呉鎮守府より   作:流星彗

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闇ノ中ヘ堕チル

 アリューシャン列島、ウラナスカ島。その海底に彼らはいた。ミッドウェー海戦の際に、北方提督が戦場として定めたこの地に、北米提督たちが逃げ延びていた。戦場となった際に一度、深海棲艦の力がこの海域に広がったため、仮の拠点を築くには問題なかった。

 しかし、かつての拠点と比べると大いに差がついている。まず設備がない。緊急時として、最低限の設備を深海棲艦の力を用いて用意はしたが、それでも戦力を増強するには時間がかかるだろう。

 何より、パールハーバーを攻め落し、その基地を奪還するために用意した基地型の深海棲艦の素体。これが拠点襲撃によって失われたのが大きい。

 しかも育成途中だったため、これまでの育成データがデータベースに保存されておらず、バックアップもない。また一からやり直さなければならないことに、北米提督は屈辱などによって体を震わせていた。

 今まで拠点が見つからなかったのに、発見されたことだけではない。次のための準備を全て無に帰されたことがとても痛い。メリーランドも撃破され、喪われた。深海棲艦にとって、単に撃破されただけでは問題はないが、死体はあの場に残ったままだ。あるいは、残骸だけ残し、魂となる核は消滅してしまったかもしれない。そうなれば、これまで長く共に歩んできたコロラド三姉妹の次女のメリーランドは、あの場で死んでしまい、二度と帰らない存在となった。

 

「……おお、神よ。このような試練を与えようとは。しかし、この試練、苦難を乗り越えてこそ、自分は神に近づく、そうなのでしょうネ……。これまでが順調すぎた。サンディエゴ、パールハーバーを完膚なきまでに叩き潰す道が見えたからと、慢心してはいけない。そうなのでしょう」

 

 手を組み、跪きながら北米提督はそう呟いた。確かに思い返せば、ミッドウェー海戦の中でヒントを得、それを基にして素体を作り上げた。ここまでの流れが順調だったからと浮かれていただろう。

 だからサンディエゴの艦隊が自分の拠点について気づき、侵攻してくることに気づくことがなかった。これは反省すべきことだ。

 だから次は間違えない。

 もう一度、このウラナスカ島から再出発をする。しばらくは静かに行動し、資源を確保する必要があるだろう。相談する相手は、恥を忍んで北方提督にするべきかと考える。中部提督の星司には頼れない。今までギークと呼んで接してきた彼に助力を求めるなど、何となく釈然としなかった。

 また屈辱や怒りによってか、以前のようなハイテンションな北米提督はなりを潜め、敬虔な信徒としての顔がずっと浮き出ている。こちらが生前の頃の性分であり、あちらが歪みによって生まれた顔ではあるのだが、精神に大きなショックを受けたことで正常に戻ったとでもいうべきか。

 しかし戻ったにしては、深海勢力に属するものとして行動し続けるという妙さもある。神に祈りを捧げる、その対象は生前からのものか、あるいはかの神へのものか、それに対して疑問を抱いたことがあったというのに、今の彼は奉ずる神を疑っていない。

 

「神よ、我らを導きたまえ……この苦難の先にこそ、自分は安息を得る。全ての人類を神の御許へ導く。それこそが我が使命。ええ、ええ、成し遂げますとも」

 

 ぶつぶつと呟きながら、しかしどこか苦痛に瞳が歪み、頭を押さえている。時折、バチバチと何かが弾け、赤黒い電光が髪から発せられているが、彼は気にも留めない。その様子に、コロラドやウエストバージニアが心配そうな表情を浮かばせるが、どこからか聞こえてくるようなチャイムの音が、彼女たちからそれを消す。

 何も問題はない。そう、どこからか聞こえるその音が告げているかのようで、二人は北米提督から指示があるまで、待機となった。

 深海北米艦隊の当面の予定は資源を増やし、設備を整えてから艦隊の再編成と育成に努めなければならないこととなった。これにより北米提督によって計画されたパールハーバー襲撃作戦は、これにより実行日が未定とならざるを得ない。パールハーバーに迫っていた危機はこれにより先送りとなる。

 

 

