勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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やっつけ。


第二十一話 決戦! 深海神姫!!

 

 夕食は豪華だった。

 潮と鳳翔さんが腕によりをかけ、全ての食材を使い切る勢いで料理し、長テーブルの上には所狭しとお皿が並べられている。

 立食形式の夕食時間は半ばを過ぎ、今は各々が雑談に興じていた。大量に用意された食事は熱い物から順次完食されていって、残すはデザートばかりにだった。

 

「満潮~、呑んでマスカ~?」

「飲まないわよ……ええい、鬱陶しいわね……!」

 

 これが最後の夕餉という事もあり、数少ないお酒も出ている。飲める艦娘は限られるが、その極一部には大好評だった。

 コップ片手に満潮に絡む金剛は僅かに顔が赤らんでいるものの、実際にはコップの中身は少量しか減っておらず、少し居心地が悪そうにしていた満潮を気遣って積極的に絡んで行ったのだろう。口では嫌々言っている満潮も肩に腕を回されて満更ではなさそうだ。

 吹雪はまずその二人に近付いて行った。

 

「美味しかったね」

「……」

 

 当たり障りのない言葉に、満潮は眉を寄せて吹雪を見やった。

 一見すると歓迎されてないように見えるが、この表情が満潮のデフォルトだ。

 このご時世、笑えと言われてもそう簡単には笑えないだろう、特に、彼女は。

 

「hi、テイトク~。久々に大満足デシタ!」

 

 反して金剛は楽しげだ。陰りの無い笑顔は吹雪にも元気を与えてくれる。まるで太陽のような存在。

 ムードメーカーでもある彼女には、レ級が艦隊に馴染むのを随分と助けられた。

 

「不安デスカ?」

 

 吹雪の心情を察したのか、満潮の肩に腕を回したまま金剛が問いかけた。差し向けられたカップの中身が揺れる。

 明日が不安か。その問いかけ。

 

「……いえ、私はあまり。みんなはどうなのかなって思って」

「ワタシは見ての通りデース! テイトクと一緒ならinvincible(無敵)ネ、誰にも負けマセン!」

「……何よ。私にも不安かどうかなんて聞きたいの?」

 

 片方の腕で力こぶを作ってみせる金剛に自然な笑みを浮かべた吹雪は、次に満潮の顔を窺った。

 彼女は依然としてつまらなさそうな顔をしている。

 

「……不安は……あるわ」

「やっぱり……そうだよね」

 

 だけど素直に心を打ち明けてくれた満潮に、吹雪は嬉しくなって、同時に悲しくもあった。

 自分が不甲斐ないばかりに不安を抱かせてしまう。どれほど頑張ろうと不安は拭えないものだとわかってはいるのだが、それでもみんなの心からそういった不安や何かを払拭してやりたかった。

 みんなを笑顔にしたい。それが、司令官になってから何度も感じる吹雪の願い。まだ叶うには程遠い。

 

「そんなしけた顔しないでよね。……『大丈夫』、なんでしょ?」

 

 満潮は、手にしていたコップを目の前のテーブルに置くと、吹雪の方へ顔を向けた。

 視線が合えば、気持ちが伝わってくる。気怠げな瞳には確かな信頼の色があった。

 

「あんたを信じるわ。吹雪」

「満潮ちゃん……ありがとう」

「ふん」

 

 朱に染まった顔を背けた満潮は、ぐいっと金剛に引き寄せられ、うりうりと頭を撫でられて猛反抗し始めた。とても恥ずかしそうで、ちらちらと吹雪の様子を窺ってくるのは、きっとこういうのをあまり他人に見られたくないからなのだろう。

 仲が良いな、と微笑ましく思いながら、吹雪は移動を始めた。

 

 後ろの方に立って全体を見ていた大淀は、吹雪が近付くと会釈をした。

 どうして一人でいるのかを聞けば、こんな風にみんなと一緒に食事をするのが……というよりも、その一部となっているのが感慨深くて、ぼうっと眺めていたらしい。

 両手で挟まれたコップは僅かに白く曇って、人肌に温まっていた。

 

「私は、嫌な奴でしたから」

「……? 大淀さんはとっても良い人ですよ?」

「みんながそうならせてくれたんですよ、提督」

 

