彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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女神の美食5

 確かに、昨日はお肉をたんまりと食べた。

 あの時のステーキは正に絶品の一言に尽きる。適度に乗った脂身からじんわりと広がる甘さ、食欲を増進する肉汁の濃厚さ、頭の中から理性を押し退けてしまう香り……全てが最高だったと今でも言える。我ながらよくぞあそこまで肉の旨みを引き立てられたものだと、普段は卑屈で後ろ向きな花中であっても誇らしく思える一品だった。

 しかしながら、ではそれで花中の嗜好が変わったかといえばそんな事もない。

 昨日ステーキを食べたのは、そういう気分だったからである。そして「お肉食べたい」欲求は、昨日がっつりと肉を食べた事ですっかり発散されていた。今の花中は平常通り。お野菜お魚お芋が好きな、年頃の女の子である。育ち盛りとはいえ毎日肉ばかり欲している訳ではないのだ。ぶっちゃけ今日はそんなにお肉を食べたくない。

 ましてや昼の十一時をちょっと過ぎたばかりのこの時間に、昨日のステーキの二倍は分厚い特大ステーキなどお腹に入る筈もなく。

「さぁ、花中ちゃん! 今日はわたくしの奢りですわ! たっくさん食べてくださって!」

 目の前でニコニコと嬉しそうに笑う大月からの『もてなし』に、花中は引き攣った笑みを返すのが精いっぱいだった。

 大月に連れてこられたのは、駅前にあるステーキ店。最近オープンした店らしく、店内にある全ての……例えば壁紙だったり、机だったり、椅子だったり……ものが真新しい。古い店が嫌という事はないが、新品に囲まれると気分は悪くない。店員に案内されたのは四人掛けのテーブル席で、すぐ隣に座るのは大好きなフィア。斜め前には大月が居て、真っ正面にはミリオンが座っている。友達に囲まれる形であり、フレンドリーな感じがして実に楽しい。

 尤も、その程度の高揚感で重量四百グラム ― メニューに記載されていた ― の肉を平らげられるほど、花中は大食漢ではないのだが。熱々の鉄板の上に乗せられたステーキはじゅうじゅうと肉汁を沸騰させ、涎の出てくる音を鳴り響かせる。ホカホカと漂う湯気と共にやってくる芳醇な肉の香りは、率直に言って魅力的だ。間違いなくこのステーキは美味である。

 ただ、ぎっとりとした脂身と、肉らしさ満天の見た目が、理性的な意味での食欲を妨げる。

 それでも花中は人類であり、本気で食べようと思えば食べる気にはなれる。『動物はあなたのごはんじゃない』とのキャッチコピーは聞いた事があるが、消化・吸収が出来る時点で牛肉は人類にとって食物だ。良質なタンパク源であり、適度な摂取が推奨される。

 しかしながらフナやウイルスにとってはどうなのか?

「私牛肉って食べた事ないのですけど大丈夫ですかね」

「毒ではないと思うわよ。お腹は下すかもだけど」

 当然のように、フィア達の前にもステーキは置かれていた。同じく鉄板の上で、じゅうじゅうと肉汁を沸騰させながら芳醇な香りを漂わせている。花中と違い、彼女達はこの肉を見たところで本能・理性のどちらの食欲も刺激されていない様子だが。

 まるでお葬式のように静まり返り、一人と二匹は焼き立てのステーキを眺めるばかり。

「あら? どうしましたの?」

 そんな中、一人だけ上機嫌な大月が首を傾げた。

 これにはフィアやミリオンのみならず、花中もジト目で見つめて批難する。

 どうしたもこうしたも来るや否やメニューも見ずに四人分のステーキを注文したあなたの所為でしょ、と。

「んん~……この香り、ああ、やっぱり堪りませんわ……わたくし、もう我慢出来ませんっ!」

 されど大月、全く堪えず。既に目の前のステーキしか見えていないようで、言うが早いかナイフとフォークを構えていた。そして皆が食器を掴むのを待たず、目の前のステーキにフォークを突き刺す。

 当然その後はナイフで切り分けるのだが……大きい。一切れのサイズがやたらデカい。大人の男性でもあの大きさの肉を口に含むのは躊躇すると、花中にだって分かるぐらい巨大だ。

