大和達とヲ級改との戦いは若干ヲ級改側が優勢だろうか。佐世保一水戦の那珂達が敵水雷戦隊をかく乱し、大和達がヲ級改や戦艦棲姫へと砲撃を仕掛けていく。その後ろから佐世保二航戦の赤城と飛龍が艦載機を放っていく形をとっている。
艦載機が深海棲艦の数を減らせればいいのだが、そうはさせまいとヲ級改らの艦載機が交戦する。もちろんその逆も然りだ。上空でその戦いが行われている中、煙幕を焚いて那珂達が敵艦隊へと突撃する。
「これじゃあ神通ちゃんのことをとやかく言えないけど、今こそ突撃の時だよ! 那珂ちゃん達の独壇場でいっちゃうよー!」
「応さ! でもいいのかぁ那珂? 煙幕焚いてちゃあ、観客に勇姿を見せられないぜ?」
「それは仕方ないね。でも陰で戦果を挙げるのもまたアイドルの嗜みってもんだよ。例え見られていようと見られまいと、結果を出していくのがアイドル道! 舞台の上の華の時もあれば、バックダンサーの時もあるってね!」
「はっ、そんじゃあ俺達は、しっかりとバックダンサーとして盛り上げていこうじゃねえか! 往くぞお前ら! 遅れんじゃないぞ! 雷撃よーい!」
佐世保の木曾もまた改二となり、重雷装巡洋艦となっている。その見た目が海賊っぽいこともあり、まるでアイドルと海賊船長とその部下達という雰囲気を醸し出している。重雷装巡洋艦ということもあり、木曾から放たれた魚雷は一人で多数のものを撃ち出している。陽炎達のものも合わさり、煙幕の中でそれほどの魚雷がばらまかれているのだ。被害は相当なものを生み出してしまう。
しかし見えない状況を活かすのは煙幕を焚いた那珂達だけではない。
敵もまた見えないならばと砲撃や魚雷を撃ち放ってきている。
「魚雷接近反応ですよー!」
「下がるぞ!」
大潮が叫び、木曾が命じる。煙幕を抜けるように下がると、奥から魚雷が姿を現す。だがその時にはもうすぐそこまで迫ってきていた。直撃を受けたのは朝潮と陽炎だった。不幸中の幸いか、当たり所が良かったので大きなダメージにはならなかったが、しかしそれでも苦悶の表情を浮かべてしまう。
深海棲艦にもそれなりの犠牲は出たが、反撃に成功したことで士気が向上したらしい。少しずつ晴れていく煙の中から果敢に敵が突撃を仕掛けてきている。
「水雷、一時後退! 体勢を立て直しなさい! 二航戦護衛隊、届くなら援護射撃を」
佐世保二航戦を護衛している阿賀野や三隈に指示を出す大和。自身もまた砲撃で敵を那珂達に近づけさせないようにフォローしつつ、下がってくる那珂達の前に出ていく。
そういったフォローを許さないのが戦艦棲姫だった。どこかが崩れるならそこを容赦なく突いてくる。自ら的になるのなら、そこを撃ち抜くのみとばかりに大和へと砲撃を仕掛ける。
しかし大和をフォローする日向や鈴谷がそこに瑞雲の爆撃を仕掛け、中断させる。目障りな、と睨んだ戦艦棲姫へ弾着観測射撃を行い、主砲を潰しにかかった。すなわち魔物の右肩にある主砲を狙っていったのである。
主砲が潰れれば攻撃は出来ない。それは当然のことだ。その当然のことは以前は叶わなかった。どうも先ほどからソロモン海戦でみせたような自己治癒能力を行使していないのだ。
自身の命や周りの深海棲艦を代償に、傷の修復を行ったり沈んだ深海棲艦の復活を行ったりするような力を使っていない。あれを使われれば問答無用で大和達は押しつぶされていただろうが、そういった気配が全くない。
南方方面と違い、中部の指揮下にある深海棲艦はその力を持っていないのだろうか。凪や大和はそんなことを考える。
しかし使わないならばそれでいい。修復をしないということは、艤装を潰せばそのまま使えないということでもある。攻撃の手を潰せば生存の確率が上がる。
