呉鎮守府より   作:流星彗

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北方提督

 

 アリューシャン列島を目指す二隻の指揮艦。一定の周期で偵察機を出し、進路に深海棲艦がいないかの確認を行いながらの進軍だった。だが、移動の間、一隻も出会うことはない。驚くくらいに安全な移動に、宮下は違和感を覚えていた。

 こういった作戦の際には、艦娘を邪魔するべくどこからか深海棲艦が襲い掛かってくるものだ。それは基地型の深海棲艦との戦闘記録でも確認されている。飛行場姫との戦いや港湾棲姫との戦い、離島棲鬼の時でも長門たちを通しはしたが、ヲ級改率いる艦隊が立ちはだかっていた。

 しかし今回はそれがない。偵察機の一部は間もなくアリューシャン列島が視認できるほどにまで接近しているのだが、それまでの航路には深海棲艦の艦隊が布陣されていない。

 まるでこちらをアリューシャン列島まで招いているかのようだ。進行を邪魔する気はなく、アリューシャン列島での決戦を望んでいるような意図が感じられる。

 それが、とても不気味に思える宮下だった。

 

「……どう見る? 鳳翔?」

「今まででしたらあり得ないことでしょう。深海棲艦は艦娘の気配を感じ取れば、すぐさま現れては戦いを挑んでくるもの。拠点へと接近されれば、そうはさせまいと止めにくるもの。そういった異形の存在だったはずです。しかし、それがないとなれば、異質に感じられるのも無理ありません」

「でしょうね。良かった、わたしと意見が一致して。では、そうまでしてわたしたちを招き入れる理由を考えるとなれば?」

「一つ理由を挙げるとするならば、アリューシャンの拠点で待ち構え、私たちを引き付けるつもりではないかと。途中でミッドウェーの部隊と合流を許さず、各個撃破を目論んでいるのか、あるいは――」

「――ただの時間稼ぎか。わたしたちを引き付け、押し留め、どこにも行かせまいとするのか。どちらにせよ、向こうとしては絶対にアリューシャンに来てほしいという意図があるのは間違いないでしょうね」

 

 話している間に、偵察機がアリューシャン列島の一つ、ウラナスカ島へと到達する。上空から見下ろした光景は、なかなかに壮観なものが広がっている。

 深海棲艦が規模の大きい艦隊を組む際には、決まって赤い海が周辺に広がっているが、ウラナスカ島でもそれは変わることはない。そしてウラナスカ島の前面に深海棲艦が多数存在している。どうやら宮下たちを出迎える準備は万全といった風だろう。戦艦ル級や空母ヲ級もいる中で、見慣れない深海棲艦がいることに気づく。偵察機から送られてくる光景を見つめていた宮下はそれに気づき、拡大を指示した。

 北方提督が新たに作り上げた軽巡級の深海棲艦だ。それがヲ級の近くに配置されている。

 

「新しい量産型でしょうか。手のあれは……対空砲かしら。重巡ってなりではありませんね。軽巡、それも防空意識の高い軽巡ですか。今はソまでいっていましたから、ツ級と呼称しましょうか」

 

 新しい量産型として、軽巡ツ級とデータに打ち込みつつ、偵察機からの情報を渡辺へと送信し、共有する。さらに偵察機はウラナスカ島にいるものへと視点を切り替える。

 そこには小さな白い少女が遊んでいるように見えた。艤装もまた小さいし、黒い球体が少女の近くにふわふわと浮いている。

 当の少女は、手にしている艦載機らしきものを、自分の手で飛んでいるかのように動かして遊んでいるようだ。いわゆる小さな子供が、おもちゃのプラモデルを使ってブンドドしているのである。その様子をまるで黒い球体が見守っているかのようだ。

 黒い球体は離島棲鬼でも見られたタイプの護衛要塞だろうか。角のような、耳のような、そんな小さな突起が頭頂部に一対生やし、球体の下部の大部分を占める大きな口が特徴的だ。