「いただきます」

 しかしぽそりと口から漏らした、感情のこもったこの言葉が、大月の()()()を物語る。

 片手で髪を掻き上げながら、大月はぱっくりと口を広げた。それは淑女らしからぬ大口で、されど落ち着き払った動きが気品を漂わせる。巨大な筈の肉は吸い込まれるように、否、自ら跳び込むかのように、大月の口にあっさりと収まってしまう。もぐ、もぐ……と、ゆっくりと噛み締める動きは、食感を存分に堪能している事が見ているだけで分かった。いや、それだけではない。静かで正確な動きにより、肉の切れ端から肉汁が落ちる間もなく口に入っている。大きく切り分けた事で結果的に切断面の総面積は小さくなり、皿の上で無駄に広がる肉汁の量はほんの僅か。汁の一滴すら余さず頂こうとする一挙手一投足には、食材への敬意すら感じ取れた。

 料理を食べて、美味しいという人の顔は色々見てきた。だが大月ほど、心から料理を楽しんでいる人は見た事がない。黙々と食べ物が跳び込んでいく口はなんの言葉も発しないが、故にこう訴えているかのようだ。

 食べる時は食べ物にだけ集中しろ――――それが糧となった命への礼儀だ、と。

「花中さーんこのお肉どうしたら……花中さん?」

 フィアが何やら話しているが、花中の耳はそれを捉えない。

 『合理的』に考えれば、この肉となった牛は精肉される前には死んでいる。おまけに四百グラムの肉など、出荷されるまで育った牛の体重からすればほんの一パーセントにも満たない僅かな量だ。いや、そもそも肉と言ってもタンパク質などの物質の塊。燃やせば水と二酸化炭素、その他元素に分解され、大気の一部となって生態系の循環に戻っていく。花中が食べても、微生物によって分解されても、最終的な結果は変わらない。だからここで花中がステーキに一切手を付けず丸々残したとしても、『牛の命が無駄になる』なんてのは感情の話でしかない訳だ。

 つまりは、今この胸に渦巻く感情……『命を無駄にしたくない』という想いは自己満足だ。

 それを分かった上で、花中はテーブルに置かれている食器入れに手を伸ばす。掴んだナイフとフォークを両手に握り締め、花中は荒々しく鼻息を吐いた。

「……いただきますっ!」

 そして勇んだ声を出してから、ずぶりと目の前のステーキにフォークを突き刺す。

 手に伝わる、命があったものの重み。

 ナイフで切り分け、一口大にしたら思い切って頬張る。無意識に何時もより大きめに切っていた肉の塊は、花中の弱々しい顎の力を押し返してくるほど弾力があった。どうにか噛み潰せば、弾けるように肉汁が溢れ出す。その勢いの強さたるや、まるで命が脈動しているかのよう。

 そんなつもりはなかった、とはいくらでも言える。

 だが飽食の時代に浸っていたからだろうか。自分の口にしているものが、命を奪って作られたものであるという事をすっかり失念していた。勿論食べ物を粗末にはしていないが、自分の心持ちが正しかったとは思えない。十分に感謝していたなんて、この『牛』を前にしては口が裂けても言えないだろう。

 だけど今は違う。

 例え、牛には花中の言葉が理解出来ないとしても。例え恨まれても、憎まれても、胸を張れるように。

 花中は目の前の肉を食べ進めるのだった。

 ……………

 ………

 …

 尤も、そんな心持ち一つで食べ切れるなら最初から躊躇なんてしない訳で。

「……ぐぇっぷ」

 鉄板の上に残る半分ぐらいしか減っていないステーキ肉を見ながら、花中は顔が青くなるほどの満腹感を覚えてしまった。重さ四百グラムの半分は約二百グラム。昨日食べたステーキは百グラムなのだから、これでも昨日の倍近くは食べたのだが……

「正直これ以上は無理です」

 フィアに至っては、やはり本来の食性と全く噛み合っていないからか。一口 ― それも人間の、ではなく『フナ』にとっての ― 程度減っただけで、丸々残っている有り様である。ミリオンの方は今も黙々とステーキを口に運んでいるが、彼女にはそもそも胃も腸も味覚もなく、食べたというより『格納』したと言うべきだろう。後でそのまま排出するのか、それとも焼却するのか。

