勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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どこだろう
第五話 乾いた満潮


「……それじゃあ、案内する」

「うん。お願いするね」

「任せて」

 

 立ち上がった初雪が促すのに付いて歩き、左の道路の先へ。

 そこはかつて駐車場だった場所だ。今は車は一つもなく、先程見た石の板が無数に生えている。

 共同墓地。人も艦娘も死んだのならここに入る。そう説明されて、吹雪はなんとも言えない気持ちを顔に表しながら墓を眺めた。いつか自分もこの場所に入る事になるんだろうかと考えると、薄ら寒い気持ちでいっぱいになった。その気持ちを振り払うように黙祷する。たっぷり数分立ち止まって、来た道を戻った。

 

北上(きたかみ)さん?」

 

 広場に戻り、反対の道へ向かおうとした吹雪と初雪に声がかかった。

 本棟の扉の前に大井が立っている。彼女が呼びかけたのだろう。吹雪は彼女の視線を追って背後を振り返った。そこには水のない噴水があるだけで、他には何もない。

 

「うわ」

 

 顔を戻せば大井がすぐ近くまで、それこそ鼻と鼻がぶつかりそうになるくらいまで顔を近付けてきていて、吹雪は思わず背を仰け反らせた。失礼だよ、と自分に注意したが、目つきを鋭くさせて自分を睨む艦娘の姿に、失礼じゃないかもと思い直す。

 首を傾げた大井が踵を返して本棟出入り口前まで歩いていき、さっと振り返って吹雪を見た。険しい顔がみるみるうちに輝かんばかりの笑顔に変わっていく。

 

「北上さん!」

 

 すたたたっと小走りで駆け寄って来た大井は、今度は止まらず吹雪の両手を取って優しく握った。

 なぜか薄目で見つめられて吹雪は困惑しきりである。隣に立つ初雪は『面倒な事になった』と言わんばかりに顔を顰めていた。

 

「ぇ、あの、わた」

「必ず! 帰ってくると信じていました!」

 

 どんどん顔が近付いてくるからどんどん背中が反っていって、そろそろ背骨が悲鳴を上げ始めた頃に大井が体を戻した。ほっと息を吐くのも束の間、今度は手を引かれて本棟へと連れ込まれる。

 

「さあ帰りましょう私達の部屋へ! 大丈夫ですお疲れなら私がマッサージしますからね北上さん!」

「ちょっ違」

「ああそれとも甘味をご所望ですか? ご飯にします? 良いですね!」

「ふぶっ、私吹雪……」

「さあ! さあ!」

 

 訂正しようにもあまりに強く手を引かれるので、つんのめるようでしか歩けない吹雪の声は不安定だ。そうでなくてもこの女性が聞く耳を持ってくれるかは怪しい。後ろについて来ている初雪に助けを求める視線を送るが、返ってきたのは無言だった。これはもう流されるまま歩くしかない。そう観念しようとした時、ガスッと鈍い音がして大井が体勢を崩した。

 

「ひゃ、あっ!?」

 

 腕を掴まれていた吹雪も一緒になって倒れ込む。幸い先に転んでいた大井がクッションとなって然程の衝撃はなかった。大井に両肩を掴まれて優しく退かされた吹雪は目を白黒させながら床に手をついた。立ち上がった大井は肩を打ったのか、左肩を押さえている。憤怒の表情は壁際に向けられていた。

 

「邪魔よ、まったく!」

「…………」

 

 壁に背を預け、足を投げ出してぼうっとしている艦娘……満潮。大井に足を蹴られて歪な体勢になってしまっても、文句を言うでもなく虚空を見つめ続けている。

 

「怪我はありませんか、北上さん!」

「あの、ですから私、『北上さん』では……ないんですけど」

「は?」

 

 立ち上がったところに、一転して笑顔を浮かべた彼女に手を取られ、しかし吹雪は気丈にも訂正した。まともに話せるのなら誰だってそうする。その結果が威圧感たっぷりの「は?」だったのだが、吹雪は満潮の事が気がかりでそっちにばかり気を割けなかったため畏縮する事はなかった。

 

「チッなんて事……。そう、いいわ」

「……」

 

 振り払うように手を離し、舌打ちを一つして歩いて行ってしまう大井の背を見送った吹雪は、特に何を思うでもなく満潮に顔を向けると、彼女の前に屈み込んで捲れ上がっているスカートを直してやった。

 一階の廊下にも二階の廊下にも、左右の壁際にこうして足を投げ出していたり膝を抱えていたりしている艦娘が点在していた。およそ二十四人。その誰もが満潮と同じようにただの置物と化している。見知らぬ吹雪が勝手に触れても反応一つしない。まるで燃料が切れてしばらくした艦娘のようであった。

