彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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Birthdays9

「「ハッピーバースデー! はなちゃーん(花中ぁ)!」」

 軽快な破裂音と共に、二つのクラッカーから鮮やかな色紙が噴き出し、辺りを華麗に飾った。次いでパチパチと、疎らながらに起きる拍手。和やかな笑い声もおまけとばかりに付いてくる。

 それは『誕生日パーティー』としてはごく有り触れた光景だろう。

 しかし花中にとっては、初めて友達に誕生日を祝ってもらえた瞬間である。さながら決壊したダムの如く勢いで嬉しさが溢れ出し、感極まった花中の目には大粒の涙が浮かんだ。身体の力も抜けてしまう。もしソファーではなく普通の椅子に腰掛けていたなら、腑抜けた身体ではしっかりと座れず、転がり落ちていたかも知れない。

 震える喉からは、引き攣った声を出すのが精いっぱいだった。

「あ、ありが、とう……う、ぐすっ……」

「ちょっとぉ、誕生日パーティーぐらいで泣かないでよ。見ているこっちが恥ずかしくなるじゃない」

「相変わらず大袈裟だなぁ……というか、誕生日って祝ってもらうと嬉しいものなの? 美味しそうなものはいっぱい食べられるみたいだけど」

 一人泣きじゃくる花中に、祝ってくれた友達二匹――――ミリオンとミィは呆れ顔を浮かべる。

 冷静にツッコミを入れられると猛烈に恥ずかしくなってきて、花中は真っ赤にした顔を俯かせた。尤も、うへへへへ、と口から本心がだだ漏れ状態。そんな声をしっかり聞き届けた二匹は揃って肩を竦めた。

 大桐家のリビングにて行われた、花中の誕生日パーティー。

 集まったのはミリオンとミィの二匹だけ。ミリオンに誘われてやって来たというミィに至っては体重が重過ぎて家に上がれず、何時も通り庭に続くガラス戸から上半身だけ乗り出している状態だ。ソファーの前にある小さなテーブルに乗せられた料理の大半は花中が作った自前のもので、ミリオンが買ってきてくれたケーキも切り分けられたものが『四つ』だけ。お世辞にも賑やかなパーティーではないが、だけど花中にとっては最高のパーティーだった。

 唯一残念なのは、大親友である『彼女』がこの場に居ない事だけである。

「……それにしても、フィアちゃん、何処に行ってるんだろう」

 不意に思い出してしまい、花中はぼやくように独りごちる。

 昨日のお昼頃ちょっと『ご飯』を食べに行っただけかと思ったら、夜になっても帰ってこず、真夜中には薬物の密売組織を壊滅させていた。何故そんな事になっているのかさっぱり分からず困惑していると、フィアは急に慌てふためき、何処かに去ってしまった。今まで数多のミュータントの目的を推察し、見抜いてきた花中であるが、今のフィアが何をしたいのかさっぱり分からない。

 一応ミリオンからは「青春してるだけだからほっといて平気よ~」と伝え聞いているので、心配はしなくて良いだろうと考えているが……自分から言い出した誕生日パーティーに遅れるとなれば気にもなってくる。

 何より、フィアは花中(じぶん)と遊ぶのが大好きなのだ。色々と忘れっぽい性格ではあるが、好きな事についてはちゃんと覚えているタイプでもある。この誕生日パーティーをすっぽかすとは考え難い。何か、のっぴきならない事態に見舞われているのでは……

 フィアの事が頭から離れず、花中は隙あらば、そわそわとした気持ちで身体を揺すってしまう。

「はなちゃん、そんなに心配しなくても大丈夫ってさっき言ったでしょ?」

「へぅ!?」

 ついには内心を見抜いたミリオンに窘められてしまい、ハッとした花中はわたふたしてしまった。折角のパーティーなのに気もそぞろでは怒られるかも……と思う花中を一蹴するかのように、ミリオンは楽しげに笑うだけ。

