彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

68 / 232
神話決戦2

 モサニマノーマは赤道直下に位置する、小さな島である。

 国際法上はアメリカ領となっているが、アメリカ本土から七千キロも離れた位置に存在している絶海の孤島だ。総人口は百五十人未満で、生活は漁業による自給自足で成り立っている。暮らしているのはほぼ原住民のみで、言語は英語ではなく独自のもの。島民が住んでいる本島の近くには火山島が存在し、過去数千年という地質学的には『短期』のうちに十数回の大規模噴火を起こしている。観測が開始された六十年前から今日まで幸いにして噴火の予兆はないが、現在も火山活動自体はそこそこ活発なまま。そのため米政府は島民の本土移住を推奨しているが、文化的な違いや言語の壁などもあって上手くいっていないとか。

 さて、そんなモサニマノーマだが、日本から行くのは実はそう難しくない。

 というのもあまりにもアメリカ本土から遠過ぎて、距離的には日本の方が近いからだ。尤も、それでも日本から飛行機でグアムに到着後、旅客船を利用して近隣の島を経由 ― ちなみにその島に立ち寄るのは補給目的で、降りる人は稀だとか ― し、その島から更に民間旅行会社を介して離島へと移動。その離島から旅行会社と協力関係にある島民の漁船に(遠洋に漁へと出向くついでに)乗せてもらうと、やたらめったに手間は掛かるが……

 なんにせよ、これがモサニマノーマへの行き方だ。他の行き方はない。忘れたり間違ったりしたら、さて何処へ行く事になるのやら。

「グアムから船で島に渡って、あの旅行会社に行って、そこからあの島に向かって、その島から船を使って、その時の猟師さんの名前は……」

 小心者な花中はそんな展開を楽しめるほどの度胸はないので、ぶつぶつと暗唱しながら行程を確かめていた。無論迷わないに越した事はないのだから、家でやる分には良い事である。

 が、テロやらなんやらを猛烈に警戒している()()()でこの挙動不審はよろしくない。

「はなちゃん。そろそろ止めないと、迷子以前に日本から旅立てなくなるわよ」

 故にミリオンから忠告されて、ハッとした花中は顔を真っ赤に染め上げた。

 そう。花中は今、空港に居る。

 十二月二十九日――――年越しを間際に控えたこの日、花中は日本を出立する。目的地はモサニマノーマ。十年以上前に会ったきりの、従妹と再会するために。

 空港内は花中以外にも、飛行機を利用したい人々でごった返していた。年越しを海外で過ごすつもりか、はたまた遠く離れた実家へと帰るためか。彼等の熱気により、空港内は寒いどころか少し蒸し暑い。ざわめきも大きく、普段よりも大きな声で話さねば隣の人との会話も儘ならないだろう。

「はい花中さんお荷物です」

「体調は大丈夫? 忘れ物はないよね?」

「あ、ありがとう。えと、体調も、忘れ物も、大丈夫……多分」

 我に返った花中に、フィアがキャリーバッグを渡し、ミィが優しく気遣ってくれる。フィアにお礼を伝え、ミィには正直に答える。本当は此処でバッグを開いてもう一度確かめたいが、衆目がある手前恥ずかしいので我慢した。一応ミリオンと一緒に二重チェックをしたので、問題はない筈だ。

「とりあえず、この空港内にテロリストらしき人間が居ない事は確認したわ。今からテロリストが来ても私が『始末』しとくから、安心して海外旅行を楽しんできてね」

「……始末じゃなくて、ちゃんと、警察に通報してください」

「あら、それは面倒ね……冗談よ。ちゃんと人間の法に則って対処してあげるから、今度こそ安心しなさい」

 そのミリオンから安全性のお墨付きをもらい、軽くジョーク ― であってほしい ― を交わしたら、いよいよ準備は万端。

 一度深呼吸をしてから、ガラガラとキャリーバッグを引いて花中は歩き出す。しかし友達三匹から数メートルほど離れた位置で一旦立ち止まると、くるりと三匹の方へと振り返った。

「じゃあ、いってきます!」

 そして笑顔で、元気よくしばしの別れを告げる。

 手を振り、見送ってくれる友人達に背を向け、花中は受付へと走り出すのであった――――

 ……と、そんな花中の姿が人混みに紛れて見えなくなると、フィア達は互いに顔を見合わる。

「それじゃあ我々も行くとしますか」

「そうねぇ。じゃ、また後で」

「長丁場になりそうだし、準備体操しとかなきゃなぁ」

 そのまま三匹は、各々バラバラの方へと歩き出した。

 思い描く目的地は、誰もが同じなのに。

 

