呉鎮守府より   作:流星彗

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喪われたもの

 

 呉鎮守府に帰還し、まずは改めて長門をはじめとする犠牲者に対し、黙祷を捧げる。先のミッドウェー海戦の犠牲者は長門だけではなく、各鎮守府と大本営の艦娘もまた犠牲になっている。彼女たちの死を悼み、胸に刻み、我々はまた前へと進まなければならない。

 黙祷を終えると、今日から数日は休息期間とする旨を伝える。身体だけでなく、心もまた休みが必要だろう。遠征や訓練を休み、それぞれ英気を養うか、あるいは個人で死を悼み、気持ちの整理をつけるか。正式な訓練日は設けないが、自主練をする程度であれば構わないものとし、それらの選択を艦娘たちの自由とした。

 そう伝え終え、神通などの旗艦や、主力の艦娘などを残し、凪は新たな振り分けを伝える。

 

「主力艦隊旗艦に、山城を据える。これからは君が率いるように」

「……私、ですか? 私でよろしいのですか?」

「君だよ。俺はそう心配していない。君もまたみんなを率いるだけの力があると見ている。実力も申し分ない。……報告によると多少不安な点はあれど、しかし君以外に主力艦隊旗艦に合う誰かがいるかというと、今はいない」

「不安な点とは?」

 

 神通が問いかけると、報告書の一部分を指す。

 レ級エリートと対峙し、長門を沈められ、扶桑を沈められかけた際に、激昂状態となる。その際に怒りのあまり、蒼い燐光を発し、力が急上昇している現象が観測されている、とあった。

 そのことを山城自身に問いかけてみると、

 

「……確かに、あの時は頭に血が上っていたのは間違いありません。ですが、そういった現象を自覚していたかというと、わからないというのが正直なところです。大和が説明したような力の操作をしていた記憶もない。……自然に、私の怒りに呼応してそれが表れたとしか」

「うん、それが不安な点だね。艦娘としての力を無意識に操作していたのなら、何も問題はない。しかし君の怒りと、深海の影響下にあった海域と呼応し、深海の力を呼び覚ましていたとなれば、話は別だよ。この不可思議な現象を解き明かさないと、君だけではなく、他のメンバーも不安になる」

 

 だが、と凪は肩を竦める。「かといって、今の戦力で主力艦隊旗艦を他の誰に任せられるかというと、誰もいない」という結論に至る。

 大和は第二水上打撃部隊の旗艦、日向はそんな大和を補佐するために必要な存在だ。

 榛名と比叡はそれぞれ第一水上打撃部隊を任せているし、第三水上打撃部隊は育成中といえる扶桑や陸奥が所属している。動かしづらい。

 では空母として旗艦を任せるかというと、翔鶴と瑞鶴がいるが、どちらもペアとして動かしたい。後ろに控えるという意味で旗艦を任せられそうだが、今までずっと二人で動かしてきたということもあり、崩すのも忍びないところだった。

 

「だから不安な点はあるが、山城に任せる他ない。もう一人の枠は、現在検討中だ。この休息期間の間に答えを出すんで、待っていてほしい」

「……わかりました。では主力艦隊旗艦の命、謹んで請け負います。力に関しても、大和などと相談し、答えを探ってみます」

「うん、よろしく。……で、秘書艦は神通、君に任せる」

「承知しました」

 

 秘書艦に命じられた神通は恭しく胸に手を当てて礼を取る。元より神通は呉鎮守府にとって重要な位置に座していた。それに異を唱える艦娘は誰もおらず、秘書艦となった神通へと山城達もまた礼を取る。

 その後はそれぞれが提出したミッドウェー海戦における報告書について、再確認のための意見交換を行うことになった。現場にいた艦娘だからこそ感じられたもの、それらについて意識を共有していく。

 ウェーク島の戦いから数か月で、深海勢力もまた更なる力を手にしている。新型を生み出していくのもそうだが、深海棲艦としての力を振るった技術。それについて大和だけではなく、他の艦娘からの感想も求めた。

 空母棲姫が振るったもの、中間棲姫が振るったもの、そして戦艦棲姫が振るったもの。

 艦載機に纏わせた力、大和型の弾丸を一時的にでも防いだ力、弾丸に纏わせた力。

 さすがに艦載機の推進力を上げたと思われるハリケーンのようなものは再現できずとも、防御の力と弾速を上げる力は再現できるだろうと考える。実際それは、本土防衛戦において大和が行使している。