「ねぇー、ミリオン。そろそろプレゼント渡さないの?」

 ミィに至ってはマイペースに、何処からか取り出した『包装された箱』を見せながらミリオンに尋ねていた。

「あっ! もぉー、勝手に出しちゃ駄目でしょ。そーいうのはタイミングが大事って言ったじゃない」

「だってこの調子じゃ何時までも渡せそうにないんだもん。というかあたし、勿体ぶられるのも勿体ぶるのも苦手だし」

「ええい、これだからケダモノは……」

 能天気なミィの態度を前にして、ミリオンは諦めたようにため息を吐く。

 そんなぐだぐだな空気の中で、花中は大きく目を見開いた。

 聞き間違いか? 或いは自分の願望がふっと湧いてきて、そうなった時を想像して勝手に舞い上がり、現実と夢の区別が付かなくなったのだろうか。

 だけど、もしかしたら、もしかして、もしかするかも。

「あ、あの……今、『プレゼント』って……」

 恐る恐る、花中はミィ達に尋ねる。

 花中に訊かれた二匹は、息ぴったりに互いの顔を見合う。

「うん、言ったよー。ほい、あたしからのプレゼントね」

「もぉー……色々考えてたのに全部台なしじゃない」

 そしてミィは底抜けに明るく、ミリオンはあからさまにガッカリしながら、二匹はプレゼントを花中へと見せた。

 可愛らしい包装の施された小箱を差し出され、花中の身体は勝手に飛び跳ねた。胸は焼けるように熱くなり、手足が強張って痛い。目に浮かぶ涙の所為で前が見えず、震える喉は感謝を伝えるどころか呼吸すら満足に出来ない有り様である。

 正直、割と苦しい。しんどい。なんというか、気絶しそうだ。

 それでもこの感覚にずっと浸かっていたいぐらい、花中の頭は嬉しさ一色に塗り潰された。

「ぁ……あり……げほっ! ごほっ! けほっ!」

「いや、喜んでくれるのはこっちとしても嬉しいけど、咳き込むのはどうなの?」

「はなちゃん、もうちょっと落ち着きましょ? むせび泣くにしても、せめて中身を見てからにしてほしいから」

 なのでお礼を言おうとしたら、言葉が詰まるどころか咳き込む有り様。なんともマヌケな醜態を晒してしまった羞恥と、二匹から割と容赦ないツッコミを入れられ、段々と花中の気持ちも落ち着いてくる。『普通』の嬉しさぐらいまで気持ちが静まったところで、こほんと綺麗に咳払い。

 しっかりと腰に力を入れ、ソファーから立ち上がった花中は庭へと通じる窓へと向かう。そこで待つミィの前まで来ると、ゆっくりしゃがみ込んだ。

「ありがとう、ございます。えと、ここで開けても、良いですか?」

「勿論良いよー」

 それから満面の笑みを浮かべて、ミィからのプレゼントを受け取る。了承ももらい、花中は早速、受け取ったプレゼントの包装紙を解いていく。

 鮮やかな色紙の中にある小さな紙箱を開けたところ、猫をデフォルメしたようなキャラクターのアクセサリーが収まっていた。

「ふわぁぁ……キーホルダー、ですね?」

「うん。雑貨屋で見付けてね。可愛いから花中が好きそうだなぁって思って買ってきたんだけど、どう?」

「はいっ! すっごく、可愛いです!」

 素直な想いを伝えれば、ミィは満足げに胸を張る。その姿がまた可愛らしくて、花中の口から小さな笑い声が漏れ出てしまう。

 折角もらったプレゼント。なくしてはならないと、花中はスカートのポケットに入れていたスマホを取り出し、早速付けてみる。アクセサリーは小さく、付けたところで劇的にスマホのシルエットが変わる訳ではない。だがそれまでの飾り気がない、『事務用品』のようなイメージは一変。年頃女子のお洒落アイテムへと進化したように感じられた。

 なんだか持ち主である自分までお洒落をしている気分になり、ちょっと恥ずかしい……同時に、こんな可愛いものをもらえたんだぞと自慢したくもなる。にへへへへへ、という珍妙な声が、そんな花中の気持ちを代弁していた。

