暁美ほむらに現身を。   作:深冬

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第8話

 神無月から霜月へと変わる頃。

 さやかは独り、自室に長年我が物顔で鎮座するベッドの上で暗闇に紛れていた。

 虚空を見つめ、何かから逃げるように思考を外へ外へと追い出そうとしている。

 何も考えたくなければ眠ってしまえば良い。だが、眠ろうとするほど嫌な光景がフラッシュバックしてくる。寝つけなかった。

 魔法少女には睡眠が必要ない。彼女たちは人間を超越した存在だ。その気になれば睡眠をとることも、食事すらも必要がなかった。

 あるのは人間だったころからの習慣だけ。もしくは他人から不審に思われないための自衛心だろう。

 

『しょうがないよ。きみたちはよくやった。危機を知らせた僕の言葉を受け、すぐさま行動し、けれども間に合わなかった。最善の行動を尽くしたきみたちが気に病む必要なんてなんら存在しないよ』

 

 くりくりとした紅い眼を光らせ、声をかけてくるのはキュゥべえだ。

 どこからともなく現れ、枕元でさやかの責任を否定した。

 

「うん、そうだね。まどかたちの死は悲しいことだけれども、私はそれ自体を気に病んでいるわけじゃないよ」

 

 魔法少女とは、魔女討伐を使命に持つ者たちである。

 どんな願い事でも叶えられる権利を行使した対価に、人々が平穏に暮らせるように魔女と戦う使命を負う。

 さやかはそれを否定するつもりはない。

 多かれ少なかれ、魔女との戦闘に敗れて自分自身が死ぬことも、他の魔法少女が死ぬことも可能性として想定し、覚悟してきたつもりだ。

 恭介や仁美、それに病院いた知り合いの死だってそうだ。

 魔女という存在を知っている以上、一般人は彼女たちに一方的に搾取されるしかないモノだと承知していた。

 

「でもさ、結局のところ全部私のせいじゃん」

『どうしてそう思うんだい?』

「まどかたちを殺した魔女も、残り半月と迫ったワルプルギスの夜襲来も、全部が全部私が願ったせい」

 

 ――私は……意味が欲しい。人との出会いに意味を。くだらないと蔑んだこの世界を少しでも素敵なものにするために、人と人との出会いには意味があるって思いたい。

 

 その願いを口にした時には、まさかこんなことになるとは思わなった。

 過去を振り返って、後悔していた。

 こんなくだらない願いのせいでまどか、マミ、恭介、仁美は死ぬことになった。もしもさやかがこのように願わなければ、彼女らはまだ元気に日々を享受していたことだろう。

 

『たしかに見滝原市に多くの魔女が集まるのはさやかの魔法のせいだと言ってしまっても過言ではないかもしれないね。(えにし)の魔法、縁結びの魔法、確立操作の魔法、運命の魔法――名称はなんだっていい。今のきみにこんなことを言うのはどうかとも思うけど、きみの魔法は魔法少女にとってもっとも理想的な魔法属性じゃないか』

 

 出会いに意味を求めたさやかだけに許された魔法。

 常に魔力を少しづつ消費していくことを強いられるが、使用者の周囲に魔女を誘う効果を持った魔法。

 因果律への干渉。まさに魔法少女にとって理想的な魔法属性だ。

 魔女を探して遠出する必要がない。ただ周囲を探索すれば魔女と出会い、交戦することができる。

 魔法を解除することが叶わぬことが欠点と言えば欠点だが、それでも回収できるグリーフシードによってソウルジェムの穢れを浄化して余りある。

 

「理想的って言ってもキュウべえにとっては、でしょ?」

 

 さやかは言葉を返す。

 

「私自身は納得しちゃってるけど、私の魔法は人間にとって好ましいものではないよ」

 

 ただそこにさやかが存在するだけで魔女が誘われていくということは、周囲の人間が襲われる確率が高まるということだ。

 これは人間として生きる上で非常に由々しき問題である。

 人間は独りで生きていくことはできない。

 共同体を形成し、役割を分担し、依存し合わなければ人間は生きてはいけない。

 

