呉鎮守府より   作:流星彗

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深海吹雪2

 

 魚雷の強撃の威力を示すかのように、大きく立ち昇る水柱は、深海吹雪の姿を覆い隠す。防御する間もなくまともに受けたのだから、全く効いていないことはありえない。少なくとも深海吹雪へと大きなダメージは与えただろう。

 かといって目を離すようなことはしない。陸奥、朧は落ち着いていく水柱を見据え、その中で動く影に気づき、身構えた。だが、攻撃はそちらからではなく、別方向からやってきた。

 

 朧のもとへと飛来してくる砲弾は、朧に次々と命中し、吹き飛ばす。何が起きたのかと陸奥が咄嗟にそちらへと視線を向けた刹那、水柱の中から先ほどのお返しとばかりに魚雷が一斉に放たれた。

 避けるのは間に合わない。そう判断し、陸奥は艤装の船体を前に出して青の力を顕現。バルジシールドを用いて、次々と被雷するそのダメージを最大限に抑え込んだ。

 

「おや、その守りが使えるのですか。なるほど、艦娘側も進化をしているのですね。そればかりは計算外でした。だからといって、何も変わりませんが」

 

 余裕を感じさせる言葉に、艤装の奥で陸奥の目が細まる。赤い燐光を放ちながら佇む深海吹雪。その出で立ちは、確かに先ほどの攻撃など効いていないとアピールしているかのようだった。

 

 だが陸奥は見えている。その足元から赤い電光が時折放たれているのを。それは機械でいうところの、不調を示すかのような前兆の迸りだ。それに、足に僅かに垂れている血のようなオイルも、無傷ではないことを示している。

 その上で深海吹雪は、自分は健在だと陸奥に示している。そうすることで、共に戦う深海棲艦たちの士気を維持しているのだろう。上に立つものとして、それはある意味間違ってはいない在り方だ。

 

(朧は……)

 

 吹き飛ばされた朧はどうだろうかと、視線を巡らせれば、離れたところで起き上がっているのが見えた。被弾はしたが、戦えなくなるほどではないようだ。しかしその砲撃はどこから来たのだろうか。

 それを探れば、離れたところにネ級がいるのが見えた。腹から生えている二つの砲の艤装がうねうねと動き、朧か、陸奥かと顔が探りを入れている。

 

「私相手に二人でかかるのですから、こちらとしてももう一人加えても文句はないでしょう? そも、戦場に卑怯という言葉は不要です。勝つか負けるか、それしかないのですから。さて、あなたは……最上ですか。ええ、最上はそのままあの駆逐艦を。私は予定通り、この戦艦を仕留めます」

「ふふ、ええ、別に文句はないわ。最終的に勝てばいい。戦場において勝者こそが正義なのだからね。だからそうして、勝ったも同然といった顔をどこまで維持できるのか、見物よ、吹雪」

 

 どうあっても自分優位を崩さない深海吹雪と、それを前にしても不敵さを隠さない陸奥。どれだけ言葉を投げかけようとも、表情を崩さない陸奥に苛立ちが少しずつ募ってきたのか、ぴくぴくと眉や口元が反応する。

 気合一閃。力を込めて接近して振りぬいた刃が、陸奥の首元へと迫っていくが、陸奥は青の力を腕に纏わせて刃を受け止める。ガリガリと青の力が纏われている部分で刃が唸るが、それを抜き切ることはできない。

 

 そうして刃が止められており、深海吹雪が自分から接近してきたのだから、それを見逃す陸奥ではなかった。ぐっと力を込めた右拳で深海吹雪の頬を殴り飛ばす。

 だが深海吹雪もただ殴られているだけではなかった。彼女の腰の艤装が殴られる寸前に陸奥の腹へと狙いを定めており、カウンターを決めるかのように砲撃を行っていた。刃を止めるのに集中していたため、そちらは無防備だった陸奥は、まともに砲撃を受けてしまう。

 

 ただの駆逐艦の主砲ではない。深海が調整し、性能を高めた特別製の駆逐砲。その火力は戦艦陸奥であったとしても、その腹を穿ち、大きく出血させるには十分な威力を備えていた。

