勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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第十二話 掛け違えた吹雪

 食堂にて、一堂に会した艦娘達が叢雲に注目していた。

 その中には金剛もいる。吹雪と叢雲が連れ立って本棟三階の執務室に向かい、そこで金剛の目を覚まさせ、連れて来たのだ。

 詰め寄った叢雲に『現実を見ろ』と言われて、数秒の間金剛は表情が抜け落ちて固まっていた。だがすぐに笑顔を取り戻すと、「参りマシタネー」と後ろ頭を掻いて、観念したようにまぶたを下ろしたのだった。

 過去に囚われていると思われていた彼女の心は、とっくの昔にこの辛い現実へと戻ってきていたのだ。彼女は、ただ少し事実から目を逸らしていただけで。

 

「……みんな、落ち着いたようね」

「ええ。考えてみれば、だから何って話だったし……」

「もうどうなろうと関係ないもの」

 

 艦娘が深海棲艦になると聞いて取り乱していたそれぞれは、かなり後ろ向きにその事実を受け入れた。

 今はまったく落ち着いていて、平常通りだ。さすがは十四年の歳月を耐えてきた艦娘達と言うべきか。

 

「それで、叢雲さん。あなたは今までどこに?」

「……一つ処には留まっていなかったわ。決戦以来あちこちに逃れた艦娘達と会うために各国を渡り歩いていた。アメリカ、イギリス、イタリア、ドイツ、フランス、ロシア……まぁ、色々ね。そしてそのどこにも人間はいなかったし、どこにでも倒れ伏した艦娘はいた」

「……そう、ですか」

 

 この地球上に人がいないなど既知の事実であったが、改めて告げられると、それは重苦しく受け入れがたい現実だった。同時に、多くの同胞が物言わぬ置物と化してしまっている事も。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 少しすっきりした表情で吹雪が問う。

 今までと何か違う彼女の様子に、比較的付き合いのある初雪と潮が不思議そうに吹雪を見た。

 

「叢雲さんの帰還を他の鎮守府へ伝えるのが、まずやるべき事、でしょうか」

「それはどうしてですか?」

「……彼女が初めて帰還を果たした艦娘だからであり、他との繫がりを重んじるため、ですね」

「重要な事を黙ってたら、無用な諍いを生むかもしれないからね」

 

 それに、彼女の帰りを知って立ち上がる艦娘がいるかもしれないし。

 そう説明されて、そういえばそれは二週間前にも言ってたような、と吹雪が思い出そうとしていれば、「それよりもっと重要な事がアリマス」と、それまで沈黙を保っていた金剛が口を開いた。

 その重々しい声音と腕を組み、目をつぶるという態度に一抹の不安が漂う。みんな、ほんの少し前まで彼女がおかしかった事を知っているのだ。何を言い出すかと警戒してしまうのも無理はない。

 けど、警戒など不要だ。

 

「それは叢雲の帰還partyネ!」

「あっ、いいですね、それ!」

 

 ぴっと人差し指をたて、笑顔で言い放つ彼女に、一番に言葉を返したのは吹雪だった。……二番目はいなかった。突拍子の無い提案に言葉を失っていた。

 

「十四年越しの帰還を祝い、盛大なpartyを開くのデース! みんなでお祭りワッショイしまショ!」

「賛成です!」

「ちょ、ちょっと吹雪……!」

 

 いつも通りにテンションが高い金剛に、いやに乗り気な吹雪。叢雲の制止の声は届かず、勝手に盛り上がっていく二人を見て、大淀が眼鏡のつるを押さえて息を吐いた。

 

「そういう事なら、そう贅沢な物は用意できませんが、ええ。パーティは開けると思います」

「ちょっと、本気なの? そんな事してる場合じゃないでしょ?」

 

 これに否を唱えたのは大井だ。机こそ叩かなかったが、立ち上がって大淀を睨みつけると、そのまま金剛と吹雪の方へ視線を移した。

 射殺すような目を向けられて静かになった吹雪は、しかし恐れも竦みもせずに答えた。

 

「でも、楽しい事って必要だと思うんです」

「だから、楽しんでる場合じゃないって言ってるのよ。あんた状況を理解してるの?」

「はい。もう人間はいないんですよね。深海棲艦もいなくって、だから私達、生きてる意味なんてなくて。存在している理由も、その必要もなくて」

 

