呉鎮守府より   作:流星彗

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帰還

 

 一夜明け、凪達は大湊鎮守府を後にする事になった。これから数日天気が悪くなるとのこと。雪が本降りになり始める前にここから離れる事になった。埠頭では見送りに宮下と大淀、そして大湊の秘書艦である鳳翔が来てくれた。

 本来なら今日も大湊と演習をする予定だったが、天気が変わってしまっては仕方がない。

 相変わらず宮下は帽子のつばの影に隠れた瞳で凪を見上げている。

 

「一日だけでしたが、お世話になりました」

「お礼は結構。わたしとしても大したことはしていませんので。ですがそれでもあなたにとっては何か得られるものがあったようで」

「ええ。あなたの艦隊の力を参考にし、我が艦隊の更なる強化を図るつもりです。……興味深いお話も伺えましたし、それらに関してはお礼を述べるに値するものと考えます」

「……本当に、その向上心は立派なものです。ですが上や遠くを見るばかりではいつか足元を掬われますよ。気を付ける事です。それとこれも持っていきなさい」

「これは?」

 

 渡されたのはお守りだった。赤を基本とし落ち着いた柄をあしらわれた袋である。もしかすると彼女の実家にあるようなものを渡してくれたのだろうか。

 

「中身は見ないように。大した効果はありませんが、悪しきものを寄せ付けないといったものです。とはいえ深海棲艦相手には意味はありません。ないよりはましでしょう」

「ありがとうございます。大事にします」

「結構。でははやいところ帰りなさい。天気は神と同じく気まぐれです」

「はっ、失礼します。またお会い出来る日を楽しみにしています」

 

 敬礼をし、指揮艦へと乗船する。汽笛を鳴らして去っていく指揮艦を見送りながら、大淀はそっと「伝えないのではなかったのですか?」と問いかけた。

 

「……ええ、伝えませんでしたよ。直接的なことはね」

「だから忠告に留めた、と」

「ふふ、本当に素直ではありませんね。提督としては彼にそのまま成長してほしいのでしょう? つまずかず、自分のところまで駆け上がってほしいと期待している。だからこそ、何かを言わずにいられず、あれを渡したのではないですか?」

「そこまでは考えていませんよ、鳳翔。それに深く期待するだけ無駄なのです。確かに近年の中で彼の世代はまともな方と言えますが、落ちる可能性は捨てきれない。期待して裏切られるというのはよくあること。故に、結果を見るまでは昵懇な関係になどなりません」

 

 小さくなっていく指揮艦に背を向け、昨夜のことを少し思い出す。

 凶兆を見た後、宮下は置いてある長方形の紙に筆を走らせた。出来上がったその退魔の札をお守り袋に入れたものが、凪に渡したものだった。ちゃんとした札に比べれば確かに効果は落ちる。深海棲艦相手にこれを向けてもあまり意味はないのも事実。

 だがないよりはましだ。それに小さな存在ならばしっかりと効果はある。

 

「さて、今日の予定を消化していきましょうか。鳳翔、今日は何がありました?」

「はい、本日は――」

 

 そして彼女達は再び北の地で静かに力を蓄えていく。

 今回のように他と交流するのは珍しいケース。新たに得た情報も蓄積し、深海棲艦という謎の敵を見極める大湊警備府は単独で行動し続ける。だからこそここの艦娘達は、個の力が際立つのだろう。

 鎮守府に作られた道場では艦娘の声が聞こえている。体力づくりのためだけでなく、木曾など人の武器も艤装化されている人が武術の鍛錬を行っている。天気が悪くなっても鍛錬できるように、と始めたことだったが、ここまで成果があるものに仕上がった。

 独特ではあるがしっかりと実を結んでいる。それは誰にも否定出来ない現実なのだ。

 

 

 呉鎮守府に帰還した凪達。艦娘達は早速得た情報を鎮守府に待機していた艦娘達と共有することにした。録画していた大湊艦隊との演習映像を視聴することにした艦娘達。

 その時間で凪は一度執務室へと戻ることにした。パソコンを立ち上げる中、何かを感じ取るように部屋に視線を巡らせる。

 大淀が部屋の掃除をしたのだろうか? それなら気にすることもないだろうが、そうでないならば机の上の物が移動しているのはなんだ?