 ふふ、と笑う大淀の言葉の正確なところは吹雪にはわからない。

 でも今の彼女は、さっき言った通り良い人だと感じている。それが全てて、それだけで良かった。

 これからも、『いいひと』でいさせてくださいね、と彼女は笑った。

 

 

 摩耶と初雪が向かい合ってコップを向け合っていた。

 何してるのかな、と近付いて行けば、俊敏に振り返った摩耶が弾かれたように初雪から距離をとった。

 

「お、おうっ提督。べ、べつになんにもしてないぜ?」

「……そうそう」

 

 妙に慌てている摩耶に、こくこくと同意する初雪。

 二人の手にはコップがあって、それはなんらおかしい事ではないのだけど、どうしてか吹雪は気になってしまった。

 摩耶のコップを見る。半透明の飲み物が半ばくらいまで入っている。

 初雪のコップを見る。底の方に薄く液体が張っていて、縁から側面に一筋、水の流れた跡があった。

 

「…………?」

「ははは。いやー酒が美味いなー提督さまさまだー」

「ん。さまさま」

「……?」

 

 ぽやんとした様子の初雪はいつも通りとも言えるし、そうでないともいえて、吹雪はコップの中身を呷る摩耶を見上げた。

 飲み干して一息ついた彼女は、吹雪が自分を見ているのに気付くと、さっと目を逸らしてそのままどこかへ行ってしまった。

 彼女にも不安があるかどうかを聞きたかったのだが、あの様子では大丈夫そうだ。

 では初雪はどうだろうと見てみれば、少し眠そうに目を擦っていた。リラックスしているようだ。そこに不安は見られない。

 

「眠くなっちゃったら後ろで休憩してね」

「ん、大丈夫」

 

 キリッと眉を上げて見せる初雪に苦笑して、吹雪は別の場所へ移った。

 

『悪イナァ、私マデ頂イチャッテ』

 

 遠慮がちな言葉とは裏腹に、レ級は腰かけた椅子を傾けてふらつかせ、非常に寛いだ姿を見せていた。

 手にはケーキの乗った皿。ご機嫌にフォークを揺らしながら吹雪を見る。

 

「ううん、遠慮しないで? 明日の作戦には、レ級ちゃんの力が必要なんだから」

『アア、任セテオケ。モグモグ』

 

 カットサイズのケーキを一口で平らげたレ級の言葉に、吹雪は頼もしさを覚えた。

 神隠しの霧があれば、海を行かずとも深海神姫の懐に潜り込める。その分消耗せず決戦に挑めるのだから、レ級の役目は重要だ。

 

『…………』

「ななちゃんも、明日はお願いね」

 

 ちょこんと椅子に腰かけて、何をするでもなくぼうっとしている名もなき艦娘にも声をかける。

 彼女は吹雪の声に反応して僅かに身動ぎをすると、少し間を置いてこくりと頷いた。

 重要といえば彼女もそうだ。少しでも未来への可能性を高めるために、今作戦には彼女も同行する。

 だけど、吹雪はできるなら、彼女には自分と一緒にこの地に残って欲しかった。

 

『…………』

 

 ふりふりと手を振る彼女に手を振り返し、次へと移る。

 

 潮と鳳翔さんは時折お皿を重ねてカウンターの奥に持っていって、それ以外は端っこの方に二人で寄って談笑していた。

 潮の言葉にはつかえや淀みがなく、二人の仲が相当深い事が窺える。

 吹雪が寄って行くと、二人は話をやめて、彼女を迎え入れた。

 

「提督。如何なさいましたか」

「食べたいものとか、あ、あるのでしょうか……?」

「ううん。大丈夫だよ、潮ちゃん」

 

 一転して覇気のない声をかけられて、吹雪は残念に思いながら返事をした。……あんまりに残念だったので言葉選びを間違えて、潮に不思議がられてしまった。

 

「あの……お二人は……」

「……?」

 

 不安があるかどうかを問おうとして、どうしてか吹雪は言葉に詰まった。

 理由はわからないが、言い出し辛かったのだ。この二人に面と向かって聞く事ができなかった。

 だけど鳳翔は察してくれた。吹雪が何を聞きたいのか。どうしてそんな困った顔をしているのか。

 

