって、最も大きなタイトルが――『我らが希望 最強の艦娘』。

 全世界で唯一改二に到達した島風がこの鎮守府に籍を置いていたらしく、趣味や好物が書かれていた。肝心の絵は下半身のみ。『カゼ改二』という文字が絵の横に縦書きで記されていた。

 

「これ……」

「……気にした事なかった」

 

 掲示板を指差して二人に声をかける吹雪に、初雪と潮は大きな反応は示さなかった。初雪はこれがそういった紙だとは知らなかったらしく、潮の方は……懐かしそうに丸まった広報誌を眺めていた。彼女は島風……写真の艦娘について何か知っているのだろうか? 聞きたかったものの、なんとなくタイミングを逃した吹雪は、二人と一緒に階段を上り始めた。

 新しい情報を幾つか仕入れられたものの、島風の居場所はわからずじまい。この鎮守府にいたのは確かだろうけど、今はいないのだろう。もしいるのなら初雪が教えてくれるはずだし、潮だって何かしら言うはずだ。まさか沈んでは……その可能性は捨てておこう。そう思わなければやってられな。

 

「…………とりあえず、あなたの部屋はここ」

「えっ」

 

 ……え?

 二つほど階段を上り、古びた廊下を何歩か。三階の廊下、右側の壁の、右から四番目。一つの扉の前で止まった初雪が扉を指し示して紹介すれば、真っ先に潮が反応した。吹雪としては困惑するばかりである。まさか曰くつきの部屋である……とか……。その可能性の方が高く思えるために、吹雪は秘かに震えた。

 

「で、でも、ここって……」

「ここ、吹雪の部屋」

「そうだけど……」

 

 初雪に身を寄せた潮がぼそぼそと囁けば、彼女は先と変わらない声量で返した。

 吹雪の部屋。

 もちろん、ここは吹雪の部屋ではない。この扉の先に足を踏み入れた事はないし、そもそもこの鎮守府にだって初めて来たのだ。つまり……ここは、『前の』吹雪の部屋、という事になる。

 

「そ、その吹雪って、私の事じゃないんだよね?」

「ん」

「じゃあ悪いよ! それに、自分と同じ顔をした人と過ごすってなると、ちょっと気まずいし……」

「そこは、大丈夫」

 

 もしかすると、この部屋の中にいるのはただ自分と同じ容姿の艦娘というだけでなく、生気を失っているかもしれないのだから、吹雪が気後れするのも無理はなかった。

 が、どちらかというともう一つ頭の中に浮かんだ事の方が可能性は高く、それを裏付けるような事を初雪が言おうとしていた。

 

「ま、待って!」

 

 続く言葉は容易に予想ができてしまって、だから吹雪は手で制した。それ以上先は言わないでほしい。そう素直には言えず、とりあえず場凌ぎの言葉を口にする。

 

「その前に、部屋の中を見ても良い、かな」

「……いちいち聞かなくていい。ここ、貴女の部屋」

「ありがとう」

 

 言ってすぐ金属製のノブに手をかけ、一呼吸の間を置いてから引いて開いた。

 中は……靴を脱ぐスペースから始まって、左右に二段ベッド、正面に窓と棚、部屋の中央に背の低い四脚のテーブルがあるだけの、シンプルな内装だった。敷かれたカーペットに汚れは見当たらず、家具なども傷みは見られない。想像していたよりずっと過ごしやすそうで、何より人形のような自分を見る羽目にならずにすんで吹雪はほっと胸を撫で下ろした。

 

「ベッドは……わかる?」

「んと、あそこだったと思う」

 

 後から入ってきた初雪と潮が部屋だけでなく寝る位置も指示した。潮が躊躇いがちに指差したのは左側のベッドの下段だった。そこに今は布団はなく、黒い骨組みを覗かせているのみである。布団があったなら見えないだろうベッドの下のカーペットも埃など無く、綺麗なものだった。

 

「ひょっとして、この部屋……他に住んでる人、いたりする?」

「……わからない」

「……? わからないって?」

 

 言葉の意味がよく理解できず、吹雪は振り返った。俯きがちになった初雪がぽそぽそと語るところによれば、この部屋に住んでいた艦娘は全て最終決戦に出撃しており、その後に帰ってきたのは二人のみであるらしく、その二人も今は海に出ていて、まだ戻ってきていないのだと言う。