 手を合わせ、にこにこと笑って言う吹雪だったが、その言葉には不穏なものが含まれていた。

 なんて事はないと言わんばかりに自分達の現状を語っているが、その実、裏には深い悲しみや絶望が隠されているのは誰の目から見ても明らかだった。

 特に彼女は生まれたばかりの艦娘。この時代にさえ生まれなければ。そういった気持ちに苛まれているのだろうか。あるいはそれは、縋るべき人間を失った艦娘達の十四年に及ぶ虚無に匹敵するほどの絶望かもしれない。

 それでも笑顔で友の、姉妹の帰還を祝う余裕はあるようで――むしろ、そういう風に楽しい事でもしないと、自分を保てなくなると予感しているのだろう。

 

「……わかったわ。パーティでもなんでもやれば良いじゃないの」

「ありがとうございます!」

 

 折れたのは大井だった。

 『そんな事をしている場合じゃない』とは自分の言葉だったが、吹雪の顔を見て、声を聞いていると、ではその『そんな事』をできる場合とはいつくるのか……そう考えてしまったのだ。

 ……永遠に来ない。くるはずがない。なにせ人類は絶滅した。艦娘が再び立ち上がる事はなく、敵がいないなら戦う事もない。……たとえいても、戦う理由がない。

 

「それじゃあみんなで頑張りましょう!」

 

 吹雪が音頭を取り、全員でパーティの準備を行う運びとなった。

 会場の設営は日が暮れる頃に終わった。

 

 

「では、叢雲ちゃんの帰還を祝いまして……乾杯!」

「かんぱーい!」

 

 八つのグラスが天井へ向けて掲げられる。

 揺れる液体が眩い電灯の白い光を乱反射させて、部屋中を跳ねかえった。

 場所は変わらず食堂だが、部屋の中はみんなの力で作った物で飾り立てられていた。

 前部の壁、厨房の横には『!いさなりえかお』の文字が書かれた横長の板がかけられ、折り紙を切って輪っかにし、それを連ねた物が四方に伸び、天井を蔦のように覆っていた。

 出入り口にはアーチ状の飾りつけがなされ、この集まりに協力してくれた妖精さん達が入口脇にたむろしていた。それぞれ手に小さなコップやらワイングラスやら猫やらを持って、吹雪達に続いてそれぞれを掲げた。

 数匹がすたたたっと走り出てきて、手にしたクラッカーの紐を体全体で引き抜き、「スパパパンッ」と盛大に鳴らした。

 続いて壁際に作られた小さなドックから艦載機が引っ張られてきて、プロペラを回転させて発進した。機首が持ち上がり、何機も天井付近へ飛んでいく。後部から伸びてひらひらと揺れる紙には、お帰りだとかおめでとうだとか、叢雲を歓迎する言葉が書かれていた。

 

「わぁ、すごーい!」

「……なんか、楽しくなってきた、かも」

 

 目の前を通る艦載機に、その中で手を振る妖精さんに手を振り返しながら吹雪が歓声を上げれば、初雪は俄かに興奮した様子で、同意した。二人共が、こういった催しや、「楽しむ」という事は初めてだった

 

「飲み物、たくさんありますから……よ、よかったら、どうぞ」

 

 カートを引いて料理と飲料を運んできた潮が、言うが早いかさっと身を屈めて逃れるように吹雪の方へ走ってきた。注目されたりするのは苦手らしい。

 

「ごめんね、潮ちゃん。最後までやらせちゃって」

「う、ううん。これが私のお仕事、だから」

 

 労う吹雪に、彼女はぎこちない笑みを浮かべて、それでも嬉しそうにそう言った。

 

「吹雪」

「叢雲ちゃん。どう? 楽しめそう?」

 

 大淀達との会話が一段落付いたのか、叢雲がやってきた。「楽しんでるわよ、とっても」と言いつつグラスを傾け、その手をカートの方に向けた。

 

「さ、せっかく潮が作ってくれたんだから食べましょ」

「うん! 行こ、二人共」

「ん」

「は、はい」

 

 カートには、ちょうど大淀達も集まって来ているところだった。

 重ねられた丸皿をそれぞれ手にしながら、まず何を食べるか話していて、吹雪達が寄って行くと、大淀と瑞鳳がはにかむように笑いかけてきた。

 

「どうですか。楽しい、ですか?」

「はい。思っていた以上に心が浮ついています」

「なんかもう、楽しみ方を忘れちゃってて変な気分だけどね」

 

 二人はこの催しをしっかりと楽しんでいるみたいだった。

 それに満足した吹雪は、今度は大井に顔を向けた。彼女は澄ました顔でトングを手にし、サラダパスタをお皿に移している。

 

「大井さんはどうですか?」

「…………つまらなくはないわ」

「それは良かったです!」

 

