宴会が終わった次の日、凪達はそれぞれの指揮艦で鎮守府へと帰還した。東地はトラック泊地のため短い航行で帰還したが、日本へと帰る凪と淵上は数日かけて帰る事となった。
やがて淵上とも別れ、凪は幾日ぶりの呉鎮守府へと帰ってくる。
大本営から送られてきた警備隊からの報告書を受け取り、駐留に掛かった資材や費用の一部を支払う。
そしてこの遠征に掛かった資材を纏めたものを、大淀から報告書として受け取った凪は――
「――たっけぇな。これ、マジ?」
「はい」
「いや、うん……予想よりちょっと上回ってるんじゃないかとは思ったけど、これほどっすか。そうっすか」
ラバウル基地までの往復で移動した指揮艦のものや、艦娘達を動かす際に使った燃料。
艦娘達を修理に使った鋼材にバケツ。
何より攻撃などに使った弾薬、ボーキサイト。
最後に、先程警備隊に支払った資材も加味される。
それらを全て計上した数値は軽く万を超えた。特に燃料は二万に近くなっている。一番使うかもしれない、と貯めておいて良かったと本気で思う。
艦娘の中で一番食ったのはやはりと言うべきなのか。史実でもかなり食うためにあまり容易に動かせない存在だったのだから仕方がない。
「……大和型はさすがだねえ。後半にしか出してないのに、こんなに持っていったの?」
「囮を引き受けてからが本番だったかと思います。飛行場姫の際はほとんど撃つだけだったのですが、戦艦棲姫との戦いでは……」
「あー……そうだったね。前へ前へと出ていった上に、撃ち合いで被弾を重ねたからか……」
そのため、あの一戦だけでごりっと資材が減ったようだ。艦娘数人分を一人で持っていくのはとんでもないことだが、大和なら仕方がないと思えるだけのスペックなのだから、多少は理解できる。
理解は出来ても、一筋の汗が流れてしまうのは仕方がないだろう。運用する側としては、ちょっと抵抗が出てしまう。だが、それに見合うだけの力があるのは確かだ。これからも決戦の際には運用する事にしよう。
続いて凪は報告書の作成に取り掛かることにした。
ソロモン海戦で戦った敵についての情報を美空大将に求められている。
それぞれの感じた事、敵の特徴などを書き、情報を共有するのだ。
その間に艦娘達にはやるべきことを伝えておかなければならない。休息は帰還する間に充分とってあるので問題ない。
「いつものプランで訓練を。今日は遠征はなしでいいよ」
「はい。その旨、通達しておきます」
大淀が一礼して去っていき、凪はパソコンで報告書を書き進めていく。外で大淀の通達を聞いた艦娘達が一斉に海へと向かう中、凪は一人で静かに作業を進めていった。
次の日、書き上げた報告書を美空大将へと提出すべく通信を繋いだ。
それだけでなく以前話していた大型建造ドックの改装工事についてもお願いする事にする。
それらの書類を提出すると、美空大将からはソロモン海戦における報酬の件について話し始めた。どうやら今回も色々と送ってくれるらしい。
「ではまずは艦娘から」
軽巡、阿賀野、能代。
潜水艦、伊19、伊8。
そして戦艦、武蔵。
これらの艦娘データが送られてきた。
大和の構築が終わった後に、もう武蔵が出来上がっていたとは。だが同じ戦艦なのだ。大和と並行して作っていたならばおかしいことはない。
しかし今回は作ることは出来ないだろう。
大和の場合は異例の条件で生まれ落ちたのだ。武蔵の場合は例の大型建造ドックがなければ生まれることはない。
そして艦娘の次は装備だ。
応急修理要員。
53cm艦首酸素魚雷。
今回は装備に関してはあまり多くない報酬のようだった。だが贅沢を言える立場ではない。前回の大和に今回の武蔵。それだけでもかなり大きな報酬なのだ。
「それから、貴様に渡すものがある」
「なんでしょう?」
パソコンに送られてきたのは大型建造可能艦娘、というファイルだった。
大型建造によって生まれる艦娘は大和や武蔵だけではない。他の艦娘もまた作ることが出来るようにするためのデータのようだった。
そこにはこう書かれてある。
揚陸艦、あきつ丸。
潜水艦、伊401、まるゆ。
装甲空母、大鳳。
以上の艦娘が大型建造において、一定の資材を投入した時に生まれる可能性があるようだ。大鳳や伊401はいいとして、あきつ丸やまるゆといえば陸軍関連のもののはずだが、一体どういうことだろうか。