妙に中ててくるな、と戦艦棲姫が感じるのだが、主砲だけでなく、体や戦艦棲姫を狙った弾も混ぜているので、主砲潰しを狙っているとまで思考が回らなかった。
そうしている内に那珂達の退避が済み、朝潮と陽炎の傷の具合を確かめる間に大和達が彼女達の壁となる。それを援護するように阿賀野や三隈が砲撃を加えていた。
「……オ前達ガ壁カ。状況ハ、コチラノ有利。マダ……抵抗、スルカ?」
「戦う意志は折れていませんよ。それに致命傷もない。戦闘は続行可能です。そちらこそ仲間がまた沈められていますが、大丈夫ですか?」
「問題ナイ。例エ沈モウトモ……魂ガアレバ、ソレデイイ」
「……ええ、そうでしたね。そういうものでした。死は、撃沈は終わりではない。それが深海棲艦」
元深海棲艦だから理解出来る。南方棲戦姫という体は失われたが、魂だけは生き残り、こうして艦娘の大和として転生している。自分自身が、深海棲艦を撃沈させても問題はないのだと証明しているのだ。
だから彼女らは死を恐れない。
いくらでも攻めてくることが可能なのだ。
「無駄ナ、抵抗……ソレマデニスルトイイ。アル程度ハ力ヲ測レタ。終ワラセルカ」
「終わらせるものか……!」
そこでビスマルクがヲ級改へと砲撃を仕掛ける。だが戦艦棲姫の魔物がそれを庇う。大木のような腕がビスマルクの放った弾丸を受け止め、反撃としてビスマルクへと砲撃を仕掛けた。
「サア、沈ミナサイ」
砲撃の反動でビスマルクは若干硬直状態にある。避けることが出来ない。
まさか、ここでやられるというのか?
まだ何も出来ていないというのに、とビスマルクは目を見開き、飛来してくる弾丸を見ていることしかできない。初陣で、まともな戦果を挙げられずに倒れるなど、自らの誇りが許さない。
しかし現実は無残にもビスマルクの体へと戦艦棲姫の弾丸が貫き――はしなかった。
「――ッ!」
弾丸は、その拳によって横へと弾かれ、水柱を噴き上げる。
思わず顔をかばったビスマルクの腕の先には、彼女が思いもしなかった背中があった。
彼女の在り方が許せず、認めることをしなった隊の長、この艦隊の旗艦である大和である。左手からは摩擦によって煙が立ち上っている。
展開されている艤装の重厚さと、彼女の頼もしい背中がまるで巨大な城塞が聳え立っていると思わせる。そんなものではこの壁は打ち砕けることはない。決して退くことはしない、という彼女の意思を象徴するかのように凛々しく、堂々とした佇まい。
それがビスマルクの眼前に存在していた。
「――はっ、情けない顔をしているんじゃないですよ。……ま、初陣ならば致し方ない。例えその胸に崇高なる誇りがあったとしても、あなたはまだまだ未熟な艦娘。身に染みてわかったでしょう。あなたは味方のフォローが必要なのだと」
「大和……あなた……っ」
ビスマルクは気づいた。
飛来した弾丸は二発だ。一発は横に弾いたが、もう一発はどこに行ったのか。
水柱は一本しか立っていない。となれば弾丸の行く先は明白だ。大和の血に濡れた手が、一つの弾丸を手にし、海へと軽く放り投げる。
彼女の腹からは血が出ていたのだ。ビスマルクを庇って被弾したのがよくわかる。
「何故、あなたが私を……!?」
「決まっているじゃない。あなたは私の部下。旗艦というものは部下を守るもの。気にすることはないですよ、ビス子。そういうものなのだと、私は教えられました。ならば私はそれを実行に移すまでのこと」
振り返ることなく大和は答える。それが当然のことだと堂々と答え、実行に移す。以前の彼女ならばそうすることはしなかっただろう、ということをビスマルクは知る由もない。
知っている日向達は大和の在り方に、この状況だというのに思わず微笑が浮かんだ。
だが気を緩めることはない。
