死体の視界   作:叶芽

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 ……………………………………………嫌だ……………やっぱりイヤ………イヤ、イヤ………来るな………来ないで………クルナ………クルナ来るな来るな………………コナイデ………キエテ………帰って………ハイッテコナイデ………………早く………ハヤク………怖いよ……怖いのよ………やっぱり怖いの…………あなたは怖い………お願い……ワタシの視界に入らないで…………誰も………ダレも居れたくないの………入って来ないで……。

 …………………………………。

 どうすればいいの?何も出来ない…………。動かないのに………。動けないのに…………。教えて………。誰か教えて………イヤッ!……入って来ないで!……話しかけてこないで!………ヤメテッ!………声を……なんてヤメテッ………言葉…………もういや………だからヤメテって言っているでしょ?………何でやめないのよ………もう入って来ないで………誰か………。

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 眼…………眼だけ………眼だけ動く………視える……私の足だ…………後はただ白……白………白………少しだけ水溜り……水……水滴…………あっ………真っ暗……………黒………黒…………黒…………音も………無くなった………。……………………。…………………………。あ………ア…………ああッ………。冷たい………寒い……………。でも……震えることも出来ない………震えたい…………。動かない………。何?…………だから………だからもうしゃべるのはやめてッ!…………。

 

 

 彼女達と出掛けたあの日からもう一月以上経つ。このスーツも着慣れてきたし、この眼鏡にも大分慣れた。私はいつも通り朝の支度を済ませ、『記録書』と名付けたノートに目を通し、いつも通り仕事場に向かった。体力も付いてきたのか、通勤で息を切らすことも無くなっていた。最初に来たときは倒れたんだっけ。懐かしい。それにしても、周りが随分と静かになったような気がする。慣れたから、かな。

 記録書の性質で一つだけわかった。朝何か書かれていたら、それは未来の記録で、夜何か書かれていたら、過去の記録。ただ、未来の記録が書かれていたら、過去の記録は書かれない。過去の記録が書かれていたら、未来の記録は書かれない。それだけ。大したことじゃないけど、でも大したこともありそうだし、私はどうやら忘れっぽいらしいので、この記録書は持ち歩くことにしている。そうしようと思ったのはつい最近。

 それとここ一か月、彼女達には会っていない。病院でも会っていない。彼女達がどうなったのか。さすがに今はもう分かっている。あの時、彼女たちは言っていたっけ。何のために生きるのか、って。そんなことを考えたことは無かった。私はただ状況に合わせていただけだったし。彼女たちは今どう思っているだろう。そういうことについて。客観的に見れば、今彼女たちはクライアントのために生きている。それ以上の存在理由なんて無い。

 

 

 教室には彼女達が居た。四人はそれぞれの部屋にバラバラにされていた。バラバラには二つの意味があって、一つは一人一人が別々の部屋に入れられているって意味で、もう一つは一人一人の心や体が、外からわかる程バラバラになっているという意味だ。片腕や片足、目を失っている子もいた。なにか訳の分からない言葉を呟いている子も居た。共通しているのは、彼女達は皆、かつて買った楽器の一部を大事そうに抱えていたことだった。

 いつも通り教科書を読みながら私は思った。彼女達とはなんだったのか。その存在は。自分自身に対して考えもしなかったことを、私は他人に対して考えた。つまりこういうことだ。何のために、なんてものは本当は無い。世の中を突き詰めていけば、理由なんて概念は無いんだ。この世が誕生した理由が本当は無いのと同じで、全ては思い込みだ。全部、可能な限り思い込んでるだけ。私は彼女達を見て、そうなんだって思った。でもそんなことも、どうだっていいんだけど。でも、彼女達が私にしてくれたことは、忘れたくない。

 つまり、私がこんなことをしているのも理由なんて本当は無いし、どうだっていいことなんだってことで、私は少し安心した。考えなくていい。この部屋の生徒の何名かがどんな結末になろうと、私が最終的にどうなろうと、そんなことはどうだっていい。動物である必要なんてないし、機械である必要なんてない。人間は極めて特殊で、どうなったっていいように出来ている。自由って、最も狂った概念なんだろうな。私は彼女達を見たからそう思った。

 

 

 じゃあ、私の家の中で倒れている三人、浴槽に居る一人は、何なんだろう。臭いけど、肉体は腐敗していない。親近感はある。私とは違うのか、同じなのか、でも間違いなく近い気がする。あの三人には、触っても、声をかけても反応がない。これらが居る理由も、本当は無いんだろうけど、これらはにはどういった記録が有るのかは知りたい。知りたい理由なんて無いし、知ってどうしようなんて考えてもない。生活に慣れて暇になったから、は理由になるかな。

 もう一つ知りたい記録が有る。この町の記録。あの病院と繋がりがあるのかな。あの夜、結局何が起こったのかは全く分からなかったし、どうすれば、何かがわかるんだろう。ああ、彼女達は知ってたんだっけ。彼女達が死ぬ前に訊けばよかった。でも、彼女達が死ななければ、こう考えることも無かったんだっけ。何か面倒な気がしてきた。保健の先生はどうだろう。今度訊いてみようか。

 私は寝る前にシャワーを浴びることにした。相変わらず、浴槽の子は人形のように動かない。でもこの子だけには、触りたくもないし、話しかけたくもない。なんでだろう、とも考えたくもない。

 部屋に戻った私は、記録書を確認した。『あの娘達は死んだ』。もう今日は寝た。

 

 

 


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