 魔法少女だからと言ってそれは変わらないし、さやかの場合は出会いに意味を願ったほどに他者との関係性を求めている。

 例え人里離れた山奥で暮らしたとしても、きっと誰かがさやかの下にやって来るだろう。そのように願ったのだし、その通りになるに決まってる。

 その人間が危機に脅かされてしまっては意味がないのだ。

 

『そうだね。これは僕の失言だった。ごめんね、さやか』

「いいよ別に。キュゥべえが人間のことなんてなんとも思ってないことは知ってるし」

『なんとも思ってないわけじゃないんだけどなぁ。僕だってできる限り人間に死んでもらいたくはないんだよ?』

「ほら、積極的に人間を助けるつもりないんじゃない」

『否定はできないね。でも、僕の言葉は本心だよ』

「知ってるよ」

 

 さやかは短いとも長いとも言える二年間のキュゥべえとの付き合いの中で、キュゥべえが嘘をつかないことを知っていた。

 いつだってキュゥべえは本当のことしか言わない。

 だから信用しているし、信頼もしていた。

 

 どうでもいい会話を二三交わしてからキュゥべえの方から切り出した。

 

『それで、きみは何を気に病んでいるんだい? 僕ときみとの仲だ。そろそろ教えてくれてもいいじゃないか』

 

 たいして気にしてないくせに。

 さやかはムッとした顔をするが、別にいいかとしゃべることにした。

 

「嫌われちゃったからさ」

『ほむらにかい?』

「そう。暁美さんに嫌われた」

 

 真実を、巴マミが死ぬことになった本当の理由を話した。

 そして嫌われた。

 

 ――あなたのせいで……。あなたさえいなければ巴さんは死なずに済んだのに!

 

 たしかにさやかさえいなければ誰も死なずに済んだかもしれない。

 出会いに意味を望んださやかは、ただその場にいるだけで周囲に危険を撒き散らす。

 魔女を誘うというのはそういうことだ。

 一般人でさえ死の確率が高まるというのに、直接魔女と対峙する魔法少女はさらに死の確率をあげる。

 魔女と戦うのが魔法少女の宿命だ、と言われてしまえばそこまでだ。だが、魔法少女だって進んで死にたいと思っているわけではない。死にたがりの魔法少女がいたとしても稀なことである。

 

「どうすればいいのかな……」

 

 顔色は優れない。

 さやかは嫌われることの悲しさを知っていた。

 

 出会いがあれば別れもある。

 そのことは杏子の時に理解し納得していたが、それでも拒絶されるということだけは受け入れがたいことだった。

 

『どうするもこうするもないよ。言っちゃ悪いけど、暁美ほむらは魔法少女に対する理解が足りない。きみたち魔法少女が身を粉にして、命がけで戦っているということを認識しようとすらしない。まあそれはマミのせいでもあるんだけど』

「どういうこと?」

『マミはほむらにとっての憧れでいたかったんだよ。だから魔法少女の泥臭い姿を見せようとずに体裁ばかり取り繕った。与える情報を制限して羨望の眼差しを受けたかったんだね。そのせいでほむらは魔法少女に対して幻想を抱き、真実から目を背けるためにきみを拒絶した』

 

 マミが何もかもを説明していればまた違った結果であったかもしれないね、とキュゥべえは淡々と続けた。

 彼にとってどうでもいいことのように、あっさりと言葉を形にした。

 まるで全てはマミが悪かったかと言うように。

 

「巴先輩は悪くないよ」

 

 さやかはキュゥべえの言葉を否定する。

 

「悪いのは全部私だ」

『そうやって自らを卑下するところはさやかの悪いところだよ。そんな精神状態でワルプルギスの夜から見滝原市を守れると思っているのかい? 間違いなくきみはこの街の最高戦力なんだよ』

 

 見滝原市にある戦力が半減したというのに、やがて襲来する危機は変わらずそこにある。

 暁美ほむらに拒絶された程度で精神を揺れ動かしていては、万に一つの勝ち目すらなくなってしまう。勝てる可能性すらなくなってしまう。

 半ば死にに行くようなものだ。

 それがわかっているからこそ、余計に嫌われたことがズキリと心を刺激する。

 

「私って、ほんとバカだ」

 

