彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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異種混合草野球頂上決戦3

 広大なグラウンドのど真ん中にて、縮こまるように正座しているゴリラを、仁王立ちする四人の少女達が取り囲んでいた。

 ……字面にすると「お前は何を言っているんだ?」と正気を疑われかねないぐらいおかしな光景だが、それが現実に起きていた。事情を知らない第三者にはこの光景がどう見えているのだろうか? ゴリラ……の()()()()()()()変質者が少女達に手を出したものの返り討ちに遭い、形勢逆転されて追い詰められている姿だろうか。或いは善良な ― 公共の場でやってる時点で善良ではないかも知れないが ― コスプレイヤーが悪辣な少女達に絡まれている姿だろうか。

 どちらか、或いは全く別の考えにせよ、衆目を集める光景には違いない。というより、現在進行形で衆目を集めている。大人は警戒心を剥き出しに、子供は好奇心を隠さずに。

 ――――自分で招いた結果とはいえ、こんな事になるなら無視した方が良かったかも。

「……その辺にリリースとか、しちゃ、ダメ、ですかね……?」

「駄目じゃないけど、はなちゃんの事だからやったら何時までもうじうじと引き摺るんじゃない?」

「ですよね……はぁ」

 事の発端である花中はそんな気持ちを吐き出してみたが、ミリオンにあっさりと指摘され、ぐうの音も出ないほどに納得。深々とため息を吐く。

 それから両手で掴んでいるフリスビーに顔を埋め、いくらか気持ちを落ち着かせてから面を上げる。見えるのは、自分達が捕まえた『本物のゴリラ』だった。

 ゴリラ。

 ゴリラは現存する類人猿の中ではチンパンジーに次いで人類に近いとされ、現在はアフリカ大陸のごく小さな地域にのみ生息する希少な生物である。種類はニシローランドゴリラ、ヒガシローランドゴリラ、マウンテンゴリラの三種。ヒガシローランドゴリラはニシローランドゴリラの亜種とされる事もあり、分類には諸説ある。日本の動物園に居るのは全てニシローランドゴリラなので、日本人の場合はゴリラ = ニシローランドゴリラという認識でも問題はなかろう。野生個体は乱獲や開発、紛争の影響で近年減少傾向にあり、動物園でも繁殖に四苦八苦しているとか。食べ物は植物を主体にしているが、果実などの甘い物も好み、時折昆虫なども食べるらしい。雄は成体になると後頭部の毛が銀色に変わる、シルバーバックと呼ばれる特徴を持つようになる。丁度、目の前の『彼』のように。

 ……等々生態的な知見を並べ立ててみたが、そんな『理性的』な情報が果たして通用するのだろうか。

 目の前の存在は人智を凌駕した怪物『ミュータント』だというのに。

「(……ミュータント、だよね?)」

 そこまで考えて、花中は今更過ぎる疑念を抱いた。

 彼は明らかに人語を理解していた。人間を前にしてもパニックにならず、頭を撫でるなど実に人間的なアクションも見せてくれた。しかし人間とは明らかに違う体臭が、彼が人外である事を物語る。ここまで証拠が揃っていながら、まさかミュータントではないなどあり得るのか?

 あり得ない、と花中は判断した。そしてミュータントだった場合、彼にはフィア達のような出鱈目な能力を有している可能性がある。その力で人間社会を滅茶苦茶にしてしまう懸念も。

 故に花中は彼が人間社会に現れた『目的』を問い質すべく、友達に彼の身を一時的に拘束してもらった訳だが、もしも見当外れだったら……例えば単に体質的に物凄く毛深くて、加えて喋る能力に障害がある『普通の人』だったなら、これは酷く無礼な行いといえよう。勿論万に一つもあり得ないとは思うが。