「少しばかり陸軍とも交渉したのよ。以前から方々に手を伸ばしていてね、使えるものは何でも使ってやるのが私のやり方なのよ」
出世するために振るった手腕を発揮したという事だろうか。そのチャレンジ精神があってこそのし上がり、改二の技術にもたどり着いたのだろう。そういう所は美空大将ならではの力と才能に尊敬の念を抱く。凪には出来ない事だ。
「もう少しすれば新たなる改二のデータが完成する。公開可能になれば貴様達にも送ってやろう」
「ありがとうございます。美空大将殿」
「改装工事の件も手配しておこう。近日、業者が訪れるからそのつもりで。では、私は次の交渉の件があるからこれで失礼するわ」
「まだ何かあるのですか?」
「ええ。遠方の相手だからそんなに機会はないのだけど、せっかくの時間を無駄には出来ないのよ」
遠方? 陸軍というわけではなさそうだが、一体誰と交渉しているのだろうか。
何にせよ時間が押しているならばこれ以上通話するのも良くないだろう、と「わかりました」と敬礼した。
そして凪は一息つくと無意識に足が工廠へと向かっていた。
作業着に着替えると、手持ちの装備リストを確認する。久しぶりの工廠での装備いじりだ。
(戦艦棲姫という硬い敵が現れたんだ。飛行場の砲撃の件もあるし、主砲調整でもしてみるか)
妖精達に41cm連装砲を持ってくるように指示すると、艦娘達の意見書を取り出す。基本的に艦娘ごとに合った調整をしているので、使ってみてどうだったのか、何か別に気になるところはないかを意見書に書くように伝えていた。
この主砲は長門のものだが、遠距離砲撃となればやはり命中率が悪くなってくる。何度か撃っている内に微調整を施し、命中率を上げていくのだが、外す時は外す。
時に夕張と共に調整を施し、命中率、そして火力を上げるための改修を行ってきた。それは今日これからも続いていく。
だが夕張も趣味みたいなものでやっているのであり、彼女の本分は戦闘にある。凪もまたこの装備いじりは今となっては趣味であり、提督としての業務こそ彼のやるべきことだ。去年まではこれを仕事としてきたが、この二人だけでは少し足りない。
そう考えると、誰か一人本当に装備改修が出来る人がいればいいと思ってしまう。第三課から誰かを引き抜いて雇うか、あるいは艦娘の誰かがその技能を持っているか。
ないものねだりをしても仕方がない。
「よし、方針は決まった。やるか、夕張」
「はーい、任せてー」
作業着に着替えた夕張も合流し、意見書に書かれていた命中率向上願いを果たすために、夕張と共に主砲の調整を進めていくのだった。
通話を終えた美空大将は書き進めていた書類に判を押す。それを丁寧に封筒に入れると、それを目の前にいる人物へと手渡した。
立派な顎鬚を生やした中年の男だ。美空大将にとっては長年の付き合いといえる人物である。
「手間をかけるわね、大島」
「なに、かまいやしませんよ。大和に武蔵という大物にも携われた上に、今度はこのような大任を任されたのじゃ。儂としても悪い気はせんよ」
「そう?」
「うむ。これが成功すれば、日本海軍に新たなる風が吹くんじゃ。その任務に関われること、誇りに思いますぞ」
「でも、道中の危険があるわ。西の情勢はひどいものと聞いている。気を付けるのよ」
「はっはっは、大将殿に心配いただけるとは。じゃが、リンガの瀬川の手助けもあるじゃろうて。西からの進軍も多少は抑えるだけの力はある」
リンガ泊地に着任した凪と同期だった3位卒業生。
これから大島は数人を連れて、美空大将から与えられた任務のためにリンガ泊地へと向かう事になるのだ。
これまで凪が関わってきた海戦には関わってはいないのだが、瀬川はリンガ泊地から西、すなわちインド洋方面に睨みを利かせている。
話によればヨーロッパやアメリカでは熾烈な戦いが繰り広げられているとの事らしい。それぞれの海軍が何とか押し留めて滅びを回避しているようだが、それが長く続けば苦しいものになる。
そこで美空大将はお互いの艦娘や装備データの一部を共有し、戦力拡張を提案した。丁度日本は大和と武蔵の構築に成功している。その二つをそっくりそのまま手渡すのも何なので、どちらかを共有する代わりに、向こうからも何かを提示してくれないか。
その交渉をこれから某国に行おうという試みである。
「では行ってまいります」
「気を付けて」
