横須賀鎮守府で過ごした夜、凪と湊は北条が主催する宴会に招待された。最初こそ凪はそこまでしてもらうわけにはと遠慮した。だが北条はぜひにと宴会を勧める。間宮だけではなく、伊良湖という艦娘も一緒になって料理を作っているようで、おもてなしの気合の入りようが違っていた。
「君たちには感謝の意を表したくてね、ぜひともお礼をさせてくれたまえ」
「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。私たちから演習をお願いしたのに」
「確かにそうだね。しかし先輩として胸を貸すつもりが、君たちからは色々と学ばせてもらっている。先輩後輩、年の差など関係ない。学ぶべきものがあるならば、誰からだろうと学ばねばなるまい。それに凪君、君からは明石のことに関してもお礼をせねばならない。だからこそ、こうして準備をさせてもらっているのだよ」
提督をやっている期間は北条の方がかなり長いが、しかし弾着観測射撃などの技術はまだ習得していない艦娘が多い。ミッドウェー海戦でもそこに差ができていたのは記憶に新しい。
それはやはりかつて日本海軍が二つの派閥に分かれており、二つの派閥の間でしっかりと技術などが共有されていなかったのが原因だ。それが取り払われた今、北条にも技術が伝わり、戦力強化へと繋がることとなる。
ミッドウェー海戦による変化は良くも悪くも様々な面に影響を与えた。伝聞や印象でしか図れなかった北条も、このような人柄だったとわかったこともあり、交流も進むようになったのも好影響となっている。
年上だとか、位が高いとか、そういったものを取り払い、学ぶ姿勢を忘れず、それを編み出し広めた凪たちに敬意を払う。そんな当たり前のような心構えをとる北条に、凪や湊も折れてしまい、せっかくならばと申し出を受けることにした。
そして夜、用意された料理と飲み物を前に、艦娘たちがそれぞれ談笑しながら頂く宴会が始まる。凪も湊と北条と席を共にしながら料理に舌鼓を打っていた。その中で北条は色々な話題を提供し、会話も行っていたが、湊は多くは相槌を打つに留められていた。
そしてふと、北条はワインを傾けた中で、思い出したように話し出す。
「そういえばこの間、サンディエゴのウィルソン提督と話したのだがね、どうやら深海の拠点を破壊したそうだが、耳にしているかね?」
「そのようですね。非常に興味深い話です」
その話に凪だけでなく湊も興味深そうに頷いた。深海の拠点というのは、発見報告は滅多にない。海中から姿を現すことが多い深海棲艦の拠点となると、海底にあると予測されているためだ。
人間にとって海中、深海は未知の世界だ。潜水艦の艦娘の登場により、捜索範囲は広がったものの、拠点発見の報告は相変わらず少なめだ。そんな状況は日本だけではなく、世界中で同様の状態になっている。
だからこそサンディエゴ艦隊が深海の拠点を破壊したという話は、十分に驚きに値するものだった。
北条から詳細な経緯を耳にし、凪と湊は考える。自然現象の霧の中に隠した拠点というポイントは、なるほどと頷けるものだ。それに加える形で深海の力という不可思議な要素を盛り込むことで、誰にも今まで見つけられずにいたというのも、まだ納得のいくものだ。
侵入者を迷わせ、自分の拠点を発見させない手法というのは古来より行われているもの。それをよもや深海勢力がやろうなど、考えつかないものだろう。だからこそウィルソン提督は霧に巻き込まれ、中々先に進めないという点に注目し、何とか切り抜けられないかという点で捜索を行い、そして尻尾を掴むことができたのだ。
「サンディエゴ艦隊が撃滅したのは、中部というよりはアメリカ側により近いものでしょうか」
「アラスカ近くまで行ったのならば、アメリカ側を担当する深海勢力と考えられるだろうね。少なくとも太平洋一帯を勢力下においている中部ではなさそうだ。深海側の認識はどういうものかは、私たちにはわからないがね」
となると、中部提督の拠点が潰れたわけではないだろう。太平洋ならどこに拠点を隠すかとなると、海底が有力候補になる。だからこそ今まで中部提督の拠点らしきものは発見できなかったのも頷ける。
ソロモン海域で活動再開したと思われる南方提督の拠点も気になるところだ。活動再開に伴って、どこかに隠れた拠点を築いている可能性が出てくる。恐らく深山や茂樹もそれを想定し、動くだろう。見つかることを願うばかりだ。
