遠方から撃ち抜かれた陸奥は、よろめきながらも何とか距離を取って撃った方を見やる。相変わらずどこか気だるそうにしながら、静かに佇んでいる黒い女性、深海長門。双頭の魔物に搭載されている主砲は、また照準を微調整しており、陸奥を追撃する構えだった。
だが、深海長門は興味なさげな表情で陸奥から視線を外し、とりあえずといった風に戦艦棲姫と交戦している艦娘の方へと手を向ける。それに合わせて照準がまた切り替わり、砲撃を行った。
(見逃された? 何故?)
疑問は尽きないが、見逃されたならこの借りは修復を終えた後に返すまでだ。体を抑えながら陸奥は何とか指揮艦へと帰還する。その様子を深海長門に見守られながら。
彼女の後ろには星司がおり、「何故とどめを刺さなかったんだい?」と当然の疑問を投げかけられる。
「あの一発で沈めば良かった。わたしなりの手向けだったからな。生き延びたのなら、あれにはまだ運が向いていたのだろうよ。ならば、わたしと改めて戦うチャンスがある。そのチャンスもろとも、身も心も砕けば陸奥はこちらに堕ちるだろう」
「……なるほど、妹はこちらに招きたいってやつかな。戦力を増やそうという気概はいいね。なら、陸奥に関しては何も言わないでおこう。それに、君はこの戦いだけでも十分活躍している。このくらいは誤差に収まるだろう」
そんな深海長門がこの戦いで何をしたのか。
それは戦闘を開始したところまで遡る。
初撃で向かってくるパラオ艦隊の水雷戦隊へと砲撃を成功させた深海長門。立ち昇る水柱に煽られて駆逐艦が二人舞い上がる。弾に直撃はしていなかったのは幸いだが、それでもその威力だけで、これほどの爆風を叩き出すのは、さすがは戦艦というべきか。
しかしそれだけではないだろう。フラグシップのル級やタ級であっても、これほどの威力を計測したことはない。加えて射程距離も二種よりも長いことは明らかだった。
戦艦棲姫をも超える性能を有した存在。それが深海長門であることは疑いようはなかった。そうして計測された数値は、姫級をも超えるもの、すなわち水鬼級。
深山や香月にとっては二人目の水鬼級との出会い、戦艦水鬼と呼称されることとなる。
だが、この深海長門は計測されている数値以上の何かを秘めていた。この戦場で初めて顔を出した存在なのは間違いないが、それにしては妙にその佇まいが様になっている。気だるげであまり物事に興味を向けている様子もない目をしているが、戦艦の遠距離砲撃を初撃で中てかけているのがおかしい。
それが中部提督である星司の近くに控えている。奴を倒さなければ星司を何とかできない。加えて、深海赤城の空母棲姫だけでなく、レ級のアンノウンも前に出てきている。
これらをパラオ艦隊だけで対処しようというのが厳しい状況だが、それでも何とかしなければならない。ラバウル艦隊はこの時、軽巡棲鬼と深海吹雪と交戦を始めた段階にあり、こっち側に手を回す余裕はなかった。
「ヒャッハー! さあ、こいよ、新しい獲物はワクワクすんなぁ、おい!」
深海長門をおいて前に出てきたアンノウンは、目を爛々とさせながら尻尾を軽く振り回している。先んじて放たれていた空母棲姫らの艦載機に追従するように、アンノウンが保有している艦載機も、尻尾の飛行甲板を伝って発艦していく。
対抗する赤城たちの艦載機がぶつかり合うが、少し圧される形になっているのが、積み重ねてきた練度の違いが表れているかのようだった。
「みなさん、アンノウンをまずは抑え――っ!?」
向かってくるアンノウンに対処すべく、パラオ一水戦旗艦阿武隈が指示を出そうとしたところで、またしても遠方から飛来してくる砲撃を回避する。どうしてそんな遠くから正確に中ててくるのか、疑問が尽きない。
