勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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第二話 最初の出会い

「あっち? ……こっち? ……えぇっと……」

 

 緩やかに前進しながら、吹雪は自身の武器である連装砲の表面を眺めてぶつぶつと呟いていた。

 不気味な独り言のように見えるが、そうではない。彼女は連装砲の表面から顔を覗かせる妖精さんと話しているのだ。

 といっても、妖精さんは明確な言葉を持たない。人や艦娘とは意思のみでやり取りし、それは受け取る艦娘によって言葉の内容が変わる。

 さて、ではなぜ今、吹雪が妖精さんと意思を交わしているのかといえば、この広大な海での道しるべを妖精さんに担ってもらっているためだ。

 妖精さんには種類がある。砲の妖精さん、魚雷の妖精さん、バルジの妖精さん、艦載機の妖精さん、猫の妖精さん……それぞれ役割が違う。だが、管轄外の事も多少こなせるというのは、艦娘なら誰もが知っている常識だ。吹雪の傍にいるのは連装砲と魚雷の妖精ではあるが、彼女達もある程度他の役割もこなせるという事である。今は羅針盤の妖精として吹雪に進路を指示している。

 だがそれはあまり正確ではなく、ころころと行くべき道が変わる。だから吹雪は何度も聞き返しながら進路を切り替えていた。

 

 繰り返して、何度目か。

 右に200メートル進んで、左に50メートル進んで、旋回して100メートルほど進んで……。

 あれ? と吹雪は首を傾げた。

 なんだか、さっきから同じ場所をぐるぐると回り続けている気がする。

 海には障害物がなく、指標もないために確信はできなかったが、実は吹雪の感じた事は正しい。

 吹雪は(いびつ)な円を描くように回転し続けていた。

 管轄外であるから能力が下がるとはいえ、だからといってすぐに気付けるようなミスを正さない妖精さんではない。にも関わらず、吹雪が半ば確信するまでの長い時間、妖精さんは同じように指示を出し、吹雪を動かしていた。

 妖精さんに悪意がある訳ではない。そのように妖精さんを狂わせるモノが、すぐそこにまでやってきていたのだ。

 

「……?」

 

 白い壁が迫ってきていた。

 横幅は大きな建物が何個も連なっているようで、縦幅はビルよりも高く伸びている。

 進路上に突然現れた不可思議なものを見上げた吹雪は、徐々に速度を緩めて足を止めると、困惑しながらも後退を始めた。

 なんだかよくわからないが、あれに触れてはいけない気がする……。

 そう思っての行動だったのだが、緩やかに蠢いて見える壁の移動は意外にも素早く、あっという間に追いつかれて飲み込まれてしまった。

 そう、飲まれたのだ。壁に。

 それは冷たい水滴の集合体だった。

 さああっと体を舐めてゆく濃い霧。高密度の水滴の集合体。

 辺りの温度が10℃くらい一気に下がったように感じられて、吹雪は身震いをしながらも砲をしっかりと抱えて警戒した。

 明らかな異常事態だ。戦闘の経験がないとはいえ、さすがに備えくらいはする。

 それに意味があるかどうかは……すぐに判明する事となる。

 

 

 先の見えない霧の中を何時間も進み、妖精さんと会話しようにもうんともすんとも言わず困り果てていた頃に、唐突に霧が晴れた。

 しかしそれは完全にではなく、まるで吹雪を取り囲むアリーナを作るかのように、円状に退いた霧の中にぽっかりとした空間が現れた。

 (にわ)かに空を覆う霧も晴れ、きらきらとした日射しが一筋差し込んでいる。真っ黒な海はそれに照らし出されてなお不気味だった。

 波を割いて前へ進む吹雪の耳に、ふと何かの音が引っ掛かる。

 それは心臓の鼓動のような、いや、人の、小さな女の子の声のようでもあった。

 はたして、それは嗚咽(おえつ)であった。この世のすべての悲しみを凝縮した喘ぎ。

 しゃくりあげ、喉元に空気を押し込めて声を殺し、堪え切れずに声を漏らす。その繰り返し。

 音の発生源を探して顔を(めぐ)らせた吹雪は、しばらくして海面に座り込む一人の少女を発見した。

 