 

 

【飛行中は揺れる事がありますので、着席中もシートベルトのご着用願います。それでは、空の旅をお楽しみください】

 離陸に成功し、飛行が安定した事を伝えるアナウンスが機内に流れる。先程まで感じていた激しい揺れはなく、この『乗り物』が時速千キロ近い速さで飛んでいるとはとても思えない静かさだ。

 何事もなく空の旅に入れて、飛行機内に居た花中はホッと安堵の息を吐いた。身体から力を抜き、座席にもたれ掛かる。飛行機事故で死ぬよりも交通事故で死ぬ方が確率的には上だと知っているが、それでも危険な瞬間を乗り越えた事には違いない。現実には飛行中の墜落や、着陸失敗、テロリスト襲来 ― 今回に限ればこの可能性はゼロだが ― 等々危険はまだたくさん残っているが……そんなものはどうでも良いのだ。気分的に楽になったのだから。安心と安全は別物とはよく言ったものである。

 不安が拭えると、花中は段々と笑みを浮かべるようになる。

 最初の目的地はグアム。成田からだと、飛行機でもグアムまで約四時間の行程だ。その後はグアムから旅客船に乗り、船上で一泊。立ち寄った島から別の島へと乗り継ぎ、そこでまた一泊。モサニマノーマ到着は二日後の正午頃。十二月三十一日の十二時を予定している。

 時間にしてざっと五十時間以上の長旅だ。しかし今の花中にはさして長い時間とは思えない。少なくとも、十年という月日と比べれば。

 さて、モサニマノーマには従妹だけでなく叔父も暮らしている。親戚の手伝いもあり、花中はどうにかその叔父と連絡を取り合う事が出来た。

 年間平均観光客数が小数点以下のモサニマノーマには宿泊施設がないらしく、商店街の当初の予定では村長の家に泊まる事になっていたのだが、話し合いの結果叔父の家に滞在させてもらえる事になった。年末年始の忙しい時期に悪いのではとも思ったが、漁の最盛期は()()()に終わったので特に問題はないとか。

 そして、十年以上会っていない従妹も、自分の到着を心待ちにしているとの話だ。

 今のところ旅路は順調。トラブルが起きる気配はなく、明後日には十年越しの再会を迎えている筈だ。未来を想像したら胸が弾む。考えるのを止めようとしても、無意識に脳裏が未来予想図で満たされてしまう。

 ワクワクが止まらないのに、退屈なんてしていられない!

「何やらすごく楽しそうね」

「はいっ!」

 どれほど楽しいかと言えば、隣の席に座っている初老の女性に話し掛けられて明るく元気よく返事をしてしまうほどだ。

 返事をしてから、物凄く恥ずかしい事をしたと気付いて、花中は顔を茹でダコのように真っ赤にする。女性のにこやかな顔がなんだかこちらを憐れんでいるように見えて、花中は逃げるように顔を俯かせた。

「え、ぁ、いゃ、ぁ、その……」

「あら、恥ずかしがる事はないわ。旅は何時だって楽しいものですもの。私だって、この歳になってドキドキしているのだから。それにドキドキしない旅行なんて、行ってもつまらないでしょう?」

「は、はい……」

 優しく宥められ、花中は恐る恐る顔を上げる。女性の表情は先程までと同じくにこやかで、だけど今はとても優しい顔に見えた。

「ところでご家族の姿が見えないようだけど、近くの席には居ないのかしら?」

「ぁ、いえ……一人旅、です。旅行先では、親戚の家で、泊まる事に、なっています、けど」

「あら、そうなの。小学生でも一人で海外旅行って出来るのね」

「……えと、わたし、高校生です。一応」

「あらら、私ったら! ごめんなさいね」

 本当に申し訳なさそうに謝られ、花中は「よく言われます」と返しておく。

 こんな会話を交わしながら、我ながら変わったものだと花中はしみじみと感じた。

 ほんの半年前までは同級生にすら声を掛けられなかったのに、今では飛行機の中で出会った初対面の人と気さくな会話をしている。半年前は友達が一人でも出来れば良いと思っていたのに、まさかこんなにも『親しい人』が増えるなんて思わなかった。思う事が不遜だとすら考えていた。もしかすると昔のままだったら、海外暮らしの親戚に会おうなんて決断出来なかったかも知れない。

 『もしも』の事は分からない。だけどきっと『今』があるのは彼女達のお陰だろう。

 そんな事を考えていたからか、不意に懐かしさが込み上がってきた。まだ別れてから一時間ぐらいしか経ってないのに……寂しがり屋なところは相変わらずのようだと自嘲しながら、花中は飛行機の窓から日本があるだろう方角を眺める。

