帰還
その部屋には、年配の男女が集まっている。会議室と思われる場所で彼らは先日の南方棲戦姫との戦いについて話をしていた。
その中の一人、美空大将は手元にある書類を手に語っていた。
「――との報告がある。もはやそういう輩は、淘汰されるべき段階に入っているんじゃないかしら? ねえ? 戦果稼ぎに現を抜かす大将殿?」
呉の海藤、トラックの東地に前座を任せ、南方棲戦姫が現れれば、彼らの手を借りずに独断で出撃。その挙句に壊滅した流れを説明すれば、周りの者達は渋い表情を浮かべていた。
だが一人、中年の男性だけは同意するように頷いている。
「奴らは変わりつつあるわ。我らも、変わる時が来たという事よ。狩りの時間は終わりよ。艦娘を猟犬、深海棲艦を戦果を挙げるための狩りの獲物。いつまでもその気分が抜けきらないようでは、貴様達、死ぬわよ?」
「ふん、作業員上がりが喚くな。我らは我らのやり方で奴らを止めているのだ。事実、泊地棲姫、装甲空母姫は沈めている」
「では南方棲戦姫だったらどうだったのかしら? 南方棲戦姫という存在に、呉、佐世保にいた提督が敗れたのよ?」
そこに突っ込むと、一瞬口をつぐんでしまった。それで止まるようでは、不安しか出ない。美空大将は一息ついて指を振る。
「勘違いしてはいけない。艦娘は獲物を狩るための猟犬ではないわ。敵を沈め、国を守る兵器よ。私を作業員上がりとのたまってくれたけど、それも否定しないわ。私達は艦娘という兵器を、どのように性能を向上させ、どのような艦娘を作りあげていくのかを決める、軍にとってなくてはならない役割を担っている。貴様達がただの狩りやゲーム感覚で、艦娘を使い潰されてはたまったものじゃないのよ。呉と佐世保だけでどれだけ沈んだと思っているの? 五十は下らないのよ? しかも高練度のものがよ? それだけの数、上手く使えばどれだけの敵を殲滅し、どれだけの命が守られたのか。貴様達にわかるのかしらね? ええ?」
怒りに濡れた瞳が周囲を見回している。どちらも艦娘を人扱いしていないが、美空大将の場合は、兵器であると割り切ったうえで大切に思っていることが窺える言葉だった。
「これからは真摯に国防が出来る者達を据える時。でないと貴様達の首も危うくなるんじゃないかしらね? いえ、もうそろそろ刎ねられる時なのかしら?」
「改二や大和の構築が出来たからと言って、調子に乗ってきているんじゃないか、美空よ。さぞかしご満悦な事だろう。自分が推した若造が着実に成果をあげているのだからな」
「調子に乗る? ふん、まだそんな事を言っていられる余裕があるのかしら、西守大将殿? もしこの先も強力な深海棲艦が出たとして、同じような犠牲を払っていては、いずれ国が滅ぶわよ? 今の提督らの考えを維持するって言うんなら、滅ぶ手前までいった場合、貴様責任とれるのかしら?」
じろり、と対面にいる初老の男性、西守大将を睨みつける。白髭を蓄え、顔にしわを刻んだ男だ。変革を良しとしない頭の固い男と呼べる人物であり、変革する時だと叫ぶ美空とは相いれない。
そして美空と同じく変革の時だ、と考えているのが先程頷いていた中年の男性、大島中将だ。第三課に所属している美空大将の部下であり、大和構築をはじめとする作業に携わっている。
美空大将が何を作るのかの最終決定権を持ち、また改二の根源を作りあげる。それを実際に作りあげる作業員がおり、大島中将はその作業員を監督する役目を担っていた。彼が腕を組みながら口を開く。
「横須賀、舞鶴、大湊の輩も危ういじゃろ? あいつらも協力するという事を知らんからなぁ? 南方棲戦姫に敗れた二人は協力しなかったから自滅した。果たして次の姫が出た場合、あいつらが出る際は孤軍で戦うのか、協力して戦うのか……。儂としてはそういう輩にはとっとと退場し、頭の柔らかい若造についていてもらいたいものじゃのう?」
