もしエルシィが勾留ビンを使えなかったら   作:天星

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05 純度

「うぅん……?」

 

 ふと、目が覚めた。あれ? 私確か道場で……

 ……ああ、師匠との訓練の後で倒れたんだね。いつの間にかコートが枕代わりになってるけど……自力で無意識に手繰り寄せてたのかもしれない。

 

 身体を起こして伸びをする。道場の固い床の上で寝てたので身体が少し痛む。

 あれ? そう言えば師匠はいずこへ?

 

 辺りを見回して、と言うか振り返ったら普通に居た。床に座り込んで何かしてるみたいだけど……

 

「……どうしたんですか、師匠」

「ハッ! な、ななっ、中川!? 起きていたのか!?」

「はい、たった今……どうしたんですか? そんなに慌てて」

「ななな何の事だ? わ、私は別に慌ててなど……」

 

 エルシィさんでも騙せないような明らかに無理のある誤魔化しだ。

 言動以前に、身体で何かを抱えて隠し持ってるのがバレバレだよ。

 事情を聞くべきなのか、そっとしておくべきなのか迷ったけど……決断を下す前に、音が聞こえた。

 

ニャ~

 

 ……紛れもなく、猫の鳴き声だ。

 

「……猫、居るんですか?」

「な、何の事だ? 私には鳴き声なんて全く聞こえなかったぞ?」

 

 私は猫が居るか尋ねただけで、鳴き声がしたとは一言も言ってないのですが……

 このままだと事態が進展しないので、スタンガンを抜き放ち全力で突き出す。

 

「っ!? っ!!!」

 

 寸止めせずとも期待通りに主将は避けてくれた。そして回避すると同時にこちらに向き直ったので、その腕に抱えているモノ……と言うか猫がバッチリと確認できた。

 

「……猫さんですね」

「あっ、いや、こ、これはだな、あの……その……」

「……猫さんですよね」

「うぐぐぐぐぐ……そ、そうだ! ネコだ!! 悪いか!!」

「いや、悪いなんて一言も言ってませんが……」

 

 とりあえず、師匠をなだめよう。話はそれからだ。

 

 

 

 

 

 

   で! 数分後!

 

 

 

 とりあえず猫を逃したり、スタンガンを置いて慎重に語りかけたりして何とかなった。

 

「落ち着きましたか?」

「あ、ああ……すまない。常に平常心であるべきだというのに、とんだ失態だ」

「でも、どうしたんですか? 猫と戯れてるのを見られたくらいであんな取り乱して」

 

 あんなに取り乱して、実は心のスキマでもあるんじゃないだろうか?

 ……な~んてね。行く先々で駆け魂持ちに出会うだなんて、そんなどこかの探偵さんみたいな事があるわけないか。

 それはさておき、私の質問に対して師匠は逆にこう問い返してきた。

 

「……お前は、さっきのを見て何も思わなかったのか?」

「と言いますと?」

「……私は武道家だ。武の道というものは険しい道だ。

 修行を1日休んだらそれを取り戻すのに1日では足りない。休む間も無く、脇目も振らず進みつづけ、それでも武の頂に辿り着ける者はほんの一握りだ。

 だからこそ! あのような軟弱なものと戯れて時間を潰すなど……あってはならないのだ!!」

「……でも師匠、凄く良い笑顔だったような……」

「そんな事は有り得ない! あったとしても気のせいだ! 忘れろ!」

 

 よ、要するに……猫が可愛すぎて集中できないって事だろうか?

 そう言えば、私の猫型スタンガンにも何か反応してたような……猫系全般、下手すると可愛いモノ全般が好きなのだろうか?

 何というか、凄く女の子らしい人だったんだね。師匠って。

 

「な、何だその目は! その道端で歩いている子ネコを見るかのような目は!!」

「こっちが訊きたいですよ。どんな目ですか」

 

 って、違う違う。そんな事はどうでもいい。

 可愛いモノが好きなら、女の子らしくしたいならそうすれば良いって言いたいけど……『武の道』とやらがそれを邪魔するわけか。

 

「師匠は、どうしてそんなに強くなりたいんですか?」

「……私が『春日流羅新活殺術』の伝承者だという事はもう知っているんだったな?」

「はい」

「では、それがどのように受け継がれるかも知っているか?」

「いえ、そこまでは流石に調べてないです」

「なら、そこから説明しよう。

 我が春日流では基本的には長男が流派の名を継いでいくのだ」

「長男が? でも……」

 

 師匠はどうみても女子だ。確かに口調は男っぽいけど、明らかに女子だ。

 これで実は女装した男子だとか言われたら……とりあえず、そのメイク担当を雇いたい。岡田さんなら間違いなく雇うと言い出すだろう。

 

「……ああ、私は男ではない。更に言うと長女ですらない」

「えっ、師匠ってお兄さんかお姉さんが……お姉さんが居るんですか?」

「その通りだ。2つ上の姉が居た」

「居た? っていう事はまさか……」

「ん? ああ、心配するな。死んだとかそういう話ではない」

「そうでしたか。良かった……のかな?」

「ああ。ただ、5年ほど前に道場を出ていって以来音信不通なだけだ」

「安心できませんよねそれ!?

 え? 5年前? えっと、師匠が高3で、2つ上のお姉さんだから…‥」

「姉上が出て行ったのは中学卒業の時だ。

 まぁ、あの姉上ならどこかで元気にやっているだろう。会いたいと思う事はあるがそれほど心配はしていない」

 

 どんな人なんだろう、そのお姉さんって。桂馬くんみたいな天才肌の人間なんだろうか?

 

「ともかく、姉上は道場を出て行った。そして、私に他の兄弟姉妹は居ない。

 だから、私が春日流を継がねばならなかった。私が強くあらねば、春日流は終わってしまう。

 ……これで、質問の答えになっただろうか」

 

 あ、そうだった。お姉さんのインパクトで忘れてたけど、これって私がした質問『どうして強くなりたいか』に対する回答だった。

 流派を継ぐ為に、流派を終わらせない為に、強くなければならない……か。

 でも、これって質問の答えになってないよね。私の質問は『強くなりたい理由』で、師匠の回答は『強くならねばならない理由』だ。

 

 本当にしたい事とすべき事が食い違ってしまってる状態か。なんだかどこかで聞いたことがあるような話だ。

 そんな状況に中学生の頃から、下手するともっと前から晒され続けてるんだね。何とかしてあげられないかな。







 原作10巻の裏表紙によれば檜さんは20歳だそうです。誕生日は8月5日なので原作でも本作でもその年度の誕生日は迎えていたので主将の2つ上となります。
 また、同じく10巻の主将のセリフで『中学卒業の日に道場を出て行った』ともあります。主将は当時中1から中2になる頃だった模様。そんな年齢で姉との決別と次期当主としての責任を押しつけられるって……かなりハードな人生を送ってますね。
 しっかし、未成年が親の保護も受けず生活して、最終的にはアメリカで女優として成功して帰ってくるって何気に凄まじいような……

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