「……ん?」

 そこでふと、疑問の声を漏らした。

 花中達が乗る飛行機と並走するかのように、黒い飛行機が飛んでいたのだ。ただしジェット機ではなく、エイのような形をした、戦闘機っぽいもの。本当に戦闘機かは分からないが、民間旅行会社の飛行機ではなさそうである。機体との距離は、比較物がないのでよく分からないが……かなり近いように思える。

 自衛隊の飛行機にこんなのがあるのかな? もしかして在日米軍の飛行機? いや、それよりも此処まで近付いたら危ないんじゃ……

 段々不安になってきて花中が顔を青くしていると、黒い戦闘機は不意に方向転換。大きめの白い雲に突入し、そのまま姿を消してしまった。なんとなく窓に張り付いて探してみたが、再びその姿を見付ける事は出来なかった。

「どうかしたの?」

「あ、いえ……なんでもないです」

 しばらく外を眺めていた花中だったが、隣の席の女性に尋ねられてすぐに戦闘機探しを止める。気にはなるが、分かったところで知的好奇心が満たされるのが精々だ。

 それよりも、お隣の席に座る淑女を退屈させる訳にはいかないだろう。

「えっと、ところで、あなたはグアムには、何をしに、行くのですか?」

 旅路の興奮に乗せられた花中は、今度は自分の方から女性に尋ねてみるのだった。

 

 

 

 その後花中を乗せた飛行機は無事グアムに到着。空港での審査も滞りなく進み、僅かな時間ではあるが『近代的』な南国を堪能した。その後旅客船に乗り島から島への船旅へ。最後の漁船も予定通りに出航し、何一つトラブルは起きなかった。

 そして太陽が天頂で輝き始めた頃。

「『それじゃあ、迎えに来るのは三日後だ。それまでは泣いても笑ってもマラリヤに罹ろうと迎えにはこれねぇから覚悟しとけよ! あと天候が悪かったら無断で延期するからそのつもりで』」

「『分かりました。では、とりあえず三日後、またよろしくお願いします』」

 なんとも物騒な免責事項に苦笑いしつつ、花中はぺこりと一礼。花中が頭を下げた相手である三十代前半の、健康的に日焼けした男性 ― 花中を乗せてくれた漁船の船長さんだ。尤も花中を除けば唯一の船員であるが ― は手を上げて応える。次いで自らが乗っている、二~三人ぐらいしか収容出来ない小さめの漁船のエンジンを再起動させた。

 そして船は海に向けて発進。花中は手を振って漁船を見送った後、船に忘れ物をしていないか今一度確認する。といっても荷物は全てキャリーバックに入れており、そのキャリーバックを忘れるというヘマはそうしないだろうが。

 ヘマをしていない事を確かめた花中は遠ざかる船に背を向けるように振り返り、自分が下ろされた島を一望する。

 まず目に入るのは、島の中央を陣取っている小高い山。パンフレット ― 商店街製作 ― 曰く標高三百メートルほどになる山で、『ダァード・ノゴドトー』というらしい。現地の言葉で『温かな大地』を意味し、信仰対象にもなっている神聖な場所。一応地殻変動の影響で出来た山で、火山ではないそうだ。島で唯一の森林地帯でもあり、遠目からでも分かるぐらい独特な、日本では見られない樹木が山全体を覆っている。

 次に目線を下げて足元に向ければ、花中が下ろされた『漁港』が映る。漁港と言っても木の板を組んで作られた単純な物で、小型船以上の大きさの船が寄港すればその際の波で壊れてしまいそうだ。踏むとギシギシと音が鳴り、手すりなんて上品な物は存在しない。うっかり板を踏み外したらそのまま海にドボン……それはそれで楽しそうだと思ってしまうのが、旅先のテンションというやつなのか。

 そして島をぐるりと囲う白い砂浜。赤道直下に位置する島だけに、島の周囲にはサンゴ礁が形成されているらしい。純白の砂浜はサンゴの欠片から出来ているのだろうか。熱帯の日差しを受けてキラキラと輝いている。

 なんて綺麗で、美しいのか――――モサニマノーマ!

「ついに……ついに到着だーっ!」

 待ち望んでいた瞬間に、ピョンっと跳びはねてしまう花中。着地と同時に漁港全体が軋んだような音を立てたが、テンションが上がってきてそれどころではない。

 初の海外一人旅。久方ぶりの再会が秒読み段階。

 落ち着けという方が無理な話だ!