 

「じゃあ、戻ってきたら挨拶しなきゃ……ね」

「…………」

 

 胸元で両手を握って明るく言ってみたものの、消沈している初雪と潮の顔を見ればその二人がいつ海に出て、どれくらいの期間戻ってきていないのかなど容易に想像できた。だから言葉はだんだん覇気を失って尻すぼみに終わり、吹雪が口を閉じると、重苦しい沈黙が三人の間を漂った。

 

「ね、寝る場所は決まったね! それじゃあ次いこっか!」

「……」

 

 その空気を打ち破るために自身を奮い立たせ、強引に案内へと話しを戻す吹雪に、初雪は何も言わないながらも一歩引いて部屋の外に出ると、廊下を歩き始めた。吹雪の顔を窺った潮もそれに続く。

 

「…………うん!」

 

 部屋の中を見回した吹雪は、棚の上の電気ポットや、『吹雪』が使っていたというベッドを眺めてから部屋を出た。寂しげな空気が髪をくすぐった。

 

 

 艦娘寮の敷地を出て左に行けば、そこには体育館があった。ここもまた爆撃に晒されたかのような惨状で、『艦娘の住むところ』でないせいか修理の跡は見当たらず、そのままだった。傍らにある小さな甘味処『間宮』も無残な姿になっていた。豆腐が潰れたような家屋を見て元の姿を想像するなど吹雪にはできない。なのに、かつてあっただろう平穏を幻視して胸を痛めた。

 この鎮守府が正常に稼働していた時から在籍している潮と初雪がなんでもないような顔をして案内しているのに、何も失っていないはずの吹雪だけが四肢を失くし、幻肢痛に苛まれるかのような辛い表情をしている。おそらくそんな表情や感情は無意識に浮かべているのだろう。鋭敏な感覚は生まれたばかりだからこそなのかもしれない。

 

 何を言う訳でもなく、ただ上着の裾を握り締めて言い知れぬ悲しみを胸の中へ抑えつけている吹雪に二人はどう声をかけていいかわからず、悩んだ末に案内を続行した。こういう時にかける言葉を持ち合わせていなかったのだ。

 

 元夕張の工廠の正反対にある明石の工廠。体育館の裏側(明石の工廠の裏に体育館がある)。搬入のためのゲートが塀にあり、真向いに大きな口を開けた建物がある。中は意味のわからないドーナツ状の機械や軽トラック――吹雪には巨大な化け物に見えた――なんかが鎮座していて、床にはネジだとかスパナだとかが転がっている。奥の方からは小さな鉄の部品を複数ぶつけ合うような音が断続的に聞こえてきていた。

 最初、吹雪はそれがなんなのかわからなかった。無理もない。彼女は人工的な音というものにかなり疎いのだ。それが誰かが作業している音なのだと瞬時に察しろというのは無理があった。

 

「艦娘、紹介する」

「えっ……あ、ああ、うん」 

 

 促す初雪にまさか()がいるとは思わず、吹雪は素っ頓狂な声を上げてしまって、慌ててこくこくと頷いた。三人で連れ立って工廠に足を踏み入れれば、狭苦しい室内に歓迎された。建物自体は広いのに中には雑多なものがぎゅうぎゅう詰めなので、三人並んで歩く事も難しい。自然と二列で進む事となった。

 

「ふぅ……かーんせいっ!」

「お疲れ様です。お客様が見えてますよ」

「へ? きゃく?」

 

 床に直接座って作業していたのか、胡坐(あぐら)を掻いて四角い機械を両手に掲げるのは、巫女装束と弓道着のハイブリットのような衣服を纏った軽空母の艦娘、瑞鳳だ。明るい茶髪の一部をポニーテールに纏めていて、赤と白からなる縞模様が入った鉢巻をしている。髪を縛る布も同色だ。下はスカート丈のもんぺである。胸部には黒い胸当てが仰々しくあった。

 オレンジ色の目を丸くして吹雪を見ているのは、純粋に新しい艦娘に出会ったのに驚いているからだろう。隣に立っているクリップボードを腕に抱えている女性は大淀。黒髪は腰まで伸びる長髪で、ヘアバンド代わりに白い鉢巻を巻いている。セーラー服は標準的な物に見えるが、その実改造制服のようにスカートの両側に大きなスリットがある。袖から伸びる腕を手首まで覆う灰色は、夏だというのに中に着込んだ上着か。太ももの半ばまでを覆う黒いソックスに膝下からを包む鉄のブーツ。下縁眼鏡のつるを指で押し上げる姿は知性に溢れていた。