 彼女も悪くは思っていないようだ。

 だけど、薄く目を開いて吹雪を見た大井には、どこか楽しみ切れてない節があった。

 

「楽しいって気持ちは胸中に広がったわ。ああ、こんな感情もあったっけって思い出して……でもね、そうすると昔を思い出してしまったの」

 

 ここにもう一人いれば。

 吹雪がどうしてかと問えば、彼女は流暢に、柔らかな口調で、それでいて寂しそうに語った。

 

「今日は大盤振る舞いデース! ケーキもクッキーもマカロンも食べ放題! ホラホラ、お腹いっぱい食べなきゃネ?」

「ちょっと、まだデザートは……!」

 

 ひょこっと顔を出した金剛が左手で支えた大皿から大井の皿へとひょいひょい洋菓子を移していく。拒否など無意味。サラダパスタは端に追いやられ、甘味の王国ができあがっていた。

 

「しかもこんな糖分糖分糖分……! 太っちゃうじゃない!」

「もー、そんな心配必要アリマセーン!」

「気にします!」

 

 滅多に手に入らなくなった甘味に手を伸ばしていた瑞鳳は、大井の叫びにはっと気を取り直し、自分のお腹に手を這わせた。ぶに。摘まむと肉が出る。そういえば、十四年の間全然運動してない…………。

 

「だ、ダイエットが必要かしら」

 

 瑞鳳は微かな溜め息とともに呟いた。

 

「あはは」

 

 軽い声で笑ったのは大淀だった。

 彼女は口元を押さえて、目をつぶっておかしそうにしている。あんまりそういう風に笑う人ではないと思っていたから、吹雪は珍しい気持ちで彼女を見上げた。

 

「どうしたの、大淀」

 

 それは他の仲間達も同じようで、一転して心配そうに大淀に声をかけた。

 

「ふふ、太る心配だとか、ダイエットだとか……そんな事を言ったり考えたりしたのはいつぶりでしょうか」

「……そうね。考えてみれば、そうよね。十四年もずーっと難しい顔してこれからどうするかってばっかり考えてたんだから」

「笑ったり、楽しんだりしていなければ鬱憤も溜まるものよね」

 

 瑞鳳と大井もあははと声を上げて笑った。今この瞬間を楽しもうという気持ちのこもった笑い声だった。

 三人を眺めていた吹雪の袖を、初雪がくいくいと引いた。

 

「あなたが提案してくれなければ私は楽しいという感情を知らずにいた……かも」

 

 早口で、一息にそれだけ言い切ると、彼女はふぅと熱い息を吐いて、グラスに口をつけてぐいっと(あお)った。

 

「どのような状況であれ、息抜きは必要という事ね」

 

 叢雲は、ずっと笑みを浮かべている。穏やかというより少々好戦的な感じだが、角は取れているような感じがした。

 

「かくいう私も、ずっと忘れていたわ……楽しいって気持ちも、楽しく思える事をしようなんて考えも、自分がそんな感情を抱けるって事も」

「叢雲ちゃん……」

「吹雪」

 

 少し首を傾けて自分の名を呼ぶ妹に、吹雪は改めて彼女に向き直り、なに? と聞き返した。

 

「最高よ、あなた」

 

 吹雪へ指を突き付けた叢雲は、にっと笑みを深めてそう言った。

 

「むぅ~、最初に提案したワタシの存在が蔑ろにされてるデス」

「あっ、金剛さん」

 

 褒められて照れに照れた吹雪の背後に音もなく金剛が立ち、両腕を抱いて吹雪の肩に顎を置いた。膨れた頬が自身の頬に触れるのをくすぐったがりながら、すみません、と吹雪が謝る。

 なぜか場の雰囲気は『音頭を取っていた吹雪こそがこのパーティを提案し、みんなに楽しさを思い出させた』という形になっていたが、そうなると面白くないのは金剛だ。ワタシ、ワタシと両手の人差し指で自分を指差し、猛然とアピールをしている。

 

「デモ、陰の立役者というのも格好良いデスネー。……フッフッフ、良いデス! 今回の手柄は吹雪! youに譲りマショウ!」

「わっ」

 

 シカァシ、と体を離し、吹雪の体を回転させて強制的に向き直させた金剛は、不敵な笑みを浮かべて流し目を送った。

 

「次は負けまセン!」

「あ、あはは……」

 

 それはなんの勝負でだろう、と疑問に思ったが、空気を読んで言わないでおく吹雪だった。

 

 

「さ、楽しい時間はおしまいよ。みんな、そのまま聞いてちょうだい」

 