(……艦娘、かな)

 

 海の上に立つ人型の少女。この場合は『座っている』だが、それは艦娘か、深海棲艦のどちらかだ。

 吹雪にはその少女がどっちなのかが判断つかず、砲を持つ手に力を込めて前進し続けた。

 はっきりとした輪郭が浮かび上がってくる。

 闇のような黒髪は海に浸かってばらけるくらいに長く垂れていて、華奢な体は丸められ、小さな肩と細い腕が震えていた。子供の両手は顔に押し当てられ、半分以上を覆っている。スカートから覗く白い膝は吹雪の方を向いていて、だから吹雪は、彼女が女の子座りになって泣いているのだとわかった。

 

 いったいどうしたのだろう。

 

 小首を傾げて疑問に思う。

 こんな場所で、たった一人で泣いている。

 何があったのだろうか。まさか、仲間がみんないなくなってしまったとか?

 それとも自分と同じように発生したてで、されど何をしていいかわからずに泣き出してしまった?

 考えるうちに同情的な気持ちが膨らんできた吹雪は、とりあえず声をかけられる位置まで近寄ってから止まった。一応不用意に近付き過ぎないようにはしているが、これが必要かどうかはよくわからなかった。

 

「あのー」

『…………』

 

 推定艦娘の少女は、吹雪が間近まで来て声をかけても、ただ小刻みに肩を震わせるだけで反応らしいものは見せなかった。

 一度声をかけた以上反転してこの場を去る事ができなくなってしまった吹雪は、眉を八の時にして、前に伸ばしかけた手を宙に彷徨わせながらも少女を観察した。

 見た事のない艦娘だった。

 いや、吹雪は生まれたばかりなのだから、今ならもれなくどの艦娘も見知らぬ艦娘なのだが、そうではなく、なんとなく生まれ持った知識に該当しない者だと感じたのだ。

 だがそんな違和感は些細なもの。波の音と霧が動くごうごうとした風の音に流されていって、吹雪はただ、少女が実は泣いてなどいない事に気付いただけだった。

 

(……なんなんだろう、この子)

 

 この少女、先程から涙を堪えるような声を繰り返している癖に、ただの一滴も涙を零していない。だというのにずっと悲痛な声は続いていて、傍にいる吹雪まで泣きたくなってきてしまうくらいだった。実際、悲しみと苦しさは喉元までせり上がり、穿つようなツンとした痛みが眉間の間にあって、それは徐々に圧力を増している。瞳の表面も潤んできていて、一瞬視界が歪んだ。

 

(んっ……)

 

 胸の内から溢れてくる悲哀をなんとか押し込めて、それから数度大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせた吹雪は、目を(またた)かせてからそーっと少女の(もと)へ移動していった。

 

「大丈夫? どこか怪我してるの?」

 

 砲を()ろし、(かたわ)らで膝を折る。

 小さな子へ話しかけるような優しい声音は、しかし少女を動かすには至らないようで、またも反応は得られなかった。

 だが吹雪はめげない。至近で見ると彼女の手の平から黒い線のようなものが何重にも飛び出ていてるのを見つけてしまって(おぞ)ましさに腰が引けてしまったりもしたけれど、それでも生まれて初めて出会った同胞だ、なんとしてでも意思の疎通がしたくて懸命に話しかけ続けた。

 少女が吹雪の言葉に反応してくれたのは、それからまた何時間もした後だった。

 

 

「……妹さん、探してるの?」

『…………』

 

 空は黒く塗り潰され、満天の星に彩られている。

 星明かりは幻想的に海を照らし出し、この霧の中の空間は光が反射して、まるで大プラネタリウムの真ん中のようだった。

 ここまでの僅かな会話で――吹雪が話しかけ、少女が首を縦か横に振る――得た情報を元に問いかければ、少女はこくりと控え目に頷いた。

 聞いたところによると、この少女にはとても仲の良い姉妹がいたらしいのだけど、どうやらはぐれてしまって悲嘆にくれているらしい。ならば探せば良いじゃないかというと、事はそう単純ではないみたいだ。