そして北方海域の北方提督は、先の戦いで姿を見せている。三笠と名乗り、自身も戦う存在であるということを示したことから、中部提督の美空星司と違い、深海棲艦から昇華した深海提督。その認識は共有されているが、目を掛けられている大湊の宮下は、未だに彼女の拠点を見つけられていない。
もしかするとアラスカで潰された拠点と同じく、どこかの霧の中などに隠している可能性があるかもしれない。あるいは流氷などの中に隠している可能性もある。その捜索は、宮下とロシア海軍に委ねられることになるだろう。
「何にせよアメリカ海軍は、攻められるばかりではなく、一矢報いたという事実に沸いているそうだよ。報せを受けたノーフォーク海軍基地も、気合を入れなおし、欧州方面で跋扈する深海勢力を撃滅せんとしているそうだ」
「欧州……厳しい状況が続いていると耳にしていますが」
「うむ。イギリス、フランス、ドイツ、そしてアメリカ東海岸のノーフォークと、多方面を相手にしているのに、未だに尻尾を掴ませず、戦線を維持しているばかりか、それぞれの港に対しても攻撃を仕掛けているという話だ。赤い海が欧州海域に広まって数年、未だに消えないのだから末恐ろしいよ」
赤い海は深海棲艦の力が満ちている証であり、常に深海棲艦にとって力を与え続ける環境といえる。かつての黎明期では欧州海域も優位性を取り戻したことはあったらしいが、数年前からはそれはなくなり、常に赤い海が大西洋一帯に留まることとなった。
まるで鮮血のような赤が広がる海を前に、欧州の人々の心は折れかけていたが、しかし東方の日本海軍が少しずつ戦果を挙げ、欧州との連絡線を繋いでくれたこと。またノーフォーク艦隊というアメリカ海軍の助力や、サンディエゴ艦隊やパールハーバーの戦力も太平洋などで抵抗し続けていることもあり、ここで欧州戦線が折れてどうするのかと奮戦したようだ。
その甲斐あって、シーソーゲームのような戦績を繋ぎ、それぞれの国の艦隊が補強しあうことで、何とか欧州の国は保たれているようである。
「欧州方面の状況はなかなかこちらには届かないがね、しかし最後に耳にしたものでいえば、状況はまた悪くなっているようだよ。こちらで見かけた新たなる深海棲艦も欧州に配備され、勢いづいているようだ」
「戦艦棲姫や空母棲姫などでしょうか?」
「恐らくはね。だがそれだけではない何かが、あそこにはいるらしい。霧の向こうから飛来してきたというエイの艦載機は、こちらでは見かけないだろう?」
「エイ? エイが飛んだの?」
確かにシルエット的には飛んで滑空しそうな感じがするが、そんなことはない。だがミッドウェー海戦では新たに白猫艦載機と呼称された、新型艦載機を飛ばしてきた。最初がカブトガニ、次が白猫の顔だけのようなものときて、欧州ではエイ。カブトガニから白猫は全くわからないが、エイへと繋がるのならまだわかるかもしれない。
「それを放った存在って、確認できていない感じなのかしら?」
「艦載機として攻撃してきたため空母型の何かだとは思われるが、はっきりとした報告はまだのようだね。少なくとも姫級の何か、あるいは北方の三笠のような深海提督の可能性もある。この場合は欧州提督となるのだろうかね」
何にせよ、太平洋の深海勢力が様々な新型を用意し、襲撃態勢を整えているように、欧州もまた戦いを経て戦力が強化されているということだろう。
そんな深海欧州艦隊に襲撃され続けているというのが現状。拠点も見つかっていないため、終わりの見えない戦いを続けている欧州戦線が、末恐ろしく感じられる。
「欧州やアメリカでは日常的になっている襲撃だが、ついに我々もかつてのように鎮守府襲撃が発生した。ソロモン海域でも活発化しているようだし、もしかすると以後も我々は深海勢力による襲撃を受ける可能性が出てきたかもしれない。それに備えるために、基地防衛のための設備などが検討され始めているようだよ」
「アメリカでは砲門が基地配備されていると耳にしましたが」
「そのようだね。加えて航空機も試作されつつあるようだ。純粋な人の兵器では通用しないため、妖精の力を借りた上での制作物なら通用する。そこに着目し、試運転されつつあるようだよ。試作から完成に至れば、基地防衛はより強化される。そこからの人類反撃の道が見えそうだと思わないかね」
