呉鎮守府より   作:流星彗

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大和

 それは凪達だけでなく、南方棲戦姫にとっても想定外の出来事であった。

 あの日、南方棲戦姫は確かに敗れた。長門達によって討ち倒され、深海棲艦としての力の反動によってその身と艤装が崩れ始めたのだ。

 海の底へと沈んでいく中で、復活した長門の右手によって殴られた熱さと、それに対する海の冷たさが妙に覚えていた。

 薄れていく意識の中、その頬の熱さが、何かに導かれるような気がしていた。

 無意識と言ってもいい。

 沈んでいく体に反して、心はまだ生きたいと願っていたのだ。そして叶うならば、もう一度長門と戦いたい、とあの時強く願っていた。だがそれは次の南方棲戦姫か、あるいは別の深海棲艦として叶うものと思っていたのだ。

 だからなのだろうか。それを何かが叶えてしまった。

 立ち昇る光の粒子が、浮上していく戦艦主砲へと集まっていき、それを長門が回収。光の粒子は主砲の中にあった情報データに付着し、同一化した。

 そして今、それは目覚めた。

 建造データにアップデートされた大和の艦娘データと、建造ドックの稼働、そして外の落雷によって凪の意識が離れた瞬間を狙い、それは動き出した。

 生きたい、蘇りたいという無意識に突き動かされ、それはドックの中に飛び込み、大和のデータにアクセス。主砲をばらして鋼材へと変えて再び一体化し、置いてあった資材を数度に分けて取り込みながら変異していったのだった。

 そうして完成したのがこの大和。全ては「生きたい」という生物の本能によって突き動かされた復活劇。そのため、南方棲戦姫の本来の意識は、そこに至るまでの過程が分からない。

 故に、どうして自分がこうなっているのかを理解できていなかったのだ。

 だが、生きたいという願いは他の深海棲艦だって持ちうる感情だろう。どうして南方棲戦姫だけが復活できてしまったのか、その理由も不明だ。

 しかしこうして自分は生きている。再びあの長門と対峙している。その奇妙な運命に感謝せねばならない。

 

「答えろ。どうしてお前がここにいる、南方棲戦姫?」

「さて、私にもよくわからないのよね。どうして自分があれだけ憎み、敵対していた艦娘になってしまったのか。……たぶん、長門。貴様に殴られたせいだとは思うのだけれど」

「私? ……確かに殴りはしたが、あれだけでどうにかなるものでもないだろう」

「――いや、殴ったのは女神で修復された右手だったよね? それが関係したりするか?」

 

 凪がふとした仮説を提示してみる。

 ただ殴っただけでは確かに意味はないだろう。だが長門は応急修理女神によって取り戻した右手で殴った。長門の右手に残っていた応急修理女神の小さな力でしかないそれが、彼女の魂だけ掬い取り、戦艦主砲へと移したのではないかと推察する。

 応急修理女神の効果を発揮した力の影響が、南方棲戦姫が妙に覚えていた熱さだろう。彼女の轟沈によって再び応急修理女神が発揮されたが、しかし彼女は艦娘ではなく深海棲艦だった。

 それでも轟沈という状況と、南方棲戦姫の生きたいという願いが噛み合ってこの奇跡を生み出したのだろう。

 

「ってことは、あの異分子って……南方棲戦姫の魂?」

「かもしれない。こうして南方棲戦姫の意識がしっかり残っているんだからね。でも、彼女の更に前の姿は大和。今日まで大和の艦娘データは存在しなかったが、先程アップデートされた事により、そのデータと魂が呼応した。それによって、無理やり復活を果たした……というのが俺の推理だよ」

 

 無理がある推理ではあるが、実際に目の前で復活してみせたのだ。完璧ではないかもしれないがほぼ当たっているかもしれない、と思わせる推理かもしれない。

 だがそれが正解なのだとすれば、どれだけの低確率の道筋を通ってきたのだろう。

 長門が轟沈手前までいかなければ、応急修理女神は使わなかった。

 そもそも南方棲戦姫に執着されていなければ、加賀が長門へと応急修理女神を渡す事もなかっただろう。

 吹き飛んだのが左腕だったならば、復活した手で殴ろうと思わなければ……。

 様々な「もしかすると」が存在し、それらが上手くかみ合った結果がこの現実だ。どれかが違っていれば成し得なかった奇跡。

 だが奇跡をその身に受けていながら、南方棲戦姫の願いというのはただ一つ。

 