 

(……ん?)

 

 しかも昨日パソコンを立ち上げたというログイン記録がある。ファイルのアクセス履歴もある。これは外からアクセスされたのか、あるいは鎮守府内で誰かがこのパソコンを操作したか。

 すぐさま大淀を呼び、昨日誰かがここに来たのかを問いかけた。

 

「いいえ、誰も来ていません。私も軽く部屋の掃除をした程度で、提督のパソコンには触れていませんよ」

「……ということは、誰かが侵入したということになる」

 

 外からネット回線を使ってアクセスされたとなれば、さすがにわからない。そこまで専門的な知識があるわけではない。しかしこの鎮守府内で誰かがこの部屋に侵入し、パソコンを操作したとなれば、その誰かはスパイ活動をしたということになる。

 この鎮守府にそんな存在がいるなんて……と凪は冷や汗をかく。そして懐にしまっていたお守りの感触で、宮下の忠告を思い出した。

 足元を掬われる、と。足元、すなわち近くにいる誰かに気を付けろ、という忠告だったのではないだろうか。とすれば、宮下は何かを知っているのだろうか。

 

「昨日、妙な奴はいなかったのかい?」

「いえ、特に異常はなかったかと……」

 

 大淀から昨日あったことを一から説明される。その間横目でパソコンのデータを確認していく。データ改竄なんてことがあったら非常に困る。呉鎮守府に関するデータや弾着観測射撃についてのレポートなどがここにあるのだから。

 やがて説明を終えた大淀。彼女の話を思い返し、何か意識を向けるべきものがあっただろうか、と考える。

 残された艦娘達の中に離反の意志を持つ娘は? 他に注意すべき何かがいたか?

 可能性を考える凪は、ふと大淀の話で微細な可能性を持つものがいたような気がした。

 

「提督? どうしました?」

「…………大淀。注意すべきものがいた。さりげなく、こいつについて監視を頼みたい」

「はい。誰でしょうか?」

 

 凪はその名前を挙げ、大淀は了解する。そして艦娘達からも話を聞くことにする。スパイ疑惑が出たのだ。大淀だけでなく、他の娘達からも話を聞くべきだろう。今は情報が欲しい。

 でも、もうすでに情報は盗まれているのだろう、と凪は考えていた。いったいどこに情報が渡ったのかはわからないが、敵に先手を打たれていることは間違いない。何としてでも見つけ出さなければ。

 

(盗んでいったのは誰だ? 西守大将の派閥の誰かなのか? 俺のところから情報を盗んで何の得が……)

 

 美空大将を蹴落とす何かがあるとは思えない、と凪は考えるが、疑惑が持ち上がっただけの今、答えを得るには難しかった。

 

 

「ただいま、帰還いたしましたぞ。成果は上々。こちらの報告書にまとめてある」

「ご苦労、大島。……なるほど、三人か。いいものを持ってきたじゃない。これは大きいわね」

 

 渡された報告書に軽く目を通した美空大将は微笑を浮かべる。

 大島の任務の一つであるドイツ遠征。同盟国であるドイツに大和の建造データを渡す代わりに、ドイツ艦の誰かのデータを入手するというものだった。

 結果は、駆逐艦Z1、Z3。そして戦艦ビスマルク。

 実際に艦艇が活躍した時期としては、今の日本で主に艦娘化しているものよりも昔ではある。だがその名前は海軍に関わる者としては有名な艦艇ではないだろうか。

 そんな艦娘のデータを入手できたのだ。大和一人に対して三人というのは良い結果と言えるかもしれない。

 また欧州の戦況についても詳しい情報が得られた。実際に大島が見てきたものと、ドイツの情報などを加味した詳細なものだ。

 