「そっちは堪能したかしら? じゃあ、次は私の番ね」

 花中が喜びに浸る最中、傍までやってきたミリオンが次のプレゼントを渡してきた。嬉しさの重ね掛けに、花中はもう、上がりっぱなしの口角が痛くて仕方ない。

 スマホを大事にしまい、花中はミリオンから受け取ったプレゼントを、了承を得てから開ける。ミィのプレゼントよりもちょっとだけ大きな箱の中身は……可愛らしい花柄模様のマグカップだった。

「わぁ……! 可愛いです! これっ!」

「はなちゃんこういうの好きかと思って買ってみたけど、喜んでもらえたなら何よりね。レンジに掛けても大丈夫なやつだから、ホットミルクとかココアもそのまま作れるわよ。まぁ、もう大分暖かい季節だから、そーいうの作る機会なんてないかもだけど」

「大丈夫です。ちゃんと、大事に使って、何年も使います、から」

「それはプレゼントした甲斐があるってものね」

 言葉通り両手で大事にマグカップを掴む花中に、ミリオンは嬉しそうに微笑みを向けてくる。

 そして花中は受け取ったプレゼントを大事に大事に、食器棚まで運んだ。

 これらの品は、普通の人からすれば大したものではないかも知れない。いや、ミィやミリオンの態度を鑑みれば、彼女達にとっても『些末』な品である筈だ。それでも花中にとっては、胸が弾み、目頭が熱くなるもの。かつての、友達がいなかった頃の花中なら、この嬉しさに耐えきれず失神していただろう。今でも気を弛めたら、そのまま熱に浮かされて倒れてしまいそうだ。

 だけど今の花中は欲深だ。

 友達二匹からプレゼントを貰えた。それだけで自分はとても幸せな身だと思うのに、『もっと』なんてワガママは思うのだって悪い事なのに。

 フィアちゃんからのプレゼント、欲しかったな……

「あら。ようやくお姫様が到着したみたいね」

 そんな考えが脳裏を過ぎった、丁度そこに被せるかのように、ミリオンが不意に独りごちた。

 その独り言の真意を確かめる間もなく、玄関の方からガチャリと扉を開ける音がする。

 音の意味を理解するや、花中は右往左往しつつ、ちゃんとマグカップを食器棚にしまってから、リビングを駆けた。目指すのは当然玄関。とてとてと今にも転びそうな足取りを止めず、リビングの戸を勢い良く開ける。

 辿り着いた玄関では、顔を俯かせたフィアが立っていた。

 

 

 

 結局、戻ってきてしまった。

 花中の家に戻ったフィアは、自身の選んだ行動に辟易していた。時計なんて持っていないが、体内時計の感覚からしてもうお昼は過ぎただろうか。誕生日パーティーには多分遅刻している。花中は時間にきっちりした性格なので遅刻なんてしたら怒られるかも知れないのに。前へ進むための『足』が重くこんなにも時間が経ってしまった。

 そしてこれだけ油を売っておきながら用意したのは……

「フィアちゃん!」

 俯いていたフィアだったが、不意に名前を呼ばれ慌てて顔を上げる。そこには、リビングからやってきたのであろう花中の姿があった。

 玄関戸を普通に開けたので物音は立てた。だから花中が『来客』に気付き、こうして出迎えに来るのは必然。それぐらいはフィアも分かっている。

 分かっているのに、フィアは思いっきり怯んでしまった。

「花中さん……えと……ただいま帰りました……」

「帰りました、じゃないよ。今まで、何処に行ってたの?」

「その……ちょっと探してて……」

「え?」

 花中に問われ、バツが悪そうにフィアは答えるフィア。しまった、と思った時にはもう遅い。花中は何かあったのかと今にも訊きたそうな眼差しで、じっとフィアを見つめてくる。

 誤魔化す、という選択肢はない。どの道何時かは話さないといけない事なのだから。

「……………これです」

 それでもしばしおどおどしてから、観念したようにフィアは片手を前に突き出す。

 花中は出されたフィアの手をじっと見つめてくる。フィアはその手を開こうと、だけど躊躇ってつい閉じて、そんな動きを数度してからようやく手の内にあるもの……一本の草を見せた。