 ……花中達に捕まり、正座して、おどおどおろおろする『彼』の姿を見ていると、根拠はないけどやっぱり普通の人だったような気がするから困る。

「あ、あの」

「っ!?」

 念のため確かめようと花中が声を掛けると、ゴリラはびくりと身体を強張らせる。視線はあちらにチラリ、こちらにチラリ。自身を取り囲む『化け物』達を警戒……というより怯えている様子だ。

 無理もない。捕まえる際、フィアが冒涜的外見の水触手で足を縛り、ミリオンが不可視の状態で彼の喉を締め上げ、ミィが馬鹿力で手首を掴んだのだから。花中だったら怖さのあまり、失禁していたに違いない。錯乱してないだけまだマシというものである。

「(……ちょっと、警戒し過ぎだったかも)」

 花中は一度深呼吸。気持ちを落ち着かせると、反省の気持ちが込み上がってきた。

 実際のところ、花中が知る限り彼はまだ何もしていないのだ。人間としての使命感に燃えるあまり、彼の気持ちを考えていなかった。或いは、ミュータントに対する『偏見』もあったかも知れない。先程抱いたミュータントだったら人間社会を云々という考えは、彼が『危険思想』を抱いている事が大前提である。悪意を持たない聡明なゴリラなど、そこらを闊歩している歩きスマホ人に比べれば遥かに無害ではないか。

 それにもしかしたら、やむを得ない事情があって彼はこの辺りを散策していたのかも知れない。

 元より話は訊くつもりでいたが、追求としてするのは止めよう。猜疑心や警戒心を抱くのは、話を聞いた後からでも遅くはない筈だ。

「あ、あの……こ、言葉は、分かります、よ、ね?」

 刺激しないよう小さく、穏やかな声で話し掛けてみると、ゴリラは大きく一回こくんと頷いた。人間的な仕草で肯定を示している。言葉と文化を理解している証だ。

 これなら対話する上で最初にして最重要の難関、そもそも言葉が通じないという事はなさそうだ。同じヒト科の動物なので可聴領域に大きな差があるとは思っていなかったが、こうして実際に確かめて初めて確証が持てる。まずは一安心と胸を撫で下ろし、花中は人当たりの良い……つもりで浮かべているぎこちない笑顔で、敵意がない事を彼に伝えようとした。

「えと、その……ご、ごめんなさい。急に、捕まえたり、して……あの、ゴリラが、居るなんて、思わなくて……つ、捕まえなくちゃって、焦っちゃって……ごめんなさい」

「……ウホッ」

「あ、あの、どうして、こんな場所に、い、居たの、ですか? 何か、事情があるなら、その、お詫びの意味も、込めて、わ、わたしに出来る事でしたら、お手伝い、します、けど……」

 謝罪と共に善意を伝えてみたところ、ゴリラは考え込むように押し黙る。が、その時間はさして短くない。

 ふと、彼はその両手を素早く動かした。反射的に花中は身体を強張らせ、フィアが素早く身を乗り出してきたが、ゴリラは特段何もしてこない。ひたすらに手を動かし、何かを象徴するようなポーズを次々と見せてくるだけ。一通り手を動かすと一旦両手を下ろし、少し間を開けると再び動かし始めた。先程と全く同じ動きを、今度はゆっくりと。

 間違いなく、なんらかの意図を含ませた動作だ。そして手を使って意思を伝える行動に、人類は既に名前を付けている。

「これは……手話?」

 そう、手話だ。

 ゴリラと手話で会話出来る、という実験結果はある……が、アレは報告者による『詩的』な解釈があって初めて成立するもので、信憑性はあまりないと花中は思っている。

 しかし彼は恐らくミュータント。人類に匹敵する知性を持ち合わせている筈だ。手話を理解し、使ってきても不思議はない。フィア達のように音声による『人語』を使わないのは、彼の『能力』が会話へと応用するのに向いていないからだろう。

