彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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女神の美食3

「花中さん花中さんステーキソースってこれですよね?」

「えっと……うんっ。これだよ」

 指差しで確認してくるフィアに、花中は大きく頷きながら答えた。

 時刻は一時半ちょっと過ぎ。

 自宅でお昼ごはんを食べてからスーパーカチオンに戻ってきた花中は、ステーキソースが売られているところを見て胸を撫で下ろした。お肉が売り切れていたので、もしかしたら……と心配していたが、杞憂だったらしい。棚にはずらりと、多種多様な市販品ステーキソースが並んでいた。来店している人の数も、今日一回目の買い物時と比べかなり少ない。のんびりしているうちに横から取られて売り切れ、という可能性は考えなくて良さそうだ。じっくりと悩める。

 さて、どれを買うべきか。

 好んで食べないとはいえ、何も数えるほどしかステーキを口にした事がない、という訳でもない。自分の好きな味というのはしっかり把握しており、どのソースが自分の好みかはちゃんと覚えている。しかしそれでは知った味が『限界』だ。未体験の、そしてより高みの味を探すために、買った事のない商品を選ぶのもありだろう。

 安定か、革命か。

 ……基本、何事も守りから入る性格なので、花中が選んだのは慣れ親しんだ品だった。将来的には多分あまり使わないので、一番小さなサイズを手に取り、買い物カゴに入れる。

 他に欲しい商品もないので、後はこれをレジの人に渡し、支払いを済ませるだけ。自身のうっかりにより余計な体力を使う羽目になったが、花中はにこやかな笑みを浮かべる。

 今度こそ本当に準備が整ったのだ。後は最高の時間に、最高の焼き加減のステーキを作るのみ。お昼を食べても未だ静まらない肉欲求 ― 正確には半端な肉で欲求を満たしたくなかったので、野菜オンリーの野菜炒めや味噌汁で昼は済ませたのだが ― により、今晩のディナーは想像しただけで涎が出てくる。

 もう、夜が楽しみで楽しみで仕方ない。

「しっかしなんだか騒がしいですねぇ」

 そんなこんなで舞い上がっていた花中だったが、フィアから話し掛けられて我を取り戻す。そしてフィアが見ている先へと振り向き、こくんと頷いた。

 スーパーの一角には、そこそこ大きな人集りが出来ていた。集まっているのは主に来店客。如何にも噂が好きそうな中年女性が大半で、人数にしては大きなざわめきを発していた。

 確かにタイムセールなどが始まると、主婦の皆様方にざわめきが起こる事もある。が、どうにも花中の耳には、このざわめきがそういう時のものとは違った雰囲気があるように感じられた。大体にしてスーパーカチオンのタイムセールは、経験的に夜七時前後に多い。タイムセールとは日を跨がせたくない商品を売り切るのが目的である場合が多いのだ。今は確かに来店客の数は少なく見えるが、午後二~四時頃に掛けて夕飯の買い物をしに来る人が増える筈。タイムセール(在庫処分)をするのは些か気が早いのではないか。

 人集りの中で何が起きているか分からず、少しばかり気になる。

 幸いにして今この時、花中のすぐ隣には文字通り人外レベルで耳の良い友達が居た。

「フィアちゃん、あそこの人達が、何を言ってるか、分かる?」

「ふふーんあまり見くびらないでください。あれほどぎゃーぎゃー騒げば店の外からだって聞こえますよ」

 尋ねてみれば胸を張り、自慢気にフィアは答える。

「どうやら店の商品が荒らされたようですね」

 そして耳を傾けるような動作すら取らず、難なく喧噪の中身について教えてくれた。

 フィアの耳の良さについては、今更疑いの余地などない。すとんと信じ込んだ花中は、しかし首を傾げる。

「お店の品が……えと、壊されていたって、事?」

「うーんそれとは少し違うようですね。空の容器が床にとっちらかってたとかなんとか。お金を払わずに食べてしまったという事でしょうか?」

「いくらなんでも、それはないと思うなぁ。だって、そんなの動物みたいじゃ……」

 フィアの意見に反論しようとした花中だったが、その言葉は半ばで途切れる。話が途中で終わった事を不思議に思っているのか、フィアが顔を覗き込んできたが、それでも花中は口を閉じたまま。