「……って、あれ?」

 ……無理な話なのだが、花中のテンションは一気に下がった。

 目の前にそびえる山、手作り感溢れる港、一面の白い砂浜……どれも商店街制作のパンフレット通り。景観的な落ち度はない、というより今回の旅行は観光目当てではないので、極端な話景観については結構どうでも良い。

 それより、人影が見当たらないのはどういう事なのか?

「あれ? おかしいな……」

 花中は首を傾げながら、漁港を降り、砂浜に降り立った。柔らかな砂の踏み心地にちょっぴり興奮してから、改めて辺りを見渡す。やはり人影は影も形もない。

 人影がない事自体は、そう問題ではない。島民が暮らしているのは花中が下りた漁港から見て、山を挟んだ反対側であるとパンフレットには書かれている。島民の数も百数十人程度のため、集落が山の陰に隠れるほどの大きさしかないのも自然な話。此処から島民の生活が窺い知れない事は、なんの問題もない。

 疑問なのは、迎えの人の姿すら見えない点だ。というのも花名はこの島に住んでいる叔父と連絡を取り、迎えに来てもらう手筈になっているからである。村は砂浜沿いに存在するという話で、パンフレット曰く一周するのに徒歩でも二~三時間しか掛からない島で案内など必要ないだろうが、十数年ぶりに出会う親類。したい話はたくさんあると、叔父の方から案内を持ち掛けてきた。花中としても叔父とすんなり合流出来るならその方が良く、好意に甘える形で約束を取り交わした。

 なのに、その叔父の姿が見当たらない。念のため腕時計で時間を確認してみたところ、今の時刻は午後一時半。この島には正確な時刻を示す時計がないため待ち合わせ時間は正午頃としていたが、この時刻ならまだ正午頃の範疇……だと思いたい。時刻変更線に合わせて時計の針は調整したので、実は三時間遅れで到着していた、という可能性もない筈だ。

「うーん、どうしよう……」

 これは中々困った事になったと、花中は考え込む。先程も述べたように、徒歩でも一周三時間掛からないこの島で、砂浜沿いの村を見付ける事は苦ではなかろう。島民だって百五十人未満なのだから、そこから叔父の姿を見付けるのも難しくないと思われる。

 だが、もしかすると叔父は今村を起ち、こちらに向かっているかも知れない。そうなると叔父が通っているルートと逆に進んだ場合、すれ違って面倒な事になる。それに花中はこの島では、叔父に色々頼るつもりなのだ。叔父が居ないかも知れない村に立ち入るのは、ちょっと心細い。

 はてさて一体どうしたものかと、花中は立ち尽くしてしまう。せめて人影が見えれば、次の行動を起こせるのだが……等と考え三度見渡してみる。

 すると、今度はこちらに近付いてくる黒い影が見えた。遠くてまだ分からないが、手らしきものを大きく振っているので、走ってこちらに向かっていると思われる。

 恐らくあれは叔父だろう。仮に違っていても、自分の事を叔父から聞いているだろう現地人。恐れる必要はきっとない。

「……良し」

 ほんの少しの躊躇を振り払うと、花中は砂でタイヤが空回りするキャリーバックを力尽くで引き摺りながら、人影目指して歩き始めた。

 結論から言うと、人影は叔父ではなかった。

 成人男性にしては背が低く、また身体付きが華奢だった。近付くにつれハッキリとしてくる輪郭は、女のそれ……いや、少女のそれ。花中よりは背が高そうで、手足はすらりと伸び、体育会系らしい元気な走り方をしている。

 やがて花中と人影は互いの顔をちゃんと確認出来る距離まで近付き、人影が花中の予想通り自分より背が高く、陸上選手のような引き締まった筋肉の乗った、それでいて女らしい胸の膨らみがある……大体『同い年』ぐらいの女の子だと分かった。彼女が着ているのは袖がない薄手の布と、膝丈ぐらいまである植物質なスカートという如何にも南国風の衣服。小麦色の肌も、南国の住人らしさがある。ニコニコと太陽のように眩しく微笑んでいて、とても愛くるしい。

 現地人である事は、疑う必要もないだろう。尋ねてみれば色々教えてもらえるかも知れない。

「『こ、こんにちは。わたしは大桐花中と申します』」

 とりあえず、花中の方から英語でコミュニケーションを試みる。と、今まで笑顔だった少女はいきなり困った顔になってしまった。

 そう、ここの言葉は英語ではなく現地語。確かに此処はアメリカ領だが、英語で話し掛けたところで彼女達にとっても外国語である。困らせてしまった事への罪悪感で、花中の方が右往左往してしまい――――

