呉鎮守府より   作:流星彗

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泊地水鬼3

 

 瀬川が乗船する指揮艦を襲撃し、撃墜されて甲板に落下し、回収された二機の白猫艦載機。その一つから艦娘側が閲覧できる形式に保存されているデータが見つかった。最初こそ、敵の艦載機を鹵獲できたと喜ぶべき事案だったが、よもやこのようなことが起こるとは思わなかったものだ。むしろ想像するはずもない。

 

 だが、まさに敵に塩を送るようなこのような行動を、深海棲艦がとるはずもない。ましてや深海棲艦の中でも、特に強力な個体が、印度提督と名乗った存在がやるはずもない。

 しかし、閲覧できたデータは、そうするかもしれないという推察を生む可能性を見せてきた。

 

 深海提督を取り込んだかのようなイメージ映像。それから始まる仮説の連鎖が、一筋の答えを生み出す。

 すなわち、深海提督の意思を汲み取ったか、あるいは思考すらも融合したことで、元の印度提督がアッドゥを動かし、こちら側に与するような行動を取っているのではないかという仮説だ。

 

 どういう理由があってのことかはわからない。でも、このようなことをするからには、何らかの理由があるのだというのは間違いない。彼女が、あるいは彼がそうするだけの理由を持って行動しているのだということはわかる。

 ならば自分たちにできることは、あのアッドゥから、より何らかの情報を引き出した上で、破壊することだろう。

 

 瀬川は通信をアッドゥへと切り替える。まだ繋がっているかどうかはわからない。しかし、向こうから繋げてきたものを、再度合わせることで、繋がるかもしれないと考えて調整し、通信機を手にする。

 

「聞こえるか? こちら瀬川、応答されたし」

「ええ、聞こえているわ。何かしら? 降伏勧告?」

「それもいいだろう。だが、それはお前の望む結末ではないだろうよ。ワシらは、お前を破壊する」

「……それは結構なこと。で? わざわざそれを言うために?」

「いいや、その前に問わせてもらおう」

 

 いくつかの断片的な情報から導き出した推測。それを彼女に直接問う。

 

「お前は、印度提督とやらと結びついたことで、奴の意識を共有している。だからこんならしくない行動を取っている。そうだな?」

「…………それに肯定して、どうすると? 手心でも加えてくれると? フフ、だとしたら意味のない問いかけだわ」

「いいや、そんなことはせん。ただ冥途の土産に知りたいのよ。お前をそうさせるだけの理由をなあ。いつそういうことになったのかはワシらには知らん。お前の口から聞かねばな。だが、今、こうして戦い、死にゆかんとするお前が、何故そう思い至ったのか。その理由を知れば、ワシらはこの先の戦いに熱が入るかどうか、それがわかるやもしれん」

「理由、理由ね? フフフ、それは単純なものよ、瀬川」

 

 くつくつと笑いながら、砲撃を続行するアッドゥ。反撃の砲撃が飛来してくるが、アッドゥはそれを避けることはせず、大人しく受け入れている。一発、一発と受けるが、それはダメージとはなっているが、大きく傷つくものではない。

 少しよろめいただけで、首を傾げながら弾を排出し、己の血で白いドレスを赤く染める。防御態勢を取っていないのに、その程度のダメージで済んでいるのだ。素の耐久力が今までの深海棲艦とは違っている。

 

 顔へと飛来してくる弾に対しては、軽く顔を逸らし、白い肌と黒い髪、そして角を掠めるだけに留める。だがそれでも弾速によって生み出された衝撃波で所々に傷が生まれ、小さな出血を生む。

 そうして瞳の近くに垂れた血を拭うようなことはせず、どこか狂気じみた笑みを浮かべて、アッドゥは口にする。

 

「――欧州に対しての嫌がらせよ」

 

 はっきりとした敵意だった。今まではどこか飄々としたような、気持ちがあまり乗っていない言葉ばかりを並べていたアッドゥが、この言葉だけは確かな彼女の意思を感じ取れるものだった。

 

