彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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神話決戦7

 甲板上にて、サナは転落防止用の柵に身を預けながら海を眺めていた。

 地平線近くに居ても分かるぐらい大きな、黒い塊。

 あれがミスナムギーに住まう神の成れの果てだと、誰が信じるだろうか。最早黒焦げた木のようであり、遠目で見る限り生気など感じられない。恐らくこれから何百年と風雨と波を受け、少しずつ風化し、やがて瓦解するのだとサナは思った。

 長老は「あの方が戦ってくれたお陰で、自分達は逃げる事が出来た」と言っていた。確かにその通りだろう。あんなにも素早く動ける怪物が島に近付いたなら、自分達は逃げる間もなく殺されていたに違いない。島民達は誰もが神様が守ってくれたのだと感謝し、変わり果てた神に祈りを捧げた。

 だけど、サナには受け入れられない。

 サナにとって神様は、自分を助けてくれた『恩人』であり……恐ろしい嵐の夜にも負けない、お伽噺にに出てくるような英雄なのだ。お伽噺で語られる英雄は決して負けない。必ず勝利して、みんなを笑顔にしてくれる。神様はそういう方だと思っていた。あんな訳の分からない化け物も打ち倒してくれると心から信じていた。

 なのに。

「『思ったよりも早く帰れそうだな。ありゃあ死んでるどころか、何時まで形を保ってるかも分からんぞ』」

「『そうだな。モノがモノだけに監視はするだろうが、それは衛星で十分だろう。そうでなくとも、俺達は報告のため本土に戻る事になるだろうな』」

「『……尤も、家族と団欒している暇はないだろうが』」

 サナの後ろを通る兵士達が、英語で雑談している。モサニマノーマの住人であるサナには分からないと思っているのかも知れないが、サナは語学に堪能な父の影響で英語も多少分かるのだ。花中と再会したばかりの時は『日本語の思考』にしていたのでまさかの英語に戸惑ってしまったが、『英語の思考』にしてから聞けば日常会話ぐらいなら理解出来る。

 今すぐ彼等の言葉を、英語で否定してやりたい。

 だけど目の前に居る神様は、ぴくりとも動いてくれない。衝動のままサナは兵士達の方へと振り返り口を開くも、頭の中を真っ黒な神様が見たし、喉の奥がつっかえてしまう。どれだけ声を絞り出そうとしても、出てくるのは乾いた吐息だけ。

 結局、兵士達が遠くに行ってしまうまでサナは何も言えなかった。逃げるように顔を俯かせ、再び柵に身を任せる。

「よっす。ちょっとは元気になった?」

 そうしてしばし塞ぎ込んでいたところ、サナは後ろから声が掛けられた。

 振り向けば、花中が友達だと紹介していた少女……ミィが居た。何故か四つん這いになって、であるが。

 彼女が人間でない事 ― ネコという獣らしい ― は聞いている。獣なら四つん這いでもおかしくないが、今のミィは人の姿をしていた。ハッキリ言って変な体勢であり、悲しみで表情が固まっていたサナもこれには眉を顰める。

「……何してるの、あなた。花中ちゃんと一緒じゃないの? というか、なんで四つん這い?」

「いやー、あたし体重あるからさ。二本足で立つと床が抜けそうで怖いんだよねぇ。んで、あまり船の中を動き回りたくないから、花中達とは別行動してるの」

「どれだけ重いのよ。金属の床が抜ける訳ないでしょ」

「いや、ここだけの話さっきちょっと穴開けちゃった。なんか兵隊がいっぱい集まって騒ぎ出してさ、逃げてきたとこなんだよね」

 真顔で答えるミィに、サナは呆気に取られる。冗談か? とも思ったが……彼女達の非常識さを、サナは目の当たりにしていた。案外本当かも知れない。

 何時もなら、驚きと好奇心を抱き、ミィを質問攻めにしただろう。しかし今はそのような気分にはなれない。サナはため息を漏らし、三度海の彼方へと視線を戻す。サナの背中には、悲しみと悔しさがあった。

「さっきから何見てんの?」

 尤も、人間みたく背中で語らない猫には、サナの気持ちは察せられなかったらしい。サナは振り向かず、動かない英雄を眺めながら会話のための言葉をぽそりと零した。

「……アナシス様よ」

「ん? あー、確かに此処からでも見えるね。うーん、何度見ても真っ黒だなぁ」

 ミィは柵の隙間からサナと一緒にアナシスを眺めると、悲しみも同情もない、むしろ感嘆すら覚えていそうな感想を漏らす。

 別段、同情してほしいとはサナも思っていない。ミィはあくまで島外からの観光者であり、今日までアナシスの事すら知らなかったのだ。いきなり感謝しろとか、嘆き悲しめとか、そんな事は言えない。

 それでも、少しはこちらの気持ちを察してはくれないのか?