今もまだ劣勢であることに変わりはないのだから。
「この大和、未だ健在よ。沈めたいならもっと撃ってきなさいな。その分、お前達に更なる弾丸を喰らわせてあげましょう」
「ヨク吼エルワネ、大和。イイデショウ……、ソンナニ沈ミタイナラバ、コノ武蔵ガ、沈メテアゲマショウ……!」
ビスマルクを撃った左の主砲は装填中だ。そのため右の主砲で大和を沈めようとしている戦艦棲姫。しかしそれは先ほどから日向達が狙っていた主砲。まだ使用不可能には至っていないが、それでもどこかがおかしくなり始めている頃合いだ。
そして今、上空には日向が放っていた瑞雲が静かに飛行している。大和に照準を合わせ、主砲を撃とうとしている戦艦棲姫へと一気に急降下。「沈ミナサイ!」と意気揚々と砲撃を放つ彼女へと爆撃を仕掛けていく。
爆弾は右肩の主砲に着弾。爆発は弾丸を放とうとしているその時に発生し、連鎖するように主砲内でも発生。曲がった砲塔からもエネルギーが漏れ、それが余計に歪みを生み出し、魔物の肩へと爆発の影響が及んでいく。
「ナ、ナニ……!?」
「ふっ、これぞ瑞雲の力というものだ! 着実に積み重ねたダメージがここで実を結んだというものよ! 瑞雲はいいぞ!」
「はいはい、いいぞいいぞってね。ほら、今がチャンスじゃん! 一気に攻め立てる時ってやつよ!」
一緒に瑞雲で攻撃を仕掛けていたはずの鈴谷があまり乗っていないのは、日向のテンションについていくのに疲れたからだろう。そんなことよりもこの好機を見逃すわけにはいかない。
それは佐世保の那珂達や瑞鶴らもわかっている。
今こそ反撃の時である。
主砲の射程的に先に撃てるのは瑞鶴と飛龍を護衛している三隈だ。鈴谷と日向に続くように砲撃を仕掛けていく。それを見て、那珂もまた奮い立つ。
「チャンスは見逃さない。それもアイドルに必要なもの!
「と、旗艦殿が仰せだ、お前ら! 無理はするものではないが、こんな時も後ろで見ているだけというのも一水戦の名が廃る! 俺は往くが、お前らはどうだ?」
「訊くだけ野暮というものよ、木曾さん」
「レディたるもの、期待を裏切らないようにしたいものだわ」
「心配をおかけしましたが、大丈夫です。最後くらい、活躍してみせますとも」
「ドーンと、盛り上げてみせますよぉ!」
負傷している陽炎、朝潮も引く気はないらしい。「頼もしいじゃねえか、お前ら」と木曾はにっと笑い、那珂へと目配せする。彼女達の覚悟を見せられては那珂も笑うしかない。
拳を突き上げ、「
劣勢においてなお笑みを浮かべて突撃してくる艦娘達。それを見たヲ級改に困惑が生まれる。
深海棲艦ならば理解出来なくもない。死ぬことに、沈むことに恐怖はない。体が失われようとも魂が残っていれば再び彼女らは生まれ出る。だから劣勢だろうと突撃出来る。そういうことは中部提督にとってあまり好ましくない戦術なのだが、深海棲艦全体で見れば珍しくもないもの。基本戦術といってもいい。
だが、沈めばそれで終わりの艦娘が、どうしてこの状況でも笑って突撃出来るというのか。戦艦棲姫やリ級らが那珂達を迎撃するが、高速で動く彼女らは着実に距離を詰めていく。
ヲ級改もまた艦載機を放って援護するが、佐世保二航戦の艦載機がそれを食い止めていく。そんな中でヲ級改自身が深海棲艦らへと指示を出していくのだが、腹から血を流しながら大和が前に出ていくではないか。
理解出来ない出来事に、深海棲艦らへの指示が遅れる。
「困惑が見て取れますよ、赤城。それではうまく戦えないんじゃないですか?」
「……ッ、ウルサイ、武蔵……! アレヲ、早ク沈メテ……!」
「遅いですよ」
すっと左手を前に出し、くいっと指を曲げればそれに従って大和の艤装が動いていく。素早く狙いを定めた主砲が次々と火を噴き、戦艦棲姫の左肩の主砲を破壊する。それだけでなく、破壊する弾丸の後に続く弾丸が戦艦棲姫へと直撃する。
