ご注意ください。
その日の出来事は、恐らく誰も忘れることはないだろう。
雨が降り注ぐ8月8日、呉鎮守府に通信が入った。執務室で通信を開くと、相手は美空大将だった。
「健勝かしら? 海藤」
「ええ、変わりはないですよ」
「湊がそっちに行ったと思うけれど、あの子、挨拶できていたかしら?」
「ぼちぼち、ですね。最低限の挨拶をし、主砲をチェックした後、佐世保へ行ってしまいましたよ」
「そう。あの子からも報告は聞いたけれど、やっぱりそうなったのね。……まあいいわ。今日は貴様に渡すものがあってね。それについて話をしに来たのよ」
「というと、もしかすると……?」
ちょっとした期待を含みながら問えば、美空大将も微笑を浮かべて頬杖をつく。
軽くキーボードを叩きながら「喜びなさい」と切り出し、
「大和の艦娘構築が完成したわ。今からそのデータを送るわよ」
「はっ、有難く頂戴いたします」
すぐさま受信データを確認し、それが確かに大和であることが確認できた。艦娘として生まれる際の姿、能力、そして艤装。その全てが記されている。それを工廠へと送りながら、「ありがとうございます」と頭を下げる。
だが、美空大将は頬杖をつきながら微笑を浮かべたままだ。
「しかし、それを建造することは出来ないわよ」
「……どういうことです?」
「工廠における建造ドックへ投入できる資材の上限、把握しているわね?」
「999、ですよね?」
「ええ。でも大和を作るのに燃料がいくつ必要か。答えは4000よ」
「よ……っ!?」
思わず叫び声をあげそうになったのを何とか堪えるように手で塞いだ。
流石は大和型、というべきか。投入する資材が文字通り桁違いだ。冷や汗を流す凪に美空大将は調子を変えずに話を続けた。
「大和を建造しようと思ったら今の建造ドックを改造し、大量の資材を投入出来るようにしなければならない。だからまずは建造ドックの改造ね。大和を運用するのはそれからよ」
大本営は大和を艦娘化する以前より改造済みのため、問題なく大和を建造する事が出来ただろうが、その特別な建造ドックはそれぞれの鎮守府に常備しているわけではない。
仕方がないが、呉鎮守府の建造ドックもまずは改造工事からだろう。妖精の力を借りれば数日で済むだろうから問題はない。更に運営費用から出費する事になるだろうが、こういうのは先行投資だ。惜しむ理由はない。
「安心しなさい。別に大和だけを送るつもりはないわ。他にも艦娘のデータはある」
そう言ってまたキーボードを叩き、別のデータを送ってくれた。
ファイルを開いてみると、確かにそこには別の艦娘のデータが纏められていた。
潜水艦、伊168、伊58。
重巡洋艦、鈴谷、熊野。
それらが一気に送られてきたのである。
というか、ついに潜水艦まで構築に成功していたのか、と凪は驚いた。そして新たな重巡、と頷きながらこれらも工廠へと送る事にする。
「これらは通常の建造で出来るから大丈夫よ。潜水艦は確定データをまた送るわ。作りたい、と思ったならばこれを使用し、入手しなさい」
「ありがとうございます」
前の五航戦の時と同じだろう。決められた資材を投入すれば、確実にその艦娘が入手できる手段だ。潜水艦を実際に運用するとどうなるか、気になるところなので入手しておきたい。
「最後に装備を渡しましょう」
送られてきたのは装備のデータだ。これもまた妖精の手によって、一回は確実に作ってくれるように手配されている。ラインナップは以下の通り。
三式水中探信儀。
33号対水上電探。
応急修理要員。
応急修理女神。
そして46cm三連装砲だ。
46cm三連装砲に関してはもう既に開発できているが、もう一本持っておくのも悪くはないだろう。
そして応急修理要員とはダメコンの事だ。応急修理女神は轟沈しかける程のダメージを受けた場合、一気に回復するものだが、応急修理要員は持ち直す程度でしかない。それ以外でも艤装が破損して使えなくなった場合、使えるように一瞬で修復してくれる効果もある。
艤装の破損は時間をかけることで装備妖精達が修復してくれるのだが、応急修理要員はその時間をゼロにするのだ。だが当然ながらそれを使用した場合、役目を終えて消えてしまう。煙幕や応急修理女神と同じく一回限りの使い捨てである。
「以上、これらを南方棲戦姫の討伐報酬とする。何か質問はあるかしら?」