「ほほうこれが手話ですか。私には手をバタバタと振り回しているようにしか見えませんけど」

「いや、意味がありそうな動作って事ぐらいは分かるっしょ……それしか分かんないけど」

「そうねぇ。手話なのは分かるけど、何を言いたいのかは分からないわね」

 フィア達も、彼が手話を使っている事は理解したようだ。尤も手話だと分かっただけで、その意味までは解読出来ないようだが。

 そして三匹は、揃って花中に視線を移す。

 ……何時までも、じっと見つめてくるので、花中もちょっと居心地が悪くなってきた。

「……えと、何か……?」

「いえ。花中さんなら分かるのではないかと思いまして」

「フィアに同じー」

「猫ちゃんに同じー」

 どうやら通訳を求められているらしい――――分からないのだからそうなるよね、と花中も納得である。

 幸いにして、三匹が期待する通り花中には手話の心得があった。心得といっても小学校の頃、道徳だかなんだかの時間に習ったものを今でも覚えているだけで、使える単語の数は幼稚園児以下。日常会話をするには『語彙』があまりにも足りないが……何も知らないフィア達よりは、遙かに通訳に相応しい。

 むしろ一番の問題は、コミュニケーションの仲介役という重要な役割へのプレッシャーがのし掛かる点。普段の花中なら震え上がっただろうが……本日、というより最近の花中は秋の涼しさにやられて脳みそ蕩け気味。ザルのようにスカスカな理性はプレッシャーすら落としてしまった。

「えと……頑張って、みます」

 とりあえずやるだけやってみようと、花中はゴリラの前でしゃがみ込み、その手の動きを真っ正面から見据えようとする。ゴリラの方も、花中が通訳をしてくれると察したらしい。目線や姿勢を花中と向き合わせ、先程の手話をもう一度最初から始める。手の動きはゆっくりで、手話に不慣れな花中でも分かりやすいものだ。

 とはいえ、花中からすれば小学校以来の手話。思い出すのも精いっぱいである。理解した単語を、一つ一つ言葉にしないと忘れそうだ。

「えと……こんにちは、動物、です」

「なんで界から自己紹介始めてんの? せめて種名から始めなさいよ」

「うーん、わたしでも分かりやすいように、でしょうか……?」

 ミリオンのツッコミに花中が自分の考えを口にすると、ゴリラはこくこくと頷き、ビシッと親指を立てた。恐らくは肯定の意思表示。彼なりに気遣いをしているらしい。

 花中としても、小さい子に分かる程度の単語だけで対話をにしてくれるならそれに越した事はない。ゴリラの()()言葉を花中はゆっくりと解読する。尤も、幼稚園児以下の語彙では話せる内容はかなり限定的だ。いくらか簡単な言い回しをしてもらったり、比喩的な表現をしてもらったが、それにも限度がある。

 分かったのは、彼が元々動物園育ちである事、子供にオモチャを与えたい事、そのために動物園を脱走した事、そしてどんな遊び道具があるのかを此処で観察していた事――――ぐらい。

 要約すると、彼は子供に遊び道具をプレゼントするために町にやってきた、という事だ。

「子供のために動物園を脱走、ねぇ……まぁ、そこまで変な理由じゃないわね。ミュータントの能力なら、さしてリスクもないだろうし」

「そうですか? 私には全く理解出来ないのですが。自分の子供なんかのためにわざわざ脱走するなんて時間の無駄としか思えません。何か隠しているのではないですか?」

「そりゃ、アンタが子育てをしない生き物だからそー思うんでしょ……あたしとしては割と共感するし、納得も出来るんだけど」

 花中が話を纏めると、フィア達は三者三様の反応を返す。ウィルスであるミリオンは合理的に納得し、魚であるフィアは疑いを抱いて、猫であるミィは共感している。各々の種を代表するような、それぞれの考え方をしていた。

