呉鎮守府より   作:流星彗

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リンガが動く時

 

 一日の始まりは、軽い筋トレとジョギング。それが彼にとって清々しい朝を迎えるものとなっている。

 健康的な肉体と精神は筋肉を鍛えることにあり。

 鍛えた筋肉は裏切らない。

 それが彼の信条だ。故にこの日課は欠かすことができないものである。

 

 焼けた肌に流れる汗が、朝の陽ざしを受けてきらりと光る。タンクトップ姿で浜辺を駆け、穏やかな海を眺めながらメニューをこなしていく。

 そうして流した汗をシャワーで洗い流すことの気持ちよさよ。

 こうした朝の時間だけ見れば、肉体美のある好青年で終わるのだが、彼の中身を見ればそれでは収まらない。

 

 それが、リンガ泊地に所属する瀬川吾郎という男である。

 

「うむ、今日も美味い」

 

 朝から肉を食べるのは、人によっては胃が疲れるものだが、彼にとっては日常的だ。元より肉好きを公言しており、朝からしっかり食べてこそ動けるものだと考える性質である。

 結構なボリュームのある朝食を食べ終えれば、艦娘たちの訓練の監督や、資源、報告のチェック、周辺状況の変化の把握など、提督としての仕事をこなしていく。

 

 その合間にも、暇があれば筋トレをする。体を動かしていないと落ち着かない性分で、何かと筋肉をいじめていく。加えて仕事には常に秘書艦が控えているものだが、時には彼女たちを背に乗せて腕立てやプランクもする。

 負荷をかけてこそ効果的な鍛錬ができるものとしている彼が、こういうことをするのはもう珍しいことではないが、乗っている彼女たちも、手持ち無沙汰な中で通信機をいじったり、本を読んだりと各々好きにやっているので、慣れたものだった。

 

「対空の調子はいかほどに?」

「システムのコツは掴めてきたところかな~。これなら、確かに艦載機の迎撃はやりやすいと思う」

 

 先日、第三課から新しいシステムとして対空射撃を支援するシステムが公開された。

 対空に向いた装備と対空電探を組み合わせ、より対空防御に力を注げるものである。高角砲、機銃、対空電探を揃えることで、このシステムが働き、艦隊を守るために精度の高い対空射撃を可能とするというものだった。

 

 また併せて秋月、照月という防空駆逐艦が建造に追加されることとなった。防空と名がつく通り、駆逐艦の中でも対空性能をより高めることで、艦隊を防空する意図をもって建造された駆逐艦だ。

 秋月には10cm高角砲+高射装置という小口径主砲が与えられており、これは駆逐艦にとっての主砲の一種として使えるものも開発された。

 

 元々ある10cm高角砲に、94式高射装置という防空のために組み込まれた装置が合わさった装備である。この94式高射装置も単体で開発できるようになっており、それぞれ別々に装備できるようになっている。

 ただこれは二つを一つにすることで、防空のために必要な装備をコンパクトにまとめられたものだ。

 そのためこれさえあれば、後は対空電探を備えるだけで対空射撃システムを使えるようになる。

 

 秋月型も他の駆逐艦と比較して対空性能が非常に優れている代わりに、他の能力が少々抑え目という明らかな違いが見られている。だがこれは元からしてそういう意図で作られているため、問題にはならない。

 むしろその対空性能を遺憾なく発揮してもらい、艦隊の守りを高めてもらいたいところだった。

 

「んっんー……明石の手による改修の手も足りなくなってきたか。こういう面では、呉の海藤は有利よな。あいつの手も加えれば、改修の進み具合では負ける」

 

 明石の改修知識が呉鎮守府の明石から発信され、全ての鎮守府の明石に共有されたことで、装備改修が場所を選ばずにできたという大きな発展はある。

 しかしこれは明石だけができることであり、それ以外の艦娘にできることではなかった。手先の器用さで夕張も助力できることはできるが、明石の方が専門的な知識と技術が備わっていた。

 

 そのため全ての艦娘が所持している装備に手を加えるとなると、膨大な時間がかかる。また、必要な資材も用意しなければならないのも当然といえば当然だった。

 また何でもかんでも改修できるわけでもなかった。性能を伸ばせる余地を見出し、的確に手を加えられるかどうか。それも必要になってくるため、それぞれの鎮守府の明石らと第三課が知識と技術を共有する必要もあった。

 改修のアップデートも時間をおいて情報を纏め上げ、全てに共有しなければならないという問題もある。

 

 それでも現在手を加えられるところは、リンガ泊地の艦娘の装備にはしてきたが、主力艦隊と一部の艦娘の装備にのみ適用されているだけで、全艦隊ではなかった。

 可能ならばみんな強くさせてやりたいところではあったが、もどかしい問題である。

 