 ぱっと見ただの草としか思えないそれは、よくよく見れば四つ葉のクローバーだと分かるだろう。オモチャではなく本物の。逆に言えばそれ以外の特徴がない、極々普通のクローバーである。

 ()()()()()が一体なんなのか? さしもの花中にも分からないに違いない。

「えと……これ、クローバーだよね? これが、どうしたの?」

 だから花中がこう尋ねてくるのは予想通り。

 加えて難しい質問でもない。フィアはその答えを既に知っていて、ほんの一言で片付くほどにシンプル。すぐにでも答えられる。

「……プレゼントです」

 なのに、この一言を絞り出すのに、フィアは短くない時間を必要とした。

「……プレゼント?」

「花中さんの誕生日の……私お金とか何も持ってなくてどうにかしようとはしたのですけどでもなんか全然思っていたようにいかなくてだからずっと何かないか探したのですが見付からなくてその……ごめんなさい」

「……そっか」

 捲し立てるように出てきた言葉も、花中には一回頷かせるだけの力しかない。しょんぼりと、フィアは俯いてしまう。

 あれだけ自信満々に啖呵を切ったのに。

 期待をさせておきながらこの体たらく。きっと酷く失望させてしまった筈だ。無論この程度で嫌われるとは思っていない。自分と花中の友情はそこらの有象無象とは比較にならないほど強固だと、フィアは特に『根拠』もなく信じているからだ。

 しかし失望させたという事が、酷く辛い気持ちにさせる。

 何故ここまで自分は落ち込んでいるのか、フィア自身にもよく分からない。花中の悲しい顔を見たくないというだけで、こんなにも自分が落ち込むとも思えないからだ。そして分からないのでどうしたら良いのか考えられない。いっそこんな草は握り潰してなかった事にしてしまえば――――

 その考えが過ぎるや無意識に閉じようとした『掌』を、花中が不意に触ってきた。自分の力の強さはフィアが一番よく知っている。もしこのまま閉じたなら、人間の脆弱で貧相な手など一瞬でケチャップの仲間入りだ。大切な友人を傷付けてはならないと、フィアは慌てて手を開く。

 だから掌の上にあった四つ葉のクローバーを、花中に持っていかれてしまう。

「うん、凄く嬉しい。ありがとう、フィアちゃん」

 そして花中は大事に両手でクローバーを掴みながら、心底嬉しそうな笑顔と共に感謝を述べてきた。

 フィアは自らの聴力に絶対的な自信を持っている。何十メートル離れたところの内緒話だって聞き逃さないし、音の反射具合から地形を把握する事だって可能だ。ましてやこんな、一メートルも離れていない花中の声を聞くぐらい、失敗するなどあり得ない。

 それほどの自信を有する耳が捉えた言葉を、フィアはすぐには理解出来なかった。ややあってようやく意味を解した時にも、フィアは喜ぶよりも前にキョトンとしてしまう。次いで、やはり喜ぶよりも前に、困惑してしまった。

「……え? こんなものでよいのですか?」

「うん。だって、フィアちゃん、一生懸命これを、探してくれたんだよね?」

「へ? ええまぁ確かに一生懸命と言えばその通りでしょうけど」

「なら、嬉しいよ」

 本当に嬉しそうに、気遣いなんて感じられない笑顔を浮かべて、花中はそう答えた。

 勿論、フィアとしても嬉しそうな花中を見られて嫌な筈がない。

 それでも訳が分からなくて、フィアはポカンとしてしまう。確かに自分も花中からのプレゼントなら大概のものは喜べるだろうが……しかしそれはお茶碗のように『用途』があったり、ゲームのように『遊べる』からだ。花中と一緒に食事が出来るとか、遊べるとか、これから楽しい事が起きると予想出来るから嬉しいのである。

 こんな道端の草で、一体何を楽しめる? 何が出来る?

