死体の視界   作:叶芽

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 朝、昨日より一時間早く目が覚めた。遅刻するということはないだろう。部屋は暑くもなく寒くも無い感じだった。それは良かったんだが、窓に目を向けると雨だった。音は耳を澄ませば聴こえる程度で不快ではなかった。ただ小雨であっても、気分的に今日は降ってほしくなかった。身を起こした後、本棚のノートを取った。今日の分はまだ更新されていなかった。取る前に分かっていたことなのだけど、この行為はまるで習慣のようで、自然だった。

 今日はシャワーを浴びてから、病院へ行こうと思った。今日は新しい何かの始まりのようで、とにかく身を清めてから行きたかった。相変わらず浴槽には誰か居る。私はそちらには目を向けないように体を洗った。けど、帰り際に私は足を滑らせてしまい(滑ったのではないかもしれない)しりもちをついて、で…そいつと目が合った。

 そいつは私を視ている。眼球はじっと動かない。それでも視ている。私を視ている。雨の音が少し強くなってきた。雷が落ちそうな気配もした。そいつは私を視ている。私もそいつの目を視ている。体の方もピクリとも動いていない。それでも視ている。人間なのだろうか。それとも人形。人形でも私を視ている。雷が落ちた。

 

「いってらっしゃい」

 

 

 駅まで傘をさして歩いた。駅に着く頃には雨は止んでいて、ホームでは虹が視えた。その虹で少しは気分が晴れたが、電車の中のじめじめした空気で、その気分は元の位置に戻ることになった。ただ、今日はあの四人とは比較的近い位置にいたおかげで、見失わないよう苦労することも無かった。逆に、あの三人の男子とは遠い位置に居ることになり、彼らが仮に何か私のことについて話していても、きっともう二度とその不快な音も聴こえないだろうし、きっともう二度と視界にも入らないだろう。

 四人の会話を聞いていると、たぶん音楽の話だろうか。CD、ライブといった単語が出ていた。内容の殆どはさっぱりだったが、週末、好きなミュージシャンのライブに行く予定が四人にはあるらしいことは分かった。音楽…か。彼女たちはどういった音楽を聴くのだろう。で、私は何が好きなのだろうか。考えていたら、声をかけられた。

 

「あ、先生!」

 

「今日からですよね。よろしくお願いします」

 

 よくわからなかったが、一応「こちらこそよろしく」と返した。

 

 

 保健の先生が言うに、私は既にここを卒業しており、今日からは中学校の教師であるらしい。私はそんなことは知らなかったが、タイミングは丁度良かったことになる。担当は国語。既に鞄の中に入っていた教科書は指導用のものだった。ということは制服でここに来たのは間違いだったのだろうか。そのことを訊いたら、別にそんなことは無く、服装は自由だそうだ。思い出なのかなんなのかは人それぞれだが、私と同じようにかつての制服を着て授業をする教師もいるらしい。私は保健の先生に案内され、教室に向かった。

 教室と呼ばれるそこは古典的な刑務所のようだった。直線の廊下が真ん中に一本あり、両サイドに鉄格子で囲われた牢屋が並んでいた。長さの感覚はよくわからないし、算数も苦手なものだから、直線がどれ程の長さなのかはわからなかった。一つの部屋には四人入っており、性別の指定は無い。男子三人女子一人の部屋もあれば、男子一人女子三人の部屋もあった。机と椅子は一人一セット用意されていた。時計や窓は無く時間の感覚は無い。教室はやかましかった。

 私が教師としてすべきことは、終了のチャイムが鳴るまで、教科書を音読し続けることらしい。ページの指定や、ノルマに関しての指示は無い。ただ、必ず歩き続けなくてはならず、直線をひたすら往復するよう言われた。案内を終えた保健の先生は教室を出て、扉を閉めた。鍵をかけた。鍵は終了のチャイムと同時に開錠されるらしい。ということで、私は歩き、教科書を読まなくてはならないが、どうも教室がやかましい。

 私は歩きながら、教科書の適当なページを開いた。タイトルがひらがななのを選び、読み始めた。漢字にはすべて振り仮名が振っていて助かった。部屋の中の人間の行動は様々で、まじめに座っているだけのものもいれば、鉄格子に頭を繰り返しぶつけているものもいる。自分の血で壁に何かを書いているものもいれば、少なくとも言語ではなさそうな何かを叫んでいるものもいる。一人の男子、もしくは女子を裸にして二人、もしくは三人が襲う光景もあれば、そいつをモデルにして三人がスケッチをする光景もあった。

 電車で会った四人も居た。その四人は音楽、バンドをしているようだった。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、かな。楽器は持っておらず、声でそれっぽい音を奏でて、手足はそれっっぽい動きをしていた。私がその横を通り過ぎるあたりで、丁度曲は終わって、四人は私に感想を求めて来た。授業を中断するわけにもいかないので、私は親指を立てる形で返答した。その後四人の笑い声やら「やった」などの単語も聴こえてきたので、たぶん喜んではいたのだろう。

 

 

 帰宅。ノート確認。「読んだ本は『こころ』」…疲れた。もう今日は寝た。

 

 

 


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