呉鎮守府より   作:流星彗

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休息

 一夜明け、神通は執務室をノックする。だが返事が返ってこない。もう一度ノックをするが、やはり返事がない。失礼いたします、と声をかけて中に入るとそこには誰もいなかった。

 いつもならば凪がいる時間のはずだが、と部屋を見回してみる。

 だがやはりどこにもいない。

 少し考えた神通は執務室を後にした。

 

 数分後、凪が宿泊している部屋をノックしてみる。執務室は凪の仕事をするための部屋であり、その近くに寝泊まりする部屋が別に用意されていた。だが応答がない。もう一度ノックし、先程と同じく失礼いたします、と声をかけて中へと入ると、ベッドが膨らんでいるのが見えた。

 そっと様子を窺えば、寝ている凪がいた。しかも寝相が悪く、布団がひっくり返っている。それだけでなく、どこか苦しそうな表情を浮かべていたため、神通はそっと体を揺さぶってみた。

 

「提督、提督。大丈夫ですか……?」

 

 何度か声を掛けながら起こしてみると、やがてゆっくりと目を開けてきた。何が起きているのかわかっていないらしく、しばらくぼうっと虚空を見上げている。もう一度大丈夫ですか、と声をかけると、一度頭を押さえて起き上がってきた。

 続いてお腹を押さえて顔を歪めている。

 

「体調、悪いのですね?」

「……いやはや、まったく、困ったもんだねえ……」

 

 日々のストレスに加え、昨日の泊地棲姫との戦いによる緊張で一気に胃を悪くしたらしい。そんな彼に神通はそっと胃薬を差し出した。

 

「必要かと思いまして。……どうぞ」

「……ごめんね」

 

 何とか薬を飲み、大きく息を吐いた。目に見えて凪は弱っていた。

 いつもの凪はそこにはいない。今の彼には休息が必要だろう。心と体を休ませる時間が必要だった。

 

「朝食はいかがされますか?」

「あんまり食欲ないね……」

「でしょうね……。でも、何か食べた方がいいかと思われます。私が、お作りしましょうか?」

「……いや、そんな。悪いよ」

「いえ、いいのですよ。おかゆ、作りますね。あ、あと長門さんにも体調不良だと伝えておきます」

 

 微笑を浮かべて一礼すると、神通は部屋をそっと後にした。それを見送り、凪はまた息を吐いてベッドに横になる。自分で思う以上に、どうやら体は悲鳴を上げていたらしい。

 それだけ泊地棲姫討伐戦に対して緊張していたし、日々の艦娘との付き合い、というより多人数を相手にする事がストレスになっていたらしい。後者に関しては本当に自覚がなかったのだが、そういえば無理して言葉を考え、発した後はちりちりと胃が痛んでいたような気がした。

 それは恐らく美空大将との会話の後もあったかもしれない。たぶんあっちの方がストレスを感じていたような気もする。

 となると、後日あると思われる食事もあまり気乗りがしなくなってきた。無理してまで行く事はないかもしれないが、しかし色々と送られているのだ。それを受け取っておいて、食事の誘いにも乗らないのか、となると後々めんどうなことになる。

 というか体壊すなよ? と言われていたような気もする。

 そう考えると、更にめんどくさくなりそうで気が滅入る。

 こうなったら寝るしかない。寝て、体を休めつつ考えることを放棄するしかない。凪は布団を被らずに横になった。

 

 

「……なに? 提督が倒れた?」

「はい」

 

 鎮守府にある食堂でおかゆを作りながら神通が頷いた。長門は昨日の事を思い返してみる。確かに弱っている姿を見せていたし、体調も悪そうではあったが、ここまでとは思わなかった。

 となると、今日の業務はどうするのか。

 凪が倒れたとなると、誰が鎮守府を動かすのか。

 

「長門さんが代わりにやるしかありませんね」

「そうなるか。……しかし、提督に方針を聞かねばなるまいか」

「これが出来上がりましたら、一緒に行きますか?」

 

 最後の仕上げをしながら問うと、長門は小さく頷いた。

 やがておかゆが出来上がると、さっと盛り付けてお盆を手にする。熱々のそれを持って並んで歩き、凪の部屋へと戻ると凪は壁に向かって寝転がっている。

 