「花中さんどう思いますか?」

 最後にフィアに意見を求められた花中は、短くない時間口を噤んだ。

 彼の話を、完全に理解出来た訳ではない。ただ少なくとも、嘘を吐いているようだ、という印象は受けなかった。花中としては、彼の話を信じたいと思う。

 問題は、今後についてだ。

 彼が子供のために遊び道具を探しているとして、それ自体は『霊長類』の一員である花中も応援したい話である。しかし彼は正真正銘のゴリラであり、故に彼の姿はゴリラそのものである。何をどうしたところで人目に付く。まさかゴリラがそこらを闊歩してるとは誰も思わないだろうが、不審者と疑われて通報される事は十分にあり得る。

 彼は警察に任意同行を求められ、果たして大人しく従うのか? 警察はウホウホしか言わない彼を、最後まで『ただの変質者(人間)』だと勘違いしてくれるのか? 市民の安全を守るためという名目で射殺されそうになって、それでも彼は人に危害を加えないのか? ……面倒かつ悲劇的なトラブルが起きる前に動物園に帰ってほしい、というのも花中の正直な想いだ。

 好きにさせたい、さっさと帰れ。相反する想いが胸の中に渦巻くが、花中はこれといって苦悩しなかった。

 簡単な話だ。彼が子供への贈り物を探しているというのなら、その贈り物をとっとと見付けてしまえば良い。そうすれば彼の想いを尊重しつつ、より迅速に動物園へと()()()()()。こんな簡単な話に、頭を抱える訳がない。

「……わたしは、このゴリラさんの話を、信じるよ。それで、お手伝いも、してあげたいなって、思う」

「そうですか。まぁ花中さんが信じるのでしたらそれで構いませんが……しかしお手伝いとは具体的にどうするつもりなのです?」

「うん。それはね……」

 フィアが抱いた疑問への答えとして、花中は手に持っていたフリスビーをゴリラに渡す。

 フリスビーを受け取ったゴリラは最初キョトンとしたのか目をしばたたかせ、フリスビーをひっくり返したりしながら観察し始めた。これがどのような物か、なんの用途で使うかが分からないらしい。

 未知への好奇心を露わにするゴリラの前で、花中は更にもう一歩歩み寄る。ゴリラも花中の接近に気付き、フリスビーに向けていた目を花中へと戻してきた。透き通った宝石のような眼が、花中を捉えて離さない。

「あの、良ければですけど……みんなで、遊びませんか?」

 その瞳は花中の提案を受けて、一層大きく煌めいた。

「ふむふむ成程。実際に色々遊んでみてそれで気に入るものを探そうって訳ですね。確かに実際に触ってみなければ分かるものも分かりませんものね……私としてはこんな奴に花中さんとの時間を邪魔されたくはないですけど」

「さかなちゃんは相変わらずねぇ。私としては、異論はないわ。敵意がないならどーでも良いし、今日の目的はあくまではなちゃんに運動をさせる事だもの。運動になるなら、反対する理由はないわ」

「あたしは賛せーい。スポーツは大人数でやった方が楽しいもん」

 花中の提案に、フィア達はそれぞれの意見を言う。否定的、無関心、肯定的と綺麗に三つに分かれたが、断固として拒絶という反応はない。否定気味のフィアも、花中がしたいと言えば断らない態度だ。

 後は当人……当猿? ともあれゴリラの意思次第であるが――――目をキラキラとさせ、人間の目にも分かるぐらい清々しい笑顔を浮かべている彼に、回答を迫るのも野暮というものだ。

「じゃあ、決まり、ですねっ。えと、とりあえず、フリスビーから、やってみますか? あなたが、今、持っている物の事、ですが」

 花中が尋ねると、ゴリラは頷きながら立ち上がる。早速教えてほしいのか、フリスビーをくるくると回しながら花中をじっと見つめてきた。

 フィア達も、誰が言い出すまでもなく適度に散開。大体数メートルほどの間隔を保ち、円のような陣形を作る。フリスビーの投げ合いっこなら、準備はこれで十分。

「あ、えと……そのフリスビーを、誰かに投げてください。それをキャッチして、相手に投げ返す、遊びです」

「ウホ」

 花中の説明に肯定、のような気がする鳴き声を出すと、ゴリラは早速フリスビーを投げる。まじまじと観察していただけあってか、フリスビーを立てたりはせず、正しい向きで投げていた。

