彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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神話決戦4

 今年一年で、花中は非常識に幾度となく出会ってきた。

 喋る動物、人類文明を易々と破滅させる能力、世界を裏から操ってきた支配者……直接会ってはいないが、友達の一体は数ヶ月前に地球生命の『造物主』と戦ったらしい。脚色なしでそのまま書き出しても、本が何冊も作れそうなぐらい濃厚な体験ばかりだ。今の花中なら多少の事、例えば本物の超能力者が現れても「ああ、今回はそういう展開なのですね」で流せてしまうだろう。

 しかし。

「な、な、何、これぇぇぇぇ!?」

 此度の出来事は、すっかり麻痺した筈の花中の度肝を抜くのに十分なインパクトを持っていた。

 火山の火口から現れたヘビの頭……それは地響きを伴いながら這い出し、自らの胴体を露わにする。木一本生えていない山だけに、その姿を隠すものは何もない。

 それでも全容はまるで把握出来なかった。現れた暗緑色の胴体は火山を締め付けるように、何周も回っていく。体長三百メートル? 五百メートル? いや、一千メートル近いだろうか。体表の鱗は麓から眺めても一枚一枚形までハッキリと分かるサイズで、剥がれた一枚が頭上に落ちてきたなら人間程度簡単に潰されてしまうだろう。真紅の瞳は太陽のように力強く、視界に入るだけでぞくぞくとした悪寒が走る。身体には真っ赤な液体――――溶岩がたっぷりと付着していたが、ヘビは気にも留めていないようだ。

 圧倒的な巨体。いくら直立歩行でないとはいえ、ここまで巨大な陸生生物など古代に遡ってもいまい。存在が公になれば社会は勿論、生物学に多大な混沌をもたらすのは確実だ。身体に付着する多量の溶岩から察するに、今の今まで、さながら風呂でも楽しむかの如く火山内部のマグマに浸かっていたのだろう。凡そ一千度に達すると言われているマグマに耐えるとは、あの表皮は一体どんな材質で出来ているのか。

 分からない事だらけで困惑のあまり挙動不審になる花中だったが、巨大ヘビは花中達を一瞥する素振りもなく、大地を揺らしながら海に向けて動き出した。大岩を小石のように弾き飛ばし海に向けて進んでいく。やがてゆっくり入水したにも拘わらず、小さくない津波を起こした。ちょっと移動しただけで災害を一つ二つと生み出したが、ヘビは自身が起こした災厄を見向きもしない。島から数百メートルほど離れた海上でとぐろを巻き、典型的なヘビの待機姿勢を作ると、そのままぼんやりと空を見上げた。

 どうやら向こうは花中達に関心などないようだ。或いは気付いてすらいないのかも知れない。向こうからしたら花中達のサイズなど足下の虫けらも同然なのだから、見落としても不思議ではない。むしろ目を付けられなくて安堵したのが正直なところである。

「ツーディ! タチケ、タチケーッ!」

 だからサナが大蛇に大声で呼び掛けた時には、心臓が止まりそうなほど驚いてしまった。

 サナはまるで太陽のように眩しい笑みを浮かべながら、ぶんぶんと手を振っている。明らかにあの巨大生物を呼んでいた。

「さ、サナちゃん? あの、何をして……?」

「え? お礼を言いたいから、こっちを見てくんないかなーって」

「お、お礼?」

 下手をせずとも自殺行為同然の愚行の理由を問い質したところ、サナは平然とそう答える。答えるが、花中にはサナが何を言っているのかさっぱり分からない。頭が真っ白になり、呆然と立ち尽くす。

「だってあの方が、私を助けてくれた神様なんだもん!」

 そんな花中の理性を取り戻したのもまた、サナの言葉だった。

 助けてくれた、神様?