「……ううん。なんでも、ない」

 結局、自分の言葉を撤回してしまう。

「そうですか。おっとあそこの人間達が噂してますね。なんでも店員が一人無断退社しているとかなんとか。お金の計算が合わないとも言ってますね」

「あ、そうなんだ」

 だとしたら、その店員さんがお店の商品を荒らし、お金を盗んで逃げているのかも――――フィアが聞いた話からそのような推論を立てた花中は()()()()()()()()

「……花中さん?」

「え? ……あ、えと……ど、どうしたの?」

「どうしたのと言いますか……」

 そんな自分をフィアが怪訝そうに見ている事に気付き、花中は挙動不審気味に訊いてみる。

 フィアは何かを言いたそうにしていたが、良い言葉が浮かばなかったのだろうか。それとも訊いてはみたが、そこまで関心のある事ではなかったのか。

「……まぁ良いでしょう。大した事じゃありませんし」

 問い詰める事も、疑いの眼を向ける事も止め、フィアは肩を竦めた。

「そ、それより、お会計しないとね。買わないと、何時までも帰れないし」

「ですね。えーっとレジは確かあっちでしたっけね」

 花中に促され、フィアはレジの方へと歩き出す。花中の歩みに併せた速さで。ちらりと人混みの方を振り向く花中の歩みは、とても遅いものだった。

 レジに行くのを少し躊躇うように……

 ……………

 ………

 …

 尤も、レジで何かトラブルが起きる事などなく。本日二度目の買い物はつつがなく終わった。

「良し。これで、きっと大丈夫っ」

「そうですか」

 スーパーからの二度目の帰り道、花中は握り拳を作りながら自分に言い聞かせ、フィアは雑に納得した。訝しんでいる訳ではなく、仮に三度目の買い物に出向く羽目になってもフィアは全く気にしないからだろう。

 ただし花中としては、三度目の買い物は御免被りたい。

「まぁ、ステーキだから、材料とかそんなに……ニンニクは、あまり好きじゃないから、使わないし、塩胡椒は、流石にあるし、買ったお肉は、ちゃんと牛肉だし」

 確信するような口振りで、トラブルの可能性を念入りに潰していく。本来ならこれで自信を深めるものなのだろうが、しかしそこは基本的に臆病な花中。言葉にするほど不安が募り、どんどん些末で『あり得ない』ものも気になってくる。

 そして一度悩み出したら止まらないのが花中の悪癖。少しばかり俯き気味の頭の中は、今や『もしも』でいっぱい。脳のリソースを他に振り分ける事すら無意識に惜しみ、五感の情報さえもシャットアウトしていた。一見してしっかりと前を見ているが、その目が送信した画像を脳は無慈悲に捨てている。

 思い浮かんだ可能性をぶつぶつと一人で否定し続けながら花中は歩き、フィアはそんな花中に黙って付き添う。普通の人ならば、そこまでたくさんの可能性は思い付くまい。されど花中はしょうもないほどの小心者。心配事を挙げればきりがない。何時までも何時までも、底なしの可能性を潰していく。

 本当に何時までも考え続けて。

「花中さん花中さん」

「――――え。あ、うん。なぁに、フィアちゃん」

「念のために訊いておきますが此処は何処ですか?」

「え? 何処って……」

 フィアに呼ばれてようやく我に返り、辺りを見渡した花中の眼に映ったのは、見知らぬ景色だった。

 ……本当に、見知らぬ景色だった。

 角度を変えたり、位置を変えたりもしてみたが、目に映るのは全く記憶にない町並みばかり。普段通らないとか、そんな次元の話ではない。自分の家が此処からどっちの方角にあるのかも見当付かない状況だ。来た道を戻れば、という方法を使おうにも、そもそも自分がどうやって此処まで来たのかの記憶がない有り様。どうすれば良いのか分からず、花中は一歩も進めなくなってしまう。

