彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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Birthdays6

 視覚とは不便なものだと、フィアは日頃から思っていた。

 確かに直接見える相手なら、どれぐらいの距離に、どんな奴が居るのか、瞬時に理解出来る。動きだって正確に捉えられるし、花中の可愛い顔を見られるのも視覚あってこそ。だから役立たずとは思わない。

 だが、物を見るには光が必要だ。

 光がなければ視覚はその力を失ってしまう。だから相手が闇の中に逃げ込んだなら、視覚ではそれ以上追えなくなる。いや、逃げ込まずとも適当な物陰に隠れれば、それだけで視覚頼りの追跡は途切れてしまうのだろう。『見えなくなる』方法など幾らでもあり、尚且つ難しいものではない。

 その点嗅覚は素晴らしい。物陰に隠れたところで、臭いが残っていれば近くに居ると分かる。対象の臭いの強さを知っているなら距離感だって掴めるし、そうでなくとも濃くなれば近付けている事が把握出来る。血の臭いが混じっていれば怪我をしていると分かるし、興奮状態や疲労によって体臭が僅かに変化する事も利用すれば相手のコンディションだって掌握可能だ。確かに視覚のような『即効性』はないが、こと追跡において嗅覚ほど優れたものはあるまい。聴覚も良い線いっているとは思うが、嗅覚が一番だ。

 フィアはこれほど嗅覚に信用を置き、また自信を持っていた。その自慢の嗅覚を用いれば、一度は逃げ切られた『人間』を再び見付ける事など造作もない。

「(居ましたね)」

 ビルの屋上から地上を見下ろしながら、フィアはニタリと笑みを浮かべた。

 歩道に設置された木製ベンチ……そこに一人の人間が腰掛けている。

 四階建てビルの屋上に居るフィアとベンチまでの距離は凡そ十五メートル。今は所謂黄昏時で、空には都会らしい疎らな星空が広がり始めている。駅前ほどではないにしろ建物の多い区画であるため街灯が多く、お陰でフィアの目でもベンチに座る人間の姿は確認出来た。尤も距離が遠い所為で、能力を使った『画像』拡大をしても大まかな服装しか分からない。その人物はフィアに背中を向けているので、顔だって見えない有り様だ。

 人間ならば、果たしてあの人間が目当ての人物か悩むところだろう。されどフィアは気にもしなかった。

 麻薬密売組織『クリーチャーズ』の一員らしき『奴』の臭いを辿り、此処までやってきたのだ。遠くて本当にあの時の人間と同じ姿か分からない? 顔が見えない? ――――くだらない問題である。フィアにとって嗅覚は、視覚よりも信用している感覚だ。嗅覚よりも視覚を重視している人間は、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」なんて理由で判断を鈍らせない。それと同じである。

 故にフィアは、ビルの屋上から『身投げ』した。

 命綱なしに、四階建てとはいえビルの屋上から飛び降りたのだ。傍から見れば完全なる身投げである、が、フィアからすればちょっとした段差を飛び降りただけに過ぎない。

 そして目指すは、ベンチに座る人間。

 高度からの奇襲により、『奴』を捕らえようという作戦だ。自由落下とはいえ十五メートルほどの高さから飛び降りた時、最高速度は時速六十キロを超え、地上到達には約一・七秒しか掛からない。風切り音や『気配』に気付いて頭上を見上げた時、『奴』の間近までフィアは迫っている。

 躱せる筈がない

 ……飛び降りた少し後に動いたなら。

 しかし『奴』は、フィアがビルから足を離したその瞬間、脇目も振らずに走り出していた!

「ちっ! やはり勘だけは鋭いですねぇっ!」

 自由落下故に方向転換も出来ず、フィアはベンチの真上に到着。数百キロはある巨体を木製ベンチが支えられる筈もなく、数多の人々の身体を休ませてきたベンチは粉微塵に吹き飛んだ。それでも尚フィアの勢いは止まらず、コンクリートの道路を着地の衝撃で陥没させ、辺りに小規模な地震を発生させる。

 まだ夕飯時にも早い時間帯。それなりに居た通行人達が揺れとフィアの出現にざわめく中、されどフィアは彼等の存在すら眼中になく、段々と離れていく『奴』の背だけを見る。

「ふんっ! 二度も逃げきれると思わない事です!」

 そして適当に伸ばした腕で、そこらにあった街路樹を掴んだ。

 何時ものフィアなら、こんなに暴れたら花中に怒られるかも、と思って『それ』をする事に幾らか躊躇しただろう。

 しかし今のフィアは違う。たかが人間如きに一度とはいえおめおめと逃げられてムカついていた。早いところ『奴』を捕まえ、もらったお金で花中へのプレゼントを買いに行きたかった。何よりもう何時間も花中と会っていないから、そろそろ花中の下に帰りたかった。