 実際何人かは燃料が切れているのだろう。この満潮もその一人かどうかは定かではないが、どの道反応はない。同じ言葉を話さないでもあの最初の艦娘だという少女の方がまだマシだった。

 なぜ彼女達がこうなってしまっているのか。なぜ放っておかれているのか。

 それくらいなら、吹雪は聞かずとも予測できた。

 みんな絶望しきっているのだ。

 守るべき者を全て失い、戦友の多くは海の底か地面の下。もはややるべき事は何もない。

 人の(もと)でこそ輝く艦娘だというのに、この世界にはもう人間がいない。

 だからみんな生きる気力を失ってこうなってしまっている。

 

 だがすべての艦娘が希望を見失ってしまったのかといえばそうではない。

 初雪を始めに潮、大井……まだ明日を信じて足掻いている艦娘もいる。ギリギリのところで踏み止まっている艦娘はいるのだ。反対に振り切れて狂気の域に踏み込んでしまっている艦娘もいるが、こうなってしまうよりはマシだろう。

 吹雪はといえば生まれて間もなく、まだそういったものを受け入れる土壌ができていないために絶望するも何もなかった。

 ここに人間がいないと知った時はそれなりに衝撃を受けたが、それよりも夥し(おびただ)い数の墓や糸の切れた人形のように散乱する艦娘、寂れた建物なんかを見てしまい、次から次に入ってくる衝撃的な情報に混乱して、逆にそれが吹雪を保たせている。

 

「……」

 

 吹雪は、満潮の顔を正面から覗き込んだ。物言わぬ(むくろ)の如き少女は、しかしそれでも生きていて微かに息をしている。ベージュ色のお団子ツインテはほつれ、薄黄色の大きくて綺麗であるはずの瞳は乾ききっていて痛々しい。首元のボタンは外れ、緑色のリボンは解けかけで揺れていた。吊りスカートの黒い帯などは片方が肩から外れてしまっている。まるで乱暴されたような乱れ具合だった。傷一つないのに傷だらけに見える。彼女を見ていると吹雪は涙が出そうなくらい悲しくなってきて、同時に、このような艦娘全てに今すぐちゃんと正面から向き合わないと、と思った。

 そっと頬に手を当てれば、瑞々(みずみず)しい肌のすべすべとした感触があった。手の平に吸い付く柔肌は暖かく、そこだけはきちんと生きていた。吹雪はとても安心した。

 

 ここに来た時は案内されているからと廊下にいる艦娘から目を逸らしていたが、それではいけない。この鎮守府の一員となるのならみんなと話しておかなければならない。ならばこの状態になっている彼女達をどうにかしなければならないだろう。

 それを当面の目標にしようと吹雪は考えた。同時進行でうさみみカチューシャの艦娘の情報も集めなければ。

 自分に目標を与える事で気をしっかり持つ事に成功した吹雪は、ふと床に投げ出されている満潮の手の、その指先に触れるくらいにある紙切れに視線を移した。なんとなしに手を伸ばして拾い上げてみれば、それは痛んだ写真であった。

 

「あ……」

 

 目を丸くする。

 端が指の形に歪んだ写真の表側には四人の艦娘が写っていた。

 こことは違う建物の廊下を背景にしてだろうか、左端に茶色い髪を長く伸ばした朝潮型の女の子がいてにこにこ微笑んでいる。右端に立つ満潮は腕を組んでややそっぽを向いていた。真ん中に立つ二人は左右の二人に増して距離が近く、左は黒髪長髪に空色の目をした女の子が控え目にピースサインをして、同じく控え目に笑みを浮かべている。右側の少女はクリーム色の髪を長く伸ばして丈の短い制服を纏っていた。左腕で小さな機械生物を抱え、右手は密着するほど隣に立つ黒髪の少女の肩を抱いている。どこか少年のような笑顔の上では、黒いうさみみカチューシャが躍動感溢れる姿で乗っかっていた。

 

「どうしたの」

「この子……」

 

 吹雪の声に反応してだろう、写真に何かあるのかと初雪が覗き込んでくるのに、吹雪はうさみみカチューシャの少女に指を当てて囁いた。

 吹雪が気になるのはその一点。さっそく手に入ったうさみみカチューシャの艦娘の手掛かりについてだ。

 

「私、この子を探してるんだけど……何か知らない?」

「……ごめんなさい」

 

 瞑目して答える初雪に、吹雪は若干気落ちしつつも「気にしないで」と手を振った。直接的に聞かなくても、形として手掛かりが手の内にある。これがあるなら探すのはぐっと楽になろうだろう。