 一瞬サナの言葉が理解出来なかったが、やがて花中はハッとなる。確かサナが言っていた神様の特徴は『細長い』『鱗を持つ』『ヒレがない』……どれも目の前のヘビと合致するではないか。暗緑色の身体や赤色の目なども当て嵌まる。冷静に考えれば、間違いなくサナが話していた神様そのものの姿であった。

 だったら最初から巨大なヘビと言えば良いものを、との言葉が脳裏を過ぎったが、サナが暮らしているのはどの大陸からも離れた孤島である。

「……サナちゃん、あの、ヘビって……」

「? ヘビ?」

 首を傾げるサナを見て、花中は確信した。モサニマノーマにはヘビが生息していないのだ。

 これは何もおかしな事ではない。例えばニュージーランドにはヘビが生息していないとされているが、これはニュージーランドが二千万年ほど前に一度大部分が沈没した事で大半の生物が一掃され、その後浮上したものの大陸と隣接せず生物の侵入が困難だったためとの説がある。

 大海原に浮かぶモサニマノーマも大陸から隔絶されている意味ではニュージーランドと同じであり、この島に生物が辿り着くには鳥のように空を飛ぶか、嵐などで奇跡的に流れ着くしかない。そして空を飛べないヘビは、奇跡に恵まれなかった。故にモサニマノーマにはヘビが生息していないのだろう。島民(サナ)はヘビなど見た事もなく、ヘビを見た事がないのだから『ヘビの神様』なんて言葉が出てくる筈もない。モサニマノーマの生態系が日本と異なる事は容易く想像出来たのに、発想の柔軟性が欠けていたと花中は猛省する。

 しかし反省ばかりしている暇もない。

 問題はこのヘビの正体だ。まさか本当に『神様』という事はない筈。

「……どう思います?」

「どうも何も、ミュータント以外に考えられないでしょ」

「でも時系列が……サナちゃんは、九年前に会ったって、話です。確かに、ちっちゃい頃、わたしはこの島に来ました、けど、それだって、もう、十年以上前の事ですし」

「確かに、計算が合わないわ。伝達脳波がない状態で、ミュータントの知性が維持出来るのは五年が精々。当然、能力も使えなくなる。仮にコイツがはなちゃんとの接触でミュータント化したとしても、五年後には能力がなくなるわ。能力なしにこの巨体を維持出来るとは思えない」

「サナがなんとかって脳波を出してるんじゃない? あの子、花中の親戚なんでしょ?」

「可能性はあるけど、確率論的に……そもそもモサニマノーマにヘビはいない訳だし」

「むぅ。私にはさっぱり分からないです」

 花中はフィア達ミュータントと円陣を組み、ひそひそと相談する。しかし、いまいち納得のいく答えが得られない。議論は段々と白熱する……白熱していられたのは、あの大蛇がこちらを見向きもしなかったからだが。

「アーウ! アーウ! ターチーケー!」

 その間もサナは一生懸命ヘビを呼んでいて、

【……先程から、喧しい連中だ】

 だから地鳴りのような声が聞こえた時、花中のみならずフィア達は、一斉にその声がした方……大蛇が居る海原へと振り向いていた。

 大蛇はその巨体を、傍目には普通に――――さながら()()()()()()()()()()()()()()身軽さで翻し、島の方へと頭を向ける。星を彷彿とさせる二つの巨大な瞳は赤く輝き、花中達を確かに見つめていた。現実逃避が思い付かないほどにハッキリと、こちらを認識している。

 ここまできても花中には、フィア達のように具体的な力の差を測る事は出来ていない。だが圧倒的な巨体を前にして、どう足掻いても勝ち目がないのは分かる。ゾウはなんの能力を用いずとも強力な毒アリを踏み潰せるように、巨大というのはただそれだけで強さに直結するのだから。仮に目の前の蛇がぺろりと舌を出せば、その余波で人間は粉々になるに違いない。

 起こり得る未来を想像し、花中は恐怖で震える。

「あ、やっと返事してくれた……でも、なんで日本語?」

 対してサナは嬉しそうに、そしてごく普通な疑問を抱くほどの余裕があった。

 『神様』への信頼が、恐怖心を根っこの方からへし折っているのだろうか。そうとしか思えないサナの暢気ぶりを前にしても、『神様』は特段思うところなどない様子だ。尤も、爬虫類の顔に感情が出る筈もないが。