 要約するにフィアはかなりイライラしていて、色んなところが『雑』になっていたのである。

「ふぅんっ!」

 フィアは人外の怪力で、掴んだ街路樹を引き抜いた! 手品だとしてもあまりに大仰な『パフォーマンス』に通行人の誰もが度肝を抜かれ、驚きのあまり尻餅を撞く者もちらほら。

 そしてフィアがその大木を構えて投げようとしてみせれば、ざわめきは一瞬で悲鳴に変わった。

 人々の叫びを聞き、『奴』は危機感を覚えたのだろうか。真っ直ぐ駆けていた足を、突然方向転換した。先程の降下奇襲と同じく、フィアが行動を起こしたタイミングとほぼ同時。だが、今回はまだ構えただけ。修正は可能。

「ぶっ潰れなさいっ!」

 ほんの少し手首の向きを変え、フィアは大木を『奴』目掛け投げ飛ばした! 狙いは大雑把であるが、巨大な木の前では多少の誤差など問題にならない。放物線を描く巨木は確実に『奴』の動きを捉えていた。期待通りの軌道にフィアはにやりと笑みを浮かべる。

 ……もしも昼間だったなら、フィアは気付けただろう。

 此処はビルなどが幾らか建ち並ぶ、それなりに栄えた区画。街灯もたくさん並んでいる。当然、『電線』も相当数走っていた。実際人間の目であれば、夜空にぼんやりと浮かび上がる無数の電線を確認出来る。しかしフィアの目には見えない。見えないので、放物線を描く大木が()()()()も分からない。

 フィアの目には、真っ直ぐ飛んでいた筈の木が突然空中で静止したように見えた。

「んなっ!? 何が――――ッ!」

 予期せぬ出来事に狼狽えたのは一瞬。背面頭上から迫る気配を察知し、フィアはその身を強張らせる。

 直後、襲い掛かってきたのは電柱。

 フィアが投げた街路樹は電線数本に引っ掛かり、その力によって電線とつながっていた電柱の一本が引き倒されたのだ。連鎖的に何本もの電柱が倒れ、その中の一本が『偶然』にもフィアをど真ん中に捉えたのである。

 フィアにとって、この程度の『攻撃』など脅威ではない。頭上からの攻撃なので本能的に身構えてしまったが、普段通りの防御力があれば『本体』には衝撃一つ届かない。電柱の直撃を受けても平然としているフィアは、今度は倒れてきた電柱を『奴』に投げ付けてやろうと手を伸ばした。

 が、途中で引っ込めた。

 辺りが真っ暗になっていたからだ。辺りの街灯や建物から光は消え、疎らな星空だけが地上を照らしている。恐らく先の電柱が倒れた際、電線の何本かが耐えきれずに千切れたのだろう。『奴』の姿は闇夜に溶け込み、フィアの視力では見付けられない。

 またしても逃げられた……と諦めるのが普通だ。

 だが今のフィアは普通ではない。一度ならず二度も逃げられ、完全に頭に血が上っていた。電線に引っ掛からなければ今頃『奴』を捕らえていたという想いも苛立ちを加速させる。

「待ちなさい! 逃がしませんよ!」

 暗闇の中を、フィアは陸上での最大速力である時速二百キロオーバーで突き進む! 自動車すら彼方に置いていく速さの前に、障害物などありはしない。横たわる電柱を蹴り上げ、電線を引き千切り、アスファルトで舗装された道路に穴を開けて猛進するのみ。

 そしてこの突進、前など見えていない。

 本当にフィアには何も見えていない。輪郭すら分かっていない。人間ならば、否、まともな生物ならばまず出来ない暴挙であるが、フィアには強靱な『肉体』がある。何にぶつかろうと『本体』には傷一つ付かないのに、一体何を恐れるというのか。

 猪突猛進をも凌駕した、狂気の突進。目の前に迫る物が何かなど最後まで気付きもせず、やがてフィアは壁のようなものに激突した。コンクリートで出来ていたのだろうか、それは岩が砕けるような音を響かせ、次いで呆気なく崩落。突き抜けたフィアの『身体』に土のような感触が伝わった。衝突の余波により周りでも色んな物が壊れたようで、様々な轟音が耳に入り込んで頭の中を塗り潰さんとする。

