「あの女生徒に突然呼ばれた時はどうなるかと思ったけど、何とかなったのですね」
「ま、僕にかかればあんなもんだ」
ちひろを切り抜けた後は特になんのトラブルも無く、屋上に辿り着く事ができた。
人形を抱えた僕に話しかけるような物好きはあいつだけだったらしい。
「しかし驚いたわ。あなたのような美的センスのカケラも無いような男がフランス人形の事をよく知っているだなんて」
「たまたま知ってただけだ。ゲームで」
屋上の様子を確認してみる。
こんな時間(夕方)にこんなへんぴな場所にまで来るような奴は居ないらしく、僕達以外の人影は無い。
屋上の真ん中に設置されたベンチには豪華そうな敷物と望遠鏡、ティーセットが放置されている。
「観測セット、誰にも片付けられてないんだな。運が良いと言うべきか、管理が雑と言うべきか」
「前に私に無断で動かそうとした愚かな警備員が居たのでキツく叱っておいたのですね」
「そんなに触られたくなかったのか?」
「ええ、まあ。勝手に触られて壊されたりしたら大変なのだと言ったらしっかりと理解してくれたわ」
果たしてその『大変』はどっちの意味なのか。
月の観測ができなくなるという事か、それとも弁償が大変という意味か……
月夜自身は前者のつもりで、警備員は後者の意味に受け取った可能性もあるな。
「月を見るんだったな。1人で見れる……わけが無いか」
観測セットの状態は月夜が失踪……小さくなった時となんら変わらない。
望遠鏡の高さはいつもの月夜が座った状態に合わせられている。
当然、小さくなった体では立っても見えない。
「よし、望遠鏡の高さを調節するぞ」
「待ちなさい。勝手に触らないで欲しいのですね」
「じゃあどうするんだ? まさかその体で調節できるわけでもあるまい?」
「そんなの決まってる」
で!
「おいっ、これ、地味にキツいんだがっ?」
「こうしないと見れないのだから仕方ないのですね」
敷物がかかったベンチの後ろから精一杯腕を伸ばして月夜を支えている状態だ。
手の力は強すぎても弱すぎてもいけないし、揺らすなどもっての外。短時間なら問題ないが、数十分続けるとなるとキツい。
「って言うか、こんな事をさせるくらいならベンチに座らせろよ!」
「フン、この敷物の中に入って良いのは私とルナだけなのですね」
そうは言っても僕はちょうど今、ベンチの背もたれの上にかかった敷物に腕を乗せているんだが……いや、余計な事は言わないでおこう。
「しっかし、毎日月なんか見て何が楽しいんだ? 月の満ち欠けがあるのは分かるが、満月1回見れば済む話だろ」
「あなたは何も分かってない。月は毎分毎秒違うの。そして、その全てが美しい。
いつか私は美しいものだけを集めて、ルナと月へ行くのですね」
「ふぅむ、精神錯乱の兆候が……イタタタタッ! 爪を剥がそうとするな!!」
こいつ、何の躊躇もなく爪を剥がそうとしやがった。小さくなった体でダメージを与える数少ない方法の一つなのは分かるがもうちょい遠慮して欲しい。
「別に、理解なんて要らないのですね。あなたと美意識を共有できるとも思ってない」
「……確かにな。美意識、価値観の共有ってのは思いのほか難しいもんだからな。
仲が良いと思ってた相手でも、些細な事で食い違うもんだ」
人ってのは些細な事ですれ違い、衝突する。
相手の価値観を受け入れるっていうのは自分の価値観を変えるって事だ。難しいのは当たり前だ。
「だけど、ほんの少し理解するだけであれば、丸ごと受け入れるよりはずっと簡単だ。それでも難しいけどな。
そしてそのほんの少しの理解が自分の世界を劇的に広げる事だってある」
「……私の世界には、月とルナが居ればそれだけで満足なのですね」
「ま、そういう考え方もアリだな。むしろ応援するよ。
自分の愛する物と一緒にいつまでも居られるなら、それは幸せな事だ」
問題は、そう願っていても
理想の国の人間である事を望んでいても
それこそが、小さな世界で満足できている月夜の心のスキマなのだろう。
「ね、ねぇ、また、抱っこを……」
「今度は爪剥がそうとするなよ」
「あなたが失礼な事を言わなければそんな事はしないのですね」
「はいはい、悪かった悪かった」
心のスキマが予想通りならば、自分のセカイに閉じこもってちゃ得られないような美しさを、教えてやるしか無いか。
『恋愛』による攻略、まさにピッタリの手段じゃないか。
屋上の観測セットは片付けられたのか否か。
月夜が他人に敷物を敷かせるとは思えないのできっとずっと放置してあったんでしょうかね。
ただ、警備員とか用務員の人が片付けないのは少々不自然な気がしたので理由を入れてみました。
あの理由の他の案として『弁償が大変だと月夜自身が脅した』というのもあったのですが、脅すのはともかくあの月夜がお金の事を話すのは考えにくいと判断して没になりました。
しっかしあのセット、実際にいくらするんだろう? 月夜の事だからかなり高級品を使ってそうな気がします。
月夜を抱っこするシーンでは桂馬の手が震えていますが、果たしてそれほどキツいのでしょうか? 体がかなり縮んでいる月夜なんてかなり軽そうなものですが……
そんな事を思ったので、色々と検証してみました。
結果、持つものがどうこう以前に、腕の重さのせいで背もたれが腕に食い込んで痛くなるという。背もたれなんて利用しない方がずっと楽でした。
背もたれ無しで腕を突き出してみましたが……やっぱり腕の重さのせいで厳しいです。短時間は簡単でも長時間となると厳しそうです。
月夜(小)の体重はかなり雑な目測で、現実世界にあるP○P1.5個分くらいの重さだと推測できますが、このレベルの小さい物が相手だと腕の重さの方が遥に大きいので何を持とうと関系が無くなるようですね。
結論:月夜さん、桂馬にベンチ使わせてあげようよ。
原作では月夜が桂馬に目潰しをしかけますが、桂馬に抱っこされている状態で振り向くのも、眼鏡の上から目潰しをかけるのも至難の技なので爪剥がしに変更してみました。漫画的表現にマジメなツッコミを入れるのもどうかとは思いますが、小説ならこっちの方が表現しやすかったので。