 たまらず吐血し、腹を押さえてしまう程のダメージに、陸奥はふらりと体勢を崩してしまう。殴り飛ばされた深海吹雪も、頬に手をやって、ぺっと口から血を飛ばす。殴られた自分に対し、陸奥は明らかに撃たれた傷だ。ダメージで言えばあちらの方が上だろう。後はこの隙に雷撃を仕掛ければ陸奥は終わる。

 

 そういう見込みで立ち上がり、装填し終えた魚雷発射管を向けたところで、ふらりと体勢が崩れる。「!?」と、疑問の声を上げる間もなく、咄嗟に手を海に付けて支えるが、上手く立ち上がれない。

 何故と思っていると、下がった視界の奥で、ネ級が朧と戦っている様子が見えた。あっちもさっさとネ級が朧を仕留めている頃だろうと思っていたが、どういうわけか戦いが続いている。

 

(駆逐艦相手に何を手こずっているのです、最上?)

 

 頬の痛みを感じながらそう心でぼやく深海吹雪だが、この頬の痛みに連動するように、頭がぐわんぐわんと揺れている。そこで気づく。人型だからこそ、頬、いや、顎をやられて頭がおかしくなったのだと。

 

(こんな時に、体が動かないなんて……! いえ、落ち着くのです、私。私なら、この距離、この体勢からでも中てて――)

 

 そんな吹雪の耳に届いたのは、やけに大きく聞こえてくる甲高い音。上から降ってくる死神の笛の音だった。

 

 

 

「……誤差修正、斉射!」

 

 構える銃の狙いを修正しながら、ぶつぶつと名取が呟き、腰の艤装の砲と共に射撃を敢行。狙い通りにそれらは軽巡棲鬼へと命中し、軽巡棲鬼は浴びせられる弾に苦い表情を浮かべている。

 自分が手にしている砲を的確に狙ってくるその攻撃で、軽巡棲鬼は攻撃のタイミングを阻害され続けている。それはまるでじわじわと自分の牙や爪を削ぎ落していくかのよう。着実に詰めてくるその戦いに、軽巡棲鬼は恐れを感じていた。

 

(何、コイツハ……!? 最初ノアノ顔ヤ雰囲気ハ何ダッタノ? イエ、ダメヨ、那珂。私ハ、違ウ。負ケテハイラレナイ。ココデ勝ッテ、次ニ繋ゲテイクノ。再誕シタ私ガ、結果ヲ出シテイカナケレバ、私ハ何ノタメニコノ海ニ出テキタノ……!?)

 

 何の因果か、那珂と阿賀野が終わった海で軽巡棲鬼としての道を歩み始めることになったからこそ、この戦いで勝利を飾り、かつての終わりから再出発するのだ。敗北から勝利へと塗り替えることで、自身の終わりを塗り替える。

 そうして軽巡棲鬼は運命を変えて、進化した兵器として素晴らしい船出を飾るだろう。そう決めていたのに、どうして自分はこうも着実に迫りくる敗北に震えているのか。

 

(コウナッタラ……!)

 

 と、軽巡棲鬼は破壊された砲を後ろへと投げ捨て、そのまま手を挙げる。名取は一瞬降伏のための手の挙げかと思ったが、そんなことはあるはずはないと、瞬時に切り捨てる。彼女の意図に気づくのに数秒。だが、その数秒でも十分だった。

 構えている銃から手を離し、背中に手をやって武器を顕現させて、肩に構える。対空砲に分類されているロケットランチャーを軽巡棲鬼の背後の空へと向ければ、名取に向かって降下してくる艦載機が見えた。

 

 だがそれらを迎撃すべく弾が一気に放出され、次々と上空から攻撃をしようとした艦載機が撃墜されていく。そうして完璧な対処をした名取に対し、軽巡棲鬼は笑みを浮かべて足元の艤装に力を込める。

 開かれた口に赤い光が灯り、強化された魚雷が一斉に放出。迅速なスピードで海を割り、突き進んでいく魚雷たちが名取を沈めるべく唸り声を上げる。

 

「馬鹿メ! 足元ガオ留守ッテヤツヨ!」

 

 ロケットランチャーを撃った反動で動けない名取を、軽巡棲鬼は勝ちを確信して嘲笑う。それに加えて、念には念を入れるために副砲を構えて名取へと狙いを定めていた。さっきまでの動きからして、万が一に備えていた。

