勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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みぎのみぎのほう?
第十話 叢雲、帰還


 その日は快晴だった。

 入道雲が空を泳ぎ、どこまでも抜ける空の青さは清々しい。夏であるが、日の光は柔らかく、過ごしやすい気温だった。

 KANDROIDの通信によって叢雲が戻って来た事を知った面々は、埠頭(ふとう)に集まった。

 水平線から白い水煙が現れ、一直線に向かってくる。

 それこそがかつてこの鎮守府に所属していた駆逐艦・叢雲だった。

 

 

「駆逐艦叢雲、出撃任務より帰投したわ」

「お帰りなさい。待ってたよ、叢雲ちゃん」

「……吹雪」

 

 吹雪が一番前に立って彼女を迎え入れた。

 これはみんなで相談して決めた事だ。

 ここにいる艦娘は全員が叢雲とほとんど顔を合わせた事のない者で、それなら最も接しやすいだろう吹雪を、となったのだ。

 吹雪としても否はなかった。聞きたい事も伝えたい事もあったから。

 

「みんなも、待っていてくれてありがとう。感謝するわ」

「いいえ……無事の帰還、ですね。心よりお待ちしていました」

「叢雲ちゃん、疲れてない? 入渠(お風呂)にする? あ、それともご飯にする?」

 

 感慨深げに言う彼女に、それぞれが一言ずつ投げかける。それに続いて吹雪は何か一つでも聞いておこうと思ったのだけど、まずは、疲れを色濃く表情に残す彼女を休ませてあげる事が先決だと考え直した。

 夕日色の瞳を吹雪に向けた叢雲は、ふっと相好を崩し、「甘いものが食べたいわ」と囁いた。

 

 

 一行は甘味処「間宮」へ足を運んだ。

 ここもかなり損傷が激しいが、入っても崩れる事はないし、中は片付けられている。

 店内を見回す叢雲を隅の席へ案内した吹雪は、何が食べたいの? と問いかけた。

 

「そうね、じゃあレクイエムサルベーションを」

「え?」

「……ごめんなさい。なんでもないわ」

 

 何やら口走った彼女は、吹雪の素の声にこほんと咳払いし、少し体を傾けてカウンターの方に顔を向けた。頭巾にエプロン姿の潮が待機していて、「何があるの?」と声をかけられるとびくりと肩を跳ねさせた。

 

「な、夏ですし、かき氷とか……いかがでしょうか」

「ふぅん、いいわね。……ええ、甘いのならなんでも良いわ」

 

 人見知りを発動している潮が首をすぼめて提案する。叢雲は首肯した。それが良いというよりは、それ以外に何もないだろうと予測したのだ。

 

「……ずっと食べれなかったの? 甘味」

 

 伏し目がちに、対面に座る吹雪を見た彼女は、小さく頷いた。

 

「お疲れのとこ悪いけど、そこら辺の話、詳しく聞かせてもらえないかしら」

 

 吹雪の隣の椅子を引き(初雪とは反対側だ)、大井が座りながら叢雲に投げかけた。

 傍らに立つ大淀と瑞鳳も、彼女の帰還と同じくらい、あの日彼女が機械越しに語ろうとしていた話を聞きたがっていた。

 

「あの子が戻って来てからにしましょう。……それからで良いわね?」

「うん、問題ないわ」

 

 瑞鳳がそう答えると、他の者も同意するように頷いた。

 十四年越しの帰還を果たした叢雲の言葉には、誰しも否と言えない雰囲気があったのだった。

 

 

「お待たせしました」

 

 ガラス製の皿に薄氷を積もらせて、潮が戻って来た。スプーンと共に机に置かれた皿の横に、緑の液体に満たされたボトルが置かれる。

 叢雲がボトルから潮へ視線を移せば、彼女はさっと目を逸らして、そろそろと視線を戻しつつ僅かに震える声で説明した。

 

「ぇと、使えるシロップは、それしか残ってなかったんです……」

「そう。ありがとう」

 