 そして白い少女は上から下まで白く、色合いでいえば飛行場姫や港湾棲姫に近い。頭に黒く小さな角が一対、白いワンピースにミトンのような手袋をしている。頭からはぴょんとアホ毛のようなものが小さく跳ね、くりくりとした赤い瞳が、ブンドドしている艦載機に向けられている。

 

「子供ですね」

「ええ、子供にしか見えないですね。あれが目標でしょうか」

 

 前例の基地型深海棲艦と照らし合わせるなら、あれがアリューシャン列島のウラナスカ島に築かれたダッチハーバーの深海棲艦と考えられる。近くにある艤装も砲門だけではなく、滑走路が付いているし、クレーンのようなものもある。

 偵察機から観測したデータによれば、姫級に該当する力を有しているとのことだった。ここ一帯が北方海域に指定されている点から見て、あの少女を「北方棲姫」と呼称することとした。

 そしてもう一つ、気になる点がある。それは北方棲姫を見守っているのは黒い護衛要塞だけではないということだ。

 少し離れたところに、フードを被った誰かが座っており、静かに北方棲姫が遊んでいる様を見守っているのだ。フードで顔がわからず、体もフードからつながるマントで覆われていて判別がつかない。

 何より北方棲姫は観測できたが、この謎の人物は観測しようにも結果がブレていて定まらないのだ。しっかりとした焦点に合わせようにも、その焦点すら定まらず、霧の中を覗いているかのように何もかもが覆い隠されているのである。

 ふと、その何者かは北方棲姫から視線を外し、空を見上げる。どこまでも広がる青い空、点にしか見えない偵察機を、それはじっと見上げていた。

 

「――来たか。さあ、遊びの時間は終わりだ、童女。客人だ」

 

 立ち上がったその人物は北方棲姫に声をかけると、彼女もまたその人物に合わせるように空を見上げる。左手で庇を作り、じっと見上げればようやく偵察機が見えたようで、ぐっと左手を握り締めて気合を入れたようだ。

 艤装の二つの顔も声を上げ、北方棲姫へと跳ねながら近づき、装着される。彼女の戦闘準備が整うと、小さく頷いたその人物は「さて、大湊に舞鶴だったか」と呟きつつ、陸地から海へと歩みを進める。

 立ち上がったその姿も、小柄だということに宮下は驚きを見せる。そして彼女もまたじっとモニターに映るその人物を見つめるのだが、深海棲艦の魂を視るその目を以ってしても、はっきりとはわからなかった。

 モニター越しでもある程度の魂を確認できるのだが、その人物はよく視えない。偵察機の妖精と同様、何かが観測を邪魔している。

 

「来るがいい、二つの鎮守府の提督よ。我らはここにいる。ここで汝たちを出迎えよう。ミッドウェーの敗北を塗り替えると云うのだろう? 果たしてそれが、実現できるのか、試すがいい」

 

 偵察機の妖精にはその言葉が届かないが、何かを喋り、歓迎するかのように手を広げていることはわかった。敵は迎え撃つ態勢が整っているから逃げるようなことはしない。

 そして敵の艦隊があそこだけとは限らない。自分たちが来ていることが分かったならば、潜ませている艦隊に指示を出す可能性も捨てきれない。

 

「鳳翔。指揮艦周りに偵察機を改めて展開。伏兵を探ってください。二水戦、三水戦は対潜警戒で出撃を。主力、一航戦、一水戦は出撃準備。いつでも出られるようにしてください」

 

 判断し、命令を下す流れが素早い。宮下の命令を受けた鳳翔と、通信の向こうで待機していた艦娘たちが返事をすると、一斉に動き出した。また渡辺に対しても偵察機の状況と、彼女の判断を伝える。

 それを受けた渡辺も特に反対することなく、向こうでも甲板から対潜部隊が出撃し、展開していった。

 偵察機でウラナスカ島に艦隊が集まっているというのを見せた上で、伏兵による奇襲で沈めてくる。そういった可能性を考慮しての指示だったが、どういうわけかそれすらもないまま、ウラナスカ島を目前といった距離まで近づくことができた。

