通信によるお互いの口上をぶつけ合った際に、どさくさ紛れに凪は美空星司と叫んだが、それに対して星司は否定も肯定もしていなかった。特に「誰のことだ」といったような疑問の声もなかったため、ほぼ彼が美空星司であると、凪は当初の推測が当たっていたことを察する。
幸いにもこの通信は凪が乗船する指揮艦と星司との間に結ばれたもののため、香月や深山には聞こえていないものだった。特に香月からすれば、兄の名を叫ばれたようなものだ。寝耳に水の話だろう。
神通率いる一水戦は空母棲姫の深海赤城へと向かう。艦載機を展開され、制空権を奪われたままの状況を脱却するためだ。空母は接近されると弱い、そこを突いていく狙いである。
迫ってくる神通に気づいた深海赤城だが、彼女を守るのがツ級やネ級だった。フラグシップのリ級などもいるが、ここでも新世代へと順次入れ替わってきているのが、深海棲艦らも順調に強化の手が及んでいることを窺わせる。
ネ級の情報をまだ知らない神通らは新しい顔ぶれに気づきはしたが、それでも高速で接近することをやめない。今更標的を変えるのも遅い。まずは牽制とばかりに雷撃を放つが、それらをツ級とネ級が砲撃で邪魔し、狙いを狂わせてくる。
それだけでなくネ級が前に出て神通を狙い撃ちにしてきた。旗艦である神通を潰しに来たのだろう。
「なるほど、いいでしょう。あなたたちはそのまま空母棲姫へ。すぐに合流します」
「はいはいっと。決め手はこの北上様か夕立ってところで進めますよ~。とりあえずツとリをどかしていきましょうかー」
ネ級を惹きつけるように北上達から離れて動けば、ネ級もそのまま神通へと接近するために、ツ級たちから離れていく。そのまま砲撃を交わしながら一定の距離を保ちつつ海上を動き回る。
北上達もツ級とリ級らを相手にしつつ、深海赤城へと攻撃を仕掛けるチャンスを窺っていく。深海赤城もこのまま接近されたままでは不利なのを理解しており、急遽飛行甲板から白猫艦載機を発艦させ、北上達へと攻撃を仕掛けた。
それを防ぐのが雪風やВерныйの対空射撃。先日導入されたばかりの対空射撃のシステムを有効活用し、より迅速に、正確に艦載機を迎撃していく。まだまだ慣れが必要な技術ではあるが、それでも以前よりも速いペースで迎撃できているため、システムの恩恵は大きかった。
「ナニ……? ソンナニ早ク? 更ニ練度ヲ高メタトデモ?」
当然システムが導入されていることを知らない深海赤城からすれば、急に腕を上げたとしか思えない光景だ。だがそれでも深海赤城は次々と艦載機を送り込み、なおかつ副砲で接近を阻むしか道はない。
アンノウンはどうしているのかと見やれば、パラオの指揮艦を追跡しているところだった。パラオの武蔵が立ちはだかっているが、防戦一方の傾向にある。アンノウン自身が小柄で、なおかつよく動き回るということもあり、火力は高いが速さに劣る武蔵にとって、少し相性が悪いらしい。早いところそちらを終わらせて合流してほしいと願うところだが、そちらもまた、目的達成を阻む戦力が投入されていた。
「ここから先は行かせないわよ」
「おや、おやおやおや……久しぶりの顔じゃないの。また、ボクの前に立ちはだかるんだ。そう、そんなにあの時のこと、根に持っているってか?」
「ええ、そうね。あの時の借りを返さないと、胸のつっかえが取れそうにないわ」
山城率いる呉の主力艦隊が、パラオの指揮艦を守るためにアンノウンの前に立ちはだかる。アンノウン一人に過剰戦力のように感じるが、それくらいしなければこのアンノウンは止められそうにない。
そう感じたのは気のせいではないだろう。コキ……と、軽く肩を鳴らしたアンノウンから、急激に圧が高まり始めた。指も一本、一本と鳴らしながら、ゆらめく尻尾も舌なめずりするように軽く口を開けて舌を覗かせている。