「提督、起きていらっしゃいますか?」

「…………マジで作ってきたんだ。……ってか長門も一緒か」

「どうも。大丈夫か、提督?」

 

 顔だけ二人の方へと向けると、長門が小さく会釈した。机にお盆を置くと、神通がなぜ長門も来たのかを説明した。それを聞き、凪は長門へと頭を下げる。

 

「ごめんね。……今日一日、君に任せることになる」

「構わない。あなたには休みが必要だ。それくらい、お安い御用だ。それで、今日はどのような予定を組もうとしていたので?」

 

 ベッドから起き上がり、長門と向き合いながら予定を伝える。

 本来ならば今日にでも五航戦を迎え入れようかと考えていたのだが、明日にでも延期するしかない。

 第一水雷戦隊と第二水雷戦隊の訓練について説明し、戦艦や祥鳳についてもどのような訓練をするかを伝える。また今回の泊地棲姫戦について振り返り、どちらにも戦艦を入れて遠距離砲撃の撃ち合いも訓練させてみる事にする。

 その際の編成についても伝えることにした。

 神通、山城、北上、摩耶、夕立、綾波。

 球磨、日向、川内、利根、皐月、初霜。

 艦種でバランスをとってみると、こうなってしまった。欠けてしまった艦娘については申し訳ないが、ここは交代制で編成を入れ替えつつ訓練する事となる。

 

「承知した。ではそのようにしよう」

「では、こちら、食べますか?」

「……うん、食べてみよう」

「では、失礼いたします。ふぅー……」

「んん??」

 

 何をしてらっしゃるのでしょうか、神通さん。

 レンゲにおかゆを掬ったかと思うと、息を吹きかけてそっと差し出してきた。これはなんだろうか? この人は、何をしているのだろうか。

 ぼうっとした頭で固まってしまう。

 その様子に、神通は少し困り眉になってしまった。

 

「あの、やっぱりいらないですか?」

「……あー、うん。これはあれなのね。うん。いただくよ……」

 

 よもや自分がこういう事をされるとは思わなかった。漫画とかである看病系のイベントでよく見るやつだ。

 口を開ければ、そっと神通がおかゆを食べさせてくれる。そう、あーんというやつだ。

 実際にされても、全然実感が湧かない。少し冷ましてくれた事で、はふはふと言わないが、それでも味がよくわかっていない。それだけこの状況に混乱しているのか、あるいはただ体調が悪いだけなのか。たぶん、どちらもだろう。

 

「では、お邪魔にならないよう私はもう行こう。お大事に、提督」

「あ、うん……みんなによろしくね」

 

 敬礼して長門が立ち去ると、神通は凪を気遣いながらおかゆを食べさせ続ける。昨日の今日でなんとまあ献身的な事だ。いや、神通も何かと業務を補佐してくれる時がある事は知っているが、こういう事までしてくれるとは思わなかった。

 時間をかけてゆっくりとおかゆを頂き、何とか全部食べ終える事が出来た。

 

「ほんと、ありがとう」

「いいえ。ではごゆっくりお休みください」

 

 弱っている時に、神通のような人は本当にありがたい。

 初めての経験だったために余計に何かがクるような気がした。

 

 

 訓練は何事もなく過ぎていった。凪が倒れているため出撃はせず、朝も昼も訓練漬けとなった。凪の事は倒れている、とは告げず、ただ休んでいるとだけ伝えられた。

 見舞いにはいかせず、ただそっとしてやるように、という長門の言葉に艦娘達は少し心配そうな表情を浮かべた。

 夕方、訓練を終えて入渠ドックで体を癒し、間宮食堂で食事をする艦娘達。長門は執務室で凪の代わりに書類を書き、チェックを進める。

 鎮守府の中は静かだった。

 夜になっていくにつれて騒がしくなる娘は一人いるが、今日は何やら大人しい。

 そんな中で神通は凪の様子を見るべく部屋を訪れる。ノックをして中に入ると、ベッドの脇に誰かが座っているようだった。

 

