勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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第四話 透明な司令官

「ワタシ達は、貴女(アナタ)の着任を歓迎シマース!」

 

 提督の執務室。

 高級な木机の隣に立った金剛が両手を広げ、バァァン! と口での効果音付きで歓迎の意を示した。

 

「は、はいっ。これからよろしくお願いします!」

「おーっと、その挨拶はワタシではなく、テイトクにネ?」

 

 のんのん、と人差し指を振ってお茶目にウィンクする金剛に、吹雪は圧倒されながらも緊張やら何やらを(ほぐ)されている自分を自覚していた。

 この人にはそういう力があるんだ。そう思った。

 明るくて社交的でぐいぐいきて、それでいて下品なんかじゃなくて、こちらを気遣ってくれる……一種理想的な大人の女性。そういうタイプに憧れてしまう吹雪は、尊敬の色を瞳に滲ませて金剛を見上げてから、机と向き合った。

 一片の穢れもない白い制服。同色の軍帽。左胸に幾つも留められたバッチや何やらの光ものは、毎日磨いているのかぴかぴかだ。

 気を引き締めて気を付けの姿勢。右手を持ち上げ、敬礼。模範的な立ち姿は、さすが吹雪と言えるだろう。艦娘生初の敬礼はびっしりと決まっていた。

 

「吹雪型1番艦、吹雪です! どうぞよろしくお願いいたします!」

「ウンウン、元気があってとってもよろしい! えらいハリキリ☆ガールの登場にテイトクも大喜びデース!」

 

 「ネー、テートク~」と抱き付く金剛に、吹雪はそろそろと腕を下ろして、緊張した面持ちで金剛を見守った。

 吹雪が一生かかっても到達し得ないだろう豊満な胸は白い袖に押し付けられ、背を丸めてうりうりと頬を擦りつける様は艦娘というよりよく懐いた猫のようだった。茶色の長髪が電灯の光を流れさせながら揺れ、キィキィと回転椅子が軋んだ音を発した。

 

「ムー、わかってマス。お仕事は真面目にしマス」

 

 吹雪には聞こえなかったのだが、提督が何事か言ったのか、金剛は頬を膨らませて背を伸ばした。机の隣へ移動すると、気を取り直したといった風に満開笑顔を浮かべて、「ではまず過ごす部屋を決めマショウ!」と元気よく言った。

 

「本棟……この建物を出て向かって右側、もしくは左側。いくつも建物が並んだ地区はもう見マシタ?」

「いえ……まだ、です」

「なら案内をつけるデース!」

 

 Come on(カモ~ン)! と扉に手を向けた金剛につられて、吹雪は横の方にある大きな両開きの扉を見つめた。

 ………………。

 しばらく待ってもそこから誰かが入ってきたりはしないし、物音もしない。誰かの入室を促した金剛は伸ばしていた手をそろそろと戻して口元に添えると、オッホンオッホンとわざとらしい咳をして誤魔化した。

 

「ん゛ん゛っ。えー、申し訳ないデスガ、貴女には一人で行ってもらう事になりそーデス」

「いえ、構いません。自分で色々と見て回ってみますね」

「それが良いデショウ。空いてる部屋ならどこを使っても構いまセン。何かわからない事があれば、近くの子に声をかけて下さいネ」

「わかりました。ええと、それじゃあ……」

「ハイ! ではまた後で会いマショウ!」

 

 片手を挙げてふりふりと振る金剛に、両手を前で揃えて頭を下げた吹雪は、小走りで出入り口まで移動すると、机の方にもお辞儀をしてから退出した。

 

 

「ふぅ……」

 

 部屋を出て、扉の前で胸に手を当てて一息ついた吹雪は、顔を上げて窓を見上げた。薄く白んだ窓は透明感に溢れて綺麗だった。少しの間それを眺めた後に、吹雪はここへ来た時の道を辿るように歩き出した。ちょっとばかり広めの廊下は前にも後ろにも長く伸びて、等間隔に並ぶ窓からは優しい光が差し込んでいた。

 建物の中はとても静かで、今出てきた執務室からも他の部屋からも音は聞こえてこない。耳に痛い静けさの中では、心臓の脈打つ音や些細な衣擦れの音が嫌に耳についた。

 制服の裾を引っ張って伸ばし、布に当てられて揺れた砲を抱え直してから、人の気配のない廊下を行く。

 ここは『本棟』と呼ばれる、この鎮守府の最も主要な建物の三階。この上には時計塔しかなく、この階はほとんど丸々提督専用となっている。使用できる艦娘は極々一部。先程の金剛のような秘書艦か、ここに用がある艦娘のみ。

 廊下の両端にある踊り場には、上への階段と下への階段がある。上への階段は机や椅子がバリケードのように積まれて進めなくなっている。表面に貼りつけられた進入禁止の黄色い帯は気味が悪くなるくらい何重にもめぐらされていた。何人の侵入も許さないという雰囲気さえ漂っていた。

 

 階段を下りていく。カツンカツンと鉄の音が反響する。二階の踊り場には艦娘が一人立っていた。

 

「お待たせ、初雪ちゃん」

「ん。……わかった?」

「うん……」

 

 長い黒髪に、切り揃えられた前髪は真一文字。ブラウンの瞳は眠たげな半目に隠されている。吹雪と同じ制服を身に纏った駆逐艦娘、初雪。

 この鎮守府に辿り着いた吹雪が最初に言葉を交わした艦娘が、姉妹艦である彼女だった。やっていた事を中断して案内を申し出てくれた初雪であったが、執務室まではついてこなかった。金剛を見たくないからという理由に最初首を傾げていた吹雪は、先程の元気はつらつといった様子の戦艦(お姉さん)の姿を思い返し、眉を八の字にして控え目に頷いた。たしかに、あれはちょっと、きつかった。