「あ、あの、オオギリカナカ、さん、ですよね?」

 少女の口からややぎこちない日本語が出てきたので、花中ははたりと止まった。

「え……あ、えっと、はい……大桐花中です、けど……」

「わっ! タワヘ!? セケィユー、アヨサーローア!」

「え? え?」

 いきなりの未知の、恐らくは現地語だと思われる言葉の洗礼に花中はキョトンとしてしまう。そんな花中に気付くと、少女は「あ、すみません」と丁寧な日本語と共に頭を下げる。

「久しぶりです、花中ちゃん。従妹のサナだよっ!」

 そして日本語による自己紹介を受けて、花中に出来たのは、なんだか分からない叫びを上げようとする自分の口を両手で押さえる事だった。

「えっ!? さ、サナちゃん!?」

「うんっ! サナだよ!」

 言葉を失うほどに興奮する花中に、サナは元気良く肯定する。態度は花中よりも冷静だが、ぴょんっと跳びはねながら近付いて花中の肩を掴むあたり、彼女は彼女なりに興奮している事が花中にも伝わった。

 しばし言葉に出来ない興奮が胸から溢れ、馬鹿みたいにジタバタする事しか出来なかった花中だったが……ふと、不思議な気持ちになる。

 花中は母が西洋系の血筋であり、対してサナの母は南国系。娘だからかどちらも母方の血が色濃く出たようで、あまり日系人的な共通点はない。なのに日本人の父方の血を通じて従姉妹の関係にある。人類皆兄弟という言葉があるが、こうして本当に血の繋がった『親族』を前にするとその言葉の確かさを強く感じられた。今なら誰とでも打ち解けられそうな気分だ。

 ただ、同じ血筋だからこそ言われるとより深く傷付く事もあるもので。

「あれ? 花中ちゃんって、私より二つ年上だった、よね? ……随分ちっちゃいけど、ご飯、ちゃんと食べてる?」

「ぐふっ」

 十三~四歳(自分の二歳年下)であるサナに身長・スタイル共に負けている事実を突き付けられ、花中は吐血するかの如く嗚咽を漏らした。血筋は同じなのにどうしてこうも自分は幼児体型なのか。コンプレックスがある訳ではないし、将来ナイスバディになりたい訳でもないが、年下の従妹に負けたとなると少しダメージが大きかった。尤も、国が違うと美意識も違うようで、サナにはどうして花中がダメージを受けたのか理解出来ていないようだが。

「……と、ところで、叔父さんは、どうしたの、かな? 迎えに来るの、叔父さんだと、思っていたの、だけど」

 これ以上傷口を広げられたら堪らないと、花中は話題を逸らそうとする。逸らすと言っても、一応気にはしていた点だ。

 しかしながら大した質問だとは思っていなかったので、サナが露骨に口籠ったところを目の当たりにすると、何か自分はとんでもない失言をしてしまったのかと思ってしまう。

「え……あ、あの、どうか、したの……?」

「あ、ううん、大した事じゃないの。その……お父さんは、ちょっと村で用事が出来ちゃって」

「村で、用事?」

「うーん、なんて言ったら良いのかな……」

 サナは目を瞑りながらしばし考え込み、それから言葉を選ぶように、慎重な話し方で説明してくれた。

 なんでも昨晩、奇妙な三人組が島を訪れたらしい。

 最初はレイジ ― 花中の叔父の名である ― の親戚が来たのではと村中が盛り上がったが、今回島にやってくる親戚は花中一人である事から無関係な人達だと判明。ではテレビ局とかアメリカ政府の人間かと思ったが、そのような人間が来るとの連絡はなく、三人のうち二人は満足に英語も話せない有り様。残る一人は英語どころかフランス語、ドイツ語も話せたが、この島の言葉は話せず、この線も薄いと判断された。もっというと三人の内一人は金髪碧眼と如何にもヨーロッパ系な見た目なのに、何故か話せるのは日本語だけというチグハグぶりだ。島に近付く船を見たという者も居らず、どうにも薄気味悪い。

 ともあれ日本語は話せるようなので、レイジの通訳を介して大人達の話し合いが行われた。サナはまだ大人と認められていないので話の内容は知らされていないが、結果的に三人組は島に滞在する事を許されたらしい。ただし三人ともこの島の言葉が分からないので、()()()()通訳を付ける事になった。