練度が高いなら理解できる。だが新型の深海棲艦なら、この戦いは初の戦場のはず。練度は十分に高められているとは考えづらい。
艦娘ならば戦艦が遠距離から中てていく技術として、弾着観測射撃ができるだろうが、深海棲艦にそれがあるとは思えなかった。
アンノウンは体勢を崩した阿武隈めがけて飛び掛かり、その首を掴み上げる。ぎりぎりと食い込む指に阿武隈は声を上げることすらできない。そんな中で阿武隈を助けるべく、叢雲がアンノウンへと砲撃を仕掛けるも、尻尾で弾を弾き返す。
気にしたそぶりも見せないそれが、叢雲の接近を許した。手にした槍状の艤装に力を込め、その体へと突き出せば、アンノウンの体はそれに貫かれながら吹き飛ぶ。
「……あぁ?」
いったい何が起きたのかと、アンノウンは首を傾げつつも、空中で受け身を取って海上を滑っていく。よもや自分が駆逐艦の攻撃で吹き飛ぶなど、想像もしていなかったことだった。
しかもまだまだ新米と言えるパラオの艦隊に所属している艦娘で、だ。改めて自分の体を見下ろし、傷を確かめる。流れる血を指で掬い、ぺろりと舐めて低く笑った。
「よもやボクを傷つけるくらいの力があるなんてね。ただただやられるばかりではなかったってか? いいねえ、この短期間で兵器としての質を上げてくる。その気概は嫌いじゃない」
だが、とアンノウンは目を細めた。実力を高めたからといって、それで自分たちに並びうるのかというと、それは否だろう。捕まえていた阿武隈は手から離れ、体勢を立て直してはいるが、それがどうした。
駆逐艦たちが雷撃を撃ってきたが、それがどうした。単に広い面で展開し、進軍を阻むだけならば、アンノウンを止めることなど出来ない。
その手に副砲を顕現させて海へと撃ち放ち、向かってくる魚雷を爆破させて道を無理やり切り拓く。長い尻尾は自分の背中を越えて頭上に顔を出し、阿武隈を守ろうとする駆逐艦たちを狙う。
だがその彼女たちの後ろから、砲撃が飛来してきたため、咄嗟にアンノウンは転進する。それに合わせてくるように、また別の砲撃が飛来し、アンノウンへと直撃してきた。その威力の重さからして、こちらが本命だといわんばかりの砲撃だった。
頭を揺さぶり、意識を飛ばしかねない一撃の重さには覚えがある。かつて日本で戦ったあの戦艦、大和に迫る砲撃だ。空中で回転しながら、そんなことを思い返しつつ、しかしアンノウンは笑い続ける。それが彼女の異常性の表れだった。
「はっはぁ……、そういえば、いたっけ? 武蔵」
「今です! 一気に叩き込んで!」
阿武隈の命令を受けた水雷戦隊が、渾身の雷撃を撃ち放つ。先ほどの牽制のための魚雷とは違う。先に見せておくことで油断を誘い込み、この一撃に結び付ける。
自分たちは弱いと思わせておいて釣り上げ、逆転の一手を決める。これがパラオ艦隊の戦い方の一つとして確立させたものだ。
狙い通りにアンノウンへと向かっていく魚雷の群れ。強撃らしく高い推進力と威力を以てして、アンノウンであろうとも仕留めきれると期待できるその攻撃。
それは、アンノウンへと次々と直撃し、大爆発を引き起こす。彼女の小柄な姿など、爆風と湧き上がる海水によってすぐに覆い隠されてしまった。
加えて広がる爆風は離れたところにいる阿武隈たちへと届くほどで、咄嗟に顔を庇ってしまう程のものだった。それが、たくさんの魚雷の強撃の威力を物語る。
そしてそれは、彼女にとって格好の的にもなる。
広がる爆風と共に、爆音も周囲を脅かす。耳から爆発音以外の音をかき消すほどのものであり、それはすなわち、接近する音も隠してしまう。
気づいたときにはもう遅い。アンノウンを仕留めたと心を緩めた阿武隈たちは、飛来する砲弾の対処に遅れた。