 唯一、本当に完食していたのは大月だけ。

 彼女は花中が音を上げた頃にはぺろりとステーキを平らげ、舌舐めずりをしていた。鉄板の上には肉の一欠片、付け合わせの野菜の切れ端すら残っていない。精々店側が掛けたソースと、肉の断面から溢れた僅かな肉汁ぐらいだ。

「店員さーん、すみませーん。ご飯の大盛りを頂けますかー?」

 いや、大月はそんな『カス』すら残すつもりはないらしい。

 注文してすぐに運ばれてきた山盛りのライスを受け取るや、大月はその米を鉄板の上に移した。続いてスプーンを使い満遍なくライスを広げていく。

 ホカホカのお米は鉄板の上にあるソースと肉汁を吸い、味が染み込んでいく。その米を、大月は肉の時と同じく真摯に向き合いながら食べ始めた。

 米とて命の一つ。むしろ奪った『数』では遥かに上回る。しかし動物と植物だからか、今の花中でもそこまで真剣に向き合えないだろう。米も牛も区別なく没頭する大月の姿に、花中は彼女の心の広さを知った気がした。

 ついでに、四百グラムの肉だけでなく大盛りのライスも平らげる胃の広さも。

「はふぅ。大変美味しゅうございました……あら? 皆様、まだ食べてますの?」

 ついにはライスも食べ尽くした大月は、今になって花中とフィアが全然食べ進んでいない事に気付く。

 それほどまでに命と真摯に向き合っていた大月だ。食べきれないから残したい……とは言い辛い。確かに大月が勝手に頼んだのがそもそもの原因なのだが、断りきらなかった自分にも過失は……と思ってしまうのが花中である。

「いえ私はもうこれ以上は食べられませんので残します」

 反対に、ズバッと思った事、やろうとしている事を言ってしまうのがフィア。

 あまりの素直さに花中は思わず凍り付いてしまうが、伝えられた当人である大月は微笑みを崩さない。エレガントに、驚いたような素振りを見せるだけ。

「あらあら。お肉、お嫌いでした?」

「嫌いだったようです。感覚的に食べられないものではなさそうですが味も臭いも私の好みに合いませんね」

「そうでしたのね。残念ですわ」

 心底悲しそうな表情を浮かべ、静かに項垂れた……のは、ほんの刹那の間だけ。次の瞬間大月は何やら目を輝かせ、期待に満ちた笑みを浮かべた。

「では、そのステーキはもういらないという事ですの?」

 続けて、花中がギョッとするような事をフィアに尋ねる。

「そうですね。もう食べる気はありませんので」

「ならわたくしが食べてもよろしくて?」

「? ええまぁ構いませ」

「いただきますわー」

 フィアが答え終わるよりも前に、大月はフィアの前にあるステーキを手前へと引き寄せる。ほんの僅かとはいえ他人が口を付けたものを、しかし命に真摯に向き合う大月はそのような些事など気にも留めない。なんの躊躇もなく、大月はステーキにフォークを突き刺す。

 そして再び、あの熱烈な食事を始めてみせる。既に四百グラムの肉+大盛りライスを食べ切ったとは思えぬ豪快さ。何処かの大食い大会で、ごく普通の体型の女性がステーキを数キロ平らげたという話は聞いた事があったが……大月の食べっぷりは、その記録に並んでもおかしくないと思わせる勢いがある。案外身近なところに凄い人はいるものだと花中は素直に感心した。

 ……この勢いなら、自分の分も食べてくれるかも知れない。

「えと、お、大月さん。あの、わたしも、もうお腹いっぱい、で、食べられなくて……その、た、食べて、くれ、ますか……?」

「! ええ、勿論!」

 思い切って訊いてみれば、大月はなんの迷いもなく受け入れてくれた。鉄板の下にある木の板を指で摘まみ、大月は花中のステーキも自分の手元に寄せていく。

 フィアのステーキが減っていく隣で、食べられるのを待つ自分の肉。命が余す事なく糧となる姿を見て、花中の心は身勝手ながら満足を覚える。誠意を果たした、とは思えないものの、安堵にも似たため息が出てしまう。

