呉鎮守府より   作:流星彗

30 / 170
出港

 

 さんさんと照り付ける太陽。気持ちよく晴れ渡った空に、海の香りをより強く漂わせる吹き抜ける風。今年もまた、夏がやってきた。

 7月、それは梅雨が終わり、夏が来たのだと知らせてくれる時期。

 呉鎮守府にもまた時間が過ぎたのだと思わせる変化があった。

 

「……だる」

 

 小さくぼやいたのは凪だった。彼の出で立ちは白いタンクトップに作業服のズボン。首にタオルを巻きつけ、流れる汗を何度かぬぐっている。先程まで座っていたところには工具が散乱しており、その近くには出来上がったらしい装備が並べられていた。

 

「大丈夫ー提督? 少し休む?」

「……あー、ちょっとだけそうするね。……はぁ、だる」

 

 作業を続けている夕張が声をかけてきたが、軽く手を振って凪は返した。彼女もまた白いタンクトップに、オレンジ色のズボンをはいているというラフな姿。あの時許可をもらったために、こうして時々工廠にやってきては装備の手入れをしている。

 手にしているスポーツドリンクを飲み進めながら、凪は最近の出来事を思い返す。

 

 あれからの変化といえば、資材がぐっと増えた事。

 艦隊の練度が上がったことで、遠征効率が上がり、より多くの資材を持ち帰る事に成功した。それによって、なんと15000まで増えたのだ。前と比べて3倍である。これで資材に対する貧乏感がなくなり、艦隊運用がぐっと楽になった。

 

 次に美空大将から新たなる艦娘のデータが届いた。

 駆逐艦、舞風。重巡洋艦、三隈、衣笠。この三人である。

 だが建造はしない事にしているので、凪はこの三人に出会うとしてもまだまだ先の話となる。

 そしてこれが一番の変化だろう。

 美空大将はついに改二技術を成功させた。

 重雷装巡洋艦、北上、大井。この二人の改二データが凪の下へと届けられた。凪だけではない。発表したので、他の鎮守府にもそのデータが配布された。

 先行して凪へと送り付けてきたのだが、残念ながら北上の練度が足りていないため、凪はそれを実行することは出来なかった。

 また先日、次なる改二として軽空母の千歳、千代田も成功に至ったようだが、こちらも同様だ。千歳がその練度に達していないため、改二にすることは出来なかった。

 

 そして装備開発。

 10cm連装高角砲、15.5三連装砲、三式弾、九一式徹甲弾、ソナーに爆雷を揃えることに成功した。特に15.5三連装砲は副砲も出来たので、戦艦組に搭載する事で、副砲としての力がより高まったといえる。

 徹甲弾もまた戦艦の火力を高める要因に成り得る。徹甲弾によって装甲の硬い敵であろうとも、高い貫通力を以ってしてダメージを叩きだす事が出来るはずだ。

 三式弾は重巡にも装備出来、宙で爆ぜることによって艦載機を叩き落としていく弾丸だ。防空の力として発揮できる代物である。

 また開発をし続けた事で工廠妖精との繋がりが強くなったせいだろうか。凪が考えていた新たな艦娘の装備の開発に成功し、それを大本営に報告する事が出来た。

 煙幕。

 これを発生させる事の出来る薬剤を詰め込んだカプセル型の装備だ。これを煙突や発煙管へと投入する事で、視界を塞ぐ白煙を発生させる事が出来る。これを使うのは駆逐艦だ。これによって深海棲艦の目くらましを行い、奇襲や離脱を行いやすくするのが目的である。

 ただし砲や魚雷発射管と違い、一つ一つが使い切りだ。

 また見えづらくなるのは敵だけでなく味方も同じだ。視界不良の中でうまく動き、奇襲できるかの訓練をしっかり行わなければ、こんなものはただの煙でしかない。

 そのため、神通が水雷組に新たなる訓練項目を追加し、みっちりと訓練を行っている。

 大本営もこの煙幕を正式に艦娘装備として登録し、公開したため他の鎮守府でも開発で作る事が出来るようになっているが、はたして使いこなせるのかは凪には分からない。彼にとって、これは使えるかもしれない、と考えてやっただけであり、他の提督らの事情は知る由もない。

 なお、トラックの東地からの言葉はこうだった。

 

「おもしれえもん作ったなぁ、おい。ネトゲで予習はしっかりしてたから俺は普通に受け入れたけど、他はどうなるかねえ。ま、俺はありがたく使わせてもらうぜ」

 