 されどフィアの聴覚は人間の比ではない。

「うおっ。マジかよ、本当に突っ込みやがった」

 様々な音の中に『奴』の声が混ざっていた事を、逃さず感知した。

 ぐるりと作り物の頭を声がした方へと振り向かせる。相変わらず暗くて何も見えない。が、音の反響具合から『奴』との距離は約七メートル、方角からして『奴』との高低差ほぼなし、音の余韻から推察し遮蔽物なし……大まかではあるが周辺の地図がフィアの脳内に組み上がった。

 コースが()()()のだ、行動に支障はない。フィアは土にめり込んだ『身体』を強引に引き抜き、『奴』に飛び掛からんとした

 刹那、胴体の側面を何かが押した。

 否、押したのではない――――呑み込もうとしている!

「ぬぅっ!?」

 全身くまなく掛かる圧力の流れに、フィアも思わず声を上げる。

 これは、土砂崩れだ。

 フィアが突っ込んだのは、切り立った崖が崩れないよう補強しているコンクリートだったのだ。それをぶち破った挙句電柱すら弾き返すほどのパワーで土を揺さぶったなら、崩落は必然である。

 フィアからすれば数トンの土石などそよ風のようなものだが、身体に纏わり付いて動きが阻まれる。おまけに視界、は元より皆無であるが、鼻と耳を塞がれてしまった。

 渾身の力で押し寄せた土砂を吹き飛ばすも、身動きを封じられていた時間は短くない。急いで辺りの臭いを嗅いだが、既に『奴』は遠く離れてしまっていた。

 無論、臭い自体が忽然と消えた訳ではない。辿れば『奴』を三度追い詰める事が出来る筈だ。しかしそんな事はどうでも良い。たかが人間如きに二度もしてやられた。圧倒的な力を誇る自分が、あのような脆弱で愚鈍な生き物に翻弄されたのだ。苛立ちを覚えぬ筈がない。

「ぐぬぎぎぎ……!」

 ズダンズダンと足下の道路を打ち抜き、周囲の建物を揺さぶる地団駄を踏むも、イライラは晴れない。

 そしてフィアは、気持ちが昂ぶった時、一旦立ち止まって考えようと思うタイプではない。むしろ駆け巡る衝動に身を任せ、何はともあれ行動を起こすタイプだ。

「次こそはぁぁぁ……覚悟しなさぁーいっ!」

 負け惜しみ、と呼ぶにはあまりにも猛々しい雄叫びで街全体を震わせると、フィアは三度駆け出し――――

 

 

 

 何かがおかしい。

 夜も更け、人気もなくなり、家々から夕飯の香りも消え失せた頃。ギラギラと照明輝く歓楽街のど真ん中で、違和感を覚えたフィアは立ち止まった。

 『奴』と出会ってから、果たして何時間経っただろう。

 時計を持っていたなら、四時間半とフィアは答える事が出来ただろう。その四時間半の間に、フィアは幾度となく『奴』を追い詰めた。見付ける事は難しくない。『奴』の纏う臭いが『奴』の逃走ルートを正確に指し示し、その居場所を教えてくれるから。あと一歩まで迫るのも難しくない。『奴』の身体能力は人間にしては中々のものだが、フィアの圧倒的力と比べれば有象無象も同然なのだから。だから『奴』を捕まえる事は、本来ならば何も難しくない。

 今も捕まえられずにいるのは、寸でのところで邪魔が入るからだ。

 いや、邪魔というよりと不運というべきか。床が抜ける、建物が崩れてくる、トラックとぶつかる、電柱が倒れてくる、崖崩れに巻き込まれる……あれ以降も何度か『奴』と接触したが、あと一歩のところでトラブルが起きるのだ。フィアだからこそ無傷でピンピンしているが、人間だったら死んでいてもおかしくない不運ばかり。おまけに『奴』はひょっこりその不運を回避しており、結果フィアだけが足止めを食って逃してしまうのである。

 なので腹を立てながら何度も何度も追っていたのだが、今更ながらこれはおかしいような気がする。

 自分が不幸に見舞われるのはこの際受け入れるにしても、『奴』だけが逃れているのは些か都合が良過ぎる。『奴』はなんらかの方法で難を逃れている、或いは『奴』が自分を振り切るために何かをしているのではないか……何度も失敗してようやくその可能性が脳裏を過ぎったフィアは、これまでの事を振り返ってみる事にした。