「明日の事、聞きたいのね?」

「あっ……、そ、そうです」

 

 ずばり言い当てられて、吹雪は何度も頷いて肯定した。

 そうすると鳳翔はくすくすと上品に笑って、つられたように潮も笑い始めた。

 

「そう……とても大きな事を言う人だと思っていたけど、提督も言葉に詰まる事があるのですね」

「そ、それは、はい。……でも、そんなに笑わなくたって……」

 

 静かで小さな笑いではあるが、二人の笑みは中々収まらない。

 それが少し不満で、吹雪は控え目に文句を言った。

 

「あら、ごめんなさい。何もおかしい事はなかったですね。ね、潮ちゃん」

「はい。えへへ……提督、頑張りましょうね」

「……! うん! うん、頑張ろうね、潮ちゃん、鳳翔さん!」

 

 自然な笑顔を向けてくれた潮に嬉しくなって、吹雪は大袈裟に頷いた。

 この二人も不安は持っていないみたい。

 どころか、吹雪の不安まで吹き飛ばしてくれた。

 みんながちゃんと自分について来てくれるのかとか、明日の作戦が上手くいくのかとか、たくさんの不安。

 

 一人一人と話していくうちに不安はやる気に変換されていって、叢雲の気合い十分な声を聞いた後は、吹雪はそれ以上に気力に満ちていた。

 

「さ、吹雪。明日に挑む私達に、何か言葉をくれないかしら」

 

 気がつけばみんなが吹雪に注目していた。

 こうやって不安かどうかを聞いて回っていれば、目が集まるのは当然の事。

 だって吹雪は司令官で、人間だ。いつもみんなが気にかけている。

 どこかに行かないよう、消えてしまわないよう、二十四時間いつでも誰かが傍にいる。

 

「私達の未来は、ここにはない」

 

 みんなの前へ出て、帽子や制服の位置や皺を正した吹雪は、意識して硬い声を出した。

 この世界にはもう、未来はない。

 

「勝利を刻むべき水平線は――」

 

 人がいなくなっちゃう未来も、友達がたくさん沈んで行ってしまう未来も、全部嘘。

 私達が向かうのは、いつだって綺麗に輝いてる。

 

「――暁が眠る、素晴らしき物語の果て」

 

 暁の水平線に勝利を刻め。

 それははたして誰の言葉だっただろうか。

 吹雪の……いや、全ての艦娘の胸にその言葉はあって、それはきっと、この世に誕生したその瞬間に聞こえた台詞。

 みんなが渇望している。

 勝利を。

 戦う本能を越えた先にある平和を。

 人の未来を勝ち取る事を。

 

「仲間達を守り抜く事も」

 

 叢雲が頷く。

 

「親しい仲間と一緒に戦う事も」

 

 大井が頷く。

 

「想いを貫き通す事も」

 

 不知火と摩耶が頷く。

 

「みんなと仲良くする事も」

 

 大淀が頷く。

 

「みんなと同じ時間を歩む事も」

 

 初雪が頷く。

 

「一人きりにならないようにする事も」

 

 秋津洲が頷く。

 

「ほんとのご主人様に会う事も」

 

 漣が頷く。

 

「また姉妹と会う事も」

 

 暁と満潮が頷く。

 

「自分にあった事をするのも」

 

 瑞鳳が頷く。

 

「たくさんの人を笑顔にする事も」

 

 鳳翔が頷く。

 

「会いたい人に会うのも、役割を果たすのも」

 

 レ級と名もなき艦娘が頷く。

 

「大丈夫」

 

 できるよ。みんなでなら。

 

「私達で見つけよう? 私達の未来を、私達の力で」

 

 司令官という立場でありながら、その目線は艦娘達とまったく一緒。

 だからこそ、吹雪の言葉はみんなに届いた。

 

「勝利を刻むべき水平線は――」

 

 暁が眠る、素晴らしき物語の果て!

