勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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第十六話 神の力

 

「まどろっこしいわね! 行くわよ!」

 

 敵を目前にして決断できない吹雪に業を煮やしたか、それとも吹雪にそんな決断をさせないためか、大井が両隣の暁と瑞鳳の腕を掴んで滑り出した。彼女が身に着ける艤装の表面が弾け、黒煙が上がる。未だすべての兵装が使用不可の状態だった。

 

「あっ、だ、駄目です!」

「駄目も何もないのよ!」

 

 左腕、両の太もも、そして両足に備えられた魚雷発射管から紫電を散らしながら大井が叫ぶ。

 制止の声は届かない。だけどそれは、決して吹雪を軽んじているからではない。むしろ、その逆。

 助けたいから動いた。それだけだった。

 

「時間切れね。いいわ、人の(もと)で沈めるなら悔いはない!」

「そ、そうねっ! 暁も覚悟を決めたわ! 突撃するからね!」

 

 弓を手に、矢をつがえて弓を引き絞る瑞鳳が右へ航行しながら空へと狙いを定めた。

 左に動く暁も砲を握り締め、表情を引き締めて腰を落とした。

 玉砕覚悟。

 あまりにも重い決断に、吹雪の頭は凍りついてしまった。

 

「不知火も出ます。司令、ご無事で」

「し、ぁっ、不知火ちゃん駄目だよ!」

「さぁ、敵は向こうだけではありまセン! テイトクを逃がすにはレ級を倒す必要がありマス!」

「言われなくても! 満潮、出るわ!」

「満潮ちゃんっ!」

 

 吹雪が指示を出さなくとも、彼女達はそれぞれ勝手に動き出してしまう。

 それはひとえに希望を守りたいからだ。未来へ繋がるかもしれない、人間を名乗る艦娘を守りたいから。

 たくさんの気持ちが溢れて、吹雪は溺れてしまいそうだった。感情の波が高く押し寄せる。どうしたらいいのかわからない。どうすれば、誰も傷つかずに済むのだろう。いったい、どうすれば……。

 

「たしかあいつには物理攻撃が最も有効だったはずよ」

「ならワタシと相性抜群デース!」

「……よしっ、艤装が使えるようになった! 摩耶様も行くぜ!」

 

 水飛沫が天へ跳ねる。金剛が駆け出し、摩耶が滑り出した。先に向かっていた満潮は背後の声が聞こえていたのだろう、砲を構え、足を止めないまま砲撃した。

 飛び出した弾がレ級の体に突き刺さり、爆発する。避ける素振りも見せないのは攻撃が効かないゆえの余裕の表れか。

 

「酸素魚雷、二十発、発射!」

「さあ、攻撃隊、発艦!」

 

 深海神姫との戦闘も同時進行だ。こちらは敵の強さは未知数で、どのような攻撃をしてくるのかどころか、相手がどの艦種なのかさえわからない。艤装らしきものは身につけていないし、何かを従えている訳でもない。強いて言うならば巨大なイ級に見える怪魚を呼び出したが、それだけだ。彼女自身に攻撃手段があるようには見えない。

 実際、深海神姫は腕を広げて悠々と歩むだけで、自らに迫る脅威へ何かしようという様子はなかった。

 

 

 艤装の機能が回復したのを機に攻勢に出た艦娘達。

 かつての戦争の時のように俊敏に動き、各自の役割が自然と割り振られていく。勢いはどんどん増していっていた。

 だがそれも、再び怪魚が咆哮するまでの事だった。

 

『――――――――!!』

「っ、また!」

「艦娘の攻撃が通用しない深海棲艦というだけでも異常なのにっ、艦娘の兵装を無効にするだなんて!」

 

 雄叫びの中で大淀が吐き捨てた言葉は、この大音量のために誰の耳にも届かなかった。

 長引く耳鳴りに進んでいた者の勢いが弱まる。艦娘は身一つで海の上を走る事ができるが、艤装があれば元となった船本来の速度で動けるようになる。すなわち艤装が使用不可になれば、速度はずっと落ちてしまうのだ。

 

『マァソウ慌テルナヨ』

「っ!」

「ひっ」

 

 その上敵の片方は瞬間移動染みた芸当まで披露してくる。神隠しの霧による移動。吹雪の眼前に現れたレ級に、潮が後退った。庇うために前に出た叢雲が両手で持ったアンテナを突き込む。それは棒の半ばを掴んで止められた。……パワーが段違いだ。それは駆逐艦と戦艦だからというだけではないだろう。

 このレ級は、どの艦娘もどの深海棲艦も越える力を持っている。

 

『キュー』

 

 連装砲ちゃん達が吹雪に離れるよう急かす。この距離で砲撃すれば、衝撃が吹雪にまで及んでしまう。これでは牽制すらできない。

 未だ頭が『どう決断するか』にあった吹雪は、レ級を見て、ようやっと現状に頭が追い付いた。

 同時に思い至った。どこに逃げても同じだ、と。

 たとえ半数を犠牲にして暁の鎮守府に戻ったとしても、こうやって霧を使って一瞬で追いつかれてしまうのは明白。

 ならば時間稼ぎや囮に意味はなく、今この場で全てを終わらせなければ未来はない。

 結局吹雪は戦わなければならないのだ。提督を意味する帽子と制服を身に纏いながらも、やるべき事は艦娘と変わらない。

 

