管理局本局の、とある病室。その部屋のベッドに、一人の男が寝ていた。全身に包帯が巻かれ、ピクリとも動かないまま眠っている。
その傍らにはやてはいた。地上本部襲撃にジェイル・スカリエッティの捜査で忙しい中、少しでも時間があるときはここを訪れているのである。
地上本部公開陳述会から数日。未だに古夜の容態は優れない。
「……晃一君」
古夜の頬を撫でるはやて。
傷は、一番ひどいのが左腕。それ以外でひどい外傷は無いらしい。問題は、内部のダメージ。七門まで開いた反動というのは大きく、リンカーコアがひどく衰弱していたのである。命に関わるほどに。
古夜のデバイスであるジェイドに残っていたのは壮絶な戦い。敵の軍勢に古夜とザフィーラのたった二人で立ち向かう映像だった。
そして残っていた、古夜が左腕を失う瞬間。思い出すだけで胸が痛む。
無意識に唇を噛んでいると、ノックをする音がした。扉が開く。
「あ、はやてさん」
「スバル。検査はもう終わったんか?」
「はい! もうバッチリです!」
入って来たのはスバルだった。彼女は地上本部襲撃の際怪我を負い、その関係で本局を訪れていたのである。本局に来たついでに、古夜の様子を見に来たのだ。
「……晃一さん、まだ起きませんか」
「ほんまに無茶したみたいやからなぁ」
呆れたような口調ではやてが言う。
敵の勢力からは信じられないほど、六課そのものの被害は少なかった。ひどい怪我を負ったのは古夜、ザフィーラ、そして六課内部の戦闘で負傷したヴァイスの3人。シャマルがいてくれたお陰か、内部のスタッフはそこまでひどいことにはならなかった。
ヴィヴィオは、さらわれてしまったが。
「これからは、アースラを拠点に、ですよね」
スバルの言葉に頷く。これからは動くことのできるアースラを拠点にして捜査を進めていくことになっている。
「……晃一君達は、私達の帰る場所を守ってくれたんや」
「……そうですね! 頑張りましょう! みんなで六課に帰って、ただいまって言えるように!」
「……せやな」
スバルと共に、病室を後にする。
自分が依頼しなければ、彼が隻腕になることなんてなかった。こんなひどい怪我を負うことなんて無かった。どうしても、考えてしまう。
それでも悪い考えを振り切り、前を見る。余計なこと考えてたら、それこそ晃一君に会わせる顔が無くなってしまう。
「……ここが、無茶のしどころなんや」
はやてはポツリと呟く。その瞳は強く、前を見据えていた。
奇妙な感覚だ。体が浮いているような、そもそも体がないような、不思議な感覚。目を動かしてみれば、確かに俺の手足は存在していた。無くなっていたはずの左腕も、である。
本当に左腕があるならいいけど、多分違うよなあ。思いっきり切り飛ばされてたし。
『夢』の中だと、自然とそう思った。この空間にも見覚えがある。『夢』の中だから見覚えというのはおかしいかもしれないが。
「やあ」
声がした。振り返ると、そこにはいつ現れたのか、一人の男が。微かに笑うその顔は、俺と同じ。
いや――
「……『古夜晃一』、か」
「初めまして、僕」
俺の前に現れたのは、正真正銘の『古夜晃一』だった。
「まったく、人の体で随分好き勝手やってくれたね」
「……悪いな」
呆れたように、そしてわずかに攻めるような口調で『古夜晃一』が言った。そこに関しては本当に謝るしかない。散々無茶してきた挙句、左腕を失くしてしまったからね。
最近になって見るようになった方の夢。あの中で俺に呼び掛けてたのは、他でもない俺自身というか、俺の中の『古夜晃一』だったのだ。
「……で、今更になって、なんで出てきたんだ?」
「今更ってのはその通りだけど、まあ条件が色々とそろったのさ。最初は言葉すら通じなかったし、いやはや、苦労したのなんの」
そのような『古夜晃一』の解答。そういえば、この夢を見始めたころはなんて言ってるか分からなかったのに、だんだんとクリアになっていってたな。
「そういや、六課とかって今どんな感じなんだ?」
「外かい? 騒がしくなってるよ。地上本部は壊滅的被害。六課の方は君やザフィーラの頑張りのおかげで大きな被害は無かったし、重傷者は少なかったけど、ヴィヴィオちゃんが攫われてしまったしね。ジェイル・スカリエッティは彼女を利用してロストロギア『聖王のゆりかご』を起動。今は管理局を潰すべく進撃中ってとこかな」
……やっぱり、狙いはヴィヴィオだったか。誘拐自体を止めることはできなかったが、きっと高町達が取り返すべく動いていることだろう。『聖王のゆりかご』がなんなのかは知らないが。