 そこに、絶対に勝たなければいけないという軽巡棲鬼の強い意志すら感じさせる用心深さがある。

 

 名取は迫ってくる魚雷に対し、少し焦ったような表情を浮かべてはいた。しかし頭の中は冷静だった。普段気弱で自信なさげな彼女ではあるが、だからといって何もかもに臆しているわけではない。どのようにすれば生き残れるのか、被害を抑えて皆を生還させられるのか、そういったことに常に気を配っているのが、ラバウルの名取だった。

 

 一水戦旗艦という立場は、艦娘の名取の性格からして重荷である。自分より他の艦娘の方が適任だ。自分には無理だ、降りたいというのを、口にしてしまう程だ。

 それでも深山は名取に任せた。そんな自信のなさげな素振りをしながらも、他の皆に対して気遣いができる彼女だからこそ、守り抜いて生還できるだろうと信頼をおいていたためだ。

 

 事実、守りに重きをおくかつてのラバウル艦隊において、名取は生き残らせることに長けた動きを身に着けた。艦娘の犠牲を出さず、ソロモン海域で立ち回り続けた。

 かのソロモンの戦いを経て、交流を再開した後も、それは変わることはなかったが、アンノウンとの初戦によってついに犠牲者を出す。そのことに関して、名取は激しく自分を責めることとなる。

 もう少しうまく立ち回れば、こんなことにはならなかったのにと、後悔し続けた。

 

 でも、名取はそこで立ち止まることはなかった。ひとしきり責めた後、より洗練した守りと攻めの技術を磨き上げることとなる。

 そうして進化したのが、現在のラバウル一水戦旗艦、名取である。

 

(足の一本は最悪持っていかれるかなぁ……でも、それで済むなら、まだ安い)

 

 想定されるリスクを考慮した上で、名取は腰の副砲を下に向ける。体は動かなくとも、艤装は動くのだ。タイミングを見計らって、通常の砲撃よりも威力を高めた射撃を行い、その反動によって体が浮かび上がり、迫ってくる魚雷の直撃を避ける。

 だが複数飛来した魚雷の内の一本が、浮いた足に直撃し、爆発する。その爆発によってより一層名取の体が浮かび上がり、立ち昇る水柱に呑み込まれた。

 

 加えて水柱の中で何かが爆発する音が聞こえたが、水柱にかき消されてしまう。何が起きているんだと軽巡棲鬼は、つい呆然と見上げてしまった。

 戦場においてそんな風に隙を晒すなどあってはならないことだ。目で追ってしまう気持ちも敵ながら理解できるかもしれないが、それでは攻撃してくれと言っているようなものである。

 

 軽巡棲鬼に随伴している深海棲艦の対処を行っていた那珂が、そんな軽巡棲鬼を狙いすまして、魚雷発射管に青の力を込める。この好機は持って数秒。照準合わせも最低限の速さで行い、射出。

 

(何だかあの子を見ていると、心がざわつくけど、関係ないよねっ! 名取ちゃんが作り上げた時間、使わせてもらうよー!)

 

 放たれる必殺の一撃。深海棲艦が放とうと、艦娘が放とうと、水雷戦隊にとって魚雷とは艦に対する必殺となる。それが強撃ともなればより恐るべき一撃となるが、青の力を込めればどうなるのか。

 それは火を見るよりも明らかだろう。中れば文字通り致命傷を相手に与えかねない一撃となり、それは今、深海側の自分の一端を顕現させた軽巡棲鬼へと到達する。

 

 脅威となる名取に気を取られすぎ、離れたところにいる自分を構成する片割れを象徴する艦娘が放ったそれに気づかなかった軽巡棲鬼は、悲鳴を上げる間もなく致命の一撃を受けて倒れ伏す。

 広がる爆風に煽られ、足元から胸元まで焼ける一撃に、海上を転がり、髪にあったお団子もほどけて乱れる。足元から広がる痛みが、かつての自分の終わりを想起させ、苦しみの中で呼吸も乱れる。

 

 瞳の光が明滅し、苦悶の声が漏れて出る。自分の下半身が失われる痛み、体だったものがなくなっていく不快感。燃え広がる熱さと、冷たい底に沈む感覚。様々なものが頭をよぎる中、感情と共に自分だったものが組み替えられていく。