「そうですね……これからまた新たな艦娘であったり、改二であったりを作っていく事になるのですか?」
「そうね。大和を構築する事に成功したから、同じく戦艦として運用された武蔵を予定に組み込んでいるわ。改二は、そうね。これから少しずつ増やしていく事を考えている」
「武蔵、ですか。これはまた大物を……」
大和型戦艦の2番艦、武蔵。大和と同じく秘匿されながら建造され、進水式でもちょっとした逸話を持つ存在だ。それ以上に強力な話と言えば、その最期だろう。どれだけの砲弾、魚雷を受けても沈まず、長い時間をかけて海上に留まり続けた果てに沈んでいった。
大和もそうだが、武蔵も武蔵で化け物じみた存在であると連合国に思わせるだけの存在感を放っていたらしい。これが艦娘となるとどうなることやら。
と、思うと同時に、大和が南方棲戦姫となったように武蔵もいずれ深海棲艦と化してしまうのだろうか、という不安も少しある。そうなったらどれだけ苦戦する事になるだろうか。
「何はともあれ、無事完成し、データを送る事が出来た。正式発表は建造ドックを改造するように、という報せをした後になるだろうからそのつもりで。早く欲しいならその旨、報告しなさい。工事を手配するわ」
「わかりました。ありがとうございます、美空大将殿」
敬礼して通信を終えるのか、と思いきや「それと、海藤」と久しぶりに感じる展開が待っていた。先日の淵上もそうだったので、やっぱり血筋なんだろうな、と感じながら「なんでしょう」と問う。
「時々湊の様子を見に行ってあげてくれないかしら?」
「といいますと?」
「演習という名目でも構わないわ。あの子、どうも人付き合いが苦手でしょう? 貴様と同じで」
「ええ、そうですね。私と同じで」
「伯母だから、というわけでもないのだけどね。両親から面倒みるように言われて数年預かったけど、そこから更にどちらの手も届かない佐世保に行っちゃったものだし、少しばかり心配ではある。だから機会を見て、合同演習を持ちかけて会ってくれないかしら?」
他の鎮守府の艦娘と戦闘訓練を行う合同演習。もちろん実弾ではなく、演習弾を用いての戦闘であり、鎮守府同士の交流も図れるものだ。その名目ならば会いに行けるだろう。つれない彼女でもこういう事は断りづらい、かもしれない。
って、まるで好きな女性に会いに行くための口実と思われそうだが、そこんところ大丈夫か? と突然の不安に襲われる。あ、少し胃が……と咄嗟にお腹を押さえてしまった。
「大丈夫?」
「え、ええ……いらん事を考えてしまっただけですので……」
「そう。でも必ず行ってほしいわけではないから安心しなさい。あの子からも時々近況を知らせてくれるだろうけど、実際に会って様子を見た者の話が聞きたいだけだから。それに、あの子の能力は何も心配はしていない。ただ、その性格から生まれるものが気になるだけで、ね」
「姪っ子が可愛いんですね、美空大将殿」
「ええ」
「……大将殿にはお子さんは?」
ふとした疑問だった。淵上湊は美空大将の妹の娘。美空大将もいい年しているのだから結婚して子供もいるものではないだろうか、という疑問だ。だが美空大将は少し目を細めて遠くを見るような眼差しをした。
「ええ、いたわよ。息子が二人、ね」
いた、という言葉に引っかかった。もしかして、訊いてはいけない事を訊いてしまったのだろうか、と後悔してしまうが、気にするなという風に手を振った。
「大丈夫よ。私の事を知っている者ならば、ほとんど知っている事だから。でも、本当に人に興味を持たないのね」
「す、すみません」
「構わないわ。……長男は第三課の作業員と護衛船の整備員を兼任していてね、護衛船で出撃し、戦死。次男は来年アカデミーを卒業する歳ね」
護衛船というと、大規模な作戦の際に鎮守府を空けた際における防衛や、その作戦において艦隊を護衛するために追従する船のことだ。昔は今ほど多くの艦娘がいなかったので、大規模作戦の際に共に出撃し、鎮守府だけでなく大本営の艦娘を乗せていき、戦闘していたという。
当然ながら艦娘の警備がなければ護衛船というものは危険である。武装しているとはいえ、それらは深海棲艦を完全に倒すことは出来ない。深海棲艦を倒す事が出来るのは艦娘だけ。
もし護衛船が深海棲艦に囲まれでもすれば、死を覚悟するしかない。美空大将の長男はその悲劇に飲まれてしまったのかもしれない。
