降り注ぐ穏やかな陽光と、明るく賑やかな笑い声が満ちている。
そこは何処にでもある、有り触れた公園だった。春は盛りを越え、公園内に植えられた桜は花と葉が混じった、言ってしまえば少々『汚い』風貌を晒している。それでも見るに堪えないほどではなく、公園内にはたくさんの人々がしばしの憩いを堪能していた。
そして『彼女』は、公園の隅にある小さなベンチに腰掛け、幸せそうな人々を眺めていた。
彼女は人々の輪に入ろうとせず、淡々とその姿を眺めるだけだった。浮かべるのは嫋やかで、気品に溢れる微笑み。何をするでもなく、ぼうっとベンチに座ったまま。何を見ているか、何を考えているのかも分からず、ただただ動かないその姿はまるで彫刻のようだ。
しかし彼女は物ではなく、れっきとした生き物である。
「こんにちは!」
でなければ小さな女の子に挨拶されても、振り返り、優しく微笑み返すなど出来はしないのだから。
「……こんにちは。元気ですわね」
「うん!」
彼女の言葉に、女の子は大きな返事をする。背丈からして、四歳から五歳ぐらいの幼児だ。浮かべる笑顔は花のように眩しく、難しい考えなど何も抱いていない、無垢そのもの。可愛らしい花形のペンダントを首から掛けており、結構なおしゃまさんなようである。
彼女は女の子を優しく見つめ続け、
「やっぱり、元気なのが一番ですわ」
不意に、そんな独り言を漏らした。
彼女の独り言に、幼い女の子は何を思っただろうか。それは誰にも分からない。
何故ならその女の子は、忽然とその姿を消したのだから。
一瞬だった。もしも彼女と女の子を観察している第三者が居たなら、ほんの数秒目を離した隙に女の子が消えてしまったと訴えるだろう。そして何処にでもいる普通の女の子と、隅っこのベンチに座っていた女性を誰が観察しているだろうか。
事の顛末を知るのは、女性だけ。
されど彼女は何事もなかったかのように、静かにベンチに座り続けるのみ。彼女は目を閉じると、そよ風で奏でられる葉桜の音色に耳を傾け、優雅に時間を過ごす。
そんな自然の音楽会を、慌ただしい足音が妨げる。
あくまで上品に、何一つ苛立ちを感じさせずに開けた彼女の目に、狼狽えた様子の成人女性が映り込む。成人といってもまだかなり若そうで、二十代後半に差し掛かったかどうか。その顔立ちは特徴らしい特徴もない、ごく一般的なものであったが……先程彼女に近付いてきた女の子とよく似ている。あの子が大きくなったら、きっとこうなるのだろうと思えるほどに。
十中八九、あの女の子の母親に違いない。誰もがそう思う事だろう。
母親らしき女性 ― 若い母親、と呼称しよう ― は、あちらこちらを見渡す中で、ふと彼女と目が合った。若い母親は何かを言おうとして、しかし先程まで眠るように目を閉じていた彼女の姿を思い出したのか、口を噤んでしまう。
「あ、あの! うちの娘を見ませんでしたか!? 四歳になったばかりで、あの、赤い服を着てて……」
それでも娘への想いが勝ったのか、若い母親は彼女にそう尋ねてきた。余程慌てているのだろう、話が上手く纏まっていない。
されど問われた彼女は、若い母親に優しい微笑みを返す。次いでゆっくりと口を開き、
「やっぱり、小さな子は良いですわね。
脈絡のない、理解不能な言葉を若い母親に伝えた。
「……え?」
彼女の言葉を受けて、若い母親は上手く聞き取れなかったのかキョトンとなる。彼女はベンチからゆっくりと立ち上がると、若い母親と向き合う。
「大変美味しゅうございました。ありがとうございます」
そして見惚れるほどに美しいお辞儀しながら、感謝を伝える。
若い母親はまるで意味が分からなかったのだろう。表情は怪訝を通り越し、嫌悪感を剥き出しにしたものとなった……が、母親は抱いた気持ちを払うように顔を横に振った。頭のおかしな人の相手をしている暇などない、それより娘を探さねばと思ったのか。若い母親は駆け足でこの場を後にした。
母親の背中を見送ると、彼女もまたこの場を後にせんと歩き出す――――が、すぐに立ち止まった。それからしばしもごもごと、歯の奥に何かが引っ掛かったかのように口元を動かす。
やがて、ぶべっ、という汚らしい音と共に、彼女は口から小さなモノを吐き出した。涎塗れであるそれはべちゃりと地面に落ち、春の日差しを受けて淡く煌めく。
吐き出されたのは、花形のペンダントだった。
「……ちょっと物足りないですけど、我慢するとしましょう。空腹こそが最高のスパイスと言いますものね。あの子に会った時、お腹いっぱいではあまりに勿体ないですわ」
ペンダントには見向きもせずに独りごち、背後で娘を探し右往左往する母親など気にも留めず、彼女は真っ直ぐに歩き出した。
彼女は突き動かされていた。ただ一つの欲望によって。
その欲望は彼女の内で燃え盛り、無限の苦痛を与える。
例え一時癒えようと無尽蔵に湧き、底なしの渇望をもたらす。
理性を塗り潰し、他の世界を色褪せたものに変えてしまう。
大罪の一つであるその欲望は、数多の地獄を呼び起こす。
されど彼女はその欲望に抗わない。
否、むしろ身を委ね、その地獄を受け入れる。
苦難の先に、無尽の幸福が広がる事を知っているがために。
だから彼女は笑うのだ。
だから彼女は進むのだ。
だから彼女は語るのだ。
「ああ、早くお会いしたいですわ……大桐花中ちゃん。一体どんなお味なのかしら」
じゅるりと、涎を垂らしながら……
第九章 女神の美食
はい、いきなりえぐい描写で登場です。
今まで色んなミュータントやらなんやらを出しましたが、
次章はストレートにヤバい奴ですよ。
次章は5月上旬投稿予定です。