提督はただ一度唱和する   作:sosou

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27.自由への道連れ

 摩耶は高揚してた。歓喜の中にあった。産毛の一本に至るまで逆立たせ、目の前の光景を歓迎していた。ともすれば叫びだしたいのを堪え、その時を待っていた。

 朝日が昇っていた。前日までの雪が、空から余計なものを取り払っていたからだろう。途轍もなく美しく、文字通り目を焼くような目映さだった。

 しかし、それを曇らせ、穢す存在があった。まるで、虫の大群のようだった。染み出すように増えていき、やがて雲霞の如くになった。摩耶は耐えきれない様子で武者震いし、満面の笑みを浮かべた。

 艦娘で作られた重層的防空網の最先端。その要が彼女だった。これが初陣といってよかった。艦娘として喚ばれながら、一切戦闘に関わらずに生きてきた彼女の、その鬱憤を叩きつける相手が、空を埋め尽くしていた。悦ばないはずがなかった。

 平野部に散らばるように、様々な艦娘が空を睨んでいた。その周囲には陸軍の小隊が膝立ちで機関銃を構えていた。深海棲艦相手では、航空機だとて比喩でなく豆鉄砲だ。しかし、大戦では小銃による航空機撃墜の実績があった。現代でも、バードストライクは時に致命的な損害をもたらしている。気休めとしても、充分有効であるはずだった。

 既に先発隊が迎撃を始めたのだろう。遠く轟く砲声の中に、白露のベースが混じり合っている。組んだ両手を開き、肩口に伸ばした髪を払えば、対空用の艤装が展開した。航空機が射程に入り、命令が下された。もはや、彼女を縛るものは何もなかった。

「ぶっ殺してやんよ!!」

 続く砲火に、重力そのものが増したかに思えた。旭川に合流したほぼ全ての艦娘が、同時にその主砲を発射したのだ。生まれた圧力は留辺蘂一帯を制圧した。すぐにそれは蹂躙へと変わった。音が目に見えた。荒れ狂い、ぶつかり合い、そして無数の砲弾を吐き出した。もはや何も聞こえないのと同じぐらいに、音で殴られていた。白露のベースだけ、意識の片隅で判別できた。地上は地獄だった。

 陸軍の兵たちは地面に這いつくばっていた。この場から僅かでも離れようと手足を蠢かせるか、泡を吹いていた。摩耶の後頭部に銃弾が撃ち込まれた。

「な、何だぁ?!」

 それは何の痛痒も与えなかったが、水を差すことは出来た。ついで艤装の通信が、彼女の鼓膜と脳味噌をまとめて貫いた。

「何をやっとるか、莫迦者!! 周りを見んか!!」

 砲撃を続けながら、彼女はきょとんと言われた通りに見回した。とんでもない惨状がそこにあった。死者はいないが、暫くは復帰できないだろう。暴虐が収まったと見て、救出と交代が始まっていた。摩耶を怯えた目で見る兵士たち。摩耶はこつんと米神を叩き、やっちまったぜという顔で舌を出し、振り返った。その鼻面にまた銃弾が叩き込まれた。

「本当に、これだから艦娘という奴は」

 剣虎兵大隊長である伊藤悠少佐は、本来大隊と共に陣地後方の適当な位置に潜伏してしかるべきだった。しかし、防空指揮を執れる人材が旭川にいなかった。彼ほどの歴戦が少佐で、しかも前線にいることは珍しい。だからこそ、守原の牙城である北海道で燻っていたともいえる。

 そんな彼が心から戦争を楽しんでいるともなれば、誰も邪魔は出来なかった。両手を無意味に彷徨わせて、遠巻きにするだけだ。

「ダメです! 周りの兵隊さんに当たっちゃいます!」

 その例外が彼の怒りの対象である艦娘だというのは酷い皮肉だった。食い殺しそうな顔で睨まれた雪風は、精一杯胸を張り、腰に手を当てた姿勢で迎え撃った。大隊長は盛大に鼻を鳴らし、初っ端から穴の空いた近接防空圏を再構築しにかかった。汗を拭う仕草をする雪風に、皆が畏怖の視線を送った。

 摩耶に引き摺られてか、盛大に爆風を撒き散らしていた艦娘たちも落ち着いたようだった。砲声は凄まじいが、耐えられない程ではない。空中に咲く花火は派手ではない代わりに、空を覆った。撃墜された破片や機体が、煙を吹いて柳のような軌跡を生んだ。それでも多くの深海棲艦航空機が、防空陣地へ接近した。

「狙うな!! どうせ当たらん!! 真っ直ぐに撃ち続けろ!!」

 艦娘の頭上に向けて、斜めに構えた兵士たちが一心に引き金を引く。相手は時速三〇〇㎞で飛んでいる。人間というよりも、生物が正確に認識できる速度ではない。見越し射撃など、試みるだけ無駄だった。