 その通訳が、レイジである。

「……成程。だから、叔父さんは、迎えに、来れなかったんだ」

 ここまで説明してもらえれば、後はもう花中にも想像出来る。怪しい三人組が何か良からぬ事をするかも知れないので、村人達は監視役を付けたかった。そこで相手の機嫌を損ねぬよう通訳という体で人を送り込む事にしたが、しかしこの島でちゃんとした日本語を話せるのは、恐らく生粋の日本人であるレイジとその娘であるサナの二人だけ。あらゆる意味で『子供』には任せられないだろうから、レイジがやるしかない。

 結果、レイジの代わりにサナが花中の迎えに来る事となったのだろう。時系列的に、サナが花中の出迎えを頼まれたのは早くても昨日の夜遅く筈だ。村での騒動も含めて色々忙しかっただろうに、こうして迎えに来てくれたとは。

「なんか、ごめんね。大変な時に、来ちゃって」

「そんな、花中ちゃんは悪くないって! むしろ来てくれたのが花中ちゃんでちょっと助かったって思ってるぐらいだよ。日本から旅行客が来るのは最初から決まってるんだから」

「あー、そっか。これ、福引きの、特賞だっけ」

「それよりこっちこそごめんね。多分島中がそいつらの事で慌ただしいから、あまりオモテナシ出来ないかも。勿論うちではちゃんと歓迎するし、そいつらも今のところ、変ではあるけど大人しいから大丈夫だとは思うけど……」

「それこそ、サナちゃん達は、悪くない、よ。むしろ、わたしに手伝える事が、あったら、なんでも言ってね」

「うん、ありがとねっ!」

 ニカッと大輪の花が咲くように笑うサナに、花中も穏やかな笑顔で向き合う。

「そうそう、こんな話よりもさ、花中ちゃんの事聞かせてよ! 私、年上の従姉が居るって話しか聞いた事ないから色々知りたいし! 日本の事もたくさん教えてほしいなぁ」

「わ、わたしも、サナちゃんの、事、聞きたいよ。いっぱい、聞いちゃうんだからっ」

 かくして従姉妹二人は緩やかな、前に進むのを惜しむような足取りで村へと向い――――

 

 

 

「やあやあ花中さんお久しぶりです思ったよりも遅かったですねあまりにも到着が遅いので少々退屈を持てあましていたところなのですよだってこの島文明レベル低過ぎるんですものテレビすらないなんて折角花中さんが来るまでブルーレイでも見て暇をつぶそうと思ったのにそれすら出来ないとはやはりこういう時は本が良いという事なんですかねでも私活字って苦手なんですよマンガでも文字が多いやつは読む気がしませんし」

 村の入り口で待っていたのは、早口言葉染みた言葉だった。

「あの……花中ちゃん、この人……知り合い?」

 隣に建つサナから、怪訝そうな眼差しと共にそんな問い掛けが。しかし花中の口はパクパクと空回りするだけで声が出てこない。喉の奥で言葉がつまり、空気だけが吐き出される。外に出ていた村人達が挙動不審な花中をじろじろと見ていたが、そんな事を気にする余裕はない。降り注ぐ太陽が頭をチリチリと炙るが、脳から生じる熱の方がずっと大きくて意識にも昇らなかった。

 何故、どうして? 理由を考えても分からない。

 あまりに分からな過ぎて、湧き上がる疑問は空回りする思考の歯車をも吹き飛ばす。言葉を遮るものはなく、花中は感情の赴くままに叫んだ。

「な、なんでみんな、此処に来てるのぉっ!?」

 目の前に現れた三匹の友達――――フィア、ミィ、ミリオンに向かって。

「何故って花中さんに会いたかったからですよ?」

「花中がいないと退屈だしね」

「ああ、安心して。『私』が留守番しているから、泥棒対策は勿論来客対応もバッチリよ」

 困惑する花中を他所に、人外達はのんきそのもの。まるでここまで驚くとは想像していなかったと言いたげだ。

 逆に、何故驚かないと思ったのか。

 彼女達とお別れしたのは日本であり、その日本と此処モサニマノーマの間には凡そ四千キロにも及ぶ、世界一巨大な海洋が横たわっているというのに。

「ど、どうやって、来たの!? その、海は……」

「泳いで」

「走って」

「飛んで」

 訊けば返ってくる、三者三様の答え。その返答を受けた花中は凍り付くように固まった。

 曰く、フィアは水を操って海中を時速三千キロもの超高速で横断。ミィは足が沈む前に次の一歩を踏み出すという漫画のような ― だがバジリスクという実在のトカゲが実際にやっている ― 方法を用い、一時間ちょっとで走破。ミリオンは大気を加熱した際の膨張圧を利用して、マッハ二ほどの速さで優雅に飛んできたらしい。

