呉鎮守府より   作:流星彗

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離島棲鬼

 

 初撃、それはお互い牽制といった具合のものであった。

 放たれた弾丸はどちらも直撃はせず、それぞれ回避したことで海へと落下し、水柱を生む。艦載機もそれぞれが交戦し、対空射撃によって撃墜されたことで直撃するものはなかった。

 ウェーク島に展開されている艦隊は想像していたよりも少ないものだった。ソロモン海戦の時のような無数の深海棲艦、というわけではない。

 深海霧島が率いているのはル級改、ヲ級フラグシップが2、リ級改フラグシップ、リ級フラグシップといったところか。離島棲鬼を守るように護衛要塞が複数配置され、そして前方に水雷戦隊が複数といった具合だ。

 佐世保の主力艦隊、扶桑からは瑞雲も発艦される。爆撃によるジャブは水雷戦隊に期待出来るだろう。霧島も偵察機を発艦させ、弾着観測射撃を試みる。

 そんな中で偵察機から見える深海霧島の風貌に目が留まる。ソロモン海戦でも見かけた戦艦棲姫だが、見覚えのあるというか自分のつけている眼鏡によく似たものを使っているじゃないか、と霧島は気づいた。

 

(何故戦艦棲姫が、あの眼鏡を……?)

 

 くい、と自分の眼鏡に指を当てながら思わず思案してしまう。よもやあの戦艦棲姫がラバウルの霧島が転じた存在だと思い至れるはずもない。だが向こうの深海霧島がそんな霧島の様子に気が付いたらしく、視線を彼女へと向けてくる。

 思案している最中でも霧島は砲撃を行っている。そんな彼女の様子に深海霧島はそちらに手を示す。艤装の魔物はそれに応え、主砲を斉射した。飛来してくる弾丸に、羽黒が「霧島さんッ!」と呼びかけながら体を抱きかかえて海へとダイブする。

 

「――っ、羽黒さん……!」

「戦場でぼんやりしては……いけませんよ……!」

「す、すみません、気になるものが見えたものですから」

 

 すぐさま立ち上がってその場を離れる。そこに水雷戦隊からの砲撃が飛んできていたので危なかった。それだけではない。ウェーク島にいる離島棲鬼からも砲撃が飛来してくる。距離があるというのに届いてくるとは、性能のいい砲をしているようだ。

 反撃として霧島が三式弾を装填し、離島棲鬼へと撃ち放つ。陸上基地型ならば飛行場姫と同じようにこれが通用するだろう。爆ぜた弾が離島棲鬼へと降り注ぐかと思われたが、その射線上に深海霧島の魔物が仁王立ち。一部しか離島棲鬼に届かず、大半が魔物に降り注いだ。

 

「ヤラセマセンヨ……。ウェークヲヤリタイナラバ、私カラ仕留メテミナサイ」

「く、戦艦棲姫が庇うですって? いえ、それもあり得ることですか。ならそちらから早急に仕留めるだけです!」

「出来ルノカシラ? フフ……自分ニ殺ラレル、トイウノモ貴重ナ経験カモシレマセンガ、大人シク殺ラレルホド、私モ……甘クハナイツモリデス、ケレドネ……!」

 

 眼鏡のレンズを光らせながら霧島に照準を合わせるように指示する。負傷しながらも魔物の主砲は霧島に狙いを定め、発砲していく。三式弾程度では魔物は大してダメージはない。平然としたように唸り声を上げながら攻撃を敢行していく。

 それを回避しながら霧島達は深海霧島が口にしたことを頭の中で反芻した。

 自分に殺られる、それを霧島に向けて口にしたのだ。

 

「……あなた、私なのですか?」

「――エエ、私ハ霧島。……ソウダッタヨウニ思エマスネ。ソレヲ示スコノ眼鏡ガ、私ガ元ハ霧島ダッタト……教エテクレマス。ソレニ沈メロ、沈メロト囁イテクルノデスヨ。霧島、アナタヲ見タ時カラ、ソレハ強クナッテ……イマスネ……!」

 