「んんんんん、色々手を加えるところは手を加えたが、ここで一つ、何かが起きることで、刺激を味わえるのだが」

「まーたそういうこと言っちゃってさ。そういうのって、何だっけ? フラグっていうんだっけ? 起きちゃうんじゃない?」

「フラグでも何でも構わん。ワシは色々溜まっているのだ。どうにもここ最近は静かだ。不気味なほどにな。かといって、アラビア海を超えて向こうに行くには少々距離がある。フィリピン回りにいたと思われる輩がいなくなったような気はするが、あっち方面にはまだいるだろうからなあ。それを消して平定しない限りは、ワシらも大きく動けんわ」

 

 艦娘たちのデータを確認しながら、瀬川はそうぼやく。

 そんな彼にタイミングが良いのか悪いのか、通信が入った。少し気だるげに「どうした?」と問いかけると、

 

「暗号です。欧州からこちらへと向かってきている船が二隻。しかしインド洋方面から深海棲艦が足止めに来ているとのことで、援護をお願いしたいと」

「――――ほう? 少し前に連絡をよこした客人が来るか。いいだろう。出迎えに行ってやろうではないか」

 

 大淀からの言葉に、笑みを浮かべて瀬川は通信を切り替える。

 

「諸君、出撃準備! 欧州からの客人の援護要請だ。これまで培った新技術を大いに試せる時が来たぞ! んっふっふっふっふ、胸躍る時間よ! 客人に我らが力を存分に披露してやろうではないか!」

 

 その言葉に呼応して、艦娘たちが声を上げる。訓練は中断され、一斉に海から港へと上がり、それぞれ指揮艦や工廠へ向かい、必要な物資を運んでいく。

 基地からも艦娘や妖精が動き出し、出港に向けて準備を進める中で、瀬川もいったん執務室へと向かいながら、連絡がきた状況を大淀に問う。

 

「暗号は間違いなく西から?」

「はい。発信源も紅海方面からです。……ただ、以前と変わらず通信状況は悪く、途切れ途切れの暗号を繋げて解読したものです。それと、定期的に放たれている監視の目からの報告も届いているのですが」

「ですが?」

「コロンボ基地から届けられた情報によると、南西方角の海が侵食され始めているとのことです」

「ほう……?」

 

 コロンボ基地とはスリランカの南西にある基地であり、インド洋の深海棲艦の動きに目を光らせている。かつては何度か深海棲艦の危機に晒されていたが、瀬川率いるリンガ艦隊の防衛の甲斐あって、守られることとなった。

 現在では瀬川が育成した艦娘を派遣させることで、基地の守りを任じており、引き換えとしてインド洋やアラビア海の状況把握に努めている。

 

「ではアラビア海で客人らへと知らせるものと、侵食具合を確かめるもの、それぞれに鳥を飛ばしておくように伝えておけ」

 

 指示を出しつつ、執務室で出撃のための服へと着替え、持っていく物を纏めて退室。

 鍛え上げられた筋肉を紺の制服が覆い、帽子もしっかりと被った彼は、朝に見られた筋肉が映える好青年という印象はどこにもない。

 

 背筋を正し、足早に廊下を歩くその出で立ちは、いかつい印象を与える軍人といえるものだった。

 いつか茂樹が語った言葉、普段は筋肉バカだが、やるときはしっかりやる。

 その言葉に偽りはなし。

 瀬川が指揮艦へと乗船し、出港の準備を整えたリンガ艦隊は、「出撃!」という彼の号令のもと、欧州からやってきた客人らの援護のためにリンガ泊地を後にしていった。

 

 

 トラック泊地の地下で行われていた工事は終わりを迎え、必要な物資も運び入れたことで、緊急時のシェルターは完成を迎えていた。

 作りはしたものの、ここが使われることがないように願うばかりである。

 

 島の裏側へと抜ける水路も作られており、普段は崖の岩肌によって隠されている。これも妖精による摩訶不思議な力によって、まるで漫画の世界のようにスライドして開閉する仕組みが採用されている。

 

 これによって深海棲艦がこの水路を見つけて侵入してくるということは防がれているらしいのだが、どうやってこれが動くのかについてはまったくもって謎である。

 もう妖精だからで話を終えた方が、難しく考えすぎないで楽になるだろう。

 

「それにしても、よくもまあここまで成長したもんだ。誇らしいよ」

「あざっす。パイセンたちのおかげです」

 

 今日の演習を終えて、茂樹は香月へと感想を述べる。

 リンガ泊地で瀬川から色々鍛えられただけでなく、新しい刺激を艦娘たちに与えられている。その成果をこうしてトラック泊地でも発揮した。

 結果は茂樹から見ても驚くべきものと言える。

 

 リンガ泊地で何を見たのかは、香月の艦娘たちが教えてくれる。

 もちろん瀬川が改良をし、纏め上げたデータはもう配信されてはいるのだが、実際に艦娘が使ってきた技術の方が目で見られるからわかりやすい。

 

 短い時間の中でも仕込まれた技術を、演習という場で披露してくれたのだから、それだけでもリンガ泊地で得たものは大きかったことを教えてくれる。

 そしてリンガ泊地で瀬川が考案し、磨き上げた技術がどんなものだったのかも。

 