「……どうしたの、フィアちゃん?」

「どうしたもこうしたも……何故それで喜んでくれるのですか? 何か使い道があったり前々から欲しかったものなのですか?」

「うーん、欲しかったものかと、言ったら、そうでもないけど……あ、使い道なら、あるよ」

 そう言うと花中はトコトコと、可愛らしい小走りでリビングに戻る。一瞬の戸惑いを挟んだ後、フィアは花中の後を追ってリビングに入った。

 リビングにはミリオンと野良猫(ミィ)がいたが、フィアは無視して素通り。何時も通りなフィアの態度に今更イラつくような付き合いでもなく、ミィ達は互いの顔を見遣って肩を竦めるだけだ。

 フィアが見るのは花中のみ。花中はもらったクローバーを一旦リビングのテーブルの上に置くと駆け足でキッチンに向かい、やがて二枚のキッチンペーパーを持ってきた。そのキッチンペーパー二枚の間にクローバーを挟むと、今度はテレビが置いてある棚の方へと駆け寄り、そして分厚い辞書を一冊持ってくる。

 そして丁度真ん中辺りを開くと、キッチンペーパーとクローバーをその間に挟み込み、辞書をパタンと閉じた。

「はい。これで何日か待って、押し花にした後、栞にすれば、使えるものになるよ」

 一通りの作業を終え、花中は満足げに答えてみせた。

 しばしポカンとしていたフィアは、やがて思わず吹き出してしまう。

 やはり人間の事はよく分からない。

 大好きな花中の気持ちだって分からない。こんなものただの『草』なのに。何も用意出来なかったから苦し紛れに採ってきただけなのに。どうして怒るどころかあんなにも喜んだのだろう? どうしてわざわざ使い道を考えてくれて、自分を『納得』させようとしてくれるのだろう?

 フィアには全く分からなかった。分からなかったが、一つだけ確かな事がある。

 花中は自分のプレゼントを喜んでくれた。

 だったらそれで十分ではないか。

 花中の笑顔が大好きなフィアはその事が嬉しくて、今までの『悩み』など何処かに飛んでいってしまうのだった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……くそ、くそくそくそくそくそっ!」

 人気のない路地裏を、一人の若者が駆けていた。

 その若者の名前は村田という。

 警察に逮捕された村田であるが、『予知』を用い、一瞬の隙を突いて逃げ出したのである。今頃何十、いや、何百の警察官が村田を捕らえようとしているだろうが、予知能力を行使すれば回避は容易い。逃げ果せる事はほぼ確実だ。

 つまりは『勝利』を手にした訳だが、村田の顔は憤怒に満ちていた。

 村田は所謂チンピラだった。それも身体はあまり大きい方ではなく、乱暴だが考えが単純なのもあってケンカはあまり強くない、底辺の中でまぁまぁ粋がれる程度の無能だ。上の者には媚びを売り、下の者には威張り散らす。お陰で上からは軽んじられ、下からは慕われない。何から何まで上手くいかない ― 間違いなく自業自得なのだが ― 人生を歩んできた。

 そんなある日、一人の老人から『力』をもらった。

 最高の力だった。ケンカ、否、組織の抗争すらも一人で捻じ伏せるほどの大きな力。警察の襲撃も察知し、裏切りも予見する。この力を使えばどんな輩も怖くない。『ブレインハック』という裏社会ですら売れば制裁不可避の品を取り扱っても、自分にその害が及ぶ事はないのだ。

 この力で自分は頂点に立てる。

 そう信じていたのに、疑わなかったのに。

 ――――水を操るなんて、ちんけな能力を使う奴に負けた。

「クソがあああっ!」

 近くにあったゴミ箱を蹴り倒し、苛立ちを発散しようとするもまるで収まらない。村田は荒々しい息を繰り返し、目を血走らせる。一目で危ない、『ヤバい』と思わせる状態だ。

「おやおや、随分と荒れているじゃないか。生理かね?」

 そんな彼に呼び掛ける声があった。

 村田は、さながら獣の如く鋭さで声がした方へと振り返る。と、その血走った目を大きく見開いた。

 白い手袋、上品なステッキ、高級感のある燕尾服……いずれも見覚えがある格好だった。いや、こんな気取った姿をした輩、昨今そう多くはあるまい。

 彼こそが、自分に『予知能力』を授けた老紳士。

「このクソジジイ!」

 そうと分かるや、村田は『恩人』に向けて罵声を浴びせた。

 感謝こそされども、恨まれる覚えはない。そう言いたげに老紳士は肩を竦める。ただ、それだけ。血走った目付きも、興奮しきった鼻息も、老紳士は全く心に届いていない様子だった。

