勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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第三話 予期せぬ遭遇

 背後に座り込む少女をちらりと見やった吹雪は、彼女が武器を所持していない事、力が抜けたようにへたり込んだままな事を改めて確認し、自分が今絶望的な状況に立たされていると認識した。

 迫りくる最上級の力を持った敵。

 対するは、生まれたてで最低の練度の自分(吹雪)と、丸腰で戦う意思を持たない少女だけ……。

 

 回避はできない。後ろに守るべき人がいるから。

 移動もできない。後ろの彼女を危険に晒す訳にはいかないから。

 だから自ずと最後の手段をとるしかなかった。

 それは砲撃。

 吹雪は、両手で強く挟んだ連装砲を持ち直し、グリップをギリリと握り込んで一息にトリガーを押し込んだ。

 

「っ!」

 

 ドウゥン!

 体中に響く砲撃音。二本の細い砲身から炎と光が溢れ、黒い塊が飛んでいく。

 それは放物線を描くまでもなく敵の顔へぶつかって――爆発した。

 

「ぁっ」 

 

 直撃した。そう実感する前に再度の砲撃。手が震え、自然にトリガーを押してしまったのだ。

 跳ね上がる砲にぶつけられるようにして大きく体勢を崩しながらも、吹雪は奇跡的に二発目の砲弾も敵に突き刺さるのを確認した。爆炎が広がり、同時に黒煙も大きく膨らむ。

 生まれて初めての戦果としては上々だ。敵は戦艦なれど、至近距離での直撃ならばダメージは期待できる。

 そう思い込む事で無理矢理自分を奮い立たせていた吹雪は、風が黒煙を運んで晴らしていくと、浮かべかけていた笑みを引っ込め、その顔を絶望に染めた。

 

「そ、んな」

 

 レ級は無傷だった。

 砲弾がぶつかった個所である顔と胸も、体のどこにも火傷の痕どころかかすり傷一つない。焦げ目一つない黒衣はただ揺れるだけ。まったく応えておらず、歩みは止まらない。

 手を伸ばせば届く距離にまで近付いてきている自分とそう変わらない身長の敵を前に、吹雪はもう呆ける事しかできなかった。

 

 ここで終わり。

 

 全身の力が抜けて暗闇に落ちていく。勝手に腕が下がり、砲口が波間を向く。

 はっきりと感じた早すぎる死の予感は、戦いを経験した事がない吹雪の戦意を奪うには十分だった。

 

「ぇ……?」

 

 だから、レ級が何もせず横を通り過ぎた時、間の抜けた声を出してしまった。

 ずるずると引き摺られる尻尾が波に跳ねて海面にぶつかる。跳ねた水が足にかかってようやく吹雪は慌てて振り返った。

 まさか自分ではなく背後の少女を先に……!?

 その考えは間違っていた。レ級はその少女すら素通りし、数歩先に行くと振り返って――座った。

 

『アーア』

 

 尻尾を下敷きにして腰かけたレ級が、ふぅーと息を吐く。気の抜けた声を発しながら空を見上げて、それから、両手を尻尾に当てて体を支え、ぷらぷらと足を揺らした。

 その姿のどこからも敵意などは窺えなかった。

 (艦娘)と出会ったというのに、まるで歯牙にかけられていない。それは喜ぶべき事なのだろうか? 屈辱に思い怒るべきなのだろうか?

 冷や汗を流しつつ、半ば下げかけてしまっていた砲を胸元に抱え直した吹雪は、体を前に倒して緩やかに航行し、座り込む少女を庇う位置に立った。

 両の太ももに備えられた魚雷発射管が独りでに動き、ガコンと倒れる。天を向いていた三つの筒は今や狙いをレ級に定め、しかし装填された魚雷が発射される事はない。

 練度が極低とはいえ、この近距離で撃てば直撃させる事ができるだろう。だがそうなれば吹雪自身も巻き込まれ、庇っている少女諸共粉々になる事請け合いだ。

 だからこれは牽制。変な動きを見せたら撃つぞ。そう脅しているのだ。

 もっともレ級は吹雪の緊張など知らぬとばかりに寛いでいて、たまに尻尾を撫でたりするだけだった。

 暫くの間三人――一人と一個と一匹――の間に沈黙が下りた。無音ではない。風の音は絶えず耳元にあり、レ級が足を揺らして尻尾にぶつけるペチペチという音があり、少女がすんすんと鼻を鳴らす音がある。