 北方提督、三笠の手による訓練は、日々継続されている。彼女を殺すために力をつけるのに、彼女から手ほどきを受けるという構図は、最初こそ困惑していた深海熊野だったが、しかし彼女の教えは的確で、じっくりと自分に力がついていることを実感していた。

 艦娘としての力、動きだけではなく、深海棲艦の力、すなわち赤の力の扱い方もこなれてきており、自分の意思で両目に赤い燐光を発し、手にその力を収束させることもできていた。だがそれを以てして彼女に攻撃を与えても、三笠を殺せるようなイメージがわかなかった。

 攻撃は以前に比べて通せるようにはなっているが、それまでだ。通じるようになっただけで、致命傷を与えるようなダメージにはなっていない。砲撃も雷撃も、平然としたように捌いているし、当たっても動じていない。

 それだけの差があることに、深海熊野は歯噛みする。自分が殺せるイメージがわかないということは、今の日本海軍の艦娘たちに、この三笠を殺せるだけの力がないのではないかという懸念も浮かんでしまう。

 自分よりも巧みに赤の力を行使し、立ち回ることができる実力者。それが北方提督の三笠だ。このような化け物を相手に、どう戦って勝てばいいのだろう?

 そもそも、これだけの実力があるのに、どうして三笠は本気で戦おうとしないのだろうか。そのような疑問も浮かんでしまう。

 

「どうした熊野。何か訊きたそうな顔をしているな?」

「……コレダケノ力ガアッテ、アナタハ何故、積極的ニ動ナインデスノ?」

「ふむ、以前我は云ったと思うがな? 我自身としては、そこまで積極的に動く気はない。人類との戦いなど、他の輩に任せる。我は眠りたいのだとな。だからこうして、汝を手ほどきしているのだが?」

「本気デ人類ニ敵対シテイナイノナラ、何故ミッドウェーデハ動イタンデスノ? ワタクシノヨウナ犠牲モ生ミ出シテオイテ……」

「大湊が我を殺せるか否かを確かめに行ったまでのこと。戦いを通してしかわからぬこともある故な。結果的に大湊はその域にはなく、汝という成果を手にした。また、大湊にヒントを与えた。この力があり、技術を磨けば高みに至れる。それを披露する場も、やはり戦場にしかない。故にこそ、我が動くしかない」

 

 肩を竦めながら三笠は椅子に座り、置いてあった湯呑を口にする。近くには北方棲姫がおり、二人のやり取りをずっと眺めていた。手には艦載機のようなものもあり、時たまブンドドをしながら時間を潰している。

 こうしていると子供にしか見えない北方棲姫だが、彼女もまた赤の力を行使できる。ウラナスカ島での戦いではそれを用いて深海熊野たちに強力な攻撃をしてきたものだ。人は見かけによらないというが、このような子供でも、赤の力を用いれば十分に驚異的な力を発揮できる。

 自分でもわかる。この力は凄まじい。

 上手く力を循環できれば、より強い力を振るうことができるのが分かる。だが同時にそれは、より深海棲艦に近づくことでもあった。事実、今の深海熊野はここで目覚めた時から更に変化を見せている。

 額に生えていた一対の角は、左側がより大きく成長し始めており、左右非対称になってきている。髪も白を含む割合が増えてきており、それがより自分が深海棲艦化していることを実感させられる。

 だが、心はまだ艦娘の熊野のままだ。それは間違いない。頭痛もなく、何かが囁きかけてくるような気配もない。精神を侵されているような感触はなく、ただ体だけが深海棲艦に近づいている状態だ。

 

「それにしても、汝もなかなかの変わり種よな。未だに精神が艦娘のままとは。苦痛も感じておらぬのか? 珍しいこともあるものよ。親和性が良いのか悪いのか」

「ソコマデ言ウコトノモノナノ? デモ、ソウデスワネ、ワタクシ自身モ、ドウシテココマデ自分ヲ保ッテイルノカ、気ニナルトコロデハアリマシタワ」

「通常ならば、一月もあればほぼ全てがまとめて堕ちる。だが汝はどうだ、あれから一月以上経過している今でも、艦娘の熊野の精神を維持している。汝に何らかの特異性があるのか、はたまた別の要因か。我にはわからぬが、珍しいことに違いない」

「……アナタカラ教エヲ受ケテイルノガ原因ダッタリシマセン?」

「なるほど、あり得よう。……ふむ、どちらが幸福か?」

 