 とのことらしい。

 東地の言の通り、あのネトゲで煙幕を使っていたからこそ、艦娘でも使えないだろうか、と考えたのが始まりだった。実際にやってみれば、使えそうだったので良かったとはいえる。煙で咳き込まないようにマスクなどの防備を必要とするが、それもまた艦娘としての不思議な力で艤装と同じく構築されるので、大丈夫だった。

 

「夏、か……はやいな」

 

 日陰で涼みながら凪はぽつりと呟いた。作業中は何とかなるが、それを終えると一気に暑さを感じてしまう。すると、このように気落ちしてしまうのが凪だった。

 扇風機で涼しさを確保しているとはいえ、それでも夏の暑さは凪にとってはちょっとした敵だった。

 振り返れば呉鎮守府に就任してからもう3か月経過しているのだ。季節が変わってきているのも当然の事だった。

 そして変わっているのは世界や呉鎮守府だけではない。

 凪もまたゆっくりと変わりつつある。

 あの日足柄が間に入ったとはいえ、あの霞相手に少しだけ良い話が出来たのがきっかけとなった。他の艦娘達とも少しずつ話す時間を増やしていく事が出来たのだ。そうして時間を増やすという事は、艦娘と対面する時間が増えるという事。

 そうして美人系の相手でも顔を見れるようにする時間を増やし、慣らしていく事となった。まだ完全ではないが、何とか顔を見れるようになり始めている。

 

「あら、提督。休憩ですか?」

 

 ふと、翔鶴が工廠の前を通りかかってきた。となりには瑞鶴がいるが、その服装は以前のものと違っている。翔鶴のお揃いだった白と赤の和服ではなく、紺や土色の暗い色合い、所謂迷彩柄となっていた。

 瑞鶴は改となると、どうやら史実のエンガノ岬沖海戦に準じた衣装を纏うようで、それはすなわち姉である翔鶴が沈没した後の姿を模しているという事になる。胸当てにあった翔鶴と瑞鶴を識別する「ス」という文字も、薄くなって見えづらくなっているのもまた特徴だった。

 

「そうだね。いやー、暑くなってきたね」

「そうね。でも夏はまだこれからよね。今がそんなんじゃ、夏本番は提督さんはどうなっちゃうわけ?」

「んー……去年とかアカデミーの頃はほとんど部屋にこもりっきりだったなぁ。去年は作業場にもいたけど、休みは全然外に出てないわ」

「うわっ……不健康」

「ふふ、でも今年はそうもいかなくなってますね。頑張ってください、提督」

 

 そう、今年はそんな事を言っていられる状況ではない。今は備え続けるしかない。

 ひたすら訓練、遠征、そして開発、整備。いつくるかわからない時のために凪達は動き続けるしかないのだ。

 

「艦載機の具合はどうだい?」

「いい感じね。艦載機も揃ってきたし、がんがん運用していくんだから!」

「ええ、いい子達ですよ。でもだからといって瑞鶴、慢心してはいけませんよ。実戦では何が起こるかわからないのだから」

 

 大本営から、というより美空大将から新たな装備として流星改と彗星一二型甲が送られてきた。他にも雷巡改二が出た事で、なんと五連装酸素魚雷も出てきたため、これも送られてきたのだった。

 現状において最高の艦攻と艦爆という更新だったため、とりあえずまた艦載機を開発する事となり、一週間の時間をかけて、ようやっと一つずつ生み出すことに成功した。そのしわ寄せとして色々艦載機が生み出されたため、空母四人に振り分ける艦載機が増えたから良しとする、と前向きに考える事にした。

 

「他の娘達はどうだい?」

「千歳さんも軽空母として慣れてきたように見えます。模擬戦でも組ませていただいたのですが、問題なく艦載機を操ってみせました。良い戦力となってくれていますよ」

「一日の長がある祥鳳さんも、軽空母とは思えないくらいの力を見せてくる時あるよね。ああいうのを見てると、こっちも負けてらんないって気持ちになるからさ」

 

 呉鎮守府で一番練度のある空母といえば祥鳳だった。千歳も同時期に建造されたが、軽空母としては祥鳳の方が訓練時間が長い。そのため瑞鶴の言う通り、軽空母ではあるが五航戦の二人に迫る程の力を時折見せつけてくる時があった。