「そう。じゃあ、更にその胸にしこりを残してあげよう。ボクとしてもさあ、弱い相手ばかり嬲るってのもどうかと思ってたんだよねえ」
「気にすることはないわ、武蔵。私たちが受け持つから、修復に戻りなさい。むしろ、一人で良く抑え込んだと私はあなたに敬意を表する」
「……すまない、後は任せる。そして、感謝する。その言葉をもらうだけでも、私も戦った甲斐がある」
一人で守り抜いたのも、大和型らしい装甲の硬さを活かしたからというのもある。攻め込むチャンスをなかなか掴めなかったが、その分香月が乗船している指揮艦へと攻撃を向かわせず、標的となり続けた上に、耐え抜いた武蔵は、十分称賛される結果を残しただろう。
こうした守るための戦いをやり抜いた武蔵を、山城たちは敬意を払うように、目で礼を送る。
だがアンノウンにはそういった敬意も、称賛も響かない。鼻で笑い、「守る戦い……ハッ、確かに兵器にはそうした一面もあるだろうさあ」と、前置きし、その上で表情を歪めて嘲笑う。
「でも、やっぱり兵器は敵を殺してこそさあ……! あの時は長門を仕留めたけど、さあ、今日は山城、お前にするか? それとも、その部隊の誰かを沈め、お前に再び誰かを守れなかったという傷を負わせるか? そっちの方がいいかもしれないねえ……その方が、いい顔をしてくれそうだぁ……!」
「――黙ってくれない、アンノウン? そのキンキン響く声で喚くな。耳障りで苛立つ」
まるで火が灯るように、山城の目から青白い燐光が発せられ、その火の粉のような粒子が、彼女の髪に巻かれたハチマキへと届く。柔らかなウェーブがかかった黒いボブカットと、白いハチマキ、そして青白い光が風に揺れる。
山城が展開している艤装も、少女が背負うにしては巨大だ。広げれば山城が二人並ぶほどに大きな艤装は、山城改二という改装を象徴している。
そういえば夏に戦った時と比較して、変わったなあと、今更ながらアンノウンも感じ取った。改装を施されたのだろうと思い至るが、それでもアンノウンは余裕を崩さない。
「いいねえ。そうやって戦意を高めていな。その分、ボクも楽しめるってものさ」
何故なら、アンノウンもまた夏から今にかけて、また力をつけているのだから。
立ち上る圧は、赤の力の発露によって具現化される。アンノウンの両目から深紅の燐光が発せられ、それは艤装の顔にある目にも赤い光が宿る。
量産型の中でもエリート級に見られる赤のオーラだが、アンノウンのそれは単にエリート級に収まるものではない。何せ他の量産型と違い、アンノウンは海軍からすればレ級と呼称されてはいるが、実質姫級らと同格の力を有した存在である。
その上、レ級は他の深海艦隊では登場していない。量産型に分類されているが、そもそも量産されていない一品物といえる。そんな存在が更なる力を解放したことにより、山城たちが肌で感じているのは、姫級だったものが水鬼級に昇格したかのような圧に等しいものだった。
「来いよ。遊んでくれるんだろう? ボクを楽しませてくれよ。お前たちの兵器としての強さ、しっかり見せつけた上で――沈みな」
その言葉と共にアンノウンは飛び出し、山城へと殴りかかる。向かってくるアンノウンを、山城は迎え撃つように己も拳を突き出し、お互いの拳は打ち合わせるのではなく、それぞれの頬へと打ち込まれた。
瞬間、衝撃が二人の間を突き抜け、強い風圧によって環状に水が割れて吹き飛んでいった。
「さあ、行くんだ長門! あいつらをみんな、沈めてしまえ!」
「騒ぐな、耳障りだ。それに、言われるまでもない。沈むかどうかは奴ら次第だが、少なくとも簡単にはそうなってはくれない顔ぶれだ。……そうだろう?」
興奮したように命令を下してくる星司に対し、深海長門は非常に冷静だった。うんざりしたような顔で返しつつ、ちらりと大和へは微笑を浮かべて問いかけていく。