 軽く頭を抑えながら深海霧島が叫ぶ。

 ラバウルの霧島から転じた戦艦棲姫。霧島だった頃に培った戦闘経験は残っているが、艦娘として過ごしてきた記憶の大半は失われている。その分のデータを空け、戦艦棲姫としての記憶を蓄積していくためだ。

 必要なものは残し、不必要なものは削除する。そうした分だけ艦娘から深海棲艦へと転じさせる成功率を上げたのだ。おかげで素材から作り上げた戦艦棲姫と遜色ない能力を得るに至っている。

 だが艦娘の霧島と相対したことで、元の自分が頭をよぎったのだろう。

 堕ちる前の自分と同じような存在。

 深海棲艦が持ちうる恨みなどの負の感情が溢れてきたと思われる。

 

「――うろたえるな!」

 

 そこに凛々しい声が響き渡った。続いて深海霧島へと弾丸が飛来し、魔物の腕が彼女をかばう。見れば長門が腕を組みながら堂々と立っているではないか。

 

「例えあれが霧島が転じた存在だとしても、うろたえるな、ためらうな。任務云々関係なく、艦娘である私達に出来ることは深海棲艦を沈め、鎮めることだ。臆せば飲み込まれるぞ。気を強く持て、霧島!」

「…………勇マシイデスネ、長門。我ガ心ニ反応シテ……怯ンデクレレバ、御ノ字デハアッタケレド……、ソレガ叶ワヌナラバ……致シ方ナイデス。純粋ナ力比ベト、イキマショウカ……?」

 

 腕に隠れた深海霧島が眼鏡を光らせながら姿を現し、ゆっくりと手を前に出して左から右へと流れるように動かす。それに従ってル級改やリ級が砲を構えていく。深海霧島が率いている深海棲艦だけでなく、離島棲鬼や護衛要塞もまた砲門を動かしていくではないか。

 

「力比ベナラ……結構ナコトデス。兵器トシテノ性能ヲ試セルノデスカラネ……! 力ヲ示ス、ソレガ私達ノ役割ナノデス……!」

「力、力と、お前達は何のために力を示す!? 私達を呼び寄せ、力を示すためだけにこの戦いを仕掛けてきたとでも言うのか!?」

 

 撃ち合いながら長門は叫ぶように問いかける。今回の戦いは明らかに敵が凪達に誘いをかけてきた戦いだ。その目的がただの力比べ、力を示すためだというのか。ダーウィンには犠牲者も出ているというのに。

 

「長門」

 

 だが深海霧島は砲撃しながら静かに長門の名を呼ぶ。

 そっと眼鏡に指を添え、「ソレガ、兵器」と答えを告げる。

 

「兵器ハ深ク、考エル必要ハ……アリマセン。主ノ命ニ従イ、持チウル力ヲ発揮シテ……敵ヲ撃滅スレバイイノデス。ソウシテ、積ミ重ネタ経験ガ……主ノ役ニ立ツノデス。ソノタメニハ……敵ガ必要デス。戦ワナイ兵器ニ、意味ハナイ。……ソウデショウ?」

「……所詮、お前達も兵器を自認するか。兵器であることに徹するか……!」

「アナタ達ト、何ガ違ウノデス……? 我ラハ艦娘ヲ滅シ、艦娘ハ我ラヲ滅スル。ソノタメノ、兵器……! 怒ルノナラバ良シ。ソノ分、力ガ上ガルデショウ。ソレヲ討チ倒セバ、良キデータガトレルト……イウモノデス!」

 

 長門の頭に大和の姿が浮かぶ。

 最近では落ち着いているが、彼女もまた兵器であることに誇りを持っており、事あるごとに口にするくらい自認していた。兵器であるならそれは必要だ、それは不必要だと頑ななところがあった。

 あの頃から思っていたが、やはり深海棲艦というのはそういうものなのか、と長門は歯噛みする。

 確かに艦娘とて兵器であり、多少は兵器であるならば、という前提で考えたことがないわけではない。凪との初対面時でも兵器としての自負を口にしたことだってある。

 しかし凪は長門達を兵器とはみなさず、一個人としての艦娘とみなした。艦娘というより一人の人のようにも感じられる。そういう扱いをされてきたせいか、自分は艦娘という兵器であるということを自分で思うことは少なくなってきた。