 だがそれが切磋琢磨するには十分な良い刺激となる。

 正規空母が軽空母に負けてなるものか、と士気が向上するのだ。それによってより良い訓練結果を生み出していく。だからこそ最近の成長ぶりは目を見張るものがある。

 少し二人を見つめると、確かに最初に出会った頃より随分と成長している。火力、装甲、対空、どれも良く成長した。どちらも改となり、レベルとしても十分といえる。

 訓練へと向かう二人と離れ、また工廠の中へと戻っていく。主砲の調整をするか、と工具を手にする。

 夕張も三水戦のメンバーであるはずだが、遠征に出ている際はこちらに残り、装備を弄っている。微調整を繰り返し、艦娘らに合った状態にすることで命中率を少しずつ上げていく事に貢献している。

 凪もまた夕張の調整を見ながら、少しずつ調整の仕方を改良していく。去年の作業もあるが、艦娘の調整の仕方もまた勉強になる。

 そうしてまた工廠での時間を過ごしていると、血相を変えた大淀が駆け込んできた。

 

「提督、大変です!」

「どうした?」

 

 ついにきたのか? と内心思いながら落ち着いて返事する。

 

「ラバウル基地が大本営に報告! ソロモン海域にて南方棲戦姫の軍勢が出現したとの事です!」

「……そうか。なら、全艦娘待機。大本営からの指示を待つ事にしよう」

 

 立ち上がり、汗を拭いながら凪は工廠を後にする。軽くシャワーを浴びて汗を流し、制服に着替えて執務室へと戻る。遠征に出ていた三水戦も帰還し、全艦娘が呉鎮守府に待機状態となった。

 また指揮艦も待機させ、いつでも出港できるようにしておいた。

 やがてパソコンに電話が入る。相手は美空大将だった。

 

「聞いているか、海藤?」

「はい。南方棲戦姫が出現したそうですね」

「うむ。これに合わせ、佐世保の越智が動き出した。そして予想通りというべきか、護衛を求めてきたわよ」

「……そうですか。ということはやはり?」

「海藤よ、出番だ。越智と共にトラック泊地へと向かえ。そこの東地と共に、南方棲戦姫の討伐を命じる」

「ラバウル基地ではないのですね」

「ラバウルの深山は相変わらず防衛に専念している。現場が近いからな、奴らが西へと向かう事を防いでいる。そのため支援は期待できん」

 

 わかっていた事だが、やっぱりそうなっていたようだ。ソロモンの北西にラバウルがある。そこに防衛線を築き、侵攻を防ぐことで戦線拡大を防いでいるようだ。となると奴らは東に向かうか、北に向かうかとなる。

 北はトラック泊地があるが、距離がある。今は東地も防衛しているだろうが、凪と越智が加わる事でそれを押し返し、撃滅するチャンスが生まれるだろう。

 

「越智はお前達を盾にし、自分が南方棲戦姫を撃沈するのだと意気込んでいるだろう。が、そこに隙が生まれる。もしもの時は、お前達が撃沈させろ」

「……失敗を、期待しているんですかね?」

「奴のやり方はな、大艦巨砲主義だ。戦艦、重巡という大型艦をずらりと揃え、駆逐軽巡はただの遠征要員。力こそ正義を体現した運用をしている。確かにそれも一理あるが、それだけで何とかなる程現実は甘くはない」

「ああ、なるほど。確かに隙がありますね。……そこで我々が何とかしろと、いうなれば盾にするわけですか」

「そうだ。不本意ながら、お前達の盾を掻い潜って打撃を与えられれば、越智の艦隊は瓦解するだろう」

「……彼らの艦娘が沈みゆくのを見逃せと?」

「そうなる可能性がある、と言っているだけよ。それが、奴のやり方の穴なのだからな。その穴をしっかりと埋めるかどうかは、お前達が決める事よ」

 

 それを語る美空大将は真顔だ。笑みも怒りも何もない。淡々と彼女は指示を出している。

 これが、大将まで上り詰めたが故に作られた美空大将の顔ということか。心の中で何を思っているかはわからないが、彼女は何らかの目的で凪にこう指示をしている。

 万が一の場合は、佐世保に所属している艦娘が死のうとも気に留める事なく見逃せ、と。

 何故かといえば、それが越智の失態となり、彼の首が飛ぶ可能性が出てくるからだ。意気揚々と佐世保から出陣したのに、犠牲を出した挙句に南方棲戦姫討伐失敗となれば、目も当てられない。