外の状況について考えていると、『古夜晃一』が「で」と何の脈絡もなく切り出す。
「君はこれから死ぬところだけど、そこんとこどうなの?」
「……どう、ってのは?」
余りにもストレートに死の宣告を受けてしまった。確かに今回はやべえなと思ったけど。左腕が飛んでから意識も飛んだ感じはあるけど。
もう少しオブラートに言うみたいなのはないのだろうか。そんな気持ちをこめて『古夜晃一』を見るが、こちらを見つめる視線の強さに、たじろいてしまった。
「君は本当に死んだら『元の世界』に戻れると思ってんのかって聞いてんの」
「っ……!」
言葉が、出なかった。
「人は忘れる生き物だ。見る機会聞く機会がなくなれば、よっぽどの思い入れでもない限り殆どのことを忘れてしまう。どうでもいいことをなぜか覚えてることもなくはないけど、それはごく少数だ。……でもね、君は『前の事』を覚えていすぎなのさ。漫画やゲームの知識しかり、その他の思い出しかり」
突如語り始めた『古夜晃一』。こういう時に出てくる奴って大抵もったいぶった言い方するよなと、関係ないことが頭に浮かんだ。
「君は未だに『元の世界』を捨てることができていない。渇望し、執着している。それこそ、夢にまで見るほどに、ね」
何も、返すことができない。そんな俺を一瞥した後『古夜晃一』は振り返ると、再び淡々と語り始める。
「誰とも一定以上の距離を保ち、深い関係になろうとしなかった。理由は簡単、誰かと深い関係になればなるほど、『元の世界』に戻ることができなくなりそうだったから。『元の世界』での関係を否定することになりそうだったから」
…………正解。
「どんなにきつい修行にも耐えることができたのは、ゲームのレベリングと同じように当然のことと捉えていたから。そして何かに没頭することで振り切ろうとしたから」
……正解。
「命を賭けた戦闘で瀕死になっても平気だったのは、HPが0にならない限りゲームオーバーではないから。それに心の奥底で『死』を望んでたから」
正解。
「とどのつまり、君はこの世界でゲームのロールプレイをするかのように生きていた。君は『この世界』を、認めたくなかったのさ」
全部、正解。
「……ああ」
俺は……死ねば、ひょっとしたら、『元の世界』に戻れるんじゃないかと。これが何かのゲームで、ゲームオーバーになれば前の生活に元通りなんじゃないかと、確かにそう、思っていたんだ。
「……だって、認められる訳が無いだろ」
絞り出したような声が俺の口からこぼれる。
「寝て目が覚めたら子供になってて、しかも知らない奴の体で、両親のいない天涯孤独。挙句の果てには『魔法』だと?」
抑え切れない感情が溢れだす。
「それで…………それでこの世界が現実だなんて、思えるわけが無いだろうが……!」
それだけじゃない。
……あいつらを、はやて達を見てると思うんだ。
例えば、認知された超能力。
例えば、忍者の国家資格。
エトセトラ、エトセトラ。
この世界で暮らせば暮らすほど、『元の世界』とは違うということを思い知る。
そしてこんな世界のごく一部で、彼女達は大きな事件に遭遇し、乗り越えていく。
「この世界は、何かの物語の舞台。彼女達が主役の、そういうストーリーなんじゃないかって。そう、思ってしまうんだよ」
『元の世界』でよく読んだ、よくある異世界もの。俺がいるこの世界はその創作上のものなのではないか。そう考えてしまうのだ。
「死んで転生したんじゃない?」
「『俺』は死んでない!!」
叫ぶ。『古夜晃一』の言葉を拒絶する。
死ぬ瞬間のことだけ覚えてないとかじゃない。あの日俺は確かに普通にベッドに入って寝た。それだけだったんだ。
俺はあの世界に、確かに生きてたんだ。
「……トラックにでも引かれてりゃ良かったのに」
ぼそりと呟く。せめてちゃんと死んでれば……いや、それでも吹っ切れることができてたかは分からない。夢に見るほど『元の世界』に執着してたからな。
俺は、一般人だ。特殊な才能を持ってるわけでもなく、ごく平凡な生活をしていた。何のドラマもない人生だったさ。
それでも俺は、あの日常に満足してたんだ。失いたいないて、思ってなかったんだ。
「……なあ、『古夜晃一』。何で俺は、お前に憑依したんだろうな?」
「……さあ、ね。原理も理由も、僕にだって分からないよ」
「だよなぁ……」
何も無い空間で崩れる落ちるように座り込む。
「いいの? さっき言ったことは本当だよ。君はこのままじゃ死ぬ」
「……いいさ。この夢の空間なら、思ってたよりも苦しまずに逝けそうだ」