 街を粉微塵に粉砕するような、何万発という銃弾や砲弾をばらまいて、一〇〇機飛ぶ航空機の何割を墜とせるだろう。ガチャという文明は戦争よりも圧倒的に善良であると確信する。戦争など、世にあってはならない。

 では、何故撃つのか。ただただ、嫌がらせのためである。戦争映画のような勇猛果敢で、忠実な兵など滅多に存在しない。命の危険が存在しない通常の仕事ですら、人は楽をしようとする。よって、命の危険がある以上、真面目に対空砲火の中に突っ込んだりはしない。

 もちろん、そうさせないために編隊を組んでいる。敵前逃亡は銃殺と定められてもいる。だが、ほんの少しでいいのだ。何かが少しずれただけで、攻撃は無力化する。戦争の究極は戦わないことであり、次善は戦わせないことなのだ。

 留辺蘂は非常に狭く、左右を山に囲まれている。時速三〇〇という速度は、乗っている存在にとっても持て余す速度だ。山を越えて下を見て、それでもう、谷を越えている。しかも、その底では艦娘が空を焼き尽くす勢いで砲火を上げていた。極寒の地において、それは途轍もない熱量を生み出した。急激に温められた空気は、山の稜線を辿って上空に吹き上がった。鳥だけが感じ取るような僅かな風だ。しかし、それで充分だった。小さな深海棲艦航空機の、繊細な爆撃を阻害した。

 よって、開けた谷の入口だけが攻撃進路となる。陸軍兵士たちは怠けることも恐れることもなく、ただ定められた通りに引き金を絞っていればよかった。それだけでも、彼らは有利だった。

 だが、空は広く、深い。空間を埋め尽くすように見える濃密な砲火も、航空機から身を守るためには希薄極まりなかった。通り過ぎる航空機から、いくつか爆弾が落ちた。最初は疎らに、遠い場所だった。空だけを睨む兵士たちにも、音と振動が近づいてくるのが分かった。銃口が恐怖でぶれた。あまりにも小さすぎ、遠すぎる的を狙おうとした。何とか死を遠ざけようという足掻きだった。

「姿勢正せ!! 角度下げるな!!」

 しかし、指揮官はそれを許さない。いくら足掻いても無駄なのだ。ガチャならばいつかは結果が出るだろう。しかし、空を遮る全ての航空機を撃ち堕とさない限り、安全は訪れない。それは国の総力を捧げて、絞り尽くしてもやってこなかった。国土が核で焼かれるまで、不可能だったのだ。それが現実であった。

 兵士たちは近付いてくる現実から目を逸らすために、空を見上げるしかなかった。僅かでも抗うために、引き金を引き続けるしかなかった。闘争と逃走という、かかる負荷に対して当然の反応をした。勤勉で忠実であることを強いられていた。その対価は深海棲艦により与えられた。

 彼らの奮戦により、艦娘は爆撃から逃れられた。僅かに逸れた爆弾は、周囲を囲む陸軍兵士へ落下した。生物に作用する限り、大きさや組成を無視して大戦時と同程度の威力を発揮するという、深海棲艦の不思議は現れない。爆風もそれほどの脅威ではない。

 しかし、だから何だという話だ。遥か上空から飛来する硬球大の落下物が、致命的でないはずがない。むしろ、即死も治療も非常に難しい状況に陥るということだった。戦争のための戦術でも兵器でもない。新鮮な食糧を逃がすことなく、大量に得るための生存戦略だった。

 艦娘は戦争を楽しみ、上官はそれを制御した。深海悽艦は合理的であった。付き合う兵は、望まぬまま誠実で忠実な兵士として強制された。そして、死ねないでいた。

 修復材などという便利なものの恩恵を得られない彼らに、助かる見込みは少ない。激しくなる空爆に、そもそも救出も交代もままならないでいた。

 戦争に巻き込まれた兵というのは、かくも不幸であった。だが、日常と同じように、それらが顧みられることはなかった。重要なのは、艦娘を守る薄い盾が一枚、機能不全に陥ったことだった。

 防空戦闘は用いる兵器の射程によって、明確に役割分担されている。重層的に作り出す弾幕だけが、確率を左右するからだ。近接防御は、駆逐艦が担うべきものであった。

 彼女らは苛烈な砲火をくぐり抜け、縦横無尽に飛び回りながら、腹に抱えた爆弾を落とす機会を探る深海棲艦航空機を妨害するために、最も忙しく働いていた。手持ち式の砲を振り回し、時に空爆を回避しつつ、最後の砦として奮戦していた。