「このまま欧州の思い通りにさせたくない。ただそれだけの理由で、(おれ)は動いている。これで満足?」

「んん、欧州ってのは、欧州海域を牛耳っている深海提督でいいんだな?」

「そうよ。あのドイツやイタリアの提督が倒さなければならない存在。辛酸を舐め続けている相手。(おれ)はね、このまま順調に事を進められるのは、気に入らない。だから丁度いい機会。このまま(おれ)を破壊しなさい。一片たりとも残すな。何も遺すわけにはいかないの」

 

 一人称が(おれ)の場合は、恐らく取り込んだ印度提督の意思が働いている時だろう。つまりこの戦いを始めたのも、印度提督の意思。実際に戦うのはアッドゥだが、その戦いぶりが本気度を感じさせるのは、目の敵にしている欧州が情報収集する際に、違和感を持たれないようにするためか。

 突発的な思い付きによるものなのかもしれないが、それでも最低限の不備を出さないために対策もしている。アッドゥ自身もまた、印度提督の意思に影響されることで、この戦いの意味を理解している。

 

 作戦の果てに自分が死ぬというのに、彼女自身はそれを良しとしている。

 己が死ぬ事を厭わないのは深海棲艦らしいといえばらしいが、それでも彼女の意思は印度提督の意思を尊重した上で、そう決めたのだと感じ取れる。

 

「アッドゥ、お前がそう動くのは、印度提督がそう決めた。その遺志に従っていると考えていいと?」

「――――そうよ。私を作った彼の遺志。彼を喰らい、その記憶を取り込み、思考を模倣した結果。それによって導き出された私としては、その作られたこの体を、いいように使わせないようにすることにした。作られた兵器をどうするかは、人の勝手。でもね? 使われる兵器(がわ)にだって、どう動くか決める権利はある」

 

 すっと指を艦娘たちへと向ければ、白猫艦載機が赤の力を纏って突撃を仕掛ける。艦爆を備えているのに、それを落とすことなく、ただ自爆特攻をするかのように突っ込んできた。

 まさにそれは玉砕。アッドゥが今、やっていることと同じだ。

 死ぬために戦っているその行動は、まさしく玉砕にふさわしい。

 

「私は兵器として戦い、兵器として散るでしょう。フフ、でも後悔はしないわ。(おれ)はもう人には戻れない。(おれ)が願ったことは、最初から叶わない。なら、最後に大きな花火を打ち上げて散るだけよ。あなたたちには、それに付き合ってもらう。私という花火から、得るもの全てを得て、先に進みなさい。それが、(おれ)が生きた証となるのよ」

 

 だが、それは意味のある玉砕だ。無作為に突出して散る行動ではない。

 作ったものの思いを背負い、己の役割を果たさんとする兵器。

 彼女の示す覚悟に、瀬川はうっすらとその細い目を開く。

 

「――善き哉。神通、高雄。彼の者の覚悟を受け止めよ。その意志に報い、全力を以て破壊せよ」

 

 迫る白猫艦載機に対して対空射撃で迎撃していた神通は、その命令に対して受諾の声を返そうとしたが、対空射撃の雨を切り抜け、突っ込んでくる白猫艦載機に気づき、防御態勢を取った。

 それでも白猫艦載機はそのまま突っ込み、艦載機とは思えない力で、防御する神通をそのまま押し込んでいく。後ろに跳んで衝撃を殺そうにも、跳んだ分以上の推進力がそれにはあった。

 

 腕を交差し、手には対空砲を構えている神通。そこにめり込むように赤の力を纏った白猫艦載機が突っ込んでいるのだ。数十メートルも後ろに跳びつつ、海上から浮いていただろうか。着水し、何とか堪えて砲にめり込んでいる白猫艦載機を振り払おうとするが、そこで気づいた。

 この白猫艦載機もまた爆弾を備えているはずだが、どうしてそれを爆発させようとしないのか。自爆特攻でもするものと思っていたが、機体もめり込むだけで、爆発する気配がない。

 