「そうでしたか……申し訳ありませんでした」
「いいわ。時の流れで悲しみはだいぶ薄れてきたわ。それに仕事をしているとその気持ちもなくなってくる。湊もいたしね」
「大将殿……」
「奴らによって私のような者を生み出してはならない、という戒めにもなる。いつまでも悲しんでいられるものでもない。それこそあの子を悲しませる事になるわ」
強いお人だ、と感じた。息子を喪う事は母親にとってどれだけの悲しみをもたらすのか。凪にはわからないが、これ以上この事について何か言う必要もないだろう。彼女はもうその死を乗り越えている。今凪が言葉をかけても無駄に刺激する事になるだろう。
そういえば時々母親のような言動をしていたような気がする。それはもしかすると、息子に相対するような気持ちで凪を見つめていたのだろうか、とふと感じた。
いや、まさかそんなわけないだろう。
それこそ今も生きている次男に悪い。
「貴様も、志半ばで戦死するような事がないよう、これからも励みなさい」
「はっ、肝に銘じます。美空大将殿」
通信を終えて一息つく。紅茶を飲みほし、軽く腹を撫でて調子を確かめた。先程感じた痛みはもうない。窓の外は相変わらず雨が降っており、雷の音も聞こえてきている。
だがやることはきっちりやらなければ。
立ち上がって工廠へと向かう事にする。
受け取ったデータは更新済み。もう潜水艦などは建造可能になっているはずだ。早速妖精達に指示を出して噂の潜水艦の艦娘の姿を拝んでみる事にしよう。
妖精から提示された資材は、250、30、200、30だった。安い、レア駆逐レシピで建造できるとは。
今の呉鎮守府の資材はまあまあものとなる。南方棲戦姫との戦いによって大きく資材が吹き飛びはしたが、まだ1万に少し届かない程度にはあった。
戦闘における資材消費だけでなく、トラック泊地へ行き来する指揮艦の燃料代も支払われた。ごりっと減ったが、それでもまだ耐えられる数値になっている。だがこれを繰り返すとまずいのは間違いない。
そのため建造で初期値を大量投入し、水雷戦隊を補強した。
それによって新たな顔ぶれが加わる事になり、二水戦以下の編成を変える事となった。
二水戦、球磨、川内、足柄、皐月、暁、時雨。
三水戦、阿武隈、夕張、吹雪、朝潮、白露、潮。
四水戦、天龍、睦月、三日月、望月、深雪、初雪。
第一航空戦隊、妙高、利根、初霜、霞、千歳、祥鳳。
三水戦と四水戦には主に遠征部隊として行動してもらう。一水戦と二水戦が訓練を終えた後に入れ替わる事で訓練となり、練度を高めていく事となった。睦月型は他の駆逐艦よりも燃費が安いので、主に遠征として活躍しているらしいが、実際に運用すると確かにそれを実感する。
駆逐艦としては古い艦であるため、能力としては低いだろうが、上手く使えば活躍できるはずだ。それは天龍も同様だが、今は研鑽の時である。
また新たに戦艦を迎えたことで、第二主力部隊を第一航空戦隊へと改め、顔ぶれを入れ替える事となった。メンバーとしてはこのようなものとなる。
榛名、比叡、鳥海、筑摩、木曽、村雨。
高速戦艦と呼ばれる金剛型を二人迎え入れられたのは僥倖だろう。これで前回の戦いの際、東地の救援に向かう際に迅速に戦艦を派遣できない、という事がなくなる。
一気に仲間が増えたが、これからまだ増える。その分消費資材がばかにならないため、水雷戦隊を増やす事が出来たのもまた僥倖だ。どんどん遠征して資材を持ち帰ってもらわなければならない。
さあ、潜水艦の艦娘はどのような姿をしているんだろうか。楽しみだ、と凪はじっと建造ドックを見守る。
資材が投入され、扉が閉まった――かと思った時、異変が起きた。
落雷である。響く音から距離が近いことをうかがわせるものだった。
「うぉっ……近いな。大丈夫か?」
振り返って外の様子を見ようとしたその背後、コト、と小さな音が響いた。それは雷や雨音にかき消される程に小さな音。だがそれは動いたのだ。
主砲から取り出された異分子が凝縮された球体の鋼材。それがカタカタ、と動き出し、転がり出したのだ。それに従って主砲もまたがたがたと動き出し、何と勝手に分解されて無数の鋼材となる。
それに気づいている妖精達が騒ぎ出し、なんだ、と凪もまた振り返ると、それは信じがたい光景だった。
「――は、はぁ……!?」
