彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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異種混合草野球頂上決戦2

 花中が暮らす町の中央を貫く蛍川。その蛍川の下流域の側に、広々としたグラウンドがある。

 グラウンドは一応県が管理している場所であるが、地面から生えている草は芝ではなくイネ科の雑草で、設置されている屋外トイレは今にも倒壊しそうなぐらいボロボロと、あまり手入れは行き届いていない。では此処が人の手を離れ、旺盛な自然に飲まれそうな場所かといえば、それもまた異なる。何分ホタルの保護区となっている上流域と違い、こちらは一般人に広く利用される開放区画。バーベキューをするのも自由、飛び回る虫を採るのも自由、草むらで昼寝をするのも自由。節度を持って楽しむ分には、これといって禁止されるような行為はない。故に数多くの人が集まり、結果草は踏み潰され、大きめの動物は追い払われて、一見整備されたグラウンドのような『人為的』風景が作られていた。

 さて、そのような場所で、当然スポーツが禁じられている筈もない。今日は爽やかな秋晴れというのもあってか、午後三時近いこの時刻でも広大なグラウンドには多くの家族連れや若者が居て、それぞれが運動を楽しんでいた。サッカーなどの場所を広く使う競技を楽しむ者達も見られるが、走り回る彼等と周りの人々がぶつかる気配はなく、スペース的にはまだまだ余裕があるように見える。

 これなら、自分達が加わっても先客達の邪魔にはならない筈だ。

「うん、思っていたより人は少ないわね。これなら……私達は加減しないとだけど、それなりに楽しめそうね」

 そう感じる花中の隣で、ミリオンが同意するように独りごちる。

 普段のお淑やかな喪服姿と異なり、今のミリオンは半袖のワイシャツに長ズボンという ― ただし色はやはり喪服のように真っ黒なのだが ― 何時もより運動向けの格好をしている。肩には花中の通学鞄よりもずっと大きなショルダーバックを掛けていて、一見してお洒落な体育会系女子そのものだ。

 曰くこの格好は、「スポーツをするんだからそれなりの服を着ないと」との事。服と言ってもミリオンの場合極小物質である『自身』の集合体であり、どんなデザインであれ運動機能を妨げるようなものではない筈だが……気分的なものは違うのかも知れない。

「確かに。あまり我慢しないで遊べそうですね」

 一緒に来たフィアもまた、何時もとは毛色の違う『服装』だ。普段好んでいるドレス姿ではなく、半袖の白いTシャツと短パン。ミリオン以上に『爽やか』で、尚且つ魅惑的なスタイルにフィットした『艶やか』な格好だ。風で靡く金髪が彼女の麗しさを一層引き立て、髪を掻き上げる仕草には同性である花中すらもドキリとさせる色香がある。

「うんっ。いっぱい、遊ぼうねっ!」

 そして花中も、今日はちょっと運動を意識した服を着ている。半袖のポロシャツとジーンズだ。気温が低めなので薄手のカーディガンを羽織ってはいるが、この後きっと身体が温まり、不要になるだろう。

 花中とフィア達が此処を訪れた理由は勿論、運動をするため。だらけた花中をシャキッとさせようという、ミリオンの発案に従ったものだ。

 運動をするだけならジョギングや筋トレなどの、『競技』でない方法でも構わない。しかしどうせやるなら楽しめる内容の方が良い。無論ジョギングや筋トレがつまらないものという訳ではないが、元々運動不足である花中が楽しむには少々ハードルが高いのも事実である。ミリオンが花中に勧める運動が、みんなでわいわいと楽しめる競技系になるのも必然だった。

 とはいえ、そういったものは多人数で臨機応変に動く都合、そこそこの広さを求められる。その辺の道端や家の庭でやるものではない……出来なくはないが、近所の人達に迷惑を掛けたり怪我の原因になったりするので止めておくのが無難だ。