 ボトルは古めかしく、埃を払った跡がそれとわかるくらいにあった。

 賞味期限は二ヶ月ほど後を指している。ギリギリの物だ。叢雲はなぜかじっとラベルを眺め、不意にボトルを持ち上げてくるくると回転させ、隅々まで眺めた。

 吹雪は、きっとそれは珍しい物を見たからそういう反応をしてるのだと思ったのだが(自分がシロップを初めて見るからそう思ったのだ)、事実は違う。本来賞味期限が二、三年のボトルシロップ、十年持つ物があるのか? と疑っていたのだ。

 結局ラベルの隅に妖精印を見つけて納得した彼女は、栓を抜いて氷にシロップをたっぷりかけた。

 なみなみと注がれた液体に氷の山が背を低くする。白く揺らめく煙が立つと、見ているだけでひんやりとした。

 

「さて、どこから話そうかしら」

「出撃した後に何が起こったのかからお願いします」

 

 どうして深海棲艦のいないはずの海で艦隊が全滅したのか。

 大淀の問いかけに、叢雲はすぐには答えなかった。スプーンを手に取り、鈍い銀に映る伸びた自分の顔に目を落とし、それからシャクリと氷の山に突き刺した。

 

「殺したからよ」

「……え?」

 

 ギシリと空気が固まった。

 ここにいる誰も、その言葉の意味を理解できなかった。

 どこをどうとっても今の言葉は『私が仲間を沈めました』という意味にしか聞こえず、聞き間違いか何かとしか思えなかった。

 すました顔でスプーンに乗った緑色を口に運び、唇の合間から差し込む彼女が仲間を手にかけたとは到底思えない。

 ……だから何か事情があるのだろうなどと察した者は少なかった。

 

「ちょっと、それってどういう意味よ!?」

 

 ダンッと机を叩いて立ち上がった大井が恫喝するように歯を噛みしめた。先の彼女の言葉の意味を測り兼ね、そしてなんの感慨もないといった様子でかき氷を食べる叢雲の姿に苛立ったのだろう。

 しかし彼女の中でも『何かがあったのだ』という予測はあって、だから、勢いはそこで衰え、叢雲が上目で大井を見れば、それ以上は何も言わずに静かに腰を下ろした。

 

「仲間と交戦せざるを得ない状況とはなんです」

「…………」

「……あの霧がまた出たの? それで、前後不覚になって……」

 

 黙りこくる叢雲に、瑞鳳はそうであってほしいと願うような声音で問いかけた。

 

 霧。

 当時の状況を頭の中に描いていた吹雪は、不意に出た単語に、海で出会った奇妙な二人組の事を思い出した。

 黄金の光を揺らめかせるレ級と、真っ黒な線に塗り潰された艦娘。

 その二人と出会った時、濃密な霧が世界を覆っていた。

 

「いいえ。霧は出なかった。深海棲艦も出なかった」

「じゃあ、なぜ……」

 

 一つ一つ逃げ道が潰されていく。それは叢雲を信じたいみんなの想いと、叢雲自身の退路。

 本当に友を倒して帰ってきたのならば、許される事ではない。それが本当の話ならば。

 だが、もしかすると……この超然とした態度は、裁かれる覚悟をすでにしているからでは……。

 

「どう言えば良いのかしら。……そうね、『みんな敵になった。だから一人残らず沈めた』」

「意味が解らないわ。もっと詳しく説明して」

 

 シャクリ。スプーンに氷を乗せ、口に運ぶ叢雲。

 部屋中に重苦しい雰囲気が漂っていた。だから吹雪は身を縮め、隣に座る初雪の様子を窺った。彼女はいつも通りの半目で口を小さく結び、じっと叢雲を見ていた。

 

「……敵になったのよ」

「どういう事です。……艦娘が反旗を翻したとでもいうのですか?」

「いいえ、艦娘は一人も裏切らなかった」

「じゃあなんでなのよ!」

 

 大淀と瑞鳳に一つ一つ答える叢雲だったが、やはりその言葉の意味は伝わってこなかった。

 まるで話が見えてこない。彼女以外の艦娘がなぜ沈まなければならなかったのか。

 しばらくして、叢雲は頭を振り、観念したように真実を話した。

 

「全員深海棲艦になった。だから倒した」

「なっ」

 

 それはあまりにも衝撃的な話だ。「そんな」とか「うそ」という声が零れて、誰もが顔を青褪めさせた。

 