 震える手が自分の胸を掻き毟る。セーラー服があったところは、爆風に焼かれて肌を露出しており、直に己の肌に爪が食い込む。じわりと血が滲むが、荒い呼吸を何とか次第に落ち着かせていけば、誰かがそこに立っている気配がした。

 

 見上げれば、名取が静かに歩み進んでいた。その片足は魚雷にやられたことで、焼けただれているようだが、気にした風もなく歩いている、ように見えるだけだ。自分の目がおかしくなっているようで、実際には少し足をかばいながら、よたついたように歩いている。

 でも、今の軽巡棲鬼には、一人の戦士が自分に死を与えるべく歩いてきているようにしか見えていなかった。

 

「ハ、ハハ……ナルホド、オ前ヲ倒セレバト、思ッテイタノニ、ヨモヤ別ノ誰カニヤラレルナンテネ。コレダカラ戦場ハ……」

「私一人が目立てば、自然と他の皆は意識から外れる。大きく傷つくのは私でいい。それが、私たちの戦い。あなたは最初から私の作戦に乗せられていたんですよ」

 

 そう宣告して、名取は銃口を軽巡棲鬼へと向けた。

 せっかく新型軽巡として作られたのに、いいところは何もなし。あったとすれば、それは名取の足を負傷させた程度でしかないとは、新兵器として悲しいことこの上ない。

 自分の不甲斐なさに歯噛みしていたが、

 

「――でも、一矢報いてきたのは見事です。私としては、被害を抑えて終えたかったのに、その目論見を打ち砕いたんですから」

 

 射撃をしながら名取がそう告げる。言葉を全部聞いていたのかどうかはわからないが、何もできなかったと自分を卑下した軽巡棲鬼に対して、名取は敵ながらも称賛した。小さくとも救いはあったのかもしれないが、額を撃ち抜かれて海に沈んでいく軽巡棲鬼に、その全てが伝わっていたかは、誰にもわからなかった。

 

 敵水雷戦隊の旗艦を討った。そこで名取は大きく息を吐きつつ、負傷した左足をかばう。戦いが終わったことで、意識しないでいた痛みが襲い掛かってきた。それに気づいた那珂が「名取ちゃん、大丈夫!?」と駆け寄ってくる。

 それに手で制し、「大丈夫です。……ですが、これでは私は戦いを続けられません」と、正直な状況を告げる。

 

「私以外で大きな負傷は? 補給の是非は?」

「負傷に関しては、中破以上になっている子はいないよ。ただ、補給は必要かな。結構撃って敵を減らしたから」

「わかりました。では一水戦は補給と修復のため一時帰還。それまでの間は二水戦以下が場を持たせ、私たちが戻り次第交代して補給に当たるようにしましょう」

 

 この先のことについても決めておき、那珂に庇われながら名取は指揮艦へと一時撤退を行うのだった。

 

 

 時を少し遡る。

 深海吹雪へと迫っていたのは、爆弾を投下した艦爆だった。上空では空母水鬼らの艦載機と制空争いをしていたはずだが、何故艦爆が攻撃を仕掛けてきているのか。そのタイミングが生まれるほど、押し込まれているのかと、刹那の思考の中で、深海吹雪は咄嗟にその場から飛び退いた。

 背後で爆発するそれに煽られたが、すぐに体勢を立て直す。見上げれば、艦載機の交戦はまだ続いてはいたが、お互いに艦爆や艦攻が戦いの合間を縫って敵へと攻め込んでいた。

 

 深海吹雪だけではない。陸奥にも艦爆が襲い掛かっており、それを対空射撃で迎撃を行っている。何が起きているのかと背後を見れば、空母水鬼へと攻撃を仕掛けている艦娘が何人かいる。

 随伴艦がその艦娘から守ってはいるが、少し押し込まれて不利な状況か。そこで空母水鬼はラバウル艦隊の旗艦である陸奥へと攻撃を仕掛けたらしいが、それでは思考する選択肢が多すぎて混乱するのではないか。

 

 迫ってきている艦娘の対処、制空争い、からの陸奥への攻撃と、自ら行動を増やしてどうするのか。いや、それくらい状況が移り変わり、ややこしくなっているということ。それは同時に、やり方次第ではひっくり返る余地はあるのだ。

 そう、今ここで陸奥を仕留めれば、ひっくり返ること間違いない。艦隊旗艦同士の戦いだ。ここでやらねば、自分の価値を大きく証明できないといってもいい。

 

(この私が、一度ならず二度も負けるなどあってはならないんです。私は南方提督。この先、ソロモン海域を収め、勢力図を広げる存在! そのためにも、ラバウルには消えてもらわなければならないんです!)