戦艦棲姫が誇る主砲を二基も破壊されては強力な一撃を撃てなくなる。魔物の胴体に備えられている副砲などでしか撃てないのだ。
更に大和の主砲に撃たれたことでよろめき、その隙を突かれて佐世保二航戦の追撃を受ける羽目になる。
「大物喰い、いくよー! 魚雷、一斉射!」
体勢を崩されているところに魚雷の群れ。一撃必殺級のものが一気に来たのだ。躱せるはずもなく、出来るのは魔物が腕で戦艦棲姫を庇うことだけ。だがその巨腕も次々と魚雷が刺さることで粉砕され、後から続いた魚雷が戦艦棲姫へと直撃していく。
悲鳴を上げる戦艦棲姫にヲ級改は焦った表情を浮かべる。そんな彼女に「――慢心、それは赤城について回る因縁のようなものなのでしょうか?」とぽつりと大和が呟いた。
「――ナニヲ……ッ!?」
「そう隙を晒すものではないですよ」
副砲がヲ級改の頭部に着弾し、艦載機を吐き出す帽子が壊される。戦艦棲姫という自分を守ってくれる存在がいなくなれば、旗艦であるヲ級改へと標的が移るのは道理。よもや優勢に立っていたはずの自分達が、一気に劣勢に叩き落とされるなどヲ級改にとっては想定もしていないことだった。
血を流しながら迫ってくる大和の気迫に圧され、後退しながらヲ級改は手にしている杖を構える。それに対し、大和はあの電探の和傘を構えた。
「窮地に立たされる私達に対し、勝ったと慢心したのが運の尽き。何を目的としているのかは知りませんが、勝負は何が起きるかわからないもの。赤城、かの戦いにおいて慢心故に敗北を喫した存在。その因縁、因果は深海棲艦となってもついて回るものなのですね?」
繰り出す和傘と防御のために振るわれる杖が打ち合わされる。そんな中でじっと大和はヲ級改を見据える。一合、二合と打ち合う艦娘と深海棲艦の武器。電探だというのにそうして振るわれていいのか、と思いそうになるが、大和はこの電探を改造するように凪に願い出ている。
渋い表情こそしたが、凪は何とか資材などを用意し、大和の希望するようなものへと仕上げてみせた。
「そんなあなたに、私は訊きたいことがありましてね」
と、打ち合う最中でそう口にし、足を刈ってヲ級改を転倒させる。和傘の先端をヲ級改の眼前へと突き立てながら「中部はどこにいますか?」と冷たい眼差しで見下ろした。
ヲ級改を助けるべく周りの深海棲艦が大和へと攻撃を仕掛けようとするが、瑞鶴と飛龍の艦載機や、大和の艤装による副砲が応戦して近づけさせない。
もちろん呉第二水上打撃部隊である日向や鈴谷による瑞雲、木曾や村雨による魚雷の援護もあり、大和へは敵が接近出来ないようにしている。ビスマルクもあの場面からここまで詰めていけるのか、と驚きを見せながらも彼女なりに援護をしていく。
その中で、大和は更に問いを重ねていく。
「あなたは中部の赤城と名乗った。中部……元南方所属のあなたの主。それはどこにいるのかと私は訊いているのですよ」
「…………艦娘ガ、私ノ主ヲ知ッテイルト?」
「ええ、知っていますよ。おぼろげに私は覚えている。何せ私はただの大和ではないのでね。言いましたよ? 私はあなたを知っていると。中部の秘書艦、赤城でしょう?」
ぐっと和傘の先端をヲ級改の顎に当て、くいっと持ち上げながら視線を合わせるように近づける。
艦娘なのに自分を知っている大和。
深海棲艦で大和といえば南方棲戦姫だが……、と考えたところで、まさかとヲ級改は目を開く。南方棲戦姫は去年の夏の戦いによって倒された。その頃にはもう中部提督となっていたが、戦いのことは耳にしている。
南方棲戦姫は凪達によって倒された。まさかその南方棲戦姫だとでもいうのか?