「それはラバウル基地の深山にも言える事だと思うが?」
西守大将の反論も正しい。先の南方棲戦姫との戦いでは、最後まで南下するコースを塞ぎ続けることに専念し、戦いに参加する事はなかった。だが最初こそ戦闘は行ったようで、出足を挫き、西に進む事を防ぎ続けたらしい。
「横須賀、舞鶴、大湊の奴らを責めるならば、ラバウルの奴も責めるのだな。とにかく、今の段階では首を挿げ変える事は反対する。だが、佐世保の空いた席には、予定通り美空、貴様の姪を座らせればいい。それに対して我らに異議はない」
「……そう。なら今はそうすることにしましょう。でも次も同じような事になったならば、考えものだという事を覚えておきなさい。深海棲艦の脅威から国を守る。それが私達の役目だという事をゆめゆめ忘れないように」
そう告げる美空大将の目は揺るぎない意志を秘めていた。
彼女は本気で今の大本営のやり方に不満を持っている。深海棲艦に対抗するには、国を守るためには、どうしたらいいのか。
奴らが変わると言うのならば、こちらも変わるしかない。そのための変革。実績を積み重ねて大将へと上りつめる事で発言力を高め、ここまでやってきたのだ。止まるわけにはいかない。
凪を送り込み、そしてこれからは姪である淵上湊も送り込まれる。
そして間もなく大和の艦娘が生れ落ちようとしているのだ。
この流れを止めるわけにはいかない。
凪達がそうであるように、美空大将もまたこちらで戦っているのだ。
「お疲れ様です、美空大将殿」
執務室へと戻ってきた美空大将を、淵上は一礼して出迎える。不機嫌そうにしている美空大将は舌打ちしてどかっと椅子へと座り、足を組んで煙管を吹かせ始めた。
「まったく、頭の固いジジイどもはこれだから好かない」
「壁に耳あり、ですよ? こういうところでそういうのは控えた方が」
「そうじゃのう、大将殿。儂としても今あなたに消えられては困る。せっかく大和の完成が間近じゃというのに、その次の指示や引っ張っていってくれる頭がいなくなれば、完成が遅れてしまう」
「もしものための大島、貴様でしょう? 私が志半ばで追放されようとも、次の世代はいる。貴様や、湊達がね。とはいえ私としてもここで消える気はさらさらないわ。せめてあのジジイらには引退してもらわないとね」
「巻き込んで道連れにする、の間違いじゃないかのう?」
そう茶化しながら自分の顎鬚を撫でる大島だった。そんな彼に「貴様はさっさと現場に戻り、大和の最後の詰めをしてきなさい」と追い出すように手を振る。「はっはっは、承知しましたよ大将殿。ではの、湊嬢ちゃん」と軽く手を振って退出していった。
「……さて、あなたにも後に正式に辞令が下されるわ。佐世保就任、おめでとう。湊」
「……はい。ですが、よろしいのですか? 次の補佐はまだ決まっていないのでしょう?」
「少しくらいどうという事はないわ。もしもの時は大淀を呼べばいいのだからね」
すっと煙管を灰皿におき、手を組んで顎を乗せながら湊を見上げる。相変わらず湊は伯母が目の前に居ようとも澄ました顔を崩さない。直立不動で相対する様は、仕事とプライベートをきっちりと分けた出来る女を感じさせた。
だがそんな彼女を少し崩してみたくなったらしい。美空は目を細めて、
「丁度いい機会だわ。佐世保に行く途中で呉に寄っていきなさいな」
「……何故です?」
「海藤に挨拶するのよ。アカデミーでも提督としても先輩でしょう? 提督としてのやり方も教授してもらいなさいな。それと、回収してきた主砲とやらも視察お願いするわ」
「……承知いたしました」
「それと、関西人同士でトークでも――」
「しません。何を言っているのですか」
「だってあなた、素になれる相手って海藤ぐらいしかいないでしょう? そういつもがちがちに凝り固まった澄ました顔、時には崩してみなさいな」