 苛立ちが段々と募る。いや、今になって思えばこのむしゃくしゃした気持ちは、()()()()()ずっと胸中を渦巻いていた。鬱積した感情は未だ吐き出せておらず、ぐちゃぐちゃになってこびり付いている。

「ま、落ち込んでも仕方ないし、元気出しなって」

 そんな時に、こんな言葉を掛けられたなら。

 サナの理性は呆気なく限界を超えてしまった。

「……何よ、それ」

「ん? 何って、一応励まし」

「ふざけないで! 大好きだった神様が、神様が……死んじゃったのよ!? 元気なんて、出せる訳ないでしょ!?」

「え? あ、えと、ごめん……いや、でも」

「五月蝿い! もうほっといてよ! 一人にさせて!」

 サナの叫びに、ミィは狼狽えながら数歩後退り。ゆっくり背を向けると、這いずるような動きでサナから離れる。

 荒れる呼吸を少しずつ整えながら、サナはミィが傍から居なくなるのを見届ける。途端、目から涙が零れた。力強く目元を擦って涙を拭い、サナは動かなくなったアナシスの事をまた眺める。

 ミィとのやり取りを見ていた兵士達は、交わされた日本語は分からずとも、サナの心が傷だらけである事には気付いたのだろうか。しかし誰も彼女に掛ける言葉が思い付けないようで、歩み寄る事も出来ていない。感情の距離が、目に見える形となって現れていた。

 それでも誰もがサナを見ていた。人としての本能なのか、苦しむ人は見過ごせないとばかりに。

 そしてそんな中、唯一サナに背中を向けて遠ざかっていたミィが首を傾げる。

「……なんでみんな、アイツが死んだって思ってるんだろう?」

 ぼやいた疑問の言葉は船に打ち付ける波の音に消され、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 駆逐艦ロックフェラーの艦長室では、沈黙が支配していた。

 異星生命体。

 地球外からの来訪者を示すこの言葉に、花中は言葉を失った。宇宙は広い。太陽のような恒星が一つの銀河に数千億存在し、その銀河が数千億~数兆存在すると言われているのだ。何処かに地球によく似た惑星があって生命が発生していても不思議はないし、そもそも地球的な環境でないと生命が誕生しないという確証もない。理系的好みの持ち主である花中としては、地球外生命体の発見は飛び跳ねたくなるぐらい興奮するビッグニュースである。

 しかしそれが地球に飛来したと聞いたなら、にわかには信じられない。

 宇宙とは人類の力が未だ足下にも及ばない、巨大な虚空が横たわる世界なのだから。

「……なんの冗談です? それとも暗号ってやつですか?」

 沈黙を打ち破ったフィアも、確認というより猜疑心からアイクに質問していた。ミリオンも信用していないのか、訝しげな眼差しを向けている。

 そんな『追求』を受けるアイクは、飄々と肩を竦める事も、にっこりと破顔させる事もない。むしろ崩れる事のない真摯な眼差しで、花中達を見つめ返す。

 それだけで、アイクの言葉に嘘偽りがないと花中は『確信』出来てしまった。

「生憎、冗談でも暗号でもない。そのままの意味だ。奴が大気圏を突破し、地球圏に飛来した瞬間を合衆国の観測衛星が捉えている。反面、ICBMよろしく地上から打ち上げられた形跡は一切確認されていない。故に、地球外から飛来したと考えるのが妥当だ」