「あ、そうですわ。今日の、この後の予定を伝え忘れていました」

 丁度そんなタイミングで、大月は思い出したように独りごちる。

 不埒な、ではないものの身勝手な考えをしていたと自責する花中は、少なからず狼狽えた。尤も大月は優しく微笑むだけ。お陰ですぐに平静を取り戻し、咳払いで気持ちを切り換える。

「……そういえば、聞いていませんでしたね。えっと、ランチを食べた後は……」

「勿論デザートですわ!」

「……へ?」

 目を丸くしながら、花中は首を傾げる。傍ではフィアもキョトンとしていて、ミリオンに至っては「何言ってんのこいつ」の眼差しを送っていた。

 だが、大月は怯まない。両手の食器を一旦皿の上に置くやぺろりと舌舐めずり。唇に付いた汁の一滴をしっかり()()()と、純朴な優しさに満ちた笑みを浮かべた。

 花中達は思い知らされる。

「近くの広間で、美味しいアイスの露店がありますの! ランチを食べ終えたら、散歩しながらそこまで行きましょ!」

 真の大食いは、『常人』では底が見えない欲望に満ちているのだという事を。

 

 

 

 ぺろりと一舐めしてみれば、心地良い冷たさが舌を刺激する。

 同時に、滑らかな舌触りが心を弾ませる事だろう。砂糖の甘味に加え、乳製品独特の優しい風味が口の中に広がれば、脳細胞がドバドバと幸福物質を噴き出す。後味はとてもさっぱりしていて、故に先程感じた幸せを求めて反射的に舌が伸びてしまう、麻薬的な魅力があった。

 これは人をダメにする食べ物だ。

 花中は一瞬にして、自分が手にしているもの……ソフトクリームの悪魔的効能を見抜く。しかし両手はその『食べ物』を手放すどころか一層強く握り締め、舌は逡巡する事さえなく伸びてしまう。止められない。止めようという気持ちすら起こさない。

 最早これは危険物である。人類文明を破滅させる終末の使者だ。

「うぇへへへへへへへ……」

 そして世界の終わりを前にして、花中の頬は出来損ないのスライムのように蕩けていた。

「あらあら、こんなに喜んでくれるなんて、ちょっと予想外でしたわ」

「そんなに美味しいものですかねぇこれ……」

「さぁ? 私には味覚的な事はよく分からないけど、でも温度調整に関しては最適なんじゃないかしら」

 幸せをだらしなく満喫する花中を見て、大月は満足げに微笑み、フィアは花中が手にしているのと同じ『食べ物』を見つめながら首を傾げる。ミリオンに至っては淡々と、水道水でも飲むかのように無感情だ。

 しかし今の花中には友達の言葉など届かない。幸福に焼かれた脳は、最低限の情報解析能力さえ喪失していた。

 花中達が訪れたのは、ステーキ店から徒歩十分ほど進んだ先にある公園で開かれていた露店。所謂ソフトクリーム屋で、暖かくなってきたとはいえ四月上旬にも拘わらずそこそこ人が並んでいた事から、どれだけ人気なのかはそれなりには察していた。

 だが、まさかこれほど美味だとは思わなかった。正しく天に昇るような至福である。十数分前にステーキで満腹になっていた? 問題ない。女子高生には上質の糖分を収容するための『BETUBARA』という器官が存在するのだから。

「んへぇへへ……こんなに美味しいのに、分からないなんて、勿体ないよぉ」

「まるで酔っ払いですね今の花中さん。なんか変なもの入ってるんじゃないですか?」

「成分的にはただのソフトクリームよ。偶々あの店の味付けが、はなちゃんの好みにどんぴしゃだったんでしょ」

「この味がねぇ……乳製品ってなんか甘ったるくて好きになれないんですが」

 フィアは顔を顰めながら、正直な感想をぼそりと漏らす。

 当たり前だが、人間社会で出される料理の殆どは人間 ― もっと言えば日本ならば日本人 ― 向けの味になっている。魚類であるフィアと現代日本人の味覚が等しい筈もなく、フィアにこの甘味の魅力は一生理解出来ないだろう。実に残念な話だ。味覚自体がないミリオンは言わずもがな。