 故に花中達はこうして、広々と使える近所のグラウンドを訪れたのである。

「……で? なんであたしは此処に連れてこられた訳? 気持ち良く昼寝してたのに」

 ちなみに、訪れたモノ達の中にはミィの姿もあったりする。最近は割と服を着ている事が多い彼女は今日、すっぽんぽんだった。恐らくネコの姿で寝ていた時に叩き起こされ、服を着る間もなかったのだろう。胸や股などの大事な場所は黒い体毛で隠れ、一見してセクシーな衣装に見えなくもないので公然わいせつではないだろうが、過激な格好だけに人目を集めている。全く望んでいない形で衆目を集め、ミィは不快そうに眉間に皺を寄せていた。

 そんなミィを連れてきた張本人であるミリオンは、肩を竦めるだけで悪びれる様子もなかった。

「あら、こーいう事はみんなでやった方が楽しいでしょ? 人数集めるだけなら『私』で数合わせしても良いけど、そんなの味気ないじゃない」

「味気ないって……そんな理由で昼寝の邪魔をされた、こっちの身にもなってほしいなぁ」

 不服そうにぶつぶつと文句を言いながら、ミィは腕を回したり、背伸びをしたり、屈伸したり。どうやら言葉と違って内心はそれなりに乗り気らしい。

「えと、それじゃあ、何を、やりましょうか?」

 全員のやる気を確認したところで、花中は疑問を呈する。

 そう。どんなスポーツをするのか、花中達はまだ決めていないのだ。

「ああ。そういえば何をするかはまだ決めていませんでしたね」

「えぇー……そんな事も決めてなかったの?」

「あら、心配ご無用よ。ちゃんと用意はしてるもの」

 花中の質問でミィがますます怪訝な顔をしたが、今回の催しの言い出しっぺであるミリオンは自慢気に微笑む。それから自身の肩に掛けてあるバッグを主張するように、がさりと揺らして音を立てた。

 そしてミリオンはバッグの中に手を入れて――――

 

 

 

「という訳で、まずはテニスをやりましょうか」

 にっこりと微笑みながら告げてくるミリオンに、五メートルほど離れた位置に立つ花中はこくこくと頷いた。

 花中とミリオンの手には、テニスラケットが握られている。これはミリオンが持参したショルダーバッグから取り出した物。ミリオン曰くラケットはバラバラに解体した状態で収納していたらしい。ちなみにそのバッグは邪魔になるという事で、今はミィに持たせている。

 そして花中が渡されたこのテニスラケット、ミリオンが言うには『それなりに上質な一品』らしい。確かに握った感触がそこらの安物とは全然違う……なんて花中には分からないが。花中はテニスなどやった事がないのである。ラケットを握るのすら、今日が生まれて初めてだった。

 いや、そもそもテニスとは何をすれば良いのか? ネット越しに向かい合って、球をラケットで打ち合う……ぐらいのイメージはあるが、逆に言えばこの程度のイメージしか持ち合わせていない。しかも此処はテニスコートではなくだだっ広いグラウンドだ。ネットも何もなく、微かに持っていたイメージすら活かせるか怪しい。

 テニスをする自分の姿が全く浮かばず、花中は困惑のあまり右往左往してしまう。

「え、えと……わたしは、どうすれば……」

「そんな狼狽えなくても大丈夫よ。ど素人相手に試合したってこっちが白けちゃうもの。今回はお遊戯というか、真似事というか、そーいう遊びね」

「ぁ、は、はい……で、でも、上手く、打てるか……」

「別に外しても怒ったりしないわよ。というか初めてなんだからいきなり打てるなんて思ってないから。まぁ、運良く当たって変なところに球が飛んでも、猫ちゃんとさかなちゃんが居るから気にしなくても平気でしょ」

「あたしらは球拾いかーい」

「私も花中さんと遊ばせなさーい」

 勝手に仕事を割り振られ、ミィとフィアからブーイングが上がる。友達二匹からの反感に花中は思わず苦笑い――――同時に、少なからず身体の緊張が解れた。

 どうせ、と言ってしまうのも難だが、これは遊びである。真剣になるのは良いが、真面目になり過ぎても面白くない。ミリオンが言うように失敗しても良いではないか。楽しめればその時点で『成功』なのだから。