 だがしかしこの写真、実際のところ本当に手掛かりになるのかは少し怪しい。何しろこの世界、人間が全ていなくなってからしばらく経っているのだ。艦娘達が意義を見失い、立ち止まってしまってからも少なくない時間が過ぎている。果たしてこの写真の少女を知る艦娘がどれほどの数正気を保っているのだろうか。

 

「でも、名前はわかる。たしか……島風」

「島風ちゃん、だね?」

 

 初雪が教えてくれたこの艦娘の名前を復唱しつつなんの気なしに写真を裏返した吹雪は、白一面の中に丸っこい文字を見つけた。『2024、姉妹と友人と』。おそらくこれは目の前で呆けている満潮が書いたものだろうと当たりをつける。姉妹とは同じ制服の二人で、友人とはうさみみカチューシャ……島風の事だろう。もし満潮がこうなってしまっていなければ話が聞けたのに。吹雪は残念でならなかった。

 まさか無理矢理起こして話を聞く訳にもいくまい。起こし方など皆目見当もつかなかったが、吹雪は今しばらく満潮や他の艦娘達をこのままにしておく事にした。そもそも何をどうして良いかの判断基準も持ちえていない。移動させて良いのか。起こして良いのか。

 

「他に島風ちゃんの事を知っていそうな人っていないかな」

「……金剛さん」

「……えー、と」

 

 立ち上がり、片手でスカートの後ろ側を払いながら初雪に向き直った吹雪は、他に心当たりがないかと問いかけたのだが、返ってきたのは反応に困る艦娘の名前だった。

 つい数十分前に顔を合わせた彼女は一見気の良いお姉さんで、実際その通りだ。裏表がなく、優しくて明るい。まともに動ける艦娘七名の内の一人に数えられている。

 

「もう一回、会う?」

「ん……、ぅ、ん……」

 

 小首を傾げて問いかけてくる姉妹に曖昧に頷いて見せながらも、だけど、と吹雪は躊躇った。初雪が『見たくない』と言ったのと同じで、吹雪もまたあの金剛の言動を見たくないと思ってしまったのだ。

 輝く笑顔に、全身から迸る幸せオーラ。だけど、それらは全てまやかし。

 ……だからといって自分が嫌だから約束を反故にするなんてつもりはなかった。今はその約束が原動力だ。そのために動くべきなのだ。

 

「ちなみに、どうして金剛さんなの?」

「あの人はこの鎮守府の古参。最後の大戦も経験してる」

「最後の……大戦?」

 

 わからない単語が出てくると、これをオウム返しに呟いて説明を求めた。

 最後の大戦。それは文字通り、人類と艦娘が全てをかけて打って出たとびっきりの最終決戦。

 世界各地の艦娘が集結し大連合艦隊となって敵本拠地に挑み、戦い、そして……その結果が今のこの世界だ。

 

「私達は負けた。……そう聞いた」

 

 初雪は最後にそう締め括って、一息ついた。彼女らしからぬ長々とした語り口はかなり様になっていたから、話が終わると吹雪は耳が寂しくなってしまった。

 

「聞いた? じゃあ、初雪ちゃんって」

「ん。私は大戦の最中に建造された艦娘。物心ついた時には全てが終わっていた」

「そうなんだ……」

 

 てっきり彼女もかなりの古株なのだと思っていた。と、そんな風に考えたところで、吹雪は今がいったい何年なのかわからなかった。

 

「今は、2038年。8月2日」

「にせん……?」

 

 わからないなら確認すれば良いと初雪に聞いたのに、教えてもらってもさっぱりわからず首を傾げた。半目に見つめられて思わず誤魔化し笑いを浮かべる吹雪。慌てて取り繕うように別の話題を振った。

 

「日付、どうやって知ってるの?」

「カレンダーがある。人がいなくなっても、私達は人を保つために、人の文化を保っている」

「そ、そうなんだ」

 

 軽い気持ちで聞いたのに存外重い答えが返ってきて、吹雪は笑みをいっそう深くした。もちろん誤魔化し笑いだ。そういうヘヴィなのは苦手だった。

 気を取り直し、写真を見つめ直す。四人の少女は仲睦まじく、その四角の中の光景が実際にあったものなのだと思うと、とても感慨深かった。自分が生まれるよりずっと前に撮られた写真。そこに写っている少女が足下にいる。裏返せば書いてある年号は、2024年。なるほど、この満潮という艦娘は少なくとも十四年は生きている事になる。大先輩だ。……大戦があった年がわからないために初雪の年もわからなかったが、少なくとも先輩である事はたしか。

 

「案内、続ける」

「あ、うん。お願いするね」

 

 生気のない顔を眺めていても何も始まらない。初雪が促すのに頷いた吹雪は、砲を抱えて歩み始めた。


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