「しません。何ですがそれ、そんなにあたしって澄ました顔してます?」
「してるわよ? ……ああ、自分の顔って鏡で見ないとわからないか。いつまでも仮面をかぶっていられるものではないわよ。時には素を出して発散しないと、たまりにたまったものが爆発した時、反動が怖いわよ」
「…………してますけども」
「え?」
ぼそり、と呟いた言葉に美空が首を傾げる。気のせいか呟いた際に少しばかり表情が崩れたような気がするのだが、一瞬の出来事だった。
それよりストレス発散しているとは、一体何で行っているのだろうか。姪とはいえ同居しているわけではないし、プライベートには踏み込んでいない。それに大将であるが故に、そういう時間もあまりないので、彼女の事を全て知っているわけではないのだ。
「何か趣味でも?」
「……ええ、少々」
「ふぅん。ま、いいわ。それで本当にストレス発散しているんなら良し。さ、異動の準備をしてくるといいわ。お疲れ様。向こうでも健勝で」
「はっ、大将……伯母様も、お元気で。いってまいります」
深く一礼し、湊は大将と部下してではなく、伯母と姪としての立場での別れの挨拶をした
呉鎮守府に帰還した凪は艦娘達をそれぞれ休ませに向かう。自分も休む、というわけにはいかず、長門が回収した戦艦主砲について調べなければならない。
埠頭には凪達が乗っていた指揮艦だけではなく、もう一隻の船がいた。大本営から送られてきた防衛部隊だ。待機していた大淀が敬礼してくると、凪も返礼する。
「お疲れ様です。これより防衛部隊、帰還いたします。こちら、報告書になります」
「ん。今日までありがとう。美空大将殿にもお礼を申し上げておいて」
「はい。では、失礼したします」
敬礼して乗船し、汽笛を鳴らして出港していった。報告書に軽く目を通すと、呉鎮守府に襲撃はなかったようだ。消費した資材の一部はこちら持ちとなるが、戦闘していないならば出費はそう多くはない。
それを呉鎮守府の大淀に手渡し、長門によって主砲を工廠へと運ばせると、早速工廠妖精を呼び寄せる。
海軍の制服から作業服へと着替えると、置かれた主砲に触れてみる。妖精達も触れて調べ始めているようだが、残念ながら彼女らの言葉はわからない。そのため、同席してくれた夕張や大淀が通訳をしてくれることとなった。
運んでくれた長門は療養させた。応急修理女神で復活したとはいえ、轟沈しかけたのだ。その影響力が残っていないとも言い切れない。休め、と有無を言わせずに寮へと向かわせたのだった。
「いったんばらした方がいいか?」
「……ちょっと待ってほしいそうです。えっと、なにかがこびりついているとか」
「こびりついてる? ……なにが?」
「んーと、なんでしょうかね、これは……力の粒子? 深海の力ではないですね。なにか、別の物です」
同じく作業服になっている夕張も主砲に触れながらぶつぶつと呟いている。深海の力が残っていれば、回収している際に気付くはずだ。それに数日かけてトラックから呉に移動してきている。
異常があれば、その途中でもわかる。それが全くないならば、それはなくなっている証となる。
では主砲にこびりついているというものはなんだというのか。
「……わからないわねえ。機械、部品、そしていじったと思われる艦の情報。これらはわかるんだけど、……うん、艦の情報の部分に付着している、この異分子がわからないの。小さな粒が無数に散らばっていて」
夕張の言う艦の情報というものが、艦から艦娘へと構築する際に触れたものだ。艦が経験してきたものというべきか。それを妖精が解析、回収し、積み上げて構築する。また失われた艦の設計図も解析データとして読み取っていくため、艦の情報と呼べるものは艦娘を構築する際に重要な要素となる。