「ふふ。此処のソフトクリーム、一押しはバニラですけど、オリジナルミックスというのもオススメですわよ」

 話が合うのは、『同じ味覚』の持ち主同士だけである。

 大月も余程このソフトクリームが好きなようで、その手に持っていた特大コーンをぺろりと平らげる。しかし大月の食欲の凄まじさは今更驚くに値しない。それよりも、彼女が語った『新情報』の方に関心を抱いた。

「オリジナルミックス、ですか?」

「ええ。バニラとストロベリーを混ぜたもの、と言葉にすればごく有り触れたものですけど、その比率が絶妙なんですの。それに隠し味の……」

「隠し味の……?」

「おっと、これは秘密ですわ。実際に食べて、ビックリした方がずっと美味しくなりますわよ?」

「えぇーっ……うぅ、どうしよう。アイスの食べ過ぎは良くないし……」

「楽しそうですねぇ花中さん……ふんっ」

 和気藹々と話す花中達を尻目に、フィアが不機嫌さを露わにしていた。やけ食いのようにソフトクリームをバクバクと噛み砕き、食べる……ような素振りを見せる。

 何時もの事とはいえ、かまってちゃんな友達に気付いた花中はちょっと苦笑い。さて、どうすれば機嫌を直してくれるかと考え込んだ。

 が、ふと目に入った『違和感』に意識が逸れる。

 フィアの後方で、四人かの子供達が集まっていた。その中の一人、一番背が低い……女の子だろうか? そう見える子が俯き、両手で目許を何度も拭っていた。恐らく泣いているであろう事は遠目からでも分かったが、しかし周りの子供達が彼女を虐めたのかといえば、そうは見えない。むしろ周りの子達も戸惑い、どうしたら良いのか分からないように見える。

 何か、子供だけでは解決出来ないトラブルでもあったのだろうか。

「……あの子、どうしたんだろう」

「んー? ああそこの人間達ですか。なんかついさっきめそめそ泣き始めましたね。それまで楽しそうにしてましたけど」

 花中が独りごちると、フィアは自身の把握している事を教えてくれる。どうやら急に雰囲気が変わったらしい。

 思った通り虐めではなさそうだが、ならば一体どうしたのだろう……心配になる花中だったが、次の瞬間、驚きの方が強くなった。

 大月が、小走りで子供達の方へと駆け寄ったのだ。

 何一つ迷いのない走りに、花中は思わずギョッとして、ついつい大月の後を追ってしまう。フィア達も花中に続き、結果、ぞろぞろと全員で子供達の下へと歩み寄る事に。

 子供達の傍まで行くと、大月は泣いている女の子の前でしゃがみ込む。突然の見知らぬ人に戸惑ったのか、はたまた視線を合わせてくれた事で幾らか安堵したのか。女の子は動きを止め、少しだけだが嗚咽も小さくなった。

「坊や達、どうしましたの?」

「あ、えと……なおちゃんが……」

「ぐす……アイス、おとしちゃったの……ひくっ」

 大月が優しい声で訊いてみると、なおちゃんと呼ばれた女の子……今まで泣いていた子は嗚咽混じりに理由を話す。

 見てみれば、なおちゃんの足下にはソフトクリームが落ちていた。地面に広がる量からして、精々一口食べたかどうかだろうか。少なければ問題ないというものではないが、殆ど食べていないうちに落としたらショックも大きいだろう。

 例えばなおちゃんが『大人』だったなら、ソフトクリームぐらいなら新しいのを買い直す事も出来た筈だ。しかし見た目からして、なおちゃんの推定年齢は五歳未満。月々のお小遣いをもらっているとは思えず、新しいソフトクリームを買うには親にお願いせねばなるまい。

 彼女の親の教育方針次第ではあるが、あまり期待はしない方が良さそうだ。

「事情は分かりましたわ。少し、お待ちになって」

 花中がなおちゃんをどう宥めようか悩んでいると、大月は言うが早いか小走りでこの場を離れる。何処へ行くのか目で追えば、先程花中達もお世話になったソフトクリーム屋の列に並んでいた。