【この言語で話しているのが聞こえた。故にこの言葉ならば全員に通じると判断した】

「おー、さっすが神様。気配り出来るんですね!」

 敬語とは言い難いフランクな文体で、サナは大蛇と話をする。大蛇の声は ― やや高齢の、威厳を感じさせる ― 女性的で、距離があるとはいえ巨体の割にあまり大きくない。丁度、花中には日常会話程度の大きさに聞こえる声量で返答している。どうやら対話に問題はないらしい。

【礼儀を知らぬ辺り、巫女の一族ではないようだが】

「あ、巫女様の一家は、何十年か前に病気で死んじゃって……」

【絶えたか。どうりで最近見掛けぬ訳だ】

 自分に度々会いに来ていた者達の死を知っても、大蛇は特段気にも留めない。彼女? にとって、人間とはその程度の存在なのだろう。

 それよりも花中が気になるのは、数十年という月日を『最近』と認識していた事。

 ミュータントはごく一部の人間が放つ伝達脳波を受信する事で、人間並の知性と、人智を凌駕する強大な力を使えるようになる……と考えられている。これはミュータントの研究をしていたミリオンの『想い人』が導き出した推論であり、学会にも発表されていない話だ。だから他の研究者による追試を受けておらず、こう言うとミリオンに悪い気もするが、正確性に欠ける研究である。とはいえ現状これが最もミュータントを上手く説明する説であるのも事実。故にこの説が大凡正しいと仮定した場合、一つの疑問が浮かび上がる。

 何故、この大蛇は未だミュータントでいられるのか?

 伝達脳波が途切れた場合、凡そ五年でその生物は知性と能力を失う……この論理に関しては、実際に伝達脳波の受信が数年間途絶えていたミリオンが身を以て証明している。だから足りない部分はあるかも知れないが、間違いではない筈だ。

 しかしこの大蛇はまるで、古来よりミュータントでいたかのような口ぶりである。この大蛇の能力がもし『大きく成長する』事だとしたら、例え能力を失っても巨体は残るだろう。だが巨体は多大なエネルギーを常に消費し、自重を支えるための強固なシステムが求められる。現在だけでなく過去を遡っても最大の動物と言われるシロナガスクジラでも、体長三十メートル体重百五十トン程度しかないのだ。これが動物の限界だとすれば、この一千メートル級大蛇はどう考えても『インチキ』を使っているとしか思えない。そしてその『インチキ』は、生きている間一秒たりとも途切れてはならない。途切れればその瞬間抗いようのない飢餓に襲われ、自重で潰れてしまうのだから。

 何もかもおかしい。おかしくて、おかしくて……疑問が、恐怖を凌駕する。

「あ、あの!」

「ちょ、花中!?」

 気付けば、花中は大蛇に向けて呼び掛けていた。驚きに満ちたミィの声が花中に正気を取り戻させるも後の祭。

 大蛇の巨大な眼球は、確かに花中を捉えていた。

【なんだ、小さな生き物よ】

「あ、いや、えと……」

【要件なしに我を呼んだのか】

「い、いえ! あります! あります!」

 大蛇の問い掛けに、花中は中身がシェイクしそうな勢いで頷いた。蛇の言葉に苛立ちなどは感じられなかったが、巨体に気圧されて花中は勝手に萎縮してしまう。

 それでも、質問(用件)はあるのだ。臆する必要はないと花中は自分を鼓舞し、真っ直ぐ蛇を見つめ返す。自分の身の丈を遥かに超える眼球は、悪意など微塵もない、宝石よりも澄んだもの。心の奥底を見透かされそうなその美しさに気付いたら、恐怖が畏怖へと置き換わるのにさして時間は掛からなかった。

 花中は深く、息を吸い込む。自分の小さな声が、少しでもハッキリと相手に届くように。

「あ、あの! えと、じ、自己紹介から! わ、わたし、大桐花中と、言います! あなたのお名前を、教えて、くだ、さいっ!」

 まずは挨拶からと、花中は自分なりに大きな声で大蛇に呼び掛ける。すると大蛇はしばし黙りこくった後、ゆっくりと、小さく口を開けた。

【我に名などない。好きに呼べ】

 尤も出てきた言葉はあまり友好的でなかったが。

 いや、友好的云々の前に、答えられない問いだったらしい。機嫌を損ねた様子はないが、一瞬花中は失神しそうなぐらい血の気が引いた。後ろでミィが引き攣った吐息を出していたので、彼女に関しては同じ気持ちだろう。フィアとミリオンは……野生の本能で察しているのか、特段危機感を持っていないようだが。