 艦娘だけではなく、深海棲艦らからも離れたところで、神通は止まり、めり込んでいる白猫艦載機もまた推進力を失い、いやに静かになっていた。

 恐る恐るそれを取り、確かめてみるが、さっきまで元気だったそれは、壊れたように動いていなかった。爆弾に触れても、嫌な気配はしない。

 そこではっとしたようにアッドゥの方を見れば、高雄たちと砲撃戦をしながらも、横目で神通の方を見ていた。手にしているものを示すかのように軽く指をさして笑みを浮かべ、高雄たちへと視線を戻すのが見えた。

 

(……なるほど。最後の情報ってところでしょうか。ありがたく)

 

 先んじて指揮艦へと提供した白猫艦載機と同じようなものを、神通へとくれてやったというわけだ。その割には随分と手荒な行為だったが、こうでもしなければ、わざと鹵獲されに行ったようにしか見えない。

 神通は爆弾と白猫艦載機を分けて、それぞれポケットへと入れて戦場へと戻っていく。

 

 再び砲撃の撃ち合いとなった戦いだが、アッドゥは飛来する砲弾を体で受け止め、少し痛みに反応したように見えても、それは数秒だけ。何事もなかったかのように次弾を装填して撃ち放つのを繰り返している。

 その様子を見て、瀬川はこのままでは破壊すら困難になることを察する。

 

(水鬼級へと性能を高めているというのは厄介なもんだな。基地型らしい耐久の高さもそうだが、それが水鬼級ともなれば、単に砲弾ぶち込んだところでどうにもならん。三式弾を撃ち込んでもあんなんとはな……。やはり、青の力を込めて撃つしか道はないか)

「んんん、大和、一発あれを撃て」

「あれですね? わかりました」

 

 その命令の意味を理解し、大和は主砲へと意識を集中させた。己の中から高められていく青の力。赤い海から力を汲み上げるのではなく、自身の中から練り上げ、艤装へと注ぎ込むような感覚。

 かつての日本の誇りの結晶。戦艦大和としての最大火力をここに具現化させる。

 

 その気配を感じ取ったアッドゥは、今まで以上に笑みを深めた。

 ようやく、それを披露する気になったかと、待ち焦がれたそれに歓喜する。

 

(フフフ、それを受け止めたら、今まで以上に痛みを感じるでしょうね。ええ、ええ、私が生きている証を実感できたでしょう。でも、ただでは通さない)

 

 カッと見開いた目から、赤い燐光が発せられる。白い角から発せられる電光も激しくなり、それは顔を伝い降り、伸ばした手へと到達する。明らかに何かをしようとしている動きだった。

 それを前にしても、大和は力を込める手を止めない。アッドゥが何をしようとも、その全てを撃ち抜かんとする意志をこの一手で示す。

 アッドゥはその一手を前にして、逃げも隠れもしない。ただ、この力を以てして応えるのみ。

 

「主砲、一斉射――てぇッ!」

 

 今まで以上の激しい音と衝撃が、辺り一面に広がった。海をも震わせる一撃は、狙い通りにアッドゥへと迫っていく。それを前に、アッドゥは伸ばした手から赤い力を顕現させ、己を守る基地の壁を作り上げる。

 広げられた赤い力の障壁は、飛来する砲弾全てを受け止めた。青の力を込めた弾丸だ。ただの砲撃の時よりも、推進力を高めたそれは、いかに硬い壁であろうとも貫き、強い爆発を生むだろう。

 

 しかしその目論見は、破綻する。

 弾は障壁へとめり込みはした。でも、障壁の一枚、二枚を破壊し、まだ回転しながら先へと進もうとしても、それ以上に進めなかった。

 後一枚が近くて遠い。アッドゥが作り上げた基地を守る壁の具現化は、大和の全力を防ぎ切った。

 

「…………残念ね。私のこれを破れないようでは、欧州には届かないわ。欧州は私よりも長く戦場に立った猛者。この力の経験値も段違い。私を超えたとしても、欧州に届かないようでは、欧州奪還は夢のまた夢。課題ができたわね、艦娘」