 あまりにも、あまりにも平穏すぎる。こちらの接近をおとなしく許すなど、向こうは一体何を考えているのか。不気味すぎて宮下は色々な面を疑ってかかってしまう。

 

「おかしいと思わないのです、渡辺? あの深海棲艦がここまで何もしてこないという事実に」

「確かに異質だろう。だがそれがどうしたというのか? それでも我々がやることは変わらない。逃げ場のない獲物を、ことごとく狩りつくすだけだ。例え敵が進行を阻んだとしても、その全てを沈めただろう。数でいえば、どこで沈めても変わらん。ならばやることは一つである。全力で敵を沈める。全てだ。よもやここまできて臆したのではあるまいな、宮下?」

「…………いいえ。そちらがそう判断したのであれば、わたしもそれに続くとしましょう」

 

 確かに変わらない。

 道中で遭遇したとしても、こちらはその全てを倒すだけ。それは間違いない。

 戦力を小出しにせず、最初から全力で潰しにかかってくるということも意味しているだろう。敵は背水ならぬ、背陸の構えでこちらを迎え撃つ態勢。加えてその陸には基地型の姫級だ。万全の状態であることは間違いない。

 そして謎の人物がいるという点も気になる。あれがまた別の新たなる姫級ならば、この戦い今までにないようなものになるだろう。

 

「鳳翔、出撃してください。くれぐれも油断せず、用心しつつ戦闘を。気になる点があれば報告を。わたしからも何か気づけば伝えましょう」

「承知しました。行って参ります」

 

 甲板にいた鳳翔が了承すると、その脇に控えていた主力艦隊も戦闘態勢に入り、海へと飛び降りていく。その間にも宮下は複数のモニターに映る光景を見つめていた。指揮艦の艦橋の窓からも、遠くに見えるウラナスカ島が見えるようにはなっているが、上空からの艦載機が映し出す光景の方が鮮明だ。

 敵側も指揮艦の存在がより近くなっていることはわかっているだろうに、まだ展開されている艦隊を動かす気配がない。だがヲ級やヌ級、そして北方棲姫は違う。次々と艦載機を発艦させ、ウラナスカ島の上空へと展開し始めた。

 しかもその艦載機は今までのものとはタイプが違う。白い球体に耳のような角のような突起が一対。あの黒い護衛要塞に近いような形だ。拡大してよくよく見てみると、機械質ではあるが、白い猫のように見えなくもない。あの新型の艦載機は白猫型艦載機とでも言おうか。

 装備しているものから見て、艦戦、艦爆、艦攻の全てが揃っている。恐らくこの作戦に向けて、新型の艦載機を開発していたのだろうと推測できる。よもや新型の深海棲艦だけでなく、装備まで生み出すとは。この計画を立てた者は、よほどこの戦いに全てを懸けたとみえる。

 そしてフードを被っている何者かが、その手に刀らしきものを握り締める。左手で柄を弾き、そして納刀する。静かに響く音は、深海棲艦たちを黙らせ、ただ波が寄せる音と、艦載機の飛行音だけが、その一帯を支配した。

 その中で、それはよく通る声で告げる。

 

「――この海に集いし精鋭たちよ。見るがいい、かつての海戦の再来を演じるあの小僧の計画に、まんまと二つの艦隊が首を揃えてお出ましだ。片や大湊、我らが幾たびも相対した敵だ。ならば手の内は理解していよう。片や舞鶴、時たま相手にすることがあったか。我らを獲物としか見ぬ輩よ」

 

 よく通る声は宮下が派遣した艦載機にも届き、そしてそれをモニター越しに見ていた宮下にも届く。深海棲艦にあるまじき、滑らかな人の言葉を、少女のような、あるいは歳を重ねたような人が持つ風格を孕んだ声が聞こえてくることに、宮下は小さく息をのむ。

 