 さて、名前がない、となるとこれは困った。この大蛇は先程「日本語が聞こえたので日本語を使った」的な事を言っていたが、即ちモサニマノーマの言語も理解出来ると考えられる。好きに呼べとは言われたが、うっかりモサニマノーマで『侮蔑』的な使われ方の単語を使ってしまったら……苛立ち紛れに放ったデコピン程度の一撃が、花中達を跡形もなく粉砕するかも知れない。しかし好きに呼べと言われたのに名前を付けないのも、それはそれで無礼に思える。

「それならアナシス様が良いんじゃないかな」

 もし、サナが助け船を出してくれなければ何時まで固まっていた事か。

 感謝の念を覚えつつ、花中は『アナシス』なる謎の単語に首を傾げた。

「アナシス、様……?」

「私達はミスナムギーの神様をそう呼んでいるんだ。意味は日本語で言うところの『強きもの』、かな?」

【……そういえば、巫女の一族がそんな風に呼んでいた気がするな】

 サナが説明すると、大蛇ことアナシスは思い出したように独りごちていた。数十年前の出来事とはいえ自分の名を忘れるとは、この『神』、意外と忘れっぽいようである。

 同じく忘れっぽい友人にして、サナの話を「ぽへー」と腑抜けた謎の声を漏らしつつ聞いているフィアと、案外似た性格かも知れない。そう思うとなんだか急に親近感が湧き、くすりと、花中は笑みを零してしまう。

 そして親近感を覚えたら、恐怖なんて何処かに行ってしまうものだ。

「……では! えと、あ、アナシス様、って、呼びます、ね!」

【そうするが良い】

「はいっ! あ、えと、それではもう一つ、質問です。あなたは、何時からこの島に、住んでいるの、ですか?」

【我はヒトのように月日を数えぬ。故に何時からかなど知らぬが……そうだな、この島が何度か噴火したところは見てきた。そのぐらい昔から、と答えれば納得するか】

 改めて質問をしたところ、アナシスは特段躊躇いもなく答えてくれた。が、その些末な返答一つで花中は息を飲んでしまう。

 ガイドブック曰く、この火山は観測が開始されたのは今から六十年も前の事。その間一度も噴火は観測されていないため、少なくとも六十年はミュータントとして生きている事になる。いや、島に人が住めるぐらいの頻度……恐らく、百年間隔ほどの……噴火を何度も見てきたと言っているのだ。これが噓でないのなら、数百年は生きていなければおかしい。

 当然伝達脳波の維持限界など、この時間スケールからしたら一瞬でしかない。何故この蛇は人智を維持出来るのか、疑問は深まるばかり。

「えと、あの……あ、あなたは、その、どうやって、その知識を、保っているの、ですか……?」

【ほう、驚いた。我が知の仕組みを知っているのか】

「ふふん当然です。花中さんはとても賢いんですからね!」

 その事について尋ねると、アナシスは表情を変えずに驚き、フィアは誇らしげに胸を張った。アナシスはフィアの行動を特段意識もしてないようで、無視するように自分の話をしてくれる。

 力に()()()()時の彼女 ― やはり雌らしい ― は、小さな赤子のヘビだった。

 何故自分に知性が宿ったのか? 何故自分は他の仲間よりも優れた頭脳を持っているのか? 本来なら、それは分からない事だったに違いない。しかしアナシスの身体には特殊な力が宿っており、その能力の応用で、彼女は自身の肉体の『性能』を一欠片の謎も残さず把握出来た。自身の脳が外部から脳波を受診し、その脳波によって知性を得ているのだと、誰に教わらずとも理解出来たのだ。その知性が、脳波を発する人間の傍に居なければいずれ消えてしまう事も。