 地味に誰もが音速超え。一般人ならば出鱈目な事をと一蹴する話である……であるが、フィア達をよく知る花中は逆。むしろそれなら可能だと、納得する始末だ。そういえば日本からの飛行機で黒い戦闘機を見ていたが、アレはミリオンだったのかと得心がいく。

 どうりで海外旅行という『危険』を彼女達が許してくれた訳である。最初から同行する気満々だったのだ。

「えっと……よく日本語が分からなかったけど、この人達は花中ちゃんの知り合い、なのかな?」

「知り合いではなく一番の友達ですよ」

 頭を抱える花中にサナが尋ねてきたが、訂正を交えて答えたのは上機嫌なフィア。サナは少し後退りし、特に頷きはしなかった。

「……本当に友達?」

 それからそそくさと、花中に耳打ち。

 明らかに三匹を信用していない、至極当然なサナの反応に花中は口元をひくつかせた。自分がこの島に来るまでの間、彼女達がこの島で何をしていたのか……考えようとすると頭が痛くなる。

 とはいえ悪者ではないのだ。そう、悪者では。そして友達である事も事実。

「……うん、本当。ちょっと変わってるところが、あるけど、悪い子達じゃない、よ」

「ふーん。花中ちゃんがそう言うなら、そうなのかな……」

 花中が肯定するといくらか警戒心を解き、しかし変わらず猜疑の眼差しをフィア達に向けるサナ。こればかりは出会い方が悪かったのだから仕方あるまい。

 幸い、花中がこの島で滞在する三日間はフィア達も此処で暮らすだろう。本当に悪い子達ではないので、その三日の間にサナと打ち解けられれば良しとしよう。

「はっはっはっ! まさか花中ちゃんの友達だったとはなぁ!」

 そんな事を考えていた花中の耳に、とても元気な言葉が響く。

 声の主はフィア達の後ろで腕組みをしている、筋肉隆々で、年期のある顔立ちの男性。肌は小麦色だが、サナのような『純粋さ』がない。間違いなくただの日焼けで、陽射しの穏やかな地に行けばすぐ色白になるだろう。しかし浮かべる笑顔の純朴さは、サナと全く同じ雰囲気を感じさせた。

 そして彼が発した言葉はネイティブな日本語だった。この島で日本語を使えるのはサナを除けば一人しか居ない。それにこの島では『彼』を頼る予定だったのだから、花中も顔写真ぐらい確認している。分からない筈がない。

「すみません、おじさん……友達が、迷惑掛けたみたいで」

 フィア達の監視役をやっていた自分の叔父――――玲二に、花中は深々と頭を下げた。

「いやいや、謝らなくて良いよ。突然の来訪者に戸惑いはしたけど、迷惑は被ってないからね」

「そうですよ花中さんっ! 花中さんが嫌がると思い彼等のご迷惑にならないよう食事や寝床は自分で用意しましたから!」

「まぁ、あたしからしたら普段の暮らしと全然変わらないけど。ネズミとかを狩って、ふかふかしてそうな草の上で寝るだけなんだもん」

「私なんか、そもそも食事すらいらないけどね。睡眠も必要じゃないし」

「……時々なんの話をしているのか、分からない時があるけどね」

 若い子の話に付いていけないとはいよいよ俺もおじさんかなぁ、と玲二は自虐的に笑う。が、彼女達を最近の若い子と呼ぶのは色々不適切であろう。そもそも人間ですらないのだから。

「まぁ、なんにせよ花中ちゃんの友達なら問題はないだろう。村の人達には俺の方から説明しておく。今日から三日間、島を楽しんでいってほしい」

「という事だそうですよ花中さんっ♪」

 島に滞在する事への正式な許しが出るや、フィアは花中に抱き付いてくる。頬を擦り合わせながら、身動きが出来ないぐらいの力で締め上げられた。

 『問題ない』かと問われると甚だ怪しいのだが……玲二や島民に見てもらうより、花中(じぶん)が目配せした方がトラブルを避けやすいだろう。それに友達と一緒に居られて嬉しくない訳がない。