立ち上る爆発と、悲鳴。
アンノウンという強力な敵を倒したと喜ぶ彼女たちを、一気に叩き落す絶望の爆発。
それを放った深海長門は、じっとその様子を見届け、一息つく。
「あれで気が緩むなど未熟。戦場においてそれは悪手。さて、次の標的は……」
淡々とした言葉だった。後方で戦場を見回し、狙えそうな敵がいれば照準を合わせ、砲撃。命中すれば簡単に吹き飛ぶだけの火力を有している。その一撃だけで戦闘不能に追い込むのだから、まさに狙撃手の役割を担っていると言える。
それを可能としているのは、あらかじめ放っておいた観測ユニットだった。深海赤城が放った艦載機に紛れ込ませた小型のユニットであり、双頭の魔物になぞらえて、二つのユニットがそれぞれ別地点で滞空し、戦場を見下ろしている。
己の目と、ユニットからの目。この二つを活かして対象を捉え、照準を合わせて砲撃する。それはまさに、艦娘が行う弾着観測射撃に他ならない。
元は呉の長門であり、その時の自分の記憶も有しているが故に、深海長門もまたその技術を行使できる。これが作られたばかりだというのに、高い練度を有している秘密だった。
「おい、アンノウン。生きているのだろう? いつまでも隠れていないで、動いたらどうだ?」
「……そう急かさないでくれるかなあ? 結構痛かったし、お前の砲撃の煽りも受けてんだ。ちょっとは休ませろって話だよ」
「そうか、それは悪かった。だが、お前の代わりに何人か仕留めたのだ。文句を言われる筋合いはない。相手を舐めて痛手を負ったのだしな。何なら、そのまま退場してくれても、わたしは別に問題はないが?」
「言ってくれるねえ。お生憎だけど、ボクとしてはまだ戦えるさ。なに、この通り――」
攻撃を受けたところから離れたポイントで、アンノウンが浮上する。所々焼け焦げたところが見られるが、大きく負傷しているようには見えない。咄嗟に防御として赤の力による障壁を展開し、雷撃の被害を軽減させた結果だ。
とはいえ咄嗟に作り上げた壁が、全てのダメージを防ぎきれるはずもなく、数秒程度しか持たなかったが、その数秒だけでもいくつかの魚雷を受け止め、爆風からアンノウンを守ったのは事実だ。それがなければ、致命傷を負っていたのは確実。
「――大事なところは守れた。うん、大したもんだよ。まさかボクらが使う力に近いものを、こいつらが使うなんてさ」
魚雷の中には青の力を込めたものもあった。先んじて突っ込んでいった魚雷から遅れることで、万が一障壁を展開していたとしても、強撃が打ち破り、青の力の本命が直撃すれば良いという狙いだった。
果たしてそれは成功した。が、それは脇腹を抉りとるだけに留めていた。緊急の応急処置で済まされているが、それでも、どこか苦し気にしているアンノウンは、いつものような笑みを浮かべていない。
「いやいや、舐めていたねえ。遊びはこれくらいにしておこうかな、武蔵?」
「こちらとしては、そのまま遊び気分でいてほしかったがな。そのままくたばってしまえば、深海側でも笑い種になっていただろうよ。舐めてかかった結果、返り討ちにあった愚か者ってな」
「はっ、何も言い返せねえなあ。でも、だからこそ終わらせてやるよ。ボクの手で消えちまいな。あの大和と違って、数分も持たせなくしてやる」
深海長門の砲撃を受けたことで、阿武隈たちは吹き飛んだ。その穴埋めをするために前に出てきた武蔵たち。複数で当たろうとするが、それを制して武蔵がアンノウンと対峙する。
高い装甲と火力を持つ自分が引き付け、隙をついて攻撃を入れる。その形にするためだった。それにこの戦いだろうと、きっと深海長門はまた遠方から撃ってくるに違いない。あの狙撃手をどうにかしなければ、意味がない。