 ある意味凪に毒されたといってもいいだろう。それでも悪い気はしないあたり、感化されているのかもしれない。

 自分は自分だ。

 長門という艦娘の兵器ではなく、長門という一個人としてここに立っている。

 しかし艦娘であることを捨ててはいない。戦艦長門という誇りも失っていない。中途半端と笑うがいい。だがそれが呉鎮守府に所属する艦娘なのだ。

 それに影響されているのか、元深海棲艦である大和もまた軟化しているのだ。いい方向に変わり、成長していると長門も感じている。

 それでいい。

 それが凪の方針であり、呉鎮守府に所属している艦娘としての誇りである。

 艦娘は深海棲艦と戦う「兵器」。それもいいだろう。

 だがその上で長門はこう自負するのだ。

 

 呉の長門として、深海棲艦を鎮めるために戦う一人の「戦士」であると。

 

 「兵器」に意思は必要ない。

 だが、戦士ならば「意思」がある。己で道を見出し、戦うことが出来る存在であると長門はここに示すのだ。

 

「私を討ち倒せるものなら、討ち倒してみるがいいッ! この長門、ただでは沈んでやらんぞッ!」

 

 狙いすまされた砲撃。それを連続して敢行する。飛行した弾丸は庇った魔物の腕に突き刺さったが、続けて飛来した弾丸がそこを貫通し、深海霧島の胸へと届く。徹甲弾という貫通に優れた弾丸に貫かれ、血を吐き出しながら吹き飛ばされ、魔物の体に叩き付けられる。

 

「ガ、フ……ッ、ク……ナニ……コノ砲撃……!」

「砲撃を続行する! 休む暇を与えるな! 流れはこちらにある! 壁を崩し、離島棲鬼を撃滅するッ!」

 

 弾着観測射撃による狙いすまされた砲撃なのだが、その情報がない深海霧島の頭には混乱が生まれる。魔物の守りは充分なものだったはずだ。それなのにどういうわけか腕を貫通するほどの威力を発揮して、この身に徹甲弾が届いてきた。

 わからない、わからないが――新たな情報が入手出来ている。それをこの身で証明出来ている。今はわからなくてもいいが、次の戦いに役立てればいい。

 そうだ、その調子で力を示すがいい、長門。

 血を拭いながら深海霧島は魔物に手を当てて立ち上がり、戦いを続行する。

 だが不意に違和感に気づく。徹甲弾で貫かれた痛みだけではない何かを深海霧島は感じていた。なんだろうか、これは? と強引に塞いだ傷口近くに触れながらその違和感が何かを考える。

 

(痛ミ、トイウワケデハナサソウデス……痛イ、トイウヨリモ……温カイ? 何故、ソンナモノヲ感ジルトイウノデショウ……?)

 

 不気味だ。どうしてそんなものを感じ取るのか。

 血が温かい、というわけでもないだろう。それに深海棲艦としての自分は血というよりもオイルといってもいいかもしれない。見た目こそ血のようかもしれないが、作られた存在である自分達は兵器として認識している。だからその流れる血潮はオイルなのだ。

 その手に触れる少し黒みがかった赤い液体。それを握りしめながら深海霧島は長門へと反撃。それに続くようにル級改や護衛要塞、離島棲鬼も砲撃する。

 

「榛名! アノ長門ヲ沈メルワヨ! アレハ……何カヲ持ッテイル……!」

「――――」

 

 ル級改は彼女らにとっては榛名である。深海霧島の命に従い、二人で長門へと砲撃を仕掛ける。狙われるとなれば、一旦後退するしかない。反撃しつつも長門は無理に前に出ることはしない。

 代わりに山城、鳥海が砲撃しつつ、翔鶴と瑞鶴が艦載機を放っていく。

 

「――ッ、――!」

「なかなか硬いじゃないの。それとも入りが甘いのかしら」

 

 山城が弾着観測射撃を用いて攻撃するのだが、ル級改が構える艤装が思った以上に硬い。ル級フラグシップもそれなりに硬かった印象があるが、改になることでより硬くなっているように感じられる。それだけ深海側の艤装の技術が上がったのだろう。あるいは深海棲艦が持ちうる力が、艤装の装甲を底上げしている可能性もある。