 まず、追い詰められた『奴』は基本的には逃げるだけである。

 『奴』は直接的な攻撃を一切行っていない。数千度の熱を自在に操ったり、超音速の蹴りによる衝撃波を飛ばしてきたり、建物を吹き飛ばすほどの大出力レーザー光線を撃ってきたりはしてこない。ただただフィアに背を向けて、不様に、一目散に逃げ惑うだけだ。

 それはフィアへの攻撃のみならず、外への何かしらの『干渉』についても同じ。少なくとも逃げている最中の『奴』が、露骨に何かを仕掛けている素振りはなかった。辺りが暗くなり、目が良くないのでフィアには『奴』の姿はぼんやりとしか見えていないが、もし何か怪しい行動をしていれば野生の勘で違和感を覚える筈だ。フィアにはその自信がある。

 嗅覚や聴覚など、人間とは比較にならないほど優れている感覚器でも異常は察知していない。『奴』が仮に何かやっていたとしても、精々石を投げたとか、棒を倒した程度のものだろう。

 ……棒を倒したり、石を投げたりで、一体何が出来る?

 フィアにはさっぱり分からない。うんうん唸りながら記憶を辿り、自分が見てきた、体感したものを思い起こしてみるが、新しい情報は何も出てこなかった。感じ取った『力』の正体は未だ不明だが、これについてもその『力』を自分に使われたような感覚はない。

 あまりにも訳が分からないものだから、花中に相談してしまおうか、とも考えてしまう。しかしそうなると事のあらましを話さねばならず、プレゼントを買うためのお金がない事、犯罪者を捕まえた賞金でプレゼントを買おうとしている事を知られてしまうに違いない。折角サプライズで喜ばせようと思っていたのに、ここで話してしまったら全部水の泡だ。

 花中に頼る事も出来ず、フィアは途方に暮れてしまった。もう『クリーチャーズ』は諦めて他の犯罪者にするべきか? いや、夜も更けてきた今となっては、引き返すには遅過ぎる。退くに退けず、前にも進めず、どうしたら良いのかさっぱり分からない。

 悩んだフィアの足は止まり、道のど真ん中で立ち尽くすばかり。如何にも歓楽街にいそうな、派手な格好の通行人達の訝しげな視線を受けながら、フィアは延々と悩み続ける。

「そこのあなた、ちょっとよろしいかしら?」

 そうしていたところ、ふと背後から声を掛けられた。

 迫る気配に気付いていたフィアはこれといった驚きもなく、くるりと後ろを振り返る。そこには黒いローブに身を包み、フードを被った、化粧の濃い女が居た。歳は二十~三十代だろうか。見知らぬ顔だし、嗅いだ覚えのない体臭なので、恐らく初対面の人間だろう。中々怪しい格好であるが、『奴』とは違って『雰囲気』はそこらの人間と同じだ。この人間と関わっても『不幸』に襲われる事はあるまい。襲われたところで大したものではないだろう。

「はいなんですか?」

「あなた、今何か悩んでいるわね?」

「? ええ確かにそうですけど」

 返事をしてみたところ、女性はフィアの内心を言い当ててくる。とはいえ別段隠している訳でもないので、フィアは淡々と肯定した。

「実はわたし、占い師をしているの。良ければあなたの事、占わせてくれないかしら」

 すると女性こと自称占い師は、そのような申し出をしてきた。

 占い、という行為自体はフィアも知っている。

 テレビなどでよくやっているやつだ。なんでも未来を見通すだとかなんだとか。胡散臭いので花中に本当なのかと尋ねたところ、「たまーに当たるかな」と答えられた事を今でも覚えている。未来の事など、適当に言えばたまーには当たる。要するに占いとは出鱈目なものという事だ。

 役立たずな出鱈目に付き合うほど、今のフィアは暇ではない。

「遠慮しておきます」

「まぁまぁ、そう仰らずに。あなた、男関係で悩んで」

「ません」

「ないわよね。うーん、ならお金の問題?」

「それ当たるまで適当に言い続けるつもりだったのですか? 確かにお金の悩みはありますけどあなたが分けてくれるなら解決する程度のものです。占うぐらいなら有り金全て置いていきなさい」

「随分心が荒んでいるのね。ほら、相談するつもりで、話をするだけでも良いから」

 断ろうとするフィアだったが、占い師の女性はまるで退く気配がなかった。フィアが顔を顰めてあからさまに不快感を剥き出しにしても、ぐいぐいと押してくる。

 『奴』に翻弄されたストレスは未だ残っており、沸点が低くなっているフィアにこの勧誘のしつこさを耐えるほどの理性は残っていない。いや、仮にストレスがなくともそろそろキレる頃合いだ。元よりあまり我慢などしない性格なので。

「五月蝿いですねぇ。大体あなたの占いが本当に当たるのなら占いを断らない人間を誘いなさい」

 これを言って諦めないならとりあえず一発顔をぶん殴りましょう。人間ならばあまりにも手が早い、野生動物ならば大体こんなものかと思える短絡的思考を抱きながら、握り拳を作ったフィアは最後の警告をしようとした

 最中、フィアは声を詰まらせる。

 ――――そんな事があり得るのか?

