死体の視界   作:叶芽

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 その人の名前は知らないし、その人がどんな顔をしていたのかも覚えていないけど、その人は亡くなる前にこんなことを言っていた。観たいものは観た。食べたいものは食べた。着たい服は着た。住みたいとこに住めた。だからもういい。これ以上前に進みたくない。下り坂しかないのは分かっている。だからもういい。殺してほしい。出来るだけ楽に。確か…そんな感じだったかな。違っていたらごめんなさい。

 私には何でそんなことを言うのか全く分からなかったけど、出来るだけ言われた通りにした。でもうまく出来なかった。睡眠薬を飲ませて、手足を縛って、仰向けに寝かせたその人の胸に包丁を刺したんだけど、刺した包丁をぐりぐり動かして遊んでたのがいけなかったのか、睡眠薬の量を間違えたのか、それとも本当は睡眠薬じゃなかったのか、その人は目を覚ましてしまった。うるさくなった。うるさかったから喉を刺した。

 なかなかその人の動きは止まらなかった。人間はこんなにも動ける生き物だったのだろうか。私はその人の首も手も足も切った方が良いと思った。でも、道具は無かったし、一人で出来るものでもなかった。結局、食べるしかなかった。音の発生源は顔だったから、そこから食べることにした。食べる際、私の視界にその人の目が入り込んだ。しっかり開かれ、目玉は飛び出しそうな勢いだった。あまりにも不快だったから潰した。

 

 

 朝起きたら、妙に自分の息が荒かった。汗も少しかいてて、足やら手やら首やらが痛かった。最近運動したせいかもしれない。寝る前にストレッチはした方がいいかもしれないな。ホットミルクもいいかな。原理はわからないけど、そうするといい夢が見られそうだし、良い朝をむかえられるんじゃないかな。さすがに、最近の朝はいい気分がしない。あ…でも買ってこなきゃ。牛乳。今日のついでに買ってこよう。

 日曜。今日はあの四人と買い物に行くことになっている。いくら持っていこう。財布の中は30万程入っているけど、多くないかな?でも服を買うとなると結構かかりそうだし、出費は他にもあるかも。ご飯とか。ということでそのままにしておいた。そういえば私は先生をやっていることになるが、月にどれくらいの給料を貰っているのかな。給料は手取り?振り込み?そもそも銀行に金が入っているのか、入っているとして何処の銀行に預金しているのか。頭が少し痛くなってきたから考えるのはやめた。今度あの保健の先生に訊けばきっとわかるだろうし。

 時計を見ると9時半。集合は10時。結構ギリギリな時間だったから、洗面所で顔を洗って急いで制服を着た。ご飯は…向こうに行ってからでいいや。でもそれでもノートは確認した。どうせ何もないだろうと思っていたけど、なんか書いてあった。こんなのは初めてだ。2ページをまたいで大きな文字で『警告』と。字体も荒々しく、書きなぐったような感だった。次のページに行くと、今度は『教会に行け』と書かれていた。それは今なのだろうか。今行かなくてはいけないのだろうか。だけど教会がどこにあるかもわからない。私はその命令に刃向ことにした。

 

 

 集合時間の五分前に着いたけど、四人は既に居た。彼女たちは私を先生と呼び、丁寧に挨拶をしてくれた。当たり前のことかもしれないけど、なんかこういうのいいなって思えた。

 

「買い物に行く前にちょっといいかな?寝坊しちゃって朝何も食べて無くって…そこのコンビニでなんか買ってきていい?」

 

 笑われた。先生なのに寝坊はいけませんよって。笑われてるのに不思議と悪い気がしなかった。自然と私も笑顔になれた。コンビニではブラックのコーヒーを一本買って、急いで飲んだ。むせた。また笑われた。いいな、こういうの。

 まず最初に服を見に行った。そういうのに関してはまったくの無知だったし、全部彼女達に任せた。

 

「先生なんだからスーツっぽいものとかいいんじゃない?」

「先生視力いくつ?眼鏡とかも合うかも」

「外用の服も買わなきゃ」

 

 やっぱり金は持ってきてよかった。色々と金が飛びそうだった。ちなみに視力は眼鏡をかける程じゃないけど、伊達でもいいからかけた方がいいってことで、結局買った。買った服も沢山で、財布の半分は飛んだ。

 

「買い過ぎじゃない?」

「そんなもんですよ先生。服がそれだけしかないなら尚更です。女なんですから」

 

 その後、楽器屋に行った。ギターやらベースやら彼女達も色々買った。私も何か買うか、と訊かれたけど、手がいっぱいいっぱいだったから遠慮させてもらった。その後カラオケにも行った。ゲーセンにも行った。しかし初めてかもしれない。嬉しそうな人の顔を見るのは。

 

 

 五時になって、彼女達と別れた。私はまだ家には帰らなかった。もうすぐ日が沈む。その後のこの町に何が起きるのかを見てみたかった。しかし、荷物が重くて両肩が痛い。荷物を家に置いてからまた来ればよかったかな。そもそも今日でなくても良かった。今日はもうへとへとなのに。私は公園のベンチに腰を下ろした。

 日が沈むまでまだ少し時間があったから、私は公園のトイレで買ったスーツに着替えてみた。ヒールも履いて、眼鏡もかけてみた。鏡を見てみるとなかなかそれらしかった。悪くない。しかし歩きづらかった。

 着替え終えた私が公園のベンチに戻るころに、丁度日が完全に沈んだ。車の音やらなにやらで騒がしかった町は、急に静かになった。誰かが言っていた気がする。静かになるってことは、そこに神が降りてくるってことだって。たとえそうでなくても、今から何か起きる…そう思わざるを得ない感じ。

 最初に来たのは臭いだった。臭い。あの部屋の中以上の、あの時外に出た時以上の臭さ。何の臭いか全く見当がつかない。ツンとくる。そして次に来たのは冷たさ。そしてさらに来たのは…私が浴室であの女と目が合った時の感覚……あれだ。やっぱりここには居てはいけないのかも。彼女達やあのノートの言う通りなのかも。

 しかし、私の周りに何かが現れるわけでもない。私の身に何か起きるわけでもない。私は何かが起きるのを待った。

 30分程して、今度は鐘の音が聴こえた。何の鐘だろう。私はふとあのノートの警告文を思い出した。『教会に行け』。あの鐘は教会の鐘なのだろうか。私はその音の方に向かった。鐘は鳴り続けている。

 不思議なことが起こった。歩けば歩くほど、視界が暗くなっていく。何も視えなくなっていく。何かを持っている感覚や、歩いている感覚もだんだん薄れていく。大体わかってきた。私は鐘の音の方に意識を向け、ひたすら進んだ。

 視界が回復した時、私は私の部屋にいた。荷物の半分は落としてしまっていたらしい。その中には私の制服もあった。彼女達には悪いことをしてしまった。牛乳買うの忘れたし。今度また買いに行こう。ノートには何も書かれていなかったし、もう今日は寝た。

 


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