 偶々今のタイミングでは待っている人の数は少なく、すぐに大月の番が回ってくる。やがて大月は支払いを済ませ、駆け足で花中、いや、子供達の下へと戻ってきた。その手に買ったばかりのソフトクリームを持って。

「はい、どうぞ。お姉さんからのプレゼントですわ」

 そして彼女はなんの躊躇もなく、そのソフトクリームをなおちゃんへと手渡した。

 なおちゃんはソフトクリームを受け取り、キョトンとしていた。自分の手にソフトクリームがあるのが信じられないとばかりに目をしばたたかせ、何度も大月の顔色を窺う。

 だけど迷いは一時。

「あ、ありがとう!」

 なおちゃんは眩い笑顔と共に、心からのお礼を伝えた。

「今度は落としちゃ駄目ですよー」

「うんっ!」

 大月は笑顔を浮かべながらもしっかりと忠告し、なおちゃんは大きく頷く。なおちゃんの友人達にも笑顔が広がり、和気藹々とした空気に包まれる。

 一件落着。嬉しそうな子供達の姿に花中も安堵を覚える。

 同時に、疑問も抱いた。

 先の話を訊く限り、大月と子供達に面識はないように思える。確かに小さな子供相手に詐欺やらなんやらを警戒するのもどうかと思うが、見ず知らずの子供のためにお金を易々と使えるものだろうか? 無論花中とて、小さな子供の笑顔を取り戻せるのなら数百円程度を惜しむつもりはないが……大月の決断は、あまりにも迷いがなかったように思える。

「あの……一つ、訊いても、良いですか?」

「? ええ、わたくしに答えられる事でしたら」

「どうして、あの子にアイスを、買ってあげたのですか? その、知り合い、だったのでしょうか」

「いいえ、あの子とは多分初対面ですわ。道ですれ違ったりとかはあるかもですけど」

「なら、どうして?」

 花中が尋ねると、大月は笑みを浮かべた。優しくて、慈愛に満ちて……押し付けがましさがない、素朴な微笑み。

「だって美味しいものを食べたら、誰でも笑顔になれるでしょう?」

 ましてやこんなにも子供染みた理由を告げられたなら、疑うなんて馬鹿馬鹿しくて仕方ない。

 一瞬にして『納得』させられた花中は、思わず笑い声が漏れ出てしまった。いや、漏れた、なんてものではない。口を閉じようという意識すら持てないほど、花中の心にはポカポカとした熱が宿ったのだから。

「あははっ! そうですね、確かに、笑顔になっちゃいますよね」

「そうそう。それに食べ物は笑顔で頂くのが一番美味しいんですのよ。他の子も悲しいままでは、折角のアイスが勿体ないですわ」

 大月は笑顔を浮かべると、パクリと手に持っていたアイスのコーンを食べる。なおちゃんのソフトクリームを買う際、自分の分をまた買ったのか……最早慣れたので驚きはなくとも、呆れてしまった花中はますます笑いが止まらない。

 こんなにも笑った『食事』は、もしかしたら初めてかも知れない。

 今でも大月の事は変な人だと思っているが……今や警戒心は、花中の中からすっかり消えていた。もしも現在自分の隣で顔を顰めているフィアにこの事を話せば「花中さんはどうしてそこまで無防備なのですか?」と尋ねられてしまうかも知れない。花中自身、自分に人を信用し過ぎるきらいがある事は重々承知している。

 それでも大月に邪な気持ちがあるとは到底思えない。

 彼女はきっと食べる事が大好きで、みんなの笑顔が求めて止まない、純朴な人なのだろう。

「さて、次はそろそろ次のお店に行きましょう? この辺りには、まだまだオススメしたい料理がいっぱいあるんですの!」

 ……食べる事に関しては、些か好き過ぎるような気もするが。

 花中だけでなく、胃を持っていないミリオンも同じ事を思ったのか。脳のつまっていない頭を抑えながら、ご機嫌な大月を制止するように彼女の前へと出た。

「それも悪くはないけど、流石に食べ過ぎじゃない? 無理に食べ続けたら、美味しいものも美味しくなくなるわよ」

「あら? わたくし的には、まだまだ腹二分目ぐらいなのですけど」

「つまり、あと四倍は食べるつもりなのね。却下。腹ごなしの散歩にでもしてもらえないかしら?」

「むぅ。わたくしとしてはまだまだ食べ足りないですけど……でも、皆さんがお腹いっぱいなら仕方ありませんわ。そうですわね、なら此処から二十分ほど歩いた先にある広場なんて如何? なんでも今、移動動物園による触れ合い体験が出来るそうで」

