もしエルシィが勾留ビンを使えなかったら   作:天星

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04 二律背反

 『強い精神』とは何か。

 ……文字通り、強い精神だ。

 コレの場合はさっきみたいに言葉の定義からツッコミを入れるのは無理がありそうだ。

 ……それでも穴はあるんだけどね。

 

「灯さん、『強い精神』というのはどのくらいの強さを示すんですか?」

「…………」

 

 精神の強さを具体的に示す事がそもそも難しいけど……そういう問題じゃない。

 問題は、『完全』として求められる『強さ』に際限が無い事だ。

 

「強い精神があれば強い人間にはなるでしょう。それに異論はありません。

 でも、どこまで行けば完璧になるんでしょうね?」

「具体的な強靭さを示す事は私にもできぬ。

 しかし、精神を鍛え上げればいつかは完全として求められる水準に達するはずじゃ」

「ホントですかね? 確かに可能性は否定できませんが……

 では、仮にその強さが定義できたとします。その上で、もう一つ質問です。

 絶対に傷付かないような強靭な精神、それは逆に欠点なんじゃないですか?」

「ほぅ? 続けてみよ」

「はい。完全に強い精神を持つという事は、何に対しても動じない。という事になりますよね?」

「そういう事じゃな」

「普通なら緊張する場面でも平常通りの事ができる。身の危険が迫っていても冷静な判断を下せる。これは確かに長所です。

 ですが……そこまで心が固まってしまった人間は名画を見ても感動する事はできない、素晴らしい演奏を聞いても何も感じない。一流の食事を口にしてもただ噛んで飲み込むだけ。

 そういう風になってしまいませんか?」

 

 動じなさと感受性はまた別物かもしれない。けど、本当に完全な人間が居たらその人はきっと感動できないだろう。

 そう考えると……『弱さ』というのは人間の大きな特徴の一つなのかもしれない。

 弱いからこそ、人間らしく心を動かすのだろう。

 

「……それはそれで完全なのかもしれぬが、人間としては明らかに間違っておるのぅ。

 他の2つへの反論ももう考えてあるのか?」

「はい。『不安を持たない』『争わない』ですね。

 では、もし不安を消し去ってしまったら人はどうなるのでしょうか?」

「どうなるのじゃ?」

「危険な事に躊躇いもなく突っ込んでいくようになると思います。『怪我するかもしれない』とか、そういう感情が一切抜け落ちているので」

「……それは屁理屈じゃ。何か怪我をする行動は予め知っておいてそれを回避する。それに不安の有無は関係ないじゃろう」

「確かに一理ありますね。でも、それは凄く困難だと思いますよ?

 あからさまに怪我をする行為……例えば火の中に手を突っ込むとか、カッターの刃で手を貫くとかなら簡単に分かります。

 でも、危険に見えないけど危険な行為だって沢山あります。それら全てを把握しておくのですか?

 そんなのはまず不可能です。さっきの桂馬く……お兄様の屁理屈問題ですら把握しきれなかったのに」

 

 正真正銘の完全人間だったらそれすらも可能なのかもしれない。でもそれは果たして人と呼べるのだろうか?

 ……さっきから完全を目指すほどに人間から遠ざかってる気がするよ。

 

「最後に、『争わない』ですね。これは論外です。

 何故なら、闘争心は人の活動の原動力だからです。

 誰とも争おうとしない人間。それは誰にも勝とうとしない人間って事ですよ?

 そんなのが人として完全だなんて、とてもそうは思えません」

 

 何にも興味を示さず引きこもって堕落していく姿はある意味とても人間らしい。

 しかしながら、漠然とイメージする完全な人間の姿とはかけ離れている。

 やっぱり完全を求めると人間離れして、離れると人間らしくなっているのでは……?

 

「……見事じゃ。そこまで突き詰めて考えた言葉では無かったが、全て否定されてしまうとは」

「それぞれのキーワードの悪い面だけを強引に否定しただけですけどね。

 だけど……不思議なものですね。完全な人間を目指しているはずなのにどんどん遠ざかっている気分です」

「確かに……そうじゃのぅ。私の求める存在とは似ても似つかん。どうなっておるのじゃ?」

 

 『完全』が理解できていないから見当違いの方向に進んでいる。

 ……そんな事は無いと思う。方向すらも間違うほど曖昧なものではないはずだ。

 そんな風に考えていたらしばらく黙っていた司会進行の桂馬くんが口を開いた。

 

「行き詰まったようだな。だが、それで良い」

「どういう意味ですか?」

「この問題はどういうルートを辿っても必ず行き詰まるようになっている。答えを出す事は不可能なんだよ」

「どうしてですか? と言うか、本当にそうならさっきまでの議論は一体……?」

「では説明しよう。

 灯、お前はさっきまでは一応答えを出していたよな?」

 

 そう言いながら桂馬くんは黒板を指し示す。

 そこには例の4つのキーワードが書かれている。そして、それをかき消すように大きな×印も。

 

「そこまで突き詰めて考えたわけではないとの事だが、それでも答えは答えだ。エルシィに否定されるまでは正しいと信じて……まではいなくとも間違いではないと思っていたはずだ」

「……その通りじゃな」

「しかし、今は違う。

 さっきの偽トロッコ問題でもそうだったが、情報を得る事によってその答えは違うという事になった。そうだな?」

 

 灯さんは無言でコクリと頷いた。

 

「この答えの変化な? 永遠に起こりつづけるんだよ。

 新しい情報を得る事でついさっきまで絶対的に正しいと思っていた『答え』はもう古いものになる。

 新たな答えを得る度に情報を得て再び考えて答えを得て……という無限ループに陥る事になるんだよ」

 

 情報を得ると答えが変わる、か。

 それを見せる為にわざわざ議論させたって事かな?

 

「答えを求め、それを得る度に新しい答えを求めつづける。

 そうして、答えを求める者は決して答えに辿り着く事ができない

 よって、『完全とは何か』という問いに対する答えを用意する事は人間には不可能。以上、証明終了だ」

 

 そう宣言して、桂馬くんはチョークをそっと置いた。


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