 

「案内、いる?」

「ううん、大丈夫! ……とは、言えないかな。一人じゃ心細いかも」

「じゃあ、一度戻って、それから案内する」

「ありがとね」

 

 吹雪がお礼を言うと、初雪は「ん」とほんの僅か頷いてみせて、先に歩き出した。廊下に出てからは左右に大きく揺れるような動きになって、同じように吹雪もついていく。

 

「……今、ここにいる艦娘って、どれくらいなの?」

「それは……全部合わせて?」

「……全部と、そうじゃないのだとどれくらい?」

 

 並び立って歩く事ができないので、斜め後ろから問いかける吹雪に、初雪は歩調を緩めながら顔だけを振り向かせて答えた。

 

「今いるのは三十人くらい。……それと六人……あなたをいれれば七人」

「そんなに……少ないんだ」

 

 ぽつぽつと、自然に小さな声でのやりとりをしながら、吹雪はその七人に含まれない艦娘達の事を意図的に考えないようにした。胸の内をつぅっと伝い落ちる嫌な汗に全身が冷たくなった気がした。

 二階の真ん中には食堂がある。その食堂に到着した二人は扉を潜って中に入った。

 かなり広々とした空間で、ここだけ横幅もでかい。いくつもの丸や四角のテーブルに椅子が所狭しと並んでいて、入り口付近には食券販売機もあった。最奥の壁の左半分がカウンターとなっていて、厨房が覗いている。

 

「あ、初雪ちゃん。……吹雪、ちゃん……?」

 

 机の合間を縫ってカウンターまで辿り着いた二人を出迎えたのは、エプロン姿の(うしお)だった。少し癖のある黒髪は肩より伸びて、前髪の一部がぴょこんと飛び出てカールしている。共通の制服の上から落ち着いた色の厚布のエプロンをかぶっており、大人しそうな雰囲気と裏腹にエプロンが大きく盛り上がるくらいの胸部装甲を誇っている。カウンター内にいるという事は、彼女が食事作りを担当しているのだろうか。

 

「新人」

「えっ?」

「吹雪です。よろしくね」

 

 困惑顔で吹雪と初雪の顔を交互に見る潮に、吹雪は最初くらいは、とお堅い敬礼をしてから、できる限り親しみを感じさせるように挨拶をした。片手にお玉を持った彼女はそれがぶれるくらい慌てながら「は、はいっ」と頭を下げ、その後に「う、潮です」と名乗った。

 

「別の所から来たんですか? ぁの、お腹空いてませんか?」

「そ、そんな畏まらなくても大丈夫だよ」

 

 控え目に積極的というよくわからない潮に苦笑いを浮かべつつも、親しくなるための一歩を踏み出す吹雪。彼女は気が弱いようだが、この申し出は受けてくれるようだった。とはいえすぐに砕けた態度をとるのは厳しいのだろう、再度「何か作りましょうか」と問いかけてくる潮に首を振って断った。

 

「最初にこの鎮守府を見て回ろうと思ってるんだ。だから、また後でお願いしたいな」

「うん、それじゃあお昼くらいに来てくださいね」

 

 どちらからともなく笑みが漏れて、二人して小さく笑い合う。こんなに普通の会話なのに、むしろ普通に会話できる事がなんだか嬉しかったのだ。

 

「潮」

「あ、ご、ごめんね。すぐに持ってくるね」

 

 初雪がぼそりと囁くように名前を呼べば、彼女は慌てて奥の方に走って行った。

 戻ってきた時には包みを二つ抱えていて、それは初雪に手渡された。

 

「私も後で行くね」

「ん」

 

 小さく手を振る彼女から離れ、食堂を出る。次の目的地は本棟正面の広場だった。

 一階の無人のホールを通り抜け、大きな両開きの扉を押し開けば、強い日差しが降り注ぐ広場に出た。石畳の広がる中央には噴水があり、ずっと向こうに大きなゲートがある。左右には道があって、広場を囲むような塀もあった。塀付近は草が茂り、木々が並んでいる。

 初雪は、左側の道のすぐ近くの壁際へ向かった。当然吹雪もついていく。

 

「……これは」

「司令官」

 

 司令官。

 吹雪は、初雪の視線を追って目の前の物を見下ろした。

 綺麗に整えられた石が二つ並んでいる。初雪はその片方、自身の前にある石を見ながら司令官と口にした。

 それは当然石を指して言っているのではない。石の下に眠る遺骸に対しての言葉だった。

 緑の上に立つ石の板の前にしゃがんだ初雪は、包みを広げて墓石の前に置いた。三色の団子はお供え物。司令官の氏名が刻まれた墓石の隣に立つ石の前にも同じように包みを広げて置いた。

 吹雪は、そちら側の石には艦娘の名前が刻まれているのを見つけ、そっと下へ視線を移した。草の絨毯の上に綺麗な宝石付きの指輪が寂しげに置かれている。きっとそれはその艦娘の持ち物だったのだろう。野晒しにしていても、盗む人間はもはやこの世に存在しない。

 

 手を合わせる初雪に(なら)い、吹雪も黙祷する。顔も知らぬ司令官の冥福を祈る。願わくは天国でもこの艦娘と一緒でありますように。

 

 祈りは、きっと届いた。






ちょっぴり金剛さんの台詞を修正。
……変かなー。

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