 

「大淀さんと瑞鳳さん。先輩」

「ぁあっあの、吹雪です! よろしくお願いします!」

 

 さっきの発言通りに紹介されて大慌てで頭を下げる吹雪。背負った艤装の重みに体が揺さぶられてぐおんとした浮遊感がお腹を襲った。しばらくしてなんの反応もない事を疑問に思い、顔を上げる。大淀も瑞鳳も「あー……」とでも言うかのように微妙な顔をしていた。

 

「あ、あれ? 何か間違えまし……た?」

「あ、違う違う。ここの子じゃないんだーって思って」

 

 手に機械を持ったままぶんぶんと振って否定してみせる瑞鳳に、吹雪は今日何度目か胸を撫で下ろした。わからない事がたくさんあって、戸惑うばかりだ。緊張が酷い。結構体力を削られていて、もうそろふらつき始めてしまいそうだった。

 

「……そう。ここの吹雪さんではないのですね」

 

 大淀の方はというと、疲れたような溜め息を吐いて、それでもやたらに丁寧な口調は崩さずに暗い顔を覗かせた。この人はきっと前の自分(吹雪)を知ってるんだ、と直感する。が、自分について聞こうとは思わなかった。名前を出せば傷つけてしまうかもしれないという配慮ぐらい、今の吹雪にもできるのだ。

 だけど代わりに島風の事を聞こうと思った。この鎮守府に在籍していたという艦娘の情報なら、今聞いても大丈夫だろう。吹雪は、そう思ってしまった。

 

「あの、いきなりで悪いのですが、この子について何か知りませんか?」

「この子?」

 

 立ち上がる瑞鳳と大淀へ取り出した写真を見せれば、少し背を丸めて覗き込んだ二人の顔が瞬時に難しいものに変わった。目の前にいた吹雪にはその表情の変化は顕著(けんちょ)に伝わって、腰が引けてしまった。

 

「この写真、どこから?」

 

 不味い事をしたかと察する前に、瑞鳳の鋭い声。

 

「あっ、う、た、倒れてる子の手にあったので……」

「そう。で、探してるのって……」

「この、島風って子なんですけど」

 

 幸い勝手に写真を持って来てしまった事は咎められず、質問を許されたので、二人に対して島風を知らないかと問いかけた。

 

「んー、私は他所から来たクチだから……」

 

 瑞鳳の方はあまりわからないようだ。なので表情はそのまま、吹雪は大淀へと顔を向けた。

 

「島風さんですね。…………ええ」

「知ってるんですか? あの、私……」

「いいえ、知りません。あの頃私は新参でしたからね。名前くらいなら憶えているのですが」

 

 すっと背を伸ばして拒絶するように言う大淀に勢いを削がれ、吹雪はまた手掛かりを掴めなかった事に肩を落とした。そんな彼女を慰めるように初雪が肩に手を置いてぽんぽんと叩いて(ねぎら)った。

 

「さて、そろそろ食事としましょうか。せっかくですから、皆でいただきましょう」

 

 おもむろに手を打って注目を集めた大淀が見回しながら言えば、潮が焦った風にこくこく頷いて「準備はできてます」と言った。……ならなぜ慌てているのかといえば、単にそういう性格だからだ。

 

 風を切って歩くように大淀が先を行くと、初雪と潮も後に続いた。食堂に行く流れが出来上がってしまっている。吹雪はやはりなんの情報も得られなかった事に再び落胆し、写真を仕舞い、振り返って瑞鳳を促そうとした。しかし当の彼女は手元の四角い機械を弄っていて動く気配がない。『みんな』の中に彼女は入っていないのだろうかと疑問に思い始めたところで、あっと瑞鳳が声を上げた。

 ブォン。不思議な音をたてて機械から照射された光が薄い板を作り出す。そこには何やら小さな船のような物が描かれていて、それが上下に揺れ動いている。ぷかぷかという擬音が聞こえてきそうなコミカルな絵面だ。

 

「つ、繋がっちゃった……」

 

 呆然として呟く瑞鳳に、吹雪にも何かただ事でない事態が起こってしまったのだと察する事ができた。


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