 目の前にいる呉鎮守府の長門と再び戦う、というものだけ。

 

「そんな推理などどうでもいいわ。艦娘である事は計算外ではあるけれど、だからといって長門と戦えないわけではない。……再戦の時よ、長門。次こそ、貴様に打ち勝ち、大和こそが強者である事を示す時」

「なるほど、その願いが、未練が、お前を復活へと導く力となったのだな。……だが、残念ながら断らせてもらおう」

「何故? 戦わないというならば、その気にさせないとだめなのかしら?」

 

 砲門が長門ではなく凪や山城へと向けられていく。だがその途中で大和の意思に反するようにぎちぎちと音を立てて動きを止めはじめた。ん? と大和が艤装へと視線を向けるのだが、砲門は別の方へと向けられる。大和が何とかして照準を合わせようとしても、それらは逆らい続けているのだ。

 

「今の君は艦娘だからね。艤装にはそれぞれ装備妖精が存在する。装填したり撃ったりする事や、照準をしっかりと合わせる作業。それらは妖精達の補佐があってこそ。妖精の力を借りずに出来る事は出来るけど、残念ながら味方を撃たないようにするという役目も妖精が担っているからね。それは出来ないよ」

「…………そう。なら、別のやり方で相手してもらおうかしら」

 

 艤装を解除し、素の艦娘となった大和は長門へと近づいていく。

 これは、やむを得ないか、と長門が苦い表情をしながら凪へと一瞥する。凪もしかたない、と言う風に小さく頷き、艤装を解除して長門は前へと出た。

 ゆっくりと歩み寄っていく二人。一触即発の空気はまだ完全に消えてはいない。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、弾かれたように二人が飛び出し、お互い右ストレートで殴り飛ばした。いい音を響かせるクロスカウンターが頬へと抉りこみ、しかし二人は耐える。

 もう一発、更にもう一発と顔へとお互い殴り合い、どちらも口の端や鼻から血を流し、しかしどちらも退かぬという強い意志を瞳に宿している。

 

「これくらいで倒れてくれないでよ、長門? 存分に、やりあいましょう?」

「まったく、付き合わされる私の身にもなってほしいものだな……!」

 

 お互い胸倉を掴み合い、顔、腹とまた殴り合う。どちらも服を掴んで離さないため、逃げる事すら出来ない中での戦い。それを見守るしか出来ない凪達は、止めるタイミングを失っている。

 目の前で強い戦意を放ち合い、拳を撃ちこみあう戦い。あの中に割って入って止めることなど誰が出来ようか。

 同じ戦艦である山城や日向なら大丈夫か? いや、無理だろう。あの長門と大和の殴り合いに身を挺して止めに入るなど。後ろから二人がかりで羽交い絞めならばあるいは、とは思えども、失敗したら逆にやられそうだ。

 

「くっ……!」

 

 不意に大和がふらついた。そこを見逃さず、長門がボディに一発打ちこんで膝をつかせる。その瞬間、凪の目配せに従って山城と日向が大和を取り押さえに掛かった。

 鼻血を親指で拭き、長門は荒い息をつきながら大和を見下ろす。床に抑えつけられた大和も荒い息をつきながら血を流しており、凪がティッシュを取ってそっと拭いてやった。

 

「で、気は済んだかい?」

「……そんなわけないでしょう? 私は、また長門に負けた……。だからといって、これで終わる私じゃない。何度でも、何度でも長門に挑み続けてやる」

「そう。なら、そうするといい。我々に敵対するのではなく、長門の良きライバルとして在り続けるというならば、我々は君を不当な扱いをしないでおくよ。その代わり、君には我が艦隊の一員となり、従ってもらう」

 

 じっと大和を見据えながら凪はそう告げた。それに対して大和は鋭い眼差しで凪を見返している。その瞳には少しの疑念が宿っていた。

 