 

 ぐっと拳を握り締めて、飛来した弾丸全てを破壊する。

 返す刃として、力を込めた主砲と副砲から、再び赤い流星を放つ弾丸が斉射された。回避しながら、先ほどと同じように障壁を出そうとしたが、青の力の連続使用により、ひりついた感覚を手に覚える。

 

 展開できない。己の身を守れないという危機感に大和の表情がこわばる。

 盾は別のところから割り込んだ。高雄である。両手でしっかりと青の力の障壁を展開して、大和たちを狙った弾から守ってくれた。

 

「手、大丈夫ですか……!?」

「は、はい。痺れはありますが、使えない程ではありません。……ですが、連続的な力の使用で、反動がきています。これでは、攻撃に使うにしても、一発が限度かと」

「そうですか。大和さん一人ではあれを抜き切れないというのがわかりましたが、かといって複数で斉射するとなれば、横に広がってそれぞれのタイミングを合わせる必要があります。それで抜ければいいですが、抜けなければ終わりです。……もう一手間があればいいのですが」

 

 高雄が道を模索していた時、瀬川の乗船する指揮艦へと通信が入った。繋いでみると、「やあ、お待たせ、待ったかい?」と、ウインクしながらブランディが指を額に当てて、前に出すという、挨拶をしてきた。

 それに対して、「進展が?」と彼の振る舞いをスルーして問いかける。

 

「こっちは敵空母隊を撃滅した。ACプリンセスもしっかりと片を付けたよ。そちらの戦いに合流するけど、問題ないね?」

「こちらもBSプリンセスを処理したわ。私の艦隊も援護するわね」

 

 ACは空母を表す「Aircraft carrier」を、BSは戦艦を表す「Battleship」を示している。そしてプリンセスは棲姫を示している。英語圏では彼女らのことをそう呼称しているようだ。

 別動隊としてそれぞれの敵艦隊に当たっていたが、彼らの艦隊は勝利を収めたらしい。気づけば指揮艦へと迫っていた脅威の一つである、白猫艦載機らは空にいなくなっていた。空母棲姫らが送り込んでいた艦載機も全滅しており、制空権はここに確保と相成った。

 

「加賀」

「ええ、すでに送り込んでいるわ。攻撃態勢にはいつでも入れる。でも、今撃ち込んでいいものかしら? さっきの防御は私も見えていたわ。無闇に仕掛けても、また防がれるでしょうね」

「だろうなぁ。んっんー、さて、どう崩すか」

 

 筋肉で全て解決できる、と語る瀬川ではあるが、こういう時には真面目らしい。青の力という連発出来ない力だからこそ、撃ち時を見極めなければならないという冷静な頭があった。

 そんな時、マルクスから「少しいいかしら、瀬川」と声がかかる。

 

「先ほどアッドゥと何かを話していたようだけれど、何かあったのかしら?」

 

 アッドゥが繋いでいたのは瀬川の指揮艦のみの通信だった。そのためマルクスやブランディへと話は伝わっていなかった。またどういうわけか、アッドゥは日本語で話していたこともあり、例え聞こえていたとしても、話の大部分を彼女は理解しえなかっただろう。

 この三人での会話も英語を用いていた。マルクスもブランディも、日本語は所々しか理解しておらず、日常会話ができる程ではなかったのだ。

 

 瀬川は少し考え、「いや、今話すことじゃない。あまりに複雑な問題でなあ。この戦いに余計なものを挟ませることになる」と、少しぼかした。特にマルクスという生真面目な人であれば、なおさらいらない世話を焼かせてしまいそうになることを憂いた。

 

「それで、戦いに合流するって話だが、補給に戻さなくていいのか?」

「問題ないよ。最初に合流するのは、すでに補給を終えている部隊さ。足の速い水雷戦隊が間もなく援護の一射を送り込むよ」

「水雷戦隊? いや、気持ちはありがたいが、それではあいつには……」

 