それにこの南方棲戦姫は中部提督が生み出した存在だ。ならばこの大和が自分達を知っているのもおかしくはない。
「マサカ、オ前……提督ガ作ッタ大和……ダト?」
「ええ、そうよ。だから訊いているのですよ。私を作った中部はどこにいるの? 答えなさい。あれの秘書艦であるあなたが知らないはずはない」
「アノ人ニ、会ッテ……ドウスル、ツモリ……?」
「決まっているじゃあないですか――艦娘は、人に使われる意思ある兵器。その目的は、人類の敵である深海棲艦の撃滅。となれば、あなた達の主である中部も殺らなければならない」
「――ッ、ソレハ……ソレダケハ、許サレナイ……! ソレニ、オ前……! 自分ヲ蘇ラセタ存在ヲ、殺ストイウノカ……!?」
中部提督の殺害を口にしたことで、ヲ級改は今まで見せたことのないような表情、感情で叫ぶ。自分がこんな気持ちで叫んだことすらないのに、という気持ちすらも浮かばないくらい取り乱していた。
だが大和は和傘でヲ級改の頬を打ち据えながら「頼んでいないですよ、そんなの」と冷静に告げる。
「いらない復讐心まで植えつけられてまで眠りから覚めたくありませんよ。とはいえ蘇ったからこそ、あの人達に会えたという点では感謝することなのかもしれませんが……それでも、いらない犠牲を出した点などを考えると、やはり眠りから覚めるべきではありませんでした。だからこそ、その礼をしたいのですよ。……話す気がないならば、拘束しましょうか?」
それとも、と和傘を左手に持ち替えて右手を握りしめる「その魂を浄化した方がいいでしょうか?」と、自分が長門にされたことをヲ級改にもしようか、と考える。
何せ自分が南方棲戦姫から大和に転生できたのは、長門に殴られたことによって魂が46cm三連装砲へと移った影響だ。正しくは応急修理女神による効果も加味されるだろう。しかし自分が中部提督によって生まれ変わったことを思い出している内に苛立ち、ただ長門のように殴り飛ばせば魂を浄化出来るだろう、という肉体言語による解決へと頭が働いていた。
「何にせよ、あなたを中部の下へは帰さない。覚悟を決めなさい」
「イ、 イヤダ……! アノ人ノトコロニ……帰レナイナンテ……ソンナコトハ……!」
一方のヲ級改もただ子供のように目じりに涙を浮かばせ、あたふたと後ずさることしかできない。手に持っている杖を振り回しても和傘によって軽くあしらわれ、「動くな、狙いがずれて殺しそうになる」と副砲で足を撃ち抜かれる。
これではどっちが悪役かわからない光景だ。痛みに呻きながらヲ級改はあの日のことを思い出す。ヲ級改が中部提督へ意志の力について訊いていた日のことだ。
『赤城、そうだな……何か強い想いを持てそうなものって浮かぶかい?』
『…………ワカラナイ』
『敵を倒したい。生きたい。そういった想いさ』
生きたい。
そうだ、今こそヲ級改は強く想える。
何としてでも生きたいと。
何故生きたいのか? 決まっている中部提督の下に帰りたいからだ。彼の下でまだ生きたい、戦いたいからだ。その心を強く持つ。するとどうだろうか、なんだかわからないが、力が体の奥底から湧き出してきそうな気がしてきた。
帰れなくなるという冷たい恐怖の奥底から、熱く燃えたぎるような一筋の流れが、体の中心から枝分かれして全身に巡っていきそうな感覚を覚える。
そうか、これが意志の力の一つなのだな、とうっすらと思う中でこの言葉が頭によぎる。