 極度の緊張に視界が白んで、首元に滲む汗に頭がくらくらしてきた吹雪は、今自分が何を持っているのか、どういう風に立っているのかもだんだんわからなくなってきていた。

 このままではまずい。まずいけど、何をどうすれば良いのかわからない。

 砲撃しても効かないのはわかっているし、雷撃はできないしで八方塞がりだった。

 ふるふると頭を振ってまともな思考を呼び戻す。生まれて間もないために何か余計な事を考えて逃避する事さえできなかったのが吹雪を助けた。連鎖的な思考ができないなら復帰は早い。

 それで思い出した。先程少女を立ち上がらせようと手を伸ばした時、レ級が自分を止めた事を。

 

「ふ、ぅ……」

 

 それを問おうとして、言葉にならない息しか吐けないのに、吹雪は一度深呼吸をして暴れる心臓を宥めようとした。

 何を怯えている。何を緊張している。目の前の敵は自分を敵とも思っていない。ならば私も相手を敵と思わなければ良い。

 中々無茶な思考だったが、幾分落ち着く事ができた。潮風を肺いっぱいに吸い込んで細く緩く吐き出す。空気中を漂う水気がひゅるると息に巻かれて渦巻いた。目を瞬かせれば、海面に反射する光に照らされて輪郭さえ曖昧になっていたレ級の顔がよく見えるようになった。

 魂の奥底から湧き出る根源的な恐怖は、元々自分が持っていなかったもの。この敵愾心や警戒心は、今は必要ない。

 いっそ背後の少女に対するように優しげに声を開けてみたらどうだろうか。

 

「ね、ねぇ。『やめておけ』ってどういう事かな?」

 

 砲を下げかけ、しかしさすがにそこまではできないとレ級に向け直しながら、できる限り普段と同じ声音で話しかける。

 レ級は不思議そうに吹雪を見た。眉を寄せ、小首を傾げて怪訝な表情を浮かべている。

 

『オ前……』

 

 すっと持ち上がった手が、握った拳から伸びる人差し指が自分に向けられて、吹雪は思わず身を縮こまらせた。

 どうしたって恐怖心は消しきれなかった。無力な少女を守るため、ただそれだけが心の支えとなって吹雪を立たせている。

 

『艦娘ナノカ?』

「え……」

 

 何を言うかと思えば、へんてこな疑問だった。

 艦娘。

 吹雪は艦娘だ。

 それは当然の事で……だというのに、レ級に艦娘なのかと問われると、途端にその認識はぶれて、自分が何者かわからなくなってきた。

 私は艦娘だ。口の中で呟き、キッとレ級を睨む吹雪。

 目を細めたレ級は何が面白いのか口の端を歪めて厭らしい笑みを浮かべた。

 

『ナルホド、最後ノ艦娘カ……』

 

 面白イ。

 

 面白いとはいうが、吹雪にはレ級が何を楽しがっているのかはわからなかった。

 それより最後の艦娘とはどういう事か、それが知りたかった。

 

『最初ノ艦娘ト最後ノ艦娘ノ並ビ立ツ姿ナド早々見ラレルモンデモナイダロウナァ』

 

 疑問に答える事なく言葉を続けるレ級に、吹雪は後ろを窺うようにほんの僅か、顔を動かした。それで背後が確認できる訳でもないが、脳裏に浮かんだ少女の姿に、きっと最初の艦娘とは彼女の事なのだろうと察しがついた。

 

『ソノ子ハオ前ト一緒ニハ行ケナイ』

「な、なんで?」

 

 前から聞こえてきた声に向き直りつつ、吹雪はその理由を聞いた。

 

『ソノ子ガ最初ノ艦娘ダカラダ』

 