 

 みんなの声が重なった。

 みんなの気持ちが一つになった。

 そう。こんな未来(バッドエンド)はうそっぱち。

 私達には、幸せな未来(ハッピーエンド)が待ってるんだから。

 

 十四年待ったんだから、今度はこっちから動き出す番。

 まずは私達の勝利をもぎ取ろう。

 

 僅かに熱のこもる中で、最後の晩餐は終わった。

 

 

 涼しげな風が吹いた。

 もう夏も終わろうとしている。葉の色を変えた木々が揺れて、葉っぱ同士が擦れて騒めいた。

 空には今にも満ちようとしている月が浮かんでいる。優しい光は遮るものなく地上に降り注いで、吹雪の姿を照らしていた。

 

「……必ず、未来を掴み取ってみせます」

 

 吹雪は、一人で本棟前の広場に出ていた。

 明日、全てが上手くいけば、自分達はこの世界を去る。

 だから最後に、かつてこの地にいた司令官に挨拶をしようと思ったのだ。

 ……よくよく考えてみれば、過去に戻れば生きている頃の司令官と会えるのでは、と思い至ったが、まあ、とりあえず手を合わせておいた。

 

「風邪をひくわよ」

「……叢雲ちゃん」

 

 カツカツと静かな鉄音が近付いてくるのに、吹雪は腰を上げて振り返った。

 予想通りの艦娘がいて、どうやら彼女は吹雪を心配して出てきたみたいだった。

 

「ねぇ、叢雲ちゃん」

「なにかしら」

 

 墓の前に並んで立って、石に目を落として言葉を交わす。

 

「明日の作戦、上手くいくと思う……?」

「ええ、もちろんよ」

「どうして?」

 

 夜の闇の中に出て、弱気の虫が入り込みでもしたのか、吹雪は僅かに瞳を濡らして叢雲に問いかけた。

 答えは明瞭だった。

 

「吹雪」

 

 叢雲が吹雪を呼ぶ。

 顔を合わせ、一歩寄り添って、確かな言葉を届ける。

 

「私達は一つよ」

「……ひとつ」

 

 恐れる事はないわ。

 あなたには私達がいる。

 私達にはあなたがいる。

 

「……頑張ろうね」

「大船に乗った気でいなさい」

 

 おどけて言った叢雲と笑い合って、吹雪は空を見上げた。

 優しい光を放つ月が、世界を見下ろしていた。

 

 

 10月11日。

 

 この日は快晴だった。海は、昨晩から明朝までかけて雨が降ったために少し波が高いが、作戦に影響はない。

 

「もう一度確認するね」

 

 本棟前の広場に集まった面々の前にびしりと背を伸ばして立つ吹雪が言えば、後ろの方で追いかけっこをして遊んでいた連装砲ちゃん達が足元まで駆けて来た。

 

「霧によって移動した先で深海神姫と接触、燃料砲からエネルギーを回収するか、これを倒してエネルギーを回収し、可能なら発生艦を探して、ここに戻ってきて」

 

 それは非常にシンプルな作戦だった。

 もう少し詳しく言えば、『深海神姫が船を出す前に倒す』だったり、対話を試みるだったりあるのだが、今吹雪が纏めたのが全てでもある。

 

「こちらの端末にエネルギーを貯める事ができます。これを守る形で展開していく事になるでしょう」

 

 大淀が持つカンドロイドをみんなに見せる。

 エネルギーを貯める機能というとなんだか凄そうに聞こえるが、要は燃料を回収できるようになっているだけだ。

 この容量を増やすために大量の資材をつぎ込み、端末の改修を繰り返してきた。

 

「私は後方でみんなのサポートに徹するから……必ず、全員で帰って来てね」

「任せてクダサイネ!」

「気を付けるかも!」

 

 しゅびっと親指を立てる金剛に、後ろ向きなのか前向きなのか判断に困る事を言う秋津洲。

 

『準備ハ良イカ?』

「いつでも」

 

 レ級の言葉に満潮が刺々しく返す。みんなが彼女へと集まって行くと、レ級はいつも通りの笑みを浮かべたまま吹雪を見た。投げやりな敬礼に、吹雪も敬礼を返す。

 

『デハ行クゾ』

 

 風が吹く。

 紙や服がはためき、霧が巻き起こった。

 目の前すら見えなくなるほどの濃霧に包まれて、世界から音が消えていく。

 代わりにサァァと水音。

 腰につけていたカンドロイドを取ろうとした吹雪は、不意に足下が不安定にぐらぐら揺れ出すのに「わっ」と声を漏らしてバランスを取った。

 