「駆逐艦吹雪、いきます!」

『オオット』

 

 前蹴りを繰り出してすぐに反転する。お腹を引っ込めて避けたレ級は、少し困った風に笑みを深めて、叢雲に顔を向けた。

 アンテナの柄を握り締めた叢雲が目を鋭く細めた。

 

「ここで遭ったが二十年目ね。あんたに三度も奪わせない」

『ソウ熱クナルナヨ……仲良クシヨウヤ』

「誰が、お前、なんかと!」

 

 柄を手放しての回し蹴りは、すぐさま掲げられたアンテナによって防がれてしまう。防御に使われた自身の艤装が放り捨てられるのを見届けながら初雪と潮の前まで下がった叢雲は、二人を守るように立った。

 二人共、決して接近戦がこなせるような子ではない。かくいう叢雲もあまり得意ではない。だから、近接格闘を得意とする金剛が戻るまで時間稼ぎに徹さなければ、レ級を倒す事はできないだろうと踏んでいた。

 

 

「提督!」

「今はただの吹雪です!」

「そのような……!」

「提督が戦うなんて前代未聞かも! 無理無茶無謀!」

 

 一方で、深海神姫へ向かっていく吹雪には大淀と秋津洲がついて来ていた。無茶苦茶を言う吹雪に大淀は困惑顔だ。それではこちらが困ってしまうと、つかず離れずの位置を走っている。傷ついた秋津洲も並走している。彼女が置いて行かれていないのは、全員艤装が使えず速度が落ちているからだろう。

 

「無理でも無茶でも、やらなきゃなんない時はやるんです!」

「……、……。……何をどう言おうと、その意思を曲げる事はできそうにありませんね。良いでしょう、提督。この大淀、地獄の果てまであなたについて行くと決めました」

「あっあっ、なら秋津洲も一緒に行くかも! 二人っきりはすっごく寂しいかも!」

 

 縋るような声で秋津洲が提案する。彼女は一人で……いや、彼女が腕に抱く二式大艇ちゃんと二人で一つの鎮守府にいたと聞いている。他と合流しなかった理由はわからないが、何かしら理由があって二人っきりでいて、それはとても寂しく辛い事だったのだろう。

 今ここで吹雪が否といえば、きっと彼女は動けなくなる。

 長い年月を耐えてきた心も、一度人間という甘い餌を目の前にぶら下げられれば容易く崩れる。吹雪は艦娘に希望を与えると同時に、絶望さえ与えられる存在になってしまったのだ。

 ……絶望などさせるつもりは微塵もない。みんなをもう一度立ち上がらせたい。誰かを笑顔にしたい。そう信じているからこそ吹雪は司令官になったのだから。

 

「はい、みんなで頑張りましょう!」

 

 元気づけるための返事に、左右の二人は大きく頷いた。

 

 

『ドケ。私ノ目的ハ人間ダケダ』

「くぅっ!」

「うあっ!」

 

 深海神姫が突き出した手に暁が跳ね飛ばされ、次には瑞鳳が弾かれていた。

 遅れて波が割れ、水飛沫が雨のように降り注ぐ。

 視認できないスピードで動く深海神姫の武器は、どうやらその体のようだった。

 

「冗談じゃないわよ! これでどうやって戦えっていうの!?」

『戦ウ必要ハナイ。大人シク……沈メ!』

「そこまでよ!」

 

 水を跳ね散らして大井の前へ現れた深海神姫へ、吹雪は手を差し向けた。指示に従って連装砲ちゃん達が一斉に砲撃する。怪魚の咆哮の影響を受けない連装砲ちゃん達の攻撃は、しかし奴には届かなかった。

 

「っ!」

「あれは、いったい……」

 

 一定の距離を保って減速する三人へ深海神姫が向き直る。離脱する大井には目もくれず、口元を歪めて吹雪を見つめてきている。

 先程の砲撃、確かに直撃コースだったはずだ。だがその顔や体に当たる直前、空間が光の線を走らせ、六角形の集合体を浮かび上がらせた。それが砲弾を防ぎ……ボロボロと崩れさせて、爆発すらしなかった。

 

「あいつにも艦娘の攻撃は効かないって事!?」

 

 損傷の激しい服を手で押さえながら立ち上がった瑞鳳が叫ぶ。全ての兵装が封じられ、そうでなくとも攻撃は通用しない。艦娘よ、絶滅しろという神の意思でも感じてしまいそうな状況だった。

 

『人間ヨ。オ前サエ倒セバ、全テハ終ワル』

「っ、お、終わらせません!」

 

 いつあの高速移動を見せてくるのかと警戒しながら、吹雪は果敢にも言い返した。ここまで圧倒的な能力差を見せつけられても心は折れていない。

 無知だからなのか、わかっていてそうなのか。吹雪自身、自分がどっちなのかよくわからないまま敵と対峙している。

 