 どちらにせよ、新たな鬼や姫が生まれるだけでなく、量産型にも変化が生まれているのは明らかだ。

 周りの水雷戦隊を相手取っている神通率いる呉一水戦も、リ級改と交戦を始める。青い燐光を左目から放ちながら、数体の深海棲艦を率いて高速で航行するリ級改。神通を見据えると、腕を構えて砲撃を仕掛けてくる。

 深海霧島の隊にいたような気がするが、ウェーク島を守る水雷戦隊の旗艦なのだろうか。

 だが量産型の改なのだ。ル級改と同じく、それ相応の力を秘めていると見ていい。

 

「あれは私が抑えましょう。皆さんは周りのものをお願いします」

「任されましょー。じゃ、とりあえずあたしについてきて」

 

 鋭い目つきでリ級改へと向かう神通を見送り、北上が残ったメンバーを連れて水雷戦隊に当たる。リ級改も神通とやりあう気らしく、水雷戦隊に指示を出すとそのまま神通へと砲撃を仕掛けていった。

 高速で回避し続ける神通はその手に魚雷を手にし、リ級改へと投擲。だがそういう使い手だということは伝わっているのだろうか。リ級改は神通がそれを手にしたときには既に動いていた。

 副砲で向かってくる魚雷を起爆させ、その手にある装甲で爆風を凌ぎつつ突撃。肩から神通へとタックルを仕掛けていく。

 

「っ、く……!?」

 

 装甲の硬さとリ級改のスピードが乗ったタックル。それに弾き飛ばされ、更に構えた砲門が神通を狙い撃つ。だが神通も受け身をとり、咄嗟の回避で弾丸をやり過ごす。そのまま海を転がりつつ起き上がり、すぐさま移動。

 牽制として砲撃をするがリ級改の装甲を抜くには至らない。リ級フラグシップでも重巡とは思えないような装甲をしていたが、改になることでより硬くなっているらしい。

 

(なるほど、これは骨が折れそうですね。だからといって、諦めるような真似はしませんが……!)

 

 両手を後ろにやりながらの航行。まるでアニメで見るような忍者走りのようだ。だがその腕にはカタパルトがあり、こっそりと偵察機がスタンバイ。反対側の手に魚雷を掴むと、またしても投擲をする。

 そんな見え透いた手には乗らないとばかりに途中で起爆させるが、その爆風で隠すように偵察機を発艦。すぐさま主砲を手にし、リ級改の周囲を回るように移動。

 向こうでは北上達が水雷戦隊を相手に戦っていることを確認しつつ、自分の目と偵察機から見えるものを確認。どこか装甲が薄いところはないかと隙を窺う。

 リ級改も神通が主砲を構えつつ隙を窺っているのだろうということは見て取れる。だが軽巡の主砲如きに自分の装甲が抜けるはずはない、と高を括っていた。だから前に出られる。

 ぐっと力を込め、加速して弾丸のように飛び出す。その勢いを殺さないままに神通へと殴りかかっていった。横に跳び退って回避したが、その先に砲を構える。

 だが神通もただ跳び退っていたわけではない。殴りかかったことでリ級改の頭が若干下がり、そして軽く跳んでいるために神通の足がちょうどリ級改の頭の高さに合っていたことが結びついた。

 神通の左足には探照灯が装備されている。その光は昼であっても強い光が放たれているのがわかるほどの光量。

 

「――――ッ!?」

 

 まともにその光を見てしまったことでリ級改が悲鳴を上げて目を覆う。そんな彼女へと腰元にある魚雷発射管が照準を合わせ、一気にそれらを撃ち出した。音で気づいたらしいリ級改は何とかその場から動こうとするが、それを止めるように神通が弾着観測射撃を行う。

 足を狙うように放った弾丸だが、やはりそこも装甲によってまともに入らない。若干の足止め程度にしかならず、魚雷が刺さったのは三本ほどか。普通ならば充分なダメージになるだろうが、目を潰されても防御に力を回したことで硬化した装甲に守られたらしい。

 次の魚雷が装填されるまで少々時間がかかる。防御したとはいえまったく効いていないわけではないだろう。まだ探照灯の効果は発揮されているはずだ。

 