敬礼した大島が退出すると、美空大将は別の書類を確認する。
そこにはショートランド泊地、ブイン基地の建設計画が記されている。こちらに関しても調整が必要だ。
また大島には某国への交渉だけでなく、インドネシア方面の他の基地の下見も兼ねている。候補としてはタウイタウイやパラオが挙げられている。
西の深海棲艦は今のところはヨーロッパ方面、主に大西洋で活発に動いている状況。地中海やインド洋は落ち着いているようだった。つまり今はリンガ泊地周辺で大きな戦いにはなっていないようだが、いつどうなるかはわからない。
最近までは南方のソロモン海域が活発になっていたが、それはようやく制圧されたのだ。つまり、次はどこが活発になるのかはわからない状態にある。
日本海軍が出向ける海域は太平洋、南西諸島、北方、そして南方だ。その中の南方が落ち着いたならば、今度は他の三つの海域のどれかになるだろう。
だからこそ備えねばならない。
美空大将はこの時間を利用して某国との交渉を進め、同時に新たなる泊地建設を進める事にしたのだ。
交渉や泊地建設だけではない。
新たなる艦娘や改二の準備も進めている。それだけやることが増えている今、美空大将に少しずつ疲労が蓄積している。淵上が離れてからは、補佐は大淀が務めている。だが短い付き合いの中でも大淀は美空大将の疲れを感じていた。
「美空大将殿、大丈夫ですか? 少し、お休みになっては?」
「気遣いありがとう。でも、大丈夫よ。今は休む時ではないわ。色々とやることが残っているもの」
「この数日お帰りになっていないのでしょう?
「親がいなくて寂しがる年頃でもないわよ。それに、時間を見てメールや電話はしているわ。……実際に会って話をした方がいいというのはわかっているけれどね。残念ながら今はそうしている暇はないのよ。これが終わった次は改二調整の具合を確かめるのだったわよね?」
修正すべきところにペンを走らせながら大淀へと確認すれば、スケジュール帳を手に彼女は頷いた。
そして香月というのは美空大将の次男である。来年アカデミーを卒業見込みの子であり、一定の成績を収めなければ卒業はおろか進級すら出来ないアカデミーの教育方針からいえば、ひとまずは優秀といえる人材といえる。
だが美空大将はその立場と仕事量から、昔のように家族団欒の時間は取れずにいた。特に長男である星司を喪ってからは、より一層仕事に打ち込んでいるという話もある。
つまり実の子供である香月より、姪である淵上の方が接している時間が多いという事でもあった。
「ですがよろしいのですか? 香月さんは……その、話によれば――」
「――知っているわよ。私としては、そんな理由で提督になるものではないと前から言っているのだけどね。聞く耳持たないのだから仕方がない。……だからこそ、私なりの信頼のおける二人を先に据えておいた」
ふっとどこか悲しい表情で笑いながら美空大将はペンを走らせ続ける。
星司を喪って変わったのは美空大将だけではない。どうやら次男の香月もまた変わってしまったようだ。
身内を喪ったならば当然持ちうる感情を胸に、香月は何としてでも卒業するのだと励むようになった。母親としてはそのような理由ではダメだと言い聞かせようとしたようだが、香月がそうであるように、美空大将もまた喪った事で芽生えた感情に突き動かされたかのように出世していったのだ。
そんな母を知っている香月としては、彼女にだけは言われたくないと反抗したのだろう。最早どちらも止められるものではなかった。
今では大将の立場へと上がった美空陽子。
そして美空香月もまた来年卒業し、成績上位ならば提督として着任出来るのだ。目標達成が目の前にある中、美空大将がしたことは、凪と淵上を先に提督として着任させ、力をつけさせたことだった。
先達として信頼のおける二人がいるならば、万が一の時にでも救援に向かえるだろうという考えだった。そうでなくとも、二人を見て何か感じるものがあれば、少しでも考えが変わるならば、そんな思いもあっただろう。
これが上手くいくとは限らないが、美空大将としては何かしなければならないという思いの中で動いたことだった。完全な身内の事情による采配だが、それを抜きにしても凪という人材は思った以上によくやってくれている。
これもまた海藤迅の、海藤家の血の影響なのだろうか。あるいは隠してきていた凪の力が振るわれた結果か。