 ふと、三笠が目を細めてじっと深海熊野を見据えた。どちらとは? と深海熊野も目を細めて三笠を見据える。新しい茶のようなものを注いでもらい、また喉を潤すと、一息ついて、「もちろん、精神の話よ」と頷いた。

 

「身も心も深海側に堕ちるか、あるいはそのまま精神を艦娘で維持しつつ、体だけが深海に堕ちるのか。前者であればある意味楽であろう。それまでの汝は死に、新たなる熊野として転じるだけだ。……しかし、精神だけ艦娘となれば、今のように苦悩し続けよう。始まりは違えど、我と同じ苦悩を抱いているようなものだ。となれば、いずれ汝も我と同じ答えに至るやもしれんな?」

「…………」

「早く眠りにつきたいと、殺してもらいたいと願わずにはいられない。しかしこの身は深海側だ。故に誰かに仕留めてもらわねばならない。そのような結末を望むやもしれん。そうなったら、どうだ? 我を殺すと同時に、我が汝を殺してやってもいいぞ?」

「…………ソウイウ結末モ良イモノカモシレナイデスワネ。ワタクシトテ、イツマデモ深海ノ存在トシテ在リ続ケタクハアリマセンワ」

「良かろう。もしも汝が我を殺せると感じたら、共に眠りについてやろう。……ああ、もちろん童女、汝もだ」

 

 じっと自分を見つめている北方棲姫の視線に気づき、三笠は彼女にも目配せをした。自分で生み出してしまった小さな少女。彼女を一人にするのは忍びないことだ。とてとてと近づいてきた北方棲姫の頭を優しく撫でてやりながら、三笠は改めて言う。

 

「どちらにせよ、我は汝を鍛えてやる。我らが終わりを迎えるためにな。熊野、いずれ汝が我を殺せるだけの力を得た後にどうするか、それも考えておくことだ。眠るか、あるいはまた別の道を歩むのか。どうするにせよ、我は汝の意思を尊重しよう」

「…………ワカリマシタワ」

 

 自分のことについて悩ましいのは確かだが、これまでの日々の中で、三笠と北方棲姫の親しみもまた、彼女に迷いをもたらすものだった。深海棲艦に堕ちたからか、普通に交流しているのだ。

 三笠も北方棲姫も敵だと認識している。今もそれは変わりはない。

 でも、普通に話せる相手だし、日々の生活も共にしていては、敵だとわかっていても、小さな情が生まれる。特に北方棲姫は小さな少女だ。彼女を改めて敵だとしっかり認識できるのだろうか?

 

(コウイウコト? コレガ、アナタガ抱エル歪ミデアリ、悩ミダトイウノ、三笠サン?)

 

 深海に染まらぬ心がもたらすもの。いずれ殺せるのかどうかがわからない。悩み続けるのなら、今のうちに死んでおけばいいのではないか。そのようなことを考えてしまう。

 でも、今ここで死んだら、この先三笠を殺せる誰かが現れるのかどうかすらわからない。そのような悩みが生まれてくる中、じっと深海熊野を観察する三笠。彼女の表情からして、自分と同じようなものを感じ取ったのだろう。北方棲姫を撫でながら、

 

(これで心が堕ちるなら、熊野もそれまでの存在だったということ。楽な道に逃げるのも良いだろう。しかし、苦悩しつつ歩みを止めぬのならば、我は改めて汝を買おう。我と苦悩を共にする同志として、汝を認めよう。我を終わらせる可能性を秘めた存在とし、より鍛えてやるとも)

 

 三笠は静かに期待している。これまでの鍛錬で深海熊野は確かな力をつけている。伸びしろも感じられる。順調に成長すれば、もしかすると自分を殺せるだけの力をつけてくれる期待感があった。

 だからこそ願わずにはいられない。

 深海熊野が、自分を終わらせてくれる存在になってくれることを。

 

 

 拠点に帰還した深海吹雪は、回復を図ると同時に、自分の中から叢雲に対する感情を削除した。叢雲に対する執着によってこの先の作戦に支障をきたす可能性は高い。事実、今回の作戦において、執着したことで悪い方向に流れた感じはあった。反省すべきことだ。