「うん、準備は出来たみたいね。とりあえず軽くボールを打ってみるから、好きに打ち返してちょうだい」

「は、はいっ!」

 花中の気持ちが落ち着いたのを見計らい、ミリオンはラケットを構える。テニスの事は基本の『き』の字も知らない花中であるが、フォームの美しさからミリオンが相当テニスに慣れている事を悟った。自ら提案してくるだけに、腕前にはそれなりの自信があるのだろう。

 花中も何時ボールが来ても良いように、テレビとかで見た……気がするフォームを作ってみる。そうしているとミリオンがくすりと笑ったのは、果たしてどのような意味か。こっちは一生懸命にやっているのに、と思った花中はちょっとだけムカッときて、唇をへの字に曲げる。

「はいはい、笑ってごめんなさい。それじゃあいくわよ、っと」

 そんな花中の憤りを軽く流すと、ミリオンはボールをラケットで叩き、飛ばしてきた。

 優しく叩かれたボールの動きはとてもゆっくり。丁寧に予告もしてくれている。しかしそれでも花中は驚いて、飛び跳ねてしまった。そしてどうすれば良いか分からなくなってわたふた、目もきゅっと閉じてしまう。

「え、えーいっ!」

 それでもどうにかこうにか、力いっぱいラケットを振り抜いた!

 尤も、結果は空振り。おまけにラケットを振った時、既にボールは地面に落ちているという体たらくだ。いや、しかしこれだけなら単に外しただけ。まだまだ笑い話で済む。

「ふぇ!? ぁ、ゃ、どべっ!?」

 だが、勢い余って後頭部を地面に打ち付けるのは、いくらなんでも間抜けが過ぎるというもので。

「……………」

「……………」

「……………」

「……………あの、どう、でしたか?」

 黙りこくる友達三匹に、起き上がりながら花中は恐る恐る尋ねてみる。何が、とは訊かずに。

 三匹は無言で互いの顔を見合い、次いでそれぞれ別々の方向を見ながら思案。

「だ、大丈夫よ。誰でも最初は失敗するものよ。そう言ったでしょ?」

「す、スイングは綺麗だったんじゃないかな!」

「やはり花中さんは致命的なまでに運動音痴ですね」

「ぐふっ」

 ミリオンとミィのフォローを台なしにするフィアの一言で、花中は思いっきり呻きを上げた。

「ご、ごめんなさい……運動音痴で、何も出来なくて……」

「いえ謝るような事ではないと思うのですが。花中さんが最早憐れみすら覚えるほどにのろまなのは今に始まった事ではないでしょう? 今更ですよ」

「がぼぁっ」

「……さかなちゃんは少し黙ってて。はなちゃんもそんな気にしないの。さっきも言ったけど、誰でも最初は上手く出来ないものよ。まぁ、はなちゃんほどド下手なのも稀だとは思うけど……」

 今まで憐れまれていたと知り項垂れる花中の背中を摩りながら、ミリオンは優しい言葉を投げ掛けてくれる。花中は少しずつだが呼吸を整え、潤む目を擦り、なんとか平静を取り戻す。

「安心なさい、改善点は見えているわ。そこを直していきましょ」

 立ち直った花中に、ミリオンはテニスの技術について教え始めた。尤も、専門的な技術などは何もない。教えてもらえたのはラケットの握り方や振り方、ボールを待つ間の構え方などの基礎。

 そして、最後まできっちり目を開ける事。

「どんなプロでも、見ないでボールは打てないわ。それにボールが自分目掛けて飛んできても、避けられなくて怪我をするかも知れない。良い事なんて何もないから、しっかり前を見据えなさい」

「は、はい」

「よろしい……とりあえずはこんなものかしらね。もう一度やってみましょうか」

 花中が頷くとミリオンは花中から距離を取り、何処かからボールを一つ取り出す。

 反射的に身体に力が入る、が、花中は大きく深呼吸を一回。肺の中身を全て吐き出すように深く息を吐き、外の冷たい空気を取り入れた。そうすれば強張っていた腕に柔らかさが戻り、震える瞼が自然と上がる。足の開き方は楽な形に。しっかりと前を見据え、ミリオンが持つボールを視界の中央に捉える。