 本気で困惑し、狼狽える花中を見ていたフィアは、やれやれと言いたげに肩を竦める。

「考え込むのは結構ですがせめて足は止めた方が良いと思いますよ。花中さんすぐに前が見えなくなりますから」

「……はい」

 考え事に夢中になった所為で迷子になったと気付かされ、花中は真っ赤になった顔を俯かせた。変な道を歩いていると気付いたなら止めてよぅ……とも思いフィアをジト目で見もしたが、全面的に自分が悪いので大人しく反省する。

「仕方ありませんね。道順なんかは覚えてませんけど臭いを辿れば家の方角ぐらいは分かります。私に付いてきてください」

「うん……ごめんね。ありがとう」

「どういたしまして。また考え込んではぐれないように手をつなぎましょうか」

「うん……」

 言われるがままフィアと手をつなぎ、花中はフィアに連れられる形で歩き出す。

 フィアの歩みはとてもゆっくりだったが、迷いは一切なかった。流石はフナの嗅覚、花中の家の臭いはバッチリと分かるらしい。野生の逞しさが花中に安心を与えてくれる。花中はその歩みの邪魔をしないよう、力強く歩を進めた。

 しかしながら花中は生来素直な性質であるもので。

 道中何気なく見付けてしまった『人』が気になり、花中の足は本人の意識とは関係なく一瞬止まってしまった。

「花中さん?」

 フィアの、その気になれば敏感な触覚は、花中の微かな動きの変化を逃さない。気付かれてしまった花中はなんとなく狼狽え、その必要がない事を思い出して恥ずかしさから手足をもじもじする。

 別段、教えるほどの『大事』な話ではない。

 同時に、黙っている必要がある話でもない。加えてフィアは家に帰ろうとしているが、急いで帰りたい訳でもない筈だ。彼女は自分と一緒なら何処に寄り道してもあまり気にしない事を、一年近く一緒に暮らしている花中はよく知っているのだから。

「……えと、あそこの人……」

 故に花中はおずおずしながらも、自分の目が止まったものを指し示した。

 花中の細い指先が示したのは、一人の女性。

 四十代か、それとも五十代か……第一印象でそのように見えるぐらい、女性の顔は憔悴していた。目許には遠目でも分かるぐらい濃い隈があり、明らかに体調が悪そうである。背丈こそ花中よりずっと高いが、細さでは明らかにその女性の方が上。もしかすると華奢な花中よりも体重が軽いのではないか。彼女の身体はふらふらと揺れており、今にも倒れそうだ。花中が彼女の友人だったなら、間違いなく休息を取らせる……促すではなく、何がなんでも取らせるだろう。今だって、フィアに頼んで首の辺りをキュッと締めてもらうべきではないかと思ってしまうぐらいなのだから。

 それほど疲弊しながら、女性の手には何十枚もの紙が握られている。平時ならなんでもない重さだろうが、今の女性の状態ではダンベルを抱えるぐらいの過酷さではなかろうか。いや、そもそも立っているだけで重労働に違いない。

 あの女性は、あんな状態で何をしているのだろう。

 そのような理由から気になり、それをフィアに伝えるため彼女を指差した花中は――――女性がこちらをハッキリと見た瞬間、驚きのあまり跳び退いてしまった。

 女性は花中達の姿を見るや、駆け足気味に近付いてくる。今にも倒れそうだった身体の何処にそんな体力が残っていたのか。尋常ならざる動きに花中だけでなくフィアも警戒するが、所詮は人間と思われたのだろう。間近までやってきた女性をフィアが攻撃する事はなかった。

 そして女性は、花中達に持っていた紙を一枚だけ差し出してくる。

「……えと……」

「あの、すみません。この子について、何か知りませんか……?」

「この子?」

 女性の今にも潰えてしまいそうな声に不安を覚えながら、花中は紙を受け取り、その紙に目を向ける。

 表題曰く、『さがしています』。そして紙の半分以上を占める、少年の写真。

 これだけで、この紙が『行方不明者』を探すためのチラシである事を察するのは難しくなかった。跳ねる胸を片手で抑えながら、花中はチラシを読み進める。書かれている情報によると、行方不明になった子は先月十二歳になったばかりの小学生。二週間前の午後五時頃、帰宅すべく友達の家から出た後の行方が分からなくなっている。警察も調べているが、有力な手掛かりは未だ見付かっていないそうだ。