(ここで仕留めます)

 

 魚雷によって砕かれた装甲がある。そこを狙い撃てばいい。放たれた弾丸はまだ見えぬ目にもがいているリ級改へと着弾、そして貫いていく。魚雷によって砕かれた装甲を狙いすました一撃は、リ級改が侮った神通の砲撃を通したのだ。

 その痛みにリ級改の心に火が付いた。まだ完全とはいいがたいが、何とか世界が見えるようになる。改造を受けて強くなったのだ。改二とはいえ軽巡に負けるようでは重巡の、古鷹の名が廃る。

 ウェーク島から戦場を見ている離島棲鬼はそんなリ級改の支援をするように、艦載機を次々と放っていく。飛行場姫と同じく保有している数は多い。空戦によって潰されはしても、数では負けてはいない。

 放たれた艦載機は神通の上空へと移動し、彼女へと攻撃を仕掛けていった。

 これにはさすがに神通も苦い表情を浮かべる。リ級改へととどめを刺そうとしたが、艦載機の攻撃をやり過ごすために後退する。更に機銃を備え、手にはロケランを顕現させて迎撃に当たる。

 その時間稼ぎによってリ級改は体勢を立て直した。タイマンに水を差されたようなものだが、しかしそれに苦言を呈するリ級改ではなかった。

 この傷の礼が出来るというならば、時間稼ぎであろうとも構わない。一時的な応急修復、そして武装へと力の注入、充填。カッと青い燐光が輝き、再びリ級改は神通へと突撃する。

 今の神通は離島棲鬼によって対空装備をしている。それをリ級改へと有効な攻撃武装に切り替えるにしても時間を要するだろう。仮に切り替えが間に合ったとして、この高速移動ではまともに照準を合わせることなど出来はしない。

 

(決めに来たという感じですね。これでは主砲に切り替える時間はない。うまく突かれた、という具合でしょうが――)

 

 主砲は間に合わない。主砲は、だ。

 腰元にある魚雷発射管には新たな魚雷が装填されている。

 

「――次発装填済みです。その突撃では躱せないでしょう。頭から魚雷に突っ込むようなもの!」

 

 魚雷発射管の一つがリ級改へと狙いを定めている。その手にはロケランが存在したままだが、一撃必殺の威力を誇る魚雷でリ級改へとカウンターを決める算段だ。

 しかしリ級改とてただ無策に突撃しているわけではない。

 その青い燐光を放つ左目が、一際強く輝きを増した。それを見てしまった神通は思わず目を閉じてしまう。

 

「――――!!」

 

 ざまぁみろ! とでも笑ったのか、リ級改のその顔に笑みが浮かんだ。

 彼女は古鷹である。艦娘の古鷹といえば左目は探照灯のように光を放つようになっているのだ。どうやらこのリ級改にもその機能が搭載されているらしく、青い燐光に乗せた青い光が神通の視界を塗りつぶした。

 まさに先ほど神通にやられたことの意趣返しと言えよう。

 しかもいったんスピードを落とし、神通の側面へと回り込んでいく。咄嗟に神通が魚雷をそのまま発射するかもしれない、と警戒してのことだろう。側面、いや更に背後へと弧を描くようにして回り込んでいく。

 そうした上で神通へととどめを刺すべく、エネルギーを込めた主砲の一撃を叩き込み――

 

「――その手は、経験済みなのですよ」

 

 静かな呟きがリ級改の耳にすっと入った。

 更に気づけば、神通の姿がいつの間にかそこにいない。はっと気づけば、目を閉じたままの神通がいつの間にか自分の側面にいる。弧を描いた航跡が綺麗に先ほどまで立っていた場所と、今、腰を低くして水面に手をついている神通の足元に存在していた。

 手にしていたはずのロケランは手にはなく、先ほどまで立っていた場所にそのまま置いていっている。そして今のリ級改は振り下ろす主砲の手を止められず、ロケランへと強撃を放ってしまった。

 しかもよく見れば、魚雷も一本ロケランに添えられている。ロケランの爆発に反応して誘爆し、右手はそれに耐えきれずに装甲を砕かれる。

 