「そうそう、そういうので良いのよ。うん」

 ミリオンの機転により、どうにか食べ歩き行脚の続行は回避出来た。

 花中はホッと一安心……する間もなく、大月とミリオンは歩き出す。耳を傾ければ、大月は上品ながら天然ぶりを発揮し、ミリオンはそれを呆れ混じりにツッコミを入れる声が聞こえた。仲良しこよし、という雰囲気ではないが、それなりには親しいように見える。

 ミリオンは大月への疑念が拭えたのだろうか? それともまだまだ警戒は解いていないのか? 内心を隠すのが上手い彼女の気持ちは、もうすぐ一年近い付き合いになろうとしている花中にも分からない。

 一番の友達は、呆れるほど分かりやすいのに。

 ふと過った考えにつられ、花中はフィアの方へと振り返った。

 故に花中は首を傾げる。

 フィアは、大月の方を見ていなかった。されど花中を見ている訳でもなく、ぼんやりしているようでもない。じっと、真剣な眼差しで――――なおちゃん含む、小さな子供達を見ていた。

 大月が買ってあげたソフトクリームのお陰で、ニコニコ楽しそうにしているなおちゃん達。微笑ましそうに見ているなら兎も角、何故フィアは真剣な眼差しを向けているのだろうか。いや、そもそも彼女が人間という存在にかなり無頓着である事を、花中はよく知っている。ましてや『無力』で『脆弱』な人間の中でもとびきりか弱い子供達に真剣な……警戒心のような、疑念のような、野性的な感情を宿した瞳を向ける筈がない。

 なおちゃん達ではなく、その近くに危険なものでもあるのか。そう思い花中もフィアと同じ場所を見てみるが、おかしなものは何もない。というより、この辺りは花中達がソフトクリームを堪能するべくしばし滞在していた訳で、奇妙なものがあれば既に見付けている筈だ。

 一体、フィアは何を見ているのだろう。

「フィアちゃん、どうしたの?」

「……いえ大した事ではありませんよ」

「……そう?」

 思い切って尋ねてみたが、フィアは明確な答えを返してはくれなかった。ただ、誤魔化すようではなく、フィア自身があまりよく分かっていない様子だったが。

 ここで花中も一緒に考えれば、もしかしたらフィアが気にしているものの正体を突き止められるかも知れない。

 しかしそれをするには時間が必要だ。

 ちらりと視線を向ければ、大月とミリオンの姿が既に大分遠くなっている事が分かる。そろそろ追い駆けないと彼女達を待たせてしまうだろう。最悪、置いて行かれるかも知れない。

 何より、今までほったらかしにして不機嫌になっているフィアを質問攻めにするのも気が引ける。

「……えいっ」

 だから花中が選んだのは言葉ではなく、友達の手を握るという行動だった。

 花中の突然の行動に、フィアは一瞬驚いたように目を丸くする。されどすぐに、寄っていた眉間の皺を溶かした笑みを浮かべた。握られた手を握り返し、当分は離さないぞと教えてくれる。望むところだとばかりに花中も手を握り返す。

 思わず、一人と一匹は同時に吹き出した。相手も笑った事に気付いて、また一人と一匹は笑ってしまう。

 そうして花中達は笑顔のまま、歩き出すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……最後まで、気付く事もなく。

 花中は勘違いしていた。フィアが違和感を覚えたのは、何かがあったからではない。何もなかったからであると。

「んー? あれー?」

「なおちゃん、どうしたの?」

「んーっとね、おとしたアイス、みつからないなぁって」

「あれ? ほんとだ。アリさん、もうはこんでいっちゃたのかな?」

 先程まで自分達の居た場所に、()()()()()()()()事がどれだけ不自然であるかを――――




さぁ、ちょっとずつ歪な気配が……していると良いなぁ。

次回は6/10(日)投稿予定です

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