「そうそう、良い感じ。あとは実戦あるのみ、よっ」

 花中の姿勢を満足げに見届けたミリオンは、再びボールをラケットで飛ばしてきた。

 一投目。大きく振りかぶるも清々しいほどに外す。目も最後の最後で瞑ってしまった。

 二投目。なんとかタイミングを合わせようとして、却ってラケットを振るのが遅れてしまう。だけど目は少しだけだが開けられた。

 三投目。掠った、ような気がする。目だって空振りが終わるまでちゃんと開く事が出来た。

「うん、段々良くなってるわよ」

「ほ、本当、ですか?」

「ここで嘘を吐いても仕方ないでしょ。でも、全身の力はもっと抜いた方が良いわねっ」

 四投目のボールが飛んできて、花中は今度こそはとばかりに力いっぱいラケットを振るう。力の入り過ぎが原因でフォームが乱れ、先の三回とあまり変わり映えしない、お世辞にも上手いとはいえない振り方になってしまっていた。

 だけど、今回の手応えは今までと違う。

 ラケットに、確かな重みを感じたのだ。花中の鈍い動体視力ではラケットの真ん中に収まったボールの姿は見えず、おっとりとした理性がボールの存在を予測するにはまだまだ時間が掛かる。しかし本能は状況を感知し、込み上がる喜びで全身を震わせた。

 もう考える必要などない。衝動の赴くまま、花中は一気にラケットを振り抜き――――

 ぽとり、とボールは地面に落ちた。

「……はい?」

「は?」

「ん?」

「……あれ?」

 ミリオンが首を傾げ、ミィが呆気に取られ、フィアが不思議がり、花中がキョトンとなる。

 ボールは確かに、ラケットの真ん中に当たった筈である。そして花中はそのラケットを振っていた。物理学的に考えればボールは前へと飛ぶしかない。しかないのに、何故かボールは殆ど垂直に、まるで運動エネルギーを全て吸い尽くしたかのように地面に落ちてしまった。

 ちなみにコロコロと地面を転がったボールは、三十センチも進まずに止まった。全く飛んでいないので、飛距離で言えば0センチである。

「……………」

「……………」

「……………」

「……………あの。どう、でしたか?」

 黙りこくる友達三匹に、花中は恐る恐る問う。何が、とはやはり訊かずに。

 三匹は、今度は揃って下を向いていた。悩むように、探すように、憐れむように。

 やがて三匹は揃って顔を上げ、

「……正直、どうしてこんな事になるか分からないから、どうすれば良くなるのか分からない」

「あたしにも花中が何をしたのか、さっぱり分かんないや」

「何もこんな形で非凡な才能を発揮せずとも良いと思うのですが」

「げふっ」

 三匹同時に呆れられ、花中は嗚咽混じりの呻きを上げた。基本脆めな心は一瞬でボロ雑巾と化し、跪いてしまうほどに項垂れる。

「ぐすっ……ご、ごめんなさい……せっかく、教えてくれたのに、上手く出来、なくて……」

「はいはい泣かないでください花中さん。ミリオンの事など気遣う必要などありませんよ」

「否定はしないけど、もう少し丁寧な言い回しをしてもらえないかしら……」

 泣きじゃくる花中を他所に、フィアに一言愚痴を漏らしたミリオンはミィに持たせていたショルダーバッグに歩み寄り、ラケットを中へと押し込む。バッグより長大なラケットがズブズブと収まってしまう光景は手品なんかではない冒涜的行為が行われているようで、通りすがりの一般人を震え上がらせていた。

 しかしミリオン、こんなの大した事ではないと言わんばかり。ラケットを完全に押し込むと、土汚れを払うように両手を叩き合って頷くだけである。

「さて、と。どうやらはなちゃんとテニスは相性が良くないみたいだし、今回は諦めましょうか。あーあ、はなちゃんとテニスやりたかったのに」

「? 諦めるって、つまり今回の遊びはお開きって事?」

「勿論、違うわよ。諦めるのはあくまでテニスだけ。そもそも本来の目的は遊ぶ事じゃなくて、はなちゃんに運動させる事なんだし。だからこのままテニスしてても良いんだけど、上手く出来ないやつを延々と続けても面白くないでしょ?」