加えて空ではまだ深海赤城らによる艦載機が健在だ。赤城たちが何とか持たせてはいるものの、いつ崩れるかわからないような状況にある。どこを取ってみても、パラオ艦隊は劣勢であることに疑いようはない。
それは、指揮艦で見守っている香月の目から見ても明らかだった。
悔し気に歯噛みしながら、何とかならないものかと思案するが、道が見いだせない。深山に入った通信から、凪がここに向かってきているという希望は見えたが、果たしてそれまで持たせられるのかも怪しい。
深海長門に撃たれた艦娘たちが修理するも、負傷が激しく治療に時間がかかっている。バケツを投入してはいるが、それを繰り返したところで、深海長門をどうにかしなければ、消耗戦になってしまう。
阿武隈も、撃たれたときに咄嗟に青の力による障壁でダメージを抑え込むことで、大破に至らずに済んだ。遠方だったことと、爆風で姿を隠したことで、深海長門に気づかれているかどうかはわからない。
視線を外し、次の標的を探している様子から、気づかれていないことを祈るしかないが、それを繰り返しても道は拓けることはない。防戦一方であり、なおかつ艦娘たちにいたずらに苦痛を与え続けるだけに他ならない。
(あいつを……あいつを倒せば、変わりそうだけど……)
モニターに映る一つの存在。深海長門に守られるようにして埠頭にずっと控えている中部提督の星司だ。深海長門を倒すことでも変わりそうだが、奴を倒せるビジョンが浮かばない。それは同時に、星司に至るまでの道筋の中で、絶対に阻んでくる深海長門をどうにもできないという意味でもある。
まさしく大きく変えられるチャンスを秘めている、星司を守る最終防衛ラインといえる。
(クソ……アンノウン、空母棲姫、戦艦水鬼。どれかを崩せれば……っ!?)
思案している途中で、指揮艦が大きく揺れ動いた。何事かと見れば、指揮艦上空で敵艦載機が旋回しているのが見えた。甲板には障壁を展開している護衛の艦娘がいる。
「敵艦載機が、指揮艦へと到達し始めました!」
「なにぃ!? 赤城、抜かれたのか!?」
「すみません、物量に押し込まれています。敵の空母戦力が、増加しています。奴らは恐らく、こちら側を落とせばいいと判断したようで……」
敵艦載機は空母棲姫が所属する艦隊だけではなく、ラバウル艦隊を相手にしている空母水鬼らからも、一部送り込まれていた。つまり一方を相手にしていた赤城たちの艦載機は、別方向から送り込まれてきた艦載機にも対処する必要が出始め、なおかつ、空母水鬼らの艦載機が悠々と交戦空域を抜け、指揮艦へと到達してきたのだ。
艦載機の攻撃は直撃しているわけではない。それでも放たれた攻撃による爆風で船が揺れている。甲板にいる駆逐艦らが対空射撃を用いて迎撃を行い、被害を抑えこんでいるが、いつまで続けられるか。
青の力による反動も、回数を重ねれば重くなる。数を用いて送り込まれれば、落とせない機体も出てくる。そうした一発が、障壁を抜けて指揮艦へと直接落とされ、甲板をぶち破っていくのだ。
大きく揺れる指揮艦。燃え上がる甲板と抜かれた層の船内。「慌てるな! 直ちに消火を!」と、指示を出す香月だが、その表情は陰り、冷や汗が流れてくる。甲板だったから助かったが、今のが艦橋に当たればどうなっていたか。そう考えると、肝が冷える。
(落ち着け……落ち着くんだ)
「いったん距離を取る! 取り舵いっぱい!」
トラック島を正面にする形から進路を北へ。そうすることで、北から来るかもしれない凪たちと、速やかに合流できるようにしつつ、空母水鬼方面からくる艦載機からも距離を取れる。そう考えての指示だった。