 霧が晴れていく。

 

「……あれ?」

 

 吹雪を含む全員が大海原の上に立っていた。……そこは、密集する深海棲艦たちのど真ん中だった。

 

「どういう事よ……ちょっと、あんた!」

 

 ン級だけでなく、かつて海に蔓延っていた駆逐イ級や軽巡ツ級、重巡リ級に戦艦ル級と数多の敵がひしめき合い、例外なく艦娘に狙いを定めている。

 まるで用意されていた包囲に連れてこられたような状況に満潮が吠えた。こんな事をするのはレ級以外にいない。彼女しか霧を操れないのだから、彼女が裏切ったのだと考えるのが自然だ。

 

『……マズッタ』

「はぁ!?」

『霧ノ制御ヲ奪ワレテル……』

「奪われる……? 私達の動きが深海神姫に筒抜けだったっていうの!?」

 

 耳をつんざくような雄叫びが四方八方から襲い掛かってくる。

 怨敵を目にした深海棲艦は目を光らせ体を光らせ、徐々に包囲を縮めてきている。

 レ級は何度か腕を振ってから独り言ちた。その言葉の意味を知る前に、叢雲が吹雪を見つける。

 

「吹雪! 私達の中心へ来なさい!」

「う、うん!」

 

 鎮守府で待機し、指示を送るはずだった彼女までここに来てしまっている。

 彼女(人間)を失う訳にはいかない。守ろうとする動きは迅速だった。

 あれよあれよという間に艦娘の壁に囲まれた吹雪は、一瞬指示をするのも忘れて隣に立つレ級と名もなき艦娘を見た。

 レ級は忌々しげに歯を噛み合わせ、獰猛な表情になっている。名もなき艦娘の方はいつも通り黒線に塗り潰された顔のせいで表情がわからず、何を考えているのかもわからなかった。

 

『後ロハ任セロ』

 

 他の艦娘の手によって引き摺られるように輪の外に出されながら、レ級は吹雪に一声かけて反転した。

 疑いの眼差しを刺されながらも手を伸ばし、敵の方――味方(深海棲艦)の方へ指を突き付ける。

 

『消エロ』

 

 ビッと横一線に腕が振られれば、半円の範囲の深海棲艦が上下にわかれてドシャドシャと海に落ちた。

 かつての決戦でレ級が使用した水圧カッターは今も健在だ。これを真正面から打ち破れるのは島風しかいない。

 

『霧ガ私ノモノデナイノヲ忘レテタヨ』

 

 ぽつりと呟いた彼女の言葉は、誰もすぐに理解できなかった。

 あれほど自在に操っていた霧が彼女のものではない?

 それぞれは浮かんだ疑問をすぐさま振り払い、まだまだ大勢いる敵へ向かって攻撃を始めた。

 

『コレハ私ノ落チ度ダナ。コッチハ私ガヤル。オ前達ハ向コウヲ殲滅シロ』

「……信用しきれません。不知火もこちらで戦います」

「付き合うぜ! 提督は後ろに隠れてな!」

 

 一度崩れかけた信用は簡単に回復しない。レ級自身の意思とは関係なく敵と味方にわかれてしまいそうになって、しかしなんとかそうなる前に多少の信頼を回復する事ができた。

 敵は包囲を縮めてくるばかりで砲撃も、艦載機を飛ばしてくる事もない。だから未だに誰にも被害はなく、数の差をものともせず戦えていた。

 唯一ン級だけはこちらの妨害のために咆哮を上げてくる。

 タイミングを合わせ、音撃弾を発射する。特殊な砲弾はン級の目前で爆発し、音と衝撃を撒き散らした。

 それにより声を打ち消し、妨害電波の発生を抑制する。艤装は問題なく使えるままだ。

 だがン級は複数存在する。一体を封じてももう一体が咆哮する。そいつを封じてもまた別の一体が。

 まるで鼬ごっこだ。砲弾には限りがあるため、いずれ終わりはくる。その前に状況を打開しなけば。

 

『ソノ霧ガオ前ダケノモノダト思ッテイタノ?』

 