『可能ならば生きて帰ってくるように』
中部提督はこう言って見送ってくれた。その言葉に、命令に応えるためにも自分は生きて帰らなくてはいけないのだ。だが現実は容赦なくヲ級改を窮地へと貶める。一度傾いた流れは容易に取り戻せないらしい。
凪が放った大和達への支援艦隊がここにきて到着したのだ。複数の艦隊の旗艦のような立場にある榛名が「主砲斉射! 敵艦隊を撃滅します!」と命じれば彼女が率いる直接の部下である比叡や利根をはじめとした艦娘達が砲撃を始める。空には呉一航戦の空母達が放った多数の艦載機が舞い、深海棲艦の残存兵を攻撃していく。それはすなわち、自分を助けてくれる存在はこの水上にもういなくなってしまったということだ。
抵抗するための杖も弾き飛ばされ、大和の渾身の一撃がヲ級改の顎を捉える。容赦のない一撃に海に倒れ伏す。何とか立ち上がろうとしたが、がくっと力が抜けたように倒れてしまう。
(ナ……力ガ……ドウ、シテ……マサカ、死ヌ? ココデ……?)
正確には顎を強く揺さぶられたことによる影響なのだが、それがわからないヲ級改は自分の魂が大和の拳によって削り取られたことで力が入らないのか、と誤認した。それだけヲ級改の精神は追いつめられており、正常な判断が出来ないでいる。
そんなヲ級改を示して「武装解除させて拘束を。提督のところへ連れていき、主の居場所を吐かせます」と指示する大和。任せろ、と日向が近づく中で、大和は少し苦悶の表情を浮かべて膝をついた。
見ると、先ほどよりも出血の量が増えている。それに気づいたビスマルクが「あなた……ちょ、傷が……!?」と介抱に向かう。
「こんなになるまでやりあってたって言うの!?」
「……退くわけにもいかなかったものでしてね。こういう機会はそう巡ってはきません。それを逃すわけにもいかないでしょう」
「だからといってあなたがやる必要はないでしょう!?」
「……私じゃなければ意味はない」
元南方棲戦姫だったからこそ、ヲ級改はあそこまで釣れたのだ。ただの艦娘ならば適当にあしらわれて逃げられるだけだろう、と大和は考えていた。だから傷を気合で塞いだ状態でヲ級改と交戦した。
それを終えたことで気が緩み、傷口が開いてしまったらしい。気のせいか痛みもぐっと押し寄せてきている気がした。しばらく立てそうにないかもしれない、と苦笑する。
そんな状況の中、不意に接近してくる反応が複数見られた。それは突然のことだった。気づいたのは佐世保二水戦の那珂であり、「魚雷接近! や、大和さん! 逃げてーッ!」と叫んだ時には遅かった。ビスマルクがカバーしようとしたが、それを強引に横に押しやり、艤装の装甲で防御態勢をとる。
「大和ッ!? な、なぜ……!?」
自分が庇ったというのに、どうして負傷している大和が庇ってきたのか、とビスマルクは困惑する。一度ならず二度までも、あれだけ毛嫌いしていた存在に守られるなど、と大きな困惑と焦りがビスマルクへと襲い掛かった。
そしてヲ級改を拘束しようとしていた日向をはじめとする艦娘らが大和へと視線を向け、更に次々と襲い掛かってくる魚雷の群れに意識が向けられる。
まさか、潜水艦が現れたのか? と警戒態勢に入る。あの新型であるソ級が戻ってきたというのだろうか。
しかしそれでもヲ級改を拘束しなければ、と日向が彼女へと手を伸ばすが、それよりも早くヲ級改の体が沈んだ。いや、正しくは海の中に引きずり込まれたというべきだろうか。当のヲ級改もまた驚いた表情で海の中に沈んだのだから。