「――ッ、――!?」

「何故、とでも言っているのでしょうか。先ほども言ったように、経験済みなので、それに反応出来るように訓練した、としか言えませんね。私としましても、やられたことをそのままにしておく性質ではありませんので」

 

 と、目を閉じたまま神通は魚雷を発射する。それらは次々とリ級改へと到達し、爆発の連鎖を起こす。だがリ級改とて意地があるのだろう。倒れそうになる体を無理に動かし、無事な左手で神通の体を捕まえる。

 リ級改がまだ動いている、ということはわかっているが、よもや自分の体を掴みに来るとは思わなかった神通。まだ視界が回復していないのでそれを避けることは出来なかった。

 何とか引きはがそうとするが、リ級改はそんな神通へと頭突きをする。装甲はない、素の体での頭突きだが、充分に神通にダメージは通る。そのまま膝蹴りで神通をうずくまらせるつもりだったようだが、それを神通は堪えた。

 次発装填した魚雷は撃ち尽くした。次の装填まで魚雷は撃てない。そもそもこんな至近距離では爆風に巻き込まれる。更に言えば目もまだ見えていない。

 そんな中でリ級改は狂ったように神通を殴り、蹴り続ける。ここまで神通一人に負傷するなど、彼女の重巡としてのプライドが許さない。

 この体は、この艤装は中部提督が作ったものだ。深海棲艦の重巡といえば、このリ級だけ。深海棲艦に一種しかいない重巡に更なる高みを与えてくれた中部提督。それだけでなくより強く、より性能を高めた艤装まで用意してくれた。リ級改はその恩に報いなければならない。

 一種だけの重巡としての活躍をし、そして重巡としての更なる力を示さなければならないのだ。

 だというのによもや軽巡如きにここまでやられるなど我慢がならない。

 リ級改を憤怒たらしめたのはプライドを傷つけられたというだけではない。中部提督が作ってくれたこの素晴らしき艤装を、軽巡である神通にこうまで破壊されたというのが許せなかった。

 軽巡よりも強い砲門を備え、軽巡よりも強固な装甲を備えた重巡。同じ重巡であろうともそう易々と抜けはしない装甲を手にしたというのに、この右腕が、この体が砕けている。その現実がリ級改を怒りへと導いた。ある意味ヲ級改が理解しようとしていた意志の力をリ級改は発揮している。

 軽巡にこうまでやられたことが許せない。だから痛めつける。

 そんな思いに駆られた怒りの感情を以ってして神通をサンドバッグにしていた。

 水雷戦隊を片づけた北上達が見たのは、そんなやられっぱなしの神通の姿だった。

 

「神通さん! 早く助けなきゃです!」

「しかし魚雷だろうと砲撃だろうと、あんなに近くでは誤射しかねない。近づかなければ」

 

 雪風が指さすが、Верныйは冷静に告げる。その通りだ、と北上は頷き、「助けるにしてもあたし達が向かわなきゃね。って夕立!?」と言葉の途中で夕立が飛び出していく。

 慕っている神通がただやられてばかりでいるのが我慢ならなかったらしい。まだ殴り続けているリ級改に照準を合わせるが、やはり神通にも中りそうなほどに近い。でもとにかく近づけばいい、と全速力を出す。

 リ級改も助けの手が近づいてきていることに気づいたようで、いい加減に沈めとばかりに大ぶりでパンチを繰り出した。

 

「やれやれ、まったく……仕方のない」

 

 と、ぽつりと漏らしながら神通はその拳を受け流しつつ、リ級改を投げ飛ばす。その目は未だ閉じられ、美麗な顔は所々痛々しく腫れ、血に濡れている。海に倒れたリ級改は何が起こったのか理解出来なかったが、すぐさま起き上がりながら回し蹴りを放つ。

 だが神通は見えているかのように少し下がって回避する。追撃するように繰り出される拳も躱していくではないか。

 

「……ただやられてばかりの私ではないのです。少々時間がかかりましたが、あなたの力の雰囲気を記憶しました。……そしてその時間は、うっすらと私の目が回復する時間でもある」

 

 と、弱々しく目を開く。だが完全ではないらしく、軽く目元を手で押さえてしまった。その隙を突くように魚雷を撃ち出したが、神通はそれを横に跳んで回避した。だが痛みが出たらしく軽く体勢を崩してしまうが、すぐに持ち直す。