 

 自分に言い聞かせるようにして奮い立たせる。ひと際強く両目の燐光が輝いた。

 ぎゅっと刀を握り締め、カタカタと歯を打ち鳴らす艤装がじっと陸奥を見据える。

 対して陸奥は腹に受けた砲撃の痛みを堪えつつも、その目は死んでいない。ぎゅっと肉を締めて止血はしており、艤装の主砲と副砲、そして対空砲もフルに展開した状態で、深海吹雪と上空からの艦載機の攻撃に備えている。

 

 痛みは我慢すればどうということはない。問題は痛みに反応して、体が上手く動くかどうかだ。それさえクリアすれば、勝ちの目は拾える。布石はもうすでに打っている。それが機能すれば、勝てる段階にある。

 

(……さあ、来なさい、吹雪)

 

 深海吹雪なら、来るだろう。彼女としてもここで攻め込み、陸奥を討って勝ちを拾わなければならない理由があり、その意思は目に見えて明らかだ。陸奥はそこに合わせてカウンターを決めればいい。

 だからこそ陸奥は待ちの構えを取る。痛みを堪えながら静かに深海吹雪の動きに集中する。

 

 二人が睨み合うこと数秒。感覚的には一分以上にも感じられるほどの時間の中、ついに深海吹雪が動く。真っすぐ来るのではなく、一度迂回するように動く。

 上空で戦っている艦載機も相変わらずお互いを潰し合っており、時折攻撃のタイミングを窺うような動きをしているが、それを止めるべく飛鷹たちが放っている艦戦によって止められている。

 

 上からの攻撃はない。その中で深海吹雪は己の力のみで陸奥を討ち破らんと海上を動く。彼女の気は昂ぶり、呼応するように手にする刀に赤の力が込められていく。同時に艤装にも赤の力が込められていき、まさに必殺の一撃に備えている。

 陸奥もまた、全身に青の力を込め、高めていく。その両手、その艤装にそれらが纏われ、陸奥もまたその両目に蒼い光をたたえていく。

 

「――ッ! はぁッ!」

 

 海上を滑ってブレーキをかけつつ、刀を振りかざして、海を割る赤い刃を放った。パラオ襲撃の時に放とうとしたものに比べれば、威力は落ちる。あの時と違い、魚雷の力を込めていないためだ。

 それでも振り下ろした軌跡に従って、赤い刃が弧を描いて海を断ちながら突き進むそれは、まさにファンタジーにおける剣の攻撃を実現させている。

 

 赤い光を放つそれは、いわゆる風の刃に等しいだろう。速いが、高速で迫っているわけではない。飛来する弾丸の速度に近しいものだ。ならば慣れた速度であり、反応ができる。

 青の力を纏わせて構えた腕で弾きながら前に進み、反撃の砲撃を撃ち放つ。深海吹雪は自分の放った刃がいともたやすく弾かれたことに驚いた表情を浮かべたが、しかし飛来してくる砲弾を避けるためにまた動く。

 

 駆逐艦らしいその航行スピードの速さは、砲門が旋回するスピードを上回る。それを補うのが、陸奥の体の向き。自分もまた深海吹雪の動きに合わせて体の向きを合わせ、砲門が照準を合わせる時間を短縮させる。

 だが、深海吹雪はただ動いているだけではなかった。艤装の口から魚雷を発射しており、陸奥がその場に居続けるなら、これに呑み込まれるだけという状況を作り上げる。

 

 敵が来るのを待つという受け身の構えでは、雷撃に対しては弱い。動かない的にとって、まさに必殺の一撃となりうる。それは艦娘でも深海棲艦でも変わりはない。陸奥が動けば、それに合わせて深海吹雪も動いてくる。