 故にアナシスは自らの能力――――『自らの肉体を思うがままに成長させる』力を使い、脳に新たな部位を形成。自前の伝達脳波発生器官を作り上げた。これにより特定の人間が傍に居なくとも、知性の維持を続けられるようになった。

 脳波を確保し、知性の安定を手にしたアナシスは、次に自らの肉体の強化を行った。いくら知性があろうと、特殊な能力を持とうと、所詮赤子のヘビに過ぎないのだ。天敵は決して少なくはなく、早急な対策が必要だった。 

 能力による応用だろうか、幸いにして自身が求めた身体の『設計図』はすんなりと閃いた。成長にはエネルギーと時間を必要としたため成果はすぐには出なかったが……一度目の春を迎えた時大抵の生物は敵でなくなり、やがて故郷で無敵の存在となり、しばらくして自力で海を渡れるようになって、ついには山の『中』で暮らせるようになった。

 そして、今に至る……との事である。火山内部に居たのは、巨体を維持するための熱量をマグマから直接摂取するためだそうだ。

「……思った以上にとんでもない化け物だった、ってとこかしら」

 アナシスの話が終わり、ミリオンは感嘆とも呆れとも付かないぼやきを漏らす。その言葉に、花中は無言のまま頷いて同意した。

 『成長する』という能力は、スタートダッシュの面では最も貧弱な力の一つだろう。しかし同時に無限の可能性を秘めた能力とも言える。数百年もの間可能性を積み上げた彼女の力が如何ほどのものか……花中にはまるで想像出来ない。だがフィア達が抱いた「勝ち目がない」という直感が間違いない事は確かだと思えた。

 敵対しなくて本当に良かったと、花中は安堵の息を吐く。同時に、アナシスへの警戒が全く必要ないと分かって気が抜けた。アナシスの力は強大無比であろうが、話を聞く限り人間に害悪を持っていない様子。こちらから刺激しなければ問題は起こりそうにない。

「んじゃ、話は聞けたし、そろそろ帰りましょうか。危険はなさそうだし」

「んー、そだねー」

 ミリオンの提案をミィは快諾。花中にも異論はなく、こくんと頷こうとした

「いやいや!? なんでもう帰ろうとしてんの!?」

 が、それをサナが引き留める。

 ミリオンとミィは「えー……」とブーイングを上げていたが、花中はすぐに思い出した。そうだ。自分達はモサニマノーマで起きている異変の原因を知りたくて、その原因が『此処』にあるとフィア達が言っていたから、この島に来たのだ。

 そしてその『原因』らしきトンデモ存在が今、目の前に居る状況なのである。彼女を問い詰めずに帰っては本末転倒だ。自分の迂闊ぶりが恥ずかしくて顔が熱くなる花中だったが、のんびり羞恥に震えている場合ではない。

「あ、あの! すみません、最後にもう一つ、質問を」

 花中は慌てて『本題』を切り出そうとして、

 直後、その身を大きく仰け反らせた。

「ひぅっ……!?」

「……何……?」

「う……っ」

 次いでサナが悲鳴を上げ、ミリオンとミィが困惑した素振りを見せる。誰もが平静を失っていた。

 その理由は、アナシス。

 何時の間にか、アナシスはその巨体を持ち上げ、空を見上げていた。それだけならなんて事はないが……全身から、例えるならオーラのようなものを放っていたのだ。無論、身体からそういったものが放たれている光景が見える訳ではない。訳ではないが、強烈な圧迫感を覚える。

 この圧迫感の原因が、巨体から発せられる多量の生体電気や熱量によるのか、はたまた自身の身体に備わった本能的警戒心からか。なんにせよ放たれるアナシスの雰囲気で、今まで花中が抱いていた疑問は氷解する。野生の警戒心などすっかり失った人類、その人類の中でもとびきり鈍感な花中ですら怖じ気付いたのだ。花中達がこの島を訪れる前に一度でも、彼女がこの殺気を放っていたなら……常に気を張り詰めている野生生物ならば即座に危険を察知し、逃げ出したに違いない。動けるモノは出来るだけ遠くへ、動けないモノは生活史の中で最も頑強な形態を取るという形で。

 しかし何故アナシスは突然こんな威圧感を放ち始めたのか?