 駆逐艦や軽巡の砲撃では、あのアッドゥに対して有効打は与えられないだろう。戦艦の砲撃を受けても平然としたようにしているのだから、砲撃力で大きく劣るこの二つの艦種に何ができるのか。

 瀬川の不安も尤もなことだった。そんな彼の不安をよそに、モニターに映りこんできたイタリアの水雷戦隊が起こした行動は、瀬川の目を大きく開かせるには十分なものだった。

 

 彼女たちが構えていたのは、主砲ではなかった。少なくとも瀬川が見たことがなかった、別の何かである。

 両手に構えたそれから煙が連続して噴射し、何かが撃ち出された。それらは大きく弧を描いてアッドゥへと迫り、次々と降り注いでいく。アッドゥも今までにない攻撃に困惑していたようだが、それ以上に困惑したのは、戦艦の攻撃では痛みは感じても、大きく体を損傷しなかったというのに、今の攻撃に対しては、強い不快感と共に体の奥へとダメージが浸透したことだった。

 

「ッ……!? なに、これは……? フ、フフ……まさか、フフフ……よもや、戦艦ではなく、駆逐や軽巡に私が……?」

 

 イタリアの駆逐艦と、イギリスの軽巡らが構えているそれは、日本海軍では配備されていない装備だった。次弾を装填し、もう一斉射を行ったそれらをよく見てみると、ロケットランチャーのようだった。

 日本でも対空装備の一つとしてロケットランチャーが開発されているが、恐らくあれは対空に向けられた装備ではないだろう。先ほどのアッドゥの様子からして、あれは、

 

「対地のロケラン?」

「正解だよ。これはドイツのUボートに配備されていた、WG42というものでね。Uボートだけでなく、駆逐艦や軽巡などの水上艦にも配備できるように調整されている」

「欧州でも近年では陸上基地の深海棲艦が出てきたから、対策として何かないかと開発されたものよ。それをイタリアなど、欧州各国にも共有され、対基地型の装備として運用されているのよ」

「これにより、水雷戦隊であろうとも、基地型相手でも立ち回れるって寸法さ」

 

 つまり欧州ではもう基本的な装備の一つに数えられているということか、と瀬川は推察した。対地兵器だからこそ、普通の砲撃よりも高い効果を発揮できているのだろう。いわゆる三式弾と同じ特効が発生している。

 となれば、切り崩す道筋が見えそうだ。問題は、単に特効が発生したからといって、あれを打ち破れるか否かを試さなければならないということだが、考える瀬川の口から、今まで二人の前ではできる限り出さないように抑えていた笑い声が、漏れて出る。

 

「……んっふっふっふ、やらないより、当たって砕けろってなあ。最終的には力ずくで壁をぶち破れってもんだ」

「何か見えたかい?」

「ああ、やり方としてはこうだ」

 

 打ち合わせしている間も、イタリア艦隊だけでなく、ドイツ艦隊からも対地ロケランが発射されている。タイミングはずらされており、アッドゥが反撃に転じようという段階で撃ち込むことで、アッドゥに何もさせないようにしていた。

 たまらず島を駆け、ロケランから逃げる手をとるアッドゥ。それによって反撃のタイミングを得、ドイツ艦隊へと砲撃を撃ち込んでいく。それに対して、ドイツの戦艦もまた反撃の一手を打ちに出る。

 

「ティルピッツ、合わせなさい」

「ええ、主砲照準合わせ、良し。いつでも」

「……っ、今! てぇー!」

 

 WG42を撃ち込まれたタイミングに合わせ、ビスマルクの号令に合わせてティルピッツと共に主砲が斉射される。飛来する弾を前に、アッドゥは一度視線を巡らせた。

 展開されている艦娘たちの位置、構え、更に空にまで目を向けて艦載機の動きも確認した。ほんの一瞬の時間ではあったが、その一瞬はアッドゥにとって数秒にも感じられる思考の波だった。

 

 三つの艦隊が揃って自分を討ち取りに来る状況だからだけではない。

 アッドゥは期待もしていた。

 先ほど見せた壁を、彼らが打ち破る様を見なければ、この戦いの本当の締めくくりとはならない。

 

