「雨は、天が流した涙・・・ねぇ」
自室から窓の外を眺めていた男は、似合わないと思いながらもそんな言葉を呟いた。
確かに、この街は泣いているのかもしれない。教授の死に。
…いや、それとも。自分たちの未来が唐突に闇に閉ざされたことにか?
一か月前、イェルネフェルト教授が死んだ。長くコジマに関わったものに待ち受ける、逃れられぬ運命に捕らえられた教授の死は、コロニー・アナトリアに大きな衝撃を与えた。そして、その後にアスピナへと鞍替えをした研究者によってネクスト技術が流出したことがわかると、その衝撃は収拾不可能な混乱へと発展した。
降ってわいた存亡の危機。コロニーの有力者たちは、この危機をいかに乗り越えるかを連日話し合っていた。その中にはフィオナもいる。父のもとでネクスト研究に関わっていた彼女も、末席ではあるがアナトリアの有力者の1人であった。
いったい、そこではどんなことが話し合われているのであろう。少なくとも、フィオナにとって都合のいい話ではないのだろう。会議の度に、彼女の顔色は悪くなっている。
明るく振舞おうとしてはいるが、そこには無理が見える。
「まぁ、少し歴史を見ればわかる事か」
特産品も魅力も無い国が、外貨獲得の為に商品にするものは限られている。
素晴らしいことに、ここには今の世界でもっとも供給が待ち望まれている商品が存在し、その商品を、なんとか動かすことが出来る居候が存在している。
なぜ、それを未だ決断できないのか。
……きっと、彼女が必死に抵抗しているのだろう。
そう想うと、男の中に罪悪感が産まれる。
すまない、フィオナ。俺は……
「なんで強行したのですか!!」
デスクを叩いた掌がじんじんと痛む。だが、自らの中にある抑えきれない怒りが、それを無視しろと脳に命令する。
フィオナ・イェルネフェルトは激怒していた、目の前の男に対して。
エミール・グスタフ、コロニー・アナトリアの代表者となった男は、静かにフィオナを見つめていた。
「エミールは、彼がどうなってもいいと思っているんですか?」
「あぁ、そうだ。」
「ッ!?」
突き放すようなエミールの一言に、思わずフィオナの言葉が詰まる。
「フィオナ、君だってわかっているだろう。アナトリアの崩壊は時間の問題だ。我々は、新たな商品を売らなければいけない」
「商品って……」
「あの男はレイヴンだった。商品として扱われるのは彼の日常だろう」
「ですが、彼はもう傭兵は止めました」
「彼がそう宣言したのか?怪我をして、今の今までここで休んでいただけなのではないか?……なに、ただ働きをさせるわけじゃない。多くは我々の取り分となるが、彼にも、レイヴンだった時とは比較にならないほどの報酬が入る。君たちも、先立つものは必要だろう?」
「そういう問題では……」
「そういう問題だ。子供の駄々はやめろ。もう、決まったことだ。」
フィオナの言葉を切り、エミールがそう言い切る。その眼を見てフィオナは悟った。彼は、そうやっても私の説得には靡かない。喉から声が出ない。フィオナは、エミールの迫力の前にすくんでいた。
「……」
「話はそれだけか?なら、すぐに彼に伝えてきてくれ。アナトリアに、立ち止まっている時間は無い。」
エミールに退室を促される。フィオナは、一度だけ彼の顔を見、その後は振り返ることなく部屋を立ち去った。
フィオナ・イェルネフェルトには好きな男がいた。殆ど一目惚れだった。戦場で助けた男に心奪われた彼女は、そのまま男を付きっきりで看病することを決めた。
恋は、人生を豊かにする。国家解体戦争が終わったあの日から、フィオナの心には多くの喜びがあった。
大学院を卒業し、父であるイェルネフェルト教授の手伝いを行うようになったころには、男は退院できるようになっていた。フィオナはそんな男に、自宅への居候を提案した。
彼の話は、今までの自分の仕事についてが中心だった。やれ、どこは給料の支払いが悪い。やれ、どこは任務の発注の際に秘密が多すぎる。誰々は戦友だったが、任務中の裏切りによって殺した。誰々は酒代のツケを払ってやったのに、返済の前に死んだ。
私は、彼を絶対に守ると決めた。この平穏を、私が守る。彼を、二度と戦場へなど行かせない。
彼が平穏に馴染むように、彼の世話を続けた。穏やかな、何もない、平和な、楽しい時間。
こんな時間は永遠に続くと信じていた。父の手伝いをし、家に帰ると好きな人がいる。充実した生活。それを、今から私は壊さねばならない。
自宅への道は遠かった。傘が弾く雨の音が、どこまでも気分を憂鬱にしていく。
家に入る。一階に明りはついていない、あの人は二階にいるのだろう。
一段一段、ゆっくりと昇っていく。永遠に、あの人の部屋に辿り着きたくない。
なぜ、誰も彼を気遣わないのだろう。なぜ、誰も彼を商品としか見ないのだろう。
彼は、やっと戦いから解放されたのに。なぜ誰も、彼に平穏を与えてくれのだろうか。
フィオナの足音が聞こえた。男は窓の外を眺めながら、彼女を待つ。
弱々しいノック。振り返り、どうぞと声をかける。
扉が開き、フィオナが入ってくる。
彼女は泣いていた。男は立ち上がり、彼女を迎えた。
フィオナは男の胸に飛び込み、さらに大きく泣いた。
彼女は言った。ごめんなさいと、貴方を護れなかったと。
男は応えた。大丈夫だと、フィオナのその気持ちが嬉しいと。
男の口元には笑みがあった。無意識の、戦争中毒者の笑み。
男は知っていた。渡り鴉の心は、戦場から永遠に離れられないという事を。
と、いうわけで言い訳を……
更新が遅れて申しわけありませんでした。
理由として、2017年ごろから創作の主軸をやる夫スレに移していた…というのがあります。
ただ、やっぱりここまで更新して、ここまで多くの人が待ってくれているのにエターはダメだ!となり(あとスレが荒れてて更新停止して創作欲が発散できていなかった)こっちの投稿を再開しました。
初期とはプロットだったり色々変更してますが、とりあえず完結を、んでもって面白くなるように、ゆっくりのんびり更新していきたいと考えています。よろしければ、今後もごひいきにお願いします。