 

「最初からそうしていれば良かったのに、私に時間を与えるべきではありませんでしたよ。それだけあなたのプライドとやらを傷つけてしまいましたか? それは申し訳ないですね。ですが敵を前にさっさととどめを刺さないのは頂けない。……敵と定めれば、すぐさま処理。いたぶるような真似はするものではありません」

 

 それに、と神通は言葉を続けながら、目元を隠す指の間から冷たい眼差しをリ級改へと向ける。そこには怒りが静かに滲み出ているような気がした。「――あの子達を前に、これ以上無様な姿を晒し続けたくもないので」と、言いながら装填を終えた魚雷を撃ち出した。

 怒りの対象はリ級改もそうだが、自分にも向けられていた。

 水雷の長たる者は敵を殲滅してこそである。そして同時に部下である者達に対して不甲斐ない様を見せるものではない、と神通は考えていた。

 突撃し、敵の前線を切り崩す水雷戦隊を纏める長だからこそ、後に続く者達を鼓舞するような勇姿を見せねばならない。戦場は実力がものを言うが、士気も高めてこそ勝率が上がる。士気を上げるにはやはり前に出る者の勇姿があってこそだろう。

 それがみっともない姿を晒してしまえば、士気が向上するどころか低下してしまう。そうなれば戦線は瓦解する。そうなれば多くの仲間達を喪いかねない。それはあってはならない。

 かつての南方の出来事はもうこりごりだ。

 多くの仲間を喪うことを繰り返してはならない。

 仲間を守るには自分は仲間に勇気を与える存在でなければならない。

 それが仲間を守ることであり、同時に提督である凪を守ることに繋がるのである。

 それが自分が強く在るための理由なのだ。

 中破状態であろうとも、その目は、その戦意は揺るがない。どれだけリ級改に殴打され続けようとも、その心までは傷つけられなかった。

 これが軽巡だというのか?

 これが艦娘の強さだというのか?

 その戦鬼の如く発せられる気迫に圧されながら、リ級改は魚雷を受け続け、ついにその体は耐えきれずに爆発四散し、沈んでいった。

 

「神通さん! 大丈夫っぽい!?」

「――ええ、どうにか、といったところですが……すみません、夕立ちゃん。少々肩を貸してくれませんか?」

「それくらいお安い御用っぽい」

 

 まだ完全に視界を取り戻していない状態であり、リ級改に殴られ続けた体もぼろぼろの状態だ。ああしてリ級改を圧倒するような気迫を放っていたが、戦いが終われば気が抜け、少し立っていられない状態にまで追い込まれている。

 それでもあの大湊での一件以降、磨き上げた己の技能が発揮出来たのが良かったとはいえる。

 リ級改が探照灯で目を潰し、背後に回り込んだ動き。

 探照灯はされなかったが、あれは大湊の水雷の長、多摩にやられた動きだ。目で追えない動きをされ、アタリを付けたと思えばそれよりも更に速く動き、背後から主砲を突き付けられてしまった。

 まさに一瞬の出来事。戦場ならば自分は撃ち抜かれている。

 それに対処するため、神通は目で追うのではなく気を、オーラを、力の波動を辿る訓練をした。仮に大湊の一水戦と、あの多摩ともう一度戦うことになった際に、今度は追いつけるように。

 もしもあの演習がなければ、自分はあの時リ級改に背後から撃ち抜かれていただろう。よもや探照灯の下りをやり返されるとは思わなかった。何せリ級改の左目がああなるなんて思わなかった。完全に不意打ちであった。

 だが、だからこそ出来たとも言える。目を潰されたからすぐに力を、オーラを辿って回避できた。そしてその後のサンドバッグ状態もその手が、その足が放つ力を記憶するための時間でもあった。

 だからこそ目が回復していなくても攻撃を躱すことが出来たのだ。とはいえ覚えるのに少々時間をかけすぎた感はある。もう少し早く出来ていれば、無駄なダメージを積み重ねることはなかったはずだ。そこは課題としよう。

 