 不思議な声が空間中に響く。

 姿は見せていないが、間違いない、深海神姫のものだ。

 

「じょ、冗談じゃないわ……! こんな身動きのとれない場所で燃料砲なんて撃たれたら、みんなやられちゃうじゃない!」

「突撃です。穴を開けて、そこから離脱しましょう」

 

 焦る暁に、不知火が冷静に提案する。こっちには無双染みた戦果を上げるレ級がいるものの、この物量はどうしようもなく、屍の山を築き上げるばかりである。

 なんとかして切り抜けなければ、彼方から燃料砲で薙ぎ払われて全員終わりだ。

 

「あんた、あの霧は使えないの!?」

『ンン……制御ガ効カン。……トイウカ、ドウ動カシテタカ忘レタ!』

「呆れた!」

 

 いつも考えなしに操っていたらしく、意識して制御を取り戻そうとするとかなり手間取るらしい。

 いまや霧の力は敵の手にあるとみていい。

 そうすると、密集していても一人ずつ浚われて各個撃破される可能性が高い。そうせずとも捻り潰せる力が相手にはあるから、やってくるかは微妙だが……。

 

「こうなれば……短期決戦ですね」

「幸い……ななちゃんも連れてきてるし、ならさっさと深海神姫を見つけ出してやっつけちゃって、そのエネルギーで即座にななちゃんに願いを叶えてもらいましょ!」

 

 やむを得ない、といった口調で大淀が言えば、瑞鳳が続ける。敵を見つけるには航空機が要だ。だがそれを放つためにはもう少し広くて落ち着ける場所が好ましい。

 

「エネルギー回収……ね」

「一回こっきりなのが辛いかも」

 

 秋津洲の呟きに、試行回数を増やしたいなら奴の船を出させて燃料砲を放たせれば良いのよ、と大井が無茶を言った。

 一応それも作戦を考える段階では勘定に入っているが、実際は危険など(おか)したくないのが本音で、だから船なんか出される前に倒してしまおうと誰もが思っていた。……の、だが、深海神姫がこちらを補足している以上、彼女が油断や慢心をしていない限り、確実に船とも戦う事になるだろう。

 

(あんな危険な攻撃、防げるのはレ級ちゃんか私だけだよね……)

 

 一緒に来ていた連装砲ちゃん達が自分を守るように展開しているのを見ながら、吹雪は一つ覚悟をした。

 あの大きな光に対抗できるのは、同じ技が使える自分だけのはずだ。だからいざとなったら……。

 

「言っておくけど吹雪、燃料砲のぶつけ合いを考えているのならやめておきなさい」

「う!? う、うん!」

 

 図星を突かれて一瞬慌てる。

 アンテナを振り払うようにして背の艤装から砲弾を吐き出した叢雲は、衝撃に揺れる体をそのままに吹雪に鋭い視線を投げつけた。釘を刺しているのだ。決して無茶はしないようにと、そう言っている。

 

「摩耶、大淀、大井、合わせてクダサイ! ……撃ちます! fire!」

「よっしゃ、やるぞ! 撃てぇ!」

「主砲も伊達じゃないのよ!」

「てーっ!」

 

 一点集中。

 並んだ四人の艦娘が同じ位置へ狙いを定めて一斉に砲撃した。

 高く水柱がたち、複数の真っ黒な鉄の残骸が八方に吹き飛んでいく。

 

「道が開いたわ!」

「ほんならば……突撃っしょ!」

『ヨシ。モウ少シ切リ開イテヤル』

 

 ザァッと旋回してみんなの前へ出たレ級が、尻尾の異形の鎌首をもたげ、前へと向けた。

 二度の砲撃。

 三角形にできていた包囲の穴が円状にまで広がった。

 

『―――――――!!』

『――――!!』

『――――――!!!』

 

 怨嗟の声が木霊する。

 なぜ裏切るのか。なぜ敵の味方をするのか。

 まるでそう訴えているように聞こえて、吹雪は身震いした。

 

「司令、不知火に続いてください」

「うん。ななちゃん、行くよ」

『……』

「後ろは任せて」

 