 一緒に探そう? と吹雪が促しても少女は首を横に振るばかりで動こうとしない。

 もしかしたらその姉妹はもう水底に沈んでしまっているのかもしれない。そうでなくとも、遠く離れたどこかに行ってしまっているのかもしれない。だからこそここで泣いていたのだろう。考えを巡らせた吹雪は、だけど直接『そうなのか』と問いかける事はできなかった。吹雪とて沈む事は怖い。つい今朝方生まれたばかりなのだから特にそうだ。轟沈の恐怖はずっとずっと先にあるはずのものなのだから、今そんなのを突き付けられても到底許容できずに困ってしまう。無意識下の忌避感が(ゆえ)に妹さんがどうなっているかの正確な話は聞けていないのだ。

 

 少女を慰めるように背中を撫でてあげると、身を震わせた少女が手で顔を覆ったまま吹雪に顔を向けた。

 (くだん)の妹さん……問いかけ続けて得た答えではなぜか『弟』という事になっていたが、吹雪の知識にある艦娘の特徴を挙げた限りでは、その子は黒いうさみみカチューシャをしていて、丈の短い制服を着ていて、『連装砲ちゃん』なる自立稼働兵装を使役していて、おまけにレストランで働いていたらしい。

 最後の働いていた云々は吹雪にはよくわからなかったが、特徴からどの艦娘の事を指しているのかはなんとなく理解できた。艦娘なのだから女の子なのだとも。その名前まではわからなかったが……それでも、会話のきっかけを掴むにはそれで十分だった。

 

『……』

「……?」

 

 ぽそり、ぽそりと少女が話す。

 それは蚊の鳴くような小さな声だった。

 瀕死の人間が今際(いまわ)(きわ)に死力を振り絞って話すかのような活力のない声。

 初めて少女が発した声を聞き逃すまいと耳に意識を集中させた吹雪は、彼女が人の名前を繰り返し呟いていると気づけた。

 おそらくは彼女の弟……妹だと言う艦娘の名前だろう。そちらは聞き覚えがなく、まったく何型かすら予想もできなかったが、しかし吹雪に一つの目的を与えてくれた。

 その名前を持つ艦娘を探そう。そして、この子と会わせてあげよう。

 100%親切心からくるお節介。吹雪にこの少女を放ってあてどもない旅を再開する気は皆無だった。

 何か目的を持たなければそのうち気力を失くして、だだっ広い海の上に立ち尽くして泣いてしまいそうだったからというのもあるが、何をするにしても目的は必要だったから、これは渡りに船だ。

 

「ね、私がその子を探してあげるから……お姉ちゃんと一緒に行こう?」

『…………』

 

 初めて掲げた目標は吹雪に生きる活力と熱意を与えてくれた。胸がぽかぽかするような……両拳を握りしめて、明日に向かって吠えたくなるような、そんな熱。

 強い気持ちを胸に秘め、努めて優しく語りかけた吹雪に対して、少女は首を横に振った。

 

「どうして?」

『…………』

 

 首を振った意味を問いかけても少女は沈黙を貫いて何も語らない。

 どうしてだろうか。泣き疲れて動けなくなってしまったから、動けないのだろうか。

 もしそうなら、手を引いてでも連れて行ってあげよう。こんな場所に一人でいては危ないし、寂しいだろうから。

 そう思って少女の手をそっと握った吹雪は、その手を下ろさせて――

 

「ひっ」

 

 ひゅ、と空気を吸い込むように小さな悲鳴を漏らした。

 

「ぁ、ぁ、な、なに……」

『…………』

 

 ぽとりと少女の膝にもう片方の手も落ちる。そうすると露わになった顔は……全てが全て、黒い線に塗り潰されていた。

 目も、鼻も、口も、全部が闇のような黒色に隠されてしまっている。見る者の不安を掻きたてるような、先程感じた悍ましさがなんでもない事に思えるような生理的な嫌悪を抱いて、吹雪は思い切り背を仰け反らせた。

