呉鎮守府より   作:流星彗

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燃える基地の中で

 

 

「……く、提督、しっかりしてください……! どうか、死なないで!」

 

 そんな必死な声に、茂樹は意識を取り戻していった。

 何が起きているのか、一瞬わからなかったが、熱い感覚が体を支配していることがわかった。痛みはあるはずだが、それ以上に息苦しさなどが勝ってしまっている。

 見れば、加賀が必死に瓦礫をどかしていた。それによって、自分は掘り起こされているのだと、何となくわかった。

 

 何が起きたのか思い出そうとする。

 そうだ、自分は加賀を突き飛ばしたはずだ。右手にはハンカチがある。鼻と口を覆うためのものだ。

 左側には加賀がいて、自分を支えながら移動していたのを覚えている。

 

 そして、不意に嫌な気配を感じ取って、咄嗟に左腕を振って加賀を突き飛ばしたのだ。そこで上の階が崩れ落ち、それに自分は呑み込まれたのだろう。

 左、左側と視線を動かすと、そこには燃える瓦礫が崩れ落ちているのが分かった。

 

「――――あ? ……ぁ、っつ……!?」

 

 状況を理解していくと同時に、より熱さと痛みが体に襲い掛かっていくのを実感した。その様子に、「堪えてください……! もうすぐ、あなたを掘り出しますから!」と、加賀が、自分の上にあった瓦礫を全てどかしていった。

 だが、左側に着手しようとしたところで、ぐっと歯噛みする。

 

 そこには、それまで以上に瓦礫が積み重なっている。そして、茂樹の左腕がそこに潰されているのだ。

 茂樹は何とか下半身を動かし、這い上がろうとはしているが、どうしても左腕が瓦礫に挟まっているせいで、その場から離れられない。そんな状況だった。

 

 もしも加賀を突き飛ばさなかったら、ここには彼女が潰されていただろう。そう考えれば、咄嗟に手が動いて良かったと、茂樹は微笑を浮かべた。そして、このままでは充満する煙によって、お互いに死ぬ事も理解した。

 

「……いいよ、加賀さん。俺を置いて、みんなのところへ行け」

「っ、なにを、何を仰るのです!? そのようなこと、できるはずがないでしょう!」

「この瓦礫じゃあ、俺をここから連れ出すことは出来ねえよ。せっかく拾った命だ。加賀さんが、みんなの上に立って、奴らに反撃の一手を考案するんだ」

「馬鹿なことを……、私たちは、提督がいてこその艦娘です。艦は、指揮する人がいてこそ、その力を十全に発揮するもの。あなたという人がいなければ、そのようなことできません!」

「――これは命令だ、加賀ッ!」

 

 その叫びに、加賀はびくっと体を震わせる。

 続く言葉はなく、煙に咳き込む茂樹だが、その目は、強い意志を感じさせた。それを見下ろした加賀は、反論する言葉を失っていた。

 

「……最期の命令だ、加賀。生き延びて、みんなのところへ行け。そして、奴らに一矢報いてやれ。いずれ凪たちがここに来るだろう。指揮権は、そっち側に預け、全力を以てしてトラック艦隊の意地を示すんだ」

 

 強い声色で、茂樹はそう命令を下す。それを聞いていた加賀は、小さく拳を震わせ、無言だった。しかし彼女の中では、思いが交錯していた。

 秘書艦として、提督である茂樹の「最期の命令」を受諾しなければならないという思い。

 その命令を却下し、彼を助け出して二人とも生き延びるという思い。

 この相反する思いが、彼女を硬直させていた。

 

 動かない加賀に対し、「……返事はどうしたんだ、加賀?」と茂樹が促すと、「…………す」と、微かな声が響いた。それに茂樹が首を傾げると、

 

「――――却下しますッ!」

 

 と、強い声と共に、彼女の手が茂樹へと伸ばされる。その胸ぐらをつかみ上げ、「失礼します」と一言告げて、その右手に青の力を込めた。何をするのかと思った刹那、その手が茂樹のすぐ横に振り下ろされた。

 途端に、体にかかる負荷が軽くなった気がした。次いで、ぐっと引き寄せられる感覚。

 気づけば、茂樹は加賀に抱き寄せられていたのだ。

 

 何故と思う間もなく、加賀の肩に結ばれていた紐がほどけられ、左腕があったところへと強く結ばれる。見れば、そこにあるはずのものがなくなっていたのだ。恐らく、彼女の手刀によって切り落とされたのだろう。