 後悔してもなにも解決してはくれない。

 だけど、さやかは後悔していた。

 

 

 *****

 

 

 場所は郊外の公園。すでに日は沈み、街灯が地面を照らしている。

 さきほどまで開いていた異界への扉は既に閉じ、なにもかもが終わった後だった。

 おそらくとしか表現しようがないが巴マミは死に、自らを悔いた美樹さやかは己の魔法について説明してこの場を去った。

 

「いっちまったな」

 

 見えなくなった背中を思い、杏子は言葉を零した。

 あれほど苦しそうなさやかを見るのは初めてだった。例えふたりの間に一年間の空白期間があったとしても、アレ以上に酷い表情をさやかがするなんて杏子には想像できない。

 視線を遠くに飛ばす杏子に、この場に残ったもう一人が声をかける。

 

「あなたもどっか行ってくださいよ。早く私の視界から消えてください」

 

 暁美ほむらはぺたんと地面にへたり込んで俯いている。

 表情を窺い知ることはできないので、彼女がどれほど絶望に陥っているかはわからない。

 杏子はほむらの身を案じていた。

 

「つれないこと言うなよ。あたしはアンタのことを心配してここに残ってやってんだぜ」

「必要ありません。独りにしてください」

 

 優しい言葉をかける杏子をほむらは拒絶する。

 全てが信じられないといった様子だ。目に映るモノが全て嘘を言っている。あの美樹さやかのように嘘を言って、みんなを騙している。

 だからこの人も私を騙そうとしているに違いない、とほむらは考えていた。

 

「それは聞けねぇ相談だ。……アンタのことをマミさんに頼まれたからな。だから一人にしておくわけにはいかない」

「……」

 

 マミの名を聞いてほむらは黙り込む。

 ほむらにとってマミとは、恩人で憧れで尊敬していた人物だ。

 だからマミの死を招いたさやかのことは到底許せるはずもなく、罵声を浴びせかけ拒絶した。

 

 ほむらは杏子に話しかけようとするが、まだ名前を聞いていないことに気づく。

 

「あの……、えっと」

「佐倉杏子だ。好きに呼んでもらって構わねぇよ」

 

 口元をもごもごさせていると、すかさず杏子は自らの名前を口にした。

 ほむらはその名をしっかりと憶え、杏子の顔を見て言葉を発した。

 

「佐倉さんは知っていたんですか?」

「なにを?」

「美樹さんの魔法を」

 

 因果に干渉し、運命を呼び寄せる魔法。

 ほむらにとっては、忌むべき魔法。

 憎たらしくて仕方がなかった。あんな魔法あっていいはずがない。

 同意を求めるように杏子の返答を待つ。

 

「いーや、まったく。さっき初めて知った」

 

 問いかけの答えにほむらは内心満足する。

 仲間を見つけた、と。佐倉さんも騙されてたんだ、と。

 

「そーだよな。一つの街にこれだけ魔女がいたのは異常だもんな。こんぐらいバカげた理由があってしかるべきか」

「そうなんですか?」

「ああ。そもそも一つの街に魔法少女が何人もいるなんてこと自体ありえねぇんだ。ソウルジェムを浄化できるグリーフシードは有限だ。普通は一人、多くて二人。普通なら複数の魔法少女が同じ街にいれば縄張り争いになっちまう」

 

 魔法少女は地域密着型の正義の味方である。

 一定数のグリーフシードを確保するために、縄張りを主張し、人外の力を持って他の魔法少女を排除する。

 でなければ自らのソウルジェムを綺麗なまま保っていられない。ソウルジェムの輝きは魔法の使用回数に直結する、魔法少女にとって最も重要なことの一つである。

 だというのに見滝原市の魔法少女三人は、それぞれがソウルジェムを一点の曇りもない状態を維持できていた。これほどまでのグリーフシードを集められることは異常である。

 他の街に遠征にいくことは、縄張りの兼ね合いでほぼありないと言っても過言ではない。

 そうでなければ足りない分のグリーフシードは、各々の魔法少女がストックしていたグリーフシードを消費する他ない。そんな自らの蓄えを減らすなんて馬鹿げたことをする魔法少女なんているはずがない。