 そして、彼女らはその道筋を見出すだろう。その期待を込め、自分がとるべきことはこれしかなかった。

 角から発せられる電光は、戦いが始まった時と比較して激しさを増している。

 艦娘が青の力を使えば自身にも影響を及ぼすように、アッドゥもまた赤の力を行使するたび、反動が体を蝕んでいた。

 

 角から伝わる力の発散によって、頭痛は激しさを増している。体に対する負傷だけではない。元から記憶に異常があったが、過去の映像にノイズが走っている。

 印度提督が保有していた記憶。恐らく人間だった頃の光景はセピア色に染まり、映像には亀裂が走って正常に再生されることはない。人の情報も失われ、名前も思い出せないでいた。

 

 それでも彼は人に戻りたいと願っていた。わけもわからないまま死に、わけもわからないまま深海提督の役割を押し付けられた誰か。そんな彼が最期に抱いたのが、こんな運命を押し付けた深海勢力に対する復讐。それはこの状況に叩き落された誰もが持ちうる負の感情だ。

 

 深海棲艦は負の感情を糧に動く。負の力が強ければ強いほど力を増す深海棲艦だからこそ、広い目で見ればアッドゥもまた深海棲艦の特性に従っているに過ぎないことだ。

 例え、このように自身を蝕む力の反動があったとしても、最期まで兵器として主の遺志の成就のために動くだけ。

 展開されるは大和の青の力を込めた主砲すら止めた壁。青の力もないビスマルクとティルピッツの主砲は容易に止められる。

 

 そこに飛来するはイタリア艦隊から飛来してくるWG42。障壁へと着弾していくが、アッドゥ自身に特効が発生しても、展開されている障壁にはそういった特効は発生していないらしい。

 一枚も破ることはできず、無情に爆発して消えるだけと思われたが、よく見れば障壁にひびが発生していた。

 

「特効はないと一瞬思ってしまったけれど、そうでもないのかしら。どちらにせよ、作戦開始ということでいいのね?」

「ああ、頼むぞ加賀。撃ち抜け」

「イラストリアス、ヴィクトリアスも後に続いていこう。加賀が作った好機を見逃さず、打ち砕け」

 

 青の力を纏った艦載機が、展開されている障壁に向かって旋回、急降下する。タイミングを窺い、放たれた爆弾はひび割れた部分へと直撃し、通常の艦爆の攻撃と比較して大きな爆発を起こした。

 一発、二発と連続して撃ち込まれるだけで終わらない。ダメ押しとして艦攻が魚雷を発射し、割れた障壁へと突っ込まれていく。これもまた障壁を一枚打ち破り、アッドゥを守る障壁は残り一枚。

 

 追い打ちをかけるのはイラストリアスとヴィクトリアスの艦載機。青の力は込められていないが、それでも欧州戦線を戦っていた装甲空母の操る艦載機だ。その熟練度は亀裂が入っている部分へと攻撃を届かせるには十分なものである。

 

 守っているアッドゥはこの攻撃は更に亀裂を広げるが、破壊には至らないと分析した。熟練度は確かなものだが、しかし威力を高めるには達していない。ここが青の力を有しているか否かの差なのだろう。

 彼らは知る機会を得た。自分たちが持っていない技術を日本海軍が有していることを。それだけでもこの戦いに意味が――

 

「――え?」

 

 そこに放り込まれたのは、WG42の弾だった。見れば、撃ったのはドイツの水雷戦隊。カールスルーエや、イギリスのベルファストも見える。彼女らが手にしたWG42から放たれたものが、ここに来て追撃してきた。

 それだけならいい、その程度で破れるものではないとアッドゥは思っていた。

 

 撃ち込まれたのも障壁の前からだ。しかし、それだけに留められていない。

 角度を変えて撃たれたものが、頭上から襲い掛かってきたのだ。

 障壁は伸ばした手の先から展開されている。まさにそれはアッドゥを守る壁といっていい。

 