「そしてこちらがパラオとタウイタウイの視察結果じゃ」

「ありがとう。貴様の目から見てどうだったのかしら?」

「ふむ。リンガの瀬川のおかげでタウイタウイ周辺は落ち着いてはおるが、深海棲艦どもに基地は破壊されて放置されていたのう。その修復からになる」

「修復さえできれば、建設には問題はない、か」

「ついでにブルネイも見てきた。こちらも泊地の補修が出来れば問題なく使えそうじゃ」

「……パラオは?」

「国としてはまだ生きているのう。トラック泊地の東地が時々警邏しておるようじゃからな」

 

 リンガからは距離があり、トラック泊地からはほぼ直線に西へと進めばパラオに着く。そのためパラオの警邏はトラックの東地が担当していた。そのおかげでパラオは小さな島国ではあるが、まだ国として存続している。

 しかしこれからは、このフィリピンやインドネシア周辺の守りを強化できる見込みが出来る。リンガの瀬川がずっと一人でやってきたことを分担できるようになったのだ。

 

「わかった。問題ないならばプランを立ち上げましょう。長旅ご苦労だった。ゆっくり休みなさい」

「承知。……それで儂がいない間、何かありましたかな?」

「変化があったものといえば、新しい道が拓けそうではあるわ」

「ほう? どういうことですかな?」

「これよ」

 

 と、計画書の一部を大島に手渡す。拝見、と呟いた大島がさっと目を通していき、興味深そうに頷きながら顎髭を撫でていく。「……これが今以上の練度にするための方法、というわけかの?」と首を傾げる。

 

「そうね」

「驚きじゃのう。よもやあなたがこういう要素を絡めてくるとは。絆の力、なんてものには興味はないと儂は思っておったんじゃがのう」

「それは否定しないわ。不確かなものより、ちゃんとした形あるものこそ信頼できる。でも、時にそういうものが、予想もしない結果を生みだす時があるのも確か。意志の力、絆の力……艦娘というオカルトな力を絡めたものを使っているのだから、そういう要素にも目を向けてみようと考えたまでのことよ」

「それがこの指輪、か。システムの命名は決まっているんですかな?」

「それはまだね。気の利いた名前、貴様は浮かぶ?」

「そうですなあ。指輪で絆ときたら、結婚が連想出来るんじゃが、艦娘とそういう関係になる気がない輩からしたら、いらない名前かもしれんのう」

 

 艦娘は見た目こそ人に近しいが、人間ではない。彼女達をただの兵器として見ている者もいるし、提督の中には湊や宮下のように女性提督もいる。同性婚が認められていない日本で、女同士で結婚というのも妙な話だ。

 だから、と大島は計画書を返しながら「補足して命名するとしたら、仮初の結婚、という感じかのう」と答える。

 

「仮初の結婚、ね。なるほど、参考にさせてもらうわ」

 

 その言葉を計画書にさっとメモする。

 敬礼して退室した大島を見送り、パソコンを操作する。そこには最近出来上がった改二の艦娘や、これからとりかかる艦娘のデータがあった。また新しく構築に成功した艦娘もおり、そこにドイツからの艦娘も加える事になる。

 とはいえドイツと日本では設備が異なるため、ドイツ艦を他の鎮守府で運用させるのは少し後になる。問題なくこのデータで建造できるかどうかをチェックしなければならない。

 やることが増えたが、気にするようなことでもない。戦力増強は以前より継続した課題であり、新たなる泊地建設もまた最近追加された目標である。それが増えたところで何も変わりはしない。ただ着々と一つずつ片づけていくだけだ。

 全ては勝利のために。そして再び平和を手にするために。

 当初から変わらぬ目的を果たすために、ただ突き進むだけだ。

 

 


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