 小さな体をいっぱいに使わなければ、果たせない任務だ。余裕などあるはずがなかった。一部の例外を除けば。

「ああ、もう! 見てらんないったら!」

 霞は戦中、最も苛烈な航空戦を経験した艦の一隻だ。艦娘としても、少なくない実戦をくぐり抜けている。何より、彼女は誰かの世話をすることに慣れきっていた。それが義務だとすら思い定めていた。

「島風ぇっ!!」

 水を得たペンギンのように陣地内を走り回る、卑猥な格好の少女を呼んだ。この地獄を誰よりも堪能している艦娘の一人だった。追従する連装砲ちゃんが頭を振り乱して、やたらめったら砲弾を吐き出していた。貶められてきた存在価値を、彼女らはやっと証明出来る機会を得たのだ。有り体に言って暴走していた。

「足元ぉ! あんたなら出来るでしょ?! 自慢の速さを見せつけなさいっ!!」

 島風は止まらなかった。だが、華麗に飛び越えていた障害物が、負傷している陸軍兵士だと気がついて、頭が一気に冷えた。先ほどまでの天にも昇るような幸せな状態から、実際に目にした戦場の落差に混乱が広がる。表情の置きどころすら、不確かだった。ずっと響いていたベースが止んだ。

「いっちばーん!!」

 手近な一人の襟首を捕まえて、白露がでっち上げの掩体壕に走った。僅かに振り向いた白露が、島風を見た。その表情はこの上なく、勝ち誇っていた。再び、島風に火が点った。艤装の出力を上げ、小さな手で兵士の手を握った。助けを求めてそれを伸ばしていた彼が、痛みを忘れて島風を見上げた。

「負けない」

 戦場は相変わらず地獄だったが、それだけだった。到着は同時で、出迎えは大隊長の拳骨であった。

「丁重に扱え!!」

 狭い掩体壕の中で、少女二人がうずくまった。その間に大隊長が指示を出す。

「療兵。二人一組で重篤な負傷者を回収しろ。雪風と白露は二手に分かれて、その援護だ。今は通信はいい。島風は比較的軽傷な者の救出だ。身動きが出来て、手足を押さえている者だ。腹や頭の場合は放置。療兵に任せろ。動かしてはならん」

「雪風、頑張ります!」

「はぁーい!」

「わかりました」

 三者三様の返事に、大隊長の口元が引き攣った。しかし、何も言わず命令を続ける。

「古鷹、翔鶴に使える艦を二名以上選出させろ。収容は最寄りの掩体。救出に赴く前に、確認を怠るな。療兵の指示に従え。この手順を周知しろ。以上、わかれ」

 返事を許さず、大隊長はそれぞれを追い払った。事ここに至って、彼が出来ることは多くなかった。準備はしたが、足りなかったという事実が浮き彫りにされただけだ。まったくの想定内であった。彼は掩体壕の中に腰を落ち着け、待った。それはすぐに訪れた。

 轟く砲声の種類が変わった。腹を突き、尻まで抜ける重い号砲だった。深海棲艦の地上侵攻が始まった。戦艦が彼女らを射程に捉えたのだった。

 状況はとっくに破綻していた。彼の仕事はそれを取り繕うことだった。空爆による損害は、既に地上戦を不可能にしていた。それでよかった。他にどうしようもないからだ。旭川に所属する連隊全てを隠すことは出来なかった。この寒さの中で、蛸壺が掘れただけでも奇跡だった。

 何より、膨大な補給物資の中に、通常兵器である機関銃を、コンテナ一つ分詰め込んだ、ひどく気の利いた奴がいたことだ。大した効果はない。しかし、劇的であった。

 守原の幕下に、兵をここまで知る人間がいるとは知らなかった。それどころか、わざわざ他を減らして紛れ込ませている。間違いなく、今起こっていることと、これから起こることを知っていた。

 ここには伊藤がいた。だから、その配慮を生かせた。だが、彼が知らなかったように、そいつも伊藤を知らないはずである。むしろ、知っているのなら期待などしない。

 これを誰が、誰に託した荷物であるのか。想像は楽しかった。兵が傷つき、倒れ、死んでいく。これを分かち合える誰かがいるというのは、実に心強かった。つまり、伊藤は共犯者を見つけて浮かれていた。

 まったくの逃避であった。伊藤の周囲には、負傷者が積み上がるようにひしめいていた。伊藤はそれを一瞥すらせず、前を睨んで笑みを浮かべていた。笑い声さえ漏らしていた。

 その背中を、兵たちが縋るように見つめていた。雪風は療兵に相談するべきか、悩んでいた。

 夜明けより二時間の後、旭川は防空戦闘に参加し得る人員を枯渇させた。しかし、軍としての機能を失っていなかった。深海棲艦の攻勢が止む気配はなかった。

 

 


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