 瓦礫によって潰され、動けなくなったのならば、彼の命を助けるためにその左腕を切り離したのだ。そう認識した時、ぐっと痛みが襲い掛かってくる。平時の時より感覚が鈍っているとはいえ、切り落とされた痛みというものはバカにはできなかった。

 

 そのままお姫様抱っこの状態で加賀が廊下を駆け抜け、隠し通路のあった場所へと辿りつく。操作して階段を露出させると、すぐに駆け下り、隠し通路を戻す。

 そして地下に作られた医務室へと刺激を運び込み、「応急班っ! 手当をお願い!」と叫んだ。

 

 突然入ってきた加賀に何事かと騒がれるが、茂樹の惨状を見てすぐに彼女たちは動いた。体の状態、吸い込んだ煙の具合、そして切り落とされた部分。色々診るべき部分はたくさんある。

 投薬されたことで痛みは和らいだものの、それまで感じていたものは名残として茂樹に残っているような気がした。同時に、あったはずのものがなくなっている違和感もある。でも、命は繋げた。それは確かな事実であった。

 

 手当を受けながら、茂樹は加賀を見上げた。彼女もまた手当てを受けつつも、不安げに茂樹を見つめていた。

 そんな彼女へと、小さく「……すまなかった。きついこと言って」と、さっきのことを謝罪する。しかし、加賀もまた「……いえ、こちらこそ、仕方がないとはいえ、腕を落としました」と、頭を下げた。

 だが、そうしなければ茂樹の命を諦めることになった。そのことは、彼も理解していた。加えて加賀は、「それと、助けていただいたのは私もです」と、発端についてのことに対して、礼を述べた。

 

「…………お互いさまってやつだな。命を拾った。ありがとうな、加賀さん。やっぱり、あんたがいてくれねえと、俺はダメらしい」

「……それは私もです。どうぞ、お休みください。その後に、本来の命令を遂行いたしましょう」

 

 命は拾ったが、失ったものも大きい。でも、この借りはしっかり返さなければならない。茂樹はそう心に決める。

 体を休め、反撃の一手のための好機を待つ。最期の命令にはならなかったが、命令であることに違いはない。

 それを果たすためにも、お互いに手当をしっかり受けて、その時に備えて回復しよう。

 その言葉に、茂樹は小さく頷いて応えた。

 

 

 

「――というわけで、まあ、命は拾ってるんで。心配かけて悪かった」

 

 加賀が何が起きたのかを説明し、最後に通信で茂樹がそう報告した。モニターに映っている茂樹の背後には、主に土壁が見えている。そのことから、彼は今も地下シェルターにいることがわかる。

 

 一時は死んだと思っていた戦友が生きている。左腕がなくなってしまっていても、生きていてくれていることに、凪は少しずつ体を震わせ始めた。戦いが終わったという緊張の解放も加わり、凪は知らず涙を流した。体中の力が抜け、思わずうなだれてしまうほどに、凪は茂樹が生きていてくれたことに安堵している。

 

「良かった……パイセン、オレ、オレ……くっ、あいつが……兄貴が、本当にパイセンを殺してしまったんじゃないかって……」

 

 香月もまた、涙を流しながらそう口にした。彼の口から出た兄貴という単語。それだけで、茂樹は戦いの中で、香月は知ってしまったことを悟った。

 そして、中部提督が本当に美空星司だったことも、明らかになったんだろうと、凪へと視線を向ける。

 

「……ああ、奴自身が香月に名乗りを上げたらしい」

「そうかい。……気にすんなっていうのも酷だろうな。だが、これはそういう戦いさ、香月」

 

 いつものように坊ちゃんとは呼ばず、茂樹は香月へと優しく語り掛ける。

 

「俺たちは命を懸けている。時には奇襲を仕掛け、有利を取りに行くこともあるだろうさ。今回、俺がそうされる立場だったってだけさ。奴に先手を打たれ、やられた。命を拾ったのは、本当に運が良かったってだけでね。それによって奴を恨むってのも、筋違いだろうと俺は思っている」

「そんな、そんな風に割り切るなんて、オレには……だって、あいつは――」

「――ああ、お前の兄貴、美空星司……だったもの、だろう?」

 

 あえてそのように茂樹は言った。茶化すような表情ではなく、真剣そのものだった。

 その声に、香月は顔をあげてモニターの茂樹を見つめる。

 

「お前の兄貴は、もう死んでいる。俺を襲い、そこで戦った奴は、お前の兄貴の姿と名前をした、別の誰か。いうなれば一介の深海棲艦でしかねえ。どんなに見た目が似ていても、どんなに声が似ていても、あれは兄貴を模倣しただけの存在なんだよ。だから、あれはお前の兄貴じゃない」