 ただの人間ならばあり得ないだろう。しかしただの人間でないのならば。いや仮にただの人間だったとしてもまだ可能性はある。何故か辺りを漂っていたあの『臭い』……花中の家でもよく嗅いだ臭いだ。正体は『アレ』で間違いない。だとしたら……

 脳裏を過ぎる一本道の考え。花中であればこの結論をすぐにでも見付けられたのだろうか? それとも案外常識だのなんだのに縛られて否定するのか? 花中とはまるで考え方が異なるフィアには分からない。

 少なくとも花中と違って、フィアは自分の考えに疑いを持たなかった。

 相手にそれが出来るか出来ないか。そんな事を気にしてどうする。実際にやってみせているのだから『やっている』に決まっている。人間は『摂理』だ『理論』だなんてものに拘るが、そんなものは人間が思い付いて世界のルールだと勝手に決めただけのもの。故に『あの生き物』が自分の同類ならばあり得ない事などない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……どうしたの? 相談する気になった?」

 いきなり黙りこくってしまったフィアに、占い師の女性はフィアの『服』の袖を引っ張りながら尋ねてくる。と、フィアはぐるりと首を回して占い師が居る場所とは全く異なる方向へと振り向いた。

 唐突で、それでいて無視するかのような動きに、占い師の女性は不服そうに眉を顰める。されど他者の感情などお構いなしなフィアは、占い師を一瞥すらせずに歩き出した。いきなりのフィアの行動に付いていけなかったのか、袖を掴んだままの占い師はフィアに引っ張られてつんのめり、慌てて袖を離す。

 すっかり自由になると、フィアは思い出したように改めて女性の方へと振り返る。あまりにも統一感のない、最早怪奇的とも取れる行動にいよいよ嫌なものを感じたのか。占い師はじりりと後退り。

「あなたのお陰で悩みはすっ飛びましたありがとうございます。代わりに五月蝿かった事は許してあげましょう」

 そんな占い師の女性に、フィアは自分勝手なお礼を告げた。言いたい事を言えたフィアは呆気に取られる占い師を残し、再び歩き始める。足取りは軽く、スキップ混じりだ。

 相手の『カラクリ』は見えた。

 逃げ回るだけなら中々に厄介な『カラクリ』だ。全く以て小賢しい。しかし同時に疑問がある。その『カラクリ』が本当に完璧であるならば、今こんな事になっている筈がない。だとすれば弱点がある……そしてその弱点はもう見当が付いていた。

 これでもう『奴』を逃さない。

 捕まえる算段が付いたフィアはにたりと口角を上げ、むふふふ、と可愛らしく笑う。『奴』を捕まえられるという事は、即ち警察からお金をもらえる事。警察からお金がもらえるという事は、つまり花中へのプレゼントを買える事。花中の喜ぶ顔が浮かび、どんどん楽しさが込み上がる。フィアは、花中の笑顔が大好きなのだから。

 そんな可愛らしい花中の想像と比べれば、実在する有象無象(通行人)など見る価値もない。

 だからフィアは、『子供のように喜楽を振りまく美少女』に向けられている衆目に気付かなかった。気付かなかったので、道端にあったマンホールの蓋を発見するや、持ち前の怪力で軽々と、堂々と開けてしまう。

 そして何一つ躊躇なく、フィアは下水道に跳び込んだ。

 フィアの正体を知らぬ通行人達は悲鳴を上げ、喧噪が歓楽街に広がっていく。やがてこの騒ぎは警察を呼ぶ事になり、大規模な捜索にも拘わらず痕跡一つ確認出来ない『少女』の存在が都市伝説として語られる事になるのだが……知る人ぞ知る程度の、小さな噂話にしかならなかった。

 何しろこのすぐ後に、もっと大きな大騒動が、フィアの手によって巻き起こるのだから――――




花中が傍にいないと自制を忘れてしまうフィアであった。
基本人間なんかどうでも良いと思っているので、カッとなるとすぐに忘れてしまうのです。
人間と敵対しても全然困らないと思っているのが一番の理由ですが。

次回は3/11(日)投稿予定です。

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