前進しながら大和は胸に感じるこの違和感に疑問を覚えつつも、「ええ、そうですね」と頷いた。
「簡単に負けてあげられない理由はあります。でも、そちらは一人で大丈夫なのかしら? たった一人でそいつを守りつつ、私たちを抑えると?」
「もちろん、そこまで驕っているわけではない。わたしとて、戦力の差は感じている。だから、今まで隠してはいた。お前たちがそっちから来るのであれば、わたしもここで出さざるを得ない」
と、合図を送ると、深海長門の周りにネ級をはじめとする量産型が浮上していく。それだけでは止まらず、離れたところでは戦艦棲姫が二人現れた。深海中部艦隊の戦艦棲姫といえば、深海霧島と深海武蔵だろうか。すっかり顔なじみとなってしまった感じがする二人である。
「お前たちがここで一気に戦力を投入するのであれば、こういった壁は必要だろう。必然、わたしに対処する艦娘の数も減る。さて、どうする? このわたしの相手を務められる自信があるのはいるのか?」
そう問いかけながらも、深海長門の視線は大和に向けられていた。それは彼女が、お前がわたしの相手をしろと、目で語っている気がしてならない。あからさまな挑発、誘いに乗る義理はあるのかと、少し考えてしまう。
「考える必要はなかろう、大和。お前は、わたしの相手をしなければならない。こうして奇縁が結ばれているのだ。結局のところ、わたしたちという関係は、こうなる運命なのだろうよ」
「…………奇縁、つまりあなたは、以前から私を知っていると」
大和はそう返しつつ、手で日向たちに指示を出す。すでに敵は動いている。二人の戦艦棲姫をはじめとした深海棲艦は、凪たちのいる指揮艦へと攻撃を行うべく動いていた。それを防ぐために、応戦するようにという指示だ。
その上で大和は深海長門へと砲を向けつつ、ゆっくりと前へと進み出る。深海長門もまた、魔物を連れつつ、前に出ていく。その親指は自分の胸を指し示し、「そうとも」と大和の言葉を肯定する。
「わたしは作られたのではない。生まれ変わったタイプだ。あれがわたしを何と呼んだか、聞こえていたか?『長門』、そう、わたしは、長門だ。これが意味することを、お前はわからないはずはあるまい?」
「――――そう、そういうこと。確かにそれは、奇妙な縁と言えますね。よもや、よもやあなたがそっちに堕ちるのですか……長門……ッ!?」
その言葉に、指揮艦にいた凪たちも、近くにいた日向たちも呆然とする。
生まれ変わった長門、そして大和を知っている風の口ぶり。導き出される答えは一つしかない。
あの本土防衛戦でアンノウンによって沈められた長門が、目の前にいる戦艦水鬼として生まれ変わり、こうして立ちはだかっている。仇敵である中部提督、美空星司を守る最後の砦として。
そのことに、凪はより怒りを溜め込んだ。よもや長門を殺しただけに飽き足らず、深海棲艦として使役するとは。だが、その可能性は全くなかったわけではない。すでにラバウルの霧島を戦艦棲姫として生まれ変わらせた実績がある。むしろ、その実績を活かしてこないはずがない。
だが、可能性があっただけで本当にそうしてくるなど、信じられないし、信じたくもなかった。それだけ長門を喪ったという傷は大きく、凪の心を一気に沈めた。この可能性を考慮したくないという気持ちと共に。
だからこそ、こうして目の前に事実を突きつけられて、またしても凪の心の傷が開き、疼きだす。呼吸を荒げ、怒りと悲しみ、そして憎しみに心と思考をかき乱される。
「そうさ、海藤凪……! 僕の大和を奪われたと知った時の僕の気持ちを、そのまま味わうがいい! 君の長門は僕の手の中にある! そして、再び大和と長門が、この海で戦うのさ! 立場は違えど、あの時の再戦をここに演じようじゃあないかッ!」