方向転換し、逃げるように動く指揮艦を見て、星司は笑みを深めた。船の一部が燃えていることから、攻撃は順調のようだと、気分はうきうきだ。
「いいぞ。そのまま押し込んで、香月を殺すんだ。早いところ消えてもらえば、後は消化試合さ。そうだろう、長門?」
「……そうでもなさそうだが?」
「ん? どういうことだい?」
星司の問いかけに深海長門はあっちを見ろとばかりに首をしゃくる。だがそれは彼女の背後に立つ魔物によって見えないので、意味はなかった。「……ああ、そうだった。あっちを見ろ」と、数秒して気づいたようで、そっと魔物から見えるようにと動いた後、指を差してやる。
そこでは、星司にとって計算外のことが起きていた。
軽巡棲鬼の撃破と、深海吹雪の脱落である。よもやこんなに早く軽巡棲鬼が落ちるだけではなく、深海吹雪まで落ちていくなど、想定外だった。思わずあっけにとられてしまうが、深海長門は冷静だった。
深海吹雪を倒し、気を抜いている陸奥が背を向ける。負傷を回復するために指揮艦へと戻ろうとしているのだろうが、それは深海長門にとって隙以外の何物でもなかった。そんな風に背中を向けるのならと、星司のために指さしてやったそれに合わせて照準を調整し、砲撃。
そうして、陸奥をここから狙撃してやったのである。
こうして、冒頭へと時は合流する。
陸奥はそのまま見逃し、星司も計算外ではあったけれど、とりあえず香月は追い詰めている状態だからと、状況はまだ五分五分ではないと、帳尻を合わせる。
まだ空母水鬼は抜かれていない。ラバウル艦隊がここまで到達するまでには時間はあるはずだ。それに深海長門が空母水鬼を援護するようにまた砲撃を続行している。時間稼ぎにはなるはずだと、星司も落ち着きを取り戻しながら思案した。
それに香月の指揮艦が逃げていく方向は、あらかじめトラック島を包囲するように展開している潜水艦が潜んでいるところへ接近している。そちらからの狙撃も期待できる。むしろ、それをこそ期待する。
上空に意識を取られている間に、潜水艦が指揮艦を雷撃すれば、それで片が付く。
「アルバコア、ラバウル指揮艦がそっちに向かっているだろう? 上手く立ち回って雷撃するんだ。そういうの、得意だろう?」
笑みを浮かべながら、潜ませている潜水ソ級へと指示を出す。だが、返事が返ってこない。首を傾げた星司は「アルバコア? どうしたんだい?」と呼びかけるが、やはり返ってこない。
まさか、もう気づかれて対潜攻撃を受けたのかと、顔をあげた。望遠鏡を手にしてじっくりと観察するが、艦娘たちは上空に気を取られているようにしか見えない。では、いったいどうしてアルバコアから通信が? と疑問に思ったところで、妙なものが見えた。
北の方角から艦載機が飛来し、香月の指揮艦を攻撃している艦載機を撃墜していくのだ。動きからして香月の赤城たちの艦載機よりも高く、まさに鎧袖一触という言葉が似合っている。
瞬く間に指揮艦を守り抜くと、その勢いのままに深海赤城たちの艦載機の交戦空域へと飛び込んでいき、交戦を始めてしまった。
「なんだ? あの艦載機は? どこの……はっ、そうか! トラックの艦載機だな!?」
と望遠鏡から顔をあげ、「潜水艦隊! どこかにトラックの空母……そう、加賀たちがいないか!? 熟練の艦載機がこっちに来ている! どこかから動いているんじゃないのかい?」と問いかけるが、一部の潜水艦からはそのような影は見当たらないと返事が返ってくる。
全員ではなかった。一部の潜水艦から、やはり返事がきていない。トラック島を包囲する潜水艦の中で、欠員が出ているのだ。ということは、どこかの艦娘が包囲を抜けてきていることを意味している。