 赤の風を防ぐなら、と深海吹雪は一本の魚雷を手にしてぐっと握りしめる。パラオ襲撃戦ではトラック艦隊の乱入によって不発に終わってしまった技。

 武蔵を討つために放つはずだったものを、改めてここで実現させるのだ。

 

「これで――――っ、え?」

 

 バチッと、足元から弾けた音がして、がくんと力なく深海吹雪は膝から崩れ落ちる。何が起きたのかわからないという表情で、そちらを見れば、足から幾度となく電光が弾けている。

 足が、上手く動かない。力も入らないから立ち上がることもできない。

 いったい、自分の体に何が? その疑問を感じる間もなく、深海吹雪へと砲撃が中てられる。

 

 かわすこともできない深海吹雪はまともにそれを受けてしまい、手から刀が放され、無様に海上を転がってしまう。受け身も取れず、荒い息をついて状況を把握しようとしたが、起き上がろうとする前に、目の前に砲門を突き付けられた。

 見上げれば、冷たい眼差しをしている陸奥が自分を見下ろしていた。

 

「ど、どうして……」

「どうして? 簡単な話じゃない。あなた、朧に雷撃受けたでしょう? その傷が効いてきただけよ。駆逐艦は足の速さが命。逆に言えば、足を失えば、駆逐艦はただの的よ。戦艦でも簡単に対処できるわ」

 

 あの時受けた朧の雷撃。小さな違和感に過ぎなかった傷が、今になってまるで時限爆弾のように効いてきた。しかもさっきは勢い良く動いていたうえに、海上を滑りながらブレーキもかけている。そんな足の使い方をしていれば、小さな傷だったものも広がってしまうものだ。

 紐解けば、実に簡単な話だったのである。

 

「あんな駆逐艦に何ができると、あなたは言っていたけれど、できたみたいね? 少し私たちを侮りすぎではないかしら? そうした驕りを生んだのは、やっぱり堕ちたせい? あなたはそういう子じゃなかったものね、吹雪」

「くっ、何を……」

 

 と、頭に時折走るノイズの向こう。朧げに浮かんできた映像に、深海吹雪は顔をしかめる。それでも次々に断片的に流れてくる映像(きおく)は、深海吹雪にとっては知らないもの。

 青空の下で活動している自分視点のそれは、きっと吹雪や天龍だったものが見ていた光景だと悟るのに、時間はかからなかった。

 どうしてこの状況でそんなものを思い出してしまうのか。その意味の分からなさの中で、陸奥は静かにこう告げる。

 

「慈悲よ、吹雪。最期の言葉くらいは聞いてあげるわ。言い残すことはある?」

 

 最期の言葉?

 その意味を理解しようとする中で、自分の意思とは関係なく動いている艤装が、唸り声をあげて陸奥へと振りむこうとする。だが、それより早く陸奥の副砲の一つがその艤装を撃ち抜いた。

 

 深海吹雪に向けている砲門ではない、別のもののため、相変わらず目の前の死は健在だ。無言で艤装を止めた上に、その目は真っすぐに深海吹雪を見下ろしたまま。

 本気だ、本気で自分は目の前の艦娘に命を握られている。

 

 言葉なんて、遺すものは何もない。深海提督である自分が、艦娘に遺す言葉なんてあるはずがない。

 そうだ、敵である存在にくれてやる言葉なんて、何一つあるものか。そう思ったら、口元に笑みが浮かんでいた。

 

「――――は」

 

 漏れ出たのは、掠れたような笑い声。小さなそれは、やがて、「は、はは……はははハハハハ……!」と、自分の哀れさに、陸奥への嘲りに大きさを増す。それに対して、陸奥は表情一つ変えなかった。

 

「ハハハハ――――助けてください!」

 

 と、突然の言葉。あまりにも豹変だが、顔をあげた深海吹雪の目からは、赤い燐光ではなく、一滴の涙が流れ落ちていた。

 

「陸奥さん、こんなの、私じゃないんです! 私は、こんな風にはなりたくなかった! 私の意志でやったんじゃない! 深海棲艦は恐ろしい、それはわかってくれますよね!? だから、たす――」

 