 握り拳の中にあるネームペンでぐちゃぐちゃに書き乱したかのような乱雑さは空間にまで届いていて、少女が身動ぎすると線は不気味に蠢き、その顔の動きに張り付いていた。きっと彼女が立ち上がろうと、あたかも空間を侵食している黒い線は離れないのだろう。

 心を食い潰されてしまいそうな重圧と、背に冷や汗が流れる凄まじい悪寒。知らず、両手を後ろについて少しでも離れようとしていた吹雪は、自身の呼吸が浅く速いものに変わっているのに気付いた。

 全速力で走った後のような息のし辛さ。それから、全身の骨と筋肉が疲弊してぶるぶると震えている。彼女の傍にいるだけで体力と精神力を吸い取られているようだと錯覚して……吹雪は、ぶんぶんと首を振ってそんな酷い考えをなんとか捨て去った。

 手の位置をちょっとだけ前にずらし、体を戻す。頭の中も身体も恐怖一色だったが、生来の優しさだけでこれを制し、乗り越えた。一人ぼっちで泣いている女の子を傷つけるような振る舞いはしちゃいけない。義務感と責任感と年長者(おねえちゃん)としての自負が吹雪に踏み止まる事を選択させた。

 もしどれか一つでも欠けていれば、きっと吹雪は引き攣った悲鳴を上げてすぐにでも逃げ出していただろう。そして二度とこの場所には戻ってこなかっただろう。

 だがそうはならなかった。

 少女は未だに傍にいる吹雪を不思議そうに――表情はわからないながらも、雰囲気でそう判断できた――見上げていて、吹雪も目をそらさずに真っ黒な顔を見返した。

 

「ぃ、いっしょに、いこ?」

 

 無理矢理笑顔を作って共に行こうと誘う。声は、引き攣っていなかった。ちょっとばかり震えてはいたが、なんとか普通に語りかけられた。

 今度は拒絶されなかった。されど肯定もされなかった。

 首を振る事なく、少女はじっと吹雪に顔を向けている。どこまでも恐ろしく、今にも取り込まれてしまいそうな……。

 

「ぉ、お姉ちゃんが、引っ張っていってあげるから……ね?」

 

 強く目をつぶって弱気の虫を追い出した吹雪は、声を震わせながら言い(つの)った。

 ここにこの子を一人で置いていく訳にはいかない。この子は自分が守らなければ。そういう風に彼女を守るべき対象と考える事で少しずつ平静を取り戻していき、徐々に震えも収まってきた。躊躇いがちに手を差し出せば、少女はそれを目で追うように顔を下へ向けた。

 それから、小さな手を持ち上げて、吹雪の手の平の上に――。

 

『ヤメテオケ』

「っ!?」

 

 突如響いた声にはっとして、すぐさま砲を抱えて立ち上がった。振り返った先には、霧に取り巻かれてこちらに歩いてくる背の低い少女が一人だけいた。

 少女といっても普通ではない。肌は青白く、大きな怪物の尻尾が生えた、膝下の半ばからがない……深海棲艦の女の子だった。

 アフガンストールに似たマフラー。背負ったリュック。黒皮の布服。大きく開かれた胸元と滑らかなお腹。

 

「戦艦……レ級……」

『フム、私モ有名ニナッタモノダナ?』

 

 思わずといった様子で呟いた吹雪に、彼女は特徴的な笑みを深めて――そうすると、より狂気的になった――なんでもない事を呟いた。それさえこの空間の中では不思議に響いて、吹雪の体を強張らせた。

 まさか初めて出遭った敵が戦艦級になるとは思わなかった。それもただの敵ではなく、黄金色のレ級(超進化態)であるのは、不幸なのか幸運なのかわからないくらいだった。

 ただ一つわかる事は……。

 

「ぁ……」

『……』

 

 きっと吹雪は、後ろにいる少女を庇う事も、自分が逃げ延びる事もできないだろうという事実だけだった。


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