「おかしい、異常があれば知らせてくるはずだ……なのに、なぜ今の今まで、異常を知らせる報告がなかった……!?」
「知らせてはいたけれど、お前がそれに気づかなかったというのは考えられるが?」
「そんなことはないだろう! わかりやすいコール音を設定している!」
「……なら、通信を妨害されていたとか? 深海側がそうであるように、艦娘側からも妨害の術を身に着けたということも考えられる」
「それは……それは? ありえ、なくもないのか……?」
自分たちがやっているのだから、敵もやってくる可能性はある。そういうのはどの戦いでもあり得ることだが、深海側の通信を解析し、それに対する妨害を行うことを、このトラック艦隊がやれるのかという疑問が少なからずある。
そんな技術を離島であるここで生まれるのか? 日本ならば考えられないわけではないが、と星司は強く疑問視する。
その時、空母水鬼を援護していた深海長門が何かに気づいたように振り返った。ぐるん、と後ろを首を逸らすようにして振り返る。角度の利いたその振り返りだが、さらりと髪が顔に張り付くのも気にせず、一方を睨みつけるように目を細め、そして開かれる。
今まで気乗りしなかった表情を浮かべ続けていた深海長門が、ここで沸々とやる気と共に、喜びの感情が湧き上がってきていた。
「――は、来ないものと思っていたが、縁というものは実に奇妙なことだ。このような場所で逢えたことを喜ぶとしようか」
深海長門が振り返った先。星司もそちらへと見やる。トラック艦隊が出撃してきたのだろうかと、少し苦い表情を浮かべて。
遠く、北の方角から現れたもの。それは予想通り艦娘だった。
先陣切って出てきた水雷戦隊に他ならない。トラック艦隊なら一水戦旗艦が川内だったため、彼女が先頭にいるものと推測した。
見えたのは川内型らしいオレンジの色合いをした服装。だがそれと同時に白も目に付く。何より風になびく髪の長さが違っている。
「――な、に……?」
信じられない。何故彼女がここにいるのか?
いるはずがない、いたとしても、そんなに早く来るはずがない。
いや、来てくれた方が嬉しいのか? 奴らもまた、自分にとっては倒すべき敵だ。
獲物が自分から来たのだ。なら、喜ぶべきだろう。
色々な感情がごちゃまぜになってしまい、星司の目の光が激しく明滅する。
だが見間違えるはずがない。自分にとって最大の敵。その一水戦旗艦が、目から流れる星の光の尾が陽の光を浴びて海上に溶け落ちる。凛とした眼差しは真っすぐに深海長門を見据え、そして近くにいる星司へも向けられる。
「標的、確認しました。強力な個体……ええ、あれが一番の敵でしょう。その近くにいる深海提督のマント、あれがそうなのでしょう。であるならば、私たちがとるべきことは一つです」
最後に深海赤城の位置を確認した一水戦旗艦、神通が号令を下す。「迅速に敵艦を無力化します。みなさん、ついてきなさい」と告げれば、「了解!」と返事が返る。
背後からは砲弾が炸裂し、神通たちを飛び越えて深海長門へと向かっていくが、その全ては魔物の腕によって阻まれた。慌てることのない、冷静な対処。真っ先に敵が近づいてきていることを察していた彼女は、かわすことなく受け止めるだけの余裕を見せる。
撃ったのは大和。水上打撃部隊の旗艦として、自慢の砲撃を放ったが、余裕を持った防御に目を細める。だが、気になったのはそれだけではない。
深海長門から感じられる気配が、妙に気にかかった。遠くからでも見て取れる何か、そして発せられる気配の類似性。それが大和の心をざわつかせた。
ざわつくのは敵も同じ。神通、大和とくれば疑いようはない。
震える声で、「どうして……」と呟いていた星司は、