 答えは意味がわからなかったが、少なくともレ級がこの少女をここに留めているのではないかと憶測する事はできた。

 武器も取り上げて、姉妹からも離して……それって、とっても酷い事だ。

 めらめらと燃え上がる怒りが一歩を踏み出す勇気を与える。怪物に臆する事なくレ級へ近付いた吹雪は、必ず少女を救ってみせると奮起して……黄金色の瞳に見据えられて、びしりと固まった。

 ただ目と目が合っただけでこれだ。まるで蛇の一睨み。石になってしまったみたいに動けないでいる吹雪に、片目に蒼い焔を灯したレ級はそれを手で覆うと、『無意味ダ』と端的に言った。

 

「む、無意味、って?」

『質問ガ多イゾ。……マァ、減ルモンデモナイシ、良イガナ』

 

 真っ白な腹を見せていた尻尾を伸ばして体を持ち上げ、海面に立ったレ級は、凝りをほぐすように尻尾をくねらせながら吹雪に一歩近づいた。変わらない笑顔は狂気を孕んだまま。気圧されて引こうとする吹雪に、レ級は言った。

 

『オ前達艦娘ニ帰ルベキ地モ帰ル理由モ、モハヤ無イカラダ』

 

 数秒、吹雪は言葉の意味が理解できなかった。

 何秒かしてようやっと言葉の意味を飲み込めても、それだけ。いったい何を言っているのかさっぱりだった。

 それを察したのだろう、笑みを引っ込めて呆れた顔をしたレ級は、やるせなさそうに首を回しながら吹雪の横に立った。

 

『良イカ、ヨク聞ケ。コノ世界ニハモウ――』

 

 風が頬を撫でた。

 さらさらと流れる黒髪が口元にかかって、知らずの内に開けていた口の中に入り込む。

 それを退ける事も忘れてレ級の言葉に耳を傾けていた吹雪は、徐々に目を見開いていって、最後には、ぽつりと声を零した。

 

「……それ、じゃあ……私が生まれた、意味、は」

『知ランナ』

 

 声に震えはなかった。

 なんとなく、それは察していた。

 だけど今にも消え入りそうなくらい弱々しい声は、実際波の音に飲まれて自分にさえ聞こえなかった。

 なのに答えたレ級は、ザァザァと波を割って歩いていくと、座り込む少女の前に立って吹雪へと向き直った。

 もう触れさせない。そう言われた気がして、吹雪は手を伸ばした。その子は今、吹雪にとって最大の希望だった。

 言葉の通じる同胞で、自分に目的を与えてくれる人で、守ろうという気持ちと原動力をくれる女の子。

 レ級が腕を振るう。濃霧がそれぞれの間に割り込み、伸ばした手は霧を掴んだ。近かったはずの気配は遠くに消えて、右も左も真っ白な空間に取り残される。

 声を張り上げても虚空に吸収されて響かない。がむしゃらに腕を振り回しても纏わりつく霧は離れない。

 恐ろしくなって、吹雪は座り込んでしまった。

 足下の波だけが、海の中だけが明確にわかる場所だから、そこだけを見て安心しようとしていた。

 だけど、うっすらと映る歪んだ自分の姿を見つけると、心が抜け落ちてしまったみたいに呆けてしまいそうだった。

 

「……わ、たし」

 

 私は……。

 

 私は、なんのために生まれたのだろう。

 

 疑問が頭の中を埋め尽くす。

 やはり意味などないのだろうか。

 いや、きっとあるはずだ。何か、自分だけの特別な何かが……。

 

 

 ふと気がつけば、吹雪は陸地の傍に立っていた。

 薄汚れて古めかしいクレーンや何かの施設、罅割れた、けれど舗装された道、大きな建物の数々、それから……人の声。

 

「人……」

 

 くすんでいた吹雪の瞳に輝きが宿る。

 人の声がする。ならばそこには人がいる。

 なんだ、やっぱり意味はあったんだ。

 膨れ上がる嬉しさを胸に抱いて、吹雪は駆け出した。目の前の鎮守府に向けて。

 提督に会うために。この地に着任するために。そして人の指示の下、敵と戦うために。

 

 向かう先には希望がある。

 吹雪は、そう信じて疑わなかった。

 

 2038年8月2日。吹雪、名もなき鎮守府に着任。


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