 流石に投げ方はややぎこちなかったが、それでもフリスビーは真っ直ぐ飛んでいき、狙い澄ましたようにミィの下へと向かう。抜群の運動神経を誇るミィはこれを易々とキャッチ。ゴリラの方へとそっと投げ返す。ゴリラも容易くキャッチすると、今度はフィアへとフリスビーを投げた。

 動物園育ちとはいえ、流石は獣というべきか。フリスビーの投げ方、捕まえ方のどちらも、ゴリラは見る見る上達していっている。

 慣れてきたなら、手加減を続けても面白くない。ミリオンやミィが投げるフリスビーには段々と力が入り、受け手であるゴリラの動きも徐々に激しくなっていく。ゴリラの方も応えるように、投げ返すフリスビーには力が入り始めていた。

「と、とりゃー!」

「おおっと私の方にあら?」

「え、ちょなんであたしの顔目掛ぶっ!?」

 ちなみに花中が投げたフリスビーは、物理法則を嘲笑うようなカーブを描き、予測不能の軌道で飛行した。これには動物達も刺激的だと大喜び、遊びは一層盛り上がる……時折、自分の投げたフリスビーが自分の眉間を奇襲する事もあったが。

 そんなこんなで何度目かのフィアの番がやってきた時。

 ゴリラからフリスビーを受け取るや、フィアはニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた事に花中は気付いた。その顔になんともいえない予感がした花中だったが、声を上げる間もない。フィアは素早く、大きく腕を振り上げる。

 狙うは、今し方投げたばかりで油断しているゴリラ。

「ふふんこれは受け止められますかっと!」

 フィアが投げたフリスビーは、その大きな身振りに見合う鋭い速さを纏っていた。フィアなりの手加減はしていたのか、或いは上手くコントロール出来なかったのかは不明だが、幸いにして出鱈目な速さではない。しかし油断していたゴリラにとっては十分な奇襲であり、彼に大きな運動量を要求する。

 それでも素早く跳び付き、ゴリラはフリスビーをキャッチしてみせた。草むらの上を、勢い余ったゴリラの身体が転がる。見事な動きを魅せてくれたゴリラであるが、彼の真新しいスーツに土汚れが付いてしまった。その汚れに気付いたゴリラはスーツを掌でポンポンと叩くが、土汚れは中々落ちない。諦めたように、彼は肩を竦めた。

 とはいえ、怒った様子はない。むしろ顔には笑みが浮かんでいて、ますます楽しそうである。

 この楽しさを与えてくれたお礼をするかのように、ゴリラもまたフリスビーを大きく振りかぶった。フィアは掛かってこいと言わんばかりに足を広げ、獣のような前傾姿勢を取る。

 笑顔で睨み合う二匹の獣。遊びであろうと真剣な態度は、周りの空気を張り詰めさせる。思わず、花中はごくりと息を飲んだ

 瞬間、まるでそれを合図とするかのように、ゴリラはフリスビーを投げた!

「おおっとこれは……!」

 フィアが驚きと感心を含んだ声を上げる。

 フリスビーは先程フィアが投げたものよりも数段速く、花中の目では追うのもやっと。花中であったなら、いや、人間だったなら、そのスピードに対応出来ない者が多数を占めただろう。

 しかし今回受ける相手は『野生動物』であるフィア。『能力』として身体機能が優れているミィほどではなくとも、その反応は文明という名のぬるま湯に浸った人類を軽く凌駕する。素早くフリスビーの進路を予測し、余裕綽々の笑みを浮かべながら右手を前へと伸ばした。

 が、()()()