「なに……!? っ、あれは……!」
ヲ級改がいたところの海を覗きこんでみると、沈んでいくヲ級改の後ろには長髪を大きく揺らしながら沈んでいく存在がいた。頭部には帽子が被されており、虚ろな光をたたえながら海上にいる日向を見つめている。
ソ級だ。
先ほどのエリート級ではなく、通常のソ級なのだろう。彼女が下からヲ級改を引きずり込んだらしい。魚雷の群れで大和達を混乱状態へと貶めた隙に彼女を救出していったのかもしれない。
「――――」
「……ク、感謝、スル……コノママ、撤退ヲ……」
傷に呻きながらも、ヲ級改はソ級に礼を述べた。周りにはソ級だけでなく、ヨ級やカ級もおり、彼女らが魚雷を撃ち込んだのだろうと推察できる。
だがヲ級改は大和との対面が脳裏に、その心に刻まれた。
今回の戦いはただの情報収集である。呉鎮守府や佐世保鎮守府の艦隊を撃滅する戦いではない。だから別に敗北しようとも問題はない。それ以上に得られるものがあったのかどうかが大切だからだ。
得られたものはあった。
(大和……! 提督ノ手デ生マレタ存在……ソレガ、艦娘トナルダケデナク、我ラニ、提督ニ、牙ヲ向ケルトイウノカ……!)
今までにない感情がヲ級改の中で生まれている。乏しかったものが、ようやく人並みになってきたとでもいうのだろうか。何にせよ、ただ忠実に中部提督の命で動くだけの兵器ではなくなっている。
生きたいという想い。
敵を倒したいという想い。
中部提督が口にした想いが、ヲ級改の中で生まれている。これが意志の力に繋がるというならば――感謝しなくてはならない。奇しくもあの大和が、自分が持つべきものなのだろうか、と疑問視していたものを持たせてくれたのだから。
「次ニ、会ウトキハ……必ズ沈メテヤル……提督ニ仇ナス敵ハ、コノ私ガ、許サナイ……!」
それはまさに一人の艦娘の如く。
姿かたちが艦娘の赤城であったならば、敵に対して怒れる存在としておかしくはない一幕。だが彼女は深海棲艦であり、向かう先は海の底にいる中部提督の下。傷を庇いながら、今回の敗北と感情を胸に、ヲ級改はいつか再戦を必ず果たすと決意するのだった。
一方、大和も大和で最後に受けた魚雷が響いていた。ビスマルクを二度庇ったが、先ほどの魚雷は三発も受けてしまっている。そこまでされては一気にダメージが蓄積し、大破状態にまで追い込まれてしまった。それを証明するかのように若干足が沈んでいる。
ヲ級改が芽生えた殺意など関係なく、今ここで彼女が轟沈しそうな勢いだった。
「大和さん、大丈夫ですか!?」
呉第一水上打撃部隊旗艦の榛名がさっと近づいてくる。傷の具合を見て少し顔を青ざめてしまうが、大和は気にするなという風に手を挙げる。そして「私のことはいいです。それよりも、ウェークに向かい、長門達の支援を頼みます」と自力で何とか立ち上がろうとするも、それがうまくいかずに日向に支えられてしまった。
無理をするな、と日向が肩を貸してやり、反対側はビスマルクが支えた。
「……この通り、私は手を貸してくれる人がいるものでね。だからさっさとそれらを引き連れてウェークに行きなさい。そして戦いを終わらせる。それが今のあなたに出来ることでしょう?」
「……わかりました。お気を付けて。皆さん、私達はこのままウェーク島に向かいます! 榛名についてきてください!」