 今の大本営の方針ならば、高い確率で首が飛ぶ。となると空いた席がどうなるかというわけだが、美空大将としてはそこに淵上を座らせる魂胆だろうか。

 そこまで推察すると、好機が巡ってきたのだろうと、凪はぼうっとモニターに映る美空大将を見つめる。彼女にとっては、次にいつくるかわからないチャンスが転がり込んできたのだ。

 姪である淵上をいつ提督に就任させるか。凪の次は淵上、というのは提督就任から察していた事。それが今というならば、凪としてはそれに従うしかない。

 本心でいえば、そんなめんどうごとをやらせるな、と言いたい。しかも犠牲ありきの作戦など、あまり好ましくない。だが実戦では何が起きるかわからない。流れでそうなったら、というならばそれでいいが、自分が意図的にそうするように動くというのはあまりしたくはない事だ。

 

「不満か?」

「……本心で言えば、不満ですね」

「改革には犠牲がつきものよ。見苦しい輩には、そろそろ席を降りてもらわないとね」

「しかし艦娘に罪はないでしょう」

「――――彼女達は、兵器だ」

 

 静かな言葉が美空大将から発せられた。先程よりも感情を消した表情、声色。本心で言っているのかそうでないのか、それを悟らせないための変化だった。

 重い言葉が凪にのしかかる。

 そうだ、少し忘れかけていたが、どんなに見た目が人間に近しい姿をしていようとも、彼女達は艦娘。それは軍艦という兵器なのだ。どれだけ心があろうとも、感情があろうとも、それは揺るがない事実である。

 

「彼女達に罪はない。罪があるのは、彼女達を使った人間だ。……そして、兵器は人間に使われるもの。壊れるか、あるいは使わなくても良い日が来る、その日まで」

「…………そうですね」

「情を持つのは貴様の勝手だ。それを否定する気は私はない。だが、あまり深入りすると、厳しくなるぞ、海藤? それも貴様の周りではない、別の鎮守府にまで情を感じてしまってはな。揺るがぬ心を持つ事だ。そうすれば、まだ傷は浅くて済むぞ」

「……わかりました」

 

 非情ではあるが、それが心を保つには必要なことだろう。瞑目する凪に美空大将は頬杖をついてじっと見据えてきた。

 

「励みなさい、海藤。先代が果たせなかった南方棲戦姫討伐のために。これ以上犠牲を望まぬと言うならば、隙を見て貴様が果たしてみせなさい。かの海の底に、これ以上長門や神通にとっての仲間を沈ませないためにね」

「仇討ですか? 私は別にそれを目的とはしていないのですけど」

「だが長門と神通にとってはそうなるだろう。かのソロモンの海には彼女らのかつての仲間が沈んでいるのだ。意識しないわけにもいかないだろう」

 

 ちらりと凪はモニターから視線を上げる。その先には長門と神通が待機していたのだ。つまりこの会話は彼女達の耳に入りっぱなしである。

 

「……わかりました。上手く、立ち回ります。色んなものにケリをつけてきますよ」

「それでいい。終わらせてやるのだ、海藤。この戦いに勝利すれば、新たなる始まりを迎えるだろう。期待している」

「承知しました」

 

 そう、南方棲戦姫との因縁を終わらせれば、先代呉提督とその仲間達の無念が晴れる。そうする事で二人は前へと進む事が出来るはずだ。

 そして恐らく、美空大将的にも越智の首が飛ぶような事があれば、佐世保鎮守府は淵上という新たな提督を迎え入れる。それもまた新たな始まりとなる。

 今日は珍しくそれで話を打ち切った美空大将。一息ついた凪は目の前にいる二人を見据える。静かにそこで待機していた二人は何も言わない。ただ凪の命を待っていた。

 

「――南方へ出撃する。二人にとっては色々思う事はあるかもしれない。だが、無理はしないように。生きて帰るように努めてくれ」

「はい」

「わかっている。……提督も、先代と同じ轍を踏まない事を願っている」

「ああ。何とかうまく立ち回ってみせるさ。俺としても、まだ死にたくはないしね。では、行こうか」

 

 立ち上がり、指揮艦へと乗り込んでいく。

 向かう先はトラック泊地。そこで東地と佐世保の越智提督と合流する事になっているはずだ。

 パソコンで会話はしているが、東地と実際に会うのは一年ぶりとなるだろう。そんな彼と肩を並べて戦う事になるのだ。少しばかり心が躍るものだが、しかし南方は現在荒れ模様。そんな中で、必ず生き延びるのだ、という強い意志を持って、凪達は呉鎮守府を後にした。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。