恐らくは深海棲艦も同様にして生み出しているものと思うが、それを知る術は全くないので、完全に推論でしかない。
「異分子、か……。あの時、海の中で何が起こってたんやろうな……」
思わず関西弁がぽろりと出てしまったが、それに気づく余裕もない程、凪はこの主砲に興味を持っていた。今までに例を見ない事例が起きた、というだけではない。かの大和の生まれ変わりと言える南方棲戦姫の落とし物、という一点が興味を惹く要因となり得る。
タ級やル級が落としていった、という可能性もあるだろうが、浮上してきた地点が南方棲戦姫が沈んだ所なのだ。そして46cm三連装砲という点においても、これが南方棲戦姫の落とし物である、という可能性をより高める。
「大淀、深海棲艦ってどういうものなのか、今の時点でわかっている事ってどんなもの?」
「そうですね、深海棲艦は艦娘と同じく、かつての艦から生まれたと推定されていますが、その在り方が真逆です。それはまさしく艦の怨霊といってもいいでしょう」
怨霊、それはまさしく南方棲戦姫の言動からも窺える。
あれはまさしく大和の怨霊と呼べるものだった。長門を恨み、戦艦としての自分を取り戻すために暴走する。その過程で艦娘達を自分達の仲間に引き入れようと沈めていく。
深海棲艦という呼称を取り除いてしまえば、かつて海を駆け抜けた艦の怨霊と呼ばずして何とする。
「深海棲艦からやってきますが、沈めても沈めても際限なくやってくるので、どこかに本拠地があってもいいものですが、その場所も不明です。現段階ではソロモンが怪しいとされているのですが、何分深海ですので、我々が調査の手を伸ばす事が出来ないのが難点ですね」
「……潜水艦の艦娘がいないんだっけか」
そうだ。深海棲艦はカ級やヨ級という潜水艦がいるのだが、艦娘側にはまだいない。
大和を構築中だという噂は聞いているが、それ以外については耳にはしていないので、潜水艦を作っているかどうかは知らない。だが、敵に潜水艦が確認され始めているのだ。着手していてもおかしくはないのだが、それは美空大将が決める事だ。
「怨霊……怨霊ね」
その言葉を反芻しながら凪はそっと主砲を撫でていく。
「沈め、しずめ……鎮め……。まさかね」
そういう言葉遊びというものは昔から日本人が好きそうなことだ。沈めることは鎮めるに通じる。
深海棲艦は艦から生まれし怨霊、
荒魂と和魂は別の物ではなく、同一の神における二面性のようなものだ。荒魂は神の荒ぶる姿、神の祟りとも呼べる一面。対して和魂は神の優しさ、慈しみを感じさせる姿、神の加護が表れた一面である。
神を艦に置き換えれば、それは正しく深海棲艦と艦娘の成り立ちに通じるだろう。
ならば艦娘が沈める時、深海棲艦の荒ぶる魂を鎮めていると解釈する事が出来る。とはいえそれでも深海棲艦は消えることはない。なのでこの解釈は間違っている可能性もある。
もし、もしもこの主砲の存在がその解釈が正しいという事になるならば。
南方棲戦姫はあの時、鎮める事が出来たのだろうか。これがその証明だとするならば、夕張や妖精の言う異分子というものが何なのか、それを推察する材料になるだろう。
「ゆっくりやっていこう。焦って作業をしてもいいことはないからね」
「ええ。私もこれには興味あるわ。じっくり、たっぷりといじって、これが何なのか究明しないとね……ふふふふ」
「……落ち着こうね。夕張」
普通の美少女がしてはいけない顔になり、不気味さすら感じさせる笑みを浮かべながら工具を手に主砲へと近づいていく夕張。平賀成分が騒いでいるのだろうが、彼はあくまでも船の設計関係に携わっていたのであって、不可思議な分野向きではないのだが……細かい事は置いておくとしよう。
美空大将が来るまでの間、少しでも何か分かればいいのだが。
凪もまた工具を手に作業を始めるのだった。