 やはり彼女に師事を求めて、他の艦娘も使えるようにしておくと、これからの戦いで頼れる技術になるに違いない。

 ただ今はこれくらいにしておき、後は神通たちも休むように伝え、今日は解散となった。

 

「私も退出してよろしいのですか?」

「かまわないよ。君も、ゆっくり休むといい。おつかれさま。この機会に、溜め込んだものを十分に吐き出しておいで」

「……はい、失礼します」

 

 恐らく神通も立場上、感情の発露はしていないだろうと凪は考えた。彼女の性格を考えればあり得ないことではない。たぶん神通と親しい艦娘もまた、察しているだろう。この機会を逃せば、また溜め込んだまま放置され、どこかで爆発する可能性がある。それは避けたい。

 だからこそ念を押すように伝え、神通を見送った。

 

「…………ふぅ」

 

 大きく息をついて天井を見上げる。誰もいなくなった執務室に、ただ何も考えずにぼうっと過ごすのは、恐らく初めての事だろう。神通も大淀もいない、秘書艦だった長門もいない。

 真っ白な思考の中、ぼんやりと頭に浮かびあがるのはこの一年の出来事。

 不本意ながら命じられた呉鎮守府所属。南方から生き残ってきた長門と神通。そして補佐の大淀から始まった凪の提督の歩み。初めての建造から生まれた夕立など、初期からいた艦娘もいるが、様々な場面で支えてきたのは、やはり長門、神通、大淀といえる。

 業務では大淀に、身の回りは神通に、そして力強さで支えてもらい、艦娘たちをまとめ上げたのが長門だ。でも彼女はその頼もしさだけではない。時折覗かせる女性らしさもまた、彼女の魅力でもあった。

 提督として過ごしてきた日常の中に、確かに長門は存在していた。なくてはならない呉の柱だったが、凪にとっての精神の二柱の一角でもあった。それが喪われたことに、一人で過ごすことで、じわりじわりと凪に現実感を与えてくる。

 不意に、いつかの夢を思い出す。

 顔も声もわからなかったが、深海へと引きずり込まれていく誰か。あれは長門が喪われるという暗示だったのだろうか。だが何もわからなかったのだから、仮に長門ではなく別の誰かだったとしても、あれはその誰かだったのかと疑問点が変わるだけに過ぎない。

 そう、結局長門が生き残ったとしても、他の誰かが喪われていた可能性もある。そうなった場合でも、恐らく自分はこのような状態になっていたに違いない。

 親しい人が喪われる。その喪失感は慣れたものではない。他人が苦手な自分にとって、親しい人は限られる。その分、凪にとって親しい人とは、綿密な関係を築く。艦娘でなくとも、茂樹が亡くなったら、このように悲しみを深く刻み込まれるに違いなかった。

 

(…………はっ、できてないじゃないか……自分が)

 

 大和にあんな言葉を言っておきながら、当の自分が前に進めそうにないことを自嘲する。提督になる以上、艦娘がどこかの戦いで轟沈する覚悟は決めていた。そのことに嘘はない。だがこうして初の喪失艦を出してしまった今、その覚悟は完璧ではなかったことが浮き彫りになった。

 この悲しみを噛みしめ、前に進むことの難しさよ。初めて喪ったからだろうか。それとも覚悟が足りなかったのか。こんなにも大きな傷になるなんて思いもしなかった。

 ぽっかりと胸に穴が開き、頭が真っ白になる感覚。その中で浮かんでは消えていく思い出。こんな傷を、これから先、もしも他の誰かが喪われるたびに繰り返されるのならば、なんて、なんて辛いことなのか。そうした不安すら浮かび上がってくる。

 恐怖、悲しみ、痛み、様々なものがじくじくと頭と胸をかき乱す。そんな中において、凪は、ただ瞑目して、これらの感情を何とか鎮めようとして、

 

「――――……?」

 

 不意に、外が真っ暗なことに気づいた。

 何となく、このまま堂々巡りのままではいけないと、目を開けて窓の外を見れば、ぽつぽつと街灯の明かりが付いているだけで、真っ暗な闇が広がっていた。時計を見れば深夜という時間帯。