空を往くのは空母から発艦される艦載機だけだが、ここに基地から発進される航空機も加われば、より人類側の攻撃の手が増やせる。より強力な武装を搭載し、超遠距離からの支援攻撃を望めるようになる。これによって新たな突破口が開ける可能性も出るだろう。
そのため、試作段階ではあるが、北条は近日中にアメリカへと赴き、技術交換を行う予定とのことだ。日本海軍からも提供できる技術を以てしての技術交換を行い、お互いの海軍をより発展させる見込みである。
と、色々なことを話したのだが、多くは当然というべきか、それぞれの鎮守府などの話になってしまう。せっかくの宴会だが、話題はこれらのことばかりになるのはやむなしだった。しかし凪と湊にとっては、国内のことだけでなく、アメリカや欧州の話というのは耳にする機会は少なく、北条から聞かされるのは新鮮だった。
そう思っていたところに、「いやはや、酒の勢いに任せて色々喋ってしまったね」と、またワインを傾けながら苦笑する。
「いえ、興味深い話でした。欧州方面はあまり知らなかったもので」
「そうかね。では話題を変えるとしようか。そうだねぇ……次は君たちのことについて聞かせてもらえるかな」
せっかくの宴会なのだから仕事に関する話はこれまでにし、少しプライベートに踏み込んだ話題へと切り替える。ミッドウェー海戦で知り合った間柄のため、お互いのことはまだよく知らない。
この機会にお互いをよく知り、距離を縮めていこうという北条の意思をくみ取り、凪も酒に口を濡らし、これまでのことを振り返りつつ、自分のことについて話し始める。湊はあまり自分のことは話したがらなかったが、それでも合間合間に少しずつ会話に混ざり、自己紹介する。
「ああ、かの海藤迅さんの息子さんだったのか」
「やはりご存じで?」
「そりゃあ当時は色々と有名人だったし、何ならうちの先々代の提督でもあったからねえ。……うちの派閥では目の敵にされていたがね。私個人としては純粋に尊敬に値する人物だった」
と、遠い目になったり、
「何だってそんなに手先が器用な息子さんに? 色々な事情が絡んでいたんだろうとは推測はできるが」
「趣味としか言えませんね。後は、煩わしいことを忘れて作業に集中できるからというのもありますか」
「趣味がここまで活かされるのもそうそうないだろうに。海藤迅さんといい、親子そろって何か持っているんじゃないのかい?」
「ああ、それはあたしも思いますね。凪先輩は何か持ってますよ。良くも悪くも」
「……悪い方だと思うんだがなあ……不吉なことが予測できるとか、そんなもの持っててもしょうがないと思うんだけどね」
「何それ詳しく」
と、趣味のことを突っ込まれたかと思いきや、虫の知らせについて目を光らせたり、
「湊君は何か話のタネになりそうなものは?」
「ありませんよそんなもの」
「…………」
「……先輩は何考えてんです?」
「いや、うん……やめとくわ。アカデミー時代の話ぐらいしか俺はタネとして浮かばなかったけど、これは……ねえ?」
「賢明ね。語りだしたら殴ってでも止めるわ」
「何それ詳し……おっと、やめておこう。私は止まれる男だ。次の話題にいこう」
尋常ではない雰囲気をした目に睨まれたことで、これ以上追及するのをやめておく。彼女にとってアカデミーでのエピソードはあまり触れられたくないものだろう。いくら酒の席とはいえ、いじっていいものと悪いものがある。
そこで「じゃあ今の湊君は?」と踏み込んでみると、「……あたしから離れません?」と視線を逸らしてしまう。凪も腕を組んであらぬ方を見やり、北条はどことなくこれは面白そうな匂いを感じ取った。
「ふむふむ、少しばかり興味が出てきたが、いいか。希望通り湊君には触れないでおこう。ではそうだねえ、ここで私の若い頃のことなど――」
と、この空気を変えるために自分のことを話しだす。ありがたいことだが、これは話が長くなりそうだと苦笑する凪。だが、こういうのも悪くはない。気を楽にし、余計なことを考えずに、誰かと飲み食いできる時間というのは大切だ。 湊も自分のことが触れられないならと、静かに舌鼓を打っている。
離れた席では、艦娘たちの笑い声が聞こえてくる。各々も戦いのことなどを忘れ、この何でもないような時間を楽しんでいる。それはきっと彼女たちによって安らぎを与えてくれるだろう。
美味しい食事と談笑が心のしこりをほぐしてくれるのは、人間と何も変わらない。この時間がきっと彼女たちにとって良いものになると願ってやまない凪だった。