かつての南方棲戦姫と呉の長門が、ソロモン海域で戦った。その時は長門側が勝利し、大和のデータを回収し、艦娘の大和が再誕する。
だが今は、その立場を逆転させた。
呉の長門は戦艦水鬼として生まれ変わり、艦娘の大和が敵として彼女の前に現れる形となった。これを奇縁と呼ばず、何とする。
「大和、君はもう僕のもとに帰ってこないのなら、それはそれで構わないさ。この長門によって沈め、強引に僕の手に取り戻すだけだからねえ! 君にとっては屈辱的かもしれない。
「…………」
「でも、仕方ないよ。そういう運命の流れってやつだ。おとなしく、受け入れてくれるかい?」
「――黙れ」
底冷えする声が響く。彼女の周囲の温度が下がったかと思えるほどに冷たい空気が流れ、感情の発露を示すかのように赤い炎が目から放たれた。
確かにあの時、大和は、南方棲戦姫は長門に敗北した。だからこうして、彼女は艦娘としてここに在る。それは変えることのできない過去であり、長門と、凪たちと敵対したのも事実だ。
しかし、現在は構図が違う。立場が違う。
かつては人類の敵対者だった大和が人類の味方をし、かつては人類の味方だった長門が人類の敵対者として在る。
ここで大和があの時と同じように敗北したらどうなるか。代わりに誰かが、あの長門を仕留めにかかると?
「――私は、お前の下には降らない。敗北も喫しない」
そのようなこと、断じて許すわけにはいかない。
あの長門と戦うのは、自分でなければならない。
あの時の再演をここに執り行うためではない。かつて受けた敗北を塗り替えるためではない。
「あの時負けて、鎮守府でも何度もやりあって、どれだけの戦いをしてきたでしょうね。最初と違うのは、命を懸けた戦いではなかったこと。そこが、大きな違いだった」
僅かに望みはした。でも、それは許されないこと。
己の誇りを懸け、命を懸け、お互いの全力を以てしてぶつかり合う死闘。
いつの日かそれを果たしてみたいと、心のどこかで思っていた。
よもや、それが果たされるなど、嬉しさよりも悲しさの方が勝っているのは、やはり大和は心から深海側ではなく、艦娘側へと傾いている証だった。
「――
結局長門本人にはそれを呼びかけることはできなかった言葉。
心の中にしまい込んでいた長門との関係を表す言葉。それを、大和はここで彼女にあえて告げる。
それを受けて、深海長門は僅かに瞳に揺らぎが生じる。胸に去来する痛みの訳を分析しようとしたが、とりあえずスルーする。今ここで、思案すべき事柄ではないことだ。
「それでいい、大和。わたしは、お前を待っていた。わたしの
立ち上る赤いオーラがひとしきりエネルギーを高めていったかと思えば、急激にそれらは収束し、深海長門の中へと消える。軽い電子音のようなものが何度か鳴ったかと思うと、エネルギーが流れるような音が少しずつ大きくなっていく。
最初は低かった音も少しずつ高音となっていき、音に合わせて赤いエネルギーの波紋が深海長門の両腕を流れていくではないか。それが今までどうでもよさげだった雰囲気から、本気で戦う意識へと切り替わる証となる。
「――
とん、とまた己の胸を親指で指し示し、「わたしを止められるなら、止めてみろ、大和!」と、改めて告げた。
その姿に、大和は深海長門とかつての呉の長門を重ねてしまう。堂々とした佇まいに、自分を見据える真っすぐな眼差し。流れる黒髪とその顔つき、重ねてしまえばより理解してしまう。
あれは紛れもなく、長門なのだと。
だからこそ、終わらせてやらなければならない。
かつての
ぎりっ、と歯噛みし、「主砲、一斉射ッ!」と告げれば、合わせるように深海長門も「斉射ッ!」と告げる。響き渡る轟音と共に、反動による衝撃が海に波紋を広げる。
最上の戦艦による一騎打ちの始まりを告げる銅鑼にしては、あまりにも強すぎる音に、空と海も震えずにはいられなかった。