もしエルシィが勾留ビンを使えなかったら   作:天星

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09 敗者の決意

 よし、うちが今置かれている状況を順を追って整理して行こう。

 一昨日、まろんの伝手を使って塔藤先生に連絡が付くかもしれないと分かった。

 昨日、まろんからメールでアポが取れた事が伝えられた。なんかいやに早い時間帯やったけど……まあええわ。

 そして今日の早朝、家の前にかのんちゃんが居た。

 

 大事な事なんで二度言うが、うちの前にかのんちゃんが居た。

 何か話を聞くとまろんの知り合いらしい。

 なんちゅう伝手を持っとるんやあいつ。

 そしてそのままわけ分からん内に車に押し込められ、気付いたら塔藤先生と対面しておった。

 

 ……なるほど、理解はさっさと放棄して現実を受け入れた方が良さそうやな。

 

 

 目の前にはプロ棋士が居り、随分と高そうな将棋セットが用意されとる。

 ほんなら、何にも考えずに指すだけや。

 

「さて、それじゃあ始める前にいくつか説明しておくわ。

 あなたは奨励会の推薦が欲しいとの事だけど、実際に私が推薦するかはこの対局を見てから決めるわ。

 私が見るのは勝敗ではなくその実力よ。負けたからと言って即見限るなんて事は無いからのびのびと指してちょうだい」

「分かりました」

「宜しい。では、あなたから始めてちょうだい」

「よろしくお願いします!」

 

 礼をしてから、盤上を見る。

 いつも見ているはずの将棋盤が今日は少しだけ広く感じた。

 さて、どない風に進めよか。

 とりあえずうちは、飛車先の歩を進めた。

 

 

 

 

 

 パチ、パチ。

 静かな空間に駒を動かす音だけが響く。

 ちょくちょく後ろからも聞こえてくるが……そこはご愛嬌というやつやろう。

 現在、盤面は中盤戦から終盤戦に差し掛かる所や。戦況は……劣勢と言わざるを得んな。流石はプロや。

 だけど、逆転のチャンスはまだまだあるはずや。

 

 そんな時、塔藤先生が口を開いた。

 

「なるほど。棋譜で見た通りの実力ね。

 奨励会に入ればすぐにプロになれる……かもしれないわ」

「え、ホンマですか!?」

「……少し、質問に答えなさい」

 

 塔藤先生がパチリと駒を動かしながら言葉を続ける。

 

「あなたは3枚の棋譜を送ってくれたけど、どうして全て『自分が負けた棋譜』を送ってきたのかしら?」

「……それは、簡単な話です。

 アイツと……桂木との戦いがうちの実力を一番発揮できていたからです!」

「……その実力を発揮できた戦いであなたは2日間で3回も負けてるけど、悔しくはなかったの?」

「そりゃもちろん悔しいですよ。

 負けるのは嫌だったから、それを無かった事にしたくてまた挑んで、それでも負けて。

 本当に悔しかった。自分が嫌になった。

 ……でも、今は、それ以上に嬉しいんです」

「嬉しい?」

「はい、うちが負けたって事は自分はもっと強くなれる。

 そして強くなる為には、ちょっとした負けで躓いてる暇なんてあらへん!

 うちは、うちは強うなりたいんです! 誰よりも!!」

「……よろしい。はい、王手」

 

 塔藤先生から王手がかけられる。

 王さまを逃そうと手を伸ばしたが、引っ込めた。

 盤面とそれぞれの持ち駒をよく確認して……理解した。

 

「これ必至ですね。参りました」

「あら、棋譜みたいに足掻かないのね」

「そんな事をしてる暇があったらもっと勉強しますよ」

「それもそうね。

 じゃあ結果を伝えるわ。合格よ」

「ッッ! あ、ありがとうございます!!」

 

 うちは全力を出し切ったから自信はあった。

 けど、実際にちゃんとそう言われると、何か、こう……

 

「ちょ、ちょっと、泣かないの!

 これからが大変なんだからね!」

「ぅ〝ぅ〝っ、ず、ずびばぜん!」

 

 アカン、涙もろいんは親からの遺伝なんや。堪忍してや。

 

「さて、今後の予定を合わせる為にもまずは連絡先を教えなさい。

 この後はもう予定が入っちゃってるから後日また呼ぶ事になるわ」

「……はいっ!!」

「ふ~、今日は朝から良い対局ができたわ。

 それじゃあ私は少し二度寝してくるんでまた今度ね」

「ちょっと待ってください!?」

 

 先生の二度寝を止めたのは勿論うちではない。

 さっきまで部屋の隅っこの方で詰将棋してたかのんちゃんや。

 

「……ああ、居たわねあなた」

「忘れないで下さいよ!」

「えーっと? どのくらい解けたのかしら?」

「……コレです」

「少ないわね……ホントにルールが分かる程度?

 六枚落ちに更に手加減を重ねるくらいが妥当かしらね」

「とっ、とにかくよろしくお願いします」

 

 かのんちゃん……その程度の実力で塔藤先生のお宅に来たんかい。

 間を取り持ってもらったんであんまり悪い事は言いたく無いんやが、ちょっと失礼とちゃうん?

 

 ……この時のうちは、そんな事を思っとった。

 

 

 

 

 

  ……数分後……

 

「……ま、参りました」

 

 凄く悔しそうな声で投了宣言するのはかのんちゃん……ではない。

 少々信じがたいんやが、塔藤先生や。

 

「え、あれ? 勝っちゃった?」

「あ、あなた! 何で詰将棋があの程度の実力のくせに中盤戦がそんなに上手いのよ!? ふざけんじゃないわよ!!」

「いや、あの、そう申されましても……」

 

 かのんちゃんは少し考えてから説明を始めた。

 

「えっとですね、私はまだ将棋を始めて1週間程度なんですけど……」

「あれで一週間なの!?」

「まぁ、ハイ。その1週間の前半は凄く強い人に六枚落ちにも関わらず一方的にボコボコにされるだけだったので……」

「……何度もボコボコにされてるうちに六枚落ち相手の中盤戦のテクニックは身についたけど、詰みまでには行かなかったから詰将棋は壊滅的だったと?」

「きっとそんな感じです。多分」

「くぅぅっ! もう一回よ!!」

「全力でやられたら一瞬で負けそうですね……よろしくお願いします」

 

 

 

 その後、塔藤先生はちゃんと勝ったと言っておく。

 少々大人げなかった気がせんでもないけどな。

 

 しかし、かのんちゃんの指し筋、どっかで見たことがあるような……気のせいか?






将棋の描写を細かくしようかとも思いましたが知識の無い人にとっては読み難くなる上に自分も調べながらの執筆になって非常に面倒なので断念しました。

「うちが得意なんは振り飛車よりも居飛車や」キリッ

……とか書いてみたかったですけどね。
ちなみに、作中で確認できる3局(田坂主将戦、桂馬戦、ディアナ戦)では全て王将が左に寄っているので本当に『居飛車が得意』という設定がある可能性が無きにしも非ずです。
まぁ、単に若木先生が引用した棋譜が偶然全部居飛車だったってだけだと思いますが。

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