「……夕立ちゃん?」

「あ、神通さん」

 

 電気がついていない中、夕立が凪の手をそっと握っていた。いや、凪が握りしめている、というべきか。眠っているようだが、無意識に夕立の手を握っているという事は、そうする事で安心を得たのだろうか。

 

「どうしてここに?」

「提督さんの様子を見にきたんだよ。結構前から、弱っているかな、って気はしてたから」

「……わかっていたの?」

「うん。何となく、ね」

 

 やはりこの夕立は観察眼がいいかもしれない。長門でも昨日気づいたぐらいだったのに、神通と同じく前から違和を感じていたようだった。

 そっと凪の手を撫でながら夕立は語る。

 

「一対一なら、まだいいみたいなんだけどね。それでも無理はしていたみたいっぽいよ。目が、震えてるもん。それが複数だったら、提督さん、目の震えが少し大きくなって、気づいたら誰一人見てないの。どこか、別の方を見ながら話してる。でもまた戻す、それの繰り返し」

「目線……そういえば、そうでしたね。……それも、彼にとっては難しい事でしたか」

 

 人付き合いが苦手という人の中には、確かに人と目を合わせる事すら難しいという人がいる。何とか目を合わせようとするも、すぐに視線を逸らし、あたふたとし始めるのだ。

 凪の場合はそれがなかったが、それでも困惑したようにうろうろと視線が僅かに動いているか、目ではなく別の顔の部分を見つめていたようだ。それに夕立が気づいていたようだった。

 

「…………っ、ん、んん……」

「あ、起きたっぽい」

 

 ぼうっとした頭で部屋を見回す。夕立が近くにいて、手が夕立の手を取っている事に何とか気づき、少し恥ずかしくなってきた。手を離そうとすると、逆に夕立が握りしめてきた。

 

「提督さん、無理してあたし達と接してるっぽい?」

「…………」

「あの、夕立ちゃん、提督は……」

「いや、いいよ神通。俺から話すよ……」

 

 そうして凪は夕立に話して聞かせた。どうして自分が人と接するのが苦手なのかを。夕立は茶化すようなことはせず、静かにそれに耳を傾ける。

 やがて全てを聞き終えた夕立は、そっか、と小さく頷いた。

 

「提督さんは、人を完全に信じ切れないところがあるんだね」

 

 容赦のない切り込みだった。しかしそれが的確と言えよう。根本的にはその感情があるからこそ、人と壁を作っているのだから。

 無言になってしまう凪に、夕立はぽんぽんと凪の手を撫でていく。

 

「表面上ではいい顔していても、裏では何を考えているんだろうって疑うから、目も合わせられないし、人に囲まれるのが苦手。……例えあたし達でも、見た目は人間の女の子だから、咄嗟に壁を作って色々考えて、そして体を悪くしちゃった。そうなんだね?」

「平たく言えばそうなるね」

「も~、てーとくさんは考えすぎっぽい。あたし達が提督さんを悪く思うなんて、裏切るなんて、そんなことありえないよ。あたし達は、提督さんの兵器。見た目は人間っぽいけど、人間じゃない。提督さんが思うようなことは、何も起こらないよ」

 

 説得しているつもりだろうが、しかし夕立の言葉もまた彼女達の歪さを示す。

 人間じゃない。自分達は兵器。

 確かにその通りだ。どんなに見た目が人間の女の子であったとしても、彼女達は人間じゃない。その真理を容赦なく突きつけてくる。それを凪に対する説得材料として。

 

「……申し訳ありません。裏切りはしませんが、疑いはします」

「神通さん?」

 

 そこで、瞑目した神通が静かに頭を下げた。夕立が少し驚いた表情で振り返るが、神通はまるで懺悔するように静かに言葉を発した。

 

「私は、提督の監視をしていました。どのような人間なのかを推し量るように。……先代のように、いつか私達を使い潰す人間なのかを知るために」

「……そして、黒だとわかったら、反逆する可能性もあったのかな?」

「…………ない、とは言い切れませんね。長門さんもそうであるように」

「はは、長門は仕方ないさ。俺が道を踏み外したら正せ、とあらかじめ俺が言ってあったし。でも、そうか。神通もそうだったのか」

「申し訳ありません。……ですが、今はもう、それはありません。このような事を申し上げた後で言っても、信じるに値しないかもしれませんが」

 