「そ、そんな話があるもんですか。艦娘が深海棲艦になるなんて……」

「見る? この機械にはそれが記録されているみたいよ」

「ちょ、ちょっと待って! ……本当、なの?」

「それはどっちの話?」

「艦娘が深海棲艦になるという話です! ……あまりにも、突拍子がなさすぎる」

 

 混乱の中で三人が叢雲に詰め寄った。吹雪と初雪は、逃げるように傍まで来た潮と共に、どうしてか否定しきれない話を飲み込もうとした。

 吹雪達が理解できずとも話は進んでいく。叢雲は床に置いていた艤装に引っ掛けられているカンドロイドを掴むと、机越しに吹雪に手渡した。

 

「え、なんで私……」

「あいにく、私はそれの操作方法を知らないの。無線だけならボタンを押すだけで繋がるから使えたけど」

「えーっと…………?」

 

 長方形の端末にいくつかついたボタンに指を這わせたり円状のでっぱりに当てたりして操作法を探っていれば、隣の大井の機嫌がだんだん悪くなっていくのに気付く。それで慌てては理解できるものもできないのだが……。

 

「こう、右手で持つのよ」

 

 吹雪の背後に立った瑞鳳が、自身のカンドロイドを手にして、まず持ち方を教えた。

 

「右手で下から持って」

「はい。……こう、ですか?」

「そうそう。親指は、端末右上の立体スティックに。立ち上げるには左側面の一番上のボタンをカチッと音がするまで押し込んで」

「はい。……わっ」

 

 言われた通りにボタンを押せば、ヴォンと音をたてて端末から光が照射され、薄い板のような光化学画面が空中に現れた。

 

「スティックで項目を操作して……そう。記録の項目の映像を選択して」

「はい。……またいくつか項目が出てきました」

「日付があるでしょ? たぶんかなり古い方にあるんじゃないかしら」

 

 スライドして、上下にずれてと画面は忙しなく変わっていく。

 みんなが注目する中で、吹雪は最も古い映像の記録、『2025/01/02』を選択した。

 

 

 映像の再生が終われば、みな一様に俯いて、何一つ喋らなくなった。

 ただ叢雲がスプーンをかき氷に刺すシャクリシャクリという音だけがあって、それが先程の映像の悍ましさと恐ろしさを際立たせた。

 

「……ごちそうさま。……さて、ご理解いただけたかしら」

「…………」

 

 叢雲が問うも、誰も答えない。あんなものを見せられて答えられる訳がない。

 海を行く艦娘が突如黒い影に包まれ、苦しみ……静かになって、同胞に襲い掛かる姿。

 艦種に関係なくその変化はあって、だから海に出た者が誰一人戻ってこなかったのだと理解させられた。

 みんな深海棲艦になった。そして仲間を襲い、倒すか倒されるかした。

 たとえ生き残っていてももはや艦娘でない彼女達は戻ってくる事はない。

 

「……叢雲ちゃんは、どうして平気でいられるの? ……怖く、ないの?」

 

 最後に言葉を投げかけたきり、正面に座る吹雪をじっと見つめるだけになった叢雲に、吹雪は懸命に話しかけた。唇の動く感覚がやけによそよそしくて、自分の体なのに、自分のじゃない体を動かしているみたいだった。

 

「さぁ、ね。忘れたわ。もう十何年も前の事だもの」

 

 瞬きをしながら言う彼女に、しかし吹雪は聞く前から答えがわかっていた。

 彼女も酷く恐れていた。それは映像から生々しく伝わってきた。

 映像を記録しているのはカンドロイドだ。カンドロイドは艤装の一つ。ゆえにそれを持つ叢雲の視点で記録が流れ、なんどもぶれて、恐れるように引いていた。画面越しに殺到する、かつての仲間の面影を残した敵の姿。恐ろしくないはずがない。

 

「っ……!」

 

 潮が耐え切れずといった様子で蹲った。膝に顔を埋め、小刻みに震える体を自分の腕で抱き締めている。

 ごめんなさい、と瑞鳳が掠れた声で呟いた。

 

「ちょっと、一人に……考えさせて。考える時間を……」

「構わないわ。また後ほど集まって話しましょう? これからの事を」

「し、失礼……します」

「…………」

 