 言葉は、続かなかった。縋りつこうとする深海吹雪に対し、陸奥の答えはただ一つ。

 無慈悲に頭を撃ち抜いた青の力を込めた砲撃。それも一発ではない。追撃するように、念入りに胸、腹と撃ち込まれていく砲弾が、深海吹雪が哀れにも続ける命乞いの言葉を打ち切った。

 

「――その顔で、その声で、そのようなことを? 舐めてくれたものね? それで手を緩めるほど、私の覚悟は柔いものではないわ。眠りなさい、吹雪。永遠に」

 

 倒れていき、力なく海に沈んでいく深海吹雪だったもの。赤い瞳が垂れ下がった髪の下から陸奥を見上げているが、そこに意思の光はない。口から、体から血を流しながら、深海吹雪だったものは、昏い海の底へと還っていく。

 

 命乞いの言葉を吐いたのは、深海吹雪なりの呪いだった。

 こうすれば、僅かなりとも陸奥は、ラバウルの吹雪を自分の手で殺したことを記憶にこびりつかせる。

 本当に命を助けてもらえるなんてことは、深海吹雪も思ってはいない。自分はこの戦いに負けたことは、揺ぎ無い事実だった。

 

 一度ならず、二度までも負ける。しかも相手はかつて自分が所属していた基地の秘書艦だ。自分と縁深い相手が自分にとどめを刺すのなら、せめて最後に何か一つ、贈り物をしたかった。

 ご丁寧に最期の言葉を残せとのたまうのだから、自分を殺す陸奥へとびっきりのお祝(のろ)いを。わざわざ艦娘の吹雪だった頃の記録を断片の中から引っ張り上げて、出力してやったのだ。

 

 あれは、いい走馬灯だった。あれがあったからこそ、最高のお祝(のろ)いを残せたことだろう。それで時々苦しんでくれれば、自分の負けにも意味があるだろう。

 

(ふ、ふふ、あははははは……! 南方提督はただでは死なない、死んでやらない! 短い間だったけど、私が生きた証をあなたに刻ませてもらいましたよ……! さようなら、ラバウル。もしあなたたちから堕ちる誰かがいたら、ええ、またお祝いさせていただきますよ。海の底から、ね……)

 

 冷たい眼差しで見下ろしていた陸奥が、どのような顔を浮かべてこのことを思い返すのだろう。

 そんな未来に思いを馳せながら、光を宿さない瞳で赤い海に揺れる空を見上げ、赤い闇の底へと消えていく。血を立ち昇らせながらも、深海吹雪は笑みを浮かべ続けていた。

 

 

 そうして、二人の旗艦が戦場から消えた。特に南方提督である深海吹雪が敗北したことで、深海南方艦隊そのもののトップが消える。空母水鬼は単なる空母艦隊の旗艦に過ぎない上に、現在は攻め込まれていて不利な状況。

 高い装甲によって現状を維持することは出来ているが、突破されるのも時間の問題だった。

 

 回復のために名取が指揮艦へと戻っていく中で、陸奥もまた失った弾薬と傷の修理が必要な状況にあることを理解していた。そのことも併せて報告すべく、「提督、聞こえるかしら?」と通信を繋ぐ。

 

「吹雪、南方提督は撃破したわ。これより、修理のために一時帰還したいのだけど、いいかしら?」

「……もちろんだ、むっちゃん。ありがとう。よく頑張ってくれた。気を付けて戻っておいで」

 

 許可は得た。よし、と一息ついて、「それじゃあみんな、私を含む第一水上打撃部隊で、修理――」と、指示を出そうとしたところで、陸奥は嫌な悪寒を感じた。

 そのまま咄嗟に体が動いたのは、染みついた感覚によるもので、思考を介する余裕はほぼなかった。

 展開されるはずだったシールドを張るよりも早く、弾丸は飛来してくる。それは防御の構えを取る陸奥の腕を貫通し、そのまま脇腹を抜いて反対側へと通り抜けていく。

 

 硬い装甲を抜く徹甲弾が、遠距離から飛来してきたのだと気づくのに時間はいらない。

 そしてそれを撃った主が、遠く、トラック島の埠頭前にいる存在。自分へと指を指している双頭の魔物を従える黒い女性だということを、よろめいた陸奥は何とか知るのだった。

 


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