 怒らせるような事をしたつもりはない。戸惑う花中は誰かの意見を聞きたかったが、サナはすっかり縮み上がっており、ミリオンやミィもアナシスへの警戒を露わにしながら困惑している。誰もが急変したアナシスへの恐怖心を露わにし、されど理由を分かっていない様子だった。

 ただ一匹、フィアを除いて。

「……フィア、ちゃん……?」

 恐る恐る、花中はフィアに声を掛けてみる。しかしフィアは花中の方を見向きもしない。彼女の目が向くのはアナシスと同じ、空のまま。

 そしてフィアは、その身をカタカタと震わせていた。顔はすっかり青ざめ、サナよりも酷い色をしている。

 確かにフィアの『身体』は水で出来た偽物である。されど隠し事が苦手な彼女は、思った事は大概顔に出てくる性質だ。つまりフィアの心境は今、酷く青ざめ、カタカタと震えているに違いない。

 例え何が相手でも、それこそ自分では勝てないと思ったアナシスにすら、平然と対峙していたというのに。今でもミィやミリオンは警戒するだけで、こんなにも怯えてなんていないのに。

「……フィアちゃん? どうしたの?」

「馬鹿な……なんですかこれは……!? いやいくらなんでもこれは不味い危険過ぎる……!」

 花中が呼び掛けても、フィアは反応一つしてくれない。それどころか空を見上げたまま、一匹勝手に錯乱している。

 まるで空の彼方にあるモノに、心奪われているかのよう。

 何時も自分の事を気に掛けてくれたフィア。その心を奪ったモノへの、ある意味では嫉妬心にも似た衝動か。花中は殆ど考えなしに、フィアが見ているのと同じ方角へと顔を向けた

 刹那、『地上』で爆音が轟いた。

「――――ふぇ?」

 全く予期していない音に、花中は間の抜けた声を上げる。視線も空から地上へと戻る。

 結果、島から遠く離れた海上で、巨大な水柱が噴き上がっている光景を目の当たりにした。

 比較対象が存在しない、恐らくはこの島から数十キロ遠洋で起きた事象。その規模を正確に計り知るのは難しいが、噴き上がった水柱の高さは数千メートルを超えているように見えた。空を漂っていた雲は吹き飛ばされたのか、ドーナツのようなリングを描いている。

 それほどの巨大現象だ。当然、放出されたエネルギー量も膨大。

「……っ」

「ちっ!」

「むっ!」

 フィアは無言のまま花中を自分の背後に引き寄せ、ミリオンは身構え、ミィは素早くサナの前に立つ。

 花中達に海からやってきた爆風が襲い掛かったのは、それから間髪入れずの事だった。

「ふきゃあああっ!?」

「っぶく……!」

 全身を揺さぶる衝撃にサナは悲鳴を上げ、花中は嗚咽にも似た声を漏らす。いや、フィア達が身を挺して守ってくれなければ、爆風に乗って飛んできた石などで全身ズタボロになっていたに違いない。

 爆風はほんの数秒で通り過ぎ、静寂はすぐに戻ってくる。だが、それで平穏が戻ってきた、とは思えない。海上で何が起きたのか、それはもう一度起こり得る事なのか。知らねば安心など出来ないのだから。

 花中は恐る恐るフィアの身体から顔だけを覗かせ、爆風がやってきた方を見る。

 ――――この時少しでも意識をフィアに向けたなら、今の彼女が空ではなく、自分と同じく爆風がやってきた方角を見ていたと気付けただろう。

 いや、フィアだけではない。ミリオンとミィとサナも、アナシスさえもフィアと同じ場所を見ていた。

 故に彼女達は、全員が同じ『モノ』を目の当たりにする。

 雨雲のように舞い上がり、豪雨の如く降り注ぐ海水の中で静かに佇む、黒色の『物体』を……




アナシスが敵かと思いました? 本当の敵はこっちだよ!
という訳で、本章の敵キャラがついに現れました。
ここから先は色々パワフルなので、スタミナ付けてお読みください。

次回は10/15(日)投稿予定です。

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