「それが事実だとして、宇宙生物だとする根拠は? 例えば宇宙船とか、ロボットの可能性もあると思うのだけど」

 呆けた花中に代わり、ミリオンがアイクに問う。

 アイクはその問いに、殆ど間を置かずに答えた。

「可能性は否定出来ない。が、観測衛星のデータによると、奴の体積は刻々と増加しているらしい。何かを食べて、成長しているようだ。放熱量の推移などから、恒常性もあると推測されている。現状ロボットというより生物に近い反応を見せているためそう呼んでいる……つまるところ便宜上の呼び名だ。実際に生物かどうかはあまり重要じゃない」

「ふぅん。さっきから観測衛星がうんたら言ってるけど、随分都合良く撮影出来たものね。アメリカならたくさん衛星を持ってそうだけど、そう都合良くモサニマノーマを捉えている衛星があるものなのかしら?」

「実を言えば我々はモサニマノーマ及びミスナムギーを監視していてね。偶然にも奴はそこに侵入してきたから、十分な観測が行えたのさ」

「……監視?」

 不穏な言葉に、ミリオンが聞き返す。

 しかし答えは花中にも勘付けるほど明白だった。ミリオンも疑念など抱いていない様子。フィアだけが、そもそもミリオンが何を気にしているかも分かっていないのかキョトンとしている。

 アイクは花中とミリオンの顔を見て、見透かされている事を察したのか。はたまた最初から秘匿する気など毛頭ないのか。開かれた口から出る言葉は軽く、隠そうという意思すら感じられないものだった。

「ミスナムギーの巨大生物……島民がアナシスとして呼称している対象については米国も把握していたのだよ。あの島が米国領となり、火山の観測を始めた、六十年以上前からね」

 ただし、その『意味』は口振りほどは軽くなかったが。

「まぁ、そりゃそうでしょうね。いくら本土から離れてるとはいえ、自国内にあんな怪獣が暮らしているのに気付かないとか、間抜けにも程があるし」

「尤も、発見時は古代生物の生き残りとか、突然変異体程度にしか思われていなかったがね。つまり、普通の生物だ。研究対象ではあったが、脅威とまでは認識されていなかった訳だな」

「あら? 随分と甘い評価だ事。火口内部に生息する生物なのに」

「マグマの温度は精々千度前後。対して第二次大戦頃の我々でも、三千度の高熱を生み出す爆弾を多数保有していた。マグマに耐えるからといって、我々の攻撃が通じない理由にはならないのさ。確かに巨体故表皮が厚く、戦車砲などの通常兵器が通用し難い可能性はあったが、当時のアメリカは既に『奥の手』を完成させている。撃破は容易だと考えられていた」

 あの時までは――――最後にぽつりと零したこの一言が、米軍内で起きた事を粗方物語っていた。

 米軍の認識は、決して驕りなどではないだろう。

 マグマに潜み、数百メートルを超える巨躯とは驚くべき存在だが、生物には違いない。小さな銃は通じなくとも艦船の砲門は通用しそうだし、ましてや六十年前……第二次世界大戦が終わった頃は航空戦力が著しく発展した時代である。地上の獣に空への攻撃手段などある筈がない。空から爆弾を落とせばノーリスクで攻撃出来るのだから、勝利を確信するなと言う方が無理だろう。

 無論いざ動き出し、万が一にも米本土へと上陸すれば多大な被害をもたらす。しかし上陸しなければ、ちょっと大きいだけのヘビだ。監視はすれど、それだけで十分……と思っても仕方ない。

 しかし、彼等は『現実』を知る機会に恵まれてしまった。

 フィア達とタヌキ達の戦闘である。米国はこの戦いでミュータントの存在を知るのと共に、その圧倒的な戦闘能力を目の当たりにした。そして思い出したのである。自国内に、とんでもない怪物が暮らしていた事を。

 きっと慌ただしく用意したに違いない。ミスナムギー上空に衛星を配置し、事が起きた時迅速に対応するため速力に優れる駆逐艦を近海に停泊させる。そうしてアナシスが何かしでかさないよう、しでかしたならすぐに対応出来るよう、監視していた訳だ。その監視網のお陰で島民は素早く救出されたのだから、目論見とは違うものの結果的には英断だったと言えよう。