 ミィの疑問に答えたミリオンは再びバッグに手を入れ、ガサゴソとしばしまさぐってから引っ張り出す。と、その手にはラケットではない――――大きくて真ん丸、何より白と黒の模様が特徴的なボールを持っていた。

 フィアに撫でられ落ち着きを取り戻した花中は、そのボールの存在に首を傾げる。しかしながら何もボールの用途が分からない訳ではない。

 首を傾げたのは、ミリオンが何故『サッカーボール』を取り出したのか、それ自体への疑問からだ。

「さっきも言ったでしょ、バッグの中には他にも色々入ってるって。はなちゃんに合うスポーツが見付かるまで、今日は遊び倒すんだから」

 その答えを、ミリオンは花中が尋ねる前に教えてくれた。

 花中は潤んでいた瞳をパッチリと見開き、夢中で何度も頷く。フィアは肩を竦めつつも微笑み、ミィも背伸びをしていた。言葉はなくとも、皆の気持ちは手に取るように理解出来る。これから始まる『ゲーム』への期待から花中は顔に笑みを咲かせ、鼻息を荒くした。

 誰にだって得手不得手がある。テニスはダメだったけど、サッカーならもしかしたら……

 そう思っていた。少なくとも花中は、そしてきっとフィア達も。だから彼女達は次の『遊び』に前向きだった。

 つまるところ、見くびっていたのだ。フィアもミリオンもミィも、花中自身さえも。

 花中が如何に、運動音痴であるかを。

 

 ―――― 例えばサッカーの場合 ――――

「一応用意しようと思えばゴールポストぐらい持ってこれるけど、それをすると騒ぎになっちゃうからね。今日はパス回しだけにしときましょ……という訳だからはなちゃん、まずは私の方に向けてボールを蹴ってみて」

「は、はいっ! え、と……とりゃあっ!」

「とべちっ!?」

「……なんで真っ直ぐ蹴ったのに、真横に立つ猫ちゃんの顔面にボールが飛んでいくのよ」

「というか野良猫が避けられないってさらりと恐ろしい事してませんかアレ」

 

 ―――― 或いはドッジボールの場合 ――――

「ボールを身体に当てれば勝ちになると……このぐらいシンプルなら花中さんにも出来そうですね」

「ちゃんと手加減しなさいよ、さかなちゃん。はなちゃん、さかなちゃんなら何処に当てたってダメージにならないから、思いっきりやりなさい」

「わ、分かって、ます……や、やぁっ!」

「……外れましたね。不自然な横カーブを描いて」

「なんでブーメランでもないのにボールが弧を描くのよ……」

 

 ―――― はたまたバレーボールの場合 ――――

「た、たぁーっ!」

「おおっ! 花中さんちゃんとスパイクが出来てますよ!」

「跳んだゆーても、殆ど浮いてないけどね。花中、脚力なさ過ぎ」

「……あら? ボールは何処にいって」

「ぶぎゃぶっ!?」

「あ。花中さんの頭に落ちてきたボールが当たりましたね」

「……つまり、一回真上に飛んで、そんで落ちてきたって事?」

「な ん で スパイク(叩き落と)したボールが真上に飛んでんのよぉぉぉぉ……!?」

 

 ――――そんなこんなで数十分後。

「ぐ、ぬぅうううううううっ! ば、馬鹿なぁぁぁぁ……」

 ミリオンが、呻きを上げる。造物主さえも討ち滅ぼした肉体が膝を折り、項垂れ、両手で支えなければ大地に倒れ伏すほどに弱り果ててしまう。苦悶は表情にも現れ、吐き出された言葉は絶望と屈辱に塗れていた。

「あは、あはは……は、はは……」

 そんな地上最強の存在を屈服させた花中は、こちらもまた半ベソを掻き、膝を抱えて座り込んでいた。口からは笑い声が出ていたが、楽しさなど欠片もない。もう笑うしかないと、心が乾き切っている事が誰の目にも明らかなほど憔悴している。