 頭を下げたまま神通は話し続ける。夕立は困ったように神通と凪を交互に見やり、凪はただ静かに神通を見つめていた。たぶん、昨日の凪の懺悔を聞いていた神通のように。

 

「私は、昨日あなたの心を見ました。あなたの、本心を聞きました。だから、私はあなたの気持ちを信じます。あなたのために、この身を捧げ、あなたの兵器となり深海棲艦と戦いましょう」

 

 それは誓いだった。膝をつき、まるで騎士に仕える者のように神通は懺悔から誓いを口にした。

 お互い、隠していたことを曝け出したからこそ、神通は凪へと改めて誓うのだ。

 先代提督の起こした行動により、次の提督もそうであるのかと疑いの心を持つのは当然の事。

 そう、心あるものならば、疑うだろう。次の主は果たしてどのような人物なのかと。

 心がないものならば、何も言わず、何も思わず、ただ命じられるままに動くだけなのだから。

 だから、神通や長門が疑念を抱く事は自然な事。それを責める気持ちなど、凪にはない。

 それでも、不安はある。

 自分は果たしてうまくやれているのだろうか。長門や神通にそのような疑念を抱かせ続けているような事をしているだろうか。そんな不安に苛まれるのだ。そのような思い込みもまた、凪の体を痛めつけていた。

 だから神通は自らの事を打ち明け、少しでも凪の不安を和らげたのだ。

 その意図に気付いたらしい夕立も、ぎゅっと凪の手を両手で握りしめる。安心させるようにしていたその手は、自分の存在が確かなものであることを教えるように力強かった。

 

「あたしだってそうだよ。この夕立も、提督さんのために戦うよ! 提督さんを不安にさせないよ。提督さんのために強くなって、提督さんのために戦って、提督さんと一緒に……どこまでも、行くよ!」

 

 二人からの言葉に、凪は静かに涙した。

 申し訳なさに。

 その有難さに。

 こうまで言われては、もはや二人に対して壁を作る事など出来るはずがなかった。

 

「私達艦娘は、提督を支え、共に歩むために在る存在。……不安もあるでしょうが、あなたが私達を仲間だと思ってくださるのであれば、私達もまたそれに応え続けましょう」

「……うん」

 

 凪はゆっくりと体を起こし、ベッドへと座りなおした。膝をついている神通を立たせ、夕立と神通の手を取る。

 弱っているせいか人の暖かさというものがよくわかる。それに加えて二人の言葉の暖かさが身に染みる。壁がなくなった今、より一層それが強く感じられるのだ。

 ああ、こんな娘達を自分はどこかで恐れていたというのか。

 この娘達はあの人間達とは違うのだ。

 そんな当たり前の事を、何故自分は自覚しなかったのだろうか。

 本当に、本当に申し訳がない。

 こんなことを言わせてしまった自分が情けなくて仕方がない。

 

「ごめん。本当にごめん。……そして、ありがとう。明日からは、しっかり君達と向き合ってみるから……。どうか、こんな情けない提督と、一緒に戦ってください」

「はい」

「もちろんだよ」

 

 改めて凪からお願いする。

 答えは当然、満面の笑顔だった。

 そして凪はここにいないもう一人の艦娘、長門の事を思い返す。彼女にも謝らなければならない。今日一日仕事を代わってもらっただけではない。不安にさせた事についても謝らなければ。

 

 そしてここから、やり直すのだ。

 

 呉鎮守府より、今日改めて一人の提督が生れ落ちた。

 

 

 




これにて1章終了です。

次回より2章となりますが、そのボスは今となっては新人さん以外では、ほぼランカーくらいしか出会えないあの人です。
あの人……もうイベには出てこないんですかね。


なんだかここ数日で一気にUAやお気に入りが増えて困惑しています。
同時にありがたいです。
終着点はほぼ決まっているので、何とかそこまで進められたらと思います。
感想などいただければ励みになります。
2章からもよろしくお願いします。

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