「私を、殺さないと? 私は深海側の存在よ?」

「深海側だった、だろう? 今の君には深海の力はない。深海棲艦が持ちうるような暗い感情も見当たらない。君の中にあるのは、長門に対する対抗心。長門に負けてなるものか、という挫けぬ心。……艦娘を沈めなければならない、という衝動はないように見えるのだけど」

「…………」

 

 凪の言葉に、今一度彼女は己の心を確かめる。

 確かにあれだけあったはずの艦娘を沈めるのだ、という声がまったくない。己の中に巣食っていたはずの黒き感情も、衝動もない。存在するのは長門と戦い、勝つのだという戦意と、深海棲艦と戦うのだ、という意思と、人を守るのだという想い。

 ……何故、後者の二つが存在しているのだ?

 大和はそこで初めて気づいた。

 どうして深海側だったはずの自分が、深海棲艦と戦わなければならない、という意思があるのだろう。艦娘は仲間だ、人は守る対象だ、という意識があるのだろう。

 答えは簡単だ。

 自分が、艦娘の大和のデータを参照したからだ。故に艦娘の大和の意思が、感情が、南方棲戦姫の魂と融合してしまっている。

 意識こそ南方棲戦姫のものが上回っただろうが、戦いに赴く理由の根源は艦娘側の意思が優先されたのだろう。

 

「南方棲戦姫ではなく、あえて大和と君を呼ぶよ。大和、君は兵器を自称しているのだろう? ならば兵器は使う側の意思に従わなければならない。では誰が君を使うのか――俺だよ。故に大和、俺の意思に従ってもらう」

「拒否する、と言ったら?」

「それは許されない。君は復活する際に、うちの資源を大量に食いつぶしてくれたからね。……どれだけ減ったの?」

 

 妖精達がその数字を告げ、大淀が翻訳してくれた。

 それによると、4000、6000、6000、2000減ったらしい。

 改めて数字を聞くと少し眩暈がしそうになる。もしかすると美空大将が言っていた建造する際の最低値を、そのままごっそり持っていかれたのだろうか。なんだか胃が痛くなり始めたが、それを堪えて少し震える声で話を続ける。

 

「あのね……この数字って、うちにとっては結構痛い出費なのよね。君はそれに対する働きをしなければならない。故に拒否権はない。君はうちで働いてもらう。でも、従い続けてくれるならば、長門と戦う機会を時々設けてあげよう。それが君の望みなんだろう?」

「…………本当に?」

「ああ。それに艦娘として強くなっていけば、もしかすると長門に勝てる時が来るかもしれないしね? 当然長門も強くなっていくから、完全に追いつくことは出来ないかもしれないけど、戦い方次第では勝てるだろうさ。君が我々を裏切らず、長くここに在籍するならば、その機会もいつかは巡ってくるだろう。……逆にいえば、裏切るっていうんならやむを得ない。俺の権限で君を切る事になる」

「殺すと?」

「いいや、殺すんじゃないよ。解体する」

 

 解体とは殺す事ではない。艤装との繋がりをなくし、ただの人間とする事だ。

 艦娘としては死ぬが、命までは失わない。しかし艦娘でなくなるという事は、人の身では到底出来ない事が出来なくなる。凄まじい力も、水上を航行する事も、驚異の回復力も全て失い、ただの人間となるのだ。

 

「艦娘でなくなるから、海に沈んでも深海棲艦として再び復活する保証もなくなる。ただの人間が深海棲艦になった、という例はないだろうし、考えられない。つまり、君の願いはもう叶わないという事になるね。それが裏切りの代償だ」

 

 凪のその言葉に、大和はふと何かを思い出すように思案した。

 ただの人間が深海棲艦になった例、というのを思い出しているのだろうか。しばらく無言で考え、何かを思い出したかのように少し目を開いたが、しかしすぐに瞑目する。

 

「…………なるほど、それは私にとっては少し痛い代償ね。……わかったわ。人間、貴様……あなたに仕えよう。私という兵器、あなたに預ける」

「受け入れよう、大和。共に、深海棲艦と戦ってもらおう」

 