 ……或いは花中がこの島に来ている事を知っていて、しかし誰が花中なのかを選別する暇などないのでまとめて救助しただけかも知れないが。

「さて、我々の事情と現状については教えた。ここで改めて頼もう。あの異星生命体について、君なりに分かった事を教えてほしい」

 話を終え、アイクは改めて花中に意見を求める。しかし花中はきゅっと唇を噛み、押し黙ってしまう。

 米軍の方針……『あれ』を倒す事に反発がある訳ではない。確かに正体も目的も掴めぬ相手だが、無作法に侵入しておきながら『原住民』からの攻撃に即座に反撃する態度……文化の違いだとしても、今後人類と分かり合えるような気がしない。そしてアナシスと交戦した際、容赦なく島も海も破壊した。地球の生命と交流する意思があるとは思えず、人間を殺す事にも躊躇はないだろう。非常に危険な存在だ。

 何よりアナシスを前にしても平然と対峙していたフィア達が警戒心を剥き出しにし、アナシスに至ってはいきなり攻撃を仕掛けるようなモノなのだ。彼女達の本能に訴えかける、何か……『悪いもの』のような気がしてならない。ありのまま本音を言えば、倒せるなら倒した方が良いと花中は思っていた。

 花中が押し黙ってしまったのは、結局のところ言葉が思い付かなかったからに過ぎない。宇宙からやってきた生命体についての知識なんて、いくら花中でも持ち合わせていないのだから。

「……すみません。何も、分からない、です」

「そうか。では仕方ない、このままプランAに移るとしよう」

「プランA? なんですかそれ」

 花中の答えを聞くや流れるように決断するアイクに、フィアが可愛らしく小首を傾げながら尋ねる。軍人がプランAと言ったなら、それは恐らく軍事作戦を示す言葉。一般『魚』であるフィアに教えてくれる筈もない。

「あの異星生命体に軍事攻撃、つまりミサイルや艦砲射撃を雨のように降らしてやるって事さ」

 等と思っていた花中だったが、アイクは穏やかで人当たりの良い笑みを浮かべると、意外な事にあっけらかんと答えてくれた。

 あまりにも簡単に教えてくれるので、花中は思わず目を丸くする。そして答えてくれる筈がないと未だ考え続ける脳に反して、口は疑問を呈していた。

「ぐ、軍事攻撃を、するのですか?」

「うむ。異星生命体は現在、時速七百キロ以上の速さで太平洋を北東方向に進行している。奴の気持ちなど知りようもないが、仮にこのまま直進した場合、あと九時間ほどでアメリカ本土に到達するだろう。本土近くを戦場にする訳にはいかない以上、最早猶予はない。その前に叩くつもりだ」

 花中の問いにアイクは答えてくれる。が、それは花中の動揺をますます掻き立てた。確かに米軍が『あれ』を倒すつもりなのは聞いていたし、花中としても倒した方が良いと思っている。しかし軍事攻撃を始めると聞いて、『平和な国』である日本育ちの花中にはすんなりと受け入れる事が出来なかった。本能的には賛同しても、人間的理性が暴力を拒絶したのだ。

 無論、花中に米軍を止める権限も権利もない。それでも矛盾した反発心が口を開かせ、否定の言葉を連ねようとする。

 葛藤の末、花中は攻撃行動への問題を提起した。

「で、でも、その……すぐに攻撃なんて、出来るのですか? 米国本土から、モサニマノーマまで、七千キロは、あります。あまりにも、相手が遠いの、では……」

「うむ、君の指摘は尤もだ。しかしその懸念は杞憂と伝えておこう。実は既に太平洋上には艦隊が展開していてね、それをぶつける算段なのだよ。まぁ、『このため』に用意した戦力ではないがね」

 アイクは席から立ち上がり、皺の寄った迷彩服を正す。表情は今や穏やかだが、しかし雰囲気は違う。闘志に満ちた、戦士の気配を感じさせた。おどおどとしていた花中も、この気配に飲まれて背筋を伸ばしてしまう。

 そして彼が語る『攻撃計画』がもう止められないものだと悟り、反発心が失せていくのを感じた。

「言っただろう? 我々はこの数ヶ月、島民がアナシスと呼ぶ巨大生物の監視と警戒をしていたと。双眼鏡だけを装備した警備員が、とち狂った暴漢を止められると思うかね?」

「……予め、配備していたのですか。アナシスさんを、止めるための戦力を」

「その通りだ。ミサイル駆逐艦、ミサイル潜水艦による遠距離攻撃を主体とした作戦を計画している」

「あら、その程度でアレに勝つつもり? 私でも最新鋭の船を十隻以上沈めた事があるし、ミサイルぐらいなら耐えられるんだけど」

「確かに君達の力は凄まじい。アナシスの強さは不明だったが、君達以上の可能性は十分にあった。だから艦艇数では君が相手したもののを遥かに上回る、百隻以上を用意している。それに本土から多数の爆撃機が発進し、バンカーバスターをお見舞いする予定だ。弾道ミサイルも喰らわせてやる」