――手足の感覚が消えていく。
大の字になって寝てみれば、走馬灯のように『この世界』での日々が蘇ってくる。
二回目の学生生活。魔法世界での出来事。『元の世界』とは違う、非日常な日常。
――視界が真っ白になっていく。
次に思い出すのは『この世界』の知り合いたち。信じられないくらいお人好しで、優しい人達ばかり。本来一般人でしかない俺には、とても眩しかった。素直にかっこいいと思った。
――存在が希薄になっていく。
『この世界』ではいろいろあった。世界滅亡の危機に立ち会ってみたり、その解決に関わったり。いろんな世界を見てみたりもした。……割と、楽しかったな。
そして――
「……ああ」
駄目だ。
「……やっぱり、俺さ」
声が、震える。
「…………死ぬの、怖えわ……」
大人しく消えていくことなんて、出来なかった。
むくりと起き上がる。すると零れていく雫。
「はは、は……つくづく、情けねえな」
涙が止まらない。消えていっていたはずの手足が震える。
死ねば戻れるかもしれないって、確かにそう思っていたはずなのに。いざ死ぬとなれば怖くてたまらない。
「死ぬのが、怖い?」
こちらを見つめる『古夜晃一』の言葉に頷く。だって、そうだろ? 俺は死んだことがないんだ。『元の世界』に戻れる保証なんて何もない、俺が勝手に期待してるだけ。死んでどうなるかなんて、結局わからないんだ。
「……それに、さ」
顔を伏せれば、あの消えていく感覚が蘇る。あの時浮かんできたのは、『元の世界』じゃない『この世界』だったんだ。
「どうやら、俺は自分で思ってる以上に、『この世界』が気に入ってたらしい」
怖いのは、死ぬことだけじゃなかった。『この世界』から消えるのも、俺は怖かったんだ。『この世界』での関係も失いたくなかったんだ。あれだけ『元の世界』に執着してたのに、俺は醜く、欲望深く、『この世界』にも執着しているのだ。
思い浮かぶのは、『この世界』で一番付き合いの長い幼馴染。
少なからず好意を寄せられてたのには、うすうす気づいていた。こんな俺なんかに、憧れてたことも。ずっと気にしてくれてたことも。
どこまでも俺と関わろうとした。無関心な俺の事なんて気にせず、ずっと歩み寄ろうとしてくれた。
あいつに誇れる自分でありたいなんて、らしくもないことを考えていた。そのために頑張ることができていたのも事実なのだ。
駄目なのだろうか。今になって、『この世界』の思い出を失くしたくないなんて。
「……今更、生きたいだなんて」
「いいんだよ」
顔を上げる。するとそこには、『古夜晃一』が穏やかな笑顔で俺を見下ろしていた。
しゃがみ込み、俺と視線を合わせる『古夜晃一』。
「人なんて、元々矛盾を抱えた生き物だ。死にたいって気持ちと生きたいって気持ちが両方あったっておかしくなんかないんだよ。君は『この世界』も『元の世界』も大切だった、それだけのことさ。じゃなきゃ、今までの無茶で君はとっくに死んでる」
肩を叩かれ、立ち上がらされる。俺と『古夜晃一』が向かい合う。
「生きたい?」
「ああ……生きたい」
「じゃあ、力を貸してあげよう」
俺の返答に満足そうに頷くと、『古夜晃一』はそう言った。
「いいのか? 元々お前の体だろうに」
思わず尋ねる。そこで初めて、俺は『古夜晃一』の右目が翡翠色であることに気付いた。少しだけ悲しそうに、『古夜晃一』が笑う。
「僕は、残滓でしかないんだ。君の中の片隅で一緒に育ってきた『古夜晃一』の精神の欠片が、血筋とかの影響で一時的に力を得ているだけ。この体はもう、とっくに君のものなんだよ」
……じゃあ、今までのは全部、俺のための。
「……なんだ。全部お前の手のひらの上ってか」
「ずっと一緒にいたんだよ?全部まるっとお見通しさ」
俺の目の前の『古夜晃一』が透けていく。先程の俺のように、存在が希薄になっていく。
「……悪いな」
「いいよ。君は、僕なんだから。僕の方こそごめんね」
「いいさ。……お前は、俺なんだから」
空間そのものが白くなっていき、目を開けていられないほどの光で満たされる。
「最期に一つだけ、お願い……」
『古夜晃一』の声が脳内に響く。
――僕の血に、決着をつけて。
「……ああ、任せろ」
一人の男が目を覚ました。静かに体を起こし、辺りを見回す。
男はすぐそばのデスクの上に翡翠の宝石と獅子のアクセサリーがあるのを見つけると、無造作にそれを掴んだ。
「…………行くか」
転生者の悩みって結構色々あると思います。
多分年内最後の更新。つまり、年内完結、無理でした。ごめんなさい。
良いお年を。