 感情によって動くのは深海棲艦らしくない。どのように動くのが効率が良いのか、損なく物事を進められるか、今の自分たちに必要なことはそれだ。先代と同じ轍を踏まないためにも、決してやるまいと思っていたのに、何故あの時、感情に従ってしまったのか。

 推測しようにも、彼女の中で記録がなくなっている。古鷹、青葉、叢雲が深海吹雪を狂わせた。恐らく、吹雪としての何かが刺激されたか、思い出したくもないことが蘇りかけたか。彼女が今いる海域、ソロモンにて起こった戦いの一幕、そしてかつての大戦において吹雪が沈んだ夜の出来事。そこにこの二人が関わっているのだが、自分が沈んだ出来事だからか、思い出したくないものとして、ブロックされているのかもしれない。でも、思い出せなくとも不愉快さなどは感じてしまう。それが疼きとなって胸を痒くさせている。

 ふと、澱んだ空気が深海吹雪のいる部屋にうっすらと立ち篭ってきた。部屋にいる深海吹雪は気づいていないが、確かにそれはゆっくりと彼女に忍び寄るように、少しずつ充満していく。

 

「荒レテイルワネ、吹雪」

 

 不意に深海山城が声をかけた。すると、澱んだ空気がすっと晴れていき、何事もなかったような雰囲気に戻る。胸を押さえて屈みこんでいたのが、少し顔を上げ、部屋に入ってきた深海山城を見つめる。

 

「不調ハ取リ除ケタノカシラ? アノヨウナ行動、私トシテハ許サレザルコトダワ」

「…………? ああ、私の不調の原因となったことでしょうか? 削除したため、どのようないきさつがあったのか、私には自覚はないのですが」

「……ソレモソウネ。コレ以上怒ルニ怒レナクナッタジャナイノ」

「あなたがそのような素振りをしたということは、今回の作戦において、私は腹立たしいことをしてしまったのでしょう。申し訳ありません。ですが、私が不調をきたした要因を取り除いたのでしょう。ならば、次は同じ轍を踏むことはありません。次の作戦の際には、上手く立ち回ることを約束しましょう」

「……ソウネ。私タチガ全テ上手クヤレルト考エルノハ早急ナコト。何ガアッタノカ、私ト姉上ガ説明スルワ。ソノ上デ次ニ活カストシマショウ」

 

 そう言って、現在治療を受けている深海扶桑を示した。隣には駆逐棲姫と空母水鬼もおり、撃破された後にしっかりと回収されていることを示している。深海吹雪の作戦は失敗に終わりはしたが、だからといってこれで終わりではない。彼女にとって南方提督はまだ始まったばかりなのだ。

 それにトラック艦隊の援軍がなければ、あのまま押し切り、パラオ泊地を壊滅させることができただろうというのは容易に推測できる。これは深海山城も認められる。全ては、あの援軍が台無しにした。あれがなければ、自分たちの作戦は、華々しい勝利を飾ることができたのだ。

 だからこそ、全てを深海吹雪が悪いと言えない。頭ごなしに責め立てないのはそのためだった。

 今はとりあえず彼女たちの回復を待つ。深海吹雪も休息が必要だろうと、いったん解散の流れにした。部屋を出ようとする深海山城は、ふともう一度深海吹雪を振り返る。

 先ほど澱んだ空気があったような気がしたが、気のせいだろうかと確認をしようとしたのだ。あれから何もないし、今も何もない。やはり気のせいだったのだろう。苛立ちのあまり、妙な錯覚を起こしたのかもしれない。そう考えるのだった。

 

 

 深海長門のための艤装の調整は順調に進められていた。装備する魔物の素体も成長している。戦艦棲姫を基にしただけあり、その出で立ちは巨漢を思わせるものだが、戦艦棲姫のものとの差異として、頭部が二つに分かれ始めたのが異質だ。

 双頭の巨躯、それだけでも異質な存在として際立つ。だがそれでこそより強い装備を身に纏えるといえよう。戦艦主砲もより大きなものを搭載できるようになる計算となっており、その開発も順調だ。

 何もかも上手くいっている。ミッドウェー海戦のリカバリーとして、申し分ないものといえる。作業を見守っている深海長門も、自分に与えられる艤装の出来栄えは気になっているようで、どこか興味深そうな眼差しをしている。