 

「美樹さんに怒りが湧いてきませんか?」

「なんでだ?」

 

 今のほむらにはふつふつと湧きあがる感情を抑えることができなかった。

 杏子が語ったことなど頭に入るわけもなく、ただ感情に任せて言葉を吐き出す。

 

「だって、美樹さんのせいでこの街の無関係の人たちが何人も死んでるってことですよ!?」

 

 何人どころの話ではない。何十人、もしかしたら何百人とさやかの魔法のせいで見滝原市の住人は死んだのかもしれない。

 それほどまでにさやかの魔法は厄介で、どうしようもないほど常人には理解しがたい魔法だった。

 例え、そんな魔法を本人は望んでいなかったと説明しても、ほむらは聞き入れないだろう。

 現に犠牲者が出ているのだ。彼女の眼前で、憧れていた先輩が殺された。

 (おこ)らないはずがない。(いか)らないはずがない。

 込み上げる激情を子供のように杏子にぶつけた。

 

「そうだな、たしかにさやかのせいで死んだ人もいるかもしれない。……でもまあ、それはあたしには関係ないことだ。見滝原市の住人がどうなろうが知ったこっちゃない」

 

 杏子の返答にほむらは一瞬茫然とする。

 熱が冷めたように、一気に冷ややかな表情になった。

 

「薄情なんですね」

 

 見下すような物言いだった。

 自分には関係ないという自分勝手な言葉に、ほむらは魔法少女に対する深い失望を覚える。

 

 人々の平和を守るのが魔法少女ではなかったのか。

 マミがそうであったように、身を粉にして平和のために戦うのが魔法少女ではなかったのか。

 

「魔法少女ってのはこんなもんだよ。マミさんのみたいな魔法少女は滅多にいるもんじゃない。魔法少女だって人間なんだ。自分さえよければそれでいいのさ」

 

 それにもしかしたらマミさんでさえ――と、杏子は続けようと思ったがやめておいた。

 今のほむらを刺激するべきではない。

 自暴自棄になって自殺でもされたら敵わない。託された命をむざむざ散らさせるわけにはいかない。

 ほむらを見ていれば理解できる。マミに甘やかされてきたに違いない。

 マミはお節介を焼くきらいがある。杏子の時でさえ、手取り足取りと言った具合にべったりだった。

 魔法少女ですらないほむらに、過剰にお節介を焼いていたとしても不思議なことではない。

 

 しばしほむらをじっと見て、杏子はため息をついた。

 

「そんなにさやかが憎いか?」

「はい」

 

 間をおかず返答がくる。

 

「……そうか。それならもう少しの辛抱だ」

 

 杏子はこれから起こるだろう事実を言った。

 

「さやかは――美樹さやかはもうすぐ死ぬよ」

 

 そして佐倉杏子自身も十中八九死ぬ。殺される。

 超弩級大型魔女と対峙することはそういうことである。

 

 

 *****

 

 

 二週間とは案外早いもので、あっという間だ。

 気温も徐々に下がってきて、最低気温が10℃を下回るようになった。

 

 この二週間、美樹さやかはこれまで通り黙々と魔女狩りを行っていた。

 同じ街に滞在している魔法少女である佐倉杏子と共闘するでもなく、これまで通りひたすらに魔女だけではなく、グリーフシードを落とさない使い魔すらも積極的に狩り続けた。

 ワルプルギスの夜と対峙するには愚策と言うべき他ないだろう。

 グリーフシードの数は、そのまま魔法の使用回数に置き換えられるので、この時ばかりは己の心情を無視してでも魔女だけを狩るべきだ。

 しかし願ったことを後悔しているさやかにはできないことだった。

 

 佐倉杏子は暁美ほむらの傍に居続けた。

 ほむらが無茶なことをやらかさないようにと、せめてワルプルギスの夜が襲来するその時まで監視の意味合いを持ちながらも、ほむらを元気づけようとした。

 ほむらはそんな杏子を煙たがっていたが、人間の身で逃げたところで魔法少女の身体能力を駆使して追いかけられたら敵わない。やがて諦め、杏子の存在を受け入れた。

 

 そして、舞台の幕が上がる。


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