 手を取って引けば、名もなき艦娘も航行を始める。素足が波を割って進むと、その後ろに初雪がぴったり張り付いた。抱えた砲を外へ向け、背後の敵を警戒している。

 

「攻撃隊、発艦!」

「航空部隊、発艦!」

 

 密集した敵を切り抜ければ、即座に鳳翔と瑞鳳が声を合わせて艦載機を放った。空気を裂いて飛んでいく矢が艦載機へ変わり、空へと舞い上がる。

 半分が取って返して敵の方へ、もう半分が深海神姫の捜索に乗り出す。

 霧はレ級を中心に円状に広がり、壁のように漂っている。本来ならそんな場所を飛ばせるのは自殺行為なのだが、今は急を要する。深海神姫に一方的に攻撃されるのだけはなんとしてでも避けなければならない。

 無理を承知で矢を放った二人に、艦載機乗りの妖精さん達がコックピットの中で敬礼をした。

 

 

 敵の追撃は振り切れない。

 ここにきて敵も攻撃してくるようになり、応戦せざるをえなくなったからだ。

 霧は艦隊の異動に合わせて蠢き、どうしてもある程度の距離から先は確認できず、そこから飛んでくる砲弾や艦載機は驚異の一言に尽きた。

 だがこちらは精鋭揃いだ。パワーバランスを破壊するレ級の存在もある。いくら敵機が空を埋め尽くそうと(ことごと)く撃墜し、迫りくる敵もレ級と協力すれば物の数ではなかった。

 負傷者なし。被弾なし。今のところかなり好調だ。飛び交う砲弾に神経は削られるが、体力にもまだまだ余裕がある。

 

「レ級ちゃん、空を! 金剛さん、二時の方向!」

『オウ』

「了解デス!」

 

 司令官である吹雪が指示を飛ばせば、そのたびに士気が上がり、攻撃も防御もキレが増してきている。集中力は極限まで高まっていると感じられた。

 

「! 見えた!」

 

 耳に手を当てていた瑞鳳が声を上げる。

 妖精暗号通信より、深海神姫及び船を発見せり。

 この報を受け、艦隊は進路を変更。深海神姫の待つ船へ向かった。

 こちらから出向き、一気に叩く。それですべてを終わらせる。

 作戦とも言えない作戦だが、誰もが成功を確信していた。みんな、それぞれの力を信じていたからだ。

 

 黒煙を上げる真っ黒な船が霧の向こうに見えてくれば、濃霧が退いて道が開ける。

 深海棲艦どもとの距離も随分あいて、これならしばらくは船に集中できそうだった。

 残骸の集合体である船に備えられた四基の単装砲が火を噴き、傍の海面が弾けた。

 警告か、それとも当てようとして当たらなかったか……。

 あの船さえ深海神姫の一部ならば、彼女の命中率の低さがそのまま表れてしまっているとも考えられる。

 

「どの道砲撃を意識しなくて良いってのは楽よね」

 

 誰かが呟けば、それで気が楽になるものもいた。

 だからといって完全に脱力できるわけではない。敵には燃料砲という奥の手がある。しかもそれは、吹雪が使うものとは段違いの威力なのだ。

 前回はその一撃により暁の鎮守府が半分蒸発している。

 

「みんな、行きますよ!」

 

 激励の言葉を口にした吹雪は、ゴオ、と耳元で唸った風に目を細め……次には見開いた。

 そこは、船の上だったのだ。

 

『ヨウコソ、私ノ船ヘ』

 

 甲板の上に腰かけていた深海神姫が立ち上がり、吹雪を歓迎した。

 

「……霧」

 

 先程のは霧による移動……。

 少し遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてきて、吹雪は返事をしたい気持ちをぐっと押さえながらも、足下にいる連装砲ちゃんを確認し、そして自分の連装砲を抱えた。

 

『愚カナ艦娘共メ。何ヲシヨウト、人間デアル貴様ヲ殺セバ全テ終ワリダ』

「……!」

 

 やはり狙われてしまったか。

 汗が浮かぶのを感じつつも、吹雪は腰を落とし、いつでも対応できるように構えた。

 

『コレデ、終ワリダ。終ワリニシテヤル……』

 

 手に汗が滲む。

 吹雪は、たった一人でこの怪物と戦わなければならないようだった。


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