「君ねぇ、私が渾身のボケを言ったのだから拾ってくれないかね? 女じゃねぇよ! みたいなの。それとも本当に生理なのかね? 女の子ならもう少し身嗜みに気を遣った方が」

「ふざけてんじゃねぇ! どういう事だ! なんで俺の、俺の力が負けんだよ!」

「……ほほう、これは中々奇妙な体験をしたようだ。成程ねぇ」

 村田の怒りなど何処吹く風。老紳士は目をパチクリさせると、心底心惹かれたかのようにじっと村田の目を見つめてくる。

 さしもの村田も、自分に力を与えてくれた『怪人』に見つめられればいくらか気持ちも萎む。おまけにまるで全てを見透かすような言葉……『予知』とは異なる力を感じさせる。

 先程までの威勢は薄れ、一歩、二歩と村田は後退ってしまう。

「更なる力が欲しいなら、あげるのもやぶさかではないよ」

 尤も老紳士の口から出た甘言によって、その足は引き留められたが。

「なっ!? んだと……!?」

「実を言うとね、君に与えた力は未来予知ではないのだよ。本当の力は『高度な状況把握』……自身を中心にした一定範囲内の出来事を、それこそ人間離れしたレベルで把握する事さ。未来を予知する力は、その状況把握によってもたらされた副産物に過ぎない。力を得る前の君でも、拳を振り上げている人間を見れば殴られると分かるし、崖から地響きみたいな音が聞こえたなら崖崩れを予感するだろう? 要は、その感覚の凄いバージョンというやつだ」

「テメェ、だったら」

「いや、何も勿体ぶっていた訳じゃない。ただねぇ、この力は身体への負担が大きくて、力に慣れさせる必要があるのだよ。そして私が見る限り、君の身体は十分に力に慣れている。今なら上手くいくという判断からこの提案をしたのさ」

 あたかも『予知』するかのように、村田の言葉を遮りながら説明する老紳士。おちょくるような彼の態度に、村田は歯ぎしりをして苛立ちを露わにした。

 だが、その顔にはやがて笑みが浮かぶ。

 村田とて底なしの馬鹿ではないし、ましてや子供のような純朴さなどもう残っていない。老紳士が善意で力を与えているとは露ほども思ってなく、何かしらの思惑があると考えていた。同時に、その思惑のために自分は使える『手駒』であるとの自信もあった。でなければ二度目の接触をし、新たな力を授けるなど言う筈がない。

 加えて目の前の老紳士は、かつての自分の『上司』のような無茶ぶりはしてこない。求める上納金も些細なもので、人材を大事にするタイプだ。野心のある村田からしても、彼の『下』に付いて働く事にさして不満はない。

 何より、新たな力があればあの金髪女をぶちのめす事も……

 村田は静かに、ゆっくりと頷く。自身の提案を受け入れてもらった老紳士は嬉しそうな、朗らかな笑みを浮かべた。

「OK。では後ろを向いて、首を見せてくれたまえ」

 老紳士に言われるまま、村田は彼に背中を向けた。老紳士は村田に近付くと手袋を外し、素手で村田の首に触れる。ひたりと伝わる凡そ人の指とは思えない冷たさに、村田は微かに身震いした。