 普段からずっと与えられたソファーベッドに腰かけ、起きている間はずっと星司の作業を眺めているだけという奇妙さがあるが、問題行動を起こしているわけではない。だが他の深海棲艦との交流をせず、日がな一日、ソファーベッドで過ごしているのはどうなのだろうか。

 中部の赤城、空母棲姫と中間棲姫が日課としている訓練を終えて、工廠へと入ってくる。あの戦いの後、彼女たちと深海加賀などは、より実力を高めるために、深海棲艦同士で訓練を行っているようで、より巧みに赤の力を行使するための研究も行っているようだ。

 入室した深海赤城は、深海長門を一瞥し、作業を進めている星司へと近づく。

 

「帰還シタ。今日モ訓練ハ問題ナク終エラレタ」

「そうか、それは何よりだよ」

 

 振り返ることなく、星司はそう応える。目の前には戦艦主砲があり、それを様々な角度から確認しているところだった。モニターには耐久性や、推測される火力などが算出されており、その傍らには艤装の完成形と思われるデザインのラフ画が映し出されていた。

 それによればこの三連装主砲は両肩に一基ずつ搭載予定であり、その腕などに副砲を隠し持つスタイルを想定している。魔物の素体としてはラフ画とそう大きな差を見せておらず、彼の言う通り順調に開発作業が進められていることが伺える。

 そんな彼に、深海赤城は少し言いづらそうにしていたが、意を決して「報告ガアル」と切り出した。

 

「何かな?」

「パラオ襲撃作戦ハ、失敗ニ終ワッタソウダ」

「…………失敗?」

 

 と、意外そうな声色で作業の手が止まり、肩越しに振り返る。その目には純粋な疑問が浮かんでいる。

 

「僕の想定では、吹雪率いる艦隊が勝利に終わっているものと思っていたんだけどな。パラオは攻撃の一波、二波は止められても、三波以降は防ぎきれず、飲み込まれるものと考えていたんだけど」

「ソレガ……モウ少シデパラオヲ守ル艦娘タチヲ倒シキリ、パラオヘト至ロウトイウタイミングデ、トラック泊地ノ艦隊ガ援軍トシテ到着。後方ノ翔鶴率イル機動部隊ヲ撃破シ、吹雪率イル艦隊ヘト至ロウトイウトコロデ、撤退ヲ選択シタトノコト」

「――――トラック?」

 

 トラック艦隊が援軍として参戦したことに、星司はまた疑問を覚えた。

 何故そこでトラック艦隊が参戦できるのだ? そんなことは想定していない。仮にトラックの提督がパラオの襲撃に気づいたとしても、現場に辿り着くことは不可能なはずだと考えた。

 そう、彼らは知らない。

 何故間に合ったのかといえば、美空大将らが開発した高圧缶とタービンのおかげだ。指揮艦の速力を向上させる他、性能向上に伴う耐久性などの調整もあり、以前よりも高速で移動できるようになった指揮艦の変化を知らない。

 よりにもよって、実弟である香月のピンチとなった、星司が企てたパラオ襲撃作戦の失敗。実際に救ったのは茂樹だが、その陰のサポートを果たしたのが実母である美空大将ら第三課の存在というのが、何とも因果な話である。

 

「……トラック泊地、そう……そこで奴らが邪魔をしたのか。……そう」

 

 がり、と、軽く頭を掻く。静かな呟きだが、星司の内心はゆっくりと、そして緩やかに段階を上げていくように激しくざわつきだした。それを表すように、その瞳の光が何度も明滅する。次第に何度も頭を掻き毟り、一度強くコンソールを叩いて、今までに見せたことがないような咆哮を上げた。

 その姿に、ずっと彼に従ってきた赤城が驚きに目を見開く。中間棲姫も息を呑み、深海長門はその変化にあまり動揺することなく、じっと後姿を眺めるだけだ。声に気づいてどこからかアンノウンも駆けつけ、「何だなんだぁ? どうしたのよ?」と問いかけるが、誰もそれに答えることはない。

 失敗に次ぐ失敗で、星司の心に余裕がなくなってきている。ウェーク島はただの情報収集だが、準備をしっかり整えたのにミッドウェー海戦での失敗で大きく崩れ、今回もまた裏で指示したのに失敗した。