 ここからは紙には書かれていない内容だが……目の前の女性は、恐らく行方不明となった少年の母親で、二週間前から方々に手を尽くしているのだろう。精神的・肉体的に二週間も酷使すれば、疲弊しない筈がない。だとしてもこれはあまりにも、という気持ちもあるが。

「どんな小さな事でも構いません。うろ覚えでも良いんです。何か知っている事は……」

 花中を見つめながら、すがるように女性は訊いてくる。

 愛する子を失った親の気持ちがどれほど苦しいか、花中には想像も付かない。それでもこの人がどれだけ息子を愛していたのかは伝わってくる。出来る事なら、彼女の苦しみを少しでも癒やしたかった。

 だけど、噓を吐く訳にもいかない。

「すみません。見覚えは、ないです……ごめんなさい、お役に立てなくて」

「……いえ、気にしないで、ください……」

「あ、えと、このチラシ、何枚かもらっても、良いですか? 学校の、友達にも、訊いてみます」

「ええ、勿論……ありがとうございます」

 花中に数枚のチラシを渡すと、女性はにっこりと、安らいだ笑みを浮かべた。それからふらふらとした足取りで去っていく。この辺りでは新たな情報は得られそうにないと判断したのか、或いは疲労が限界に達したので帰るのか……花中としては後者を望んだが、恐らくは前者なのだろう。

「フィアちゃん。このチラシの子に、見覚え、ある?」

「ふーむどれどれ」

 女性が立ち去ってから、花中はフィアにチラシを渡す。

 花中からの『質問』にフィアはチラシをしっかりと読み、考え込むように顎を擦る……のも束の間。

「いいえ全く。というか行方不明になってもう二週間経ってるって書いてあるじゃないですか。大方その辺で野垂れ死んでいますよ」

 ほんの数秒で、極めて『現実的』な考えを口にした。思った通りの答えに、女性が去ってから尋ねて正解だったと花中はため息を漏らす。

「そーいう事、さっきの人には、言わない方が、良いからね」

「分かっています。知らぬが仏というやつですよね。人間って真実を知りたいと言う癖に都合の悪い真実は否定しますからねぇ。逆ギレされても面倒です」

「……多分あの人も、薄々、考えては、いると、思うけど」

「? 向こうが分かっているのなら何故私達が黙っておかねばならないのですか?」

 本気で意味が分からないと言いたげに、フィアは首を傾げる。これを言葉で教えるのは無理だろう。どれだけ理屈を付けたところで、野生の考え方を持つ彼女には『可能性』から目を逸らす意味など分かるまい。