 もし今の時刻が夕刻に迫っていなければ、衆目は異質な彼女達の姿に集まっただろう。うっすらと茜色に染まり始めた空が人々に帰路を促さねば、不躾な野次馬がスマホで無断撮影をしていたかも知れない。

「いやー、こりゃ酷い」

「いっそ清々しいですね」

 そして花中達と違い、落ち込むどころか割と楽しそうな人外二匹。

 その二匹が視線を向けるのは花中達ではなく、地面に放置されたスポーツ用品の数々だった。

 サッカー、ドッジボール、バレーボール……他にも幾つかやったが、何一つとして花中には上手く出来なかった。いや、ただの失敗なら笑い話で済むのだが、花中の下手ぶりは最早『ド下手くそ』という言葉すら生温いだろう。

 何しろどうやっても、それこそ超越的能力を有するフィア達にすら真似出来ない失敗ばかりなのだから。

「つーかさ、花中が触ったボールって、どれも物理法則を軽く無視してない?」

「してるように見えましたね。花中さん実は私達と同じくミュータントだったりしません? そうだとすると一層親近感を覚えるのですが」

「酷いっ!?」

 最新鋭の兵器で構成された軍団を粉砕し、造物主さえも打倒する存在と誤認される運動音痴とはなんだ?

 人間では考えられないレベルの下手くそだと言外に告げられ、花中は目に涙を浮かべた。しかし浮かべた表情は悲しみではなく憤怒。頬をぷっくり膨らませながら立ち上がり、握り拳を二つ作るやぷんぷんと揺れ動かして怒りをアピールする。

「そ、そこまで酷くないもんっ! ただ今日のは、ちょっと……ぶ、ブランクだから! 運動してなかったせい!」

「いやいやまるで悪化したかのような物言いですけど元々このぐらい酷かったのではないですか? 少なくとも私と始めて出会った時から花中さん色々鈍臭かったですし」

「そんな事」

 ないもん――――そう言おうとした口は、しかし最後まで言葉を紡げなかった。思い返せばこの大桐花中、生まれてこの方まともにスポーツをやった事がない。つい最近まで顔が怖い所為で友達が出来なかったのだから遊ぶ機会などなかったし、体育の授業でも周りが避けていく状態だったので実質その場に立っているだけ。ドッジボールなどで極々稀にボールが来ても、持ち前の鈍感さで逃してばかり。ボールを投げた記憶が全くない。

 一応小中高校のスポーツテストでソフトボール投げをやっている筈だが……あの当時は今よりもっと小心者で、先生が怖くて、男の子が怖くて、頭の中が毎度真っ白になっていた。辛うじて残っている記憶の残渣は、手からすっぽ抜けるような球を投げていた気がする程度。下手は下手だが、今と比べてどうかはいまいち分からない。

 果たして自分が何時からここまで酷いのか。『ここまで酷くなかった』時期を知らぬ花中に、答えられる訳がなかった。

「なんにせよこの調子では何をやっても無駄に終わりそうですねぇ。球技以外のものをすべきではないですか? 本題は運動させる事なのでしょう?」

「ぐぬぬぬぬ……た、確かに……少し、ムキになっていたかも知れないわね。でも、球技以外になんか用意してたかしら」

「別に道具など使わずとも追いかけっこで良くないですか?」

「良いかもだけど、折角色々用意したんだから使いたいじゃない」

 自前のバッグに手を突っ込み、ミリオンは中を漁り始める。まだまだ残弾はあるらしいが、ミリオンの顔は渋いままである。

「……フリスビーとか、どうかしら?」

「確かに球技ではないですけど……」

「そうよねぇ……」

 ややあって取り出した物に、見せられたフィアは顔を顰め、ミリオン自身がフィアの意見に同意していた。

 花中自身にとっても推論であるが、恐らく自分は投げる……というより外力を加えて物体を動かす、諸々の動作全てが致命的に下手くそなのだと花中は思う。だとすれば例え球技以外、それこそ円盤状のディスクを投げて飛ばす遊びであるフリスビーでも、きっととんでもプレイを披露するだろう。フィアやミリオンが難色を示すのは至極真っ当な反応だ。