 老紳士は弄るように触る場所を度々変えていたが、やがて良い場所を見付けたのか。あるところで指を止めると、ぐっと、軽めの圧迫を掛けてくる。

「おっと。一つ大事な事を言い忘れていたよ」

 それからわざとらしく、老紳士は飄々と語った。

「ああん? んな事よりこっちを早くしてくれよ。テメェの話は長いからなぁ」

「いやいや、これ結構大事な話だから……君、もう要らないからお別れだよ。ま、身体は残るけどね」

「――――は?」

 それはどういう意味か。

 疑問を覚える村田だったが、残念ながら彼がその答えを知る事は出来なかった。

 次の瞬間、老紳士の指はずぷりと村田の首に突き刺さり

「ぐ、ぎご、おごぼおぉおあぉぁおっ!?」

 途端村田の口から、おぞましい悲鳴が溢れた。

 ぐるんと白眼を向き、口から泡を吹く。全身は痙攣し、やがて膝を付いたが、老紳士の指は突き刺さったまま。

 しばらくして痙攣さえも止まり、そこでようやく老紳士は村田の首から指を抜いた。

「どうかね? 調子の方は」

 老紳士は村田に優しく声を掛ける。すると村田は、膝を付いた状態から軽やかに起立。口元の泡を服の袖で拭い、ぐるんぐるんと肩を回す。数回ジャンプもしてもみせた……高々と、垂直に三メートルほど。

「うす。悪くはねぇっす。あ、でもやっぱそのうち他のに変えたいっすねぇ。これ、馬鹿だから知識が少なくて。身体の方はよく馴染むんすけどね」

 そして開いた口から、軽薄な言葉が出てくる。

 なんとも元気そうかつ能天気な様子の『村田』に、老紳士は満足げに頷く。

「いくらなんでも、低質にも限度があるのではありませんか?」

 その笑みは何処からともなく現れた、スーツを着た二十代ぐらいの女性からの苦言を受けても消える事はなかった。

「はっはっはっ。確かに、あまり大事な仕事は任せたくないタイプなのは間違いないね」

「うわぁ、ヒデェ言われようっすね。まぁ、実際難しい仕事とかしたくないっすけど。楽に出世したいっす」

「……何故あのような輩を使ったのです? この結果は、わざわざ予知などせずとも明白だったと思うのですが。おまけにこの人間が派手に動いた結果、我々が薬物売買に関与している事を『魚』に知られてしまいました」

「うむ。確かに、我々の同胞の一人が『魚』が薬物組織について探しているところを確認したからね。彼女が積極的に我々の仕事を邪魔するとは思えないが、彼女の傍にいる人間は違う。此処での仕事は、そろそろ潮時だ……だからこそ、だよ」

「? だからこそ?」

「最初から質は求めてないと言っただろう?」

 女性からの問いに老紳士はそう答えた――――刹那、二つの眼球がぼとりと()()()

 空っぽになった両目。されど老紳士は痛がるどころか、口をぽっかりと開けて間抜け面を晒す。と、そうして開いた三つの『穴』から、カサカサと音を立てて無数の黒いモノが這い出してくる。

 現れたのは、ゴキブリだった。

 所謂クロゴキブリであり、家屋などでよく見られる普通種。とはいえ人の体内から出てくるような、そんな化け物染みた生態の生物ではない。ところが老紳士の目から、口から、カサカサ、カサカサ、カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ……何十もの個体が、無数に湧いていた。併せて『中身』が傷付いたのか、どろどろとした赤黒い体液も出てくる。

「ソロそロコのカラだもフるクナってキタかラね。ワカいかラダニノリかえよウとオもッテイたんダヨ。タヌきドもヲマクニシてモカタチヲかエたホウガコうつゴウダシネ」

 それでも老紳士だったモノは、平然と喋っていたが。

 ゴキブリは、全身に優れたセンサーを備えている。

 微かな臭いも、地面の震動も、空気の流れさえも……外界の情報を積極的に収集する事で、ゴキブリは極めて優れた逃走能力を獲得した。普通のゴキブリですら人間を翻弄するほどに優秀な感覚を有している。

 もしもその感覚器が『ミュータント』化により強化されたなら? 極限まで進歩した感覚器は、遥か未来の事さえも予知するようになった。そして発達した感覚器は、新たな力をも芽吹かせる。

 他生物の感覚器、神経をもコントロールするという力を。

 神経に触れてしまえば、生物の身体を乗っ取れる。幼体では些か力が足りないが、幾度も『情報交換』を行い、自分と他者の神経を馴染ませれば、いずれは制御下に置ける。そうして彼等は人間の身体を、その神経を奪い取る事で支配し、自らの道具とする事に成功したのだ。おまけに人間の脳神経と連結する事で、ミュータントの素質がない子孫であっても、擬似的にミュータント化する『技術』までも彼等は編み出している。