「ううん、なんでもない。そろそろ、家に帰ろう」

 花中が帰りを促せば、もうフィアにとって先の『女性』など意識の外。花中が伸ばした手を掴むと、スタスタと迷いのない足取りで歩き始める。

 てくてく、てくてく。一人と一匹はゆったりと町を進む。弾む会話も、だらだらとした喋りもない。閑静な住宅地の中に溶け込むように、静かに。

「花中さん。さっきからびみょーに上の空ですけどどうかしましたか?」

 あまりにも静かなものなので、ついにお喋り好きなフィアは黙ったままの花中に尋ねてきた。

 花中は一瞬キョトンとした後、わたわたと両手を振って否定の気持ちを露わにする。上の空でいたつもりはない。ないが……そう取られる態度だったのかも知れない。

 あっさりと両手を下ろした花中は、しゅんと項垂れた。実際『心当たり』はあったので。

「……その……ちょっと、気になる事があって」

「はぁ。私で良ければ相談に乗りますが」

「えと、相談って、訳じゃないけど……あの、行方不明の人が……」

「ああさっきの人間の話ですか。しかしあの人間やその子供と知り合いという訳ではないのでしょう? だったら別にどーでも良いと思うのですが」

「そ、それは、そうかも、だけど……」

 心底呆れたように眉を顰めるフィアに、花中はおどおどと頷く。だが、同意した訳ではない。

「だって、可哀想だし、それに怖いし……もしかしたら、普通じゃない事が、起きてるかも、だし……」

「普通じゃない?」

「た、例えば、ミュータントの仕業、とか」

 花中は思い付きを口にしながら、自身の中にあった不安を言葉に換えていく。

 ここ最近、何かがおかしいと思っていた。

 例えばミュータント。ミリオンや『世界の支配者』達から教えてもらった話では、彼女達は突然変異により、人間が放つ脳波を受け取れるようになった個体である。ただでさえ突然変異には不利なものが多いのに、ミュータント化という有利どころかインチキ染みた変異が早々起こる筈がない。だのにこの一年で花中の周りで『発生』したミュータントは、フナにイエネコ、ゴリラやカニ……いくらなんでも多過ぎる。何か大きな変化があり、ミュータントの大量発生が起きているのではないか。だとすればこの町に新たなミュータントが現れ、本能の通りに行動した結果人との衝突を起こしているのかも知れない。

 脅威はミュータントだけではない。ミリオンが戦ったというRNA生命体、星の外から飛来した異星生命体……そのどちらも地球生命を根絶やしにする事が出来るほどの力を持っていた。広大な宇宙の何処かには、或いはこの星の何処かには、その二種に匹敵する、もしくは凌駕する生物が存在する可能性がある。それも一体二体ではなく、無数に。

 人類の繁栄は既に保証されていない。何時どんな形で、人々の安寧 ― と思い込んでいる時間、というのが正確なのだろうが…… ― が脅かされてもおかしくないのだ。

 だからもしもその『兆候』らしきものがあったなら、ミュータントやそれ以外の存在と接触した身として、何より一人の人間として見過ごせない。

 自分に出来る事があるのなら、そのために力を尽くしたい。花中はそう思っていた。

「……人間とはやはりよく分からない考え方をするものです。顔も知らない他人のためにわざわざ手に負えないと思っているものに近付こうとするのですから」

 尤も、社会性を持たないフィアには、花中の想いは全く理解してもらえなかったが。

「う、ご、ごめん……」

「いえ謝られても困るのですが。理解出来ないだけで不快だとは言ってないですし」

「……うん」

「それにまぁ花中さんが調べたいのでしたらお好きにやれば良いんじゃないですか? 明確に危険だと決まった訳でないのなら私としては止めさせる理由もありませんし。危険そうなら止めますけどこの私がいる限りどんな輩であろうとも花中さんには指一本触れる事も叶いませんがね」

「……ありがと」

「いえいえどーも。何故お礼を言われるのかも分かりませんけど」

 感謝されて喜ぶどころか怪訝そうなフィアを見て、花中はくすりと笑みを零した。

 人間とはまるで異なる考え方をしていても、こうして楽しく話が出来る。なら、これからどんな相手が現れても……結構、なんとか仲良く出来そうな気がした。

 みんなと仲良くしたい。心からそう思っている花中にとって、これほど心強い事はない。自然と気持ちは前向きになり、鼻息も荒くなる。今なら何が起きても大丈夫という気になり、歩みは少し弾んでいく。

「そこの方、少しよろしくって?」

 そうして上々な気分でいたところ、不意に声を掛けられた。

 途端、花中は発火するように顔を赤くする。

 自分は今し方かなり上機嫌になっていた、ように思える。多分スキップ混じりの歩みをしていただろう。掛けられた声に聞き覚えはないし、名前も呼ばれていないので、恐らく相手は見知らぬ人。友達相手ならばまだしも、面識のない人に浮かれた姿を見られるのはかなり恥ずかしい。