 そんな馬鹿な、さっき艦娘たちを帰したばかりではないのか? と疑問が浮かぶが、事実時計は深夜を指し、外は暗闇である。嘘だろと、椅子から立ち上がろうとして、がくんと床に倒れ伏してしまった。

 長時間座りっぱなしで、足が痺れていたらしい。身体もバキバキに固まってしまっており、足に力が入らないまま立ち上がることができず、だらしなく床で伸びているだけの状態となってしまった。

 なんと無様な姿だろう。時間の感覚も忘れるほどに茫然自失としていたなんて。

 しばらくうつぶせの体勢のまま時間を過ごし、呼吸を整え、何とか足に力が入るようになったところで、ゆっくりと立ち上がる。力が抜けて倒れたことで、床に体や腕を打ち付けて痛めてしまったが、これくらいは大丈夫そうだった。

 とりあえず風呂に入ろう。

 そして、頭を何とか切り替えよう。

 そう思って、重い足取りで執務室を後にした。

 

 

 寝た感覚があまりない。

 朝を迎えた凪が思ったのは、その言葉に尽きる。何とかゆっくりと風呂を済ませ、ベッドに入ったのだが、瞼を閉じていたら、気づけば朝になっていたようなものだ。意識が落ちたような記憶はなく、ただ時間が過ぎただけでしかない。

 もしかしなくてもまずいのではないだろうか。この状態が数日続くようなら、艦娘たちの休み明けがどうなるか、わかったものではない。下手をすれば作業中にミスを犯してしまう。

 寝ていないせいか頭も重く感じるし、身体も思うように動いている感じがしない。明らかに体調不良だ。精神的な不調から身体にまで異常をきたしている。だが、これを治すために寝ようとしても眠れなければどうにもならない。睡眠薬でも処方してもらい、無理にでも寝るべきだろうか。

 そんなことを考えながら、近くにあるデスクに置いてあるパソコンの電源を入れる。備え付けの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、ゆっくり口に含んでいく。

 水分が体に染み渡るのを実感しつつ、茂樹に通話しようかと、ふと思い立った。自分より一年長く提督をしているのだ。もしかすると、艦娘の誰かを喪った経験があるかもしれない。いや、こういう経験はするものではないが、していてもしていなくても、何らかの助言をもらいたい心境だった。

 そんなことを考えて茂樹に連絡を入れようとしたのだが、それより先に誰かから通話が求められる。相手を確認してみると、意外なことに湊からだった。どうしたのだろうと首を傾げつつ、拒否する理由もなかったので通話に出る。

 

「おはようございます。突然の通話、すみません」

「いや、かまわないよ。それで、どうしたのかな?」

「ええ、少し――――ん?」

 

 と、画面の向こう側で湊が目を細めながら首を傾げる。ずいっとカメラの方へと顔を近づけ、無言で指で凪もカメラに近づけ、とでも言いたげに何度か促してきた。困惑しつつもそっとカメラに近づくと、

 

「――ひどいわね、あんた」

「ひどいとは?」

「昨日、寝たの?」

「…………寝た気がしないね。ベッドには入ったけど」

「そう。わかった、じゃあこれからそっち行くから」

「…………え?」

「拒否するな、逃げるな。あたしらが行くまで、もう一回ベッドに入るなりして休め。いいわね?」

 

 有無を言わさないかのように指で示しながら言い切ると、すぐに通話が切れて、呆然としたような顔をした凪が、うっすらとモニターに映る。あまりにも早い展開に頭が追いついていなかった。

 恐らく自分の顔を見て、湊はああいうことを言ったのだろうということだけは察した。それほどひどいのだろうか、と洗面所に向かい、鏡を見てみたのだが、

 

「……はっ、こりゃひでえ」

 

 自分でも笑ってしまうくらいに、ひどいものだった。目にはクマがあり、表情からして死んでいる。生気をあまり感じない、今まで自分でも見たことがないくらいにひどい面構えをした凪がそこに映っていた。

 




足の痺れとかで、立ち上がっても力が全然入らず、
踏ん張ることもできないまま崩れ落ちる時って、自分でも何が起きたのかわからないやつです。
じんわりと打ち付けた痛みが広がって、立とうとしても全然立てずに、
しばらく呆然と床に倒れたままになってしまいます(経験談)

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