 しかしながら『きっと』は所詮可能性の話であるし、仮にとんでもプレイを披露したとして、まともに遊べないかは別問題。フリスビーが相手に届きさえすれば、遊びとしては成立する筈である。むしろ予測不能な動きをする方が()()()達にとっては面白いかも知れない。

「まぁやるだけやってみれば良いんじゃないですか? そーれっと」

 花中のそんな考えと同じ結論に至ったのか。先程まで渋っていた態度を一変、ミリオンからフリスビーを当然のように取り上げたフィアは、実に淡白な一言と共に花中目掛けてそっとフリスビーを投げてきた。

 花中とフィアの距離は、ざっと三メートル。優しく投げたためフリスビーの速度はかなりゆっくりだったが、この短距離では到達までの時間は僅かしかない。

 人より鈍臭い花中がこれに対応出来る筈もなく、

「うひゃあっ!?」

 反射的に、花中はフリスビーをしゃがんで避けてしまった。

 止められなかったフリスビーはそのままふわふわと、彼方に飛んでいってしまう。

「あら?」

「ちょっとー、さかなちゃん何してるのよ。はなちゃん相手にいきなり投げたら、そうなるに決まってるじゃない」

「あ、えと……わ、わたし、取ってきます、ね」

 キョトンとするフィア、窘めるミリオンや静観するミィよりも先に、花中は自らフリスビー拾いを立候補。すぐに自分の真上を通り過ぎたフリスビーの後を追う。

 フィアはあまり力を込めていない様子だったが、投げ方が上手かったのか、それとも風に乗ってしまったのだろうか。フリスビーは未だふわふわと飛んでいて、落ちる気配がない。

 故に見失わずに済んだ、といえば怪我の功名なのだが、良い事ばかりでもない。花中の鈍足では、ゆっくり飛行するフリスビーにも追い付けないからだ。

 無論フリスビーは空気抵抗により段々と失速していたが、花中も段々と疲れてきて、ただでさえ遅い足取りはますます鈍くなっている。いくら追い駆けてもフリスビーとの距離は一向に縮まらない。

 結局最後まで追い付けず――――フリスビーが止まったのは、行く先に居た誰かの後頭部にこつんと当たってからだった。

「ふぇうっ!? ご、ごめんなさ……」

 フリスビーとはいえ、不意打ちで後頭部に当たればそれなりに痛い筈。大変な事をしてしまったと、その人の近くまで来ていた花中は反射的に謝ろうとした。

 が、その言葉は途中で途切れてしまう。

 フリスビーを当ててしまったのは、身の丈二メートル近い大柄な人物だった。肩幅に至っては小柄な花中の倍、いや、三倍ぐらいあるかも知れない。後ろ髪は白とも銀ともいえる色合いで、相応の年季を感じさせる。着ている白いスーツは真新しく見えるが、丁度良いサイズがなかったのかピチピチとはち切れそうになっていた。

 と、これだけなら単にお年を召した、大柄の男性でしかない。怖いという気持ちに押されはしても、謝らなければという想いは薄れない。

 しかし『疑念』を抱いてしまったなら、罪悪感とは薄れてしまうもの。

 どうにもその人物が、花中には普通の人間に見えなかった。なんというか、全体の『輪郭』に違和感を覚えてしまうのである。それに人々の憩いの場であるこのグラウンドで、スーツ姿というのも奇妙といえば奇妙だ。

 疑念により花中が唖然としている間に、『男性』はポリポリとフリスビーが当たった箇所を掻く。手の皮膚は真っ黒で、指はどれも太くて立派だった。やがて彼は花中の方へと振り返り、

 ゴリラにしか見えない顔を、花中に見せた。

「……はい?」

 思わず口から出たのは、疑問系の言葉。

 その顔は目や鼻、口周り以外は黒い毛で覆われていた。地肌を覗かせている部分の方がずっと少ないぐらいで、僅かに見えている肌は黒人すらも色白に見えるぐらい黒い。目元は大きく陥没しており、鼻は平坦で『穴』が正面から丸見えだ。