 だがそのWG42の弾は、その壁の上を越え、ぐっと曲がってアッドゥの頭へと直撃した。爆発と共に角へと衝撃が伝わってくる。赤の力の反応による頭痛だけではない。WG42による特効のダメージが、アッドゥの想像以上の苦痛を与えてくる。

 それにより、障壁の展開力にぶれが発生した。咄嗟に頭を押さえて歯を食いしばってしまう。そうした隙が、彼女たちの最後の一撃へと繋げられる。

 

「時は来た。総員、溜め込んだものを今こそ解き放ちなさい! 全主砲、一斉射!」

 

 最後の一発として青の力を込めた大和が号令を出して主砲を撃ち放つ。戦場に出ているリンガの戦艦、重巡がそれぞれの全力を込めた一撃をここに示した。

 空に響く轟音と、青い流星が空を裂く。それを見上げたアッドゥは、少し呆然としたようにそれらの星を眺める。

 

 深海棲艦である自分が作り上げた赤い流星と異なる星々の煌めき。自分に死を与えるものなのに、アッドゥは自然と笑みを浮かべていた。

 障壁に流星群が降り注ぐ。

 WG42によって体勢を崩され、最後の一枚に注ぐ力を狂わされたのだ。防ぐ力はもう残っていない。一瞬にして壁は破られ、体へと次々と砲弾が突き刺さり、貫通していく。

 

「――――見事。それでいい……あなたたちは、力を示した。課題はあれど、私を……超えていった」

 

 体から血が噴き出る。それに従って、点々と爆発が起きる。小さな爆発はやがて大きな爆発へと繋がっていき、連結されていた艤装も瓦解し始めた。

 体を支える力も失われ、アッドゥは力なく倒れ伏す。でも、ただじっと島を、海を眺めたまま終わりたくはなかった。

 

(……ああ、赤い海とは違って、なんて美しい空。結局、(おれ)は……)

 

 体を反転させて、仰向けになってアッドゥは空を見上げる。

 自分の名前も思い出せない程に記憶に障害を抱えた彼が、どうして人に戻りたかったのか。

 いつこうなったのかはわからない。何らかの理由で海で死んだ彼は、きっと故郷に家族を残していたはずだ。親兄弟なのか、伴侶か、伴侶がいたなら子供がいたのか。それらも彼にはわからない。

 

 けれど、故郷に家族を残していたなら、きっと自分は帰りたかったはずだ。この空のどこかの下に、帰るべき場所があったはずなのだ。

 だから、彼は人に戻り、故郷に戻りたかった。

 

 でも、戻れない。

 ここまで堕ちてしまった自分が、自分のことすらわからなくなった存在が、戻れるはずもない。

 それでもと、彼は力なく手を伸ばす。どこまでも高く青い空へと、消えゆく命と願いを託して。

 

(すまない、名前も知らない誰か……。(おれ)は、人にも、そっちにも……戻れなかった。でも、(おれ)が最期にやったことは……きっと、人に希望を繋いでくれる……。あとは、頼んだ……艦娘たち)

 

 そうしてアッドゥは、その想いの全てを声には出さず、静かに爆発の中に消えていった。アッドゥ環礁の一つの島で発生した大爆発は、文字通り先ほどまでそこにいたアッドゥの全てを無に帰した。

 アッドゥが望んだ通り、その体を一つも残すことはなかっただろう。爆発が落ち着き、念のために確認に赴いた神通たちからも、そこには何も残されていないことを報告した。

 

 ここに、アッドゥ環礁での戦いは終わりを告げる。

 アッドゥが残したのは三つの白猫艦載機。しかしそこには、彼女から提供した深海の情報が込められていた。

 

 そのことをマルクスやブランディが知るのは、コロンボ基地へと帰還してからであり、そして内容すべてが共有されるのも、そのまた後の話である。

 欧州からの使者を出迎えるだけだった瀬川の遠征は、思わぬ収穫をたくさん得る形で幕を閉じるのだった。

 


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