 カウンター脇に立って手を叩き、注目を集めた叢雲がそれぞれを見回しながら言った。

 

「ここからはこれからの話をするわよ。情報の共有、それに対しての行動なんかをね」

「そうですね。片付けは……後で良いでしょう」

 

 口の端についたクリームを指ですくってぺろりと舐めた大淀がそう答えた事で、場の雰囲気はお祭り気分を脱却し、平時に近付いた。

 

「半数以上には話したけど、話していない事もある。一つ、重要な情報があるわ」

 

 それは、吹雪が叢雲に伝えた『戦艦レ級』と『神隠しの霧』、そしてこの鎮守府にかつて所属していた島風を探す『名もなき艦娘』の事。

 

 まだ深海棲艦がいる。いや、再び深海棲艦が現れた。

 そう聞いても、誰も、特に反応は示さなかった。そうなんだ、といった風に流した。艦娘が深海棲艦になるという話のインパクトが高かったのもあるが、楽しむ事を思い出し、余裕を取り戻した彼女達には、それくらいなら動じずに受け入れられたのだ。

 それでも敵討ちをしたいと思うかもしれないが、現存する艦娘全てを集めても勝てる見込みはない。

 なにせレ級には深海棲艦の『現代兵器が効かない』能力の他に『艦娘の兵器が効かない』能力、その上『神隠しの霧を操る』能力まである。

 霧に包まれれば百人で挑もうが千人で挑もうが一人単位で分断され、一対一で沈められるだけだろう。

 レ級と単体で戦える艦娘は驚くほど少なく、そんなパワーがある者はとうの昔にいなくなっている。

 

「この事を他に話すのか。それを決めましょう」

「凄く重要な事だけど……同時に、とても危うい案件でもあるわね」

 

 なんでも情報共有すべきだと瑞鳳は考えていたみたいだが、こればかりは慎重に扱わなければ、と判断したらしい。

 復讐心に駆られて海に出れば、そのまま戻ってこない可能性の方が高い。そして無事の帰還を果たした叢雲がいる以上、その誰かは簡単に海へ踏み出してしまうと容易に予想できる。

 

 隠すか、明かすか。

 話し合いは潮がカートに食器を集めて厨房に引っ込み、追った吹雪と初雪が協力して皿洗いに励み、全てを拭いて棚に戻した頃に結論が出た。

 

「やはり話すべきですね」

「そうね。何はどうあれ、それは進む事に繋がるから」

「とはいえ、それでどうなる訳でもないでしょうけど」

 

 人がいない以上、艦娘がどう動こうと意味はない。

 結局は全てそれに収束する。

 ならば場当たり的な対応をとるのが妥当だろう。

 

「それじゃあ、片付けも終わったみたいだし……良い時間だし、ここらでお開きに」

「あ、待って、叢雲ちゃん」

 

 手を打って解散を宣言しようとした叢雲に、吹雪は手を上げながら小走りで走り寄った。

 彼女の隣に並び、みんなへ向けて自分『これからしたい事』を言う。

 

「私、倒れちゃってるみんなを元に戻したいんです」

「……気持ちはわかりますが、手段がありません」

「どうしてですか?」

 

 大淀は、前にも言いましたが、と前置きして説明した。

 

「彼女達に分け与える資源はないのです。……前に一度、全ての艦娘を呼び覚まそうとしましたが、各々が元の場所に戻り、動かなくなってしまったのです」

「そもそも私達には人間がいないと駄目なのよ」

 

 艦娘は……艦娘の元となったかつての艦艇は、人の手によって造られた。人と共に戦い、人と共に守り、人にために沈む。全ては人間ありき。艦娘も、同じだ。

 

「でも、それだけじゃないの。……そこには私達の生まれた理由が深く関係してる」

「私達の……生まれた、理由?」

「そう。最後の決戦で、あのレ級が語った私達の真実」

 

 艦娘とは、この海に飽和する人や船の遺志が生み出した強い念の塊。

 その本質は闘争。戦いたいという願いで生まれ、戦いたいという想いによって動いている。

 だから深海棲艦は生み出された。戦う相手が必要だったから。艦娘は、人と共に戦う。守るという理由を作り、戦場に飛び込んでいく。

 深海棲艦が人を襲い、艦娘が守るという形ができ、人間は艦娘を受け入れた。

 終わりなき泥沼の戦争が幕を開けた。

 艦娘は減らない。深海棲艦は減らない。

 艦娘が減れば深海棲艦が艦娘となって現れ、深海棲艦が減れば艦娘が深海棲艦となって敵に回る。

 強くなりすぎた者が現れれば、間引くようにレ級が消していった。

 永遠に続く戦いは、しかし人の手で終止符が打たれる事となる。

 