 加えてウェーク島の後は欧州提督に、ミッドウェー海戦の後はかの神と呼ばれた謎の存在に圧を掛けられたこともあり、彼のメンタルは知らないうちに大きくストレスを抱えてガタガタだった。

 彼にとっての癒しの時間であるはずの開発の時間も、まるで何かに迫られるかのように作業を進めているかのようで、癒しとは呼べないものになっているため、メンタルの回復にもなっていなかった。生前や深海提督の初期段階では、あんなにも楽しく作業をしていたのに、今ではその影もない。

 そんな時に、また失敗ともなれば爆発するのも無理はなかった。

 しかし失敗した要因の一つはトラックの援軍以外にも考えられる。それは、アンノウンや深海長門、そして口には出さないだろうが深海吹雪も気づいている。星司が深海翔鶴を渡す際に、彼女らが小さな反応を示した。

 あの時は星司の顔を立てるために、深海吹雪は何も言わずに受け取りはしたものの、断るべきだっただろうとアンノウンと深海長門は考えていた。

 空母を受け取るということは、その力を最大限に活かすために昼に戦いを仕掛けることになる。だが、拠点襲撃をするからには、夜に襲撃を仕掛けた方が効果的だろう。事実、ショートランド泊地とブイン基地を襲撃した際は、夜だった。

 敵に気づかれずに接近し、一気に艦砲で拠点を破壊していく。その方が作戦成功率が高い。だが深海翔鶴を受け取るのならば、せっかく作ってくれた先輩の顔を立てるために、深海翔鶴を活かせるような作戦で行動することになるため、夜の襲撃とはならない。

 また今回はトラックの援軍が入ったため失敗したが、これも夜ならば援軍到着時間も遅れただろう。トラックの偵察機が深海南方艦隊を見つけることができず、夜闇に紛れてパラオ泊地へと接近し、ショートランド泊地のように基地を破壊しつくし、香月たちは死亡していた。そのような結末も想定できる。

 全てはたらればの話だが、あり得ないことではない。しかしこれは星司が余計な提案をしたから崩れた未来。そのような哀れな報告をするのは忍びない。そのためアンノウンと深海長門は、狂う星司を何も言わずに見守るだけだった。

 

「ああ、残念だ……実に残念だよ。ここで死んでくれれば、少しは気が楽だったんだけどね。そうかそうか、台無しだ」

「トラック艦隊ハ、報告ヲ聞ク限リ、以前ヨリモ更ニ力ヲ付ケテイル。今マデニナイ技モ確認サレテイルラシイ」

「ああ、そう。そうかあ。じゃあ、しかたないな」

 

 ゆらりと立ち上がった星司は、しかたない、しかたないと呟きながら、コンソールを操作した。彼にとっての先の計画を映し出し、ぶつぶつと呟きながら、それに修正を加えていく。

 深海長門の正式な完成は変わらないが、それに伴う彼女の初陣の計画を中止させ、そこに付け加えたのが、

 

「――トラックには消えてもらうか」

 

 トラック泊地襲撃作戦である。

 それを耳にしたアンノウンは、にんまりと口を歪めて楽しげに笑いだす。大仰に拍手も加え、「ついにやるってのかあ! いいねいいねえ!」と頷き、

 

「じゃあ早速行こうじゃないの」

「まだだよ。今留守なんだろう? 誰もいない基地を襲撃したところで意味はない。少し時間を置き、気が緩み始めた頃合いを狙って、奇襲を仕掛ける。奴らを逃がさないためにも、包囲するだけの戦力も用意しておこうか。そこまで考えれば、うん、時間が必要だ。その期間を上手く使い、長門の完成なども加味して、年明け辺りに実行に移そう」

「年明けぇ? 結構待たされることになるねえ。でもそれだけの時間があれば、赤城、加賀、翔鶴と、少しは強化できそうかねえ。どうかな、赤城? これからボクと遊ぶか?」

「ワカッタ。ヨロシク頼ム。私ハモット強クナラナクチャイケナイカラ……」

「おうおう、その意気だ。そのスペック、より高めていこうじゃないの」

 

 そう言ってアンノウンは深海赤城と中間棲姫を連れ立って工廠を後にする。星司はまた作業に戻り、トラック襲撃作戦に向けてのプランを練っていく。その中でふと思い出した情報があった。