「んー? 要するに山ほどミサイルや爆弾を用意したって事ですか? やっぱり我々の事を嘗めてません?」

「ほんとほんと」

 自慢気に語るアイクに、フィア達は冷めた様子。『世界の支配者』との経験もあってか、()()()()で自分達を倒せると思われているのが不服らしい。花中としても、ミサイルや空爆が、ミュータントであるアナシスを倒してしまった異星生命体に通用するとは思えなかった。

「確かに、もしかするとこれでも火力が足りないかも知れない。その時は不本意ながら、プランBを実行するしかないだろう」

 花中までも疑念を抱くと、アイクは渋々……けれどもわざとらしく、力不足を認める。同時に、次善の策もあると語った。

 花中はキョトンとする。

 本来プランBは、プランAが通じなかった時の苦肉の策だ。例えば必要なコストが膨大、予想される犠牲者数が多過ぎる、自国の秘密がバレる、国際的な批判を浴びる等々……プランAよりも大きな、或いはプランAにはないリスクがあるからこそ『次善の策(出来ればしたくない)』のである。

 なのに何故、プランBについて語ったアイクは誇らしげなのか?

「あの、プランBって……?」

「なぁに、そう大した話じゃない。端的に言えば、君達があの動物達からは受けなかった攻撃をするだけさ」

 花中が無意識に尋ねた言葉に、アイクは胸を張りながら答えてくれた。

 その時アイクの浮かべた笑みを、花中は決して忘れない。

「我々人類は、神の炎を持っている。それを使う時が来ただけさ。久しぶりにね」

 人間らしくて、力強くて、おぞましい、その笑みを……

 

 

 

 太平洋のど真ん中を、無数の艦船が進んでいた。

 海を駆ける駆逐艦、駆逐艦に追随する巡洋艦とフリゲート、水中を猛進する潜水艦。後方には多数の補給艦が控え、上空には多数の航空機が飛び交う。艦船は数隻で一つの編隊を組み、個々の編隊は数十~数百キロほど間隔を開けて航行していた。

 そしてそれら大船団の最後尾に存在するのは、七隻の原子力空母。

 一見して、それぞれ別の任務を帯びた編隊が自由に動いているだけに見えるだろう。だが、これらの編隊は全てが一つの任務――――『異星生命体への攻撃』を目的としていた。総数にしてなんと百五十隻以上。これはアメリカ海軍が保有する全軍艦の三割にも上る。空母に至っては六割以上だ。

 現代戦において、これほど多数の軍艦を投じた作戦など存在しない。ましてや異星からの来訪者との戦闘など、間違いなく人類史上初である。

「……ついに、この時が来たか」

 この前代未聞の作戦の指揮を命じられたジョージ・ウィリアムズ提督は、ニミッツ級原子力空母マライアキャリーにて静かに独りごちた。

「本来のプランとは違いますがね。ですが、現時点でどの艦船からも大きな混乱は伝わってきていません。上層部の判断は正しかったようです」

 ジョージの独り言を聞き、傍に立つマライアキャリーの艦長が現状と自身の意見について述べる。ジョージは少し考え込み、無言のまま頷いた。

 この数ヶ月、アメリカ海軍はアナシスと戦う準備を急ピッチで進めてきた。

 アナシスの力は、かつてアメリカが戦ったどんな敵よりも強大だと推測された。兵器の質は勿論、その数も大量に必要である事は容易に想像出来た。そのため米軍は、()()()()()()()程度の一般兵士にも情報を開示。百五十隻以上の大艦隊で動くための準備をしておいたのだ。無論兵士とはいえ人の子。誰かが情報を漏らし、全世界にアナシスの事が知れ渡る危険はあった……