 この老紳士だったモノも、ゴキブリ達に襲われた犠牲者の一人。脳細胞をも制御下に置かれたこの老人の身体に当人の意思などなく、温かくてジメジメとした環境と脳波を提供し、子孫を育むための苗床でしかない。必要最低限の臓器だけしか残ってなく、それさえも時間と共に痩せ衰えていく消耗品だった。

 やろうと思えば、かつての……幼虫に()()()()()()()前までの村田のような『共生』も可能だったろう。しかし彼等はその道を選ばなかった。人間を使い潰し、利用する道を選んだのである。

 それは彼と対する『女性()()()()()』も同じ。

「成程、それならば確かに『質』は問題ありませんね。中身を全部入れ替えるのですから」

「ドウかネ? キみのハイるすぺースグらイハあルトオモウガ」

「あら、良いのですか? 実のところこの身体にも飽きてきましたし、警察や闇組織にも顔を知られ始めたようですから、どうしたものかと思っていたのです。お言葉に甘えて、次の引っ越し先が見付かるまでご一緒させていただきます」

 老紳士だったモノからの誘いに、女性はあっさりと乗ってしまう。直後、女性の目玉も落ち、口を開け、無数のゴキブリが溢れ出した。

 現れた百を超えるゴキブリは、一直線に村田だったモノの身体を駆け上る。村田だったモノも這い回る害虫を振り払うどころか、大人しく口を開け、次々と体内に異生物を受け入れていった。

 同時に口から、鼻から、耳から、どろどろとした赤黒いものが溢れる。

 服を黒く染め上げ、足下にどす黒い水溜まりを作り、それでも村田だったモノはゴキブリを取り込んでいく。やがて老紳士だったモノと女性だったモノが力なく倒れる中、村田だったモノだけが立ち続ける。

 そして最後の一匹をごくりと飲み込み、村田だったモノはコキリ、コキリと肩を鳴らした。

「……ヤハリすこし狭かったか。だったら最初から誘わないでください。というか予知で分からなかったのですか。いやぁ、結構イケると思ったんだけどねぇ。ですから、ちゃんと予知してください」

 村田だったモノは途切れなく、まるで何人も居るかのように口調を変えながら()()()()()。男性のように顎を撫で、女性のように足を擦る。男のような笑みを浮かべ、女性のような歩き方をする。自分の身体を確かめるように色んな動作を、色んな雰囲気で行っていく。

 やがて、不服そうに項垂れた。

「こりゃ、早めに次の引っ越し先を決めた方が良さそうだ。そうですね。やはり男性の身体は馴染みませんし、何より人間の男は臭いですもの。え、君普段そんな事思ってたの? ええ。まぁ、短い付き合いですし、我慢しますよ。それよりケーキの予約をしてあるのですから、まずそちらを買いに行きましょう。新しい仲間の誕生日を祝わねばなりませんから。え、えぇー……いや、流石にそれは状況を考えて、あ、こら、勝手に歩き出さない! 足の支配権をこっちに渡しなさい!」

 わいわいと一人賑やかに、村田だったモノは歩き出す。

 何事もなかったかのように。足下に転がる人間の骸を片付けようともせずに。

 新しい獲物を求めて、ゆらゆらと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、次は何処にしましょうか」

 

「タヌキ達の利権が絡まない、途上国が良いだろうね」

 

「そうですね。感覚的にあまり時間はなさそうですから、少々派手に動かねばならないでしょうし」

 

「ああ、時間がない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「全ての終わりが、間もなく始まろうとしている」」

 

 自分達の繁栄を、守るために――――

 




はい、という訳で今回の敵はゴキブリでした。
しかも割と勝ち逃げである。

フィアはちょっとだけ『共感』が出来るようになったかも知れません。
まぁ、好きな人限定ではありますが。
花中以外の人間は相変わらず生死すらどーでも良いようです。

次回は今日中に。

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