「当時の私達は知らなかったけど……人間は真実に近付いていたのよ」

 

 艦娘や深海棲艦はどこからきて、なぜ戦うのか。

 長く戦っていればだんだんと見えてくるものがある。その情報を頼りに、人は真実を手繰ろうとしていた。

 それを阻止するための深海棲艦の動きと、戦うために動く艦娘がぶつかり合い、そして――。

 

「艦娘は負け、戦争は終わった。ある意味それは人間の悲願だったでしょうね。だけど人間がいなくなった今、戦う理由はなくなった」

 

 だから深海棲艦は姿を消し、艦娘はそのほとんどが活動を停止した。

 

「だから、彼女達を起こしたいなら、人間を連れてくるぐらいしなきゃいけないのよ」

「……人間がいれば、みんなは元に戻るの?」

「そうね。できれば私達を指揮してくれる人間であればなお良いわ。でもそれは不可能――」

「じゃあ私、人間になる」

「――は?」

 

 叢雲は、我が耳を疑った。こいつ、今なんて言った?

 どう思い返しても人間になる、とか言っていたような気がするが、しかしその表情は先程となんら変わらず重要な事を言うだとか、大きな決意を秘めているだとか、そういうものを感じさせない顔だった。

 

「私が人間に……司令官になれば、みんなを元に戻せるよね?」

「ちょっとあんた、何言ってるのよ」

 

 ね、と首を傾げられても、艦娘が人間になれるものかとしか返しようがない。

 

「人間……」

「また人と一緒に戦えるの……?」

「戦う……私、戦いたい」

「深海棲艦がいても関係ないって思ってたけど、人間がいるっていうなら……」

 

 しかしなぜかみんなその気になっていて、吹雪はうんうんと頷いている。

 『人間』という言葉にはそれ程の魅力があった。

 

「私自身、人間と一緒に戦えたらなって思ってたから……私が司令官になれば、またみんなは戦えるようになるし、みんな、また立ち上がれるようになるよね」

「ええ、きっとなります」

 

 吹雪の謎理論に大淀が即答した。至極真面目な顔だった。だが、その目は僅かに濡れ、揺れている。

 

「いや、そもそも艦娘が、人……に、は」

 

 様子のおかしいみんなに口を挟もうとした叢雲は、自身の体の内で膨れ上がる凄まじい熱を感じて、だんだんと言葉を失っていった。

 それは歓喜だった。

 人と共に戦う。それこそ艦娘。

 

(また、あなた(司令官)と戦えるの……?)

 

 胸に強く手を押し当てた叢雲は、手をきつく握り締めながら、誰ともわからない人間へ問いかけた。

 

「大丈夫だよ、叢雲ちゃん。私が人間になれば……ね?」

 

 安心させるように、ゆっくりと吹雪が言う。

 じーん、と体中が震えた。涙が瞳に溜まって視界がぼやけ、それさえ嬉しくて。

 

「……ええ、そうね」

 

 それだけ絞り出すのがやっとだった。

 吹雪は、にっこり笑って、それからみんなに向き直ると、「私、頑張ります!」と意気込みを見せた。

 

 

 衣擦れの音が響く。

 真っ白な制服の袖にズバッと腕を通し、開いた前を両手で掴んで引っ張って体に合わせ、一つ一つ、金のボタンを合わせていく。

 純白の長ズボンに上着。きゅっと帽子が頭に収まり、垂れたたお下げが揺れた。

 重厚な両開きの扉に向き直った吹雪は、深呼吸を一つして、両手で扉を押し開き、背筋を伸ばして提督の執務室へと足を踏み入れた。扉脇に立っていた大淀が吹雪に代わって扉を閉める。

 部屋の右側に高級感のある大きな机があり、正面は窓で、左には壁際に五人の艦娘が並んでいる。窓は外の光で白み、部屋の中は僅かにぼやけるくらい光で満ちていた。

 

「提督が鎮守府に着任しました! これより、艦隊の指揮を執ります!」

 

 大淀が声を張り上げれば、瑞鳳が、大井が、初雪が、潮が、叢雲がそれぞれ敬礼した。

 その前を通り、机の裏に回って、自分の体がすっぽりと収まるだろう黒い椅子へ腰を沈めた吹雪は、腕を組んで机に肘をつくと、口を開いた。

 

「今から……私が最高指揮官だ。よろしく」

 

 誰も異を唱えなかった。

 そうして吹雪は、艦娘でありながら人間……司令官となった。


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