 だが、それがどうした。

 パニックは避けるべきだが、そのために戦う力を失っては本末転倒だ。故に米軍はそのリスクを飲み、アナシスの存在を広く兵士達に伝えたのである。予想通り何人かは口を滑らしたようだが、写真の一つもなければ悪趣味なオカルト本ですら紹介してくれない内容。現時点でアナシスの存在を認める一般人はいない。そして事前に知らされていた事で、名目上バラバラの任務で太平洋を航海していた百隻超えの大艦隊は今、ややぎこちないながらも統率の取れた動きが出来ている。

 結果的に、米軍は機密の保持と十分な統率を成し遂げたのだ。強いて現状問題があるとすれば――――戦う相手がアナシスではなく、異星生命体という完全なる未知である事ぐらいか。

「異星生命体との距離は?」

「現在千九百キロを切りました。間もなく交戦圏内に入ります」

「予想通りの進行スピードだな……分かった。スケジュール通り作戦を始める。全艦に通信をつなげろ」

「了解。全艦に通信をつなげ」

「了解」

 ジョージの指示を受け、艦長がマライアキャリーの船員に命令を飛ばす。命令を受けた通信担当の兵士は熟練の技術を以て素早く手続きを行い、通信の準備を整えた。

 通信担当の兵士から準備完了を伝えられ、ジョージは深く息を吸い込む。米軍が採用しているマイクは高性能だ。さして大声を出さずとも、彼の声を拾い、遠方の船までノイズのない自然な音声を届けてくれるだろう。

 それでも大声を出そうとするのは、彼自身が出したいからに他ならない。

「諸君、私はジョージ・ウィリアムズ提督である。まず、君達の此度の作戦への参加に感謝を述べよう」

 ジョージの喉は震えていた。大声を出していなければ、兵士達にその震えを見透かされたかも知れない。

「我々の準備は万端とは言えない。だが、我々アメリカ海軍は世界最強の軍隊である。即ち我々に勝てなかった敵は、世界のどんな軍隊であろうと勝てない敵だ。それは人類の敗北を意味し、この星が奴のものとなる事を意味する」

 ジョージの身体は震えていた。自分の指揮によって、何万もの兵士が、三億を超えるアメリカ国民が、そして七十億を超えた人類が、危機に立たされるかも知れないのだから。

「怯むな、臆すな、負けを認めるな! 奴を打ち倒し、アメリカが地球のみならず、宇宙においても偉大な国家である事を示せ!」

 それでもジョージの心は震えていなかった。

 国家の命運すら左右しかねないこの戦いに参加出来ない方が、心苦しいのだから。

「全艦、戦闘開始!」

 ジョージの咆哮を受け、アメリカ海軍は一斉に動き出した!

 さて、ここで問題である。

 現在アメリカ海軍と異星生命体は、距離にして二千キロ近く離れている。この状況で、アメリカ海軍は異星生命体と戦えるのか?

 数年前だったなら、答えは『否』であった。

 何故ならば当時採用されていた対艦ミサイルであるハープーンは、射程が百数十キロ程度しかなかったからである。射程が長い対地ミサイルは、誘導方式の違いから海上の敵に当てるのは難しいので代用出来ない。もし数年前にこの異星生命体が出現したなら、アメリカ海軍は十分も立たずに接触する近距離での戦闘を強いられただろう。

 しかし、今は違う。

 近年開発された新型対艦ミサイルにより、この問題は解決したのだ。この新型ミサイルの射程は千八百キロにも達する。即ち現代のアメリカ軍ならば、遥か遠方の異星生命体への攻撃は容易であった。

 ジョージが下した命令は電子通信によって瞬時に伝わり、太平洋上に散開する艦船が呼応。次々とミサイルを撃ち上げた。そのどれもが、数発も当たれば大型艦であろうと轟沈するほどの威力を秘めたもの。そして亜音速で飛行する高速物体でもある。

 異星生命体は時速七百キロという航空機並の速さで移動しているが、速度に緩急はなく、動きも直線。おまけに三百メートル超えの巨体である。いくら比較的動きの遅い相手を想定したミサイルとはいえ、現代兵器の誘導性能と計算能力を以てすれば命中させる事は可能となる。空を覆い尽くすほどの、何百という対艦ミサイルが一点に集まり……異星生命体に直撃。