 何故ならフリスビーはフィアの手が間近に迫るや、まるで自らの意思を持ち、逃げるかのように急浮上したのだから。

「なっ……にぉう!」

 予想外の軌道に驚くも、顔面目掛け飛んできたフリスビーをフィアは身体を仰け反らせて回避。すかさず空いていた左腕を伸ばして、ギリギリながらもキャッチしてみせた。

 これにはゴリラも驚いたようで、目をパチクリさせる。そして称賛するかのようにパチパチと拍手をした。フィアは乱れた髪を掻き上げながら、ふふんと自慢気に鼻を鳴らし、あくまで余裕だったとアピールする。

 それから素早くゴリラと向き合い、大きくフリスビーを振りかぶって

「そーれ花中さんっ!」

 ゴリラではなく、花中に向かって投げ付けた。

「へ? え、うええええええええ!?」

 不意打ちを喰らい、花中は慌てふためく。フリスビーはとてもゆっくりと飛んでいたが、しかし運動音痴な花中にとっては豪速球と変わらない。わたわた、おろおろ。パニックに陥った花中の頭は真っ白になり――――

「ふ、ふにゃあ!」

 奇声を上げて、思わずそのフリスビーを叩いてしまった。

 ハッとした時にはもう遅い。叩かれたフリスビーは何故か高く舞い上がった、と思った直後に急降下。

「つまりよぉ、こっちがでふっ!?」

 花中の後ろから、スコーンッ! という小気味良い音と共に、花中の顔色を真っ青にする声が聞こえた。

 ヤバい。

 そう思った花中は、ガチガチに身体を強張らせてしまう。しかしこのまま固まっている訳にもいかない。どう考えても先の音と声からして、『被害者』が居る筈なのだから。錆び付いた機械の如く、ぎこちなく振り向く。

 振り向いた先にいたのは、髪を金色に染めた、明らかに素行不良な年上の男性(お兄さん)

 そしてその彼の後ろに控える、同じく外観によって素行の悪さを主張する四人のお兄さん方だった。

「(って、団体様ぁぁぁぁぁぁぁ!?)」

「……おい、このフリスビーを投げたのはアンタか?」

 まさか複数居るとは思わず固まった花中に、金髪のお兄さんがフリスビーを持って尋ねてくる。怖い。怖過ぎて、花中はそのまま凍り付いてしまう。いや、一瞬だが失神した、というべきか。

「はいそうですけど何か?」

 代わりに答えたのはフィアだったが、その言葉はあまりに挑発的。男達の目が一層鋭くなるのも当然だ。

「何か、じゃねぇだろ。こちとらこれが頭に当たったんだ。つまり被害者。分かるか?」

「そうですか……で?」

「……何?」

「そのぐらい良いじゃないですか。見たところ元気そうですし謝る必要があるとは思えませんが?」

「はぁ!?」

 あまりにも不躾な答えに、男達が困惑する。が、困惑はすぐに怒りへと変貌した。怒りはフリスビーをぶつけられた男だけでなく、その仲間にも伝播していく。

 悪いのは、勿論フリスビーをぶつけてしまった花中である。

 それは花中自身分かっているのだが、我を取り戻し謝ろうとした時には、状況は取り返しの付かない事になっていた。男達の怒りの矛先が花中からフィアに移ってしまっている。今や花中の謝罪云々は『別の話』となっているのだ。花中が謝っても、それはそれ、これはこれ、と言われかねない。

「あ、あの、えと、ふぃ、フィアちゃん、良いから……わ、悪いのはわたしで……」

「このクソアマ……女だから何もされねぇって嘗めてんのか」

「調子に乗ってんじゃねぇぞ!」

「別に調子になど乗っていませんが……あとその言葉そっくりそのままお返しいたします」

「ああん!?」

「てめぇ、痛い目見ないと分かんねぇみたいだな……」

 それでも必死に説得を試みるが、やはり花中の言葉は届かない。話し合いは過熱し、周囲の人々は不穏な空気を感じ取ったのか少しずつ距離を取り始めていた。一触即発、というのはこのような状態を指すのだろう。

 しかし、いくらなんでも彼等の怒りはあまりにも急速に加熱していないか?