 大淀と大井も瑞鳳に続いてそれぞれが動き、外に出ていく。体調が優れないかのような鈍重な動きだった。

 

「……」

 

 ボタンを押して光化学画面を消し去った吹雪も、彼女達と同じように凄まじい悪寒や生理的嫌悪感に襲われていた。

 自分の根源を直接抉り出されて見せつけられているような、そんな感覚。なぜ叢雲が平然としていられるのかが心底理解できない。彼女の言った『忘れた』という言葉は理解できたが、とても受け入れられるものではなかった。

 

 あの映像、艦娘達は突然に……本当に突然に、深海棲艦になってしまった。

 そこにたとえば怪しい人物の介入だとか、あの霧の介入だとかはなく、いきなりに……。

 自分達もいつかああなってしまうのではないか。それは数秒後かもしれない。そういった恐怖ばかりが際限なく湧き上がってくる。

 

「二人を寮へ運ぶわ。吹雪、手伝ってくれる?」

「……うん」

 

 席を立ち、食器とボトルを奥に仕舞ってきた叢雲が艤装を背に装着しながら言うのに、吹雪は力なく頷いた。

 

 

 本棟。

 初雪と潮を彼女達の部屋に運んだ二人は、吹雪の寝室に入った。

 

「ここを寝床にしているの?」

「うん。私ならこの部屋だろうって、初雪ちゃんが」

「そうね。たしかにここは……そのベッドは、吹雪の場所ね」

 

 知ったような口ぶりに、吹雪は彼女もこの部屋で過ごしていたのだと察した。

 柵の無いベッドの縁に腰かけて一息つこうと思った吹雪は、何か硬くて大きな物をお尻で踏んでしまって「きゃっ」と声を上げて飛び退いた。

 見れば、布団がもぞもぞと動いている!

 凄まじい恐怖に襲われて、直後、それが愛らしい連装砲ちゃんなのだと思い出し、はぁーあ、と深く溜め息を吐いた。

 

「……どうしたの? いきなり」

「あっ、ううん!? な、なんでもないよ? なんでも……あはは」

 

 ささっと連装砲ちゃん達がいる位置の前に立って誤魔化し笑いを浮かべる吹雪に、叢雲はしばらく胡乱げな顔を向けた後に、踵を返してベッドにかかる梯子へ足を向けた。

 良かった、誤魔化せた……。ほっと胸を撫で下ろす吹雪だったが、ここで「あれっ」と首を傾げた。

 ……元々彼女が来たらみんなに話そうと思っていた話しと、明かそうと思っていた連装砲ちゃん達の存在。わざわざ誤魔化す意味はあったのだろうか?

 

『キュー!』

「あっ、わっ」

 

 なんて考えている内、窮屈だったのか三匹ともが布団から這い出てきてしまった。そしてそれは、梯子の半ばに足をかけて振り向いた叢雲に目敏く見つけられてしまった。

 

「…………吹雪。それは、なに?」

「えーっとぉ……えー、えぇ……」

 

 なぜかベッドから飛び降りようとする彼女達を手で押さえながら言葉を探す吹雪。だが悲しいかな、この子達の事を吹雪は何も知らない。だから説明しようがないのだ。

 トントンと下りてきた叢雲の方はといえば、懐かしげに目を細めて連装砲ちゃん達に歩み寄り、そっと手を差し伸べた。

 するとどうだろう。まるでよく懐いた猫のように連装砲ちゃん達は叢雲の手に殺到し、わらわらわちゃわちゃと蠢き始めた。

 

「……ひょっとして……連ちゃん、装ちゃん、砲ちゃん……なの?」

『キュー!』

 

 彼女の問いかけを肯定するように三匹が揃って鳴いた。

 

「叢雲ちゃん、この子達の事知ってるの?」

「え? ええ、よく知ってるわ。この子達は島風の……この部屋にいた島風の艤装なの」

「島風ちゃんの……」

 

 やはりこの子達は、そうだったんだ。

 今朝自分の布団の中に現れた少女を思い浮かべながら、吹雪は叢雲に島風の事を聞こうと、そしてあの深海棲艦の事を話そうと決意した。


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