 遥か千数百キロ彼方で噴き上がった紅蓮の炎を、海軍兵士達は衛星によるリアルタイム映像により確認した。ミサイルは立て続けに爆炎へと突っ込み、次々とその使命を果たす。一発一発は大した ― 精々十数メートルの範囲を木っ端微塵にし、分厚い軍艦の装甲をぶち抜く程度の ― 威力はないが、何百も撃ち込まれれば合計のエネルギー量は凄まじいものになる。

 並の軍艦ならば、今頃跡形も残っていないだろう。

 並の軍艦、ならば。

「目標健在。進行スピードに変化なし」

 オペレーターからの報告に、ジョージは苦虫を噛み潰したように顔を顰める。

 数ヶ月前に発生した、ミュータントとの軍事的戦闘。アメリカは傍観者であったが、当時の戦いでは人型サイズの個体に多数のミサイルが撃ち込まれたと聞いている。推察するに直撃は稀だったろうが、しかしそれでもミュータントがミサイル攻撃に耐えた事実は揺らがない。数百メートル級のアナシス、そのアナシスを上回る戦闘力の持ち主である異星生命体にミサイルが通用しない可能性は十分にあった。

 だが、全く効いていないとは思えない。恐らく装甲に小さな傷は付いているだろう。爆炎による加熱も起きている筈だ。冷却が間に合わないぐらい絶え間なく攻撃すれば、いずれ装甲が熱によって脆くなる。一発二発では足止めすら叶わずとも、攻撃し続ければ倒せるに違いない……小さな蟻でも何万と群がれば、人間さえも屠るように。

「全艦、攻撃を目標の球体前方部分に集中させろ。空母編隊は攻撃機を発進。対艦ミサイルを順次撃ち、攻撃を途切れさせるな」

「了解。全機発進準備を開始。準備が出来た機体より離陸し、目標から距離三百キロ地点まで移動しろ」

 ジョージの命令に呼応し、艦隊からはミサイルが、空母からは攻撃機が飛び立つ。衛星カメラで捉えた映像は、次々と命中するミサイル、そして黒煙に包まれる異星生命体を写し続けた。

 何時までも。

 何処までも。

 ――――異星生命体は、止まらない。

「何故だ……何故止まらない……!?」

 ジョージが思わず漏らした言葉は、マライアキャリーの搭乗員のみならず、この戦闘に参加した全ての兵士の想いであった。喰らわせたミサイルの数は、最早五千を超えている。既に何隻かの船ではミサイルが尽きており、この数は間もなく加速度的に増えるだろう。攻撃機による対艦攻撃も順次始まっており、こちらも何百ものミサイルが放たれ、役目を終えた。

 にも拘わらず、異星生命体は動きを変えない。

 即ち米国海軍の攻撃が、まるで通用していない事を意味していた。何よりも屈辱的なのは、異星生命体はこちらの攻撃をいくら受けようと反撃すらしてこない事。それはつまり奴がアメリカ海軍の猛攻を、ハエが飛び回るほどにも感じていない証である。

 まだ使っていない武器となると、機銃か艦砲ぐらいだが……性質や用途が違うので一概には言えないが、どちらもミサイルほどの破壊力は持っていない。何より問題なのは、艦砲ですら有効射程は数十キロ程度、機銃など数キロしかない点だ。時速七百キロで爆走している巨大生物相手に、数十キロも接近するなど自殺行為である。

 海軍の装備では、これ以上の効果は上げられそうにない。

「っ! 空軍より入電! 目標を攻撃範囲に捉えた、間もなく攻撃を開始するとの事です!」

 打開出来ない壁を前にして鬱屈とした艦内に、オペレーターの弾んだ声が響いた。途端、艦内に再び活気が戻る。

 航空支援。即ち空軍基地から発進した、無数の爆撃機による一斉攻撃だ。衛星カメラが捉えた映像には、大きな飛行機……B-52爆撃機からなる総数五十機の大編隊が異星生命体目指し飛ぶ姿が映し出される。異星生命体は興味もないのか爆撃機を気に掛けた素振りもなく、B-52は難なく異星生命体を射程内に収めた。

 瞬間、全B-52の下部が開き、多数の爆弾を投下し始める。その量は一機当たり八トン。五十機で合計四百トンもの爆弾が落とされ、その全てが異星生命体目指して降り注ぐ!