 その疑問を抱いた時、花中は男達からアルコールの匂いが漂っている事に気付いた。よくよく見れば顔もかなり赤らんでいる。相当量の飲酒をしたに違いない。穏やかな気候の中仲間内で楽しいバーベキューをしていて、丁度その帰り道に花中のフリスビーが強襲したのか。彼等が元々どのような性格かは知りようもないが、その理性は今、限りなく緩い筈。悪い事は重なる、とは良くいったものである……或いは重ならなければ、悪い事とは早々起こらないのかも知れない。

 などとうっかり現実逃避をしそうになる花中だったが、頭を振りかぶる。今はこの状況をどうにかしなければ……だが、やはり打開策は浮かばない。助けを求めてミリオンを見ても彼女は面倒だから勘弁と言わんばかりに知らんぷり、ミィの方はどうすれば良いか分からないようで困惑中。花中は右往左往するしかなくて――――

「ウホッ!」

 唐突に聞こえたこの鳴き声がなければ、そのまま頭を抱えていたかも知れない。

 声を上げたのは、ゴリラだった。彼はすたすたと歩くと、フィアと男達の間に割って入る。突然の乱入者、それも見た目が完全なゴリラを前にして、怒り狂っていた男達も閉口してしまう。

「む。なんですか突然に」

 フィアもいきなりの横入に、少々不機嫌さを滲ませる。しかしゴリラは怯む素振りもない。

 むしろ彼は楽しそうに笑っていて。

「ウホホーッ!」

 おもむろに両腕を前へと突き出す。

 そしてその手にあった、金属バットとグローブを全員に見せ付けた。

 それらがなんのための道具であるか、わざわざ説明せずとも明らかであろう。問題は、彼が何故その道具を取り出したのか、である。

「……ははーん成程」

 花中には全く思い付かなかったが、フィアは即座に察した。一体どんな意図が? 花中はフィアの意見に耳を傾け、

「つまりここは野球で決着を付けようという事ですね!」

 あまりに突拍子のない解釈に、花中は思わずずっこけた。こけた勢いで地面に頭を打ち、痛みで悶え苦しんだ。

「はぁ!? いきなり何を言って……」

「おやもしかして負けるのが怖いのですか?」

「な……んな訳ねぇだろうが!」

「そーだそーだ!」

「なら問題ないでしょう。勝った方が負かした相手の言う事を聞く。私が勝ったら花中さんを虐めるのは止めて尻尾を巻いておめおめと逃げなさい」

「良いぜ……やってやろうじゃねぇか。こっちが勝ったら本当に、なんでも言う事を聞いてもらうぜ」

「もちろん。まぁあり得ない話ですけどね」

 花中が悶える中、話がとんとん拍子で進んでいく。男達も最初はそのあまりの展開に意見していたが、そこはアルコールに浸食された脳みそ。挑発にあっさりと乗っていた。

「では決まりです――――という訳で手伝いなさいミリオン野良猫ゴリラ」

「良いわよー。はなちゃんの運動になるのならなんだって」

「まぁ、スポーツなら良いか……怪我とかさせないでよ? 悪い人間じゃないかもなんだし」

「ウホホ!」

 ミリオンとミィも、当然言い出しっぺのゴリラも、フィアを止めない。

 かくして決まってしまった、酔っ払いとの野球対決。

 事の発端である筈の花中はすっかり置いてきぼりで、その場で呆然と倒れ伏すしかなかった……




さぁ、いよいよ始まります異種混合草野球頂上決戦。
勝つのはどちらのチームか!

……勝敗は見えているのに不安しかない。主に人命的な意味で。
ギャグ補正が彼等の身を守ってくれる事を祈りましょう。まぁ、本作の世界は人間に厳しいので完全な幻想ですけどね(ぇ

次回は7/23(日)までに投稿予定です。来週はちょっと厳しそう……

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