「どうしてここにいるッ!? 呉……海藤凪ぃ!?」
届くはずのない疑問の声。だが、それに対して、ノイズが返ってきたことは、星司の心をよりざわつかせた。何のノイズだ? と星司は首を傾げる。やがて、ノイズはクリアになっていき、
「――――聞こえるか?」
「っ……君は……」
「初めましてになるんだろうか。夏はうちの子たちが世話になったね。お前が大和へと話しかけてくれたこと、そして北方の通信記録を基に試しに調整してみたよ。繋がったようで何よりだ」
お互いに声は知らないが、それが誰であるかは、お互いに理解していた。
困惑が目立ったが、しかし相手がだれかを理解し、星司は呼吸を落ち着かせていく。
「……そう、あの戦いのことを有効活用したんだね。ふふ、さすがは噂に聞く手先の器用さと機転の利かせ方というものかな? しかし、何故ここに? 遠く離れたこんなところまで、しかもこんな時に来てしまうなんて。全て、終わったというのに」
「……終わった、か。本当に終わったと思っているのか?」
「思うとも! 基地は全壊! 今もなお燃え続けている! この戦いが始まる前、念入りに調べておいたとも! あれで生き残っているなどあり得ない! だが、万が一隠れ潜んでいることも考慮し、島を取り囲み、隠された道も探した!」
だが、ないと星司が断言した。そんなものが見つかったという報告はなかった。トラックの艦娘たちは一向に現れず、なおかつ逃げ出した痕跡も見つからない。埠頭にいた艦娘たちを助けに現れることなく、基地の崩壊と共に全て死に絶えたのだろうと、星司は語る。
「お気の毒だよ。君のお友達と、艦娘たちは、僕たちの手で死んだ。お友達を助けに来たんだろうけど、間に合わなかったね」
「お前が、指揮し、この戦いを……トラックの殲滅を行ったんだな?」
「そう、僕さ! 僕が君の大切なお友達を殺したのさ! どうだい、海藤凪? 長門に続いて、君にとって大事なものが喪われたんだよ」
あからさまな挑発だ。煽るようなその声色を耳にし、次第に凪の手が震え始める。
それでもまだ、声を荒げるようなことはしない。
堪えている。彼は、挑発だと理解しているが故に、感情を爆発させていなかった。
「俺憎しで、このような真似をしたんだな?」
「はっ、そうさ、よくわかっている。僕は君が気に入らない。僕と似たような力を持ち、僕の大和を奪っていった君が憎くて、憎くてたまらない。だからッ! 君の大事なものを奪うのさ! そして最後に君も殺してやる。君もまたこの海で死に絶えるがいい。先に逝っているお友達のもとに連れて行ってあげよう」
「――よくぞ言ってくれたな、中部――いや、美空星司ッ! てめぇこそ、この海で散るがいいッ! 俺の
今までに発したことのないほどの声量。そこに含まれた熱量が、言葉と共に発せられた。
艦橋にいたものも、通信に耳をそば立てていたものも、一瞬びくついてしまうほどの凪の感情の発露。
今まで堪えていたもの全てが爆発した。顔は怒りのあまり紅潮し、怒鳴り慣れていなくとも、それだけで彼が溜め込んでいたものを、ここでぶつけているのが理解できる。
それをストレートにぶつけられてなお、星司は笑みを隠せなかった。そうした負の感情をぶつけられてこそ、堕ちた魂は喜びに震えるのだ。
「いいよ、来なよ、海藤凪……! 呉鎮守府よりはるばると死にに来た我が宿敵! ずっと、ずっとずっとずっとずっと目障りだったお前たちを消してこそ、僕は……僕はようやく前に進めるってもんだ……! 全て、全て全てぇ――全てを沈めてしまうがいい、長門ぉッ!」
その命令に、深海長門は呉艦隊へと振り返り、全身から立ち昇らせる紅き深海のオーラと、より輝きを増す目の流星を以てして応えた。