 二人に目配せすると、そっと大和から離れていった。大和も少し体を払いながら立ち上がり、ちらりと長門へと視線を向ける。また戦うのか、という気配を感じて「待て待て、今日はもう戦ってくれるな」と止めに入った。

 

「これ以上の戦いは許さんよ。修理費だってタダじゃないんだから。今日はもう休んで」

「そうだな。大和、こっちに来るんだ。提督の命令は絶対だ。今日はお前の相手はしないぞ」

「……しかたないわね。人間の命令とあれば、従うわ」

「人間ではない、提督だ。そう呼べ。……その辺りから教育せねばならんか。艦娘として生まれたのに、深海側の意識が強いとこうなるんだな」

「艦娘としての知識も多少は混ざってはいるのだけどね。素直に受け入れづらいのよ」

 

 そんな事を話しながら二人は入渠ドックへと向かっていった。

 まさか、南方棲戦姫が復活する事になるなんて、誰が想像しただろう。美空大将に報告しなければ、という思いと同時に、これからあの大和と付き合っていくことになるのか、という不安が襲い掛かってきた。

 艦娘ではあるが、意識は深海棲艦の方が強い。だからあの資料で見たような、大和撫子を彷彿させる穏やかな女性の雰囲気はない。見た目こそ艦娘の大和だが、纏う雰囲気は少し威圧感の強い女性。知り合いで挙げるならば、美空大将に近しいものだろう。

 どうしてこうなった、と少し痛むお腹をさする。

 

「提督さん、大丈夫っぽい?」

「ん? ああ、うん。まあ……何とかするしかないでしょうよ」

「厄介ごとが増えるなんて、不幸な事ね……」

「確かに厄介ではある。けど、うまく手なずけられたらこの上ない戦力だよ。それに、深海側の情報も上手くいけば入手できるかもしれない、と前向きに考えよう。山城」

「……それは失礼しました」

 

 ふと、大淀が恐る恐る凪へと声をかけてくる。どうしたんだい? と振り返ると、そっとメモを手渡してくれた。そこにはこう書いてある。

 現在の資材量なのだが、大和の復活の際に消費された資源を差し引いた数字がそこにある。

 

「…………マジで?」

「はい……それと、大和さんのデータなんですけども、修理費の予想推移がこちらでして……」

 

 と、印刷されたデータが書かれている。

 レベル1の時点でも結構減るが、このレベルが上昇していった際に消費される修理費の数字が、凪の予想をはるかに超えている。

 ちなみに先程は艤装を用いずに戦ったので、消費されるのはほとんど燃料だけなのだが、もし長門と艤装でやりあった場合はそうはいかないだろう。だが、それでも小破近くまで追い込んでいるから、出費はそれなりにするだろう。

 それを考えると、凪はまた眩暈と胃痛に襲われる。

 

「な、なんてこった……さすが、大和型……」

 

 くらり、と倒れそうになるところを神通に支えてもらったが、これはまずい。非常にまずい。戦力が増えた事などを喜ぶ気持ちが霧散しそうだ。このままでは、鎮守府運営に関わる。

 

「な、なんとしても資材を、資材を取り戻さんといかんぞこれ。それと改めてあの大和に艤装を用いて長門とやりあうな、やりあいたいなら他の事でやってくれ。ときつく、きつく言っておいて。でないと、うちが破産する……!!」

 

 その言葉に、艦娘達が一礼して応える。

 新たに迎え入れた大和、という一癖も二癖もありそうな存在。夏の雨の日に生まれ落ちた彼女は、きっと波乱をもたらすだろう。だがそれでも、上手く付き合っていけるようになれば、これ以上ない頼もしい仲間になってくれるはずだ。

 だが、まずは貯蓄を溜めねばならない。

 空を見れば、雲の切れ間から光が差し込み始めていた。

 雨が過ぎていくようだ。

 まるでこれから行く先に、光があるのだと天が告げているかのよう。

 

「……水雷戦隊を集めて。遠征、よろしく頼むよ」

「承知いたしました」

 

 天の導なんてあまり信じてはいないが、この時は信じてみてもいいかもしれない。

 少しずつ落ち着き始めた空を見上げ、凪は軽く腹をさすりながら思うのだった。

 

 


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