宙を飛び回る無数の鋼材。そしてその中心に球体が浮かび上がり、妖精達が保管している資材を巻き込んでいくのだ。これらを取り込んで一気に建造ドックへとなだれ込んでいく。
「ちょ、ま……止めろ! 建造中止!! 緊急通信開け! 長門達を呼べぇ!」
突然の出来事だったが、凪は慌てていてもどこか落ち着いていた。本当に慌てていたら何をしたらいいのかわからず固まってしまうだろう。だが凪はそうならず、長門達を呼ぶように指示を出しつつ、妖精達にも建造ドックを動かすな、と指示を出した。
だが、建造ドックは止まらず、無数の資材を取り込みながら作業を進めていく。一体誰が作業しているのかわからない。いや、むしろ作業員などいないのかもしれない。あれが勝手に資材を取り込みながら動いているのではないだろうか。
すぐさま長門や夕張、大淀が駆け込み、その様子を見て冷や汗を流す。
「な、なんだあれは……?」
「わからない。あの主砲と球体が勝手に動き出してあの有様さ。まるで意志を持っているかのように資材を飲み込んで、ドックを稼働させている」
妖精達が資材を遠ざけても、足りない、もっと寄越せとばかりに吸収していくので、切り離す事すらできなかった。何かを参照しているのか、データにアクセスしている音も聞こえてくる。電源を落とす事も出来ず、ただひたすら何かの意志に従って建造が進んでいった。
ならば今の凪達に出来る事は、手出しをせず、出来上がったところを迎撃するしか出来ない。
山城や日向、神通、夕立も駆け込み、それぞれ艤装を展開して建造ドックを睨みつける。
やがて作業が終わったのか、建造ドックが静かになった。ぷしゅー、と煙を吐き出し、静かに扉が開かれていく。
「…………」
誰もが口を開かず、何が起ころうとも危険があればすぐさま動く準備をしている。
そんな中で、それはまだ動かなかった。
目も開いていない。だが頬を撫でる空気と、鼻孔をくすぐる匂い、そして外から聞こえてくる雨音と雷によって、自分が再びこの世に戻ってきたことを感じ取った。
ゆっくりと目を開く。
見えたのは光だった。自分には縁のない明るい電気の光である。それが疑問を呈する事となった。
どうして自分は光あふれる場所で目を覚ましたのだろう、と。
最初に見える光景は、暗い世界のはずだというのに。
手が動き、それを視界に入れてみる。
手だ。人間の、手だ。艤装に包まれた手ではない。それが新たな疑問を生み出した。
自分は、誰だ?
そう思いながら、それは歩き出す。
扉を抜けて外に出れば、自分を囲む存在がいた。
力と気配からそれらが艦娘であることが分かった。そして見忘れるはずのない顔を見た時、それは思わず口を開いてしまった。
「――――長門、なのかしら?」
「…………お前、誰だ?」
長門もまた問い返してしまった。
そこに立っていたのは紛れもない艦娘であった。
膝まで届きそうな茶色の髪をポニーテールにし、気の強さを感じさせる切れ長の茶色い瞳が、鋭く長門を睨みつけていた。肩を露出した紅白の制服を着こなし、左腕にはZ旗を模した腕章を巻いている。
赤のミニスカの下には、特徴的な左右非対称の靴下を履いている。右は普通だが、左は白いラインが入ったニーソックスとなっているのだ。
そして簪のように挿している電探には桜の花びらを散らしており、それが何ともおしゃれである。のだが、その美しさを感じさせる暇がない程に、状況は緊迫していた。
ゆっくりと背中や腰に嵌められた艤装の主砲が動き出し、長門へと照準を合わせる。長門もまた彼女へと照準は既に合わせている。周りの艦娘達も同様だ。
「その姿、大和、だな……? 艦娘の。何故建造出来てしまった……?」
凪が少し震えた声でそう言う。
通常の建造ドックでは建造出来ない、と美空大将に言われたばかりだ。
だが目の前に立っているのは、資料で見た艦娘の大和の姿そのものであった。
凪の言葉に、彼女は自身の手を見下ろす。艤装も自分の意思に呼応して動いている事も確かめている。その上で彼女は、どこか悲しみを含んだ声色で呟いた。
「……そう、私は、艦娘と成ったのね。ふ、ふふ、復活したと思いきや、よもや艦娘と成り果てようとは。しかも? その気配、呉の長門でしょう?」
「……まさか、お前――――南方棲戦姫か!?」
長門の言葉に、一気に緊迫した空気が張りつめられた。
正しく一触即発の状況の中、大和の姿をした彼女は、小さく笑みを浮かべたのだった。