「えへへへへ……」

 すっかり落ち着きを取り戻した花中は、幸せに浸かってふにゃりと口元を緩ませた。

 ……普段ならそんな花中の姿を誰もが呆れつつも見守ってくれるのだが、今日はそれを面白くなさそうに見ていた人物が一名居る。

 サナだ。

「……………むぅーっ! 花中ちゃんを独り占めしないでっ!」

 声を荒らげながら、サナは花中の腕を強引に抱き寄せた。従姉妹の突然の行動に花中は呆気に取られ、フィアが不愉快そうに眉を顰める。

「んぁ? なんですかこの小娘は」

「っ!? なんですかって、昨日から何度も会ってるでしょ!」

「生憎花中さん以外の人間なんてどーでも良いのであなたの事など覚えてませんよ。それより花中さんから離れてくれません? 久方振りに花中さんと会えたので存分に堪能したいのですが」

「会ってない期間なら私の方がずっと、ずぅーっと長いもん!」

「あなたと私とでは仲の深さが違うのです。あなたと花中さんが何時ぶりに再開したかは知りませんが例え百年ぶりだろうと私と会えなかった一日の方が重みがあるのですよ」

「んなっ!? な、なんなのこのコイツぅ……!」

 何故か始まる口ゲンカ。確かにフィアの言い方は挑発的だったが、サナも割と最初から威嚇気味だったような気がする。何故こんな事になったのか分からず、従姉妹と友達の板挟みで花中はおどおどしてしまう。

 ただ、ケンカするよりも仲良くしてほしいという気持ちも込み上がる。そういえば以前にも、晴海達とフィアの間で似たような事があった。あの時は自分の正直な気持ちをぶつけて、なんとか仲直りしてもらえた。

「あ、あの、ふ、二人とも、落ち着いて……その、わたしは、みんなで仲良くしたい、から……」

 だから今回も、花中は自分の正直な気持ちを打ち明ける。

 フィアは唇を尖らせつつ「花中さんがそう言うなら」と渋々といった様子で抱き付く腕の力を弱め、

「花中ちゃん。そーいうの、優柔不断って言うんじゃない?」

 サナは、ジト目でこちらを見据えながらそう指摘した。

「……………ぇ?」

「みんなで仲良くって言うけど、花中ちゃんは今日、私に会いに来てくれたんだよね? 手紙にはそう書いてあったんだけど」

「ぇ、あ、えと、ぅ、うん」

「じゃあさ、途中から来た人達とも仲良くってのは違うんじゃない? 大体この人とは友達で、毎日会えるんでしょ? だけど私とはそう簡単には会えないじゃない。なら、今日ぐらい私のために時間を作ってくれても良いと思うんだけど」

「あ、えと、それは、えと、そ、そうかもだけ、ど」

「じゃあ、ハッキリさせて! 私とこの人、今日はどっちと過ごすの!」

「えぅえぇぇぇぇぇぇっ!?」

 一度は通じた策が打ち砕かれ、花中はすっかり狼狽えてしまう。サナに退く気がないと分かるとフィアも腕の力を再び強め、またぎゅうっと抱き締めてきた。

 いよいよ逃げ場がない。切り抜けるための策もない。

「はっはっはっ! 花中ちゃんは随分と仲の良い友達が出来たみたいだな! 昔来た時は目付きが怖くて、島の子供達とも遊べなかったのに」

「全くさかなちゃんったら……ああ、そうそう。誤解があるうちに渡しても怪しいだけと思い今まで渡していませんでしたけど、こちら、お味噌と醤油です。どうぞお召し上がりください」

「おっ! これはまた懐かしい……ところで、さっきまでこのような物は持ってなかったような?」

「それは乙女の秘密ですわ。そうですね、四次元ポケットがありますので、とだけ言っておきましょうか」

「はっはっはっ! 随分と懐かしいネタだ! あのアニメはまだ放送しているのかい?」

 されどミリオンは花中達の事など気にも留めておらず、玲二相手に和気あいあいと大人の会話をしていた。ミィは話に巻き込まれたくないのか、遠巻きでこちらの様子を窺う始末。島民達も段々と花中達から距離を取っている。

「さぁ!」

「さぁ!」

「「さぁっ!」」

 迫る友人と従妹の顔。全身で感じる人肌の暖かさ。自分に向けられる好意の言葉。どれも嬉しいものなのに、花中は顔が青くなるのを止められない。

 慌てふためく花中の頭の中は、すっかり真っ白に染まってしまい――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、危機感ないなぁ……逃げるぐらいならなんとかなるって思ってるんだろうけど」

 ぼやいた猫の言葉は、花中の耳には届かなかった。




モサニマノーマで使われている言語は、一応解読可能なものとして作っています。
まぁ、大した事は言ってませんけどね。

次回は10/1(日)に投稿予定です。

9/25追記
時間の表記が色々間違えていたので修正。
十年ぶりと十年以上って全然意味違うのに……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。