呉の第一水上打撃部隊をはじめとする援軍が榛名に率いられてウェーク島へと進路を変える。それを見送りながら大和達、呉第二水上打撃部隊や佐世保二水戦、佐世保二航戦は指揮艦へと帰還することにする。
日向とビスマルクに支えられながら、大和は何とか航行を開始する。ヲ級改率いる深海棲艦を撃滅したとはいえ、ここはまだ敵が存在するかもしれない海域だ。佐世保二水戦らが周囲を警戒してくれているとはいえ、絶対に安全とはいいがたい。
そんな中でビスマルクはぽつりと、「……ごめんなさい。あなたのこと、少し認識を誤っていたかもしれないわ」と漏らした。それを聞いた大和は、
「あら、殊勝ですね。どういう風の吹き回しでしょうか、ビス子?」
「……く、そういうところは気に食わないけれど、それでも、私を二度までも庇ってくれたことには感謝しているし、礼を述べるべきだとは思っているわ。……ありがとう。おかげでこうして無事でいられたわ」
「気にすることはないわ。私がそうすべきだと判断し、行動したまでのこと。初陣で部下が死ぬなど、あってはならないことです。旗艦として、長として、私は部下を守らねばなりません。それを実行したまでのことだと言いましたよ。礼を言うくらいならば、強くなりなさいビス子」
そう言いながら、軽くビスマルクの肩をたたいてやる。苦しげな表情を浮かべているが、大和はうっすらと笑みを浮かべている。ビスマルクは少し驚いたような表情を浮かべて、大和の顔を見つめた。
「いつの日か私とこうして肩を並べられるくらいに強くなってみせなさい。そうして共に戦果を挙げられるようになって、初めて私はあなたを守れて良かったのだと胸を張れるのです。それに強くなることは、ひいては提督の役に立てる兵器であると証明することでもある。つまりは提督のためにもなります。だからビス子、これからも生き延び、強くなり続けるのです。いいですね?」
「……わかったわ。じゃあ、それを実現するためにもあなたが引くくらい強くなってみせるわよ。そうなった時、私を焚きつけたことを後悔しないようにしてちょうだい!」
「ふっ、それは楽しみですね。あ、別に私としても追いつかれる気は毛頭ないのであしからず。私とて追いかける背中があるものでしてね。そう簡単に肩だけでなく、背中を捉えさせてはあげませんから」
「っ、く……本当にあなたって人は、どこまでもいらない言葉を重ねてくれるわね!? やっぱりあなたとは気が合わないわッ! 少しでも助けてくれてありがとうと思った私が馬鹿みたいじゃないの!」
と、貸していた肩を離してやりながら叫んでしまう。バランスを崩した大和を慌てて抱え直す日向が「まあまあ、落ち着けビスマルク。大和もそうからかうものじゃない。というか、このままだと沈みかねんから、助けてやってくれ!」と二人をなだめてやる。
忘れてはいけないが、ここはまだ敵がいるかもしれないところだ。こんな気が緩んでいいところではないのだが、多少なりとも大和とビスマルクの距離が近づけたのは良いことだ、と思わなくもない。
大和に対して怒ってはいるが、日向に言われては仕方がないと抱え直してやるビスマルク。その後ろでやれやれという風に肩をすくめる木曾と鈴谷。村雨も苦笑を浮かべながらあとをついていく。
こうしてヲ級改らとの初戦は終わりを迎えた。
だが戦いは終わっていない。
ウェーク島では、長門達と離島棲鬼が交戦を続けているのだから。