「聞こえていよう? 大湊と舞鶴の人間よ。我がこのように人の言の葉を解し、なおかつ円滑に紡ぐ様は、汝らにとっては想定外の事柄であろう。だが、これは現実である。我はこうして、汝らの前に姿を見せた。これは些か予定外ではあるが、しかしいずれ訪れる事態。それが少々早まっただけのことだ。我はいずれ、汝たちと矛を交える気ではあったからな。特に大湊、汝との決着はつけねばならない事柄故に」

 

 艦載機を見上げながら、その人物は言葉を続ける。艦載機を通じて、宮下と渡辺が自分たちを見下ろしていることを理解した上で、彼女は言葉を発しているのだ。そのことに渡辺は不可解なものを見るかのような眼差しで見つめている。

 どうして深海棲艦がこのような言葉を発するのか。深海棲艦をただの狩る獲物としか捉えていない西守派閥に属する提督は、こういった情報を共有していない。そのため初めての体験に、静かに困惑を重ねるしかない。

 だが宮下は凪から話を耳にしている。このようなことを話してくるということは、ただの深海棲艦ではない。それでいて展開している深海棲艦をまとめるような立場を思わせるような立ち位置、振る舞いを考えれば、該当するのは一つしかないだろう。

 

「そう、お前がそうなのですね。わたしと何度か艦隊をぶつけあった相手――」

「――我は汝らが北方海域と呼ぶ一帯を管轄する者。我が出撃するのだ、少々楽しませてもらうとしよう。皆の衆、戦の時である! 各員、奮励努力し、我らが艦隊の力をここに示すが良い! 北に潜みし(つわもの)どもの脅威というものを、奴らの脳裏に改めて刻み付けよ!」

 

 高らかに声を張り上げ、檄を飛ばせば、深海棲艦たちは一斉に声を張り上げ咆哮する。幾多もの声がその一帯に響き渡り、相乗して風を産む。その風にあおられ、不意にそのフードが捲れてしまった。

 下から現れたのは深海棲艦らしい肌を持つ、黒髪の少女だ。理性的で、気が強そうな瞳には、紺色のオーラが両目から発せられている。中性的で整った顔つきは、まさに上に立つ者を思わせるような風格を備え、それが少女らしい見た目とのアンバランスさを産んでいるのだが、どうにもそれが様になっているようにも感じられた。

 マントの下には黒をはじめとする暗い色を基調とした和装。紺色の袴にブーツと、どこか一時代の女子学生の服装を思わせる。これらを着こなしているのもまた、彼女の風格や気品を感じさせる。

 体が小さくとも、その佇まいと雰囲気がそう思わせるのだ。見た目が少女でしかない存在でも、彼女は確かに群集、いや軍隊の上に立つ資格を得た女性。刀を携え、マントをなびかせ、司令官のように号令を発し、味方全体を奮い立たせる。

 深海棲艦という無数の艦船の中で、彼女こそが艦隊旗艦であると疑う余地もない在り方に、宮下は改めて彼女こそが北方提督であると確信を得る。

 

「北方提督、あれを倒してこそ、わたしにとっては真なる勝利といってもいいでしょう。未だに能力などが計れないのが気にかかりますが、しかしあれも目標に加えてください。ですが気を付けて、深海の提督直々の号令を受けた艦隊です。どれだけの戦力上昇が起きたのか、それが不安要素。落ち着いて処理しつつ、前進を」

 

 艦娘たちに指示を出しながら、改めて北方提督を見つめる。相変わらずはっきりとは視えないが、しかし深海提督なら妖精の計測に引っ掛かりづらいのは何となく頷ける。

 妖精の計測はあくまでも深海棲艦の能力を計る力だ。海で死んだ人の亡霊の力を計るものではない。そして宮下の目も死んだ後に蘇ってきた亡霊を視たことはない。前例がないのだから上手く視ることができないのも頷ける。

 と、宮下は考えているのだが、実際にはそれらとも少し違うのが北方提督だった。それを知ることはなく、警戒心をあらわにしながら宮下は戦場を見つめる。

 北方提督もまた、宮下が自分を侮ることはないだろうと勘づきながらも、戦闘態勢を取っていく部下たちを見守る。

 今ここに、ウラナスカ島の戦いが始まるのだった。

 


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