「あいつが防御術をなあ。でもま、それも大事なのは間違いねえ。あいつはバカだが、大事なもんに対しては男気を見せるからなあ。こういうのを考案するってのも理解できる」

「そうなんすか?」

「おう、欲望に忠実な奴だからな。その欲望を叶えるために色々やるってのがあいつの性分だ。で、その欲望は好みの女を侍らせるってのもあったろう? 侍らせる女がいなくなっちゃあ、欲望は叶えられねえ。だから守る技術を仕込む、ってところだろうよ」

「……あ、そういう」

 

 原動力がわかってしまえば呆れてしまうかもしれないが、それでもしっかり成果を挙げられるものをやってのけるのが瀬川という男だと、肩を竦める茂樹。

 そしてその技術をしっかりとパラオの艦娘たちにも伝えられている。

 奇妙な男ではあるが、その能力は疑いようもない。それは数日共に過ごし、指導を受けた香月も理解はしている。しているのだが、

 

「……どうしてああいうことに?」

「さあ? 人の性格のあれこれまでは俺は言えねえなあ。アカデミーにいた時からあんなんだから、子供の時からああなんじゃねえの? 知らんけど」

 

 あの強烈なキャラは忘れたくても忘れられないインパクトとして、時間が経った今でも脳裏に刻み込まれている。

 彼の語る男の在り方とやらも、無理やり覚えさせられたようなものだった。

 

 曰く、男たるもの受けた恩、借りは返さなければならない。

 曰く、欲望には忠実であれ。

 曰く、筋肉を鍛えていれば裏切らない。

 

 イメージに刷り込まれたのはこれらの三つだが、三つ目は別にいらないだろう。

 しかし一つ目のものは、あの見た目に反して義理堅い考えととれる。恩はそのまま恩を返すととれるし、借りはいい意味でも悪い意味でも受けたらいずれ返してやるととれる。

 そして茂樹としても、これに関してはよく理解していた。

 

「アカデミーでやんちゃしていた頃だったかねえ。親しかった後輩がトラブルに巻き込まれてたから仲裁しに行って、そしたら手を出されたから、『ワシにも手ぇ出したなワレ?』って感じで逆に相手全員殴り倒したことあったな。先手が相手だったこともあるし、原因も原因だったこともあって、あいつ自身は軽めの懲罰で済んだけどな。そういう親しい身内に対しても甘いとこはある、本当に義理堅い奴さ」

「人は見かけによらないって感じなんすね」

「……ま、そういう話をすると、決まってあいつは筋肉が人数差をひっくり返したのだ、とか何とかで話を締めてくるけどな。こういうちょっとしたいい話はあまりされたくはないんだよ。でも、やるときやるし、手も伸ばしてくれる。そして掴んだ手を引っ張り上げる。そういう輩さ」

 

 だから困ったときは頼っていい相手だと、茂樹は頷いた。

 

 

 数日の演習を終えてパラオへと帰還していく香月たちを見送り、茂樹は改めて香月の成長をデータで確認する。

 秋のパラオ襲撃から立て直し、より力をつけるべく尽力した彼らは、目に見えて成長しているのが分かる。

 

 まだまだ発展途上で、粗削りなところはある。でも、期待が持てる伸び率をしているのは間違いない。

 それに茂樹たちと違い、成長するための要素が以前と比較して多いのもポイントだ。

 様々な新技術が登場しているし、環境も異なっている。そして、近くに切磋琢磨ができる先達がおり、新技術を用いてぶつかり合うこともできる。

 これらが、より香月たちの成長速度を早めていた。

 

 トラック艦隊、リンガ艦隊と演習をしたが、ここにラバウル艦隊も交えて演習をしたいところだった。そして機会があれば、日本の呉や佐世保も交えてみたい。

 以前に香月と顔を合わせた凪と湊は、今の香月を見て何を思うだろう。そんなことを思いながら、時間を作って会えないだろうかと連絡を取ってみることにした。

 

 とはいえ、今は何かときな臭い状況にある。わざわざ日本から来てもらうのも、日本に行くのも難しいだろう。新年会の件についてもこの状況下で離れられないということもあって、茂樹たち海外組は出席しなかった。

 演習もトラック、ラバウル、パラオのどこかでやるだけに留められている。

 

 取り決めていた互いの無事を知らせる通信もまだ続いており、今もなおこの三つの拠点は深海棲艦からの襲撃を警戒している。

 今のところ襲撃が来る気配はない。タイミングを窺っているのか、パラオ襲撃によって失った戦力の補充をしているのかはわからない。でも、あんな大それた動きをしてきたのだ。もうしてこないという保証はどこにもない。

 

 夜も交代で警備隊を待機させ、周辺を警戒するようにしている。こうするだけでも、自分たちは警戒しているのだと、深海棲艦らに示すことで、少しでも被害を減らすように心がけていた。

 

 提案についてメールにまとめ、それぞれラバウル、呉、佐世保へと転送する。

 もし凪や湊がこの提案を受け、なおかつ都合がついたらここまで来てもらうことになったら、より香月に経験を積ませることができるだろう。

 

 それぞれの鎮守府の艦娘たちにとってもいい刺激となってくれるに違いない。

 そう願ってやまない茂樹だった。

 


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