「大丈夫ー? いったん下がろうかー?」

「いえ、ここで下がれば敵に付け入る隙を与えます。出来ません。とはいえ私はこの状態。なので北上さん、あなたに一度指揮を預けます。旗艦として、敵を引っ掻き回すように」

「んーそれはいいけど、神通は一人で大丈夫なの?」

「護衛として雪風を傍に置きます。……夕立ちゃん、あなたは北上さんについて前線に出てください。雪風さん、しばらく私の護衛を。よろしく頼みますよ」

「任されました! 雪風がしっかりお守りいたします」

 

 びしっと敬礼し、夕立と入れ替わるようにして神通の傍に立つ。夕立も神通が心配だったが、この戦いが終わらないことには帰ることもない。本音を言えば指揮艦に戻って入渠してもらいたかったが、神通はそうはしないだろう。

 本当に危険ならば退くだろうが、まだ大丈夫だと彼女は判断した。それに呉一水戦にはまだ出来ることがある。それを放棄して退くことは出来ないと考えているのだろう。

 

「神通さん、本当に危なくなったら退いてね?」

「……ふふ、大丈夫ですよ。私とてここで沈むつもりはありません。雪風に倣うならば、絶対に大丈夫。夕立ちゃん、あなたはあなたのやるべきことを成してください。いいですね?」

 

 その言葉に、夕立は逡巡したが静かに頷いた。北上が率い、彼女達は前線へと戻っていく。その背中を見送りながら神通は深呼吸を繰り返す。雪風に支えられているが、やはり少し苦しそうだ。それに雪風はつい「やっぱり指揮艦に戻った方が……」と声をかけてしまう。

 

「雪風さんの言う通り、普通はそうすべきでしょう。ですが私の勘が告げるのです。今は退くべきではない、と」

「勘、ですか?」

 

 そうだ、と頷く神通と雪風の付近には静かな気配を持つものが忍び寄っていた。それは機を窺っている。リ級改と交戦し、体力を消耗している神通を沈める必殺の機会を。

 もし彼女達がすぐに撤退しようものならばその背後から、あるいは側面から魚雷を撃ち込もうと考えていたが、どういうわけかそこに留まっている。

 それならそれでいい。その背後から魚雷を撃ち込むまでのことだ。

 

「――む? いやな予感が――っ、神通さん、魚雷反応です!」

 

 雪風がそれを察知した。それとも感じ取ったのは殺気だったのかもしれない。背後から高速で迫ってくる魚雷に気づき、神通と共に横へと飛び出して回避する。神通も押し倒されながらも探知に意識を集中させ、それが何であるかを解析。

 それはソ級だった。それもエリート級であり、もしかするとここに来るまでの間で足止め役として配置されていたソ級だったのかもしれない。あの時負傷はしたが耐え抜き、一時撤退していった個体の可能性がある。

 押し倒されるが、すぐさま神通は起き上がり、爆雷を手にして投げつけた。体に痛みが走るがそんなことを気にしている暇はない。動きを止めればこちらがやられるのだから。

 よもや気づかれただけでなく反撃してくるとは、とソ級エリートは一時後退する。しかし爆雷の効果範囲から完全に逃げられず、僅かにダメージを受けて体勢を崩してしまう。そこに雪風からの追撃が入り、大破状態に陥ってしまった。

 

「…………!」

 

 あそこまで追い込まれてもこちらに喰らいつけるだけの根性がある。呉の水雷の長、神通。史実でも半身を失ってもなお抵抗し続けただけのことはある。それに類する根性を持ち合わせているのだろう。

 そしてまさか気配を消して近づいていたというのに、どういうわけか気づいてしまった雪風。あれが幸運艦か、あるいは何かそれに比類する第六感を秘めているのか。それが成長してきているのだとすれば、厄介である。

 他の鎮守府にも雪風は在籍しているだろう。そうなると、あの雪風のような第六感を持ち合わせていると考えた方がいいだろう。そのポテンシャルがそれぞれの鎮守府の雪風に備えられ、磨き上げられているなら奇襲に気づかれてしまう可能性がある。

 情報は得られた。これ以上の戦闘は無意味だろう。情報を持ち帰るために撤退し、次の機会が巡ってきたら仕留めるとしよう。そう考えたソ級エリートは深海へと撤退していった。

 


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