何にせよ、何かが起こらなければ当初の目論見以上の成果を見せてくれているのは確かだった。淵上もこれから伸びていくだろうし、今のところは順調といえよう。
「――さ、これを渡して来て頂戴。私は改二を見に行くわ」
「……かしこまりました」
話は終わりだ、と言わんばかりに打ち切るようにチェックが終わった書類を大淀に渡すと、美空大将は足早に部屋を退出していった。
軽く渡された書類に目を通したが、しっかりと最後までチェックが済んでいる。話しながらも仕事はきっちりこなす人だ。ぬかりはない。
だがこのままでは倒れてしまう危うさがある。
進言しても、彼女の言うように今はやることが多いのだ。体調管理は本人だけではなく、大淀からも見ていくしかない。ぎゅっと唇を噛みしめて大淀も退出したのだった。
「私にも……私にだって、出来るはずだ……」
ぶつぶつと囁くような声がそこに響いていた。
薄暗い空間の中、それは映し出されているモニターと、散らばっているがらくたを見つめている。
先代呉鎮守府提督。今となっては深海勢力における南方提督と呼称される存在だ。
ソロモン海戦における二度の敗北により、フィジーへと身を潜めた彼は今、身を焦がすかのような屈辱と怒りにまみれている。だが、それは死した後に生まれたものなのだが、生前に味わったものも加味されている。
思うように戦果を挙げられず、上からは見捨てられそうになり、焦った挙句の死。死に至る要因の中に、認められなければならない、そのためには戦果を挙げなければならない……そういった承認欲求に突き動かされていた南方提督。
彼は今もその心の中に承認欲求が存在しているのだが、それを認める事も自覚する事もない。深海棲艦は心がない。死んだ者にそんなものはないのだ、と凝り固まった思考が存在するからだ。
そんな矛盾を抱えたまま動く彼は、まさしく亡霊と呼ぶにふさわしい。死んだ者が動いているという世の理に反した存在。いや、それをいえば艦娘もまたそうなのだろうが、彼女達は心が存在する。それこそが彼の考えに反論することが出来る生きた証拠なのだろうが、亡霊である彼にとってそんなものを突き付けられれば暴走するだろう。
それだけ彼には危うさが存在していた。
その危うさを孕んだまま、彼はまた何かを作ろうとしていた。そんな心で何かを作るなど危険極まりないだろうが、残念ながら彼を止めるものが存在しない。
「何を作ればいい……何を作れば、あの方に認めてもらえる……?」
ユニットから表示されているモニターには、今まで生まれた深海棲艦が表示されている。
周りのがらくたは主に船の残骸や武装だ。これらを組み合わせ、深海棲艦の力の素を注ぎながら細かな調整を繰り返していく。
飛行場姫に関してはまた別のやり方を用いたが、基本的に普通の深海棲艦に関しては鬼や姫であっても何も変わらない。最終的には調整の仕方にかかってくる。
そう、鬼や姫を作ろうと思えば調整の腕が関わる。だが、そうまで大きな存在を作るのではなく、一般的な深海棲艦であり、なおかつ新たな道を切り開けばどうだろうか。
「……そうだ。中部の残していったあれらを基本とし調整を施せばいい。砲撃、雷撃、航空……あれもこれもとつぎ込むことは無駄ではある。だが、上手くいけばやはりこれは大きな力となるんだ……」
泊地棲姫、装甲空母姫、南方棲戦姫。
大型艦として生れ落ちた深海棲艦。だがその三種の攻撃方法を備えながら艦娘達に敗れ去った。鬼や姫としては初期型故に仕方がないかもしれない。深海棲艦も艦娘も成長し、変わっていくのだ。あれらは、その波に追いやられた存在なのだと考えよう。
ならば新たな波を自分が作ればいい。
言うなれば、深海棲艦の第二世代だ。
「ふ、ふふ……ふはははは……! そうだ、私が、私が作るんだ。ヘンダーソンという新たな波を私が作ったんだ! こっちでも、私は出来る、出来るはずだ……!」
意気込む南方提督は、その気合いの入れ方を示すかのように激しく眼の光が明滅している。道を見出した彼は、早速作業に取り掛かるのであった。
冬が訪れる中、それぞれが次なる戦いに備えている。
ひと時の平穏な時間が訪れるというのに、彼らはもう次を見据えている。
その手に勝利を掴むために、冷たくなってくる世界の中で、胸には熱い思いが燃えているのであった。