 つまりは、その人物は第一印象が寸分も変わらないぐらいにゴリラ顔だった。いや、ゴリラ顔ではなくゴリラそのものと言っても過言ではない。彼に比べればテレビで自身の顔をゴリラだと自虐する芸人など、低クオリティを通り越して不敬である。

「花中さーんどうかしましどぅおうっ!?」

「え? あ、うわぁ……」

「ご、ゴリ……!?」

 その評価が花中の歪んだ感性が導き出したものでない事は、立ち止まってしまった花中の下へとやってきたフィア達の反応が証明していた。第三者の目から見ても、やはりゴリラらしい。

 しかし、此処は日本である。日本に野生のゴリラは生息していない。動物園で飼育している個体が脱走した可能性はあるが、そういった個体が新品のスーツを着ている訳もない。大体にしてゴリラとは繊細な動物である。このグラウンドのような、無数の一般人が遊んでいて賑やかな場所に足を踏み入れるなど到底あり得ない。

 であるならば、考えられる可能性は一つである。

 コスプレだ!

 きぐるみにしてはゾッとするほど精巧だし、今更ながら強烈な獣臭さが辺りを漂っている事に気付きもしたが、そんなのは些細な問題である。恐らく中に居るのは頭がアレな人か、テレビとかそんな感じのやつに頼まれ断れなかった資本主義の奴隷なのだろう。ならばここは下手に刺激せず、ゆっくりと後退していくのが正解

「ウホッ?」

 ――――あ、これゴリラだ。

 目の前の『人』と関わらない理由を考えていた花中だったが、その『人』の鳴き声が淡い期待を打ち砕いてしまった。

 人間はコミュニケーションの主体に『声』を用いる生物である。だから人間の声がどんなものかはどの生物よりも熟知しており、もし人間だと思って聞いた声が人間のモノでなかったら、きっと脳は混乱してしまうに違いない……そんな気持ち悪さが今、花中の頭の中を走り巡っていた。表情は引き攣り、手足は凍り付いたように動かせない。

 固まってしまった花中の前で、『彼』はしばし考え込む。それから思い出したようにポンッと手を叩くと、何やら嬉しそうに笑いながら ― 少なくとも人間である花中にはそう見える表情で ― 花中の肩をバシバシと叩いてきた。痛い。それに馴れ馴れしい。

 しかし『彼』は花中の気持ちなどお構いなし。ふと地面に落ちていたフリスビーの存在に気付いた『彼』は、フリスビーを拾い上げ、花中の手元に返してくれた。花中がされるがままフリスビーを持つと、なんだか微笑ましそうに頭を撫でてくる。優しい撫で方なのは構わないが、手が恐ろしく獣臭い。

 そうしてやりたい事をやって気が済んだのだろうか。すたすたと、『彼』は何事もなかったかのようにこの場を去ろうとした。

 ……出来れば、見過したい。見過ごしたいが、しかし今までの行動 ― 落ちてる物と花中を関連付けしたり花中の頭を撫でたりスーツを着たり ― により、彼は獣以上の知性……人智を持っている事を示して見せた。そして花中は『人智を獲得した生物』の存在を知っている。

「……フィアちゃん、ミリオンさん、ミィさん……」

「合点承知でーす」

「ウホ? ……!?」

「ごめんなさいねぇ、暴れなければ殺しはしないから」

「ウホッ!? ウホ、ウホッ!?」

「あー、こんだけ脅してもまだ人の言葉を話さないかぁ……こりゃ確実だね」

 素早く自身を包囲した人外×三を前にして、『彼』はようやく自分の置かれた状況を理解したのだろう。だがもう、遅過ぎる。

 気付いてしまった以上は見て見ぬふりなど出来ぬので――――果たして花中のそんな気持ちは、伝わったのだろうか。

「とりあえず……確保で」

 自分のこの指示一つで、自ら面倒事に首を突っ込んでしまった事を、花中は静かに悟るのであった。




はい、という訳で本章の新ミュータントはゴリラさんです。
……動物の中で、純白のスーツが一番似合うのはゴリラだと思うのは私だけでしょうか?(そもそもそのような姿を想像する人間が少数派)

次回は7/9(日)投稿予定です

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