「しかし、このままでは……」

「まずいかもっまずいかもっ。早く艤装が使えるようになれば、あんな奴やっつけちゃうのに!」

 

 怪魚は遠くで悠々と佇んでいる。だが、こちらが艤装の回復を見て使用し始めれば、すかさず雄叫びを上げるだろう。皿どうしを擦り合わせるような不快な音は神経を削る。できれば三度も聞きたくないな、と吹雪は思った。

 

『ソロソロ終ワリニシヨウ』

 

 一方的な宣言。

 深海神姫の瞳が妖しく輝く。黄色い光は危険信号。艤装の中で騒めく妖精さん達が、逃げろと警告を発していた。

 そうもいかない。

 吹雪にはみんなを守るという意思がある。誰一人欠けさせないためには、今自分が何ができるのかを良く知る必要がある。

 砲は使えない。艤装も使えず、速く走れない。

 左腕に括りつけられたカンドロイドは……使用できるものの、用途は通信と地図を見る以外わからない。まさかこの場で色々試すなどできはしないだろう。

 ならば、連装砲ちゃん達の力を借り、やり合い続けるしかない。活路が開かれるまで、永遠に。

 

 観察する。

 深海神姫を、観察する。

 彼女の秘密を少しでも知ろうと、瞬きを忘れてその姿を見つめた。

 虚ろな目の奥にはどんな思いがあるのだろうか。その小さな体は、どんな世界を歩んできたのだろうか。

 なぜ人を襲うのか。それは話に聞いた、戦争を止めるという深海棲艦の役割(ロール)に則ってか、それとも……。

 

 …………。

 

 …………?

 

 振動する海に、小刻みに波が起こり、体が揺れる。

 深海神姫の背後の海が盛り上がり、ザバァと水を流して何かが現れた。

 黒い塊。鉄と、石片と、艦艇や何かの集合体。それが継ぎ接ぎになり、何型ともつかない船の形をして、浮上してきていた。

 滝のように流れゆく水を振り返って見上げた深海神姫が、軽い調子で跳躍し、船の上へ飛び乗る。そうするともう彼女の姿は見えなくなって、なのに、気配はいっそ恐ろしいほどに肥大した。

 この船は、彼女そのものだ。吹雪は……ここにいる者は、肌でそれを感じた。

 

『神タル我ノ(チカラ)ヲ見ヨ』

 

 絶えず黒煙を噴き上げる船の上から、彼女の声が聞こえてくる。

 船体に幾筋もの光の線が伸びた。血管のように赤い、どこまでも赤い光。

 先端へ光が収束していく。

 あれは、いったいなんなのだろう。

 吹雪には理解できなかった。艦娘の常識を超える光景に、動く事もできなかった。

 

 赤い光球が船の前へ浮かび上がり、暴風と光を撒き散らしている。海は嵐のただなかのように荒れ、滅茶苦茶な風が髪や服をぐしゃぐしゃにした。

 キュー、とか細い声が耳に届く。

 吹雪は、ぼうっとした目のまま足下の連装砲ちゃん達を見下ろした。

 彼女達は吹雪の足をてしてしと叩き、必死に何かを訴えてきている。

 

「……使え?」

 

 風と光と音の暴力の中、吹雪の声はやけに響いた。

 連装砲ちゃん達は、まるで『自分を使え』と訴えてきているようだった。

 だけど、ならばどう使えば良いのか。ただ撃つだけでは駄目なのは理解している。彼女達の言う『使え』とは、もっと別の方法……それこそ、艦娘の常識では計れないような使い方をしろと言っている、ような……。

 

『ソノ基地ゴト消エテ無クナレ』

 

 臨界点を超えたエネルギーの球が一瞬収縮し、次には肥大した。

 たぶんあれが放たれるのだろう。瞳いっぱいに光を映し、ぼんやりと考える吹雪の前へ、防御体勢の大淀と秋津洲が出た。

 

「させません!」

「こっちかも!」

 

 その防御に、果たして意味はあるのか。

 海も空も霧も塗り潰す赤い光は、抗う事のできない神の力そのものだった。

 

『ヤラセナイヨ』

 

 一陣の風と共に霧が流れ、吹雪達の前にレ級が姿を現す。

 ただ彼女はこちらを向いておらず、深海神姫の乗る船へ両腕を翳し、まるで庇うように立っていた。

 

 直後、光が放たれる。

 海面を削り、海水を蒸発させ、光の奔流がレ級を飲み込んだ。

 小柄な彼女だけでは到底庇い切れるものではなく、障害物を越えた波が再び一つになるように、合流したエネルギーが大淀と秋津洲を襲った。

 悲鳴が風に呑み込まれる。二人の体は消し飛んだりはしなかったが、代わりに勢いに押されて後退してきた。

 咄嗟に両手で二人の背中を支える吹雪だったが、それは雪崩を手の平で受け止め、全体を止めようとするのに等しい行為だった。

 それ以上できる事など何もなく、吹雪の視界は真っ赤に塗り潰されていった。

 

 

 

 

 霧が晴れる。

 海上には巨大な船と怪魚しか残っておらず、艦娘も、レ級の姿ももう、どこにもなかった。


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