 トラック泊地の提督は、かの呉鎮守府の提督と友人関係にあったはずだ。凪についての情報にそれがあったことを思い出し、冷たい笑みを浮かべていく。

 

「そうだそうだ。海藤凪……君にとっての親友でもあったね。なら、長門に続いて親友にも喪ってもらうとしよう……ふふふ」

 

 知らず声とともに、暗い感情が漏れて出る。無言でずっと成り行きを見守っていた深海長門は、肘掛けに腕を乗せて頬杖をつきながら、ぽつりと「――危ういな」と呟く。その目には、ずっと星司の背中が映し出されている。彼女はずっと作業光景もそうだが、星司の様子も見続けていた。

 だからこそ感じ取れる。

 今の彼は、これまでとは違う何かが存在している。

 

(溜まりに溜まった鬱憤の爆発、力の流れ、果てへ繋がる……。かつての実験場故か、繋がりやすいともいえようか。無意識ならば、哀れなことだ。その終わりまでは、付き合いきれないな)

 

 呉鎮守府に対する妄執はわかりきっていることだが、それに加えて今回の作戦失敗に関する怒りなどの負の感情も付け加えられた。怒りのあまり、咆哮をあげた星司だが、その際に深海長門は別の何かも感じ取った。

 具体的にはこの拠点の頭上、多くの残骸が今も漂う周辺で、何かがざわついたのだ。それはまるで、星司の負の感情を伴う叫びに呼応したかのようだった。今までは緩やかに進行していた何かが、今回のことで大きく刺激されたと考えられる反応だった。

 星司としては今まで通りと言いたいところだろうが、深海長門にはわかる。以前よりもより深海に属する者らしく、負の感情に呑み込まれて変質してきている。生前の自分を思い出したことで、人らしくなりはしたが、それによって感情の機微も取り戻したことで、負の感情に呑まれやすくなったというべきか。

 人に近づくことで、より人外の存在へと堕ちていく、まさに負のループと言えよう。実に、実に哀れなことこの上ない。これでは彼の抱える夢とやらを叶えるのも難しいのではないだろうか。同情はするが、だからといって彼を救う義理は深海長門にはなかった。

 

(南方も今はソロモンか……ここも、向こうも危ういが……まあ良い。かつての終わりの下で過ごすよりはマシか)

 

 暗く閉ざされた記憶の彼方にある、かつての戦艦長門の終わり。今の彼女にとってもあまり思い出したくはない終わりではあるが、どのように迎えたのかは知っている。知っているからこそ、その現場でずっと過ごすのは、表面上では隠していても、彼女にとって不快な時間であることに違いはなかった。

 だからこそ感覚も少し鋭敏になっており、それを活かすことで変化を見て取れたともいえる。深海長門として完成された暁にはトラック襲撃作戦に参加することになるだろうが、その先については未定だろう。

 それに自分の中にも僅かな違和感はある。未だに取り除かれない長門の忘れ形見。深海長門にとってもそれは、奇妙な感覚として残り続けている。深海化したことで触れることは叶わないが、これについてもどうにかしなければならない問題となっている。

 全てはトラック襲撃作戦に委ねられる。今までの時間を無駄にしないためにも、星司などに気づかれないまま、その先に至らなくてはいけない。深海長門もまた、腹の中で静かに計画を練り続けていたのである。

 




これにて7章終了となります。

拙作の2部のスタートとなりましたが、それに伴って少しタイトルの付け方も変えてみました。
今回はそれぞれの先輩と後輩の様子、変化をピックアップしました。
凪と湊、茂樹と香月、そして星司と深海吹雪。
それぞれに触れつつ、14秋を超えていくこととなります。
14秋はゲーム的には渾作戦ですが、拙作ではラストのE4がパラオ沖なので、パラオ襲撃作戦として一つにまとめました。
ついでに14秋で思い出すのが某提督だったので、フィニッシャーが大井になる裏話。

次回は15冬、トラック泊地のあれですね。
放送されたため新規提督がたくさん入ったり、甲の呪いが始まったり、トラックが壊滅しただの言われたり、ついでに甲は主題歌が一種のトラウマ曲となってしまったり……ンンンン色々あったものです。

期間が空くことになりますが、投稿され始めたらよろしくお願いいたします。

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