 今更遅いとは思いながらも慌てて平静を装ってから、花中は声がした方に振り返る。

 そして、花中は呆気に取られた。

 振り向いた先に居たのは、一人の女性だった。年頃は二十代前半か、後半だろうか。麗しさと愛らしさを両立させた、穏やかな顔立ちからそう推し測ったが、しかし見せている肌の質感は少女どころか乳児を思わせるほどに艶やかで若さに満ちている。肩の辺りまで伸びている栗色の髪はウェーブが掛かっていて、何処かのご令嬢のようなイメージを形作っていた。着ているワンピースはシンプルなデザインながら、その生地の高級感が彼女の気品を一層引き立たせる。浮かべている嫋やかな微笑みは、お伽噺のお姫様を彷彿とさせた。

 等とイメージを言葉にしてみる花中だったが、第一印象は単純明快。すごく綺麗な人、であった。ただしフィアやミリオンのような文字通り『人外』染みた美しさではなく、自然で、素朴で……凄く綺麗だと思うのに、目を離したらそのまま見失ってしまいそうな雰囲気だ。

 さて。そんな綺麗な人であるが、花中にはまるで見覚えがない。

 知人という意味だけでなく、歩いていてすれ違っただとか、偶々一緒の列に並んだとかの記憶もなかった。されど先の印象から、余程注視していなければあっさり忘れてしまいそうな気もする。

 もしかして、自分は知らぬ間に『彼女』に何かしてしまったのだろうか?

「何か御用ですか?」

 『もしも』を考えて花中が少し怯んでいると、代わりにフィアが女性に尋ね返していた。フィアの声は普段より幾分低く、目付きも悪い。あからさまに不愉快そうなのは、花中を()()()()()事に怒っているから……ではなく、二人で楽しくしているところを邪魔されたから、だろう。

 しかしながら『彼女』も中々逞しい精神の持ち主なのか、フィアに睨まれても何処吹く風。先程から浮かべている嫋やかな微笑みは微動だにしない。どうやら敵意や悪意はこれっぽっちもなさそうだが、ならば何故自分が呼び止められたのか分からず花中は首を傾げる。

 戸惑いと警戒心を見せる花中達に『彼女』が最初に見せた行動は、ぺこりと、深々と一礼する事だった。

「まずは自己紹介から。わたくし、大月(おおげつ)と申します。以後、お見知りおきを」

「あ、えと、はじめまして……」

「……別にあなたの名前とかどうでも良いので用件を言ってくれませんか?」

 露骨な敵意を見せるフィアに、花中は驚きで声を失ってしまう。いきなりそんな失礼な事を、と窘めようにも呆気に取られ、口は空回りするばかり。そうして結局何も言えずにいたが、大月は気にも留めていない様子だ。申し訳なさそうに身を捩らせ、しかし楽しそうに微笑むばかりである。

「ああ、ごめんなさい。実はそちらの方に一つお願いがあるんですの」

 加えて花中を見ながらそう語るので、花中はますます困惑してしまった。

「わ、わたしに、ですか……?」

「ええ。あ、そんな難しい話ではありませんわ」

「は、はぁ……」

 わざわざ自分なんかを指名して、何を頼みたいのだろう? 初対面の相手というのもあって、流石の花中にも猜疑心が募り始める。

 大月はそんな花中と、微笑みを浮かべながら向き合う。一見して優しい笑みだが……何故だろう。その優しさに、得体の知れない不安を覚える。花中は思わずフィアの後ろに隠れ、フィアも花中を庇うように前に出る。

 警戒心を剥き出しにする一人と一匹。何かが起きれば、大きな『爆弾』が弾けそうな雰囲気の中、大月はゆっくりと口を開けた。ねっとりとした涎が口の奥底で糸を引き、白い前歯が花中に見せ付けられる。大月の表情はあたかも逃げ場のないウサギを前にした、獰猛なオオカミのよう。花中は背筋に凍るような冷たさを感じる。

 そして震える花中の前で大月は、

「わたくしと、お友達になってくれませんか?」

 臆面もなく、開いた口からそう頼み込んでくるのだった。




花中に接近する謎の美女。その正体や如何に!?

これほど白々しい後書きもそうはあるまい(ぁ)

次回は5/27(日)投稿予定です

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