 異星生命体は迎撃も何もせぬまま爆弾の直撃を受け、巨大な爆炎に一瞬で包まれた。仮にこの爆炎の中に戦車や基地があったなら、完全に気化しているに違いない。

 しかし米国空軍の猛攻はまだ終わらない。旋回したB-52は、今度は両翼に装備していた対艦ミサイルを発射。追い討ちを掛ける。

 そして満を持して現れたのはエイのような形をした飛行機、B-2爆撃機が八機。

 高度一万メートルもの高さを飛行するB-2爆撃機の底が開くや、投下されたのはバンカーバスター。

 頑強な防空壕を破壊するための爆弾が、容赦なく異星生命体に突き刺さる! 無論これも一発二発ではない。正確に、同じ場所に、六十発!

 衝撃波で舞い上がる海水がさながらキノコ雲のような形を取り、その圧倒的な破壊力を物語った。

「これならば……」

 衛星からの映像を見て、ジョージは勝利を確信する。この攻撃に耐えきれる基地などアメリカ軍にも存在しない。ましてや相手は生物だ。一万発近いミサイルを受け続けたその身に、地中貫通弾に耐えるための強度など残っている筈が――――

「も……目標健在!」

 その希望は、呆気なくへし折れた。

「ば……馬鹿な!? あの攻撃を耐えたのか!?」

「耐えたどころか……感じてもいないようです。目標の速度、進路共に変化なし。反撃すらありません」

「なっ……ぁ……」

 オペレーターの報告に、ジョージは間の抜けた声を漏らしてしまった。

 あり得ない。こんな事、あって良い訳がない。

 敵が強大なのは想定していた。もしかしたら自分達の武器では殆どダメージを与えられず、思わぬ反撃によって壊滅する可能性も考慮していた。宇宙人と戦うのだからそれぐらいは覚悟済みだ。いざとなれば一人で船に残り、奴に体当たりを仕掛けてでもジョージは祖国と家族を守るつもりだった。

 現実は、想像を凌駕した。

 相手は些細なダメージどころか、こちらの存在にすら気付いていないようではないか。コバエですら顔の周りで飛べば人を足止め出来るのに、アメリカは二百年以上の歴史を、何億万もの命を、何十兆ドルもの血税を注ぎ込んだ英知を以てしても、異星生命体に気付いてすらもらえない。アメリカの全力は、奴にとって手に付いたバクテリアにも及ばなかったのだ。自分がこの船と運命を共にしたところで、奴は人間が細菌を踏み付けた程度にしか……つまり何も感じないに違いない。

 あまりにも絶望的な戦力差、そして自分達のちっぽけさに、ジョージは自分がこの場における最高責任者であり、数万の兵士と三億を超える国民の命を預かっている事さえ喪失して呆然としてしまう。

「提督、『最高司令官』より伝令。目標が規定ラインを越えたためプランBを実行するとの事です」

 彼が我を取り戻すには、艦長からの呼び掛け……そして先の考えが吹き飛ぶほどの『命令』を待たねばならなかった。

「あ、ああ。了解した。各艦は全ての攻撃を停止。最大速力を以てプランB作戦展開エリアから距離を取れ」

「了解」

 ジョージの指示を受け、マライアキャリー、そして戦闘に参加した全艦隊が一斉に退避を始める。ジョージは迷彩服の胸元に指を入れ、喉元の隙間を広げながらため息を漏らした。

「奴がなんであれ、『神の炎』に耐えられるなど考えられん……そうだ、なんであれ、どのような物質であれ、あの爆弾の前では無力なのは科学的に説明出来るんだ。ましてや生命など……っ」

 ボソボソと独りごちていたジョージは、思った事を吐き出そうとする口を咄嗟に抑えた。

 論理的ではない。こんな事をしたって現実は何一つ変わりやしない。

 だけど、もしかしたら、と思ってしまう。

 これを口にしたら、奴はそれを凌駕するような、そんな気が……




ネットで調べた程度の知識ですが、今のアメリカ海軍の艦対艦ミサイルの射程が思ったよりずっと短くちょっと困ったのはここだけの話。なので未来のミサイルを頑張って開発してもらいました。
リアリティは投げ捨てるもの(開き直り)

次回は11/5(日)投稿予定です。

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