「…………」

「よく似た他人ってのは、人間にだって起こり得ることさ。結構似ているなって感じても、根本的に違う存在、そう思えばいい。自分とは何の関係もない他人が俺を殺しかけた。そう思えば、心の負担ってやつは軽くなるもんさ。違うか?」

 

 これを実際に殺されかけた本人が口にしている。香月を気遣ってのものだというのはわかるが、他の誰でもない茂樹が、ここまで言ってくれるのだから、香月も前を向かなければいけない。

 ショックだったのは本当だ。今だって信じられない気持ちでいっぱいになっている。

 でも、奴はそれでも中部提督。人類の敵であり、本格的に動いている深海の勢力を束ねる存在の一人だ。

 

 いずれ倒さなければならない存在だからこそ、あれが星司だという事実に囚われ続けるわけにはいかないのだ。故にあれを、星司と切り離して考える必要がある、茂樹はそう言っているのだ。

 

 だが、香月にはどうしても考えてしまうもう一つの理由があった。

 それは、香月が提督を志す理由の一つとして掲げていたもの。

 

 兄である香月を殺した深海棲艦を駆逐するために、提督になるのだと決意した復讐心だ。

 復習に囚われるあまり、母親である美空大将ともこじれた関係を築いてしまう程に、星司を喪った痛みは、かつての香月を構成する大きな要因となっていた。

 

 そんな星司が深海提督として立ちはだかるなんて、想像すらしていなかった。憎き深海勢力の一員になっているなら、この復讐心はどうすればいいのだ。

 兄を殺した深海棲艦が憎いのに、その深海棲艦を兄が使役しているなんて、どうかしている。そんな気持ちも、あのショックの中で湧き上がっていた。

 そして今も、それは燻っている。行き場を失った復讐心が胸をかき乱しているかのようだった。

 

「……ま、簡単に割り切れるもんじゃないよな。ゆっくりでいい、それをうまく処理して、改めて前を向け、香月」

「……うっす」

 

 それで話はいったん終わりとする。

 それぞれの指揮艦はトラック島の埠頭へと接舷し、凪たちは島へと上陸する。

 

 深海棲艦によって襲撃を受けた基地は、まだ少し燃え続けてはいたが、大部分は落ち着いていた。崩落した建物、見渡す限りの瓦礫。ひどい有様だった。これを見れば、確かに生き残りがいるなど、信じられるものではなかった。

 星司がこれで生きていたら信じられないといったようなことを口にするのも納得である。

 

「……これを直すのかい?」

「直すにしても、瓦礫の処理とかが必要になるだろうね。……ま、大部分は妖精の不思議なパワーってやつが解決するのだろうけど」

 

 惨状を前にして深山が首を傾げるも、凪が妖精の力を信じているかのように言う。普段から工廠で妖精と関わり合っているからこそ、彼らが持つ人類にとっては未知なるパワーも理解している。

 彼らに任せれば、基地の建て直しも問題なく行えるのではないだろうかと、凪は信じていた。

 

 隠されている扉を開ければ、奥から隠れていた艦娘に続いて、妖精たちも出てくる。彼らもこの惨状に言葉を失っていたが、しかし生きていれば再出発はできるのだと、気合を入れ直す。

 

「まずは瓦礫を処理していこうか。消火を行う人もそれぞれ散って、進めていこう」

 

 トラック泊地の建て直しのため、凪たちは動いていく。

 深海棲艦を追い返すことには成功したが、トラック泊地としては痛み分けといってもいいだろう。

 

 トラック泊地は一度死んだ。

 しかし、そこに生きるものたちは死んではいない。ならば全てを立て直し、再び奴らと相対することはできるのだ。

 

 襲撃した深海中部艦隊も攻め切ることはできず、それぞれが痛手を負って撤退する。

 勝てる戦いだっただろう。だが、上手く歯車が嚙み合うことができず、勝ちを逃したといってもいい戦いだった。

 不具合をもたらした要因は、深海長門。切り札といってもいい最新の個体がもたらした要因は、この戦いを完全勝利に導くことができなかった。

 

 逃げた星司たちは、きっと次なる手を打ってくるだろう。それまでにトラック泊地を再建し、艦娘たちの更なる強化を目指さなければならない。生まれた目標は頭を悩ませるものではあるが、やらなければ今度こそ敗北を喫することになるかもしれないだけに、うまくこなしていかなければならない。

 成功へと導くために、ラバウルの深山とパラオの香月は、気を引き締めてトラックの茂樹たちをサポートしなければと、決意を新たにするのだった。

 


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